反失業ヨーロッパ大行進
EU首脳会議に対決してケルンで35000人がデモ
フランソワ・ヴェルカマン
一昨年の1997年6月のアムステルダム、1998年のカーディフとウィーンの反失業ヨーロッパ大行進に続いて、6月3日と4日のEU(欧州連合)首脳会議に合わせて、今年も3万人から3万5千人が5月29日にケルンで行進した。これは、一昨年のアムステルダムの反失業大行進と同じ規模であり、この運動はEUが無視しえない重要な社会運動としての地位を獲得した。そのことを反映して、今回、EUを代表してドイツの雇用相が大行進のデモ隊を公式に出迎えなければならなかった。だが、同時に、この大行進に参加した欧州議会に議席をもつ政党は、フランスのLCR(革命的共産主義者同盟、第四インターナショナル・フランス支部)、ドイツの民主社会主義党、イタリアの共産主義再建党のみであり、労働者人民の利益を「代表」しているはずの、社会党、共産党、緑の党はいっさい参加せず、いずれも社会運動に背を向け続けていることを明らかにした。
多国籍資本と対決する労働者の団結
今日、失業者とその諸団体が、ヨーロッパの舞台に共闘したはっきりと見える勢力になった。そして毎回のEU閣僚理事会が失業者の要求を突き合わせる場になったことは確かである。ブリュッセルでは、失業者たちは、EU閣僚会議による各国の雇用計画への取り組みを準備しているドイツの雇用大臣から正式の出迎えを受けた。これはひとつの政治的勝利である。
ケルンは、ドイツ全土を縦横に行進してくる三つのデモ行進および5月25日から28日にかけて行われるブリュッセル=ケルン間の「中心的デモ行進」の合流点であった。
フランス、スペイン、ベルギーからの250人のデモ隊は、「資本のヨーロッパに反対する人民大行進」、「第一世代、第二世代、第三世代、そんなことはどうでもいい。われわれは自分のことは自分で決めるのだ」のスローガンが証明しているように、失業も社会的排除もなしに生きたいという欲求にかられていた。
このデモ行進はまた、常に容易であったわけではなかったが、同時に互いに大きく異なる社会的経験の間の(いわば毎日、職場集会を開いているような)1週間の民主主義の徒弟修業でもあった。
受け入れ国(ベルギーとドイツ)の側には、運動の浸透の弱さを反映していくつかの不備があった。ベルギーでは、デモ行進のコースが人通りのない場所であることが余りにも多かった。だが失業者委員会による雇用局現地事務所の占拠に対する支援は、すばらしい集団行動であった。ドイツでは、ケルンでの1万4千人の警官配置と至る所での監視カメラの設置…というものものしい警備が見られたが、これはひとつの文化的衝撃とも言うべきものであった。
ドイツからは1万5千人が参加
5月29日のケルンでのデモの規模は、少なくとも1997年6月のアムステルダムに匹敵するものであった。アムステルダムに比べると、今回はフランス人とオランダ人の参加がより少なかったが、ドイツ人の参加が増えた。
イタリアからの参加もまた大勢であり、アナーキスト運動の小さなデモ隊およびミラノの金属労働者を中心とする左翼民主党左派の隊列も見られた。イタリアのデモ隊の中核(2200人)をなしていたのは、共産主義再建党の影響下にあるCobac(基礎委員会、CGILなど三大ナショナルセンター指導部の穏健路線に飽き足りない労働組合の下部組織が結集して組織した業種間横断的な連合で、公共部門、医療、交通運輸、教員などの部門が中心)、ナショナルセンターであるCGIL内の反対派(オルタナティブ労働組合派および共産主義的翼)、反失業大行進共闘会議、そして共産主義再建党それ自身の隊列などであった。
スペインからは四百人が、ベルギーからは、工場閉鎖攻撃を受けているルノー・ヴィヴォルデ工場の労働者の二つの隊列を含む1000人が結集した。また、デンマーク、スウェーデン、イギリスからも小さな隊列が参加し、ギリシャからはCGT(労働総同盟)系の約250人がやって来た。
喜ぶべき驚きはドイツからの参加であった。一昨年のアムステルダムでは2000人だったのに、今回のケルンには1万5千人が結集した。その勢力は4つに大別できる。まず第一は失業者である。ドイツのすべての失業者団体および地区の失業団体ならびに労働組合と結びついている失業者団体が参加した。続いて、トルコで行われているクルディスタン労働党党首オジャラン氏の裁判に対して大衆動員を展開しているクルド人の大きな隊列である。
3番目の隊列は、フランスの「ラフロン」、「スカルプ」、「レフレックス」などの団体に相当する反ファシスト全国的ネットワーク網の「アンティファ」の非常に若く、急進的な大規模な部隊である。最後は、緑の党左派や社会民主党左派、民主社会主義党、革命派などの政治勢力の隊列である。
(欧州労連内外に)形成中のヨーロッパ規模の労働組合ネットワークのアピールを支持する署名運動は真の成功を収めたにもかかわらず、ドイツの隊列に大きく欠けていたのは、労働組合の隊列であった。同時に注目すべき隊列としてあったのは、ヨーロッパ規模の女性の運動、インドの農民、ブラジルの「土地なき人々」、韓国、メキシコの代表たちであった。
不十分だったいくつかの点
ここでは2つの問題点を指摘しておこう。NATO空爆に反対する大衆動員が国によって大きな違いがあることが明らかになり、特にその要求をめぐって対立が存在したけれども、バルカン半島でのこの戦争が運動の社会的側面にあらたな要素を付け加えたのであった。
ブリュッセル=ケルン間のデモ行進はドイツで、空爆停止を要求するがミロシェヴィッチについては沈黙したままの民主社会主義党の横断幕によって迎えられた。デモ行進参加者たちは、その横断幕をたたむよう要求した。同じことがケルンでも繰り返された。ドイツとイタリアは反戦運動に非常に積極的だったが、フランスなどの他の国は消極的だった。
第2の問題は、参加した失業者の構成の点での対照的な姿である。フランスはCGT失業者委員会の100人を含めてそれにAC!(反失業共同行動)、APEIS(互助・情報・連帯協会)、MNCP(失業者・不安定被雇用者全国運動)が結集したが、労働組合への浸透の点で成果がまだ不均等である。
イタリアでは労働組合の参加は良好であり、ドイツでは労働組合の参加は見られなかった。フランスでは、グループ10(連帯系の独立組合などが結集する労働組合の全国的連合体)とFSU(統一組合同盟、教員の新独立組合)、CNT(全国労働同盟、アナルコ・サンディカリスト系)に限られていた。ケルンはすばらしい成果をあげたが、まだ踏破すべき道が残っている。
最後によいニュースを付け加えておく。アラン・クリヴィンヌとロセリーヌ・ヴァシェッタ(欧州議会でのLO―LCRの候補者名簿のLCR候補者で、2人とも当選した)を先頭にしたフランスLCRをはじめとする第四インターナショナルの強力な隊列が登場したことである。残念なことに、欧州議会に立候補したフランスの政党の中で、このケルンのデモ行進に参加したのがLCRだけであったという点を指摘しておかなければならない。
『ルージュ』(1999年6月3日号)
The KAKEHASHI
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