大江健三郎との往復書簡 

ユーゴ空爆を正当化するスーザン・ソンタグの虚偽の論理

平井純一

 NATO軍によるユーゴ空爆は、バルカンの民族問題をより一層、深刻な解決不能の状態に追い込んだ。アルバニア難民の帰還が始まるとともに、セルビア系住民が難民化し、アルバニア系テログループによるセルビア系住民の大量虐殺が報じられている。侵略を正当化する「人道的介入」の論理を許すことはできない。


緑の党の変節と同様の論理

 作家のスーザン・ソンタグは朝日新聞に掲載された大江健三郎との「未来に向けて」と題する往復書簡の中で、きわめてあからさまにユーゴスラビアへのNATOの空爆を支持する自説を防衛した。
 大江は、「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」5月2日号に掲載されたソンタグの「われわれはなぜコソボにいるのか」の中の一節「すべての暴力がひとしく非難されるべきものなのではない。すべての戦争がひとしく不正なものなのでもない」が、端的にNATOの空爆を支持するものなのか、という日本の若者の問いに対して、「彼女が積み重ねてきた労苦に裏打ちされている苦渋、そして文明全体への深く暗いアイロニーを感じとることなしに、この二行を有効に読みとることはできない」と答えた、という(「朝日」7月13日夕刊)。
 しかしそれに対するスーザン・ソンタグの回答(「朝日」7月14、15日夕刊)は、「苦渋」や「暗いアイロニー」のかげりをいささかもにおわせるものではなかった。
 彼女は述べる。「苦悩と多くの疑いを抱きながらも、確かに私は北大西洋条約機構(NATO)のによるセルビア爆撃を支持しました。かつてユーゴスラビアだった地を、スロボダン・ミロシェビッチが破壊し続けるのを食い止めるには、軍事介入しかないと考えたからです」と。
 彼女は続ける。「なかには正義の戦争だとみなしうる戦争も、きわめて少数ではあれ、たしかにあります。戦争という手段をとらなければ、武力による侵略をやめさせる道がないという場合に限って」。今回のNATOの対ユーゴ戦争はそういう「正義の戦争」だったとソンタグは語っているのだ。
 さらに彼女は、ユーゴ爆撃推進に立ち回ったドイツ外相で緑の党のリーダーの一人ヨシュカ・フィッシャーを「良心の声を正直に告白する政治家」として称揚し、「彼の内省を私たちは真摯に受け止めるべきだ」と言う。スーザン・ソンタグによってまとめられたフィッシャー独外相の発言とは次のようなものだ。「場合によってはアウシュビッツを阻止(あるいは抑止、または停止)するには、たった一つしか方策がない――それは戦争だ」。
 こうした立場から彼女は「戦争をやめよ、ジェノサイドをやめよ」という反戦運動のスローガンを、「戦争停止によって、セルビア側によるジェノサイドがまんまと続けられるだけの結果」になってしまうのではないかと批判しているのである。さらにソンタグは、このユーゴに対するNATOの「人道的」戦争を、クメール・ルージュによる自国民へのジェノサイドを終わらせたのはベトナムによるカンボジア侵攻だったということとアナロジーし、それを正当化するという手の込んだことまで行っている。
 つまり彼女は、NATOの支配者どもの戦争遂行の口実をそっくりそのままおうむがえしに語っているにすぎないのだ。アメリカが主導するNATOは、今日の世界の「正義」の体現者になってしまった。彼女の発言は「緑の党」が新自由主義のEUを防衛するために行った変節と軌を一にするものである。

「人道的介入」とは何なのか

 われわれは、「すべての戦争が悪である」という絶対平和主義の立場には立っていない。階級支配が存在する以上、不平等と不公正と搾取の「秩序」を変革し、被抑圧者の生存と解放を求める闘いが、内戦=戦争という形態を取らざるをえない場合は当然ありうる。その暴力がもたらす負の諸要素について自覚的でなければならないという条件を付したにしてもである。しかし、言うまでもなく今回のNATOによるユーゴ爆撃は決してそうした民衆の生存のための戦争ではなかった。
 それは、帝国主義支配者が自らの支配秩序を防衛するための戦争にほかならなかった。NATOにとって昨日まで旧ユーゴ「安定化」のパートナーだったミロシェビッチは、「スケープゴート」に仕立て上げられた。彼の民族排外主義的弾圧政策はNATOの軍事的力を見せつけるための絶好の材料になり、「テロリスト集団」とされていたコソボ解放軍(UCK)は、コソボのアルバニア人の権威ある代表とされた。
 多くの報道でも確証されているように、NATOの空爆はコソボのアルバニア人への「民族浄化」とアルバニア人や少数派セルビア人の「難民」化を加速し、エスニック間の敵対と憎悪を解決不可能なまでに拡大したのである。それはバルカン半島の不安定化をいっそう促進し、多民族の自治と自決にもとづく共生の展望を閉ざしたのである。
 われわれは「国家主権」を絶対化したり、人権・人道を抑圧する政権に対する国際的介入や圧力を「内政干渉」という言葉で一般的に否定する立場をとらない。しかし、帝国主義諸国は世界中いたるところで人権・人道を抑圧する反民衆的独裁政権を支援している。そうした帝国主義による「人道的介入」は、彼らに忠実ではなくなった政権を、彼らに都合のよい別の政権に置き換えるための口実にすぎない。置き換えられた別の政権が、人権・人道を尊重するか否かは、二の次、三の次の問題なのだ。
 人権・人道を乱暴に抑圧する独裁政権に対する闘いは、当該諸国の民衆の反独裁闘争に対する国際的支援と連帯のネットワークを、それがいかに困難なものであったとしても、築き上げていくという方法でしか実現しえない。他の国家による直接的介入は、もしそれが行われない限り、介入を受けた国に住む民衆の絶滅の悲劇が避けられないほどの事態が作りだされた場合、「緊急避難」的な措置としてありうることは排除できない。ポル・ポト体制を打倒したベトナムの軍事介入はそうした稀有の例であった。しかし、今回のユーゴ空爆はそうした例にあてはまらない。

複雑な構造の徹底的単純化

 ソンタグの主張は、きわめて単純きわまりないものである。彼女はボスニア内戦に示される旧ユーゴスラビアの悲劇を、すべてミロシェビッチ政権という「今日の世界で見る限りもっともファシスト政府に近い」存在の責任に帰結させているのである。ここでは、旧ユーゴの解体をもたらしたドイツ帝国主義の思惑や、民族間紛争を加速した1980年代以来の西側による新自由主義的経済政策の強制、「人道的」空爆にかけたNATOの政治的意図、そのダブルスタンダードぶりなどがすべて彼女の思考から排除されている。「ミロシェビッチかそれともNATOか」という政治的二者択一以外の現実的展望を拒否する彼女の主張は、まさに虚偽のものであるとしか言いようがない。
 第四インターナショナルは、ミロシェビッチ政権によるアルバニア人に対する民族的弾圧と追放政策を断固として批判してきた。そしてボスニア内戦で示されたセルビア民族主義者やクロアチア民族主義者による「民族浄化」を批判し、諸民族の自治と共存によるボスニア・ヘルツェゴビナを求める主体への支援と連帯の運動を実践してきた。
 第四インターナショナルは、ミロシェビッチ政権に対する批判をいささかもゆるめず、ユーゴスラビア内の民主主義的反対派と連帯しつつ、NATOの空爆の即時中止を求める運動を作りだしてきた。それは「民族浄化かそれとも空爆支持か」という二者択一の論理のデタラメと対決し、バルカン半島諸民族の労働者民衆自身の手による平和の展望を探り出そうとする闘いであった。
 ソンタグは「ミロシェビッチが1991年に戦争を始めたその時、もし軍事介入が行われていたら、多くの、実に数多くの生命が失われずにすんだことでしょう」と偽善的な言葉を述べ、しかしヨーロッパがなにもしなかったことによってボスニア内戦の悲劇がもたらされたと嘆き、今回の「遅すぎた決定」を支持する、としている。
 しかし旧ユーゴの内戦においてヨーロッパは「なにもしなかった」のか。ヨーロッパの諸政府は、自国の利害にもとづいて旧ユーゴの分割を促進し、民族的対立に火を放ち、クロアチアのツジマン政権による「民族浄化」を放置し、ボスニアの民族的細分化をもたらすデイトン協定を強制したのではなかったか。そしてそのことによってミロシェビッチの民族主義的延命に手を貸し、彼を利用したのではなかったか。
 ソンタグは大江への書簡の最後で「今の堕落した文化のあらゆるものは、現実を単純化するよう、英知を嫌悪するよう、私たちを手招きしています。私は作家に、その一人として自分自身にも、物事についての複雑な見方を明晰に言葉で述べることを期待しています」と書いている。「現実を単純化」し、「人権と人道」の衣をまといながらNATOの利害を宣伝しているのはだれなのか。
 今日、われわれがなによりも批判しなければならない対象が、彼女のこうした論理の中に鮮明な姿をとって立ち現れているのである。

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