新自由主義経済下のラテンアメリカ〔2〕

新自由主義経済の導入と展開

山本三郎

1 中南米経済の現況とその課題

 1997年12月17日に発表されたラテンアメリカ・カリブ経済委員会(国連経済社会委員会の地域機関)の「1997年ラテンアメリカ・カリブ経済速報」は概略、以下のように述べている。
 「1990年代、ラテンアメリカ経済はメキシコ通貨危機の影響を受けた95年の一時的落ち込みを除くと、穏やかに経済成長を続けてきた。91年から96年の域内平均GDP(国内総生産)は3・2%であり、とりわけ97年度は5・3%とその経済成長の歩みを確実にした。インフレ率も93年の883%、94年の335%が、95年には26%、96年には18%と激減、97年には11%と過去50年間でもっとも低い数字であった」
 「この成長を支えたのは輸出の増加であり、97年の地域全体の増加率は11%で、世界平均の7%を大きく上回った。一方、輸入の増加も著しく、輸出額の増加を上回った。そのため、貿易収支(サービス収支を含む)の赤字は95年、96年が80億ドル程度だったのだが、97年には280億ドルに増加した。このことは当然経常収支にも反映し、域内の経常収支の赤字幅は、96年の350億ドルから、97年は600億ドル(GDPの約3%)に急増した」
 「この経常収支の赤字を補ったのが、大量に流入した海外からの投資であり、1997年の総額は、730億ドルにも達した。その投資の大半は直接投資と中期の債権、および銀行融資で構成されており、直接投資は440億ドルにのぼった。短期資本はいまや、ラテンアメリカ諸国への資本流入のごくわずかを占めるだけである。一方、対外債務は緩やかに拡大し、97年の域内の対外債務の増加率は低下して2・5%になり、総額は6440億ドルに拡大した」
 「失業率は96年の7・7%から7・5%になった。この低下は雇用創出というよりも、労働市場への参入が減少したためである。経済構造の変化は、大規模な雇用の喪失を招いているが、活発な経済部門もこの喪失を埋め合わせるに足る良質の新規の雇用を創出することはできなかった」。
 この経済速報の内容は、ブラジルの通貨危機を待つまでもなく、さまざまな問題を私たちに提出している。
 まず第一に、インフレがこのまま沈静化して、ラテンアメリカ経済は安定的な成長を続けることができるのかということである。現在のインフレの鎮静化は、財政、金融政策=総需要抑制、金融引き締めによって実現したものであり、そのマイナス面での影響は、ブラジル通貨危機の項で見てきたとおりである。
 第二に、経常収支の赤字を、大量に流入する海外からの投資資金で補うという経済構造である。中長期の、それも直接投資に変わってきているので、急速な資金の海外への流出は起きにくいというが、本当なのか。また緩やかにとはいうが、対外債務は増え続けており、97年の対外債務総額は6440億ドルに上っている。この額はラテンアメリカ諸国の対外債務危機が発生した82年の債務総額、3153億ドルの2倍以上の数字である。通貨危機、債務危機は再現しないのか。このことも、今回の通貨危機が例証したとおりである。
 第三に、新自由主義経済下で生み出された利潤は、ラテンアメリカに蓄積され、ラテンアメリカに再投資されるのか、そして、そのことによってラテンアメリカは産業構造の転換を実現し、産業の国際分業に耐えうる技術力を獲得できるのかということである。
 第四に、新自由主義経済は新たな良質な雇用を創出し、ラテンアメリカの貧困の問題を解決し、民主主義的な社会を実現できるのかという問題である。現実に起きていることは失業の増加であり、所得格差の拡大であり、貧困の増大なのである。
 ブラジル通貨危機が表現した問題は、個別ブラジルの問題ではない。大なり小なり、ラテンアメリカ諸国が等しく抱えている問題である。新自由主義経済はラテンアメリカの経済のみならず、その政治も、社会構造をも巻き込んで大きく変貌させている。労働者、民衆の在り方もまた、その例外ではない。

2 新自由主義経済登場の背景

 なぜ、ここ10年余りの間にラテンアメリカ諸国は、従来の国家主導型の開発政策を放棄し、新自由主義経済政策をとるようになったのであろうか。
 政治的背景として上げなければならないのは、ソ連・東欧圏の崩壊という問題である。それは左翼ゲリラ勢力の後退のみならず、ラテンアメリカ左翼を再編成に追い込んだのだが、一方では、その対抗勢力としてあった軍政をも後退させていくことになった。こうした事実はラテンアメリカにある種の協調的な社会の実現とでも言うべき情勢の変化をもたらしたのである。
 またソ連・東欧圏の崩壊はラテンアメリカ諸国の開発モデルとして主流だった、国家主導型の開発政策の再検討を余儀なくさせた。そして、その経済圏の喪失は、ラテンアメリカ諸国の米国市場への依存度を一層高めていったのである。
 次に、ラテンアメリカ諸国の債務危機の問題を上げなければならない。1982年のメキシコの金融危機に端を発した債務危機は、ラテンアメリカ諸国を1929年の世界大恐慌を上回る経済的困難に陥れた。その経済的後退の大きさゆえに、しばしば1980年代は、ラテンアメリカにとっての「失われた十年」と言われている。その克服のために採られたIMF主導による債務返済、経済再建計画こそがマネタリズムの政策であり、新自由主義経済政策だったのである。
 最後に、この問題は前二者とも関連するのだが、輸入代替工業化政策の限界の露呈と、その歴史的敗北という問題である。輸入代替工業化政策は、ラテンアメリカが第一次産品輸出に依存した経済構造から脱却するためにとられてきた、主流をなす工業化政策だった。しかし、それが作りだした工業製品は、国際競争力を結局のところ獲得できず、国内経済に様々な矛盾を生み出し、債務危機にまで至らしめていく大きな要因になってきていたのである。
 こうした状況を背景にして、ラテンアメリカ諸国は好むと好まざるにかかわらず、新自由主義経済政策を採用せざるをえなくなっていった。あるいは国際資本によって新自由主義経済政策を強制させられていったわけである。そうした意味において、新自由主義経済政策と、それに関連する種々の政治的、経済的諸問題はブルジョアジーによる、冷戦後のラテンアメリカ再編成政策とも言うべき問題なのである。

3 冷戦後の米国の中南米政策

 1990年6月27日、アメリカ大統領ブッシュは中南米支援構想(EAI)を打ち上げた。その提案演説の中でブッシュは以下のように述べている。
 「東欧では自由が勝利を収めたが、米州でもキューバを除いて民主化が達成され、また経済の分野でも、自由市場経済への移行が行われつつある。自由市場経済改革が持続的成長、政治的安定の鍵であるとの認識がラテンアメリカで高まりつつあり、EAIはこれを強化するインセンティブを作りだすために行われるものである」。
 この演説に見られるように、EAIは明らかに冷戦後における米国のラテンアメリカ政策を表現したものであった。
 その政策としては、まず、ラテンアメリカのすべての国家と自由貿易協定を結び、南北アメリカを覆う自由貿易地帯を構築することであり、NAFTA(北米自由貿易協定)はその第一歩として位置づけられていた。
 次に、ラテンアメリカ諸国の経済回復のために、外国資本の投資、とりわけ直接投資の推進を提唱している。そのために、米州開発銀行が投資制度の自由化、企業の民営化のための技術支援、および金融支援を行うためのプログラムをもうけることを提案している。このことと同時に、中南米投資基金を創設して、市場メカニズムに基づく投資促進計画や、外国からの直接投資を受け入れるための改革を支援するための資金を提供することをも提案したのである。
 そして、第三に、対米国債務の削減を行うことを提案し、他の先進諸国にも債務の削減をするよう働きかけるとしていた。
 また、同じ六月に米国務長官ベーカーは中米復興のための支援枠組を作ることを提案した。この提案は主要先進諸国との協議の過程で、米国、日本、ヨーロッパにラテンアメリカ諸国等を加えることで、「中米の民主主義と開発のためのパートナーシップ」(PDD)として結実、その性格を中米の民主主義と開発に向けての国際協力のためのフォーラムとした。そして、PDDは1991年四月コスタリカに先進諸国十カ国、ラテンアメリカ諸国十カ国、それに14の国際機関を集めて発足したのである。
 これらの提案はもちろん米国の強いイニシアチブのもとでなされるとされていたのだが、従来の米国のラテンアメリカ戦略とは重要な相違点があった。まず、第一に、70年代、80年代の米国の政策にはなかったラテンアメリカ全体を包括的にとらえた構想だったということである。第二に、域外のヨーロッパ諸国や日本の参加を組み入れていること、第三にラテンアメリカ諸国の地域統合を歓迎している点である。第二、第三の点は米州機構を中心とした伝統的なインターアメリカン構想との重要な相違点である。
 以上のことは、NAFTA締結以降、地域統合に対する米国の動きが進展していないことにみられるように、必ずしもそのまま進行しているわけではない。しかし、ラテンアメリカを自由主義市場経済に統合していこうとする明確な意志の表現をも含めて考えれば、そこには冷戦後のラテンアメリカを政治的、経済的に再編成していこうとする米国の強い意図を読み取ることは難しいことではない。

4 通貨危機発生とIMFの経済調整(1982年~)

 1982年8月、メキシコ政府は外国民間銀行に対して公的債務の支払い猶予を要請、ラテンアメリカ諸国の債務危機が健在化した。82年当時のラテンアメリカ諸国の対外累積債務の総額は3153億ドルであった。この額は輸出総額の約3倍、利子の支払いだけでも輸出総額の3~4割に達しており、この債務の大部分は外国民間銀行に対するものであった。
 これ以降、IMFのイニシアチブによる債務繰り延べ交渉が、3次に渡って行われることになる。この交渉の対象にはラテンアメリカだけではなく、他地域の発展途上国、東欧諸国もなったのだが、この交渉にラテンアメリカでは最終的に19カ国が参加、キューバとニカラグアを除く17カ国が合意に達した。
 合意の形態は、IMFは債務国が経済調整政策を受け入れることを条件に融資を行う、外国民間銀行はそのことを条件にして、債務を繰り延べし、必要があれば新規借款も認めるというものであった。
 そこで採られた経済調整政策は金融財政政策を中心とした総需要抑制政策であり、各国の自由な裁量を制限したものであった。つまり、各国中央銀行の国内融資の増加を制限すること。次に、財政赤字を縮小するために、財政赤字のGDPに対する比率の低下の目標値を設定すると同時に、公共部門の対外債務、国内債務の増加を制限し、税収の増加、公共料金の値上げ、経常的な財政支出の削減を行うということである。また為替の切下げ、賃上げの抑制、実質金利の引き上げ等も要求された。
 しかし、これらの政策は債務支払い期限が迫っていたラテンアメリカ諸国への緊急対策の域を出ず、対外債務は増え続け、経済成長率も85年後半以降,再び悪化していくのである。また各国における景気後退、合理化等による失業率の増大は深刻なものになっていった。
 そうした状況の下で提案されたのが、1985年のベーカー提案であった。この提案は累積債務問題が、短期的な総需要抑制政策では解決できない構造的問題であると分析し、中長期的な構造調整政策が必要として、そのための世界銀行、米州開発銀行、及び民間銀行の融資を拡大するというものだった。
 このベーカー提案はほとんど実施に移されることはなかったのだが、こうした中長期的展望の必要性を背景にして、1989年、米財務長官ブレディーによって提案されたのが構造調整政策であった。
 この提案は中所得重債務国の債務の削減を実現したというだけではなく、債務削減条件として構造調整政策を実行させることによって、国営企業の民営化、貿易の自由化等に全面的に道を開いたということでも画期的なものであった。
 この政策の目的は経済構造、経済制度の改革によって、市場をより合理的、効率的に機能させることによって、持続的で安定的な経済成長を実現し、国際収支の均衡を図ることとされており、経済の自由化がその中心的な政策になっていた。
 その具体的な政策としては、貿易の自由化、国営企業の民営化、外国からの投資の自由化、国内における規制緩和、つまり、価格の自由化、補助金削減、農地市場・労働市場の自由化、さらには行政機構の合理化、社会福祉、社会サービス予算の削減等の広範な内容を含むものであった。

5 ブレディー提案と新自由主義(1989年~)

 このブレディー提案による債務削減はメキシコ、コスタリカ、ベネズエラ、ウルグアイに適用され、構造調整政策が実行に移された。そして、チリ、アルゼンチン、ブラジルでも実施されていくのである。
 こうして、ラテンアメリカには再度海外資金が流入しはじめ、1982年以降赤字が続いていた資本の純移転額は、91年には84億ドル、92年には274億ドルの黒字に転換、経済成長も回復期に入っていくのである。
 もちろん、このことが新たな矛盾を作りだしていったことは論を待たないことである。

6 民営化はどのように展開されたか

 ラテンアメリカにおける国営、公営企業の民営化の動きは、部分的にはすでに70年代末に始まっていたのだが、80年代末から急速に進み、いまやラテンアメリカ全体を覆う主要な経済政策となっている。
 その規模は非常に大規模であり、銀行、電気通信、航空、製鉄、石油化学、教育、年金等にもおよび、急速に進んでいる。多くの国では国営石油公社本体の民営化までには至ってはいない。しかし、流通、石油化学等の関連産業においては、ブラジル、メキシコ、ベネズエラ、ペルーで民営化、その外資への売却をも含めて可能とする動きが進んできている。とりわけアルゼンチンでは90年12月に、石油公社を株式会社に改組、92年9月には民営化を決定、株式の一般譲渡を決定した。
 ブラジルでは90年のコロル政権によって、民営化が本格的に開始された。91年のウラジミナス製鉄所売却以降、製鉄、石油化学、肥料、機械等、政府が最も力を入れて育成してきた貿易財部門を中心に民営化が進められた。
 93年には製鉄部門の民営化が完了、94年には国営石油会社の下にあった肥料5社を民営化し、同じく国営石油会社の下にあった石油化学会社のほとんどが、96年末までに民営化を終えた。95年には電力会社、96年には国有鉄道の民営化が開始され、97年5月には国営企業の中心として資源開発事業を担ってきた鉱山会社リオドセ社の民営化がなされた。また年金基金の運用も民営化されている。
 チリの民営化の開始は最も早く、73年軍事クーデターで政権を奪ったピノチェット軍事政権に逆上る。ピノチェットは政権奪取後、直ちにアジェンデ政権下で国有化された企業を民営化した。しかし、民営化後、倒産企業が多発し、その上、82年には債務危機が発生した。そのため、政府は大手銀行等、50を超す企業の再接収を余儀なくされた。そして、84年以降、それらの企業のほとんどを再度民営化したのである。
 この再民営化にあたってはポピュラー・キャピタリズム(大衆資本主義)を形成することを目指すとして、幾つかの特徴的な政策がとられた。つまり、一投資家あたりの投資に限度枠を定めるとともに、個人投資家に対する政府融資を行ったのである。また同時に従業員持ち株制度も導入された。
 これらの政策は、公式的には73年当時の民営化が国内の少数の財閥に集中したことの反省にたって、株式所有を分散化して、多数の小口の一般株主を作ることを目的としていた。しかし、他方では再国有化を不可能にするという意図も含まれていたのである。また、年金基金の民営化をするなど、チリのこれらの政策は他のラテンアメリカ諸国の民営化のモデルになっている。
 メキシコにおいて民営化が本格的に始まるのは、88年12月のサリナス政権の発足以降である。89年以降、航空、電話公社、産銅会社、金属、重機、造船、食品、砂糖の代表企業を次々に民営化した。そして、91年秋には製鉄分野の民営化を完了、92年には銀行の民営化も終了させた。
 アルゼンチンにおいて民営化が始まるのは、83年のアルフォンシン政権であった。89年には従来民営化に反対してきたペロン党のメネムが大統領に就任した。しかし、メネムは方針を転換し、アルフォンシン政権の民営化に頑強に反対してきたペロン党の支配下にあった労働組合を押さえ込み、民営化を強力に推進したのである。
 90年には電話公社、アルゼンチン航空、92年には電力会社も民営化した。また従来アルゼンチンでは、製鉄、石油化学、金属加工等の部門は、国防総省傘下の軍事工厰として位置づけられ、軍部の統制下に置かれてきたのだが、この石油化学、製鉄所でも民営化が開始されている。またアルゼンチンの場合、石油公社本体の民営化が実行されたのは注目される。
 この急速な民営化の流れの背景となっているのは、前述したように輸入代替工業化政策の限界という問題がある。次にこの機会にラテンアメリカ市場に参入しようとする国際資本の圧力である。外国資本の参入はチリ、アルゼンチンでは活発だったが、ブラジル、メキシコではそれほど多くはなかったようである。しかし、外国資本に売却された産業は、電気通信、航空会社、油田の開発権(アルゼンチン)、鉄鉱石(ペルー)等の重要産業で目立っている。また前述したように石油の流通、石油化学等についても外資の参入、外資への売却の動きがでてきているのである。
 そして、重要な問題として上げねばならないのは国営企業の売却代金を対外債務支払いにあてさせようとするIMFの圧力と、そうすることで対外債務を減らしたい各国政府の思惑である。対外債務の減額は、当然、対外債務利払い額の減少につながっており、この問題は財政赤字の縮小という側面も持っている。ちなみにメキシコ政府は91年10月、企業売却代金20兆ペソを対外債務(160兆ペソ強)支払いに充てたと発表している。
 そして最後に、対外債務危機で海外に逃避した国内資本を、国営企業を民営化することで国内に呼び戻したいという各国政府の意図を上げることができるだろう。
 以上、ラテンアメリカにおいてどのような経緯で新自由主義経済が導入されるに至ったかについて簡単に述べてきた。この新自由主義経済はラテンアメリカの経済、政治、そして社会に大規模な構造変化をもたらすことになったのだが、そのことについて述べる前に、ラテンアメリカの従来の政治と経済の構造がどのようなものだったのかをまず検討していきたい。

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