新自由主義経済下のラテンアメリカ〔5〕

輸入代替工業化の限界の露呈とポピュリズム政権の終焉(1950年代~1960年代)

山本三郎

1 輸入代替工業化政策の諸問題

 輸入代替工業化政策は、初期の段階では確かに成功したようにみえた。とりわけ第二次世界大戦後の伸びは著しかった。アルゼンチンの工業生産は1945年~55年の10年間で50%上昇した。またウルグアイは43年~55年の間に120%、チリは45年~52年に30%、メキシコは46年から56年に100%、ブラジルは47年から57年に123%の工業生産の伸びを示したのである。
 そしてラテンアメリカ地域の50年代のGDPの年平均成長率は5・1%、60年代には5・7%の成長を達成した。第二次世界大戦による工業製品の輸入のストップと大戦中に実現した外貨の蓄積、そして50年代における積極的な外資の導入による輸入代替工業化政策の推進の結果だった。
 しかし、そうした経済成長率にもかかわらず、55年以降、輸入代替工業化政策は大きな曲がり角を迎えていたのである。50年~55年までは一人当たりGDPの年平均成長率は2・2%の成長を示していたのだが、それ以降、一人当たりのGDP成長率は急減していく。55年~60年には年1・7%、65年~66年にはついに横ばい状態になる。ラテンアメリカ経済は明らかに後退局面に入っていた。
 第一次産品輸出経済構造から脱却するために、ラテンアメリカ諸国は輸入代替工業化政策を選択した。しかしそのための資本を、結局は第一次産品輸出に依存しなければならなかった。こうしたラテンアメリカ諸国の経済構造のジレンマの結果であり、輸入代替という一国内に限定された市場における資本の形成では、資本主義的発展は展望できないという当然の帰結であった。
 1950年代末、輸入代替工業化の過程は非耐久消費財(食品、繊維等)段階から耐久消費財(家電製品、自動車等)、中間財(鉄鋼、化学)、資本財(機械設備等)へと高度化していく。この過程で輸入代替工業化政策の矛盾と限界が明らかになっていった。非耐久消費財の製造技術の単純な延長上に、中間財・資本財の製造技術が獲得できるわけではない。技術水準の低いラテンアメリカ諸国は、それらの製品を生産するために必要な中間財、資本財を輸入に頼らねばならず、それらのコストは非耐久消費財の製造とは比較にならないぐらい膨大であり、輸入は急激に拡大することになった。
 一方、初期輸入代替工業化で実現したラテンアメリカ諸国の製品=非耐久消費財は国際競争力を獲得できず、したがって、そのための資本の形成は依然として第一次産品輸出に依存していた。第一次産品の生産と輸出が急激に増えるわけではない。ラテンアメリカ諸国は慢性的な資金不足に陥っていく。そこに、第一次産品価格の国際市場での暴落が追い打ちをかけたのである。
 ラテンアメリカ諸国は工業を発展させていく上で、もう一つの重大な問題を抱えていた。各国における国内市場の狭隘さである。ラテンアメリカ諸国は結局は農地解放を実現できなかった。そのため国民の圧倒的多数者である農民は、極貧状態に置かれていた。そのうえ、政府の工業への優先的な資金投資、工業製品の国内取引での保護政策によって、農業部門は取り残され、農民の所得上昇はこの面でも抑えられていた。国民の圧倒的多数者であった農民は、輸入代替工業が作りだした製品の消費者たりえなかったのである。  一方、新興階級たる労働者はどうだったのだろうか。工業化の段階が非耐久消費財から耐久消費財、中間財へ転換したということは、資本集約的産業へ転換したということを意味していた。つまり工業部門の発展は新たな雇用を生み出さず、逆に労働者の雇用も、その賃金も減少させていた。この面でもラテンアメリカの工業製品は新たな消費者を獲得することはできなかった。

2 外資の導入と多国籍企業の展開

 国際競争力を持たない、そして十分な国内市場を持たない工業を発展させ続けるために、ラテンアメリカ諸国は膨大な財政支出を強制されていく。政策的に国内需要を喚起するためであり、補助金や赤字を補填することで国営企業を支えるためであった。このことは、当然にも財政赤字を拡大させていく。一方、輸入代替工業化の高度化による輸入の拡大は、経常収支の赤字の拡大をもたらしていた。そしてこの両者の赤字は必然的にインフレーションをもたらすことになったのである。
 この矛盾を解決するために採られたのが海外資金の導入、とりわけアメリカ合衆国からの直接投資であった。1951年から55年の5年間におけるアメリカの直接投資は総額16億6千万ドルだったのだが、56年から60年には31億1700万ドルへと倍増するのである。その結果国内総投資に占める外資の比率は、46年から49年には3・3%だったのが、50年から54年には4・9%、55年から61年には9・3%に達していく。このようにして、ラテンアメリカ諸国は当面する資本の不足を補っていくのだが、しかし、そのことはラテンアメリカ諸国が新たな矛盾の道、従属の一層の深化の道に踏み込んだことを意味していた。
 一つは債務危機の泥沼の道である。ラテンアメリカの債務危機の基本的構造はこの時期から始まっていくことになる。そしてこれ以降ラテンアメリカ経済は第一次産品の国際市場のみならず、国際金融市場の動向にもその死命を制されていくことになったのだ。
 二番目の問題はアメリカを中心とする多国籍企業進出の問題である。アメリカ合衆国は従来からも鉱業、石油産業を支配下に置き、熱帯農産物にいたってはほぼ独占的に支配してきた。しかし、1950年代以降、つまり、ラテンアメリカ諸国の外資の積極的な導入の開始以降、製造工業、金融部門での進出を急速に拡大させ、その支配権を確立していく。ラテンアメリカ諸国の発展を代表してきたブラジル、アルゼンチン、メキシコの製造工業部門は1960年代半ばまでに、国際資本=アメリカ資本の支配下に入っていくことになったのである。

3 ポピュリズムの基盤の崩壊と階級矛盾

 輸入代替工業化路線が質的転換期に入り、その政策の限界が明らかになるにつれて、ポピュリズム政権の限界もまた明らかになっていく。ポピュリズム政権を支える基盤=階級協調の基盤が崩壊し、階級間の矛盾が激化していくことになったためであった。
 ポピュリストたちの掲げた政策は、「工業化によるラテンアメリカの経済的自立」であり、その実現による「社会福祉の実行」と「所得の再配分」であった。そして、その階級的基盤は、大土地所有者、輸出ブルジョアジーに対する工業ブルジョアジーとプロレタリアートの同盟にあった。
 確かに初期輸入代替工業化の発展は、その政策が可能であるかのような幻想を人々に与えていた。ブラジルでは1940~50年に製造工業の雇用人口が40%以上増加した。アルゼンチンでもブエノスアイレスでは29年から40年に29%、41年~45年にも20%の拡大をみた。ウルグアイも48年~55年に35%、メキシコでも41年~50年に6%拡大し、いずれも人口増加率を上回った。そして、労働者の実質賃金も上昇したのである。
 しかし、この構造は50年代に入ると逆転していく。国連ラテンアメリカ経済委員会の資料によれば「1940年~60年の20年間で、ラテンアメリカ9カ国(アルゼンチン、ブラジル、チリ、コロンビア、エクアドル、ホンジュラス、メキシコ、ウルグアイ、ベネズエラ)全体で一人当たりの工業生産は年3・8%の成長を達成しているが、都市の雇用全体に占める製造工業部門の雇用は、32・5%から26・8%へ低下している」のである。また、労働者の実質賃金でも、ブラジル、アルゼンチン、メキシコを始めとして軒並み下がっていく。
 それにも増してひどいのは農業労働者の状況であった。メキシコでは60年~61年の農業労働者の最低賃金は38年~39年比で、45%も下落したのである。過剰になった農村人口は大量に都市に流出を開始する。しかし、発展しているはずの都市の工業部門も、農村の余剰人口を吸収することはできなかった。それどころか、工業部門自身が過剰になった労働力を排出していたのである。その結果、都市部には失業、半失業者が大量に生み出されることになり、社会矛盾は拡大していった。60年代以降、ラテンアメリカでは社会運動、労働運動、階級闘争が激化していくことになる。
 しかし、ポピュリスト政権にはもはやその階級矛盾を調停する能力はもはやなかったし、調停を可能とする社会的基盤も失われていた。なぜなら、前述したように輸入代替工業化の高度化のための支出による財政赤字の拡大、インフレ率の上昇は、常に緊縮財政を政府に強制し、社会福祉政策を後退させていた。そして雇用情勢の変化は工業ブルジョアジーと労働者との間での調停者としての政府の役割の幅を狭めていたからであった。
 一方、輸入代替工業化政策の進展は、民族ブルジョアジーと国際資本との関係、大土地所有者と工業ブルジョアジーとの従来の関係(対立的関係)に重大な変化を生じさせていた。つまり、前者の関係においては、輸入代替工業の高度化によって進行した外国資本の導入と多国籍企業のラテンアメリカへの進出は、アメリカ資本と民族資本との提携、癒着の関係を生み出していくことになったのである。
 後者の関係においては、工業化の資本を第一次産品の輸出に依存している以上、工業ブルジョアジーは大土地所有者と決定的対立関係に入ることはできないという事情である。その上、第一次産品の国際価格の低迷という状況の中で輸出を拡大しようとすれば、生産コストの引下げ=農民からの搾取の強化という手段しかなく、この点でも工業ブルジョアジーと大土地所有者の利害は一致していくのである。
 こうして、工業ブルジョアジーは従来の路線を放棄し、国際資本、寡頭勢力と結びついていき、ここでもまたポピュリズム政権の基盤は崩壊していく。こうした情勢を決定的にし、ポピュリズム政権を終わりに導いたのは、冷戦の開始とキューバ革命だった。

4 冷戦の開始とキューバ革命

 1959年1月1日、独裁者バチスタを打倒して成立したキューバ革命は、多大な影響をラテンアメリカ世界にもたらした。前述したように、50年代から60年代にかけて、輸入代替工業化政策の破綻はポピュリズム政権の基盤を崩壊させ、階級矛盾を激化させていた。しかし、その矛盾を決定的段階に至らせていなかったのは、民族民主革命路線を堅持していたラテンアメリカ各国のスターリニスト共産党が、いまだにポピュリズム政権の階級協調路線に対して幻想を抱いていたからだった。
 またそうした幻想にラテンアメリカ左翼をすがらざるを得なくさせていた大きな要因の一つに、反革命軍隊としてのアメリカ合衆国の強大な軍事力の存在があった。ラテンアメリカにおける革新的政権、反米的政権のほとんどは、アメリカの直接的軍事介入、あるいは間接的な介入で崩壊させられてきていたからである。
 キューバ革命はこうした問題への明確な一つの回答であった。これ以降ラテンアメリカ左翼は「社会主義革命」を掲げるのか、「民族民主革命」を掲げるのかで分裂していくのだが、後者も含めてゲリラ戦を含む現政府との直接対決の時代に入っていく。そしてこうした情勢の展開、階級対立の激化と社会主義革命の現実の可能性の到来は、ブルジョアジーにその可能性を何が何でも阻止する路線、軍事政権を選択させていくことになるのである。
 また、キューバ革命の影響はそうしたラテンアメリカ内における、階級関係に影響を与えただけではなく、その国際関係にも多大な影響を与えたのである。キューバ革命はラテンアメリカ内における冷戦の具体的開始を意味していたからだった。
 もちろん冷戦の開始とともに、アメリカ合衆国はラテンアメリカへの共産主義の浸透を阻止することを目的とした米州相互安全保障条約を1947年に締結、翌48年には米州機構を設立し、ラテンアメリカ諸国との反共陣営としての結束を強めてきていた。そして54年にはグアテマラの改革的政権に対する軍事クーデターへの関与にみられるように、中米、カリブ地域における民族主義的、改革的運動に対して、国際共産主義者の陰謀として介入していた。しかし、ラテンアメリカは冷戦の主戦場ではなかった。ラテンアメリカにおける共産主義の力は未だ微々たるものだったからである。
 しかし、61年4月のキューバへの武力侵攻、62年10月のミサイル危機にみられるように、カリブ海は米ソ冷戦の主戦場となったのである。一方、従来のアメリカ合衆国のラテンアメリカ政策に対する国際的な批判も高まっていくことになった。こうした情勢をうけて、アメリカ大統領ケネディーは61年2月「進歩のための同盟」を発足させる。
 この政策は従来のアメリカのラテンアメリカ政策とは異なり、軍事援助だけではなく、ラテンアメリカの経済的改革(工業発展)、政治的改革(民主主義の実現)、社会的改革(農地改革等)のために資金援助をすることで、その構造的改革を実現し、そのことによって共産主義の浸透を防ぐという画期的なものだった。
 もちろんアメリカのラテンアメリカ政策が全面的に変更されたわけではない。この「進歩のための同盟」の主眼は明確に、「第二のキューバ」の登場を阻止すること、ラテンアメリカ諸国のアメリカ合衆国離れを防ぐことにあったのだから、直接的な軍事援助も当然強化されていくことになった。
 内乱抑止を目的としたラテンアメリカに対する軍事援助は急激に膨張し、60年代には年率50%という伸びを示したのである。その他、対ゲリラ軍事訓練、軍事顧問団の派遣等を行い、軍事的影響力を強めていく。その結果、ラテンアメリカ諸国の軍部は強化され、その政治的影響力を強めていく。こうしてラテンアメリカ諸国における軍事クーデターの基盤が準備されていくことになったのである。
 このように当時のアメリカ合衆国のラテンアメリカ政策は、非常に矛盾に満ちたものだったのだが、「進歩のための同盟」のいわゆる「進歩」的な政策はアメリカ内部の、またラテンアメリカ諸国の保守派の抵抗でほとんど実行に移されることはなかった。結局アメリカが選択したのは、民主的・革新的政権を打倒して、軍事政権を確立することであった。この方針はアメリカ大統領としてニクソンが登場することによって、一層鮮明になっていく。こうして、ラテンアメリカ諸国におけるポピュリズム政権は終わりをつげ、軍政の時代に入っていくのである。

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