WTOとの闘い シアトルからの道

ジェレミー・ブレッカー/ティム・コステロ/ブレンダン・スミス

武藤一羊さんより
 WTOをめぐる「シアトルの闘い」についてすばらしい運動的な分析がとどきましたので転送します。「シアトルの闘いはグローバリゼーション政治における転換点となった」とするこの論文の指摘に私は賛成です。1週間前に届いたもの。
 翻訳してお届けするつもりで先延ばしにしていたのですが、余裕がなく、先延ばしするよりは、と英語のまま回覧することにしました。お許し下さい。翻訳、配布など一切自由です。
 筆者の一人ブレッカーは、在野の労働運動史家、活動家で、NAFTA反対の国境を越えた運動の組織その他で活躍、この論文と同じ顔ぶれで、グローバリゼーションへの対抗戦略を論じた「 Global Village vs Global Pillage”という本は、最近ピープルズ・プラン研究所のPPブックスで「世界をとりもどせーグローバル企業を包囲する9章」(加地永都子監訳、インパクト出版会、1900円、PP研、03 5273 8362、ppsg@jca.apc.org)として出版されています。
 以下の文書は武藤さんから英文が配信されたものを新時代社で翻訳しました。


 「シアトルの闘い」は、グローバリゼーションの政治の転換点を画している。それはグローバル資本を制限しようとする世界大の運動の登場を示している。「シアトルからの道」は、もしそれが途上にある深い穴を避けることができれば、この運動に大きく広がった好機を提供するものである。

シアトルの重要性

 シアトルは、何千人もの人びとがグローバル経済に怒りを燃やし、それを変革するために自ら一線に並んで闘う用意があることを示した。それはまた数万人もの人びとが課題に深く関わり、おきまりの日常的抗議のあり方と決別する用意があることを示した。
 シアトルは、そこに世界貿易機構(WTO)があるという単純な事実、そこに関心を持つ必要があるなにものかがあるという事実によって何百万人もの人びとの注意を呼びかけた。さらにそれは、企業のグローバリゼーションを全体の課題として確立した。
 シアトルは、人びとやメディアにとってグローバリゼーションの課題を再定義し、世界で今日現実に進行していることを理解するための新しいパラダイムを提供した。それはもはや「保護主義vs自由貿易」が問題になっているのではないということの理解を、人びとに意識させることになった。デモ参加者は、「企業を保護するルールvs民衆と環境を保護するルール」という問題を新たな枠組みとして作りだした。
 シアトルの抗議行動はWTOを直接のターゲットとしたものではなかったとはいえ、彼らはグローバリゼーションの影響をより広く焦点化し、単純に「貿易」――自由貿易かそうではないものか――の問題として定義するというワナを避けた。たとえば第三世界の債務帳消しを求めるジュビリー2000運動は大挙して参加し、世界銀行、IMF、第一世界の信用供与者の役割や、第三世界を荒廃させてきた構造調整プログラムの問題について強調した。
 WTOがデッドロックにぶつかったのは主要に運動のためであった。ワシントンの貿易担当弁護士であり、国際貿易委員会の前委員長のピーター・S・ワトソンは会議の失敗について「諸君が今見ているものは、WTO加盟諸国間の現実の不一致であるとともに、デモの影響によるものだ」と説明している(「ニューヨークタイムズ」99年12月4日)。一方で、第三世界の代表は自由化が彼らに実際のところどのように作用しているのかについて疑問を投げかけ、富裕な諸国の提案にただ従えという圧力に抵抗するよう促された。他方クリントン大統領は、労働権を侵害している諸国への制裁を支持することで、労働者の圧力に応えた。

運動の集中

 シアトルでは、グローバル資本をコントロールしようとする運動は自らをグローバルな反対派として打ち立て、世界大の民衆と環境の利害を代表した。それは、世界中の諸政府が企業利害によって支配されている時でさえも、世界の民衆は彼らの共通の利益を追求して行動できることを示した(一部の人びとが、運動を「市民社会」の表現と語ったのは、こういう意味である)。
 シアトルにおける運動は、国際的なものであり、かつ圧倒的に国際主義的だった。パット・ブキャナンのネオナショナリズムに呼応する声はほとんどなかった。ほとんどの会合では全世界からのスピーカーが主役を果たした。シアトルの「ポスト・インテリジェンサー」紙によれば、労働者が主催した大きな集会には百四十四カ国から参加者があった。
 「集会の演壇には、工場が貧しい諸国に移転したことで職を失った……何十人もの労働者がいた。彼ら以外には、アメリカ所有の工場で職を得た第三世界諸国の労働者がいたが、彼らの時給は一ドル以下であり、彼らの国で労働組合を組織するのは絶望的である」(「ポスト・インテリジェンサー」99年12月1日)。
 80年前のローザ・ルクセンブルクの死以来、どの国にも従属せず、共産主義/反共主義の線に沿って分極化することもないこの種の国際主義について考えることは困難だった。それは、多くのスピーカーが「底辺へのレース」と言及した競争に世界のすべての勤労人民が投げ込まれる、新しいグローバル経済の現実から直接に発展しているのである。労働者が労働組合を結成できないのは中国だけではないし、賃金が国際競争のために押し下げられているのはバングラデシュだけではない――シアトルのデモに参加したアメリカの労働者は、同様の圧力が自分たちにもかけられていることを知っていた。
 参加者たちは、地域的・国民的・グローバルなバワーの理想的なバランスについての広範な見解を代表しており、広い基盤を持つ中間的層はある種のグローバルな規制が必要だという見解を持っていたが、国民的・地域的レベルに権力を戻すことがきわめて望ましいと考えていた。一部の人は、あらゆる種類の超国家的管理を廃止すべきだと述べた。逆に別の一部の人は、グローバルスタンダードがWTOに組み入れられたならばグローバリゼーションは結構なものになると信じているように見える。
 「シアトルへの道」において、組織労働者と消費者、環境、貿易その他の連合したグループの間で、相当の緊張が存在していた。こうした緊張は、政策の違いと長年の不信の双方に根ざすものだった。しかし結局、この連合は共同の活動に成功し、分裂は避けられた。大規模な集会は、はっきりとした不統一の兆候もぬきに行われた。
 また何万人もの参加者は、かつて見たこともないような統一を表現した。きわめて多くの、そのリストを数え上げることが難しいほどの課題とサブカルチャーが一同に会した。おきまりの労働組合指導者や環境保護活動家が同じ壇から演説する一方で、ブルーカラー労働者は群衆の中で亀の衣装をまとった若い環境活動家とまじりあった。どちらのサイドも他のグループがいたことによって悪影響を受けたようには見えなかった。シアトルは、少なくとも文化間戦争の一時的休戦を行ったように見えた。戦闘ととともに行われた数十のフォーラム、ティーチイン、ワークショップの中で、こうした相互交流は混合という水準を越えて、しばしば尊重しあう相互教育にまで進んだ。
 また活動のスタイルの相違に対する驚くべきほどの寛容もあった。火曜日の朝、数千人の直接行動主義者が非暴力行動の極度の激突的形態で警察とぶつかり、WTO会議が先に進むのを阻止することに成功した(皮肉なことにWTOのマイク・ムーア事務局長は、「会議が中止になったことにはなんら問題はない。WTOの真の作業は、中止になった公的セッションにおいてではなく、閉ざされたドアの背後の私的会合でなされるのだから」と述べて、批評家の非難に裏付けを与えている)。
 その中で、3万人の抗議活動参加者――その最大のグループはブルーカラーの労組員――は、平和的な集会と行進に集まった。行進が終わると彼らのほとんどは家に帰ったが、数千人は街頭での直接行動派の闘いに加わった。各グループは、他のグループと世界を共有したこと、あるいは少なくともシアトルを共有したことに満足したように思われた。その結果、抗議の二つの形態は大きな相乗作用を果たした。(双方のグループとも非暴力という点で強固な態度を取っており、街頭で直接行動を行った人たちも、窓を割ったり店を破壊した数十人の人びとを抑制する上では警察よりもはるかに多くの役割を果たした)。

統一の未来

 シアトルで達成された統一はもろいものである。それは、そこに参加していた利害や文化の多様性のためであり、また一部のグループを買収したり、ある者を他の者に対して敵対させることは、グローバリゼーションのプロモーターにとってさして頭を使うことではない。
 実際の運動は、グローバルな企業、市場、資本は世界の民衆の福祉と環境を守るために十分にコントロールされなければならないという命題によって統一していた。しかしそれはまた、特別の利害を持った特別なグループによって構成されている。この運動に参加しているだれもが自分自身の利害や関心だけを代表するのではなく、世界大の民衆と環境の一般的利益を代表する責任を有していた。「底辺へのレース」はこうしたことを分離不可能なものにしている。われわれは、われわれの独自の利害と関心を、このより広範な目標の一部として見なす必要がある。そしてわれわれは、われわれの独自の関心を訴える力が、第一に運動全体の成長と統一に依存しているということをつかむ必要がある。
 運動の統一の驚嘆すべき水準は、国民的にもグローバルにも集権的な組織ぬきに達成された。それは主として地域的、国民的な基盤を持つ課題にかかわるグループ、国境を超えた連携を持つ組織、そしてインターネットを通じた大量のネットワーキングから構成されている。このような多様なグローバルな運動が集権的な組織と指導部を発展させうるということはありそうもない。統一は、他の手段によって維持され、深化されなければならないだろう。統一にとって最強の力は、それを理解し、求めている下部活動家の圧力である。インターネットは、彼らに対して組織のラインを横断してネットワークし、指導者や組織に統一を維持するよう圧力をかけることを可能にする。

中国は近い

 こうした課題の多くは、中国のWTO加盟をめぐる来るべき闘争において具体的に提起されるだろう。
 クリントン大統領は中国のWTO加盟をめぐって交渉を行ってきた。しかしそれが現実化するにあたって、いまや議会は中国に対する永久的な最恵国地位(MFA、ないし今日では婉曲に「正常な貿易関係」と呼ばれている)に同意しなければならないだろう。現在のところ議会での投票は、2月に予定されている。シアトルWTOからそれまでの期間が、これまでアメリカで起こったグローバリゼーションをめぐる最も重要な闘いとなるのは当然である。
 クリントンと中国の取引は、アメリカの銀行、保険会社、小売業者、航空会社、娯楽企業に莫大で特別に利益を提供することになる。これらの企業は、法案を通過させるために必要な総力をあげた運動に乗り出すことを誓った。規制なきグローバリゼーションという考え方にイデオロギー的にコミットしている人びとが、それに加わるだろう。
 しかしそこには障害がある。アメリカ人の三分の二以上は、いっそうの人権と信教の自由を進展させることなしに中国をWTOに入れることに反対している(五分の四の人びとが貿易協定全般に労働権と環境保護を組み入れることを望んでいる)。
 組織労働者は、中国問題について立場を決めたようだ。クリントンと中国の交渉以前にジョン・スウィーニー(AFL-CIO会長)は、アル・ゴアへの支持を早いうちに決めるようAFL-CIOを説得し、さらにWTOでの行政的取引目的を支持する手紙に企業のトップ指導者たちとともにサインしさえた。しかしクリントンが中国との取引を発表したとき、スウィーニーはそれを「むかつくような偽善」と呼び、中国に最恵国地位を付与することを阻止するための「全面的で強力なキャンペーン」を約束した。
 すでにシアトルの闘いは、このキャンペーンに向けたキックオフとなった。人びとは、以前の貿易戦争に比べて、はるかに大きな関心と、はるかに大きな情報を持ってこの運動を開始した。この連合は時期を得たものであり、経験豊かで、比較的統一されている。しかしそれでもなお、分裂、なれあい、対立している人びとに「特殊利害」のレッテルを貼る危険性が存在している。
 この闘いは、中国との貿易問題や「保護主義vs自由貿易」と問題を規定するのではなく、いかなるグローバル経済をわれわれが望むのか、と規定した場合にのみ勝利しうる。ジョン・スウィーニーは、ナショナル・プレスクラブで「論議は、自由貿易か保護主義か、関与か孤立か、にかかわるものではない。真の論議は、グローバル経済の一部になるかどうかではなく、そうした経済のルールとは何であり、だれがそれを作るのか、ということだ」と述べ、この枠組みを形成する上で良いスタートを切った。
 中国での人権問題は重要であるが、劣悪な人権状況を理由に中国を叩くのは不十分である。中国への最恵国地位をめぐる議会におけるこの間の二つの闘いはこうした枠組みでなされ、その結果、見苦しくないという水準の投票結果さえも獲得できなかった。この10年間にわたり、議会での最恵国地位供与への反対は、中国と関連した大きなスキャンダル(1989年の虐殺、資金提供、武器技術、スパイなど)に依存していた。実際、1989年から時が流れれば流れるほど、最恵国地位への反対投票は少数になっていった。さらに中国をWTOに入れることは、政府の抑圧を少なくとも口先では弱めるだろうし、それは中国内外の重要な人権グループによって支持される。
 中国への最恵国地位は、どのようなグローバル経済を望むかという国民投票に問われる必要がある。中国は、たんに人権侵害のためではなく「底辺へのレース」のための象徴とならなければならない。結局、中国にはわずかな時給で働く以外に選択のない数億人の失業者がいる。そして、全国労働委員会などの研究は、中国の世界市場への参入が中国民衆の生活水準を上昇させるどころか、すでにそれを低下させていることを示している。
 このキャンペーンのもう一つの弱さは、世界民衆の広範な利益ではなくアメリカ労働者の特権的特殊利益を代表していると描きだされうることである。これにはいくつかのやり方で反論する必要がある。
――この闘争は、NAFTA(北米自由貿易協定)に反対し、ファースト・トラックを阻止した環境保護運動、消費者運動、農民、労働者、人権グループに広範な連合によって遂行される場合にのみ成功可能となる。スウィーニーが、労働者はその同盟者に依存していると繰り返し強調しているのは、正しい道である。
――キャンペーンは、反外国人、反中国人、反アジア人的な諸テーマを率直に拒否しなければならない。われわれは、メキシコ人労働者とともに闘うことによって力を得たNAFTA闘争から学ばなければならず、また中国人労働者と人権活動家の問題をキャンペーンの中心に据えるべきである。
――キャンペーンは国境を超える必要がある。われわれはアメリカ人労働者の狭い利益を守っているのではないということを示す最強の方法は、このキャンペーンが異なった種類のグローバル経済を形成する世界的努力の中の一つの闘争である、と定義することである。
――現在の主要な弱点は、このキャンペーンが反第三世界的なものとして描きだされる可能性があることである。参加者は、グローバル経済を第三世界の利益になるよう再形成するというコミットメントを、その中心的メッセージの一部として取り上げる必要がある。ここには明らかに、債務帳消し、構造調整プログラムに終止符を打つこと、労働・環境基準に合致した貧しい諸国に有利な貿易、WTOの枠組みではなく国連の中でグローバル経済を形成することに関する南北対話のある種の復活、がふくまれる。スウィーニーが指摘したように、中国の競争によって最も被害を受けるのは、中国がやってきたほどひどく労働者と環境をむりやりに搾取しようとは思っていない第三世界諸国なのである。
――もし、問題が「グローバル経済にとってのルールが何てあり、だれがそれを作るのか」ということであるならば、われわれはその回答に対するビジョンを突き出す必要がある。われわれは狭い、遅れた利益を防衛しているのではなく、未来のために必要なすぐれたビジョンを防衛しているのだとうことを示す最善の方法がこれである。
 この闘争は、草の根においてのみ勝利しうる。ありきたりのロビー活動では、それはできない。草の根の動員のみが成功のチャンスがある。NAFTAに対するもともとの闘争が出発点を提供する。
 NAFTAに対する闘争においてそうだったように、主要な指導部は市民社会組織からもたらされなければならないだろう。政治家は重要な役割を果たすことができるが、彼らは運転席に座るべきではない。この運動は、社会的文脈を形成することによって政治的舞台で起こることを決定する、反対派勢力として機能する能力をさらに拡張しなければならない。
 この闘争がいかに闘われるかということは、その結果と同じぐらい重要である。たんに中国の最恵国としての地位を阻止するだけではなく、グローバル経済に新しいルールを強制することができるような、さらに強力な世界大の運動の登場を目標とすべきである。 

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