南アフリカ:トランプが攻撃した土地改革の真実
真の改革は少しも進んでいない
土地が収用されてさえいれば…
ファニ・ンカオアイ/メルシア・アンドリュース
BRICSの一国で、イスラエルのガザでのジェノサイドを国際司法裁判所に訴えた国のひとつである南アフリカが、トランプから悪どい攻撃を受けている。そのひとつが、南アフリカで白人農場主が大量に殺害されている、というまったくのデタラメなプロパガンダだ。以下は、その契機になった収用法について、その実体をさまざまな側面から論じている。(「かけはし」編集部)
歴史的真実を逆転する暴論
南アフリカはここ数ヵ月、南アフリカ収用法に対する批判で集中砲火を浴びてきた。それは、ソーシャルメディアのプラットホーム上の大きな話題にさえなった。ひとつの忘れられない事件は、白人農場主の「大量の墓と殺人」という主張を前面に出した全国テレビ上の悪名高い光景、トランプとホワイトハウスの彼の取り巻きが売り込んだ道理に反した見せ物だった。このプロパガンダビデオは、白人農場主が系統的に殺害され続けていたと主張し、収用法は逆差別、土地の確保、またジェノサイドのツールだったとの物語を送り込んだ。
トランプの偽情報は白人の南アフリカ人に特別難民の地位を与えることを正当化するために利用された――南アフリカにおける土地強奪の歴史的真実の非道な逆転――。それでもこの劇場的一片は、ひとつの目的に奉仕することになった。それは、本当の危機、つまり農地改革――農地再配分――を実現する点での国家の失敗、に関する真剣な論争を遮断することになったのだ。
脅威の下にあると主張している者たちは、白人地主、およびアフリフォーラム、DA(民主同盟、アパルトヘイト時代の進歩党をルーツとする白人政党で、ANCに次ぐ議会第2政党:訳者)、人種関係研究所(IRR)のような諸組織といったかれらの政治的な連携者だ。それでもかれらは、あらゆる努力を払って収用を回避するような国家の政策から事実上大いに利益を得続けてきたまさにその者たちなのだ。
いわゆる「自発的な買い手、自発的な売り手」という枠組みの下で、政府は再配分用の土地確保のために白人地主に何十億ランドをも払ってきた。そのことが地主たちを農地改革の主要な受益者にしてきた。一方、土地なき者や奪われたコミュニティは、保有の安全保障がほとんどない形で、また進行中の追い立ての脅しにより、農地利用から締め出されたままにある。
どのような収用か?
声高な保守派の叫びにもかかわらず、この法の条項を役立たせるために、ただひとつの試みもこれまでに行われたことはない。それは、敵対者によって急進的で非合法と描かれているが、それでもそれは事実上、農地再配分の意味ある加速化を何ら提供しないような、立法のけちくさく官僚的な一片だ。それは、法的かつ手続き的な諸制限により束縛され、エリートの財産権や堅固に守られた不平等に挑戦する政治的な意志を欠いている。
白人は南アフリカの農地の過半を所有し続けている。過去5年、農地はほとんど全く再配分されていず、中心的な理由のひとつは、農地改革資金の慢性的不足だ。予算配分は一貫して減少してきた。2023/24年に農業・農地改革・地方開発省(DALRRD)は、172億ランドの配分を受けた。2024/25年には、これが167億ランドに落ちた。5億ランド強の減少だ。ショックであることにこれは、農地改革に国家予算の1・4%しか向けられていないことを意味している。この僅かな配分では、アパルトヘイトの遺産に取り組み、保有に安全保障を提供し、奪われたコミュニティに農地を返還し、あるいは新たな農民を支えるには完全に不十分だ。
法が語ることと語らないこと
収用法が矯正のためのそうしたか弱いツールである理由を理解するためには、その条項を綿密に見る必要がある。
紙の上ではこの法は、その下で国家が公共の目的に向け、あるいは公共の利益として、財産――土地を含む――を収用できる法的な枠組みを述べている(第2条)。しかしながら、公共の利益は限定的なやり方で解釈され、さらにプロセスには、決定的な行動を遅らせたり妨げたりすることになるほどの手続き的障害が積み重ねられている。
DAがそれをめぐって今法廷に向かっている問題は、補償ゼロを求める条項だ。第12条3項は、補償ゼロになる可能性のある条件を概説している。それらには以下のような場合が含まれる。
◦土地が利用されていず、所有者もそれを開発する意図をまったくもっていない。
◦土地が純粋に投機目的で保有されている。
◦土地が放棄された。
◦国家所有の土地が不法に占拠されている。
これらの条項は狭くまた曖昧だ。実際にそれらは非常に僅かな例にしか当てはまらないだろう。植民地とアパルトヘイトの中で獲得された生産的な農地を含んで、最も商業的な農場は、明らかにこれらの類型から外されている。人種的な特権を通して不公正に獲得されたり相続された土地の補償のない収用を考慮に入れている条項はひとつもない。また、田舎の環境や都市的な環境のどちらでも、この法は収用を通した大規模な農地再配分を考慮に入れていない。
第7条から10条までは、厳格で法律尊重主義的なプロセスを取り決めている。つまり国家は、調査を行い、意図の通知を発行し、不服申立を求め、価格評価を行い、時間のかかる根拠説明を与えなければならない。このすべては、現在の地主――特に法的代理人を抱えている裕福な者たち――に、異議を出しあらゆる行動を遅らせるような機会をふんだんに与えるのだ。これらの条件下の収用は、いわば行政的で法的な悪夢もどきであり、変革と社会的公正のためのツールではない。
もっと悪いことに第14条は、法廷に委託されるものとしての補償をめぐる争いに余地を与えている。これはさらに、訴訟を起こし、その後際限のない法的な論争の中で再配分の動きを取れなくする余裕のある者たちに特権を与える。司法がしばしば再配分の公正さよりも財産権の方に傾いているという脈絡の中で、これは事実上大胆に行動する国家の能力を武装解除する。
最も重要なことだが、この法は農地改革目的のために収用することを国家に強いていない。それは単に、厳しく統制された条件の下で収用を可能にしているにすぎない。義務づけも、期限設定も、土地なき者の優先化も、植民地とアパルトヘイト下で奪われたコミュニティに土地を再配分する権限付与も、何ひとつないのだ。
弱く限定された法
この収用法は、地主にとっての脅威であるどころか厳しく限定されている。それは、土地のない田舎や都会のコミュニティに対し、真の矯正に向けた実体のある保護や手段を全く提供していない。それは、非公式な居住における心配のない保有を求める、そうした差し迫った必要に取り組むことができていない。それは、生産的な農地の再配分を優先することができていない。
SERI(南アフリカ社会経済的権利研究所)のような市民社会の諸機関は、この法の諸限界に注意を促してきた。それらは、収用は非公式な地域内で暮らしている人々に土地の安全保障を提供するために、また再配分と公共的開発に向け土地を開放するために利用されなければならない、と論じている。
これは、過去の人種的剥奪の結果を立法や他の方策を通して矯正する明確な義務を国家に置いている、憲法のビジョン(第25条の5項から9項に概説された)に沿っている。ピエール・デ・ヴォスのような法学者はわれわれに、農地改革目的を含んで、公共的利益における収用を憲法が支えていることを思い起こさせている。第25条8項は、歴史的不正義の矯正のために国家が農地改革を実行するのを財産条項のどれも妨げてはならない、と明示的に述べている。しかしそれでもこの権限付与に政治的委任が釣り合うものになったことはこれまでなかったのだ。
財産所有者階級の見方は、弁護士のマバサやカルベルクによる提示に見える。かれらはもちろんこの法を狭く解釈し、土地が放棄されているか使われていない場合にのみ当てはまるだろう、と示唆した。驚くことではないが、それは変革の可能性を内包した解釈ではない。この読み方の中で、収用は、何世紀にも上る剥奪を逆転する大胆な方策というよりも、二義的な行政的ツールになっている。
他方運動を主導するトムベカ・ンゲウハイトビは、法は伝統的な諸権威の下にある土地を含んで、あらゆる土地に適用可能と読まれなければならない、と正しくも指摘してきた。田舎の土地や地域共同体の土地を無視することは、南アフリカの土地問題の歴史的な心臓部――植民地征服が最初にアフリカ人民から暴力的に奪い取ったという――を無視することだ。
これらのふたつの解釈は、まさに法廷で争う重要論点を、憲法14条の主題になるだろうと示している。
真の問題:政治的な意志
最後に収用法は、それを実行する政治的な意志があってはじめて効力をもつ。そして南アフリカでは痛ましいことにそれがずっと欠けている。憲法が内包する可能性すべてに対し、国家はこれまで慎重に歩を進め、地主に気前よく補償し、強力な農業や財産の利益との衝突を回避することを選んできた。国家は、土地の再配分を促進することに代えて、現存の土地所有制度のパターンを大いに保護してきた。
アパルトヘイトの終わり以来、再配分の目的に向け土地が収用されたのは極めて僅かな例しか実現しなかった。国家は、白人地主から土地を買い取るために何百万ランドも支払い続けてきた。これは、アパルトヘイトの土地窃盗から利益を得たまさにその者たちが今公正の名目で再び支払いを受け続けている、ということを意味する。他方土地なき多数は空約束が満たされるのを待っている。
土地と農業の改革に対する差し迫った必要との関係では、賠償の見地においてだけではなく、飢えと田舎の生計を解決するためにも、この収用法は大きく不適切だろう。それをめぐる論争は、イデオロギー的なコップの中の嵐を意味している。
収用法は神聖な文書としても、危険な武器としても扱われてはならない。それには、批判的に取りかからなければならない。進歩的な社会、労働組合、地方のコミュニティ、そして都会の社会運動は、実体的問題に焦点を絞らなければならない。つまり、剥奪という歴史的現実に根ざした農地改革と再配分を求める闘いであり、それに対しては、憲法採択以来、国家の下に実行のための権限が、また義務さえも確保されてきたのだ。
土地問題を取り戻せ
土地は単なる商品ではない。それは、尊厳、暮らし、また公正の基礎だ。土地問題は、国家が意味のある行動をとるために憲法の権限を使うまで、未解決のまま残り、保有の夢は引き延ばされたままになるだろう。
南アで土地が収用されてさえいれば……。(2025年7月23日、「アマンドラ!」より)
▼メルシア・アンドリュースは、「コミュニティ強化・教育財団」(南アフリカのNGOで、特に地方のコミュニティの能力向上に力を入れている:訳者)代表。
▼ファニ・ンカオアイは、右記財団の先任研究者で学者。(「インターナショナルビューポイント」2025年8月29日)
The KAKEHASHI
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