イギリス総選挙―RESPECTが前進
最激戦区でイラク戦争支持の労働党を破って初議席を獲得
アラン・ソーネット
労働党は大幅に
得票率を減らす
ニュー労働党はイギリス総選挙で勝利し、三期目の政権を担当することになったが、議会での野党との議席差は百六十議席から六十六議席(訳注:最終的には六十七)へと大幅に減少した。労働党は得票率三六%で、勝利した政権党としては近代において最も少ない。選挙運動全体を通じて、戦争問題を消し去ることはできなかった。
数百万人の伝統的な労働党支持者は、投票所に行かなかったり、反戦の政党に投票したりした。この事実は、おもに選挙運動を通じて反戦の党として見せかけることに成功した自由民主党が、結果として議席を増やしたことに現れた。しかしそれは、イギリスの間違った反民主主義的な小選挙区制度のために、得票の増大に釣り合ったものではなかった。
事実、この選挙制度は今回の選挙で労働党にとって非常に重要な役割を果たした。労働党議員一人を選出するのに必要な得票数は平均して二万六千票だったが、保守党の場合は議員一人当たり四万六千票、自由民主党議員一人を選出するのに要した票は十万票という多数に達したのである(訳注:各党の総得票数を獲得議席で割った数と思われる)。
ジョージ・ギャロウェーが当選
労働党より左に位置する勢力にとって注目すべき展開は、RESPECT――それ自身、反戦運動の中から直接に生み出された政治的発展である選挙連合――が勝ち取った成果だった。RESPECTの最も著名なメンバーであり、戦争に対する非和解的な批判のために労働党から除名された元労働党国会議員のジョージ・ギャロウェーは、東ロンドンのベスナル・グリーン・アンド・バウ選挙区で勝利するというセンセーショナルな成果を得た。
彼は、現職のブレア派であり戦争支持のウーナ・キング議員が得ていた、他に一万の差をつけた多数票をひっくりかえしたのである(訳注:ベスナル・グリーン・アンド・バウ選挙区の得票は、①ジョージ・ギャロウェー〔RESPECT〕一五八〇七票:三八・九%、②ウーナ・キング〔労働党〕一四九七八票:三六・九%、③シャハギール・ハルク〔保守党〕六二二八票:一五・三%、④サイド・ドゥル〔自由民主党〕一九二四票:四・七%、⑤ジョン・フォスター〔緑の党〕一五五一票:三・八%など)。ムスリムの青年たち、とりわけ同選挙区内のバングラデシュ人の大きなコミュニテイーの青年たちは、群れをなして彼の選挙運動に集まった。
ジョージ・ギャロウェーは、一九四五年の選挙で共産党が二議席を獲得(そのうち一つは、やはり東ロンドンの選挙区だった)して以来、労働党より左で、かつ労働党とは別の党から選出された初めての国会議員となった。
階級の広範な部分へ支持を拡大
RESPECTは二十六人の候補者を立てた。その一部は昨年六月の欧州議会選挙でRESPECTが最良の結果を得た地区で、また一部はRESPECTの地理的な広がりをめざして立候補した。RESPECTの候補者の得票は、一%以下から三八・九%(ジョージ・ギャロウェーがベスナル・グリーン・アンド・バウ選挙区で得たもの)までの幅を持っている。九人の候補者が五%の壁を突破し、英国の選挙法で必要とされる千ポンドの供託金を取り戻した。
これまでの最高の成績を収めたのは東ロンドンとバーミンガムである。そこではきわめて意欲的で活発な運動が展開された。東ロンドンではジョージ・ギャロウェーが獲得した成果以外にも、イースト・ハムでRESPECTは二〇・七%(八一七一票)を得票し、労働党についで二位となった。ウェスト・ハムでも一九・五%を獲得し、労働党に次いで二位となった。ポップラー・アンド・カニングタウン選挙区では一七・二%を得票し、労働党、保守党に次いで三位となった。バーミンガムのスパークプルーク・アンド・スモール・ヒース選挙区では、RESPECTは二七・五%(一〇四九六票)を獲得し、労働党に次いで二位となった。
こうしたことは、小さな左翼政党にとって突破口となる成果である。そしてより恒常的な基盤でRESPECTを建設し、現在の重要な拠点レベルから労働者階級のもっと広範な部分に支持を広げる機会を切り開いたのである。(電子版「インターナショナルビューポイント」05年5月号)
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