イタリア プロディ政権に対する左翼反対派の最初の公然たる登場
6月9日がつくりだした分岐点
シニストラ・クリティカ(批判的左翼)
二つのイニシアチブ
四月十五日、ローマで行われた種々の社会運動の代表を含む千人の活動家集会の中で、シニストラ・クリティカ(批判的左翼)は、米国大統領ジョージ・ブッシュ訪問の機会を捉えて六月九日にローマで反戦デモを組織することを決定した。政権左翼である共産主義再建党(PRC)多数派、イタリア共産党(PdCI)、緑の党などは、このデモに参加する代わりに、同じ日にコンサート付集会を開催することを決めた。
ラジオ局RFIの通信員は、二つのイニシアティブを次のように伝えている。「『ブッシュ!ブッシュ!ブッシュ!出て行け!』、『ノー・ブッシュ、ノー・ウォー』、イタリア中から集まった数千のグローバル正義運動の活動家や極左派支持者は、反ブッシュ・デモの間ずっとスローガンを叫び続けた。デモはテルミニ中央駅に近いエセドラ広場を出発し、この永遠の都の中心であるナボーネ広場まで進んだ。そこからそれほど離れていないポポロ広場では、あまり人が集まらない平和支持の音楽イベントが行われていた。これは政府に参加している左翼政党の急進派が組織したものである」。ここに示した二枚の写真のコピーは、二つのイニシアティブのインパクトの違いを雄弁に物語っている。
イタリアの社会運動と左翼にとって、二〇〇七年六月九日土曜日は明確な分岐点となった。いくつかの否定しがたい事実によってこれを確認することができる。まず何よりも、エセドラ広場からナボーネ広場への大デモ行進である。県の警察が発表したデモ参加者数一万二千という数字には矛盾がある。なぜなら、デモの先頭がベネチア広場にさしかかったとき、末尾はビアカブールに曲がるところであったからである。これはデモ参加者数が八万~十万だったことを意味する。他方、ポポロ広場でのイベントは、あらゆる意味で失敗だった。
さらに、警察との対決があった。警察の動員規模は膨大で、穏健な規模をはるかに超えていたが、デモ隊が自分たちを守り、雲のような催涙ガスと衝突と「革命的耽美主義」にもかかわらず計画通りナボーナ広場までデモを続ける能力について、誰も文句をつけたいとは思わなかった。
新しい反戦デモの広がり
この日の出来事から、三つの基本的側面が浮かび上がってくる。
まず第一に、四月十五日のローマにおける集会でわれわれが設定した目標、すなわち、社会的反対派を構築する、それを政府に全面的に対決する中で行う、という目標への到達に成功したことである。このデモは、運動のための行動の空間を真に切り開き、戦争反対の動員の過程を再び開始させた。
そこには、二月十七日のビチェンツァにおける動員との意識と立場の連続性が存在する(原注1)。デモの中に「ダルモリン基地反対」委員会の密集した活発な集団が存在していたことは偶然ではない。運動の力学が確認された。デモを主催しデモの中核を構成した組織された勢力の外部の参加者が多数存在したことによって、それは十分すぎるほど確認された。組織された勢力を取り囲む参加者の存在は重要である。彼らはためらっておらず、このデモと立場に確信を与えた。彼らは、二つの広場(エセドラ広場とポポロ広場)を結びつけることやその間を行き来することなど考えてもいなかった。それは無条件の反戦デモであり、したがってプロディとポポロ広場に集まった少数の人々に対するデモであった。
この力学の中で、批判的左翼は、二月二十一日と同じように重要な役割を演じた。二月二十一日には、プロディ政権に反対投票を投じて「トゥリグリアット事件」を引き起こした(原注2)。この選択は、当時は孤立しているように見えたが、論争の再開に寄与し、分極化を可能にし、行動の空間を作り出し、その空間は徐々に満たされ、六月九日のデモの成功をもたらした。将来この空間がどのように満たされていくかを予見するのは困難である。エネルギーは一年間の麻痺状態の後に目覚めたばかりであり、今後、いくつかの選択をしなければならないであろう。たとえば、ビチェンツァに戻って基地建設を阻止しなければならない。これは六月九日の後の最初の全国イニシアティブとなるだろう。
「橋」の架からない二つの広場
われわれはさらに政治的要素に向かっていることは明らかである。まず第一に、今回のデモは、プロディ政権に対する初めての左翼反対派の公然たる登場であった。反対派は明確な、非常に直接的な内容、すなわち戦争に結びついており、一般化することはできないが、いずれにしても反対派は政権左派に対して、反対ではないにしても、その外部に存在している。まさに政権左派の外部にである。この要素は、いまだ不十分で限定されているとしても、中道左派戦線内部に重要な影響力を持つ右翼の攻勢に対抗するのに役立つ。
さらに、デモの根拠は、プロディとブッシュの会談の最後に決定的に確認された。
われわれは米国との同盟が全面的に完全に確認されたことを知った。すなわち、アフガニスタン、レバノン、コソボへの関与の確認、ベルルスコーニが行ってきた外交政策の継続の再確認、そしてプロディが記者会見で認めたように、「世界の将来の運命に関する共通の理解」である。政府はさらに深く戦争に関与することを約束した。ビチェンツァの米軍基地建設を直ちに決定したことは、このことの最初の具体的表現である。この領域においては、矛盾が発展し続けるであろう。
第三の側面は、種々の左翼の間の関係、二つの広場の比較、そしてその結果の発展である。この領域においては、曖昧さはあり得ない。一方に統一した大衆的デモが存在し、他方に人民がいないポポロ(人民)広場が存在した。上からの操作には、残念ながら、FIOM (原注3)を始めとする重要な組織が関与した。これらの組織は、政府にとって問題を引き起こさずに抗議を維持することを望んでいた。
ポポロ広場の破産は、「闘争の党であり政府の党である」路線の破産であり、共産主義再建党(PRC)のベネチア大会(原注4)の立場の全面的な破産であり、その道が行き着いた先であった。闘争と政府の間に仲裁はあり得ないし、これらの二つの力学の間に「橋」を架けることはできない。
PRCの危機や民主党より左に位置する他の諸党の全面的危機をもたらしているのはこの現実である。彼らは自分たちの弱さを覆い隠すために一緒になることを選択したのであるが。
共産主義再建党の危機
ナボーナ広場にPRCの姿がなかったことは、この党がここで終わったことを示している。PRCはもはや引き返すことができない地点に達した。これは破滅的な路線と、ものごとを見抜く力のない無能な指導グループの帰結であり、彼らがこの窮地に導いたのであるが、もはやそこから抜け出すことは困難である。
六月九日から何が発展するかを予見することはできないが、われわれがオルタナティブ左翼、反対派左翼のためのより統一的なコースを取るために必要な条件を作り出したことは確かである。この左翼を表現するネットワーク、連合や組織は、何が統一をもたらし、どんな違いが存在するのかを規定し始めている。彼らを統一するプロジェクトは「PRCに対抗する小さな党」を作るプロジェクトだと言う者は、まったく何も理解していない。そこには発展する社会的基盤が存在している(政権左翼の諸党は何もできない)。たとえば年金問題や失業問題のような社会的問題に影響をもたらすのは、運動と政府の間の、運動と体制の間の、言い換えれば社会の中での、力関係の真の変化である。
われわれ自身に関して言えば、この政治的一年間は、多くの出来事が次々に起こり、重要な日々が続いた。われわれは批判的左翼連合を設立し、続いて社会的反対派フォーラムを提案することにより、運動に向かってわれわれ自身を決定的に転換した。これは、われわれの再出発である。何かが起こった。実際、六月九日のデモストレーションにおいて初めて、組織とイニシアティブを提供する批判的左翼の能力が示された。自らをPRCと「急進的」左翼全体の危機に抵抗する手段として表現した。これこそ、われわれがさらに断固として速度を上げて進まなければならない道であることは疑いない。
批判的左翼連合の第一回全国大会は、夏の後に開催される予定であるが、この過程の重要な経過点となるであろう。
▲シニストラ・クリティカ(批判的左翼)連合(ASC)は、党のプロディ政権への参加を拒否した共産主義再建党(PRC)少数派によって二〇〇七年一月に設立された。イタリアの第四インターナショナルのメンバーはこの連合の一翼を形成し、PRC内外のメンバーを再編している。この文書は、六月九日の最初のバランスシートをまとめたもので、ASC全国運営グループが作成し、二〇〇七年六月十一日にウェブサイトwww.sinistracritica.orgに発表された。
原注
(1)二月十七日、ビチェンツァにおいて、ロマノ・プロディの中道左派政権が決定したダルモリン郊外の新しい米軍基地建設に反対して数万人の人々がデモを行った。
(2)フランコ・トゥリグリアットは、上院でアフガン戦争に反対投票をしたために除名された。イタリアでは彼の除名に反対して大衆的連帯運動が展開された。インターナショナル・ビューポイント第三八七号および第三八八号の記事を参照。
(3)FIOMは、イタリア労働総同盟(CGIL)の金属産業連合で、強力な労働組合である。その指導部は、CGIL指導部より左派である。
(4)二〇〇五年三月にPRCはベネチアにおいて第五回大会を開催した。インターナショナル・ビューポイント第三六六号(二〇〇五年四月号)の「反資本主義的左翼の挑戦」を参照。
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