フランス 新しい反資本主義政党の建設に向けて
社会自由主義の左にラディカルな極を
革命的伝統を受け継ぎ新しい世代が新時代に立ち向かう党
ピエール・ルッセ
フランスにおける反資本主義新党(NPA)建設の闘いは、来年一月の結成大会に向けて順調に進み、大きな反響を呼んでいる。六月末に開催された新党への第一回全国会議(本紙7月28日号、8月4日号参照)に続き十一月初旬には第二回全国会議が行われた。一月の新党結成に先だって第インター・フランス支部としてのLCRは解散する。この意味についてルッセ同志が提起している。(編集部)
新しい反資本主義政党(NPA)プロセスの政治的インパクトは非常に重要である。形成中のこの新政党は、多くの場所ですでに事実上LCR(革命的共産主義者同盟)にとってかわっており、きわめて活動的である。
二〇〇七年六月、フランスの革命的共産主義者同盟(LCR)は、新しい反資本主義政党(NPA)結成へのアピールを発した。二〇〇八年六月、下から始まったプロセスに全国規模の性質を与えるために千人の代表がパリに集まった。二〇〇八年十一月初め、約四百の委員会の代表がNPAの綱領的論拠、政治方針、規約と組織運営に関する討議のために再度結集した。約一万人の活動家がNPAの創設プロセスに参加している。その数はLCRの全メンバーの三倍に上る。
二〇〇八年十一月六日、NPAは二千人以上の参加で最初の公的集会をパリで行った。すべてが計画通りに進めば、二〇〇九年一月二十九日にLCRは最後の大会で自らの解散を決定する。続く二〇〇九年一月三十日から二月一日にかけて開かれる第一回大会でNPAが結成されることになる。
これまでのところ、うまくいっている。注目すべきは、この全般的プロセスが進行する速さである。明らかに、それは政治的必要性に応えるものである。この必要性、この機会は、すでに時にふれて感じられていたものであったが、フランスにおいて広範な質を持った反資本主義政党を作ろうという以前の試みは、この十年間にわたって失敗してきた。こうした失敗を克服するために、LCRはなにごとか新しいことに挑戦することを決定した。以前には想像さえしなかったような新しい挑戦である。それでは、新しい反資本主義政党を結成するプロセスにおける「新しいもの」とは何なのか。
NPAを出発させる上でLCRが果たした中心的役割ゆえに、この組織が社会的に広範な基盤を持った革命党を建設するために過去においてどのような構想を持っていたのかを振り返ることは有益であろう。私はここで「消え去りゆく」わが世代(六八年五月の世代)の経験から話す。この世代はもはやLCRやNPAを「指揮」するものではないが、何が「新しい」かを分析するためには、その歴史的遺産を正確に考慮に入れなければならない。私は、単純で図式的なやり方で非常に簡単にわれわれの過去の「ビジョン」を提起しよう。
私の世代は一九六〇年代に、新しい、活力に満ちたラディカルな組織を建設した。しかしフランスにおいて、われわれは非常に小さなものに止まっていた。一九六〇年代後半から七〇年代前半にかけて中心的な階級的衝突がすぐに起きるがために、選択の余地はないとわれわれは考えていた。この危機の中で激しい行動主義を通じて、迅速に新しい革命党を作らなければならなかった。
一九七〇年代半ば、歴史のペースは予測したよりもはるかに緩やかであり、大衆的基盤を持った革命党は長期的展望の下で建設されなければならないことを、われわれは確認した。LCRは、この党が自らの量的な成長の結果としてもたらされると単純に考えていたわけでは決してない。それは、左翼と労働運動のより広範な「再結集」と再編成の産物でなければならなかった。われわれは三つの主要なシナリオを構想した。
1 第一の定式:現存する大衆的労働者階級政党(社会党、共産党)のすべてのセクション、傾向の急進化。イタリアで旧共産党が社会民主主義化した時に、共産主義再建党を創設する中で、この定式が形を取ったと言えるかもしれない。しかしそれはフランスにはあてはまらなかった。社会党からの主な分裂(ジャン・ピエール・シュヴェーヌマンを中心にした)は、「左翼ナショナリスト」となり、そして衰退して無関係なものになった。共産党の長期にわたって持続する危機は、決してイタリアで起こったようなものを生み出さなかった。わが「旧左翼」は、たとえ部分的ではあっても再生不可能なことが明らかになった。
2 第二の定式:現存する革命的グループが参加した労働組合による新しいラディカルな労働者階級政党の出発。それは「ブラジル的図式」であり、PT(労働者党)のもともとの出発がそうである。より近い例では、韓国のプロセスがそうであった。労働組合センターの民主労総(KCTU)が、民主労働党(DLP)の創設を支援した。両方のケースとも、労働組合運動はなお「若く」、軍事独裁の時期の後に再組織化したのであった。フランスでは主要な労働組合センター(CGT、CFDT、FO)は、そのようなダイナミズムを示してはいない。
3 第三の定式:二、三の重要な政治グループが共に新党の建設を呼びかける。これはポルトガル(左翼ブロック)とデンマーク(赤と緑の同盟)で起こったことである。それはすべてのシナリオの中で最も単純で、かつ最も「信用のおける」ものであった。しかし、にもかかわらずフランスではそれは機能しなかった。LCRとは違って、一九六〇年代の急進化から出発した他の二つの主要な極左派組織(訳注:LO〔労動者の闘争〕とランベール派)は、共通の政治的プロジェクトに基づいてさまざまなラディカルな勢力を結集することに関心を持たなかった(たとえばポルトガルとは異なって)。
ブザンスノー
の選挙運動
しかし、二〇〇五年の欧州憲法草案(新自由主義的で軍事主義的な)に関する国民投票での「反対」票の勝利の後で、重要な政治的一時期が始まった。「左翼の左派」の政治的統一への強力な願いがそこで表明された。しかし、共産党からLCRに至る広がりを持った潮流間の二年間に及ぶ懸命の交渉は失敗に終わった。
この最後の試みは、二年間のプロセスを担った構成主体の間で、この究極的な失敗の責任を有するのは誰かをめぐる苦く激しい論難をもって終わった。しかし犯人を探し求めるよりも、何十年にも及ぶ継続的な試みにもかかわらずフランスでは先に挙げた三つのシナリオがなぜ失敗したのかを熟考するほうがよい。再び、私はきわめて図式的な形で以下の要因を強調したい。
政治的で労働組合に表現された「古い」労働運動は、ラディカルな左翼を再生させる可能性をもはや持ってはいない。社会党の社会的基盤は変化してしまい、その「社会自由主義」的方針は、ブルジョア社会への深く広範囲にわたる統合を表現するものである。共産党はスターリニスト的過去の諸問題に決して取り組むことなく、今や選挙と制度的部面で社会党の人質になっている。共産党は今や何年にもわたる危機の中にあり、そしてそれは不幸なことに「ダイナミズムなき危機」なのである……。
三つの主要な労働組合連合(CGT、CFDT、FO)は、余りにも官僚化されている。このことは、「古い」労働運動の諸個人(多数いる)や地方の活動家たちが、NPAや他のラディカル左派政党に参加しないだろうということを意味するものではない。いや実際にはきわめて多くの人びとが参加しているし、参加するだろう! しかしそれは、われわれが一九七〇年代から八〇年代に望んでいたようなこととは違い、伝統的労働運動を「再構成」(「再編」)するには不十分であろう。より広範な方法で改造されなければならない――それはもっと複雑な何ものかである!
新しい労働組合(ソリデールなど)と社会運動は、より大きなラディカル化の可能性を持っている。それらの運動の多くの活動家は、NPAの呼びかけに積極的に呼応している。それらの指導部メンバーの一部は、二〇〇五年から〇七年における「左翼の左派」の政治的統一の試みに関与した。しかしフランスの社会運動と諸政党との関係は、非常に危なっかしいものである。労働組合と大衆組織の独立は、きわめて敏感な注意を要するテーマであり、そして過去の経験からしてそのほとんどには然るべき理由がある! NPAのようなラディカル諸政党は、将来におけるより良い新しい相互の力学を形成するために、その有益性と「大衆組織」との尊重関係を維持する用意を一貫した方法で示さなければならない。
フランスの「左翼の左派」が何から作られているかを述べるのは難しい。その構成要素の中で、はっきりとした政治的輪郭を持っているものは少ないからである。これまでのところ共産党は最大の要素だが、深刻な危機の中にある。LCRはこれまでのところ統一プロセスに参加している極左派の中で最大の構成要素である。それからより小規模の政治組織、インフォーマルなネットワーク、地域のチーム、個々の活動家、「パーソナリティー」が存在する。……これら全体が、諸政党の連合よりも広範な「環境」を構成している。
共同の候補者を軸に統一を築き上げようとした二〇〇五~六年の試みが、細分化に帰結したことを説明する理由はたくさんある。しかし、ここで心に止めて置くべき一つの大きな政治問題がある。社会党との関係、選挙連合、そして政府への参加である。
これは選挙ブロックと政府への参加がラディカル左翼にとって具体的な選択となってきた、あるいはなるであろう多くの諸国での中心的問題である。ブラジル、西ベンガル(インド)、イタリア、ドイツ、ポルトガル、オランダなどがそうだ。フランスでは、選挙制度はきわめて非民主主義的である。議会で議席を得るためには、社会党(左派)の支援を受けることが必要であり、それはタダで与えられるものではない。弱体化した共産党は、自らの選挙での位置を守るために社会党との協定に向けた交渉をいっそう必要としている。共産党との同盟を望む人びとは、それを受け入れなければならない。
しかしLCR(そしてそれ以外も)にとっての今日の課題は、社会自由主義の左にオルタナティブを体現することができるラディカル左派の極を強化することである。それは社会党からの全面的な独立を意味する。それは境界線を区切るための主要な政治路線であったし、今でもそうである。
二〇〇六年末には、LCRは「左翼の左派」の中で非常に孤立しているように見えた。二〇〇七年初め、大統領選挙に向けて共産党からマリー・ジョルジュ・ビュフェ、LCRからオリビエ・ブザンスノー、そして「左翼の左派」の別の構成要素の一部からジョゼ・ボベが立候補した。ブザンスノーの選挙運動は政治的にきわめてダイナミックなものであり、総投票数の四%以上を獲得した。ビュフェの選挙運動にはそうした勢いはなく彼女の得票は二%以下だった(共産党としては歴史的な低得票率!)。ボベのキャンペーンは政治的に混乱したものであり、ほとんどインパクトを持たなかった。彼自身の個人的な高名にもかかわらず、彼の得票は一%を超えるのがやっとだった。
方針をめぐる二年間におよぶ激しい討論の後で、大統領選挙の結果は「左翼の左派」にとって真の政治的テストとなった。それはLCRに新たな責任を与えるものになった。
LCRは、その政治的イニシアティブと選挙キャンペーンの成功によって、「左翼の左派」の中心舞台に立った。問題は以下のようなものである。この成功に対して何をなすべきなのか。LCRは現に存在する勢いが失われないように(過去に起こったように)、速やかにイニシアティブを発揮する責任を取らなければならない。
二〇〇七年の半ば、選挙の政治的テストを受けた後でも、新しい反資本主義政党を出発させるために他の重要な組織と合意に達する可能性は存在しなかった。「トップダウン」(上から下へ)的な統一の呼びかけが不可能な中で、LCRは「ボトムアップ」(下から上へ)的なプロセスの推進という決定を行った。それは以前には決して構想されなかったやり方だった。明確に社会党から独立した新しい反資本主義政党の創設に参加する用意がある誰もが、NPAのための地域委員会に加わるよう呼びかけられる。委員会のネットワークが新党の創設を構成することになる。
LCRよりも質的に広範なラディカルな政党が登場するための、開かれた政治的スペースが存在することは明らかだった。それは部分的には、オリビエ・ブザンスノーの異例なまでの人気に示されている。オリビエはきわめて優れた候補者であり、スポークスパースンである。これは主要に「メディア」的現象である。郵便労働者である彼は、職業的政治家としてではなく「仲間の労働者」(われわれの一人)として見られている。彼は若く、青年もまた彼を自分といっしょだと考えることができる。最後に重要なことは、彼は政治的にきわめて一貫している。二十七歳で最初の大統領選挙運動を行ったとき(2002年)、彼は完全に無名だったが、すでにLCR政治局員だった。テレビの討論番組で彼はいつも職業的政治家や政府のメンバーをやっつけている。人びとはそれを好んでいる!
LCRがNPAを出発させるイニシアティブを取れた理由の一つは、しばしば見落とされている。その指導部が刷新されたのである。現在、LCRの歴史的「代表的人格」のすべてが政治局から退任し(しかし依然として活発に活動している!)、全国指導部は今やほとんど三十代や四十代のカードルによって構成されている。これは他のほとんどの組織には見られない。一九九〇年代以降に起こった政治的世代の急激な変化ゆえに、これは非常に重要な問題なのである。
一方でLCRはそのメンバーとカードル・ネットワークを刷新した。他方でLCRはその起源――一九六〇年代と七〇年代の経験――によって形づくられた組織であり続けている。その双方が、現在の世代的展望に根ざした新党創造への推進力となりうるし、またならなければならない。
LCRにとっての目標は、たんにより大きく、より強大な党を建設することにあるのではない。それは真に新しい党の創造を支援することである。ソ連邦の解体と資本主義的グローバリゼーションにより、時代の急激な転換があった。そして世代の急激な変化があった。現在の活動家は、「一九六八年」世代と同じ参照点や歴史的経験の同じ背景を持ってはいない。二つの急激な変化(時代と世代)の結びつきは、政治が生きていくあり方に深い帰結を作りだしている。
過去数十年間の政治的経験、過ぎ去った世紀の多くの教訓(帝国主義、スターリニズムなど)を生かすことは確かに重要である。それではわれわれの過去を失わないままに、どのようにして新しいものを作るのか。LCRの伝統を新党に引き継ぐことによってである。マルクス主義やリバータリアンの伝統、フェミニストとエコ社会主義運動など、前世紀の他の革命的伝統の最良のものを、この新党に持ち込むことによってである。訓練された大衆的カードルの社会的基盤を新党に与えつつ、最近のグローバル・ジャスティス運動や、郊外人口密集地域での移民などの抵抗の波の経験を社会的に根づかせて拡大することによってである。また、現在の世代の政治的言語を新党の中で語らせることによってである。
別の人びとと共に広範な反資本主義政党を建設しようという意思は、LCRにとって新しいものではない。LCRは、数十年にわたってそれを目指してきた! 新しいこととは「ボトムアップ」プロセスを推進するという決定であり、最も重要なことは、新党のビジョンに時代と世代の変化を全面的に組み込むことである。
不幸なことに、現在LCRはNPAプロセスに関わっている「左翼の左派」の唯一で「最大」(すべては相対的なものだが)の構成要素である。NPAに関心のある政治グループは、はるかに小さいものだ。したがって危険なことは、NPAの創設以後にLCRが「党内党」として残ることであった。それを避けるために思い切った決定が行われた。LCRのメンバーは、事実上存在するNPAの運営委員会において、通常は少数派である。そしてLCRはNPA結成大会の前に解散すべきである、と。
NPAは自らのアイデンティティーを形作るために、政治的・社会的な「るつぼ」となった。現在、NPAプロセスの内部で政治的合意に達することは容易であり、一九七〇年代に「左翼の左派」の中でそうだったような、「ソ連邦の性格」(たとえばの話だが)といった決定的な問題は今日では存在しない。しかし具体的な解答のほとんどない戦略的問題(いかにブルジョアジーを武装解除するか?)が存在する。NPAは自らの経験を通して綱領的基礎を打ち固めなければならないだろう。それには時間がかかる。前方に横たわる道は未知のものである。
LCRを解散するという決定はもちろん危険なものだ。しかしこのリスクを冒さないことこそもっと危険だろう。われわれは現在の機会をつかみ取らなければならない。それを逸することになれば、「左翼の左派」全体にとっておそらくきわめて高くつくことになるだろう。NPAは「LCRの拡大版」として見られてはならず、そして実際にそうなってはならず、質的により新しい党と見なされなければならない。
このプロセスはうまく進んでいる。いままでどの党のメンバーでもなかった数千人の人びとが参加している。草の根の人びとと共に、共産党や他の組織からやってきた人びとも参加している。二〇〇九年一月末のNPAの出発が成功すれば、現在LCRと団結する用意ができていない幾つかの政治的構成要素も、気持ちを変えるかもしれない。
しかし、われわれがここまでやってきた長い道のり、そしてわれわれの前にある長い道のりを評価するためには、二〇〇九年一月末とNPA結成大会を待つほうがよいだろう。
▼ピエール・ルッセは「国境なき欧州連帯」(ESSF)のメンバー。彼は長年にわたってアジア連帯運動に参加してきた。
(「インターナショナル・ビューポイント」08年11月号)
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