チベット問題を左翼はどう考えるべきか(5)

漢民族の民族主義と被抑圧民族の
民族主義を同列に見なすことは誤り

労働者人民の民主主義の発展こそ民族問題を解決する近道

許 由(香港 先駆社)

チベットの独立について

 一九四九年から一九五九年にかけての時期は、中国は強烈な反帝国主義、反資本主義の国家であり、チベットのダライ・ラマ政権は中世の神権支配であり、自らの支配権を救済するためであればアメリカ覇権主義と連合して中国に対抗することもいとわなかった。
 たとえ当時のチベット独立運動が成功していたとしても、それはアメリカ帝国主義が中国を包囲するための尖兵となるに過ぎなかったであろう。真の独立は不可能であった。それゆえ、当時のチベット独立運動と中国政府と比較した場合、一方は反動的であり、一方は比較的進歩的であった。中国共産党が民族問題においていかに誤りを犯していたとしても、この両者が実際に武力衝突した時には、労働者民衆は、中国共産党を暫定的に支持しなければならなかった。
 しかし一九六〇年から八〇年にかけて、中国共産党の独裁主義は、日増しにその反動性が進歩性を圧倒するようになった。一九八〇年代の中ごろから、中国共産党は官僚資本主義を全面的に復活させはじめた。それは全面的な反動である。その一方で、チベットでは土地革命と中央政府の援助プロジェクトを受けて、旧社会の階級と階層が消滅し、あるいはその特権は廃止され、新たな階級と階層が登場した。ダライ・ラマさえもが中国共産党の革命によって、その反動性を大いに後退させたのである。
 新しい時代のチベット分離の感情は、このような新たな社会的条件と新しい階層に根ざしたものである。それは一九五〇年代の分離主義とは大いに異なる。いま亡命政府がチベットに戻ったとしても、農奴制の復活は不可能であろうし、資本主義主導による、農業牧畜地帯における小商品生産を中心とする社会経済制度を維持せざるを得ないだろう。
 それゆえ、万が一、チベットが中国から独立した場合、それは農奴制と神権支配のチベットが反帝国主義、反資本主義の中国から独立するのではなく、資本主義チベットがもうひとつの何百倍も強大で、かつチベット人を抑圧する官僚的に腐敗した資本主義国家から離脱するに過ぎないのである。それゆえ、新しい時代のチベット独立運動の反動化が必然的に進む、ということにはならない。逆に、独裁支配者が暴力的に統一を維持し続けることこそが、必然的に反動と化すのである。
 もちろん支配者は、「チベットは中国に属し、中国の領土は神聖、不可分なので、実力でチベットの独立を禁止することは当然である」と言うだろう。
 だが、この推論は間違っている。もしチベットを中国に引きとどめようとするのであれば、別なもっと良い政策があるはずであり、暴力と弾圧の継続は逆効果でしかなく、チベット人を分離主義へと追いやるだけである。中国共産党は、無条件に自らが国家利益を代表するものと考えているが、実際のところは、共産党は往々にして自己利益を最優先する。共産党のチベット政策はそもそも労働者人民の利益のためではなく、自分たちの官僚資本グループの狭隘な利益のためにすぎない。

歴史的進歩と
反動の差異

 次に、もちろんわれわれもチベットが中国に留まるということを望んではいるが、それがすべてに優先する最高原則ではないということである。ただひとつの原則だけがすべてに優先する。それは労働者人民の根本的利益である。すなわち一党独裁を廃止し、労働解放を実現することである。この目標の実現だけが、チベット問題のあるいはすべての重要な問題を真に解決することができる。それゆえ労働者民衆は支配者(中国共産党)のチベット政策を支持するのではなく、その誤りを暴露し、大衆が立ち上がりそれに取って代わらなければならない。
 一部の急進的左派を自称する者には(一部の自由派もそうではあるのだが)、「チベットが独立しても、チベット人の上層階級の利益になるだけだ」という主張を根拠に、チベットの独立運動がなんら歴史的に進歩的な意義がないとして、チベット人の分離権を否定するものまでいる。この推論は論理的にもおかしいし、極めて有害な考えでもある。
 歴史的に進歩的な意義がないことは、歴史的反動を意味するものではない。チベット人の労働者、農民は、中国共産党の支配下においてはむろん被搾取階級であるが、万が一、チベットが現在の有産階級あるいは僧侶たちの指導の下で独立したとしても、それは同じく搾取が続くだけである。それゆえ、チベットがこの状況で独立をした場合、歴史的な進歩ではないが、歴史的反動でもないのである。
 左翼は、歴史的進歩でもないが、歴史的反動でもないものに対しては容認することができるはずである。いかなる状況においても容認するかどうかは約束できないにしても、一般的な状況においては容認できる。分離権はそもそも民族的権利であることから容認するのである。
 労働者民衆の利害関係から考えた場合、チベットが仮に分離した場合、中国がその事実を受け入れることは、暴力的に統一を維持するよりもまだましだろう。なぜなら、それはチベット人と漢人の二つの民族の労働者階級としての意識と友好を比較的容易に促進することができるからである。
 自称急進的左派は毎日のようにレーニンを引き合いに出しているが、まさにこの問題においてはレーニンから何も学ばなかったようである。レーニンは、スウェーデンからノルウェーが離脱した経験を語ったとき、次のように強調した。
 「そのとおり。今回の離脱は明らかな歴史的進歩はもたらさなかった。だが同様に明らかな歴史的反動でもない。だから反対する理由はない」。
 スウェーデンの社会民主党はノルウェーの独立を支持したことから、両国が分離した後、両国の労働者階級の友好は逆に促進された面があった。これは国際主義の推進とって明らかに積極的な要素となった。


民族平等と
民族抑圧

 さらに一部の左翼は「ダライ・ラマは有産階級を代表している、中国共産党も有産階級を代表している、どちらも同じく良くないので、左翼はどちらにも反対しなければならない」などとブツブツ述べている。それは社会主義の最大限綱領からすれば正しい考えである。しかし、それを更に推論し、だから左翼は現在の中国共産党による民族抑圧政策に対しては傍観していてもよい、とするのであれば極めて重大な誤りである。
 このような思考方法の誤りの根源は、最大限綱領を提起することで具体的な情勢分析にとって代え、異なる敵―当面の敵と今後の敵―を区別しないことから導き出されるものである。これは最悪の左翼小児病である。彼らもレーニンの忠告を完全に忘れている。
 「抑圧民族の民族主義と被抑圧民族の民族主義を区別しなければならない。まず前者を批判し、一定の限度をもって後者の反抗を支援しなければならない」。
 抑圧に実際に反対するなかで左翼が正しい立場(たとえ一時的な立場であっても)に立つことによってのみ、社会主義の名誉を復権させることができるのであり、さまざまな異なる被抑圧者の共同の抵抗を代表する資格を有することができるのである。とりわけ今日の中国において、政府の宣伝が民衆から真実を覆い隠すものになっているときに、左翼は何にも増して、ダライ・ラマと中国政府のケンカ両成敗とするのではなく、まず政府のプロパガンダを暴露しなければならない。
 後者の一部の左翼の考えには、セクト主義だけでなく、無自覚のうちに大漢民族主義に感染している可能性もある。このような立場はまさに中国共産党の一貫した立場と重なっている。それは「中華人民共和国民族区域自治法」(訳注27)の前文にある「大漢民族主義に反対しなければならないが、地方民族主義にも反対しなければならない」というものである。支配的地位にある漢民族の民族主義を被抑圧民族の民族主義と同列に見なすことは、民族平等ではなく、民族抑圧の表現なのである。
 社会主義者は抑圧されているチベット人の抵抗を支持するだろう。しかし、強調しておかなければならないことは、この種の支持は、道端でチンピラたちに囲まれている人間に対して、すぐに援助の手を差し伸べる(一一〇番したり、加勢したり)ことと同じである。被害を受けているその人間を必ずしも善人であると考えているわけではない。われわれがチベット人の抵抗を支持するということも同じように、われわれが綱領的にダライ・ラマあるいはその盟友の民族主義者を支持するということではない。
 社会主義者が堅持すべきは民族主義ではなく国際主義である。それゆえ、なおいっそう綱領および組織的な独立性を保持しなければならない。


民族問題と
「運命共同体」

 民族主義者に共通する問題は、すべての「同胞」を内部的に一致した「運命共同体」と見なしてしまうことである。チベット独立論者もそうだし、大漢民族主義者もそうである。だが実際にはこの「運命共同体」の内部は、上層階級と下層階級によって分けられているし、その運命は大いに異なっている。
 チベットの下層階級は、一方で大漢民族主義に抑圧され、他方で同じ民族の資本家や富農に抑圧されている。同民族の資本家と富農は、労働者を搾取するということに関しては、漢民族の資本家と富農と共通の利益を有している。それゆえ、今日のチベットにおいては、それぞれの階級がそれぞれの程度に応じて分離へのシンパシーを持っているが、一旦、社会的矛盾が発展すれば、思っても見ない方向へ事態は進むだろう。
 台湾の民主進歩党が政権を握って以降の一切の恥ずべき立場や、南アフリカのアフリカ民族会議(ANC)が政権を握った後にいかに腐敗し、民営化を推進したなどを考えれば、上層階級が独立を擁護する理由は、より効果的に同胞を搾取するために、まず自らの権力独占を可能にせんがためである。下層階級による独立への思いは、往々にして経済的搾取からの解放とつながっている。もしチベットが万が一独立した暁には、この「運命共同体」はすぐに二つに分裂するだろう。有産階級の支配者と無産階級の被支配者に。
 それゆえ、われわれは上層階級の分離感情と下層階級の分離感情をわけて考えなければならない(原注28)。前者の理論的前提は間違っている。それを実際に発展させると極めて反動的なものに転化するだろう。それゆえ、われわれはダライの階級的本質に対して、その時々の実際の表現において暴露しなければならない。
 特に次のことをはっきりさせておかなければならない。彼が依拠している帝国主義の「盟友」は、チベット労働者人民の不倶戴天の敵である。社会主義者は、チベットの上層階級が、大漢民族ショービニズムの抑圧に実際に反対しているという、この限定された一点においてのみそれを支持するのである。もしその一線を越え、ごくわずかの反動的な傾向が現れた場合は、社会主義者はその点を明らかにし、批判しなければならない。
 他方、社会主義者はチベット人労働者人民の分離感情に対して、それに同情し、支援をすると同時に、労働者人民の素朴な民族感情を労働解放という遠大な事業に結び付けようとする。民族解放と労働解放の事業は相互に排斥するものではなく、結びつき合うことが可能である。それゆえ、理論的にはチベット独立の主張は、上層階級によるチベット独立だけでなく、労働者人民の立場からのチベット独立も可能である。いまだその萌芽を見ることはできないのではあるが。
 民族主義者は民族を百パーセント「運命共同体」として描き出すが、それはペテンである。一方で、一部の左翼は、「民族問題は階級問題の一部に過ぎない」ことを口実に、民族問題にふたをしている。これはエセマルクス主義であり、無自覚な大漢民族主義である可能性も高い。マルクス主義の民族観を単純に「民族問題は階級問題の一部である」という一言で済ませてはならないのである。

チベット問題の国際化

 現代のチベット民族主義の発展には、もちろん欧米の覇権主義国家による支援があった。あるチベット人は次のように語っている。
 「自尊心は誰にでもある。いまのチベットの多くの青年達は知識も豊富である。さらに西側の民主主義と独立主義をたきつければ、かれらは二等公民のままでいることを望まず、抵抗するのは当然である」(原注29)。
 しかしチベット人の分離感情の主要な原因は中国国内の状況に、すなわち中国共産党の独裁主義、大漢民族ショービニズム、そして資本主義復活のなかに求められなければならない(原注30)。もし「西側の民主主義思想」がチベット人を引きつけたのであれば、それは欧米諸国の代議制民主主義が労働者人民の利益に合致したからではなく、中国共産党が極めて独裁的で暴力的であるからである。西側の代議制民主主義は、それと比較されることによって、実態よりも過大な魅力を有することになったのである。
 その点については香港の歴史においてもいくつかの経験を提供できる。中国共産党はいかにして広範な香港の労働者民衆と青年世代からの信頼を喪失したのであろうか。後者はなぜ西側の代議制に傾斜しているのであろうか。その主要な理由は中国共産党があまりにもおろかな政策を採ったからである。
 一九八九年の天安門事件から九七年の中国返還までの過渡期において、香港のイギリス植民地政府が部分的な代議制を香港に導入した際、中国共産党の方針は、影響力を持つ香港の労働者組織に「投票用紙よりも食券を!」と主張させることであった。
 中国共産党は、西側諸国とどちらがより民主的なのかを競うのではなく、また真に民主的な内容を含んだ香港特別区基本法を約束するのではなく、独裁という名の鋼の鎧で相手側の「民主」的攻勢を防御し、香港の普通選挙実施に幾つものハードルを設定した(訳注28)。中国共産党はこうして民心の支持を失っていった。
 同じように、もし欧米諸国がチベット問題において、いくらかでも中国共産党をけん制でき、あるいは将来において政権の打倒が実現するとすれば、それは中国共産党があまりに専横独裁であり、極めて頑迷であることが主要な原因としてあげられるだろう。

国際主義と
民族自決権

 中国国内の「強国派」(訳注29)は毎日のように「帝国主義が中国を分裂させようとしている!」「中国はソ連やユーゴの後塵を拝するのか」と叫んでいるが、それは針小棒大にすぎない。かれらは国際的な基本情勢をまったく省みない。どれだけ帝国主義が強大であろうと、六〇年前の状態を復活させることはできない。また中国はかつてに比べて比較にならないほど強大になっている。どの帝国主義であっても、本気で中国の分裂を議事日程に乗せることはできない。
 潜在的な可能性と現実を混同してはならない。現在の中国は、旧ソ連邦やユーゴスラビアよりも国家統一を維持する条件はそろっている。まず何よりも、中国の資本主義化は、旧ソ連邦やユーゴと比較しても大いに成功している。その巨大な市場は欧米日諸国をひきつけ、それらの諸国とグローバリゼーション下における資本の協力関係を実現している。破格の利潤を前にして、帝国主義がチベットのために中国との経済的な協力関係を犠牲にすることはありえない。
 次に、中国の民族的特徴として、民族構成における高度な均一性(漢民族が圧倒的多数を占める)が、外圧による分裂の可能性を限定的にしている。もし中国の分裂が現実のものとなった場合、それは帝国主義によってもたらされるというより、中国共産党の支配体制の極度の腐敗によってもたらされるだろう。
 結論的にいえば、もし仮にチベット人民が分離することを選択するのであれば、労働者人民の立場は、その決定を尊重するということである。「西側の介入」を恐れて中国共産党によるチベットへの武力弾圧を支持しなければならない理由はどこにもない。しかし、あるひとつの状況下においては、もうひとつの態度をとることになるだろう。それは、チベット独立運動がアメリカ覇権主義と結びついて直接チベットに武力干渉をした場合である。
 そのときには、チベットの独立運動の性質は変化し、帝国主義のグローバル覇権戦略の一部と化すだろう。このような状況において、チベット人の民族自決権は帝国主義の軍事侵略に対する中国の労働者人民の抵抗の必要に従属しなければならない。
 社会主義者はまた、民族自決権が最小限綱領にすぎないことを強調すべきである。社会主義者の最大限綱領は国際主義であり、それは各民族の労働者民衆が自由で平等な社会主義連邦を建設するということである。最小限綱領が最大限綱領に従属することは自明の理である。多くの場合、そのふたつは衝突しない。しかし万が一、ある特定の環境において、ある民族の権利が社会主義事業と衝突する場合、前者を一時的に犠牲にして後者を優先させることは避けがたいだろう(原注31)。
 だが、アメリカの覇権主義が武力で直接チベットを干渉するという可能性は、将来的にも小さいということを見ておかなければならないだろう。また、欧米諸国による現在の「民主主義」プロパガンダの攻勢に対しては、もし中国政府が真に労働者人民の政府であるならば、その対策は、独裁体制を通じた反撃ではなく、それら欧米諸国とどちらが本当の民主主義なのかを競い合うことである。
 もちろん中国共産党は労働者人民の政府ではない。現在、これまでのいかなる時期よりもより明確なことは、中国共産党が問題を解決することができないだけでなく、それ自身が問題の所在であるということである。中国国内の「強国派」のように、中国共産党に依拠して中国の核心的な問題の解決を図るという幻想を持っているものは、「薪を担いで消火にあたる」ことに他ならない。そうではなく、チベット問題の解決、あるいは他のすべての中国の深刻な課題を解決するためには、労働者人民の民主主義を発展させることから出発し、中国共産党の一党独裁を破棄し、労働者民主主義を建設することから着手しなければならない。

結語―流れに抗する闘い

 しかし、今日の中国労働者階級は階級的自覚に欠けており、無自覚のうちに大漢民族主義にまみれている。ごく少数の、そして分散した左翼の任務は、流れに抗して大衆に向けて粘り強くマルクス主義の基本原則を説きつづけるということである。「他の民族を抑圧する民族は自由ではあり得ない」と。 (おわり)

【原注】
(原注28)いくつかの概念をわけて分けて考えたほうがいいだろう。民族感情、民族主義、民族解放、分離運動などは同じものではなく、混同して語ることは危険である。
(原注29)関愚謙、二〇〇八年三月二十八日付香港紙「信報」。
(原注30)台湾独立運動の発展とおなじく、その原因は、中国共産党の独裁体制とその資本主義復活のなかに求められるだろ。
(原注31)民主主義者も同じくそう考えている。リンカーンは南部州の分離権を尊重せず、武力を行使してそれを阻止した。それを批判するものはいない。

【訳注】
(訳注27)「中華人民共和国民族区域自治法」:北京週報日本語版ウェブ版に「中国の民族区域自治」という国務院報道弁公室による日本語による解説がある。「一九五二年に、中国政府は『中華人民共和国民族区域自治実施綱要』を発表し、……一九八四年五月三十一日、民族区域自治実施の経験を総括した基礎の上で、第六期全国人民代表大会第二回会議は『民族区域自治法』を可決するとともに、同年の十月一日から正式に施行することを決定した。二〇〇一年、社会主義市場経済の条件下で民族自治地方の経済・社会事業の発展をいちだんと加速する必要に応え、民族自治地方の各民族人民の願望を十分に尊重、体現する基礎の上で、全国人民代表大会常務委員会は『民族区域自治法』を改正し、同法をいっそう完全なものにした」
(http://www.pekinshuho.com/wxzl/txt/2007-02/06/content_54980.htm)。
 『中国の民族問題 危機の本質』で加々美光行氏は、次のように八四年の自治法制定の背景に触れている。
 「八四年に『民族区域自治法』が正式な制定を見たのは、改革政策の本格化といむろん関係する。というのも改革政策は八四年を境にその重点を農村から都市部に移し、また中国全土を沿海、内陸、西部奥地の三地域に分けて市場システムを段階的に導入し経済発展を目指すものになったからである。中国の諸民族の多くは内陸、西部の農山村に居住しており、その地域性こそが政策遂行上重要だったのである。そこには経済発展による段階的富裕化の実現こそ辺境民族地域の不満を解消し、国家統合を安定化させるとする見方があった。こうした矢先、民族宗教政策の改革推進に牽引者の役割を果たしてきた胡耀邦が、一九八六年夏の北戴河中央工作会議で党元老層の激しい批判を浴び、翌八七年一月に失脚してしまう。胡耀邦は�小平を含めた党元老層に引退を勧告しただけでなく、中央政治局内部の汚職腐敗問題を追及する一方、民主化運動容認の姿勢を示していたためだとされている。この結果、事態は民族政策面で改革後退の兆候が現れることになった」(『中国の民族問題 危機の本質』加々美光行、岩波現代文庫、二百五十六頁)。
 また、二〇〇一年の民族区域自治法の改正は、市場経済の進展にともなう法改正であり、すでに廃止された経済関係の規制項目関連の文言などを整理し、非公有制経済単位の発展を明記し、西部大開発をはじめとする民族区域の経済・資源開発および金融などに関する国家の関与を明記したものである。
(訳注28)香港の普通選挙実施:香港の憲法にあたる「香港特別区基本法」では、二〇〇七年以降の行政長官や立法議会議員の選出において、全面的な直接普通選挙実施の可能性を示していた。
 香港の行政長官は、各級の議員や職能団体や社会団体、全人代香港代表などから構成される八百人の選挙委員により選出される間接選挙。立法議会は定数六十議席のうち、三十人が中選挙区の直接選挙で、のこり三十人が職能団体などから選出される。
 香港のラディカルな民主派は二〇〇七年の行政長官選挙および二〇〇八年の立法議会選挙において全面的な直接選挙を訴えてきた。最も穏健なブルジョア民主派の主張でさえ二〇一二年の行政長官と立法会のダブル選挙からの直接選挙実施を訴えてきた。
 しかし、基本法の解釈権を有する中国の全国人民代表大会常務委員会は、二〇〇四年四月二十六日に「二〇〇七年以降とは二〇〇七年に実施するとの意味ではない」との解釈を公表。二〇〇七年三月二十五日に行われた行政長官選挙では、直接選挙を求める香港市民の要求を無視し、選挙委員会選挙による間接選挙行で曽蔭権が再選された。
 曽蔭権は、行政長官の選出について「香港市民の過半数が二〇一二年の完全普通選挙実施を望んでいるが、立法会で3分の2の賛成を得て正式改訂するには二〇一七年実施がより現実的」という報告書を中国の全人大常務委員会に提出。同年十二月二十九日に全人大常務委員会は「行政長官の直接選挙は二〇一七年から導入可能」との基本的立場を表明した。立法議会の全面的直接選挙については、「二〇一七年の行政長官普通選挙実施が実現できれば、二〇二〇年の立法議会議員の普通選挙実施も可能」(曽蔭権)として、さらなる引き延ばしを示唆した。
 このような中国政府およびその意向を踏まえた香港政府の対応は香港市民の不評を買っている。二〇〇八年九月九日に行われた香港立法会選挙では、直接選挙枠の三十議席のうち十九議席を民主派がおさえた(前回よりも一議席増加。一方業界団体枠の三十議席のうち民主派は四議席と前回よりも三議席減らしている)。辛口コメンテーターや社会主義者などの候補者を擁し急進派とされる社会民主連線は前回の二議席から三議席へ議席を拡大した。これは市民の不満の表れといえる。
(訳注29)強国派:中国が自立した大国になることを求める思想的潮流。強国派については、先駆社の劉宇凡同志が、「かけはし」二〇〇五年四月四日号の「資本主義の新中国の今昔―中国の『平和的興隆』から考える」(2)で触れている。
 「中国ではいま『強国左派』とも呼べる思想的潮流が登場している。その代表的人物はマルクス主義と毛沢東思想の単語をならべたて、労働者人民に深い同情を示し、西側の多国籍資本に迎合する共産党指導部に対して憤慨している。しかし、もし真剣にかれらの主張を分析をすればわかることだが、かれらは新自由主義に反対しているが、資本主義復活には反対しておらず、国内外で中国の資本主義企業が占有する市場の保護には賛成している。その上、労働者人民の民主的権利と就業の権利の保護には賛成していないことを発見することができる。このような強国左派は本当のところ労働者階級の左翼でもなんでもない。それはブルジョアジーの左翼であり、客観的には官僚大国派に対して政策を提示しているに過ぎない」。

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