トロツキーとラテンアメリカ革命
社会主義革命に導くための革命的左派の課題
ルラ、チャベス、モラレス、コレア政権の歴史性と限界
今、なぜ、トロツキーか
ラテンアメリカの多くの国で左派・中道左派政権が相次いで誕生している。新自由主義経済改革の下で貧困に苦しんできたラテンアメリカ民衆の多数派が、投票という手段ではあれ、民主主義と経済的公正さを求めて公然と登場した結果であることは間違いない。
しかし、彼らが選んだのは社会主義者ではなく、ポピュリストであり、社会民主主義者であり、各種の改良主義者であった。従って、その政府はブルジョア政府、ないしはブルジョアジーの圧力を受けねばならない政府である。しかし一方では、彼らを支持した貧困層を中心とする民衆の要求に応えなければならない政権でもある。
ちなみに、京都女子大学の松下洋氏はラテンアメリカレポート(注1)の中で、こうした左派・中道左派政権を社会民主型左派政権とポピュリスト型左派政権とに分類し、前者としてチリ(バチェレ)、ウルグアイ(タバレ・バスケス)、ブラジル(ルーラ)をあげ、社民型政権は新自由主義を受容する傾向があるとしている。そして、後者として、チャベス(ベネズエラ)、キルチネル(アルゼンチン)、モラレス(ボリビア)、オスカル・アリアス(コスタリカ)、オルテガ(ニカラグア)、コレア(エクアドル)、ガルシア(ペルー)をあげ、ガルシアを除くと新自由主義に批判的立場をとっているとしている。また、これらの政権に先だって新自由主義を受け入れたメキシコのサリーナス、アルゼンチンのメネム、ペルーのフジモリ、ブラジルのコロール政権をネオポピュリズム政権として分類している。
ラテンアメリカはこうした左派・中道左派政権を過去に数限りなく持ってきた。しかし、キューバ革命を除くと、農地解放をはじめとするブルジョア民主主義革命の課題を、国際資本(帝国主義)の意志に反して実現しえた政権は皆無だった。ラテンアメリカはそうした改革派政権と同じ数だけの裏切りと、国際資本への屈服の歴史を持っているのである。
ブラジルのルーラ政権を二〇〇二年の選挙で大統領に押し上げたのは、確かに労働者階級や貧困層の力であった。しかし、勝因はそれだけではない。選挙を前にして、ルーラとPT(労働者党)は反新自由主義路線を転換し、ブルジョアジーとの妥協をはかった成果でもあった。彼らはカルドーゾ前政権がIMFと結んだ協定を守ることを約束し、保守派で福音派の自由党やブラジル民主運動の一部と連合し、副大統領候補を自由党から選んでいた。
では、チャベス政権の場合はどうなのだろうか。「かけはし」08年3月17日号(2018号)に掲載された、ベネズエラ統一社会党(PSUV)のメンバーの連名による論文、「岐路に立つボリバール主義革命」は、チャベス政権とその党であるPSUVの中間的性格について非常に重要な分析を行っている。
「国家官僚は権力と特権を確保し拡大している。チャベス自身は、ブルジョアジーをいらいらさせる新しいプロジェクトを発表しているが、同時に、ブルジョアジーの一部との結びつきを維持しており、ベネズエラ統一社会党(PSUV)はマルクス主義政党ではなく労働者階級は革命の推進力ではないと断言し、したがって左翼オプションを弱めている」。
「ボリバール官僚制の発展は、重要な事実であり、しかも避けることが不可能な事実である。それは国家機構における地位から始まり、最初から革命過程の基盤を堀り崩し、政府との間でクレジット交渉を取り仕切っているボリバール主義新ブルジョアジーとのますます緊密化する結びつきを維持している。国家機構の官僚制は、おそらく現段階のボリバール主義革命を脅かしている最大の危機である」(以上、「かけはし」2018号)。
こうしたラテンアメリカ左派政権の中間的性格をどう理解すべきなのか、また、こうした情勢下で革命的左派の方針はどうあるべきなのか。このことを考える上で、メキシコ亡命から暗殺に至る三年半の間にトロツキーが記した、ラテンアメリカ革命に関する論考は、非常に有効な示唆を我々に与えてくれるはずである。なぜなら、これらの論考で示された展望こそ、「永続革命論の単純な図式とは異なる、植民地および半植民地国における永続革命論の新たな具体化であり、その豊富化であった」(注2)からである。
もちろん、トロツキーがそれを記した時代から七十年という時を経ており、情勢がまったく同じでないことは当然である。しかし、民主主義革命の課題が未完であること、階級間の関係、国際資本と民族資本の関係、政党や政権の構造等、トロツキーの生きた時代と基本的に同じ構造が、連綿として現在のラテンアメリカを規定し続けているのもまた事実なのである。
(注1)ラテンアメリカレポート2007VOL24NO1―アジア経済研究所「ラテンアメリカの左傾化をめぐって」
(注2)『トロツキー研究』31号「トロツキーの第3世界論と永続革命」西島栄
ポピュリズム政権とボナパルチズム
トロツキーが亡命した当時のメキシコの大統領は、ラサロ・カルデナスであった。メキシコ革命の最後の世代であるカルデナスの政権は、進歩的側面を持ち、石油の国有化を推進し、不十分だったとはいえメキシコ史上で最も農地解放を実現した政権だった。それゆえ彼は民衆の側に立った大統領として、メキシコでは今もなお人気が高い。
既存の政治学では、カルデナス政権をポピュリズム政権と分類している。後藤政子氏は『新現代のラテンアメリカ』(時事通信社)の中で、「ポプリスタ政権のあり方は各国の条件や成立した時代によって違いが」あるとした上で、「ポプリスタ体制の基盤は、工業ブルジョアジーと労働者階級の同盟にある。一次産品輸出経済のもとでは工業が未発達であるため、工業ブルジョアジーも労働者階級も弱体である。そのために、本来ならば対立するはずの二つの階級が同盟を結んで国家権力を握り、大地主と輸出ブルジョアジーの支配(輸出オルガルキーア体制)を崩そうとしたのである」とポピュリズム政権を説明している。
こうしたポピュリズム政権がとった政策が、輸入代替工業化路線であった。この政策は国内工業を発展させることで従属状態を脱しようとする民族主義的側面を持ち、また輸入品を国産品で代替させるわけだから、必然的に国際資本、とりわけアメリカ資本と衝突することになった。民族主義は反米、反帝国主義に結びつくことになる。
また、ラテンアメリカの技術水準は低く、長期にわたる帝国主義諸国の収奪によって資本蓄積も不十分であった。そのため、保護貿易政策がとられ、国家主導による工業化政策、すなわち、国有化政策や国営・公営企業の設立が推進されたのである。もちろん、工業化の進展は工業ブルジョアジーを強化すると同時に、彼らと国際資本や大土地所有者との対立関係を癒着に変え、その後にやってくる工業化のいきづまりは労働者との階級協調の基盤を崩壊させることになっていく。
ラテンアメリカのポピュリズム政権を、トロツキーは後進諸国(植民地・半植民地諸国)におけるボナパルティズム・半ボナパルティズムと規定した。そして、国際資本と国内資本、ブルジョアジーと労働者階級や農民との関係を分析することによって、ある時は進歩的装いで、またある時は警察独裁の形態で登場するボナパルティスト・半ボナパルティスト政権の持つ二面性を以下のように分析したのである。
「工業が遅れた国々では外国資本は決定的役割を持っている。だから、民族プロレタリアートに比べて民族ブルジョアジーは相対的に弱体である。この結果特殊な国家権力が生じる。政府は外国資本と国内資本との間、弱体な民族ブルジョアジーと相対的に強力なプロレタリアートの間を綱渡りする。かくして政府はきわだった特性を持った独特のボナパルチスト的性格を帯びる。政府はいわば階級の上に立つ。実際にはこうした政府が統治できるのは、外国資本の道具になり下がって、プロレタリアートを警察独裁のくびきで縛りつけることによってか、それともプロレタリアートに対してマヌーバーを使い、譲歩し、それによって外国資本に対して一定の自由な行動範囲を得ることによってか、いずれしかない」(「産業国有化と労働者管理」―『トロツキー著作集』1938→39下)。
「現在は、民族ブルジョアジーが外国帝国主義からもう少し多くの独立性を追求する時期である。民族ブルジョアジーは、労働者や農民をあやつらざるをえない。その場合、現在のメキシコのように、国家の中で左傾化した強力な人物が出現することになる。他方、民族ブルジョアジーが外国資本家に対する闘争を放棄し、外国資本家の直接保護下で活動せざるをえない場合、たとえばブラジルのように、半ファシスト的体制が成立することになる。」(「ラテンアメリカ問題―議事録」―『トロツキー研究』31号)
メキシコの石油産業接収
トロツキーはカルデナス政権をボナパルティスト・半ボナパルティスト政権であると分析した。そのうえで、カルデナス政権の石油国有化政策を、半植民地的段階にあるメキシコの政治的・経済的な民族独立を求める闘いと位置付け、「このような情況の下では接収のみが、民族的独立と民主主義の基本的条件を守るための唯一の有効な手段なのである」(「メキシコとイギリス帝国主義」―『トロツキー著作集』1938→39下)として、メキシコ政府の石油産業接収を支持するよう全世界のプロレタリアートに訴えたのである。
そして、カルデナスをワシントンやリンカーンになぞらえて、「現在メキシコ革命は、たとえてみればアメリカ合衆国が独立戦争に始まり、奴隷制の廃止と国民的統合を達成した南北戦争に終わる七十五年間に遂行したのと同じ任務を遂行しつつある。」(同上書)と評価した。しかし、トロツキーはこのメキシコ政府の国有化政策が社会主義と共通するものではなく、後進国の特質からくる国家資本主義の枠の中にあるとしたのである。
「メキシコにおける鉄道と油田の国有化は、もちろん、なんら社会主義と共通するものではない。それは後進国における国家資本主義が一方では外国の帝国主義から、他方では自国のプロレタリアートから、自らを守ろうとする一手段である。鉄道、油田その他の労働者組織による経営には、産業の労働者管理と共通するなにものもない。なぜなら、この経営方式は労働官僚を通じて行われるのであり、その労働官僚は本質において労働者から独立し、ブルジョア国家に完全に依存しているからである」(「帝国主義の衰退期における労働組合」―『トロツキー著作集』1939→40下)。
このようにトロツキーはメキシコ政府の国有化政策を国家資本主義と規定した。そして、この政策の延長上に労働者管理を展望することは決定的な過ちであるとしりぞけた。しかし、この国有化路線への労働組合の参加を拒否するという立場もとらなかった。生産管理に参加することで、労働者階級を革命へと組織することこそ重要だとしたのである。
「社会主義への道は、プロレタリア革命ではなく、ブルジョア国家による種々の産業部門の国有化とその労働者諸組織の手中への移行をつうじて進むと主張するならば、それはもちろん決定的な誤ちであり、むきだしのペテンである。だが、このことが問題なのではない。ブルジョア政府は、自ら国有化を遂行し、国有産業の管理に労働者の参加をもとめるよう余儀なくされた。もちろん、人は次のような事実をひきあいにだしてこの問題を避けることができる―プロレタリアートが権力を掌握することなしには、国家資本主義企業の管理への労働組合の参加は社会主義的成果をもたらしえない、と。しかしながら、革命的翼からするこのような否定的な政策は大衆によって理解されないだろうし、日和見主義の足場を強化するだろう。マルクス主義者にとって問題なのは、ブルジョアジーの手によって社会主義を築くことではなくて、国家資本主義内に生起する情勢を利用し、労働者の革命的運動を前進させることである」(前掲、「産業国有化と労働者管理」)。
産業国有化と労組の参加
トロツキーはブルジョア政府への社会主義者の参加を厳しく排した。しかし、前項で述べたように、国家資本主義企業の管理への労働組合の参加は、「労働者の革命的運動を前進させる」として、積極的に評価した。トロツキーはそのことを地方自治体政府への社会主義者の参加になぞらえて説明する。
「国有産業の管理への労働者参加の政策を、ブルジョア政府への社会主義者の参加(われわれはこれを入閣主義という)と同一視するのは正しくない。……国有産業の管理への労働組合の参加は、地方自治体政府への参加と比較することができるだろう―ブルジョアジーが依然として国家に対する支配権を握っており、ブルジョア的財産法がつづいているにもかかわらず、地方自治体において社会主義者はときには多数になるし、重要な地方自治体経済を指導しなければならなくなる。地方自治体における改良主義者はブルジョア体制に消極的に順応する。革命家は、この地方自治体の分野において労働者の利益にそって可能なすべてのことを行うが、同時に国家権力の獲得なしには地方自治体政策がいかに無力であるかということを、その活動の一歩ごとに労働者に教える。」(前掲、「産業国有化と労働者管理」)
もちろん、国有産業の生産管理に労働組合が参加することは、労働組合の指導部や労働組合そのものが国家に組み込まれる危険性を不断に有していることを意味している。トロツキーはそうした危険性に対して、労働組合の国家からの独立、労働者民主主義のための闘いを対置する。
「同時に、これらの体制は労働者を、すなわち、すでに国家機関化されている労働組合を組み込む。労働組合指導部を政府の手先に変質させるために、鉄道や石油産業などの経営陣に労働組合を組み込む。職場の班長は名目上、労働者の代表、その利益の代表であるが、同時に実際には労働者の上に立つ国家の代表である。……われわれが労働者による生産管理と言うとき、それは労働組合の国家機関化した官僚による生産の管理ではなく、自らの官僚に対する労働者の統制を意味するのであり、労働組合の国家からの独立のために闘うことを意味する」(前掲、「ラテンアメリカ問題」)。
「もちろん、だからこそ、われわれはメキシコで、(労働組合の)国家からの解放、労働者民主主義、自由な討論などのスローガンから始めるのである。しかし、それらは、労働者国家のより重要なスローガンに導かれていく過渡的スローガンにすぎない。それは、労働組合の現在の役員を革命的指導部に置きかえる可能性をわれわれに与える一つの段階にすぎない」(同上書)。
国有産業の中での労働者管理を追求する闘いをつぶすために、ボナパルティスト・半ボナパルティスト政権の右の足であるブルジョアジーは、サボタージュを含むあらゆる手段をとるに違いない。そして、左の足である改良主義的指導部は、ブルジョアジーに屈服することによって、この危機を回避しようとするだろう。しかし、この時こそ、労働者が権力獲得の問題を意識する時なのである。
「革命的指導者たちは、その反対に、銀行によるサボタージュから次の結論をひきだすだろう―すなわち、諸々の銀行を収容し単一の国有銀行(それは全経済の計算センターになるであろう)をうちたてる必要がある、と。もちろん、この問題は、労働者階級による権力獲得の問題とわかちがたく結びつけられねばならない」(前掲、「産業国有化と労働者管理」)。
当時のラテンアメリカの階級闘争にとって、労働組合の国家からの独立という課題はとりわけ重要な問題であった。なぜなら、ラテンアメリカの主要国の労働組合は一九〇三年のウルグアイに始まり、メキシコ、チリ、コロンビア、ブラジル、ベネズエラ、ペルー、そして、四三年のアルゼンチンに至るまで、次々とポピュリスト的傾向をもつ政権によって国家に組み込まれ、国家による労働者の管理、統制機関になっていっていたからである。そして、ラテンアメリカの労働組合は基本的には、今もなおこの構造の中にある。
人民戦線と第四インターの立場
では、トロツキーはこうした政権の基盤になったポピュリズム政党をどのように見ていたのだろうか。トロツキーはカルデナスの党であるPRM(メキシコ革命党―注1)やペルーのAPRA(アメリカ革命人民同盟―注2)党を、中国の国民党と非常に似通った党であり、「党という形をとった人民戦線である」と規定した。
そして、「ラテンアメリカの人民戦線は、フランスやスペインほどひどい反動的性格をもたない。それは二面的である。それは、労働者に矛先を向けているかぎりにおいて反動的な性格をもつ可能性があり、帝国主義に矛先を向けているかぎりにおいて積極的性格をもつ可能性がある」(前掲、「ラテンアメリカ問題」)と分析し、ラテンアメリカの人民戦線が持つ進歩的側面を評価した。
しかし、トロツキーは、「われわれはフランスおよびスペインの人民戦線からラテンアメリカの人民戦線を区別するが、評価および態度に関するこの歴史的な区別は、われわれの組織がAPRAにも国民党にもPRMにも参加しないという条件のもとで、われわれの組織が行動と批判の絶対的自由を保持しているという条件のもとで、はじめて許されるのである」(同上書)として、第四インターナショナルと人民戦線党を峻別したのである。
そして、帝国主義の介入に反対してメキシコ政府を防衛するとしつつも、「だが、第四インターナショナル・メキシコ支部としては次のように言わなければならない。これはわれわれの国家ではないし、われわれはこの国家から独立しなければならない、と。この意味において、われわれはメキシコにおける国家資本主義に反対してはいない。だが、われわれが要求している第一のことは国家に対してわれわれ自身の労働者代表を選出する権利である。われわれは、労働組合指導者が国家の役員になることを許すことはできない。この方法で国家を征服しようとするのはまったく愚かしいことである。このような方法で平和的に権力を奪取することはできない。それはプチブル的夢想である」(同上書)と述べ、ラテンアメリカの人民戦線のもつ進歩性を評価しつつも、その進歩的政策の単純な延長上に社会主義を展望しようとする傾向を夢想であるとして、厳しく排したのである。
人民戦線党とその実現した政府=ボナパルティスト・半ボナパルティスト政府を、前述したように既存の政治学ではポピュリズム(政府)と総称するわけだが、こうした政府はこの時期以降、PRMとAPRAによる政府以外にも、ラテンアメリカでは数多く成立していく。ボリビアの民族主義的革命運動(MNR―一九五二年にはじまるボリビア革命を主導)、ベネズエラの民主行動党(AD)、コスタリカの国民解放党(PLN)、アルゼンチンのペロン党(PJ)が実現した政府であり、ヴァルガスに率いられたブラジル、ベラスコ・イバラに率いられたエクアドルの政府である。しかし、それらの政府はいみじくもトロツキーが分析したように、ポピュリズム政策のいきづまりと階級矛盾の激化の中で、反動的性格をあらわにしていくことになる。
(注1) 二〇〇〇年七月の大統領選挙で敗北するまで、七十年にわたってメキシコの政権党だったPRI(制度的革命党)の前身。一九二九年にPNR(革命的民族党)として結成され、三四年にカルデナスによってPRMに改編された後、四一年にPRIに名称変更された。
(注2) ビクトル・ラウル・アヤ・デ・ラ・トーレによって一九二四年に結成される。結成当初は反帝国主義の立場に立ち、急進主義的方針をとったが、四〇年代には革新性を失い、保守化していく。その後、アプラ党はアラン・ガルシアの下で、一九八五~九〇年と二〇〇六年に政権党になる。
カルデナスの第2次6カ年計画
カルデナス政府は一九三四年に第一次六カ年計画を発表、三九年には第二次六カ年計画の討議を開始した。この計画は「社会主義に向かう協同組合主義的システム」の確立をめざすものとされていた。この計画案はソ連の五カ年計画をモデルにしていたのだが、六年以内に「共有地の全面集団化」や「国家資本主義の完全な建設」の実現を目指すとされていたことに見られるように、ポピュリスト特有の大言壮語に満ちたものであった。
トロツキーはこの計画案を「生産手段が共有化されていない社会における政府活動の限界を考慮に入れていない」と批判するとともに、この計画案に比べると、「非常に穏健でほとんど保守的な精神に染まっているように思えるかもしれない」が、「より現実的であると同時により革命的なものであるとわれわれは信じている」とする提案(「メキシコの第二次六ヵ年計画」―『トロツキー研究』31号)を行った。この提案こそ進歩的側面をもつ左派ポピュリスト政権下における革命的左派の方針であり、メキシコにおける過渡的要求の実践案であった。
トロツキーはまず、「外国資本を無視して集団化と工業について語るのは、言葉に酔っているにすぎない」と批判する。そして、「国の死活の資源は防衛する」が、工業化の促進のためには、産業利権の授与をも含む、外国資本の積極的導入の必要性を示唆し、植民地・半植民地国の工業化のためには、先進諸国からの資本の導入と技術の移転が不可欠であると指摘したのである。
「歴史上、国家の監督下で工業が創造された例は、たった一例だけである―ソ連邦がそれである。だが、(a)そのためには社会主義革命が必要だった。(b)過去からの産業の遺産が重要な役割を果たした。(c)公的債務が破棄された。これらのすべての利点にもかかわらず、国の産業復興は、利権の授与とともに始まった。レーニンは、国の経済的発展という観点からも、ソビエト政権のスタッフを技術的・行政的に教育する観点からもこれらの利権を重視した。メキシコでは社会主義革命は起こっていない。国際情勢は公的債務の破棄さえ許さない。繰り返すが、この国は貧しい。そうした条件下で、外国資本に対して扉を閉ざすのはほとんど自殺行為だろう。国家資本主義を建設するためには、資本が必要である」(同上、「メキシコの第二次六ヵ年計画」。
農地改革と革命派の立場
トロツキーの「メキシコの第二次六カ年計画」での、もう一つの重要な論点は農業問題であった。前述したように、カルデナスの計画案では六年以内での共有地の「全面集団化」がうたわたれていた。しかし、メキシコではカルデナス政権の下で農地解放が一定進められていたとはいえ、未だ不十分なものであった。農村は地主の経済的、政治的支配下におかれ、強制的な農業労働、準家父長的家族制度(トロツキーはこれらを根本的には奴隷制に等しいものとしている)が、色濃く残っていた。
トロツキーはこうした「中世の野蛮な遺物」を、「できるかぎり短期間で決定的に解体しなければならない」として、六年以内での「全面集団化」ではなく、六年以内での「農地革命」を提案した。そして、この土台にもとづいて、初めて集団化に向けて前進することができるとしたのである。しかし、その集団化の方法はソ連のようであってはならず、「きわめて慎重に、いかなる強制もなく、そして、農民に対して大いに共感的な態度を示しつつ」進めねばならないとした。
「土地を、すべての土地を農民に与えることによって民主主義革命を完遂することが必要である。この確立された成果にもとづいて、農民に対してはさまざまな農業方式の実験を考察し比較するための無制限の時期を与えなければならない。農民を技術的にも財政的にも援助しなければならないが、強制してはならない。要するに、必要なのは、エミリアーノ・サパタの仕事を完成させることであって、ヨシフ・スターリンの方法をサパタに重ね合わせることではない」(前掲、「メキシコの第二次六カ年計画」)。
ここで概略的に述べられている集団化の方法、スピード、および、集団化と個人経営の関係を、トロツキーは「ボリビアの農業問題」(『トロツキー研究』31号)の中でより具体的に展開している。トロツキーは当初においては、先住民の伝統的な所有制度と「活動」は基本的に尊重されねばならないとする。しかし、同時に、農業の量と質を改善するためには、適切に管理された農業が必要と主張する。一方、ラテンアメリカ諸国の大土地所有制が破壊されない要因は、政治指導者の保守性にあるとして、ヨーロッパブルジョアジーの方法さえ示唆しているのである。
「だが、西ヨーロッパ諸国もまた、われわれよりもゆっくりだけれども、土地を社会的に利用するために、土地を収奪、没収するより洗練された措置をとっている。すなわち、遊休地への累進課税、土地の耕作によってではなく大土地所有の法外な拡大によって増える個人地代に対する増税などの措置である」(「ボリビアの農業問題」―『トロツキー研究』31号)。
そして、トロツキーは農地解放と集団化に向けた現実的方策として、以下のことを提起した。
「大土地所有者だけから一定の土地を没収し、集団農場を一定程度離れた距離のところに設けるようにすれば、それをボリビアで実現できるだろう。この方法にもとづくなら、農民の個人経営は、農民に個人所有の土地を与えることによって保障されるだろう。同時に、農民は集団農場でも働き、社会の福祉に貢献するだろう。限られた大きさのアシェンダ(大土地所有制による集団農場)は破壊されないだろう。スペイン系中南米人の共和国の伝統に深く根を下ろしている大土地所有制は、一度に完全に破壊することができないのであれば、集団農場の設立を通じて、徐々に分解されていくだろう」(同上書)。
永続革命にむけて
トロツキーが「現在メキシコ革命は、たとえてみればアメリカ合衆国が独立戦争に始まり、奴隷制の廃止と国民的統合を達成した南北戦争に終わる七十五年間に遂行したのと同じ任務を遂行しつつある」と記してから、七十年が経つ。この間、メキシコ革命に始まるラテンアメリカのブルジョア民主主義革命の一サイクルは、アメリカを主勢力とする国際資本の介入と、ボナパルティスト・半ボナパルティストたちの変節によって未完のままに推移し、最終的には一九八〇年代半ばから始まるIMFの構造調整政策、いわゆる新自由主義経済改革によって息の根をとめられることになった。
トロツキーが国家資本主義と規定したラテンアメリカの国営・公営企業は、一部の国の石油産業等を除くと、そのすべてが民営化された。関税の撤廃によって大量に流入するアメリカのコメ、小麦、トウモロコシは、ラテンアメリカの農村を崩壊させ、農民を農村から都市のスラムへと押し出し、アメリカへの不法移民者とし、ハイチを悲惨なまでの食糧危機に追いやっている。そして、多くの国の労働組合はそうした現実と闘うのではなく、彼らの指導部たるネオ・ポピュリストたちの進める新自由主義経済改革の追随者となって、労働者の反発を抑える役割を果たすこととなった。
そうした現実へのラテンアメリカ民衆の反発が、左派・中道左派政権を誕生させたとするならば、ラテンアメリカの民衆はブルジョア民主主義革命の新たなサイクルを再び回し始めたことになる。現在の左派・中道左派政権をどのようにとらえるべきなのか、チャベスやモラレスの国有化政策の性格、ブラジルのPT(労働者党)から分裂したPSOL(社会主義と自由)の方針の是非、そして、なによりも、今度こそこの闘いを勝利させるために、すなわち、左派・中道左派政権を支持したラテンアメリカの民衆を社会主義革命に導くために、革命的左派はいかにあるべきなのか。
こうした問題にトロツキーのこれらの論考は確実に応えてくれるに違いない。なぜなら、トロツキーがこれらの論考で分析した情勢は過去の現実ではなく、今なお続くラテンアメリカの現実だからであり、ここで示されている提案こそ、ラテンアメリカの永続革命に向けて具体的になされた過渡的要求だからである。
参考文献:西島栄「トロツキーの第三世界論と永続革命」『トロツキー研究』31号
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