多民族共存だけが解放への道

コソボ ギリシア国際主義共産主義組織(OKDE)―スパルタコス(第四インターナショナル・ギリシア支部)の声明
独立後はエスニック集団と少数派に平等な政治的権利を

(1)

「ユーゴスラビアの危機はコソボで始まり、コソボで終結するだろう」

 旧ユーゴスラビアの民衆の間で広範に広がったこの言葉は、この地域で凝縮された事態の特徴と緊張を指し示すものである。ユーゴスラビアの崩壊から十七年後、われわれはコソボに関連した新たなエピソードに立ち会っている。不幸なことに、民族主義と帝国主義の侵略に反対する社会的力学の不在の中で、公正な解決を保証することができる兆候は存在していない。コソボの自治の暴力的な解体をもって一九八九年に始まったユーゴスラビアの危機は、二十年間におよぶ戦争、民族紛争、反乱によって完成しようとしているが、その痛苦な諸側面の多くは、依然として棚上げのままである(たとえばボスニア)。

(2)

NATOとEUの帝国主義軍隊は、「人道的価値」の名を借りて一九九九年にセルビアへの爆撃を開始した。

 この軍事作戦は以下の結果をもたらした。
a セルビアのさまざまな都市で二千人以上が殺害された。
b 国のインフラの重要な部分が破壊された。
c 民族主義の高揚が勢いを増した。
d ミロシェビッチは、「人道的爆撃」の継続につれて、数千人のコソボ人の殺害と五十万人以上の住居からの追放を伴う民族浄化の嵐を解き放った。

 NATO、EUの介入は保護領の設立として完成された。その主要な目標は均衡状態の維持にあった。外交文書の言葉づかいでは、それは「人道的危機に対処する行政機関」と呼ばれた。コソボの住民は約十年間にわたって、おもに「文明的な西側」の慈悲のおかげで生き延びた。「文明的な西側」はそれと引き換えに、南東ヨーロッパと中東全域の自らの利害を確保するために軍事基地を建設してきた。
 コソボの住民は屈辱的な条件で生活し、その多くは失業者であり、移住労働者となった親戚の援助のおかげで食いつないできた。国家は基礎的なインフラ(たとえば電力の継続的な配給)の欠落でマヒ状態に陥り、国家機構は全面的に腐敗している。この間、帝国主義諸国は、すべての生産的富と国家資源を奪い、巨大多国籍企業と西欧の企業による「再建」プロジェクトを実施できるようにするために、この状況を変えることには何の関心もないことを示してきた。

(3)

十年後、米国とEUの多くの諸国(ドイツ、フランス、英国、イタリアなど)は、この失敗したコソボ独立を承認することにより、自らの任務を完成させようとしている。

 現実には、彼らは保護領を作りだしている。コソボの「独立」は、帝国主義諸国の計画と追求目的に完全に従属したものである。コソボを占領している一万六千人のNATO軍の要員は今後もとどまり、EUは二千人の警察官、司法職員、行政スタッフからなるEULEXを派遣するだろう。国連の植民地型統治は、国連文民事務所によって置き換えられる。それはEUによって任命される機関であり、コソボ「独立」議会が賛成するすべての法律に拒否権を行使することができる。
 コソボでの軍事基地の建設(米国がベトナム戦争後に建設した最大で最も豪奢な設備を持つボンステールとモンテイス)は、この地域の「秩序」を維持することだけを目的としたものではなく、より広い範囲の利益を守るためのものでもある。こうした軍事基地の中で、数千人の職員が維持され、彼らは「過渡的」な使用目的に限定されるものではない。米国は、コソボ地域が主要に西側へのもう一つの石油ルートを保障するための将来における介入の拠点となるだろうことを、明確に示している。
 コソボの独立に反対するそれ以外の大国は、シニカルな態度と利害関心を失ってはいない。セルビア側に立つロシアは、ロシアのガスプロムとの独占契約によって連帯を交わそうとしており、それと同時に、スペイン、カナダ、中国などの他の諸国とともに、自国内でひどく抑圧されているエスニック集団や少数派にとってコソボの独立が悪い先例となるとして、懐疑的な態度を取っている。現在、コソボは帝国主義間対立の核心に位置しており、バルカンの諸国民は、こうしたいわわゆる「保護者」には何の希望も抱いていない。

(4)

帝国主義者の目標は、国際的な労働者階級の運動とすべての進歩的勢力が支持しなければならないコソボ人民の自決という正当な要求と同一視されるべきではない。

 自らの将来を決定することはコソボの民衆の根本的な権利である。コソボ人民の真の解放――民族的にも社会的にも――は、資本主義の枠組みではなく、自らの社会の社会主義的変革のための闘いと結びつくことによってのみ達成される。
 コソボのアルバニア人は、長年にわたって、きわめて抑圧的で、反民主主義的で、レイシスト的な政策の犠牲となってきた。コソボのアルバニア人の民族解放運動は、帝国主義の人工的な介入の所産ではない。そのルーツは前世紀の初めにまでさかのぼることができる。セルビアの左派社会主義者(ディミトリー・チュツォビッチなど)や革命的社会主義者(レオン・トロツキーなど)の文献は、コソボのアルバニア人に対する植民地的差別を、最もはっきりした形で暴露している。
 ユーゴスラビアの建国とパルチザンの勝利以後でさえ、アルバニア人の民族的課題は、彼らの自治が典型的な形で承認されたとはいえ、解決されなかった。コソボのアルバニア人は、平等政策の実施に気が進まなかったユーゴスラビアの官僚の間での対立の犠牲となった。旧ユーゴスラビアの枠組みの中で、別の連邦共和国となるというコソボのアルバニア人の要求は、実現されなかった。コソボのアルバニア人は、旧ユーゴスラビアの最も抑圧され、屈辱を受けた民族となった。
 唯一の例外は、一九七四年~一九八八年であり、この時コソボの自治は高められ、一部ではあるが他の共和国と同様な権利を獲得した。
 コソボの自治の暴力的な廃止と、ミロシェビッチが強制した軍事クーデターの後、一九八九年にコソボのセルビアへの全面併合が行われた。コソボは「アパルトヘイト」状況へと追いやられ、アルバニア語の使用が禁止され、学校や大学は閉鎖され、公共部門のすべてのアルバニア人従業員は解雇され、多くのアルバニア人は政治囚として牢獄に送り込まれた(その一部はいまだ収監されている)。

(5)

一九九九年のNATOの空爆とコソボのセルビアからの事実上の分離以後、少数派セルビア人は他の非アルバニア人エスニック集団(ロマ人など)とともに迫害を受けている。

 コソボのセルビア人住民のかなりの部分は、セルビアや他の近隣諸国に逃げ込んだ。セルビア人住民の多数は、コソボの北部、ミトロビッツア地域に集まったが、国内の別の地域にある包囲されたゲットーの中にも一部がなお居住している。このセルビア人が被っている受け入れがたい状況は、たんに一部の人びとによる報復行動の結果ではない。
 PDK(コソボ民主党、解散したコソボ解放軍に由来するアルバニア人の主要政党)政権は、共存や少数派の権利の尊重という偽善的声明にもかかわらず、時として「民族的等質性」をめざして少数派への民族的緊張を煽っている。NATOその他の帝国主義諸国は、彼らの外交的術策や、コソボに明確な独立を与えることへの拒否を通じて、アルバニア民族主義を動機づけている。アルバニア民族主義者が独立に関して不安を感じれば感じるほど、彼らはいっそう「民族浄化」国家の建設に熱心になった。さらにコソボの民族的緊張に対処するKFOR(国際治安部隊)の主要戦術は、悪名高い「脱集権化プラン」の実施を通じて、エスニック的分断線に沿って民衆を分断することだった。
 今日、コソボ問題の真に公正な解決は、多民族的共存(それは不幸なことにほとんどの部分で失われた願いであった)の再建と、自らの自治と自衛のレベルを定義する権利をふくむ、すべてのエスニック集団と少数派の権利の十分な尊重を通じて実現される。

(6)

民族問題における進歩は、大衆の意識の中に反映されるなんらかの社会的発展が同時になされないかぎりは達成できない。

 今日、コソボにおいては、平均的な資本主義的通常性の基準においてさえ、「通常の社会生活」のための条件は存在しない。住民の多数は、西側ののNGOなどの組織の支援を通じて生き延びることを余儀なくされている。社会的・政治的生活は、あいまいな合法性と拡大する腐敗との間に存在している。この国は、大企業グループに差し出されようとしている。大企業グルーブが安価で超搾取を受ける労働力の小さな「パラダイス」の中で、自らの「ビジネスプラン」を実行できるようにするためである。
 われわれは、国際社会が公共的利益に沿った経済、生産、社会的諸制度の再建を準備し、実施することができるということなど信用できない。
 われわれは、組織された労働組合の弱さと階級的・左翼的方針を持った政治・社会勢力の不在による困難な状況に十分な注意を払いながら、なおかつコソボにおける公正な解決のための唯一の展望である抵抗運動の構築の必要性を強調する。
 ここ数年、NATO軍の駐留に反対し、進歩的社会改革を擁護するコソボのアルバニア人の運動(「自決」――ベテベンドスィエとして知られる)が存在してきた。この運動は、帝国主義軍隊に反対する大衆的なデモを組織し、占領軍によって激しい弾圧を受けた(昨年二月、この運動の二人のメンバーがルーマニア兵に殺され、多くのベテベンドスィエの活動家が逮捕された)。それにもかかわらず、彼らの民族主義的レトリックは大きな政治問題である。
 欧州社会フォーラムやバルカンPGA(民衆のグローバルアクション)などの反グローバリゼーション運動と関連する幾つかのイニシアティブは、確実に重要な役割を果たすことができる。限定されたものだとはいえ、バルカン地域にはさまざまなテーマに関してすでに幾つかのネットワークが存在しており、それは孤立を打破し、異なった社会グループ間の調整を打ち立てるために奮闘してきた。

(7)

民族問題において左派は、利害関心に従って行動する帝国主義諸国の一時的・機会主義的マヌーバーに依存しない原則的な政治を実行しなければならない。

 その出発点は、民衆の民主主義的権利の擁護であるべきだ。なんらかの「主要な対立点」を名目にして民衆への体系的な抑圧は無視すべきだなどと語る連中は、誤りを軽視し、目的次第でどんなことでも認める、抑圧された民衆へのレイシスト的態度以外のなにものでもない。
 民主主義的権利を防衛する真の保証は、勤労大衆の友愛に基礎を置いたものであるべきだ。左翼の課題は、たんに民主主義的原則を宣言するところで止まるべきではない。左翼の戦略にとって不可欠な要素は、また戦場地域に住む労働者と抑圧された大衆の統一であるべきだ。この統一は、コソボをセルビア固有の領域の中に止めようとするよくある方法によっては確保できない。そうしたあり方は、現実にはコソボ民衆の多くにとっては囚人となることである。この統一は、労働者階級と被抑圧民衆が真の敵は民族ではなくて階級敵であることを理解することができる、共同の闘いと要求を基礎にして打ち鍛えられる。コソボにおけるあいまいで不確実な地位の維持は、民族主義者、支配階級、帝国主義者が労働者階級を分断し、自らのプランをより容易に押しつけるための口実となるだろう。
 左翼潮流は、帝国主義諸国が遂行するプロセスとそれが作りだしうる危険への批判を全面的に保持しながら、コソボの独立を擁護すべきである。この観点から、われわれはマケドニア共和国の名称に関する外交交渉においてコソボの問題を利用しているギリシア政府に反対する。
 不幸なことにギリシアの左翼組織は(セルビアの国際主義的なラディカル左翼潮流の勇敢な態度とは反対に)、事実上、ギリシアの外交政策の主要な方向性と同一化している。ギリシア左翼(改良主義者も反資本主義者も)の主要な主張は、「国境の維持」と国際法である。しかし一般的には第二次大戦後に形成された現代世界の国境は、帝国主義的分割の産物である。左翼の側からのこうしたスローガンの採用は、彼らが実際には被抑圧民族(パレスチナ、クルド、東ティモールなど)の自決権を認めていないことを意味する。しかし何よりもそれは、彼らが帝国主義の諸制度に完全に適応し、被抑圧民族の諸権利はあらゆる法を超えたものであるという共産主義運動の人類的要求を放棄していることを意味する。結局彼らは、「不安定化」のかどで「抑圧者」も「被抑圧者」も同等に非難されうると考えているのだ。

(8)

今日、バルカン社会主義連邦のための闘いは、この半島の労働者運動と社会主義運動の最良の経験に基づく国際主義的戦略、反戦の戦略にとって唯一の道として、いまなお生きている。

 民族主義者、軍事主義者、帝国主義者の暴力を合法化するにすぎない外交的現実主義に反対し、われわれは階級的団結とバルカンのプロレタリアートの連帯を主張しなければならない。
 社会主義者の課題は、バルカン民衆の団結のために闘い、以下のことを要求することにある。
すべての帝国主義軍隊のコソボならびにバルカン半島諸国からの撤退。
コソボ人民の自決権の承認。
すべてのエスニック集団と少数派に平等な政治的・法的権利を。
バルカン諸国の「再建」のための新自由主義的プランに反撃を。
すでに行われたすべての民営化を放棄せよ。バルカン諸国の公共的資産と国家的資源の防衛を。
反動的諸制度と人身売買の主要な被害者である女性の権利の防衛を。

2008年3月4日

(「インターナショナルビューポイント」08年3月号)

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