香港 現地社会運動活動家に聞く
まったく新しい運動が発展中だ
階級の問題への取り組みが課題に政治化した新世代が直面する任務
香港政府は市民的自由を制限することになると思われる法案を急いで通そうとした。しかし彼らはその代わりに、抗議のうねり――近代史上最大と言えるもの――の引き金を引いた。
この法案はなぜそのような憤りを巻き起こしたのだろうか? 香港における最後の大きなデモの波である二〇一四年の雨傘運動の遺産は、現在の抗議運動をどのように形作ったのか? 抗議行動参加者たちの政治とはどういうものか? そして、香港と中国の民主運動にとって前進の展望とはどういうものか?
これらやそれ以外の疑問に光を当てるため、ジャコバン誌の記者、ケヴィン・リン(KL)が、一団の活動家や研究者と語り合った。相手になった人々は、香港中華大学の社会学者で学生かつ活動家であるクリス・チャン(CC)、香港の社会主義者でレフト21メンバーであるラム・チ・リュン(LCL)、香港の社会主義者でレフト21メンバー、また香港の左翼ウェブサイトのオウルの編集者であるチュン―ウィン・リー(CWL)、そして著述家であり活動家である區龍宇だ。
リンはさらに、香港を基盤とする活動家であるアレクサ(A)、および別個の左翼グループの「学生労働者行動連合」(SLAC)から、その二、三人と場を共にしコメントを求めた。以下のインタビューは、圧縮され、明確にするために少々編集されている。
抗議行動の背景と実際の展開
KL―この引き渡し法案の意味とは何か? それが香港でこれほどまで多くの反対を集めた理由とは?
區龍宇―香港は英国と米国を含む二〇ヵ国と引き渡し協定を結んでいるが、中国本土との間にはない。ここ香港と海外の親北京陣営は、香港に西側との引き渡し協定があるからには、中国本土との間で協定を結べない理由はあるのか、と論じている。
「一国二制度」取り決めの下で、基本法八条は、「香港で実効性をもっている以前の法は……維持されるだろう」と規定している。それは、香港は中国の司法制度から隔離される、ということを意味している。中国の特別な地域としての香港は、香港の司法制度が隔離されていなければ、中国中央政府の法的訴追に抵抗する必要な権限と強さをもてない。中国は、基本的な適正手続きだけではなく司法の独立までも無視する。中国と香港間の引き渡し協定は必然的に、「一国二制度」を掘り崩すのだ。
LCL―引き渡し法修正は、香港市民の琴線に触れた。中国共産党(CCP)の支配下で、市民はしばしば適正手続きを保証されず、結果として正式に不法な有罪判決にいたっている。
CCPを批判したことのある者、香港で毎年天安門事件追悼デモを組織する者、中国の異論派を助けたことのある者、あるいは中国本土の労働者の権利や他の権利を擁護する組織を支援したことのある香港の活動家さえも、「国の安全を危険にさらしている」と見なされ、中国本土に引き渡される可能性が生まれるだろう。普通の市民は、香港が、市民の諸々の自由が危険にさらされる可能性のある、中国本土の他の都市とまったく似たものになる、と心配している。
區龍宇―香港民衆には、「五つの書店」事件という苦い記憶がある。二〇一五年一〇月から一二月、「コウズウェイ湾書房街」の五人の書店主と従業員が行方不明になった。人々は、彼らが習近平の私生活に関する著作を出版したことで逮捕された、と確信した。
警戒警報になっているものは、これが「一国二制度」原則を犯しているというだけではなく、逮捕のうち二件は超法規的な逮捕だった、という問題でもあった。二人の販売員、グイ・ミンハイとリー・ボは、各々タイと香港で中国の工作員によって拉致された。中国の法制度が万が一意味のある形で改善されることがあれば、その時は中国との引き渡し協定を議論することもあり得るだろう。しかし現実には、その法制度は悪くなるばかりだ。
CWL―香港政府の連携相手と見なされてよい人々すらも修正法案を支持していないがゆえに、参加人数がこれほどまで大きくなった。香港が中国の支配に戻った一九九七年以後中国政府は、香港の大資本家と中産階級との連携を固めることで香港を支配し続けてきた。この戦略は、香港の資本主義的発展の主要な受益者として彼らが現状支持に傾いていることを考えれば、理解できるものだ。
しかしこの二二年を通じて、より若年の中間階級、特に専門職の者は、政府に完全に不満をもつようになった。香港での相対的に自由な生活スタイルが脅威の下にある、という怖れが主な理由になっている一方で、生活のコスト、特に住宅費用の上昇がもう一つの要素になっていることは否定できない。
二〇〇三年以後中国政府は、香港の資産価値を引き上げることでこの連携を安定化させようとしてきた。中国本土からの資本が、資産市場と株式市場の成長をつくり出した原因の一つだ。しかしこの統治戦略は、若い人々が自身の家を購入することが一層困難になったがゆえに、明らかに期待に反するものになった。若い中産階級と学生は、香港の反政府派勢力の礎石になった。
KL―アレクサ、あなたは諸々のデモに姿を見せてきたが、これまで見てきたことを言えますか? 抗議に立ち上がった人々とは誰であり、抗議活動はどのように組織されているのか?
A―抗議を行っている人々は、もっとも元気で希望をもった、あらゆる職業/地位の人々だ。もはや若い学生だけではない。
抗議行動では指導者(公式の)がまったくいない中で、人々は主にフェイスブック、テレグラムグループ、lihkg〔redditに似たオンライン・フォーラム〕を通じて自己組織化を進めてきた。彼らは超のつく創造性があり、支持を求めて香港の高齢世代に訴えている親北京のプロパガンダをまねた茶化しまでやっている。彼らは、人々にタマルパークに集まるよう訴えるために、フェイスブック上に「瞑想」イベントや「ピクニック」イベントをつくり出した。ある人びとはまた、行動のためにMTR〔香港の地下鉄〕にも向かうよう人々に呼びかける一つのページも設立した。
人々は大衆的抗議の現場で組織され、どのような資材が必要かをそこで知る。私が考えるに、これらは二〇一四年の雨傘運動から学んだものだ。高水準の市民の参加、および香港の発展や人権や法の支配に対する懸念は、一九九七年以後の最高点にある。
これまでほとんど沈黙を守ってきた人々が政府に対する怒りを表すのを見るのも、私の人生では初めてのことだ。彼らは、警察部隊が平和的な抗議参加者に行ったことにうんざりさせられている。警察部隊は明白に、その力の過剰使用という点で国連の諸条約を侵犯した。
水平的で指導者不在の運動
KL―「市民人権戦線」(市民社会諸組織の一つの連合)が六月九日のデモを公式に呼びかけた一方で、アレクサが述べた現在の運動は、水平的で指導者不在であるように見える。抗議行動のこの側面について、あなた方の考えはどういうものか?
區龍宇―二〇一四年の雨傘運動は大いに自然発生的だったが、それを起こす上で、HKFS(香港学生連合)はやはり一つの手段になった。学生組織は今はるかに小さくなり、非常に断片化している。諸政党もまた、意図的にか意図に反してかは別にして、この決起においては周辺に置かれてきた。
「市民人権戦線」は、まずはじめに行進し集まるための許可状を得ることで六月九日と六月一二日の行動を起こす点で、手段になった。しかし単純に言ってそれには、大衆的な市民的不服従を指導する組織的な能力がない。
この二〇一九年の運動の中でわれわれは、二〇一四年にすでにはっきり見えるものになっていた一つの傾向――すなわち、脱中心化し指導者のいない行動を好む強い感情――の継続を目撃している。コミュニケーション革命が今では協調をはるかに容易にし、強固な組織の必要を減じている。
それでも、若い活動家の内部には自発性に対する一種の物神崇拝がある。多くの人は組織を、不必要、あるいは必然的に権威主義、と単純に見ている。ジョシュア・ウォン〔雨傘革命の中で有名になった二二歳の活動家〕が創立し指導している新党「デモシスト」ですらも相対的にだが、現在の若者たちには十分な魅力がないと見えている。
今日では、誰もが一時的な指導者になる可能性があり、賛否を測ることなく、急進的な行動への呼びかけ人になることができる。たとえば六月一一日、親独立派ローカリストのある小グループが、「政府に対決する比例的な暴力」を求めて声を上げ、修正法案の提案を阻止するために翌日立法会と政府本部に突入するよう人々に求めた。ついには数百人の若者が、審議がまったくなかったために議場がその時までに空になっていたという事実にもかかわらず、六月一二日に立法会への突入を試みた。これはまた、警察がゴム弾を発砲しはじめ、負傷者を生み出した時でもあった。
指導者のいない、しかしながら大きな闘争はまた、思い切った行動を行う前に、挑発者や香港と北京の両政府の工作員と闘う能力はもちろんのこと、注意深い熟慮を行う能力もより小さくなる。とはいえ、立法会突入という物議を醸す試みが、ここ何十年では初めて、香港の多くの人々によって好意的に受け止められた、ということは認めなければならない。
KL―大学生諸団体の弱体化にもかかわらず、他の新たなグループが現れた。より急進的な左翼グループの一つ、「学生労働者行動連合」は、学生運動と労働者運動の結合を追求し、直接行動に取りかかってきた。あなた方の連合について、またあなた方がこの抗議運動にどのように参加してきたか、言うことができるか?
SLAC―われわれは、二〇一七年設立の、関連する労働者、社会グループ、労組の連合だ。われわれの確信では、労働者運動と学生運動は分離されてはならない。そしてわれわれは、学生と労働者を結合することによって、大学における労働者の諸条件を改善することに焦点を絞っている。
われわれは、直接行動を取り入れることで抗議運動を支援し続けてきた。われわれは六月八日、翌日のデモに参加するよう香港市民を結集するための行進に向け、「ソーシャルワーク学生香港連合」に加わった。そして六月九日、仲間の学生と共にデモに参加した。
この行進後われわれは、ピケットラインに加わり、六月一二日に計画されたストライキ行動に対する支援を結集、さらに立法会を包囲した。立法会は民主的ではなく、ほとんどのメンバーは北京の操り人形だ。したがってわれわれは、審議を止めるために立法会を包囲する必要があった。
KL―しばしば、それが雨傘運動であろうが現在の抗議行動であろうが、外国の勢力が香港の社会運動を扇動している、との言いがかりがある。そのような言いがかりへのみなさんの対応は?
區龍宇―北京と香港の政府は、抗議行動は米国のNED〔民主主義のための国民的拠金〕から資金を回されていると語ってきた。
事実として、ほとんどの親民主派政党はNEDから資金を受けてきた。しかし、六月九日と同一二日の大抗議行動両者共、これらの政党によって呼びかけられたものではなかった、ということも否定できないことなのだ。「市民人権戦線」は、五〇以上の組織の連合であり、そのほとんどは、市民団体と労組だ。主な民主派政党はその一部であるが、その少数派部分にすぎない。
この戦線は、主な民主派政党が民衆を動員する指導性を発揮することを怖がった時である二〇〇二年に設立された。まさにこうした歴史のゆえに、主な親民主派政党は戦線内部で有力にはならなかったのだ。
言うまでもない事実だが、この戦線は、集会に現れる人々に対し何の権威ももっていない。若者たちは多くの場合、合流した上で彼らが望むことをやっている。
雨傘運動が現在の運動の下敷き
KL―多くの人は現在のデモを雨傘運動と比べている。雨傘運動の場合は、香港の行政府長官選挙における全員投票許可を中国政府が拒否したことに抗議して、数万人の人々が中心部の道路を七九日間占拠した。五年を経て、雨傘運動に対するみなさんの評価とはどういうものか?
CWL―雨傘運動は極めて入り組んだ話しになる。二〇一四年以前、選挙における野党(いわゆる親民主派)指導者はリベラルだった。街頭では、社会運動の指導者は中道左派政策を奉じている人々、と理解される可能性をもっていた。
ひどく入り組んだ話を単純化すれば、「新たな」社会運動参加者の巨大な数での出現は、既成の政党と社会運動組織/ネットワークの組織化能力を圧倒した。数多くの新しく若い抗議行動参加者の考え方から見て、既成の人物と組織には正統性が欠けていた。したがってその多くは、われわれが「ローカリズム」と呼ぶものを取り入れた。あるいは、集団行動は諸組織によって調整され、率いられなければならない、との考え方に反対している。
私の観点では、ローカリズムの高まりと組織への不信が、雨傘運動の主な否定的結果だ。しかし二〇一四年の街頭における警察との衝突という経験は、明確に多くの活動家の能力を高め、より多くの人々が、街頭における急進的な行動に対する受容性を高めるようになった。部分的に雨傘運動の一つの遺産であるそうした変化がなければ、抗議行動参加者はおそらく、立法会審議の取り消しを強要する、立法会外の地域の占拠が不可能だっただろう。
區龍宇―雨傘運動が終わってすぐに、占拠を可能にしたものは若者たちだったとはいえ、士気阻喪の波が彼ら全体にさっと広がった。それ以前の年月に若者によって設立されたほとんどの緩やかな組織は消え失せた。香港学生連合(HKFS)は攻撃を受け、後に解体されるためにのみ、次いで外国人排撃のローカリストによって接収された。次いで政府は、復讐をはじめ、多数の活動家を刑務所に送りはじめ、それがさらに士気阻喪を悪化させることになった。
香港政府のおかげで、今回はもっと若い世代によって抵抗運動の新しいラウンドが再点火することになった。一週間の間、引き渡し法案に反対して中学生までもが、数百人という形で決起した。
雨傘世代は文化的アイデンティティの点で高齢世代とのある種の断絶を代表している。つまり彼らは今やおそらく、中国人というよりも香港人として自らを識別しているように見える。そしてこの背後には、高齢世代には欠けている香港との感情的結びつきがある。雨傘世代を特別な者にしているものは、彼らがそうした関わり合いを発展させはじめ、全員投票という彼らの要求が政府から拒絶された時に政治化された、ということだ。今年の中国への引き渡し法案はさらに進んで、もっと若い世代までも政治化した。
私は、雨傘運動の最後の日に人々が「われわれは帰ってくるだろう」との巨大な横断幕を掲げたことを思い出している。この予言は真実になったのだ。
雨傘運動の政治への波及とは
KL―區龍宇が言うように、雨傘運動以後、香港は新たな若い活動家の世代と指導者が登場するのを見ることになった。若い指導者のこの新たな世代に入る者は誰であり、彼らの政治的要求と戦略はどのようなものか?
區龍宇―親民主派諸政党は、雨傘運動期における小心な姿勢のゆえに信用を失った。この政治的な真空は、二つの新しい勢力、つまり自己決定権を支持する勢力と独立を支持する勢力、によってすぐさま埋められた。それらはほとんど若者たちで構成されている。
二〇一六年の立法会選挙は、上記二潮流を母体とする政治の新人五人の当選を見た。そしてその犠牲になったのは、香港労組連合と労働党両者の指導者であるリー・チェウク・ヤンも含む親民主派陣営だった。この二潮流の成功は、多くの有権者、特に新しい世代は、北京と取引する形の親民主派の穏健すぎる政策を、もはや受け入れない、ということを示している。
「ヤングスピレイション」のヤウ・ワイ―チンおよび「シヴィル・パッション」のチェン・チュン―タイは右翼か極右のローカリストだが、エッディー・チュ・ホイ・ディック、ラウ・シウ・ライ、そしてナサン・ラウ・クン―チュン(「デモシスト」を代表)は少しばかり左翼に傾いている。
前者の翼はCCPにだけではなく中国人すべてにも反対し、レイシズムと外国人排撃の言葉を大量に使用している。「ヤングスピレイション」の綱領は明確に、広東語か英語のどちらかを話せない者から市民権を剥奪することを要求している(これは特に愚かしい。多くの前からの香港住民は、先の二言語のどちらも話せず、むしろ話せるのはハッカ、あるいはチャオチュウ方言なのだから)。
それらはまた、中国本土の移住者を香港で基本的な給付を受けることから排除すること、も目標にしている。「シヴィル・パッション」は、中国人への暴力を扇動していることでよく知られている。労働者の権利や周辺化されたグループやマイノリティに対する社会保障を推し進めることに、それらがほとんど関心をもっていないことはまったく偶然ではない。これらの人々が急進的だとすれば、急進的に保守的なのだ。
後者の翼の自己決定権要求は、どのような反中国感情にも結びついてこなかった。エッディー・チュは、彼は民主的な自己決定権を支持し、それは中国民衆や他の周辺化されたグループを排除よりもむしろ包摂するもの、と主張している。彼らの政治的ビジョンは、労働者の権利、ジェンダーに関する権利、さらにマイノリティの権利を含む社会政綱に結びつけられている。しかしながら、これらの自己決定権政治の主張は、常にそれほど明瞭なわけではない。そして前者から厳しく圧力を受けた場合、ローカリストの方に傾くかもしれない。またこの中道左派的自己決定主張の陣営には、「社会民主同盟」も加えなければならない。二〇一六年の選挙では、中道左派陣営は合わせて一五・二%の票を集めた。
LCL―雨傘運動以後、香港の自由放任資本主義は、貧困と経済的不平等をさらにひどくしてきた。香港市民の五人に一人、あるいは一三八万人が貧困線以下で暮らしている。〇・五三九という香港のギニ係数は、米国やシンガポールのそれよりも高い。
香港は、権威主義と資本主義の両者に反対する一つの社会主義勢力を切実に必要としている。しかし、「レフト21」や二、三の革命的社会主義者のネットワークのような、社会主義の観点を保持している香港のネットワークや諸個人は非常に弱体だ。そして、ローカリズム感情の波にぶつかってさらに周辺化されるようになった。
香港と中国本土の連帯の今後
KL―香港の社会運動の活動家はこの数十年、中国本土の活動家を支援する上で、決定的な役割を果たしてきた。それは少なくとも部分的に、香港の民主的な未来は中国本土の民主的な発展に依存するだろう、との考えを動機にしていた。香港の活動家が中国の活動家を支援した方法について、また香港の政治的展開がこの支援を掘り崩すことになるのかどうか、それらについて話せるか?
LCL―一九九〇年代以後、香港の活動家は首尾一貫して、中国内の労働者、人権、ジェンダーに関する権利、LGBTの権利、さらに環境活動を支援してきた。そして中国の社会運動や市民社会の発展に力を貸してきた。
香港の市民的自由が、社会運動の知識や文献を中国に広げ、本土の中国人活動家と香港の活動家内部での知的な交流を推し進め、中国本土における社会的抵抗に対する連帯を組織することを可能にしている。本土の中国人著者による著作を含んで、香港でしか発行できなかった多くの本が、中国本土にもたらされた。その中で社会運動に関する討論も香港で行われた。
この役割は、香港に対する中国政府の高まるばかりの政治的支配により、圧縮されそうに見える。中国の社会的諸矛盾が強まる中で中国政府は、中国の社会運動におよぼす香港の影響力をむしろさらに警戒するようになるだろう。
CWL―ローカリズムの高まりがもたらす問題の一つは、香港の若い活動家内部で、中国本土の活動を支援することがもはや必要と見られないかもしれない、ということだ。ローカリスト陣営の過激派は、「香港人」は香港内部の問題を第一に気づかうべきである以上、中国本土の民主運動に支援を与えることは時間の無駄、とまで論じている。
もう一つの懸念を呼ぶ展開は、中国本土で公式メディアが、香港の全部ではないとしてもほとんどの活動家は香港の独立を支持している、あるいは本土の中国人を見下している、という絵柄を描いていることだ。中国本土で公衆が本当に考えていることを知るのは不可能とはいえ、このところのソーシャルメディア上で見られ続けてきたことは、中国本土のネット市民内部で、香港の闘争がほとんど共感を得ていない、ということだ。中国本土における抑圧がより厳しくなっていることで、香港を基盤とする活動家と本土を基盤とする活動家間の意志疎通と討論はますます困難になり続けている。
香港の未来をどう展望するか
KL―香港行政長官の引き渡し法案棚上げをどう考えるか? それはどの程度の勝利か?
區龍宇―キャリー・ラムは法案を棚上げしただけだ。彼女は抗議に立ち上がった人々が要求したようには法案を撤回しなかった。それは、完全な勝利ではないが、それでも部分的な勝利だ。法案を一時的であれ棚上げしたことは、キャリー・ラムにとってすでに大きな敗北だ。そしてこれは反対派に、運動を積み上げる上でさらに時間をも与える。そして、法案の再導入に向けた予定表はまったくない、と彼女が付け加えた以上、棚上げの期間は短くはならないだろう。
さらに言えば、今年と来年は両者共選挙の年であり、そうであれば、この両年の期間に法案を再導入することで、彼女が親北京派政党に敗北の危険を犯す可能性をつくることはありそうにない。そしてまた三年目も理想的な年ではない。彼女の任期の最終年であるからだ。法案再導入の任務は、もしあるとすれば、おそらく次期の長官の任務となるだろう。
KL―それで、香港の将来、および民主主義と経済的公正を求める運動の将来はどういうものか?
CC―雨傘運動から反引き渡しの抗議まで、デモと選挙では資本主義生産を混乱させることはできないと人々が認識しているがゆえに、彼らは一層戦闘的な行動を受け入れている。左翼にとって一つの結果が重要だ。つまりこれら二つの運動を経て人々は、政治闘争におけるストライキの重要性と労組の役割を理解しているのだ。
雨傘運動の中では、学生運動の指導者は何人かしか労組にストライキを呼びかけなかった。しかし、この引き渡し反対運動の中では、数千人の労働者が彼らの組合にストライキ組織化を求めた。香港での政治的闘争は続くだろう。若い世代が職場での諸行動に取り組む動きが生まれれば、それは左翼にとって極めて重要なことになるだろう。
區龍宇―若い人々の新たな上記二潮流の台頭とそれに加えたそれほど若くない「社会民主同盟」は、政府がそれらの議員から資格を剥奪した時、大きな打撃を加えられた〔二〇一七年〕。幸いなことに別の新たな世代が台頭中にあり、それは問題を自分なりに理解している最中だ。中国引き渡し法案反対の街頭決起は主に彼らの成果だ。しかしながら彼らが民主的な左翼の方向に政策を発展させ、その分断を克服することができなければ、彼らは、一つの強力な進歩勢力へと固まることができないかもしれない。
第二に、親民主派からの遺産であるメディア志向の行動に力点を置く傾向は、今も若い活動家内部で大きく支配的だ。それは、しばしば長期的な組織的努力が無視されるばかりではなく、労働者階級の悲惨な条件への無関心がある、と言えるほどのものだ。多くの人々は今、労働者にストライキに立ち上がるよう求めているが、これはまだ成功していない。彼らは単純に労働者を一種の即席麺のように扱っている。つまり、必要なことは注文だけであり、そうすればウェイターがそれをすぐに届けるだろう、と。
香港の歴史的軌跡は香港を、連帯、友愛という左翼の価値に敵対的な都市にしている。一五〇年以上にわたる自由貿易港であることの結果として、ひとつの社会ダーウィニズムの文化が、左翼勢力の成長が厳しいというほどまで住民に染み込んできた。左翼を成長させるためには、若い活動家たちが階級の課題に取り組み始めなければならないだろう。
LCL―先を考えた場合、香港の政治的環境はもっと挑戦を必要とするものになるだろう。一九九七年から二〇〇八年にかけた相対的にリベラルな時期は終わりを迎えた。香港政府は民主的なまた社会的な運動を、特に議会外の直接行動を主張する者たちをもっと厳しく扱うだろう。
香港政府は資本家階級と保守勢力の側にいる。そして後者は常に、労働者の権利、女性の権利、LGBTの権利に、また同じく富の公平な配分に敵対する。香港の公衆は、中国の官僚資本と香港の独占資本という二重の抑圧下にある。あらゆる社会的、経済的改良は、権威主義的資本主義というこの現実と衝突しなければならない。
しかしながら二〇〇五年の反WTO抗議行動、二〇〇七年の建設労働者のストライキ、さらに二〇一三年の港湾労働者のストライキを経て、より多くの活動家が、一九九〇年代に流行した闘争の断片化されたモデルから身を離し、新自由主義に挑むために必要な階級的政治を認識するようになった。われわれは、この左翼政治を発展させるために、社会主義的左翼と極右ローカリズムや民族主義との違いを明確にし、「左翼政治とは何か」、「なされるべきことは何か」のような問題をめぐる討論を深める必要がある。
われわれはまた、中国に関する幅広い展望を、また中国本土の左翼活動家と社会運動との交流を引き上げることを必要とする。香港の公衆は、中国の権威主義的資本主義と衝突している中国の市民社会および社会運動とのより多くの協力を通してはじめて、真の民主主義と社会的平等を獲得できる。(六月一八日、「ジャコバン」より)(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年六月号)
香港に関心を持つ日本の皆様へ
香港人は尊厳のため闘っている
権力者に寛容を示さないでほしい
香港の若者が立法会に突入した行動について、日本では「暴力」を焦点化した報道がある。しかしそれはあまりに一面的なとらえ方だ。つい先日香港市民の要求とそれへの連帯を訴えるために来日した周庭さんが、今回の問題についても日本の市民に向けアピールを発している。以下に紹介する。(「かけはし」編集部)
皆さんはすでにメディアを通じて、昨日香港で起きたことを知っているかもしれません。昨日、デモ参加者は立法会に突入し、私たちが現在の制度・政権に対して持っている不満と怒りを、世界に向けて示しました。ひょっとしたら皆さんは、デモ隊による暴力・破壊行為に特に関心を持っているかもしれません。しかし、この事件について結論を下す前に、これらのことを皆さんに知って頂きたいと思います。
一.この一カ月は、香港人にとって長い一カ月でした。香港人は署名運動を行い、世界各地でのアピールを行い、新聞広告を掲載し、百万人のデモを行い、二百万人のデモを行い、私たちの民主と正義に対する強い意志を示し、全ての手を尽くしました。志を同じくする人三人は、自死によって政権による民意の無視に抗議することさえしたのです。
二.昨日のデモに参加した人たちは、皆香港を強く愛し、制度の改革を実現したいと願う香港人です。立法会への突入によって訴えるという手段に出たのは、過去一カ月、いや、過去一〇年、二〇年にわたって、香港政府と中国共産党政権が香港市民の願いと、私たちの民主に対する訴えを全く尊重しなかったためです。
三.香港政府は繰り返し「暴力」との言葉で昨日のデモを形容しています。しかし、香港政府には暴力を譴責する資格は全くありません。
六月一二日、邪悪な警察が、全く正当性のない暴力行為を、武器を持たない群衆や、記者に対しても行ったことは、全世界が目にしたところです。警察はデモ隊に対して完全に過度の暴力で応じたのですが、林鄭月娥行政長官は後に警察の「自制と専門性」を称賛しました。
六月三〇日には、親政府派の多くの人たちが、自分と政見の異なる人や記者に対して暴力をふるい、財産を奪いましたが、政府はこれについて一言も非難していません。
四.実際の所、もっとも根本的で、しかし姿の見えない暴力は、とっくに香港に現れていたのです。この二〇年余りの間、行政長官が民主的制度で選ばれないだけでなく、立法会も香港人のものではありませんでした。
職能別選挙があるために、立法会で市民が直接選べるのは半分の議席に過ぎず、また、職能別選挙の議員が否決権を持つ制度のため、民主や市民生活に有利な議案の多くが廃案になってしまいます。近年は、政府は直接的に気にくわない候補者や議員の資格剥奪を行えるようにすらなりました。香港人の声は、ずっと押し潰されてきたのであり、尊重されたことなどないのです。
五.昨日立法会に突入したデモ参加者は、容赦なく「暴徒」というレッテルを貼られました。しかし、彼らはただやりたい放題に立法会を壊したのではないのです。
彼らは立法会の歴史的な文物や、図書館には「壊さないで」との張り紙をし、立法会のレストランには「私たちは泥棒ではない、万引きはしない」と書いて、飲み物を飲んだら代金を置いていったのです。
真の「暴徒」であれば、文物を保護などするでしょうか。過酷な環境の中で、これほどの理性を保てるでしょうか。デモ参加者の目的は人を傷つけることではありません。また、好き勝手に破壊を行うことでもありません。制度の圧迫と不正義を示すことだったのです。
六.あるいは、あなたは、意見を表明する方法は色々あるので、立法会に突入する必要はないと言うかもしれません。過去二〇年、香港人は全ての方法を尽くしました。一度、また一度と、あきらめずに訴えてきました。しかし、政府はこれを聞いたり、尊重したりしたことがありません。たとえ三人の若者が自殺しても、政府はこれに反応を示しません。一言の反応もないのです。
多くの若者にとって、これは香港の最後の重大な局面です。彼らは自分の命を賭けてまで、真の民主と正義を得たいと考えています。あなたはこのようなデモのやり方に賛同しなくても結構です。しかし、若者をここまで追い詰め、彼らを死によって訴える行為にまで駆り立てているのは、この恥知らずの殺人政権なのです。
七.実際、暴徒はいません。あるのは暴政だけです。巨大な権力と巨額の財政を手にした政府は、強大な国家のマシーンを使って人々の体を傷つけ、人々の意志を抑えつけます。
たしかに、デモ参加者は暴力を使いました。建築物を壊しもしました。しかし、政権が行った破壊は、さらに修復させることのできないものです。彼らは香港の制度と価値、さらに若者の命を破壊しているのです。
八.村上春樹さんの言葉は、香港人にとって意義深いものです。「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」。
権力者に対して寛容を示さないで下さい。そして、圧迫されている力なき者に対して、過酷な責めを負わせないで下さい。
私たちは人として生まれた以上、基本的な尊厳を与えられるべきです。香港人は、この尊厳のために闘っているのです。
九.私たち香港人は、昨日の出来事を経て、香港人であることをさらに誇りに思っています。今後も、私たちは勇気と、誠実さと、愛を持って、香港のために闘います。
The KAKEHASHI
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