台湾:民進党の四度の質的変化は何を意味するのか?(上)

民主改革から対米従属へ

2024年7月29日  張仲方

 台湾では1949年から87年まで戒厳令が続いた。民主進歩党は台湾独立と民主化を目指す潮流によって86年に結成され、89年の政党結成の自由によって合法化され、2000年に台北市長だった陳水扁が総統選挙で当選を果たした。今日までの25年間のうち、2008年から16年までの国民党・馬英九政権の8年間をはさみ、2016年に総統に選出された蔡英文(二期8年)、2024年に選出された頼清徳の民進党政権が続いてきた。台湾では1996年以降今日まで、総統および各級首長や議員はすべて有権者の直接選挙で選出されている。以下は台湾の革命的社会主義組織のメンバーによる民進党の変遷についての論考である。文中の〔 〕および文末の訳注は訳者が補った。(「週刊かけはし」編集部)

 中米対立の激化に伴い、台湾社会と政治構造は大きな分裂と対立に直面している[1]。この対立の中で、蔡英文政権から賴清徳政権に至るまで、民主進歩党(以下、民進党)とその支持基盤は次第に米国の対中戦略に従属し、「民主自由の防衛」を掲げて高まる台湾海峡の軍事的脅威に対応しようとしている。民進党は「反滲透法」「デジタル放送サービス法」「全民防衛動員準備法(全動法)」などを推進し、権力を集中させている。
 2016年、蔡英文が社会の進歩と改革への大きな期待を受けて就任した時と比べ、今年初め〔2024年1月13日〕の賴清徳の当選は、左派的政治路線の欠如と民進党とその支持者(台湾派)の右傾化と保守的な政治立場を浮き彫りにした。それは以下の点に表れている。

1.蔡英文政権の末期、ペロシ米下院議長の訪台後、中国共産党政府が台湾を包囲する軍事演習を行ったことを受け、民進党は「台湾海峡の平和を守る」として軍事化政策を推進した。進歩的な改革や憲政改革を求めていた台湾独立派やその支持基盤は、その軍事化政策を支持するか、沈黙を選んだ。反戦派は「投降主義者」「対米懐疑論者」「第五列」「中共の仲間」などとレッテルを貼られた。ごくわずかの台湾独立派を除き、台湾は米国の対中戦略の駒に過ぎないことに注意を払っていない[2]。

2.メーデーの際、労働運動団体が頼清徳による何佩珊の労働部長任命に批判的な立場を示したところ、「労働運動は国民党による『給与八割案』や『年金改革』の提案を擁護している」との疑念が向けられた。しかし、問題の核心はそこにはない。与党である民進党が、かつて労働基準法改悪の推進役であった何佩珊を労働部長に起用し、さらに労基法の三度目の改正を企図していることこそが、民進党政権下で基層労働者がより深刻な労働権の損失を被ることになるのである。
[3]

3.青鳥運動(訳注1)のなかで、民進党とその支持勢力は、国会権限拡大法案を提起した国民党と民衆党(訳注2)を「売国法案」として非難したが、12年前の野党時代に同じような国会改革案を提出していたことを忘れている。
4.文化部は、台湾文化コンテンツ振興策「黒潮計画」の顧問として、黒熊学院の創設者の沈伯洋と親米反中の曹興誠を起用し、翌年に放映される予定の連続ドラマ『零日攻擊/ZERO DAY』の予告編では、反戦派が「日和見派」「マフィア」「チンピラ」として描かれ、米帝国主義への批判は一切なかった。(訳注3)

 これらは、民進党が8年間の政権運営を通じて、民主的監督を受け入れず、民進党以外の政治的主張を容認しなくなったことを反映している。しかし、このような政治的立場は、一定程度、蔡英文時代の「抗中保台(中国に抗し、台湾を防衛する)」方針の継続だが、それは民族自決権に基づく台湾独立という政治願望ではなく、「民進党政権下の中華民国」を防衛するという右翼民族主義的感情から来ている。簡単に言えば、これは民進党創立以来の第四度目の「質的変化」であり、米国の対中戦略の下での右翼民族主義の先兵となることであった。
 このような展開がどのようにして起こったのか? 民進党が創立当初の自由主義的改良派から、なぜ今日では米国の従属者となってしまったのか? 本稿では、民進党の歴史を出発点として、民進党の一度目から三度目までの質的変化の過程と、第四度目の質的変化が民進党をどこに導くのかを探求する。

最初の質的変化:選挙主義への傾斜


 1986年に民進党が設立された後、党内(新潮流派と美麗島派)の主要な論争の焦点は、民進党が大衆運動を発展させるべきか、あるいは選挙主義に向かうべきかであった。
 民進党内の比較的進歩的な新潮流派は、大衆運動が台湾独立の重要な基盤であると考え[4]、それが国民党の支配を打倒し、台湾のブルジョア民主制を実現することに寄与すると考えていた[5]。この路線に従い、新潮流派はレーニン的な民主集中制を模倣した組織戦略を構築した[6]。しかし、新潮流派の目的は社会主義革命を推進することではなく、民主革命や民族革命の政治色彩をより強く反映していた。
 しかし、その後の民進党の発展は、この路線論争を統合することとなった。まず、民進党は設立当初、労働者階級の大衆政党ではなく、プチブルジョアジーや中小企業の利益に奉仕する自由主義政党であった[7]。そのため、民進党は設立当初から資本主義や選挙主義と切り離すことは不可能であったのである。
 1991年以降、当時の党主席である許信良は「選挙総路線」を提唱し、新潮流派の社会運動路線に代わって、民進党を選挙マシーンの政党に変えていった
[8]。
 別の側面から見ると、1989年以降、李登輝は民進党を国民党内の敵対勢力を打倒するための武器として利用し、国民党の再編と台湾のブルジョア民主化を推進した[9]。その後、李登輝が国民党内で勝利を収め、民進党と連携して憲法改正を進めたことで、民進党の憲政改革という政治的任務は達成された。この過程は一方で、民進党の選挙主義への政治路線を強化し、他方で民進党が議会中心の官僚的政治を主戦場とする方向へと導いた
[10]。
 選挙主義への接近は、民進党の最初の質的変化と言える。資本主義の発展に伴う政治的、経済的制限の緩和は、民進党の政治的要求を実現可能にするとともに、民進党が労働者階級の政党になることを不可能にした。[11]
 多くの「左翼」が民進党に「加入」して内部から改造し、左傾化させようと試みたが、これらの試みは成功せず、むしろ台湾の労働者階級が自主的な勢力を形成する日程を遅らせる結果となった。
 より正確に言えば、民進党は台湾本土の政治エリートが国民党を打倒するための武器であり、その目的は主として台湾本土の新興エリートが経済的および政治的実権を獲得することであった。言論の自由もその要求の一つではあるが、最終的な目的はあくまで政治的、経済的権力者に奉仕するものであった。
 (つづく)

原注
[1] 「引き裂かれる台湾社会――青・緑・白の党派闘争という『新常態』」 を参照せよ。
[2] 注1と同じ。
[3] 実際、労働運動団体は昨(2023)年末の闘争要求においてすでに「三党とも不合格、政権が最も傲慢」というスローガンを掲げ、青(国民党)・緑(民進党)・白(民衆党)の三党の総統候補者の労働権政策がいずれも不十分であり、民進党は政権党として最大の政治的責任を負うべきであると指摘した。
[4] 1991年「独立への道」の第7章に「大衆運動は国民党に対抗する最も有効な手段であることが証明されており、したがって議会の機能は道具的なものである…」
[5] 林濁水は1989年に発表した〈大衆路線運動を強化し、総決戦に積極的に備える〉の中で次のように述べている。「台湾は国家建設、政治の民主化、社会的分配の公正化という、三つの異なるがそれぞれ関連し切り離せない課題に直面している…国民党の国家体制は台湾社会をコントロールするためのものであるから、反対運動は国家体制の外で大衆運動を展開し、人々を旧体制・旧価値から解放するほかない…」
[6] 2016年「新潮流派と八〇年代台湾民主運動」を参照。
[7] 簡錫堦が1993年に発表した「体制外の労働運動こそ主力である」を参照。
[8] 2014年「民進党『地方が中央を包囲する』戦略の歴史的回想(1989-2000年)」を参照。
[9] 1996年「李登輝現象:政治指導と政党転換」を参照。
[10] 1992年の立法委員(国会議員)全面改選で、民進党は51議席を獲得、党内各派の指導者が国会入りしたことで民進党の選挙主義的方針が強化された。1993年「李登輝と民進党の蜜月はいつ終わるのか?」参照。
[11] 林垕君、2005年『マルクス主義労働運動論』序文参照。

訳注
(訳注1)青鳥運動:青鳥行動とも。2024年1月の総統・立法(国会)議員ダブル選挙の結果、立法院で少数与党になった民進党政権に対して、比較第一党の国民党と第三党の民衆党が多数となり、3月議会に総統の権限を制限し、議会の権限を大幅に強化する内容を含む立法院改革法案を提出し、5月中旬の議会で野党多数の勢いで押し切ろうとしたが、民進党支持者を含む多くの市民ら数万人が立法院に接する青島東路に結集し国民党や民衆党の動きをけん制したが、可決された。国民・民衆両党による強行採決に抗議する参加者らが「青島」の暗号として「青鳥」を用いたことから「青鳥運動」と呼ばれた。その後、頼総統は同法案が違憲に当たるとして憲法裁判所に提訴。野党は憲法裁判所の判事の人事案を拒否するなど争いが続いている。
(訳注2)台湾民衆党:2014年から22年まで台湾市長を務めた医師の柯文哲が党首となり2019年に結党。2020年の立法委員(国会議員)選挙で全国比例で158万票余りを獲得し5議席を確保し、総統選挙に立候補するための有権者得票率5%要件も満たした。22年の全国地方選挙では新竹市と金門県の首長選挙で勝利し、地方議会でも14議員が当選。24年1月の総統・国会議員のダブル選挙では党首の柯文哲が総統選挙に立候補し、369万票(26・4%)を獲得した(頼清徳・民進党558万票40%、侯友宜・国民党467万票33・5%)。国会議員選挙(定数113)では、全国比例選挙区で8議席を獲得し(得票率22・07%)、国民党52議席(同34・58%)、民進党51議席(同36・16%)に次ぐ第三党を維持した。党首の柯文哲は汚職容疑で24年12月起訴後に拘留され、25年9月に保釈。柯文哲は容疑を否認するも民衆党党首を辞任(空席)、裁判闘争は現在も続いている。
(訳注3)曹興誠は半導体受託生産で台湾2位の聯華電子UMCの創業者で新米反中派。沈伯洋は米国留学から帰国後の2018年ごろから中国のフェイクニュースや内部浸透に関する警鐘を鳴らし、20年には中国の侵攻に対する民間レベルの防衛訓練や救急処置を全国で組織する「黒熊学院」を立ち上げ、24年1月の国政選挙には民進党の全国比例から出馬し当選した。ドラマ『零日攻擊/ZERO DAY』は25年8月から10話が放映された。日本でもAmazon Primeで鑑賞できる。

香港01

初期の台湾独立運動には民主革命と民族革命の色彩が色濃く反映されていた。(wikiより)

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