新疆ウイグル問題 大中華民族主義の誤り直視を
東トルキスタンの歴史と中央アジアの地政学
帝国主義の民族的抑圧の根源には
同じ経済的・地政学的理由が伏在
ダニエル・タヌロ
ウイグル問題が、ベルギーの政治闘争において、一方におけるPS[ワロン系社会党]およびECOLO[ワロン系環境政党]、他方でのPTB[ベルギー労働者党]との間で突如として大きな問題へと浮上してきた。PSとECOLOは、PTBがウイグル人に対するジェノサイドに加担していると非難する一方で、PTBはPSとECOLOが中国に対する新たな帝国主義的冷戦に加わっていると非難している。
論争が始まっているが、注目すべきことに双方の陣営には共通点がある。つまり、アメリカがイラクで、イスラエルがパレスチナで用いている方法で、北京が新疆のイスラム教徒を抑圧しているとすれば、それは同じような経済的・地政学的な理由によるものだという事実について両陣営とも沈黙しているという点である。
現実には、この地域の富の独占、特にエネルギーの独占をめぐる問題なのである。もちろん漢族の利益のためにだが、それだけではなく資本主義の「世界の工場」での超搾取状況を利用している多国籍企業の利益のためでもあるのだ。さらに言えば、ウイグル人に対する抑圧は、欧米における「グリーン・ディール」やグリーン資本主義への移行についての他の解決策のコスト削減に貢献しているとも言えるだろう。それでは、何が起こっているのか、はっきりと見ていくことにしよう。
清が併合した「新しい土地」
新疆は、19世紀後半に清帝国に併合されて以降、中国の一つの省となっていた(訳注1)。与えられた名称には誤解の余地はなく、中国語で「新疆」は「新しい土地」を意味する。清帝国を当時の欧米帝国主義列強(たとえば、イギリスやフランス、……そしてベルギー王室など)と同一視することはできないにしても、新疆は(コーカサスや一部の中央アジアが、ロシア帝国が周辺地域を植民地征服したのと同じやり方で)中華帝国が自らに隣接した周辺地域を植民地征服したことから生まれたことは否定できない。
この地域において圧倒的多数を占めるさまざまな先住民族(イスラム教徒が圧倒的に多い)が、過去においても現在でも、自らを中国人だと考えたことはないというのもまた否定できないことである。北京の現在の目的はまさに、あらゆるレベルでトルコ系イスラム教徒を差別し、その宗教と民族性のゆえにテロリストの疑いがあるとみなして、強制的な中国化か、それとも比類ないオーウェル的抑圧の地獄か、どちらかを彼らに「選択」させるという漢民族入植者の植民地主義の中に溺れさせることである。
北京が「新疆」と呼んでいる地域の実相は、「東トルキスタン」というもっと古い名称を使う方がよりよく理解できるが、この名称でもそこに住む人々の多様性を表現できてはいない。この広大な地域(中国の六分の一、フランスの三倍の広さがある)は、実際には広大な中央アジアの一部であり、高い山脈、草原、砂漠、豊かなオアシス、輝かしい交易都市などを含んでいる。数千年もの間、この地域は「シルクロード」に沿った(シベリア草原とインド亜大陸の間の)南北交流、そして何よりも(中国、カスピ海、黒海、地中海沿岸の間の)東西交流の交差点となってきた。
その地域は二つの部分(遊牧民族がいる北部のズンガリア草原、およびタクラマカン砂漠の周りにあって、商人や農民が住む南部のタリム盆地)で構成されており、何世紀にもわたって領有権をめぐって争われてきた。清に併合された地域は、過去も現在も、こうした商業・文化交流の拠点となっている。実際、「シルクロード」の二つの主要な道は、砂漠を迂回し、山の間を縫うようにして新疆を横切っている。さまざまな民族(ウイグル人、カザフ人、タジク人、モンゴル人、ロシア人、タタール人、中国人など)や宗教(イスラム教、アニミズム、仏教、道教など)が混在しているのは、この非常に長い歴史の産物なのである。
かけ足の東トルキスタン小史
その長い歴史を通じてずっと、さまざまな帝国(ペルシャ、オスマントルコ、モンゴル、チベット、中国)が、戦略的要地を確保し、盛んにおこなわれた貿易に税金を課そうとして、この地域を支配しようとしてきた。最近では、欧米からもたらされた産業革命がさらなる貪欲さをかき立てた。というのは、新疆は農業生産(綿花栽培)と鉱業資源(石炭、石油、ガス、鉄、金、銅、鉛、亜鉛、ウラン)に恵まれているからである。近代化にともない、スーフィー(イスラム教神秘主義者)をはじめとするある特定の層の人々は、伝統と帝国(主にロシアと中国)という二重の桎梏に対して、発展・教育・解放を求める民主的願望を抱くようになった。
このような状況の中で、ソ連の誕生が、レーニンがロシア帝国について語る際に「諸民族の牢獄」と呼んだものを打ち破る希望として現れたのは、残念なことにあまりにも短い期間でしかなかった。この幕間ともいうべき時期は、スターリンと大ロシア排外主義の復活によって突然終わりを告げた。その後、1933年に非常に困難な状況の中で、東トルキスタン共和国が宣言されたが、国民党と同盟関係にあった回族(漢族のイスラム教徒)軍閥[馬仲英軍]によってすぐに粉砕されてしまった。
1944年になって、二回目となる独立の動きが起こった。これは、(1941年からこの地域を支配し、戦後そこで最初の原爆に必要なウランを手に入れた)ソ連から不確かな支援を受けていた。しかし、モスクワは、1949年に中国(現在の中華人民共和国)が支配権を取り戻すのを認めた。それは、東トルキスタンの11人の民族主義指導者が、毛沢東との交渉のために北京に向かう途中、飛行機の墜落事故で行方不明になって不可解な死を遂げるという奇妙な事故の後のことだった。
自治区・実態は漢族の入植植民地
いずれにせよ、中国は、清朝のもとでも、国民党時代にも、そして人民共和国の一部としても、新疆において漢族の物理的な存在感を強めようとした。漢族は、長い間シルクロード沿いに定住していたものの、人口の少ないこの地域(現在2100万人で、そのうち60%が農村部に居住している)において極少数派だったからである。
この願望は、中国とその国境地帯の状況がやや落ち着いてきた1949年以降に顕著になった。毛沢東政権は、中央政府が主導した植民地化と入植の政策を強力に推進した。人口に占める漢族の割合は、1953年には約8%だったが2000年には40%を超えた。新疆ウイグル自治区の北半分ではその割合が高く、先住民族との分離が進んだ。その一方で、(先住民族の中では圧倒的に多い)ウイグル族の割合は、75%以上だったのが45%にまで減少している。そして、それで終わりではない。最近の五ヵ年計画(2016〜20年)は、さらに100万人の漢族が入植するのを当てにしている。
漢族と回族は、交通路沿いや都市部に集中しており、特に首都ウルムチやカシュガル、アクス、タリムといった中世ウイグル文明の歴史的中心地では、彼らが多数派となっている。彼らは、この地域の開発・治安・民族調和を担当する中央政府機関である新疆建設生産兵団(XCPC)が実施する国の北西部開発計画に引き寄せられている。このXCPCは、240万人を雇用し(その90%が漢族)、耕地の三分の一、工業生産の四分の一を支配し、いくつかの中規模都市を直接管理している。それは新疆における支配的権力であり、社会的・経済的・行政的な中国化の主な手段となっている。
漢族による植民地化のもう一つの手段は軍隊である。新疆には130万人の中国兵が駐留しているが、今後数年間でこの数は三倍になり、部隊の駐留のために25の町が建設される予定である。最後に、経済の自由化は、ますます多くの漢族が民間部門(石油産業、繊維産業、観光業など)でのキャリアを求めて新疆に移住するという効果をもたらしているが、漢族の雇用主は優先的に漢族を雇用している。
しかし、新疆はウイグル人自治区ではないかと言う人がいるかもしれない。表向きはそうだ。1955年、北京は新疆を含む中国の非漢族居住地域に自治権を与えた。当時、毛沢東は、中華人民共和国は人口の94%が漢族だが、新疆を含む少数民族が支配する地域に存在する60%の鉱物資源とエネルギー資源に依存しているという事実に注目していた。
ソ連と同様、毛沢東一党独裁体制は、被抑圧グループからの反発の危険性を非常に重視していた。より保護的な政策がとられた時期もあれば、より抑圧的な政策がとられた時期もあったが、一般的には、特定地域の「自治」は、(漢族が支配している)党組織によって、したがって中央権力によって厳しく統制され、その地域での「相互扶助」「調和」「団結」という偽善的なイデオロギー的言説と結びついていた。
新疆では、この政策には当初から制度的な不信感がまつわりついており、トルコ系住民・イスラム系住民に対する漢族の偏見を助長させた。トルコ系住民やイスラム系住民は、一般的にはイスラム世界の利益のために、その中でも特にトルコの利益のために中国を裏切る可能性があると疑われていたのだ。そのため、1966年には、ウイグル人は中国からの出国を禁止された。悪い影響を受けないようにするためだった。
毛沢東の死(1976年)後、1980年代にはトルコ系イスラム教徒に対する統制が比較的緩和されたが、アフガニスタンにおけるタリバンによるソ連の敗北(1989年2月)、天安門での民主化運動の鎮圧(1989年6月)を経て、政権は新疆のイスラム教徒に対する締め付け政策を再開し、新疆の党組織は粛清され、緊張が数段高まった。1990年代に入ってからも何度か暴動が起こり、厳しい弾圧を受けた。漢族やウイグル人「協力者」が襲われ、ときには殺害された。
2009年、ウルムチにおいて、民族間の衝突で197人もの犠牲者が出た。その情報については注意深く扱わなければならないが、そもそもの発端は、中国南部[広東省]で働いていたウイグル人2人が[漢族の]襲撃によって死亡し、その経緯の説明を求めて学生たちがデモをおこなったことにあると思われる(訳注2)。彼らは漢族によるレイシズムの犠牲者だったのだろうか? いずれにしても、その日以降、(自治主義者の脅威に対する)当局による強硬な弾圧政策は、漢族に有利な開発計画を組織的に補完するものとなった。
収奪・屈辱・差別は悪化の一途
中国人と非中国人の間には、何世紀にもわたって緊張関係が築かれてきた。中華人民共和国の政策は、特にこの三十年間にわたって、そうした緊張関係を緩和するどころか先鋭化させてきた。この現象は、中国を大国に引き上げるために、中国を資本主義の「世界の工場」にしようとする政権の願望と結びついている。「世界の工場」は、実際には多くのエネルギーを必要とし、それが新疆の重要性を大きく高めている。新疆は、化石燃料の埋蔵量で中国第一位(石炭38%、石油21・5%、天然ガス23・3%)であり、これにウランも加わる。また、新疆は再生可能エネルギー(風力、太陽光、水力)の巨大な可能性をもっているが、その利用はごく一部にとどまっている。
中国政府は、(電力やガスを中国の他の地域に移出することで)中国全体の工業化を支援するとともに新疆の工業化のためにも、このエネルギーの黄金郷を当てにしている。新疆と上海との間にはガスパイプラインが敷設されている。新疆では、低コストの石炭を使って安価な電力を生産することができ、これが産業の競争力を高める上で、特に多結晶シリコンの製造において、決定的な役割を果たしている。実のところ、多結晶シリコンの生産はきわめて多くのエネルギーを必要とするからである。
いきなりだが、利益法則によって世界で太陽光発電パネルの製造に使われる多結晶シリコンの半分近くが新疆で生産されている。格安価格で手に入れたこの資源がなければ、資本主義の「緑への移行」や「グリーン・ディール」のコストはきわめて大幅に増加するだろう。このような状況では、EUが中国との最近の貿易協定に署名するために、いかに人権をお蔵入りにしたかがよく理解できる。
入植地の植民地化は資源略奪をともなっており、社会的・エコロジー的な影響を次々に引き起こす。たとえば、石炭採掘には大量の水が必要である。新疆では水が不足しているわけではないが、砂漠とオアシスの国でもある。産業界が水資源を十分に利用できるようにするために、北京は農業の水消費量を減らすことを決めた。したがって、中国政府は先住民族の農村からの大規模な移住を組織した。2004年から2020年の間に、一千万人以上の人々が、漢民族が支配する経済圏で働くために農村を離れなければならなかったと推定されている。また、「イスラム過激化」の可能性の兆候を示す人々は、「再教育」の一環として強制労働に送り込まれた。
このシステムの大きな恩恵を受けているのは、資本主義多国籍企業である。2017年から2019年の間に、83社の多国籍企業が、新疆のイスラム社会出身の約8万人に及ぶ「反抗分子」の強制労働から利益を受けたと推定されている。
このようにして収奪された土地は、中国の投資家に提供されている。こうして、工業用綿花の単一栽培が爆発的に普及し、新疆は中国の繊維生産・加工の主要地域の一つとなったのである。全体として、新疆は以前のような貧困状態からは確かに脱却したが、社会的不平等も爆発的に拡大している。特に民族的・宗教的分断を考慮すると、漢族世帯の平均所得は、ウイグル族やカザフ族などの抑圧されたイスラム教徒世帯の平均所得の四倍にも達する。
新シルクロード、抑圧の増大
植民地支配の動きは、人種差別やイスラム嫌悪の色彩を帯びながら定着してきた。それはこの間、中国の「新シルクロード」プロジェクトの枠組みの中でさらに強化されてきた。新疆は、この巨大な経済的・地政学的計画の構成要素の一つの中心に位置している。
この計画の目的は、中国と欧米とのグローバルな貿易を強化すること、および(一方ではロシアのガスやカザフスタンの石油を輸入し、他方では自国の化石資源や原子力、再生可能エネルギーを開発することによって)中東から輸入する化石燃料への依存度を下げることの両方にある。また、ユーラシア大陸を貫く地上交通手段(道路や鉄道)を確立することで、海上ルートでの緊張事態に備えようとするものでもある。
言い換えれば、「新シルクロード」とは、その地域が単なる資源の貯蔵庫ではないことを意味する。つまり、新疆は巨大で国際的な物資の流れの通過点となるのだ。製品の円滑な流通を妨げるものがあってはならないのである。突然、中央アジアの抑圧されたムスリム諸民族を厳格に管理することが、北京にとって地政学的に決定的な問題となったのである。新疆とその周辺地域では、これまで以上に秩序が重要でなければならないというわけだ。
この計画はどこからともなく出てきたわけではない。ニューヨークでのテロ事件を受けて、2001年にはすでに、中国、ロシア、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタンが上海協力機構を設立していた(2017年にはインドとパキスタンにも拡大した)。そのイニシアチブをとったのは主にプーチンだった。プーチンは、彼自身の言によれば、チェチェンでは「トイレに至るまで、あらゆる場所でテロリストを叩いた」、つまり、モスクワの支配に抗して立ち上がったチェチェン人を粉砕したのである。
中国は、少なくともロシアと同じくらいには、「テロリズム、過激主義、分離主義の脅威に直面している加盟国の集団安全保障を確保する」というこの協力機構の目標に意欲的である。「カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタンの四カ国」が参加していることによって、プーチンと習近平の目的は理解しやすくなる。つまり、「テロリスト」や「分離主義者」、あるいは漠然と「過激派」と呼ばれる相手との戦いにおいて、中央アジアの旧ソ連共和国の警察組織の協力を確実に得るために、アメとムチを使い分けるということである。
その時から、中央アジアのイスラム教徒やその他の抑圧されたコミュニティは、明らかに彼らの視界に入っていた。それは今日においてより明確になってさえいる。このようにして中国は、カザフスタンからウイグル人組織に対する禁止措置を獲得したのである。
民族問題は、一般的には社会問題を包み隠すものでしかない。抑圧された民族的・宗教的コミュニティが経済的・社会的に奪い取られ、差別されているとき、彼らの正当な抗議が民族主義的形態や宗教的形態をとるのは何ら驚くべきことではない。レーニンはこのことを理解していた。レーニンは、「社会民族主義」と非難されたグルジアの共産主義者に対するスターリンの大ロシア的な残虐行為を遅ればせながら理解して、1922年に最後の力を振り絞って、次のような警告を発した。
「一般的な民族主義の問題を抽象的に提示してもまったく意味がない。抑圧民族の民族主義と被抑圧民族の民族主義……とを必ず区別しなければならない。後者の民族主義については、われわれ大民族に属するものは、歴史的実践のうちで、ほとんど常に数かぎりない強制の罪を犯している。それどころか、自分では気づかずに、数かぎりない暴行や侮辱を犯しているものである。……だから、国際主義は、諸民族の公式的平等を守ることだけではなく、強大な民族の不平等にこそ成立しなければならない。国際主義は、実践の中で生じている不平等を償うことでなければならない。このことを理解しない者は誰でも、民族問題に対する真にプロレタリア的な態度を理解できず……ブルジョア的見地に転落せざるをえないのである」。
レーニンは、墓の中でひっくり返っているに違いない。中国政権が新疆で大規模に、意図的に組織された数かぎりない暴力行為、不正行為、残虐行為をおこなっているのは「共産主義」の名のもとにおいてであるからだ。
反テロリズム口実に同化強制
この暴力をどのように特徴づけるのか? アメリカ政府や多くの資本主義メディアは、「ジェノサイド」について語っている。ジェノサイドとは、ある民族を物理的に絶滅させる企てのことだ。今日では、この概念を無差別に使用するという悲惨な傾向がある。われわれが新疆に関して語っているのは、ジェノサイドではない。
ECOLOがこの非難を繰り返すのは、極めて不適切だ。ジェノサイドであると定式化することによって、緑の党は真のジェノサイド―ユダヤ人、ツチ族、アルメニア人など―や帝国主義がその歴史の中で世界のあちこちで犯してきた惨劇(たとえば広島やドレスデン)を矮小化することに手を貸している。それに加えて、緑の党は、北京が明らかにプロパガンダである告発に対して責任逃れするのを助けている。
実際のところ、中国は、イスラエルがパレスチナ人を物理的に抹殺しようとは考えていないのと同様に、ウイグル人を物理的に抹殺したいわけではない。北京の意図は違ったところにある。つまり、新疆の先住ムスリム諸民族を文化的に破壊し、彼らのアイデンティティを純粋かつ単純に排除して中国化し、安い労働力として雇用するというものだ。
このプロジェクトを具体化するのは、焚書、母語[の使用]を規制する措置、信教の自由の制限、再教育キャンプ、人々を監視して告発するシステム、検問所、組織的な生体認証登録、「容疑のかかっている」親からの子どもの拉致、新型コロナウイルスでできた穴を埋めるためのウイグル人労働者の他省での雇用などであり、指示を受けた中国人職員(いわゆる「漢族のいとこ」)がウイグル人家族の中に一月のうち一週間入り込んで生活するといった特に非道なやり口は言うまでもない(訳注3)。
中国は新疆ウイグル自治区での政策が外に漏れないように懸命に努力しているが、中国の北西部が人間性に対する犯罪の現場であることは、ウイグル世界会議―ジハード主義とは無関係である!―に組織された離散した人々の手で十分に知られている。凶悪な犯罪は、圧倒的な少数派で逃げ場のない犠牲者に対して、強大な国家によって密室でやられるというさらに悪い条件のもとでおこなわれているのだ。
それは多国籍企業の資本家と欧米諸国が実際に加担しているオーウェル的な犯罪である。その一方で、指導者たちは「欧米民主主義」という神話を維持するために偽善的に「ジェノサイド」という非難をしている。
さらに、われわれが発表した記事が示すように、中国は新疆において、アメリカ帝国主義がイラクで、シオニスト国家がパレスチナで展開した弾圧戦略から取り出した方法を遂行している。しかし、以下の4つの違いがあり、それが北京の政策をもともとの政策よりも悪いものにしている。①戦略の予防的な実施、②居住区の党委員会と入植民族[漢族]の人々による協力に構造的基礎を置く毛沢東的なやり方、③非常に大規模な追跡と顔認識技術の使用、④野外刑務所に入れられているのと同じような自国内への監禁、住民はパレスチナ人のように屈辱的な支配を受けるだけでなく、大規模な強制的同化という攻撃を強いられている。
欧米(およびロシア)と同様に、中国でも「テロとの戦い」は、人種差別とイスラム嫌悪をともなって遂行される植民地略奪政策の口実として利用されている。欧米(およびロシア)と同様に、この「テロとの戦い」はテロリズムの温床となっている。つまり、発展するテロリズムは、テロとの戦いを正当化し、より抑圧的なものにするために効果的に役立っているのである。
上海協力機構の契機となったチェチェンの事例は役に立つものだ。つまり、「対テロ」軍事作戦は公式には2009年まで続けられ、モスクワは2001年に勝利したはずの戦争の終結を再度宣言しなければならないほどであった。この時期に起こったことは、紛争の「チェチェン化」、つまり、モスクワが弾圧の実行を委託する残忍な地方政府の設立であり、これは今日まで続いている。
ジハードに対する戦争の経験すべてが同じ結論を導き出す。すなわち、これらの政策は、爆発や残虐な紛争を引き起こすだけでなく、政治的問題(問題となっている住民の自治の要求)が決して解決されない、無限にお互いを助長する暴力のサイクルが出現する隠れた状況を生み出すのである。
「ブルジョア的見地」への転落
PTBは、イラクやパレスチナのことになると、こうした地獄のような力学を非難する。しかし、ウイグル人の問題に直面すると、突然困惑してしまうのである。PTBは、「テロに対する中国の対応には賛成できない」し、中国の対応は「あまりにも広範すぎる」と述べる。このつかみどころのない議論は、実際には、新疆の基本的な問題がテロリズムであるという考えに信憑性を与えている。
しかし、ウイグル人がアフガニスタンやシリアでジハードに参加し、(2013年に天安門広場で、2014年に昆明とウルムチの駅で、おそらく他の機会にも)中国国内でウイグル人によるテロ攻撃がおこなわれているとしても、問題の根源はパレスチナと同様に入植者の植民地主義であり、侮蔑的な植民地支配者の利益のために資源を奪っていることであり、自らの国を奪われた、新疆の場合はさらに自らの文化を奪われた人々に課せられた差別と屈辱の爆発であることに疑いの余地はない。この耐え難い不公正な状況(他の場所と同じように新疆でも、女性ははっきりとした犠牲者である)が怒りの爆発を引き起こすことに、その名に値するマルクス主義者は驚くべきではない。長引く不正に加えられる鉄の抑圧は、東トルキスタン・イスラム運動に代表される聖戦主義者の動きを助長するだけである。
緑の党には何も期待できるものはない。緑の党は新自由主義を運営し、きわめて仮定の話である「グリーン資本主義」を支持しているからである。
PTBについては、自分自身の過去の問題に苦しめられている。PTBがスターリンとイデオロギー的に親密であることを問い直す機会になるだろうか? PTBはそのことを自らの党員から隠しているが、否定したことはないのである。そうしようとすれば、PTBは歴史家モシェ・レヴィンが「レーニンの最後の闘争」と呼んだものの現実に直面しなければならないだろう。
投げかけられている疑問は、十月革命の指導者[レーニン]が、なぜ党内の大ロシア民族主義をあれほど激しく糾弾したのか、ということである。その理由は、レーニンが抑圧された小国に対する態度を、原則の問題、つまりその結果起こることを考えずに、侵してはならない問題と考えたからだった。「このことを理解しない者は誰でも……ブルジョア的見地に転落せざるをえないのである」。
レーニンがこのように主張したときに、彼がソ連を包囲している帝国主義に対する統一戦線の重要性を過小評価していたと考えてはならない。それどころか、彼は、それについて次のように述べている。「資本主義世界の擁護者である欧米帝国主義者に対して立ち上がる必要があるということと、われわれ自身が被抑圧民族に対して帝国主義的な態度に陥り(このことは強調しなければならない:筆者)、そのために、自らの原則的な誠実さと帝国主義に対する闘争の原則的な擁護について、疑念を抱かせることとは別の事柄である」。
レーニンが、この言葉でソビエト指導者の一部による大ロシア民族主義的な後退を非難したのは、……勝利した革命が、資本主義のガンを完全に一掃する準備ができているように思えた時のことだったのを思い出してみよう! 十月革命の指導者が、中国指導者たちによって満場一致で擁護されている大漢民族主義を前にして、何と言うかは容易に想像できるだろう。
その中国指導者たちは、もっとも残忍な資本主義の再確立を喜んでおこなっているのだ。レーニンは「ブルジョア的見地に転落せざるをえない」と述べたのだから。左翼の任務は、中国が企てている文化的絞殺に反対しているウイグル民衆への支持を表明することであり、北京の犯罪を恥ずかしげもなく隠蔽することではないのだ。
2021年4月28日
(訳注1)1884年に新疆省となり、1955年からは新疆ウイグル自治区となった。
(訳注2)2009年6月下旬、広東省韶関市の旭日玩具工場で、漢族によるウイグル人労働者に対する襲撃事件が起こり、ウイグル人二人が殺され、多数が負傷した。この事件は、工場の従業員寮で、漢族の女性従業員がウイグル人の男性同僚から性的暴行を受けたというデマがきっかけとなっていたという。その後、襲撃事件の様子がSNSなどで拡散され、加害者への処分が十分におこなわれていないと伝えられたため、7月5日にウルムチでウイグル人学生が事件の真相究明を求めてデモしたが、治安当局が発砲を含む弾圧をおこなった。
(訳注3)100万人以上の中国人公務員(そのほとんどが漢族)がウイグル人家庭に入り込み、抵抗の動きを監視・調査するとともに、ウイグル人を完全に同化させる試みの一端を担っていると報じられている。
(ダニエル・タヌロは、ベルギーの農学者・エコ社会主義環境保護活動家。『ラ・ゴーシュ』(第4インターナショナル・ベルギー支部機関誌)に寄稿している。)
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