パレスチナ 全域的に拡大した決起

「解放」が合理的な議論の主題に
民衆が闘争に転換点を印した
ウィッサム・アル・ハイ

 1936年の大ストライキ以後、パレスチナ人はこれまで、今回起きているような広さと強さと同じ程の民衆による集団的行動を経験したことがなかった。以前のあらゆる戦闘的な段階では、行動は、残りのパレスチナ人によって支持された、ひとつあるいはもっと特定の地域の行動に限られていた。今日パレスチナは、地元の民衆によって明確にされている新たな段階に向けて、そのあらゆる住民と共に立ち上がっている。そこでの若者たちは、昼も夜も、ロドの街頭に、ガザのトンネルに、ハリファの広場、あるいはジェニンの丘にいる。

「この戦争はこれまでと違う」

 屋根のない監獄であるガザは、ミサイルと植民地主義者の怒りでその空が燃え上がるのを再び経験した。2014年の衝突開始から55日後に銃火が静まって以来も、ガザでは戦争が停止することはなく、それは代わりに別の形態をとってきた。つまり、地域の諸政権およびいわゆる国際社会の共謀に基づき、イスラエルによって組織化された封鎖、再建交渉、そして住民の窮乏だ。
 ガザの抵抗に関しては、それはそのあらゆる諸派に基づいてその能力を強化し続けた。イスラエルは繰り返しガザに対する作戦を行うと脅してきた。そして抵抗派は、この脅しに対抗する準備はできている、と強く主張してきた。ガザでの戦闘は不可避に到来する、こう認めない者は誰一人いなかった。この等式における唯一の未知数はその環境とタイミングだった。
 「この戦争は違っている」、これは、あらゆる戦争とあらゆるエスカレーションに関しガザ住民の中で聞かれるフレーズだ。しかし今回の戦闘は、抵抗支持における前例のない満場一致であれ、その発展能力であれ、あるいはガザはもう孤立していないという感情を理由としてであれ、本当に異なっている。それはまた、植民地国家のミサイルが人間と建物に加えた破壊の極悪さを理由としても、異なっている。

今回ガザは孤立しなかった


 なぜならば、エルサレムにおけるできごとの加速的進展によって、またガザは前線に参加すべきとの住民何人かの呼びかけによって、続いてガザの人びとが、エルサレムへの支援を求めて、抵抗諸派指導者たちに圧力をかけることをためらわなかったからだ。そしてそれは、それらに必然的に伴う荒廃と殺害の危険に対する完全な自覚にも関わらす行われたことだった。
 これこそ、衝突開始に際してロケット弾攻撃を批判した僅かの声が周辺的にとどまった理由だ。何といってもそれらの声のほとんどは包囲されたガザ回廊の外部から来たのであり、それらの声は、抵抗行動を求める前例のない幅広い民衆的支持を理由に、急速に静まった。
 抵抗諸派の軍事的、政治的指導者たちがこれらの要求を心にとどめたことは確実だ。しかし、もっとも決定的な要素は、相変わらず、遅かれ早かれ到来すると思われた衝突にとっては、今回がもっとも適切な時だ、との抵抗の信念だった。そして、抵抗の最初のロケット弾あいさつ開始をもって、入植者たちはアル・アクサ寺院周辺地区を攻撃し、パレスチナ人からの歓呼は国中に拡がった。
 10年以上の間、ガザの住民は戦争とエスカレーションの波の中で、彼ら自身で戦争の矢面に立つことに慣らされてきた。その間パレスチナの残りでは、問題が西岸での支持デモ〔パレスチナ自治政府がそれを許可した場合の〕に制限された。また同じことは占領地内部でも真実〔イスラエルの善意の限界内で〕だった。
 今回の衝突に際した大きな驚きは、ラマラの自治政府が支配する西岸地域からの、植民地主義国家に公然と反抗するあらゆる試みとあらゆる連帯行動に対する、自治政府による抑圧にもかかわらず、イスラエルの虐殺マシーンに対しガザが孤立のままに放置されなかった、ということだ。ジャッファやハイファから三角地帯〔ガリレエの〕まで、またアル・ジャイルやアル・ナカブまで、パレスチナのあらゆる町と村の住民が登場した。ロド市は、もっとも暴力的な衝突の肖像になり、こうして「グリーンライン(イスラエルの占領区域を定めた境界線)内部の状況の特殊性」という伝説が誤っていることを示した。このすべては、パレスチナ人の夢見る能力、および自由を求める戦闘継続のために立ち上がる上での彼らの完全な用意の備えを再活性化した。

パレスチナ人自身が驚いている


 これはイスラエルにショックを与え、その民衆に対してはトラウマになるような目覚まし音だった。軍と情報機関はガザを、民衆に生き延びる余地を与える以上のものは何もない商品と援助の通過を許容することで、抵抗の沈黙を買いつつ、単純に包囲下に置くことが可能な二義的な戦線とみなした。他方他の戦線に関しては、敵は次のように信じた。つまり、すでにやっかいごとは解決を済ませ、1948年のナクバ以来の紛争が抱える心臓部から問題を引き離したと。
 しかしかつては戦場から遠く離れていたテルアビブが、ロケット弾の雨あられを受けることになった。そしてパレスチナ人大衆が今、植民地国家主要都市のまさに心臓部で反乱中だ。イスラエル内にはもはや安全なところがない。そしてそれは、ガザの民衆に大きな道義的励ましを与えた。そして彼らは、町々や村々で今起きている最中の映像や情報すべてを一心に追いかけはじめた。彼らはそこから推力を得てきたのだ。
 もっとよいこととして、彼らの多くにとって、帰還や解放について話すことが今や、合理的に討論されるひとつの問題と見え、もはや達成の困難な夢ではないと見えている。これが、夢という束縛すべてを克服することを可能にする非常な強さをあたかも発見しているかのように、パレスチナ人が自らどのような意味で驚くことになったかだ。
 ガザ人活動家のアウッサジが彼のツイッターアカウントに次のように書いたのは、この意味においてだ。つまり「最良なことは、現在の日々の後では、あなたがパレスチナの解放について話す場合、二度と再び夢想家とか極端な場合常軌を逸した者とかではなく、楽観主義者と見られることになる、ということだ」と。ラファト・アブ・アイシュの場合は、ビル・エッサバアから「今日解放が起きていないとしても、あらゆる人がそれはあり得ると実感したことで十分」とツイートした。
 今回の紛争がどう終わることになるかはまだ誰も分かっていないが、しかしながら確実なことは、それは、さまざまなパレスチナ人政党がつくり出した政治的限界すべてを打ち壊したことだ。そしてこれらの政党もまた、今回のできごとに照らして彼らの行動を再考しなければならず、そうでなければ消滅しなければならない。
 同様に、パレスチナ人の意識に及ぼした今回の影響は、彼らの闘争の歴史上の転換点として刻み込まれてとどまるだろう。そして、大きな苦痛と深い傷にもかかわらず、人々は、ガザのいつも通りの頑強さと一体的に、犠牲者であることを拒否し、炎に火をつける火花になる方を選んでいる。(フランス反資本主義新党機関紙、ランティカピタリストから英訳)

▼筆者はガザ人ジャーナリスト。(「インターナショナルビューポイント」2021年6月号)

【訂正】かけはし「6月21日号」1面、写真説明「JOC前でオリンピックはやめろとアピール」を「東京・晴海のトリトンスクエア前で」に、6面~7面の新疆ウイグル問題の論文の7面下から3段目右から5行目「歴史家モシェ・ルーインが「レーニン最後の闘争」」を「歴史家モシェ・レヴィンが」に訂正します。

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