米国 アフリカ系米国人に関わる第二の国民の祝日
平等を求める闘いへの意味とは
象徴から実質へ、闘い刷新の画期へ
マリク・ミオー
バイデンが勝利した大統領選後、共和党が知事と州議会を支配する州で、特にアフリカ系米国人を狙い撃ちにした投票権制限法を強化する動きが勢いを増している。トランプとその支持者が扇動する選挙不正キャンペーンがその動きに力を与えている。バイデンは投票権法制定を州の権限とするのではなく、連邦レベルの法にするよう訴えているが、共和党が抵抗しているだけではなく、民主党も一枚岩とは言えず、今後の展開には不透明さがある。その一方で、先頃、米国内で奴隷制が最終的に廃止された日を米国で11番目の国民の祝日にする法が、超党派で採択された。この矛盾した動きは何を意味するのか、米国の左翼に問われている課題を含めて以下で論じられている。(「かけはし」編集部)
新たな休日と黒人の権利の否認
ジューンティーンス独立記念日(6月19日にあたる)が最終的に米国における国民的祝日となった。
一本の法案が、ジューンティーンスを11番目の公式の連邦休日にするために、6月15日上院で満場一致で採択された。下院はそれを翌日採択し、ジョー・バイデン大統領はそれに署名し法にした。それは、アフリカ系米国人と関係する2番目の連邦休日に過ぎない。最初のものは、公民権革命の指導者であるマルチン・ルーサー・キング・ジュニアを称えるために1983年に宣言された。
ジューンティーンスの重要性は、アフリカ系米国人と全体としての国にとっては象徴以上のものがある。もしジューンティーンスが完全に実行され、黒人の歴史が米国史に合体されることができれば、それは、この国の発見と過去に関するレイシズムが客観的に論争の対象になり得る可能性を印すと思われる。
多くの白人たち――その過半ではないとしても――は、黒人の歴史と白人の歴史を統合する教育を拒否している。白人だけが完全な市民権をもっていた時代に戻ることを追求している白人の過激派と進歩派の間にはひとつの衝突がある。
レイシストの極右と強硬派共和党は今、黒人と他の民族的マイノリティに投票権とどのような政治的な権力をもつことも否認する、法的な戦略を追い求めている最中だ。これが、公民権運動が1965年に投票権法を勝ち取るまでは正常だったのだ。
その法と他のものが実施に移された後、アフリカ系米国人は市や州や連邦の公職者にかなりな数で選出され始めた。黒人は、ビジネスやスポーツの中、高層レベルに統合され始めた。
1980年代以来、これらの成果の多くが攻撃の下に置かれてきた。投票権法は2013年に最高裁によって空洞化された。その時以来、黒人と他の者の投票権をひっくり返そうとする圧力が度を強めてきた。 確かに上院と下院は、奴隷制の終わりを認め新たな国民的休日を加えると票を投じた。なぜか? 共和党にとっては、休日一日によって動産としての奴隷の制度が終わったことを認めることは、不平等と制度的なレイシズムについて語られたり行われたりする必要がこれ以上何もない、ということを意味しているのだ。
ボストングローブ紙のアフリカ系米国人コラムニストのレニー・グラハムは、共和党のジューンティーンス休日に対する支持の背後にある偽善を暴き出し、「〔共和党の〕上院議員、ケンタッキーのランド・ポールは反リンチ行為立法を困難な状況に追い込んだ。サウスカロライナの上院議員、リンゼイ・グラハムは米国における体系的なレイシズムの存在を否認している。白人の国会議事堂襲撃者の特性付けを愛国者としているウィスコンシンの上院議員のロン・ジョンソンは、彼らがもしブラック・ライヴズ・マター運動の活動家であったのであれば、少しばかり懸念を感じていただろう、と語った」、「これらの上院議員すべてがジューンティーンス……を連邦休日にすることに賛成した。二党支配体制を守るための偽善を思い違いしてはならない」と語った。
ワシントンポスト紙コラムニストのクリスティン・エムバは、ジューンティーンスを「7月4日の地位へと」持ち上げることは「すべてを変えることにはならないかもしれない」、と書いた。しかしながら次のように続けた。
共和党の偽善、それでも勝利だ
「歴史はその勝者によって書かれている」そして「われわれの物語を象徴させることは、われわれもまた最終的には勝者であること」また「黒人が尊重されることを意味する」。「それは、われわれがわれわれの過去の真実と折り合うにつれ、もっと困難な会話――和解に関する、賠償に関する、今も非常に多く存在しているレイシズムに関する――が始まるための場が与えられる、ということを意味する」。「人種問題の認識は米国で常に十分というよりは少なかった。進歩は前進しては戻るテキサススタイルの2歩になっている」。「ジューンティーンスそれ自身はこれを映し出している。それは、失望と混ぜ合わされた進歩が籠もった休日だ。黒人の米国人は彼らの自由を告げられた。確かに、しかし何年も遅らされて。それは、元々決して存在してはならなかったものの終わりの祝いだ。そしてそれはいずれにしろ祝われている」。「新たな休日は不十分だ。しかし〔フレデリック〕ダグラスが7月4日に関する論考で結論にしたように、われわれはあきらめて座りこむよりも多くのことができる。暗い絵柄にも関わらず私は、国民国家の象徴にされたこの日を得ている。私はこの国に絶望していない。そこには活動中の勢力があり、それが否応なく機能するに違いない」、彼はこう語った。
ジューンティーンスは、深い共感に値し、アフリカ系米国人にとって全面的な平等を求める闘いでひとつの武器になる可能性のある、重要な勝利だ。
ジューンティーンステキサス、1890年
1865年6月19日――南北戦争が終結して2ヵ月後――、連邦軍(南北戦争時の北軍:訳者)大将のゴードン・グランジャーがガルヴェストンのバルコニーに歩み出、テキサスで奴隷にされていた25万人以上が自由になったと発表した。
アブラハム・リンカーン大統領は、解放令で2年半前に彼らを自由にしていた。しかしテキサスが戦闘で連邦軍部隊に決して降伏しなかったため、彼らは奴隷のままにとどめられたのだ。
奴隷制は最終的に終わった。議会は1865年に米国憲法に対する13次の修正を採択し、奴隷制を終わらせ、解放された元奴隷の人々に市民権を認めた。14次修正(1868年)と15次修正(1870年)は、それらの基本的な変更を成文化しようとした。
しかしながら奴隷制の終わりは黒人たちに平等をもたらさなかった。投票権は(支配者によって特権とみなされて)まったく成文化されず、「州の権利」が、アフリカ系米国人と非白人の権利を制限するために以来ずっと利用されてきた。その非白人には、アジア、ラテンアメリカ、アフリカからの移民が含まれている。さらに先住民衆は1924年まで米国市民とは見られていなかった。
歴史は、アフリカ系米国人をあらゆる方法で白人と平等にするための、白人至上主義のイデオロギーと権力を拒絶するための、流血を伴う闘いから作られてきた。まったく驚くことではないが、黒人は、1861―65年のまだ終わっていない第二次革命まで、1776年の英国からの独立革命戦争の勝利を彼らにも当てはまるとは見なかった。
フレデリック・ダグラス
「米国の奴隷にとってあなたの7月4日とは何か?」、1852年にフレデリック・ダグラスはこう問いかけた。ダグラスは、元奴隷であり、19世紀における最大のアフリカ系米国人のスポークスパーソン、かつ指導者だった。
大したものではない、が彼の結論だった。白人の米国人は抑圧体制からの独立を祝った。しかし奴隷にされた黒人は不自由なままだったのだ。
ダグラスの演説は米国内にしつこく残っている人種的不平等の象徴としてとどまっている。彼は「そこであなたが……喜んでいる祝賀は共通に祝われているものではない」、「あなたの宗教的パレード、祝賀すべては、……単なる大言壮語、偽物、欺瞞、また偽善だ」と語った。
この国は21世紀の業績を、特大化された自尊心をもって――それらの業績がある者たちに対して十分に具体化されているにすぎない場合でさえ――過去そうであったように祝わっている。
6月19日は何年も祝われていた
150年の間黒人の人々はジューンティーンスを祝ってきた。しかし2020年の夏、警察によるジョージ・フロイド殺害に続いた抗議の中で、またその後の黒人の物語りに対する認識の遅れてきた波の一部として、この日付けは幅広い全国的かつ人種横断的な注意を獲得した。
大企業――ツイッター、ナイキ、NFLを含む――はジューンティーンスを、それらの企業内における公式休日にした。多くの政治家が演説でこの日を称えた。象徴的変化は――この日が到達したものがそうだとして――実質的な改善と同じものではない。反レイシズムの文書目録はアフリカ系米国人が警察によって殺害されることを止めてはこなかった。企業の多様性、公正、包摂のワークショップも、レイシズム的差別による富の格差を閉じてはいない。
ジム・クロウ2・0が浮上中
現代の隔離政党――共和党――は、前大統領のドナルド・トランプと上院、下院、州議会にいる彼の忠実な共犯者によって率いられている。共和党員がこの新たな休日設立に票を投じている中で、彼らは投票権を連邦レベルにする新たな法を阻止した。諸々の州が新たな投票制限を導入した。それはわれわれを、連邦軍部隊が前奴隷維持州から撤退させられた1877年の、「ラディカル・リコンストラクション」(連邦下院の主導権を握った共和党急進派が連邦軍派遣による監督を含めて、南部諸州の民主化を追求したプロセスと時期を指す:訳者)の終わりへと連れ戻す。
新たに勝ち取られた投票権を守るために、解放された奴隷と白人の急進派によって、これらの前南部同盟州でひとつの戦闘が起こった。1890年にひとつの転換点が到来した。その時、連邦選挙保護策を求める下院の議論が、北部共和党の共謀の下に隔離派によって止められたのだ。
当時隔離派政党だった民主党は、黒人共和党支持者を抑圧し、共和党を公職からたたき出すために、暴力――クークラックス・クランのような民兵集団による――に訴えた。白人の民主党は、州議会の支配を達成した後、それ以前からの努力をさらに増し、広範な法による公民権剥奪にこぎ着けた。1890年から1908年までに南部諸州は、特に白人スタッフがいわば差別的なやり方で統治にあたった時、有権者登録と投票をさらに困難にする、そうした新憲法、憲法修正、法を導入した。
彼らは南部で、黒人市民と多くの貧しい白人から公民権を奪うことに成功し、州の有権者名簿は劇的に厚みが減少した。この地域では、共和党は消滅に近かった。「ラディカル・リコンストラクション」の完敗は、100年近いジム・クロウのアパルトヘイト型の諸法体制に導いた。これらの諸法は、1965年の公民権法採択の後まで終わることはなかった。
またその敗北は、社会主義革命がうまく進むことも妨げた。白人労働者たちが、黒人が平等になれば白人が犠牲になるという、また人種に関する(でっち上げの社会構成概念)、そうした嘘を受け入れたからだ。トランプは自身を、何百万人もの白人が早くから保持してきた観点を代表するスポークスパーソンとして位置づけたのだ。これは、真に多人種的なブルジョア民主主義の可能性、また社会革命と黒人の自己決定をもたらすために求められる労働者階級の連帯の可能性を押し戻した。
反撃には街頭での闘いが必要だ
あらゆる市民に対する全面的な平等への支持から白人を引き離し続けるために、そして白人の支配階級を権力にとどめるために、人種が今再び支配階級によって利用されている。
1960年代の都市反乱を受けて、政府の一委員会が、アフリカ系米国人と白人が分かっていたことを、つまり米国にはふたつの隔てられた、また不平等な国民――ひとつは黒人、ひとつは白人――がいる、ということを認めた。
ジム・クロウ2・0が浮上中だ。不平等に反対する対抗的な革命も湧き立ち続けている。それは、一世紀前に起きたことの繰り返しに導く可能性もあると思われる。
たとえばエムバは「6月19日の新たな休日は、アフリカ系米国人にもっとも重く降りかかり続けている具体的な不公正、つまり貧困、国家の暴力、投獄、環境的な危険、医療利用の貧困、金融的差別の遺産、そして政治力への制限、を直すことはないと思われる」と書いた。
ジェシー・ジャクソンやウィリアム・バーバーを含む公民権運動の指導者たちは、6月23日に国会議事堂での抗議行動を率い、投票権に関する論争を否認するために利用された上院の議事妨害(ジム・クロウの一遺物)を終わりにするよう求めた。米国は、投票権のような重大な課題に関する論争を実現するために圧倒的多数を必要とする、世界で唯一のブルジョア民主主義の国なのだ。
前警官のデレク・チョービンは6月25日に、ジョージ・フロイド殺害の廉で22・5年の懲役刑判決を受けた。フロイドの死は国際的なブラック・ライヴズ・マター運動に火を着けた。ミネソタの歴史上、黒人の男を殺害したことでこれまでに有罪を宣告された警官はひとりもいなかった。それはひとつの勝利だ。しかし、これらの犯罪を理由にした警官の起訴がもっとうまく進むと期待する者はほとんどいない。
一方で、公職に選出された民主党のトップは、投票権を守るために、また警察行為を改良するために、合法的な行動や立法行為に焦点を絞っているが、しかし上院で少数派が支配する状況を終わりにすることは拒否している。
上院共和党が民主的な選挙をひっくり返し妨げるために上首尾に動くならば、1877年後に起きたことが再び起きる可能性も考えられる。われわれは、街頭で闘わなければならない。そして、投票権を粉々にし、無実の黒人を殺害するために、合法的な暴力と超法規的な暴力を利用すると思われる者たちを打ち破らなければならない。
ジューンティーンスを、あらゆる多民族的多様性を保持した労働者階級による、全面的な平等と労働者階級の解放を求める闘いを刷新する画期にしよう。(「グリーン・レフト・ウィークリー」より)
▼筆者は、退職航空整備士であり、労組活動家であると共に、反レイシズム活動家。また「アゲンスト・ザ・カレント」誌編集顧問。(「インターナショナルビューポイント」2021年7月号)
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