キューバ 抗議についての現地報告(9月13日号)

7.11は反革命ではなく危機打開求める抗議

社会的爆発の主要根源は国内に
労働者民衆排除の政治が問題だ
コミュニスタス

 コミュニタスは、できごとから4日経って、また徹底的な分析の後、7月11日にキューバで起きた抗議行動についての公式的立場を明らかにする。
 7月11日にキューバは、ほとんど同時的に、また多少とも激しさを付随して、国を構成する14県のうち少なくとも6つを含む一連の社会的爆発を経験した。同志フィデル・カストロにより指導された革命の勝利以後の62年の中で、キューバはこれまでこのような情勢に直面したことはなかった。
 最初の抗議行動は平和的に始まったとはいえ、ほとんどすべてのデモは最後は暴力を経験し、それは双方の側によって行われた。この同時的かつ反政府のデモの一連は、社会主義キューバではこれまで一度も見られなかったものだ。これは、できごとを理解するために考慮に入れられなければならないものだ。
 思い起こされなければならないこととして、キューバでは、最後の大規模デモは後にマレコナーゾとして知られる1994年8月5日まで遡る。そしてその抗議は現場へのフィデル・カストロの登場で、2、3時間のうちに抑えられた。中心の地区で反政府スローガンを唱和する200人のデモは、キューバ社会ではほとんど想像しがたいものだ。それでもハバナで、少なくとも3000人の自然発生的な行進が起きた。

ハバナ:3000人内外が行進


 抗議――首都から僅か100㎞しか離れていない位置にあるサン・アントニオ・デ・ロス・バフィオス市で勃発したデモが引き金になった――はすぐさまハバナに広がった。現地時間午後3時ちょっと過ぎ、およそ200人が市中心部のラ・フラテルニダード(友愛)公園に繰り出し、その後国会議事堂であるカピトリオ前に移動した。
 抗議の最初の1時間では、警察の検挙は散発的であり、少なくとも戦術的に抗議参加者が行進することを容認し、参加者は、共産主義青年団全国ビューロー本部とスペイン大使館の間に位置するマキシモ・ゴメス公園まで移動した。
 その時までに500人以上の人々が、散発的な逮捕が続く中、公園の遊歩道に平和的に集まっていた。
 その後、およそ100人の1グループがキューバ国旗と7月26日運動(主要に都市で展開された反バチスタ独裁の運動、「7月26日」はカストロが最初に挑み失敗した蜂起〈モンカダ兵営襲撃〉からとられている:訳者)の旗を振りつつ、社会主義のスローガンと政府支持を示して平和的にマキシモ・ゴメス公園に出てきた。同時に、共産党と共産主義青年団とつながる他の諸グループが、内務省の軍事学校生徒と共に、その地域を占拠した。
 抗議行動参加者たちは自発的に動員を解き、少なくとも抗議の発端となったハバナでは、ほとんど衝突もなく抗議行動は終わったように見えた。しかしながら後になって、行進はハバナの重要な街頭を貫いた長いデモになった、ということが分かった。抗議の行進が進むにつれ人々がそれに加わり、非公式の情報源が出したデータによれば、2000人から3000人の抗議の民衆が政府反対のスローガンを唱和した。

衝突実態と弾圧は今も詳細不明

 抗議の民衆は象徴的な革命広場に向かうことを決めた。そこは、大統領府本部、共産党中央委員会、内務省、国防省、主な全国紙本社が位置している場所だ。デモはこの広場近くで、警察の治安部隊と親政府の市民グループにさえぎられ、暴力的衝突となった。そしてそれは、まだ数が不明の逮捕者と負傷者をつくり出した。
 同時にハバナの10月10日通りでは深刻な暴力的展開があり、2台の警察車両がひっくり返された。
 その後、子ども病院への投石のような、深刻な破壊行為のビデオが流された。抗議の中での非武装市民であるディウビス・ローレンシオ・テヘダの死亡が確認された。これまでのところデモの結果としては、他の死亡は1例も伝えられていない。
 抗議参加者、および彼らとぶつかるために現れた市民の両者とも、主に石と棒きれによる暴力を使った。双方の負傷者数は分かっていない。現場での拘留者数も、この抗議に関連した事後逮捕の数同様分かっていない。われわれは今も、6日過ぎても依然不法に拘留されている市民の人数を知らされていない。
 抗議行動がハバナで起きる中、同様なできごとが、より重要性の小さな他のところを含めて、バヤモ、マンサニロ、カマギュエイ、サンチャゴ・デ・クーバ、ホルグインの都市で展開した。これらもまた終わったが、いくつかの場合では始まりも暴力的だった。

抗議の根源と本質、9つの特性

 7月11日のキューバにおける抗議には3つの特性づけが行われてきた。政府は、それらは共産主義者と反革命派の衝突、と主張している。ブルジョア報道は、それらは独裁に対決して立ち上がっている抑圧された人々を代表した、と語っている。他のものは、これは政治的に堕落した官僚制に反対する革命的労働者階級だった、と論じている。
 この3つのどれも、抗議の性格を理解する上では有益ではない。現実には、7月11日の抗議は先の3つの観点が集まるものだった。つまり、共産党を暴力的に攻撃している反革命的な諸組織――米国から資金提供を受けた――、検閲に直面し、市民的自由を厳しく制限されていると感じている知識人のグループ、そして、政府が彼らの生活条件を改善するよう求めている労働者階級だ。
 しかしながら、抗議参加者の圧倒的多数は第3のグループに属しているとはいえ、この部分を、停滞感漂う官僚制を抜け出しもっと程度の高い社会主義を求めるような、政治的に意識的な大衆と理解してはならない。
 7月11日の抗議には以下の9つの本質的な特性がある。

基本的必要品の
おそるべき欠乏
1.抗議参加者のほとんどは反革命的な諸組織には結びついていず、抗議は反革命的組織によって指導されたものでもなかった。
 デモの直接的引き金は恐るべき物不足によって生み出された不満だった。そしてそれは、経済的危機、米政権によって課された経済制裁、そして国家官僚制による問題含みで非効率な管理によって引き起こされた。
 それは、食料と保健製品の不足であり、さらに外国通貨を通してのみ利用可能な、また基本的な製品の供給品を退蔵している自由兌換通貨店舗の存在だった。パンのような基本食品を買うための長い行列、医薬品の不足、銀行への現金でのドル貯金制限、公共サービス価格の上昇(ハバナの交通料金は500%上昇を経験した)、補助金削減、猛烈なインフレ率、基本的な製品のコスト上昇、さらに長い停電、などがある。
 これらが、社会的爆発の助けとなるようなシナリオを生み出した客観的な要素だ。

多方面的な
危機の蓄積
 キューバは同時に、30年間で最大の経済危機を経験中だ。2020年にキューバのGDPが1%成長するためには、国には450万人の観光客来訪と国際市場における価格安定が必要だったと思われる。しかし2020年には代わりに、観光客が150万人に減少し、世界経済は危機へと突入した。
 外国人訪問客の減少は、2020年に約30億ドルの損失を引き起こした。キューバは食料の約80%を輸入し、政府はこの目的のため20億ドルを割り当てている。
 中国におけるささやかな回復を別にすれば、キューバの貿易相手の残りは、経済後退に陥った。2021年6月までにキューバが受け入れた観光客は13万人にすぎなかった。国の蓄えのほとんどは2020年までに消費された。
 新型コロナウイルスへの公衆衛生緊急対応は、キューバ経済に深刻な損害を引き起こした。この上に、ドナルド・トランプが課した厳しい制裁を加えなければならない。それは、ジョー・バイデン大統領によっても解かれていず、封鎖の影響を強めている。
 しかしながら、問題がテーブルの上に食料を載せることとなれば、労働者家族にとってキューバ経済が危機にある理由は問題ではない。政府の正統性が次第に腐食する途上にある場合、それはなおのことだ。

2.政府の政治的正統性は相当程度消失が進行中だ。
 公式の政治的議論は効果に欠け若者に届いていない。公式青年組織の政治宣伝は、若者には合っていない。これは、抗議内部の大人数になった若者たちによって示された(正確な数を知ることは今のところ不可能だ)。
 数年にわたる危機による消耗と国家運営の蓄積された過ちは、ひとつの影響をもたらしてきた。これに加えて、現政府は革命指導部の歴史的正統性をもってはいない。
 ますます見えるものになっている生活水準の違いと一体的に、国の指導部と労働者階級の間には、広がる一方の溝がある。

政府支持は多数
だが不満も強い
3.抗議は、最大の社会問題を抱える労働者階級居住地区で起こった。キューバ社会では社会的不平等が問題であり、それは大きくなり続けている。貧困、社会的無視、公共政策と社会政策の不安定さ、食料や基本的生産物の国家による限られた配給、さらに貧困な文化政策が、周辺的で低所得の居住区域における生活の特性だ。
 これらの地域では、イデオロギーの前に生き延びが来る形で、政治意識が後退する傾向にある。政治的論議は普通の民衆の日々の必要に向かうものになっていない。これらの社会経済的に傷つきやすい居住地区では、国の指導部が高い生活水準を確保していると受け取られている。

4.抗議は多数を代表するものではなかった。キューバ住民のほとんどは政府を支持し続けている。抗議参加者は事が起きた地域の住民から支持を得ていたのは事実だが、住民の重要な部分もまた、この抗議を拒否した。ハバナの抗議は全体としておよそ5000人を集めたとはいえ、それはそのままデモが多数派の支持を得たということではない。
 キューバ政府によってこうむらされた政治的退歩にもかかわらず、キューバは今なお、革命の遺産の貯蔵庫であり、フィデル・カストロのイメージと社会主義の想像力に関する支配的影響力が助けになっている。キューバが多数派内部に相当な政治的正統性を作り上げているのは、大きくは先のような仕組みを通している。

スローガンの
政治性格は?
5.抗議行動の中には社会主義的スローガンはひとつもなかった。デモの中で押し出されたスローガンは、「パトリア・イ・ビダ(故国と生命)」「リベルタード(自由)」「アバホ・ラ・ディクタドゥーラ(独裁打倒)」、および大統領のミグエル・ディアス・カネルへの攻撃、に焦点を合わせていた。「パトリア・イ・ビダ」は、マイアミから、また右翼反体制派によって広められた、あからさまに右翼的な歌から引かれているスローガンだ。
 言及された他のスローガンには、市民的自由を求める性格があるが、それは社会主義的要求を意味しているわけではない。検閲に反対する要求やより大きな市民的自由を求める要求の範囲を超えて、「独裁打倒」のスローガンはしばしば、キューバ右翼と反革命派によって使用されている。
 コミュニスタス編集部メンバーは、フィデル・カストロや社会主義に反対してはいなかった、またその動機がより良い生活の要求であった抗議参加者に向けて発言した。しかしながらこの違いが抗議行動の中で明らかな形にされることはなかった。

6.少数の知識人がこの抗議に関係をもった。主には11月27日運動(アーチストへの抑圧に反対し、表現の自由を求めた運動:訳者)の一部である知識人の少数派グループは、表現の自由と検閲のない芸術創造の自由に集中した、市民の権利を求める役割を引き受けた。しかしながらこれは、今回の抗議行動の中心を占める性格ではなかった。この理由は、異論派知識人の要求が多数の必要に対応していなかったからだ。そしてその多数は生活の基本的な改善を求めて抗議していた。

反革命の宣伝も
一定の力及ぼす
7.非正規未組織労働者がひとつの重要な役割を演じた。これらは略奪や騒乱の暴力行為を行ったグループだった。そしてそれらはハバナにおけるデモの元々の平和的な精神をねじ曲げた。

8.反革命の宣伝が抗議組織化の中で一定の役割を果たした。これは抗議の引き金を引いた主な要素ではなかったというものの、ひとつの強力な右翼的キャンペーンが、公然とキューバ政府の打倒に焦点を当てて、ソーシャルネットワーク上で米国から組織された。このキャンペーンは住民の重要な部分にひとつの強い影響を及ぼした。キューバ人の440万人が携帯電話からソーシャルネットワークにアクセスできる。

9.いくつかのデモが暴力的になった。ハバナでのデモは、当初散発的なできごとを除いて平和的なやり方で起きた。しかしながらデモは、デモ参加者が革命広場に入ろうとした時、警察部隊と政府支持派の市民との間で深刻な衝突へと、荒れた性格に変わった。双方の側が暴力的な行為に巻き込まれ、非武装の市民に重傷者をつくり出した。暴力的な諸グループが、騒乱行為を行い、棒きれや石で共産党活動家と政府支持者を攻撃した。

わが編集委員会創設者である同志フランク・ガルシア・ヘルナンデスが逮捕された理由

 デモの開始以来共にいた友人の家に向かう途中だった同志フランク・ガルシア・ヘルナンデスは、偶然にも革命広場近くで起きた暴力的衝突の現場のひとつに到着した。フランクはその開始から抗議行動に姿を見せていたが、共産党員として参加した。抗議参加者がマキシモ・ゴメス公園を離れた時(6時頃)、フランクと彼の友人は、抗議行動は終わったと受け止めた。それが両者が家に向かった理由だった。
 友人宅の建物は、抗議参加者と警察部隊間で暴力的衝突が起きたところから200メートルもないところに位置している。ちなみに警察部隊は、抗議参加者の革命広場進入を阻止しようとした。同志フランクによれば、彼らがアイエスタラン通りとアラングレン通りの角に着いた瞬間、銃声が聞こえたという。両人は最後に、警官を伴って行進していた親政府派集団の中にいた。
 その時フランクは偶然にも、コミュニスタスの文書を再掲してきた出版物でLGBTIQの権利の雑誌である「トレメンダ・ノタ(恐るべき覚え書き)」の責任者であるマイケル・ゴンザレスに会った。マイケル・ゴンザレスは、行進の始まりから2グループ間の暴力的なできごとまで、その進行に参加し、どのような暴力的な行為も行わなかったとはいえ、この抗議参加者に加わってきた。
 同志フランク・ガルシアの前で抗議行動が終わろうとしていた時、警官がマイケル・ゴンザレスを、治安部隊に石を投げつけたとの間違った嫌疑で検挙した。フランクはこれを見て共産党員としての立場で、警官とマイケルの間を穏やかなやり方で取りなそうとした。
 マイケルを逮捕しないように求めて警官を説得しようとする中で、フランクもまたこの警官により逮捕された。警官はフランクを、暴力行為を行ったとして、また抗議参加者の側にいたとして非難した。その後当局はこの非難が虚偽だと立証している。

7・11の逮捕者の即時釈放を


 この逮捕は午後7時頃に起きた。ふたりはもっとも近い警察署に連行された。その後午前1時30分頃フランクは別の拘置所に移され、そこで事実がすぐ明らかにされ、彼が暴力行為に参加していなかったことも、デモに対立するグループにもいなかったことを示した。
 同志フランク・ガルシアは、マイケル・ゴンザレス・ビベロと共に7月12日午前8時頃釈放された。
 24時間ちょっとになる彼の拘置の中では、どのような肉体的虐待も拷問も受けなかった、フランクはこう確認している。フランクは現在拘束されていないが、移動可能性が規制される予防措置下にあり、移動は職場と医療利用に制限されている。しかしながら彼は、日々の移動に関し当局に何らかを報告する必要はない。この法的措置は、暴力行為やデモへの不参加が公式に明らかにされるまでに従うべき手続きの一部だ。
 コミュニスタス編集委員会は、フランク・ガルシア・ヘルナンデスの釈放を求めた国際連帯の印象に残る波をありがたく思う。コミュニスタスはまもなく、この国際主義的キャンペーンに関する詳細な報告を発表するつもりだ。そしてそれを通じて、わが同志の自由のために闘った人々と諸組織に公正な認識が明らかにされるだろう。
 留意の価値があることだが、この抗議行動の中で、編集委員会メンバー、われわれの出版の協力者や同志では他に誰も逮捕されなかった。
 しかしながらこれは、われわれの出発点は革命的公正さに対するわれわれの単純素朴な感覚であるがゆえに、彼らが他の人々のいのちを脅かす行為に関わっていなかった限りでという条件で、7月11日のデモにおける拘留者の残りの即時釈放を求める妨げとはならない。(2021年7月17日、キューバ某所)

(注)この声明が公表された時点でコミュニスタスは、政府と街頭デモに出かけた反政府派双方が行った呼びかけを認識している。明らかに、双方ともラ・ピラグアとして知られるハバナの同じ地点に集まるよう呼びかけていた。コミュニスタスは、双方の呼びかけを拒否している。毎日6000件以上の感染のあるコロナウイルスによる公衆衛生状況の深刻さを考慮した場合、それは無責任な呼びかけだと考えるからだ。しかしもっと大きな力を込めてわれわれは、2グループ間の衝突で起きるかもしれないあり得る暴力行為すべてを非難している。
※この論考の初出はコミュニスタスウェブサイト上に公表されたスペイン語論文。「ソーシャリスト・ワーカー」上に英訳掲載された。(「インターナショナルビューポイント」2021年7月号)  

THE YOUTH FRONT(青年戦線)

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