書評『香港の反乱2019 抵抗運動と中国の行方』(10月18日発行)

區龍宇著/柘植書房新社/3000円+税
プロミス・リー
香港:反乱とその運命

 區龍宇の著作『香港の反乱2019 抵抗運動と中国の行方』(寺本勉訳)が柘植書房新社から出版された。この本は、2020年8月に英語版がイギリスで出版され、邦訳が待たれていたが、今回ようやく日本語版が出版されることになった。本書の特徴は、2019年に香港で闘われた大衆的な民主化運動について、「著者とともに香港の反乱のさまざまな場面に参加しているかのような臨場感を味わえるとともに、それぞれの局面での運動の持つ課題や意味について理解することができる」(訳者あとがき)点である。この書評は、本書の中でも触れられている海外在住の香港人活動家のサイト『流傘』のメンバーであるプロミス・リーが今年初めに書いたものである。
 「二〇一九年に起こった二つの出来事、つまり二〇一九年反乱と新型コロナウイルスは、中国本土と香港の双方にとって転換点となった。それは『改革開放』期間中に蓄積されてきた『大中華圏』の根本的矛盾を白日のもとにさらけ出した。その二つの出来事はまた、現状を変え始め、中国の一党独裁体制をさらなる大きな試練にさらした。」
(區龍宇『香港の反乱2019 抵抗運動と中国の行方』248頁)。

 香港での一年間にわたる爆発的な闘いは、現代史においてもっともライブ配信や放映された反乱の一つだが、その詳細については困惑するほど知られていないという特徴がある。それは右翼による運動なのか? それは国家独立をめざす闘いなのか? [闘いの]さまざまな当事者はどんな人々なのか?
 區龍宇のタイムリーな著書は、運動の長期化した闘いが、世界的なパンデミックの中で中断を余儀なくされていた時期に書かれたもので、この運動の時系列を簡明に記録しているだけではなく、香港の政治状況や歴史についても鋭い洞察を加えている。
 本書は、長年にわたる左翼活動家と闘争参加者という視点から書かれており、運動をきわめて詳細に証言するとともに、そのイデオロギー的複雑さを理解した上で説明している。本書は、この運動の反動的な要素について弁解することなく、抗議行動参加者がおこなった多様な政治的選択を見事に分析しているのである。
 區龍宇は本書の中で、「ドラゴンとガチョウ」という発想を軸にして、北京と香港との微妙な関係―中国共産党は長い間、香港を冷徹な経済的観点から見てきた―について説明している。
 「北京にいるドラゴンは、これまで常に香港を金の卵を産むガチョウとして扱ってきたが、ガチョウをうまく扱ってきたと信じてもいた。しかし、ガチョウはそんな風にはドラゴンを見ていなかったのだ。」(同書248頁)
 香港は、1980年代に市場改革が始まって以降、中国共産党という「ドラゴン」のために「金の卵を産むガチョウ」として、中国プロレタリアートを搾取的な欧米市場に開放する手助けをしてきた。「二つの資本主義」―香港の自由放任システムと中国の「国家資本主義」―は、「国家資本主義が侵略的なグローバル資本主義から中国を守」る(同書19頁)という形で相互に補完し合っていた。
 毛沢東が香港問題を持ち出すのを嫌がっていた頃から、香港は長期にわたって、北京や欧米にとって交渉を有利にするための切り札だった。北京はイギリスによる気まぐれな植民地システムに香港を任せていたのである。
 ある意味では、區龍宇の視点は、植民地権力との緊張関係の中で形成された都市において成長した自らの経験と、昨年の闘いの前衛を担った新たな「1997年世代」の経験とを結びつけるのに役立っている。
 この世代は、[香港の]主権移譲という影の中で成長してきたが、北京の専制主義国家が維持してきた植民地的・資本主義的枠組みによって搾取される一方で、欧米を唯一の選択肢と考えるというダブル・バインド[どちらを選んでも悪い結果になること]に陥っていた。
 その結果、「1997年世代」は追い詰められ、中国から「欧米の手先」と非難されることになった。區龍宇の属する1970年代世代と同様に、「1997年世代」はもう一つの「失われた世代」なのだ。その世代は、あらゆる矛盾を抱えながらも全力で反撃してきた世代だった。

運動の矛盾点


 本書は「反乱のアウトライン」「反乱の当事者たち」「反乱でのさまざまな闘い」「反乱の問題点」「ドラゴンとガチョウとコロナウイルス」という5つの章で構成されている。運動のあらまし、運動の主な関係者、重要な諸事件、そして政治的問題がどのように闘争の中で表現されたのかを詳細に述べた上で、第五章では本書の中心的な主張を要約し、さらに今後の方向性のための提言を述べている。
 第1章では、香港本土主義の台頭、昨年の反乱がどのようにして大衆運動になったのか、なぜ左派は最初から周縁化されていたのか、についての必要不可欠な背景が示されている。
 本土派がすべて右翼というわけではないが、區龍宇はしばしば見過ごされている重要な側面を挙げている。つまり、右翼本土派は、2014年の雨傘運動の終わりから攻勢に出て、左翼を無力だと積極的に中傷し、新しい世代の活動家全体にとっての基礎を築いてきたという面である。そうした新しい世代の活動家は、体制に対する急進的戦術と、民族主義や外国人嫌いの粗野で抑圧的な感覚とを組み合わせなければならないと確信しているのだ。もう一方では、右派もまた、組織的・思想的なまとまりを欠いていた。その結果、若者や新たな世代に後押しされた真の大衆運動が生まれた。それにもかかわらず、運動は長年にわたって右翼思想に影響された本土派の枠組みを受け入れてきた。
 香港の矛盾は、運動に参加したさまざまな当事者に対する區龍宇の分析によって効果的に明らかにされている。區龍宇によれば、香港とその運動の限界の多くは、中国共産党が植民地的枠組みを永続させてきたことに起因している。
 香港警察は、基本的にはイギリスを手本にしたところから変わっていないが、「常に一種の『準軍事的国内治安モード』のもとで機能していた」(同書64頁)。そして、香港の政治意識の低さは、数十年にわたる植民地スタイルの教育と超資本主義的なインフラによってもたらされたものだ。しかし、「二重に不運な」新世代は、「前世代のような安定と繁栄を享受していない」し、「北京からの攻撃に次ぐ攻撃の時代」に成人となったのである(同書80頁)。
 抗議行動参加者の複雑でしばしば矛盾した動機と行動は、この植民地的状況における香港に対する抑圧を理解しようとするさまざまな試みを反映するものだった。右翼本土派は中国本土の人々を悪者扱いすることで、中国共産党の罠にはまってしまい、中国共産党が香港の闘いを純粋なレイシズムと「外国の干渉」の一つとして位置づけ、植民地の力学を永続させるという自らの役割を隠蔽することを許してしまっている。
 區龍宇は、本土派活動家である劉頴匡が、その運動を支持するように中国本土の人々に働きかけようとしたとき、彼が中国に対する香港の独立というきわめて保守的なビジョンを推進していたことを指摘している(同書99から100頁)。運動としての本土主義は、伝統的な汎民派の非暴力戦略の失敗を受けて形成されたと見られることが多い。しかし汎民派のリソースやインフラは運動にとって極めて重要な役割を果たしてきた。特に2019年後半の区議会議員選挙の際には大きな役割を果たした。

無秩序な大衆運動


 こうした矛盾が生き生きと描かれているのは、區龍宇が、現場で目撃した出来事について語ることができる左派系抗議行動参加者―長年の組合オルグである權哥から匿名の若者に至るまで―の声を献身的に表面化させたからである。黃漢彤のような学生デモ参加者は、11月の香港中文大学包囲の際に「混乱や管理の誤り」について話してくれた。
 学生と学生ではない外部の抗議者が戦術をめぐってしばしば衝突し、状況が絶望的になるにつれて民主的なプロセスが失われていった。このような議論はリアルタイムでオンラインフォーラムにも波及した。そして、香港が催涙ガスによって今までにないほど息苦しい最悪の日々を送っていた間に、戦術論議、テレグラムチャンネルを通じた警官の監視、相互扶助活動などが盛んにおこなわれたので、数日間にわたってオンラインでの言説と現場での行動が有機的に融合していったのである。
 こうした出来事を詳細に見ていくことは、単に観察することではない。區龍宇の叙述は、民主的大衆運動の無秩序なプロセスにおける政治的に厳密なケース・スタディなのである。何事も無批判に称賛されるべきではない。しかし、われわれは左翼として、可能な限り運動の中に身を置き続けることで、あらゆる矛盾の証人となるのだ。
 この倫理観が、區龍宇の的確な運動批判を特徴づけている。
 「今後とるべき行動について人々が意見を交換したり、民主的な決定を下したりする集会に関する行動を目にすることはめったになかった。たとえ集会を開いても、集会は結局のところ始まってすぐに口論になったり、分裂したりすることが多かった。その理由は、経験不足というよりも、急進的な若者たちの間で主流となっていたのが、集会や組織化、投票のような民主的な意思決定の考え方に反対し、それらがすべて民主主義をめざす運動を危険にさらすものだという考えだったからである。」(同書211頁)
 本文中で區龍宇が示唆しているように、これは香港においては新しい問題というわけではない。植民地時代から、香港の社会運動は突発的な自発性に突き動かされるのだが、結局は持続させることができないでいる。區龍宇は、この原因が植民地主義の遺産、および運動構築や政治的意識の歴史の欠如にあるとしている。
 管理的政治が、官僚主義的労働組合からNGOに至るまで、香港の政治社会のほとんどすべての側面を特徴づけている。この運動はそれに反発しているが、オルタナティブで持続可能な大衆的政治のために、引き出すべき香港的な発想はほとんど持っていない。組織やプロセスは、しばしば階層的な考え方と混同されるが、區龍宇をはじめとする香港の左派が指摘したように、歴史上重要な新組合の台頭のように、反対派陣営がこの束縛から抜け出す道を提供してくれるかもしれない側面も存在する。

国境を越えた連帯の必要性


 香港は、ここ1年間、資本主義国家エリート間のより大きな地政学的ゲームの焦点となったが、その一方で、左翼や草の根運動が、21世紀における反帝国主義・自決権・国境を越えた労働者階級の連帯についての安易な解決策やパラダイムを再考するための警鐘ともなってきた。
 この「新冷戦」における野心満々の世界的覇権国は、新自由主義的な野望を隠そうとしてない。習近平は、グローバル資本主義や帝国主義の勢力に対抗する存在というよりはむしろ、ダボス会議では上昇気流に乗る人物、新自由主義世界秩序にとっての新たなタイプの執事となった。この立場は、トランプによる気まぐれな極右支配とアメリカの覇権の衰退によって強化されただけなのだが。
 中国の経済的な成功は、実際には中国プロレタリアートの犠牲によって築かれたものである。中国が力をつけたことは、20世紀の夢、つまり労働者階級の指導力や左翼・民族主義者間の同盟による自決権運動を中心に置かずとも第三世界の連帯が達成されるという夢の終わりを告げるものである。
 欧米の「反戦」的左派がこの現実を把握できなかったことは、世界の反資本主義運動にとって最悪の事態である。欧米の左翼が恐れていること、つまり、アメリカの中国への攻撃が続けば、リビアのように帝国主義の搾取のための真空状態が作り出されるということは、皮肉にも何十年にもわたって現実になっており、それは中国国家それ自身によって可能となったのである。香港は、中国の資本家が欧米市場から利益を享受する場になっており、それはますます不安定になっている市民階級と極限まで搾取されている移民階級の犠牲の上で築かれている。
 しかし、香港の複雑なアイデンティティが意味するのは、それを単純に「民族解放」という枠組みに当てはめることはできないということである。実際に、近年のますます多くの解放運動は、新疆ウイグル自治区からプエルトリコに至るまで、自決権が必ずしも「民族独立」という進歩的な意味を含まないという、同じようなあいまいな状態に陥っている。香港人にとってのこの問題に対する區龍宇の答えは明確かつ的確である。
 「私は香港人にとって最善の道はナショナリズムでもなく、独立でもないと考える。われわれは自分たちのアイデンティティと香港の自己決定を求めるビジョンを自己主張する必要があるだけなのだ。(中略)自己決定のスローガンは、われわれがこのスローガンを、香港以外にも拡散し、中国本土の民衆が自分たち自身の自己決定権を同じように追求するのを励ますならば、本土民衆と結びつくという利点がある。」(同書258~9頁)
 実のところ、區龍宇が明確に表現したことは、香港社会運動の長年にわたる成功と失敗の中で繰り返し言われてきて、磨かれてきたものである。それはもっとも初期においては、1970年代から80年代にかけての香港トロツキスト・グループ―当時おそらくもっともイデオロギー的に首尾一貫していた(しかし弱体だった)が、ほとんど知られていなかった急進左翼︱の出版物やパンフレットで繰り返し述べられていた。(1990年代後半に先駆社となった)新苗社(訳注)は、區龍宇が中心メンバーだったが、中英宣言前年の1983年に、声明の中で同様の主張をおこなった。
 「香港人が大規模な民主化運動を起こし、権力をすべての人に戻すことを公然と目指すことができれば、中国や台湾の人々にも連帯して闘う力を与えることができる。そうすれば、10億人の中国人は、香港人の力を抑圧する中国共産党の官僚に振り回されることなく、われわれの最大の味方となり、国家から主権を取り戻すためにわれわれと一緒に戦ってくれるだろう」。
 香港の主権者が[イギリスから中国に]変わっても、新苗社の主張は今もなお、先見性に富んでおり、的を射たものである。區龍宇が本書の中で指摘しているように、植民地のインフラは変わらないままである。ある意味では、2019年の運動の最大の限界に対処する最善の方法は、新苗社が提唱したのと同じ戦略であり、區龍宇は本書の最終章でその戦略を力強く再提示しているのである。

悲劇と希望

 ある視点から見ると、區龍宇は政治的悲劇を提示しているように見える。そこでは香港は何度も敗北を繰り返す運命にあるようだ。彼は、自らが若き左翼として発展させたのと同じ政治的な啓示を解決策として再び強調する。しかし、それはまたも無視されたままである。
 しかし、それは決して悲劇ではない。區龍宇のマルクス主義的視点によれば、希望とは単なる主観的な感情や状態ではなく、力関係を客観的に理解した結果である。
 區龍宇は長年にわたり、抗議活動・政治・組織の盛衰を目の当たりにしてきた。困難な状況にあっても運動に参加し続けることができた姿勢が、明快さと力強さをもつ本書を執筆する原動力となったのである。
 完全な敗北というものはない。大衆は政治的な経験を記憶しているし、運動は常にお互い[の経験]を生かしてきたからである。昨年の反乱に通じて、香港民衆は、リソースと経験の巨大なうねりを独力で作り出した。それは、中国共産党が決して完全には消し去ることのできないものである。區龍宇は本書の中では、この現実を証明している。
(訳注)新苗社は、1980年に革馬盟(革命的マルクス主義者同盟)の分裂によって結成された。のちに先駆社と改称。
(『アゲインスト・ザ・カレント』2021年1月・2月号)
(プロミス・リーは、香港出身でロサンゼルス在住の社会主義者。海外在住の香港人活動家のサイト『流傘』のメンバーで、ソリダリティやDSAのメンバーでもある。)

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