ロシア 議会選でのKPRF飛躍の陰で

新しい社会運動の出現が始まる
民衆的動員成功は急進左翼にとっての突破
イリヤ・ブドライツキス

 8月17―19日に行われたロシア議会選は、ウラジミール・プーチン大統領の統一ロシアにまたも名目的な勝利をもたらした。それでも、もっとも注目すべき結果は、ロシア連邦共産党(KPRF)への支持の飛躍だった。この党は、得票率19%で第2党として現れた。
 プーチンの連携相手を有利にするいつもながらの不正にもかかわらず、KPRFは新しい選挙民――特に、この党への投票を既存秩序に対するノーを示す彼らの唯一の機会とみなした大都市の若者たち――を何とか獲得できた。90年代以来KPRFの公式綱領は、スターリニズム、民族主義、さらに社会民主主義的な父権的保護主義の混合物に根を下ろしたままだった。しかしながらこの2、3年、KPRF内部で若い地方指導者の1世代が登場し、民主的諸権利、社会的平等、またエコロジー、の防衛というレトリックへと党の向きを変えた。
 これに関しては、この選挙のもっとも効果を発揮したもののひとつが、モスクワ州立大学の数学教員で37歳のミハイル・ロバノフによるキャンペーンだった。ミハイルはKPRFから指名はされたが、しかし彼自身は無所属の民主的社会主義者として立場をとった。彼は統一ロシアの候補者を1万票以上の差で(得票率差ほぼ12%)で打ち負かしたが、計算は議会への彼の選出を否認するために操作された。
 それでも、ロバノフのような候補者への民衆的な投票は、急進左翼にとって本物の突破――現代のロシアの困難な政治的諸条件にあっても民衆的不満を声に出す潜在的な可能性を示すものとして――だ。たとえば、伝統的にKPRFに批判的だったロシア社会主義運動と他の急進的左翼グループの活動家たちは、彼の選挙キャンペーンで重要な役割を果たした。
 以下では、モスクワの左翼の政治的著述家であるイリヤ・ブドライツキスが「ジャコバン」誌向けに、この結果についてミハイル・ロバノフに聞いた。

急進的左翼として大学内で活動


――あなたの政治的背景にについて少しばかり聞かせて欲しい。

 私は学校では歴史的な著作を読むのを楽しんだ。とはいえそれらは、もっと科学的な著作も交えた単なる歴史小説だった。大学では、すでに数学の学生だったが、自由時間を図書館や書店で過ごした。そして私は、フィクションを読むことを通して、マルクス、レーニン、またトロツキーを読む必要がある、と決めた。たとえば私は、モスクワ州立大学(MSJ)の図書館で『裏切られた革命』を見つけた。
 2006年には、社会主義運動の「プペリョード」(「前進」、第4インターナショナルロシア支部)の活動家がMSJ で開いたマルクス主義の学生セミナーに参加した。次の1年半の間私はプペリョーードと共に、教育の商業化反対や労働者の権利防衛のさまざまな行動に参加した。党の会合はロシア労働者連合の事務所で開催されたが、私がロシアの独立諸労組を知るようになったのは、このような道筋でのことだ。

――MSJで活動家のグループはどのようにして生まれたのか?

 われわれは大学内部で闘争領域を探していた。2009年、大学当局は入寮規則を厳しくしようとした。われわれは抗議キャンペーンを始め、1700筆の署名を集め、その後これらの新しい規則を取り消させることに成功した。この3週間のキャンペーンの結果として、われわれは約30人の大学活動家の核を作った。われわれは日々問題解決にあたった。しかし明白だったが、組織化の別のレベルにわれわれを引き上げるにはこれでは十分でなかった。
 そこでわれわれは、教員と学生双方を含んでいた大学の共産党支部との協力を開始した。2011年、大学当局は再び寮規則の厳格化を決定した。そしてわれわれは真に強力で上首尾の抗議キャンペーンを何とか組織できた。それは直接に数百人を巻き込み、われわれの核はより大きくなった。プーチンの統一ロシアを有利にする不正が行われたドゥーマ〔議会〕選後に、大規模な抗議行動が始まったのはまさにその時期だった。大学レベルでは、これは、与党と密接に協力したMSJ学生評議会とわれわれ自身のイニシアチブグループ間の闘いで頂点に達した。
 われわれはまた、議会選挙の独立した監視にも精力的に関わった。そしてMSJの主な建物の投票所で、当局職員の動員にもかかわらず、統一ロシアに大きく後れをとらせた。
 われわれはまた、モスクワの2011―2012年におけるあらゆる抗議集会にも積極的に参加した。そして、抗議には出かけるがどのような特定の政治勢力にも加わる用意はなかった多くの学生が、われわれの隊列に加わった。
 この経験が中でも、「大学連帯」労組の創出という課題を掲げるよう労働者連合を後押しした。そのようにしてわれわれは、この労組を通じて他の大学の学生と教員のグループを助け始めた。われわれはさらに、MSJ周辺の公園を保全するキャンペーンにも精力的に関わった。これらの公園は常にデベロッパーの関心を引きつけていたのだ。
 われわれはこれを通じて、地方議員たちや居住地の諸課題に積極的に取り組んでいた住民と接触するようになった。われわれは、特にラメンキ地域で、いくつかの共同イベントを開催した。大学当局は、これらの活動を理由に、2013年と2018年に2度私を解雇しようとした。

活動の拡張めざし立候補を決断

――あなたは今年どのようにして立候補を決めたのか?

 これらの10年から15年を通じて、KPRFの大学支部とのものを含んで、接触の幅広いネットワークが発展してきた。私は、ほぼすべての地方選でKPRF指名に向け立候補するよう招かれた。しかし私は拒否した。この立候補が高等教育という私自身の主な設定課題と離れていた――この分野は代わりに、連邦諸法と国家ドゥーマが採択する予算に結びついていたがゆえに――からだ。
 プーチンの連携者を利するいつもながらの不正にもかかわらず、KPRFは新たな選挙民――特に、この党への投票を既存秩序にノーと言う唯一の機会とみなした大都市の若い人々――を何とか獲得できた。
 2020年、彼らにドゥーマへの指名を私に提供する用意がある、ということが大学のKPRFメンバーとの交流からはっきりした。私は、私がMSJ地区に向かい、私が築き上げてきた結びつきを動員すれば勝利も可能だ、と感じた。私は、このキャンペーンに向け十分な熱気をかき立てることも可能、との感覚をもった。
 しかし私には、それをどのように起こすか、またこの選挙でどのような特定の行動を取ることが必要かについて、正確な考えがなかった。これは、われわれが以前行ってきていたこととは違うものだったからだ。しかし、私の直感がそれは機能し得ると告げたからには、私はそれを試すと決めたのだ。
 われわれは2、3ヵ月間最初の進め方について討論し議論を闘わせた。選挙の経験のある左翼側の人々はまったく僅かしかいなかったのだ。KPRFにはそうした経験がある。しかしそれは非常に固有なものだ。彼らは人々に費用を求めることを推奨せず、代わりに、党からの資金を頼りにすること、そしておそらく何人かの他の後援者を捜すことを勧める。われわれは異なった形で行動しなければならない、と理解した。

――あなたの選挙区はどのようなものか?

 ロシア全土は、各々平均50万人の有権者がいる225の選挙区に分割されている。われわれの選挙区はモスクワ西部にある。それは以前の選挙で、完全に抗議志向選挙区と見られた。そしてここでは以前KPRFがかなりの好結果を得てきた。しかしながら同時に、そこではヤブロコの自由主義者もまた実体的な勢力となっていた。そして今回彼らはひとりの強力な候補者を出した。
 この選挙区には大学がひとつあり、それゆえ純粋に統計的に言えば、この選挙区にはモスクワよりもMSJ卒業生と被雇用者からなる高い集中がある。この選挙区にはMSJブランドがそれ自身の何かを付け加えているというある種の感覚があった。私は数学者であり政治家ではない。そしてそれがプラスに働く可能性もあった。
 思うに、われわれの主な競争相手が誰になりそうかを知ったのは2月だった。統一ロシアがロシアのテレビのトークショー主宰者であるイエフゲニー・ポポフを勝負に出すつもりだ、ということが公表されたのだ。彼は、敵対的な西側諸国と恐るべきウクライナに関してクレムリンの立場を放送し、人びとの注意を国内問題から対外衝突へと移そうと試み、民族間の憎悪をかき立てるTV宣伝屋だ。彼のやり方は傲慢だが、多くの人々は本当にそれを好んでいる。そういう人たちに私はあったこともある。

十分な反響の巻き起こしに成功


――キャンペーンはどのように組織されたのか? それはどれほどまでKPRFに依存したのか?

 驚きだがKPRFは、それが何であれ厳しい政治的な統制をまったく行わなかった。われわれは、党に相談することなく自分たちでわれわれの綱領を書き上げた。KPRFが割り当てたのは、われわれのキャンペーン予算総額の15%に満たなかった。彼らは候補者たちの会合、講習会を開催し、そこでキャンペーンの展開方法を彼らに伝えた。彼らはたとえば、クラウドファンディングは行わないようわれわれに告げた。つまり、それはともかくいかなるマネーもわれわれに与えないだろう、そして問題を引き起こす可能性もあろう、と。しかしながらわれわれは、この助言には従わず、最終的にはキャンペーン期間中に約600万ルーブル(8万ドル以上)を集めた。
 これは、統一ロシアや自由主義野党が支出しているものに比べ、まったく多くない。しかしながら政治的動機が主な役割を演じた。つまり、活動家のほとんどは社会主義の理念に傾倒し、全員が、われわれは統一ロシアを打ち破ることができる、との期待をもっていた。こうしてわれわれは、選挙区のさまざまな部分でいくつかの分隊に分割されてわれわれのキャンペーンに参加した、およそ200人の活動家を確保した。

――あなたの選挙における設定課題を話して欲しい。

 われわれの主なスローガンは「未来は、選ばれた少数のためにではなく、全員のためにある」だった。ロシアには、すべての政治的かつ経済的資源をつかみ取った者たちの1団がいる。そして彼らは、彼ら自身のためだけに未来を作り上げ続けている。われわれは、所得の、政治的権力の、全員を利する再配分を強く求めている。
 この中心的な主題を軸に、われわれはこの地区と全体としての国の諸問題に関する要求を詳細に練り上げた。重要な点としては、モスクワにおける乱暴な商業的開発に反対する闘いが含まれていた。具体的には、ごみの義務的なリサイクル、学校や病院の閉鎖に対する保護、そしてもちろん、労働者の権利や強力な労組の必要性だ。
 われわれはこの課題を携えて有権者のところに出向いた。そして明らかに、われわれは候補者と彼のチームに関する良好なイメージを作り上げた。彼らはさまざまな問題に熱気をもって取りかかり、資金を集め、組織に加わるよう、すべての人を説き伏せようと挑んでいた。これが人々と共鳴した。共鳴を呼んだのは、労組について語り、緑の空間を防衛する、大衆的なキャンペーンの経験をもつ数学者の、大学人候補者の経験だった。
 人々はそれに好意をもったが、しかし同時にある種のディレンマも感じた。ロシアでは多くが投票を、当局に彼らの抗議を示すひとつの機会と見ている。彼らにとって重要なことは、彼らの観点とは関わりなく、野党の候補者が勝つ可能性なのだ。私の選挙区では莫大な資金をもつ自由主義の候補者のキャンペーンが存在していた以上、多くの人々は最後の瞬間まで見守り続け、最後に支持すべき者は誰かを推測していた。

当選は阻止されたが実質の勝利


――結果はどうだったのか?

 われわれは、得票では3分の1以上の差で統一ロシアの候補者を打ち負かした。彼は非常にカネのかかったキャンペーンを展開し、彼の横断幕はどこにでもあり、彼は当地の行政当局から支援された。しかしそうであってもわれわれは、彼に厳しい敗北を与えた。この全状況は翌朝、電子投票結果によってひっくり返された。

――数の点であなたが獲得したのは、投票所でとe―投票でどれほどか?

 通常の投票方式では4万6千票、電子投票では2万票だった。そしてTV宣伝屋のポポフは、通常の投票方式でおよそ3万4千から3万5千票、電子投票で4万5千から4万6千票獲得した。しかしわれわれは電子投票の結果には信をおいていない。つまりそれらは当局に都合よく操作されたのだ。

――あなたは、「スマート投票」――アレクセイ・ナワリヌイの支持者によって提起された戦術的な反プーチン投票――によって支援を受けた。全体としてのこの戦術をあなたはどう考えるか? さらにあなたはナワリヌイ自身についてはどのような感じをもっているか?

 それはロシアの大都市で機能するひとつのツールだ。この戦略は、統一ロシアを敗北させる上で最良のチャンスをもつ野党候補者への投票、と要約される。反政府派の有権者は、彼らの見解とは無関係にそうした候補者への投票を急かされる。
 私が急進的な左翼としてある以上、もちろんナワリヌイと私には大きなイデオロギー的違いがある。ナワリヌイは右翼の立場に立つことが常だった。しかし近年立場を移している。そしてそれは、彼には大きなメディア上の影響力がある以上、歓迎されるべきことだ。彼の支持者が最低賃金のような社会的課題を掲げ、労組を賞讃し始めているという事実には、前向きな作用があった。
 しかし依然としてわれわれは異なった立場にある。そしてその他に、ナワリヌイの周辺はナワリヌイ自身よりも右翼的だ。あなたはそれを、結局彼が投獄された状況の中に見ることができる。しかし重要なことは、彼が彼の政治活動を理由に投獄された、ということだ。私はこれに反対するし、彼は釈放されなければならないと確信している。私は、彼との正直な討論とイデオロギー的立場のぶつけ合いが必要だ、と確信している。

活動の自己組織化への転換へ


――選挙後の政治的計画は何か? 個人的に、ロシア左翼にとって、またあなたのキャンペーン仲間にとって、戦略はどうあるべきと考えるか?

 われわれは今、われわれが築いたチームをどう維持するかを考えている。それが非常に大きかったからだ。それはこれからはもっと困難になるだろうが、しかしわれわれは将来の活動を求める要求を理解している。参加した人々は大きな高揚感を得た。つまりそれはひとつの勝利だったのであり、全員がそのように受け取っている。
 われわれは、理論でのみ可能に見えたことを何とかやれたのであり、そしてそれは、われわれは多くのことをやれる、ということを意味している。われわれは、国家ドゥーマの実態のある諸力を期待し、国家ドゥーマを基礎に共闘関係を保ち、キャンペーンを展開したかった。しかしそれは、歪曲のために機能しなかった。

――再度の参加はあるか?

 チームには、地方選で自分たちを十分に試すことを好んでいると思われる仲間たちがいる。私はそれについてもっと慎重だ。それがエネルギーの消散になる可能性もあるからだ。われわれは、いくつかの地区で地方選に勝つとしても、どのように自分たちを固めることができるか、を考える必要がある。
 私は、われわれのエネルギーを労組運動と大学内の自己組織化発展に向けて方向付けるにはどうすれば可能か、にもっと関心がある。選挙もまたよい考えであるかもしれないが、しかし私は、それがわれわれがやっていなければならないすべてではない、との感覚をもっている。結局のところ私はまたこの選挙を、私が信じる考えについて人々に伝える機会とも理解したのだ。(『ジャコバン』誌より)

▼筆者(聞き手)はプペリョードの指導的1員。(「インターナショナルビューポイント」2021年10月号)  

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