フランス 労働組合運動の再生に向けて
指導部批判超えた運動の検証を
狭められた運動観の破壊を
クリスチャン・マイオー
労組センターのCGT(労働総同盟)、FO(労働者の力)、FSU(統一組合連盟)、ソリデール(SUD、連帯統一民主労働組合)が呼び掛け、10月5日に組織されたストライキとデモの全国行動日は歴史には残らないだろう。それは失敗ではなかったが、動員はデモの点で平均的であり、ストライキの点では弱かった。「労組左翼」の部分は「労組指導部に広がっているしらけ」に言及している。労働組合組織にとっての「指導部」観念に関する論議はさておいて、そこには、もっと複雑な情勢の単純化という危険はないだろうか?
われわれの問題は、本当にフィリップ・マルチネス、イヴェス・ヴェイリエル、ブノー・テステ、シモン・ドゥテイル、ムリエレ・ジルベールといった指導者たち(注)のしらけと言われるものから出ているのだろうか? われわれの怖れはそうではないことだ。
確かにわれわれは、10月11日夜に組織された労組横断集会が新たな統一アピールを出すものと期待できたかもしれない。しかしそれが実現していたとしても、力関係に10月5日以上の重みを加えさせる点で、それだけで十分となっただろうか?
10月5日というこの日付は、7月以来戦闘的部分の中で討論されてきた。そしてそれは8月30日に公表された。これらの日にちの間、どれだけの数の労組巡回、労組の注力、職場内労組の情報告知集会、そして諸労組内の準備総会、などがあったのだろうか? 現場での労組横断イニシアチブを通じて労組統一の全国アピールに生気をもたらす試みは、どこで行われたのだろうか? どれだけの企業で、企業職員に、下請け企業の仲間たちに、周辺企業の被雇用者たちに10月5日という全国行動日を知らせるために、労組支部は気を配っただろうか?
これらの問題を問うことは、草の根の組合チームへの批判ではない。それは単純に、この日を平均的な成功にした諸要素を指摘する試みにすぎない。これらの欠陥が部分的にわれわれの諸困難を説明するとすれば、次いでわれわれは、今後いかにもっとうまくできるかを知るために、仕事を続ける必要がある。これは、言葉での急進主義よりももっと有益だろう。
社会的闘争は
確かにある!
あらゆる職業部門と地域に諸々の闘争、ストライキ、業務放棄、集会がある。労組活動家が、そして必ずしも労組活動家ではない者もしばしば語ることとは逆に、そこには私企業部門も含まれている(具体的名称は省略:訳者)。そこには9月はじめ以来続いてきた重要な闘いがあり、それは、労働条件と賃金に関わり、請負見積書を求めるシステムを糾弾している。そのシステムは経営者のために、契約更新の度毎に被雇用者のさらに多くの搾取を準備するのだ。
統一全国運動で
先へ進む方策を
ソリデール労組連合の最新全国大会と同じく、最新CGT全国執行委員会が、主要なふたつのキャンペーンを決定した。労働時間の週32時間への短縮要求、そして賃金と年金の増額要求だ。これは、専門職部門による、また職業横断レベルでの共通要求の基礎に、また現場で労組キャンペーンに生気を与え、それらがうまくいくのを見る上でも基礎になる。
企業毎に、出先部門毎に、また現場毎に、週32時間はどれだけの数の職を意味しているのだろうか? 失業者の組織や団体との関係で、どのような接触や主張のイニシアチブが講じられなければならないのだろうか? 今こそ、象徴的な「雇用相談窓口」を放棄し、仕事がある者の、仕事のない者と一体となった労働者の直接的集団行動を通じて、職の徴発に戻る時ではないだろうか? 賃金については、義務的な年次交渉がこの問題に関する労組行動に向けたうまい時期になる。しかし賃金であろうが、退職後の年金であろうが、さらに失業手当であろうが、疑いなくわれわれは、資本家がわれわれから盗み取り続けているもののもっと大きな部分を取り戻す攻勢を始めるためには、その先へと進む必要がある。
労組の役割りの
圧縮を打ち破れ
労組を含む社会的勢力の一定部分の場合、われわれは伝統的な「不可欠な政治的出口」の背後に避難している。あたかも、この間彼らが取りかかってきた解放に向けた集団的闘争に照らして、闘争の主体自身がこの出口を作り上げては来なかったかのように、だ! これらの同志たちの場合、「政治的出口」は、党からのみ、他の者からではなく彼らの党からのみ、制度的な選挙からのみ現れることが可能であるにすぎない。
いずれにしろそれは、それを諸政党に委任することによって、国家権力の獲得という形態でのみ取り組まれている。自己管理社会という展望からみた場合、これは別のものと見られてよい。
10月5日に際して、FSU(教員組合)の書記長は、これらの政治潮流が伝えているものを非常にうまくまとめた。つまり「労働者は今も現在の時期における決起の重要性には納得しているが、しかし政治的展望を欠いている。これは、今日多くが彼らの変化に応じて変化してきた、ということを意味している」と。展望に関する限り、これはほとんど何ものも提供していない!
労働組合運動は政治的だ。それは、同じ社会階級に属しているという単一の基礎の上で自らを組織すると決断した者たちを結集している。彼らはともに自らの直接的要求を守るために行動し、社会の抜本的な変革を求めて努力する。資本主義システムに結びついた抑圧、生産関係と所有権から帰結する経済的抑圧は、「底辺出身」のこれらすべてに共通だ。これが階級衝突が最後までやり切られるところだ。それが政治的でないとしても!
これは、われわれが他の抑圧形態があると考えることを妨げるものではない。そしてその抑圧形態は、それ自身の内部でも、経済的抑圧との関係でも、重要性の秩序に階層化されてはならない。フェミニストの闘争、反レイシズム闘争、自由と平等を求め警察の暴力に反対する抑圧反対の闘争、環境保護の闘争等々もまた政治的なのだ。
党は政治を担当し、労組は社会的課題を担当する、と語る役割分担は、行き詰まりだ。労組が労働者階級の自治的な組織のためのツールである、あるいは少なくともそうであるべきとしても、先の分担は労組を二義的な機能に閉じ込め、彼らに対し社会を変革するために行動する能力を否認する。逆にそれは、政治組織を、この任務が彼らの独占的な、したがって社会運動から切断された任務である、と考えるように押しやる。
労働組合の空間
集団的再確定へ
大きな数の市民団体が社会運動の中で相当な役割を果たしている。それらのほとんどすべては、労働組合運動が闘争の分野を放棄したか、それらを無視したために設立された。そして、失業者のための、居住権のための、労働許可証のない労働者防衛のための、不安定労働者の協調、等々のための諸団体として、事実上、それらがここで明確にされたような「労働組合運動」を行っている。
他のものは、完全に労働組合分野の内部にあるテーマに介入している。それらがフェミニストであり、反レイシストであり、さらに環境運動、反性差別運動等々と、強力な社会的重要性を保持している。農業労働者との結びつきという問題もある。さらに、人々に自己決定権を主張する反植民地主義運動、反軍国主義運動、平和運動等々もある。このすべては、われわれの社会階級の利害と未来に関わり、われわれがそれらに対処しなければならないのは、まさにこの観点からなのだ。
われわれが社会運動を特筆するとすれば、それはそれらが労働者の闘争を、直接行動を組織している運動だからだ。これらの運動内部で、労働組合運動は本質的な特殊性を保持している。すなわち私が先に言ったように、それは同じ社会階級に属していることを単一の基礎に人々を結集しているということだ。これは原理的だ。もちろん戦闘的な労働組合運動も、しかしまた前進するために思い切って存在しているものと決裂する労働組合運動もそうだ。
統一の問題は、単一化であっても重要だ。それはまた、結果的にここでみてきた多様性を考慮に入れるために、労働組合組織の輪郭を再確定する問題でもある。しかしこのすべては、労働組合や社会運動の外部からなされる「専門家」の考察であってはならないし、上述の具体的な課題と無関係に扱われてもならない。むしろそれは、労働組合運動、労働者が経営者以上の者である存在、集団的に決定され実行される労働組合の優先度、の観点で扱われなければならない。(「ニューポリティクス」より)
▼筆者は元鉄道労働者で元SUD―レール労組役員、またソリデール労組連合の国際委員会メンバー。さらに「連帯と闘争の国際労働者ネットワーク」の活動に参加している。
(注)各々、CGT、FO、FSUの書記長とソリデールの共同スポークスパーソン。(「インターナショナルビューポイント」2021年11月号)
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