香港 區龍宇へのインタビュー

民主運動への引き続く弾圧 香港の未来はどうなるのか?
民主主義運動の再建へ 記憶の抹殺に抵抗を

 香港テレビは11月はじめ、九龍半島の旺角地区の街頭での「治安妨害」を理由とした4人の逮捕を報じた。彼らは、「本物の普通選挙が欲しい」と書かれた黄色の旗、および「香港解放、時代革命」とのスローガンのあるプラカードをもっていた、とされていた。全員が61歳から85歳の年齢であり、2014年の雨傘運動の終わり以来定期的に――ある記事によれば毎日――抗議活動を続けてきたグループのメンバーだった。

2019年と今、極端な落差が

 それは、昨年共産党が強要した国家安全保障法が効力をもつようになって以来この都市を圧倒することになった、政治的抑圧の程度を示している。10万人以上の人々がこの都市を去り、活動家は投獄され続け、いくつかの独立的なメディア組織がつぶれ、多くの自由労組と並んで主な自由主義反対派グループも、市民権や民主的な諸権利に対する弾圧が強化されるにつれ解散した。
 2019年の情勢との対照は、これ以上にはなり得ない程あからさまだ。当時の街頭は、キャンバスの街のように感じられたほどであり、主な道路に沿って何マイルも、さらに裏通りまで、そして建物の正面に、民主運動のスローガン諸々がスプレイで描かれていたのだ。
 しばしば要求の見えない空間は、他の形で急進化の深さを伝えていた。つまり、焼け焦げた鉄道信号所、破壊された交通信号、武器用としてすっかりはぎ取られた金属製歩道柵、壊されたATM、今や砂場と変わらないようになっている元の舗装された歩道、警察に投げつけるものとして新たな命を与えられた煉瓦、といったものだ。
 この街頭の闘いは、大学の戦闘と比べればほんの小片にすぎなかった。占拠された大学すべての中で、この都市の中心にある工科大学は際立っていた。あらゆる学生運動の中で歴史上、一ヵ所でこれ以上の火炎瓶が作られ貯め込まれたことがあっただろうか? 大学アーチェリークラブのメンバーが政治的反乱に加わり、警官の隊列に彼らを寄せ付けないために矢を放つ、などという記録はあるのだろうか? 48時間の中で、市警察部隊がこれ以上の催涙ガス弾を使ったことはこれまであり得たのだろうか?
 今月で2年前となる工科大学包囲攻撃は、死力を尽くす程の激しさとなり、何らかの形で運動の最後の抵抗であることを明らかにした。当時、決定版的な『香港の反乱』の著者であり、この都市の数少ない古参活動家のひとり――そして唯一のマルクス主義者――である區龍宇は同じように語り続けていた。それは立派な闘いであったが、しかし力関係は残念なほどはっきりしすぎていたと。振り返ってみれば、不幸な程彼はあまりに正しかった。

対本土連帯活動の消失が大損失


 「均整の取れた見方のために比較すれば、抑圧の程度は1989年の天安門とは依然比較にならない。さらにビルマ/ミャンマーと比較するならば、われわれはそこからもはるかに異なっている」、彼はロンドンのアパートからズームを通してこう語る。彼は他の人々同様この都市を逃れたのだ。さらに侵入を続ける北京の独裁に合わせて、当局が抵抗運動を締め付けるねじを巻き続ける中での選択だ。
 「香港の人々の場合、彼らが今のように事態が悪くなる可能性があるとはまったく信じなかった。決してだ。しかしわれわれは冷静な心をもつ必要がある。中国共産党の場合、それは依然として極めてつつましい抑圧なのだ。彼らはこれまで潜在的にもっとも危険な主体を標的にし続けてきた。まだ殺害はない。もちろん非常に汚い策略はある。彼らは人々の家族を脅し、仲介者を通じて彼らの暮らしを脅かす」。
 「今のところ、標的にされた人々は反政府派諸党、巨大な組合員数を抱える労組、その他だ。そして、教員、市の公務員、学者、一定のメディアを狙った全面的な粛清もある。しかし全体として、市民社会組織の全体はまだ標的にはなっていない。おそらく彼らはそうする必要がない。恐怖がすでに香港の多くの人々を捕らえてしまったからだ」。
 地域的な紛争、あるいはこの都市における民主主義と自律の問題というだけではないこの紛争の扱いでは、しばしばひとつのことが見逃されている。共産党は同じように、本土におけるその支配に対する抵抗、あるいは潜在的な抵抗に狙いを付けている、ということだ。香港に本拠を置く半ダース以上のグループが労働者の連帯や中国内――多くの場合、広州、深圳、珠海、仏山、東莞、中山、江門の各都市からなる重要な珠江デルタの工業地帯――での教育活動に力を注いできた。
 この地域は、超権威主義者の習近平が中国共産党総書記に駆け上がる以前、労組活動と連帯活動の温床だった。ほとんどの労働者組織は歴史的に露出度を低く保ったが、今や高まる抑圧を理由に活動を止めるかかなりの程度まで活動を引き下げるかしている、區はこう語る。
 北京はまた、香港での政治的自由と政治的反対派を絶滅させることで、香港と中国の労働者の連帯という潜在的な脅威をも破壊しつつある。そして労働者組織以上に、本土での政治的つながりの運動を起こし、その打ち固めに力を注いできたグループが数百以上ある。たとえば、ジェンダー平等グループ、人権グループ、環境グループ、共同体グループ、その他だ。「それらはおそらく2、3年以内に一掃されるだろう」「それゆえ、自由を求める中国の長征にとっても恐るべき損失がある」と區は語る。
 1997年にこの地域が英国植民地から戻された後(思い出されるべきことだが、香港は当時もほとんど民主主義の橋頭堡ではなかった)、本土の数を増す人々が、観光や仕事のために香港にやってきた。そしてより制限の少ない政治的空気に、たとえば彼ら自身の都市では別の形で禁じられている文芸を売る書店、政治的課題を議論する公開イベント、自由な労組、また街頭の抗議行動など、に注目した。
 特に、6月4日――天安門記念日――には毎年、共産党による民主運動弾圧の犠牲者を追悼するために、この地では大規模なデモが行われた。區は「人数はわれわれにまったく分からなかったが、しかしこの記念行動に参加するために香港にやってきた本土の人々が常にいた」と語る。しかし今年、この記念行動は禁じられている。

後退局面でこそその行動が大事

 人生の終末近くにある者にとって、外国で新たな暮らしを立てることは非常に困難なことに違いない。しかしそのままとどまることはむしろもっと困難になっていたと思われる。その理由から、この間の時期における運動の弱点や過ちについて區が語る場合、特にこの都市にとどまることを選択している人々について過度に批判はしない。しかしそこには、香港の人々にとってだけではなく、他のところの社会主義運動、民主運動、あるいは労働者運動に携わる人々にとっても、妥当性のある重要な評価や教訓はあるのだ。
 區は適切な言葉を探して間を置きながら「私は厳しくありたいとは思わない。私は長い間、われわれは2019年にできる最善のことをやってはいなかった、と論じてきた。しかしわれわれが過ちをまったく犯さなかったとしても、われわれがこの戦闘に勝利できたとは思わない。今われわれは明確に後退局面にある。いくつかの組織は相対的に良好な行動をとってきた。しかしいくつかの場合、その行動は最悪の種類の後退になっている。それを降伏――そして非常に非民主的――と言ってもよい」と語る。
 彼は教員労組を選び出すがこの労組は、国営の人民日報がこの組合に「有害な腫瘍」とのレッテルを貼り、この市の教育局がこの組合はもはや認められないだろう、と語った後で自ら解散した。10万人近くの組合員を抱えるこの組合は、ロイターの計算によれば、今年はじめ以来解散した少なくとも29の労組のひとつだ。数十の親民主主義労組を束ねる香港労組連合さえも、そのメンバーと指導者たちが脅された後解散した。
 「私が非難するのは、自らによる教員労組解散それ自体ではなく彼らがそれを行ったやり方だ。指導部は、承諾を求めて組合員に向かう以前に早々と、労組は解散させなければならない、と決めた。彼ら自身の規約は、そのような提案に関しては、組合員のところに行き、彼らに票決させなければならない、としているのだ。しかし彼らはそうしたくない。彼らは組合員が決めるのを欲していない。それゆえ彼らは、メンバー代表者、私の考えでは150人以下によるある種の大会を招集するとの策謀を図った。そして、代表者による極めて少数の大会でも解散か否かを決定できるように、規約を変更した」。
 「われわれは、後退する場合はダメージコントロールが必要になる、と分かっている。確かに、後退の際は活動のいくつかを放棄しなければならない。私はそれを理解できる。しかし彼らが行ったやり方は、確実に問題に組合員が一語も発しないようにすることだった。これは解散に反対する者たちに一切の機会を与えなかった。これはまったく破廉恥だ」。
 區が言及する別の事例は、「中国の愛国的民主運動支援香港連合」の例だった。この運動体は、6月4日記念行動を組織していた。そして1世代にわたる香港の民主運動の重要な支柱だった。この連合は、香港フリープレスによれば、100の傘下組織と15万人のメンバーをもっていた。この組織もまた、政府から脅しを受け、「外国の影響力を受けた代理人」とされた後解散した。しかし指導部内にははじめから見解の違いがあり、少なくとも公然とした闘いがあった。
 「指導者のほとんどはすでに投獄されていた。委員会には7人かそこらしか残っていなかった。そして解散の票決は4対3だった。それでもそれはメンバーにも票決をとらなければならず、そして反対派は敗北した」と區は語る。
 もっとも声高な反対派のひとりは、元副議長のチョウ・ハン・トゥンだった。彼女と他の何人かは、このグループの会員と活動に関する情報を求めた当局との協力を拒絶した。彼女は9月、人々に抵抗の継続を公然と促した。彼女は殺到するメディアに「早々とまた簡単には権力に降伏するな」と告げた。
 チョウは先の連合の指導者であるリー・チェウク・ヤンとアルベルト・ホーと共に、国家安全保障法の下での「転覆扇動」に基づき起訴された。區は「私は彼女の勇気を大いに高く評価する。彼女はひとりで2019年の抵抗の名誉を救ったと言ってもよい。彼女はほとんどひとりで降伏のこの波に逆らって立ち上がったのだ」と語っている。

闘いの継承へ全力傾注を

 いくつかの最良の努力はあるとしても、この都市には真剣な組織立った抵抗はまったく残っていない。それでも區の評価では、これはすべてが抑圧によるものではない。「早くから致命的な弱点があった。『組織理念打倒』〔2019年における急進化した若者内部の〕が理由で、われわれは常に個々バラバラに放置されることになっていた。これこそわれわれが今前にしていることだ。特に汎民主派が、これらの大衆的組織が消えた今そうなっている。それらが去った時、残っているものは本当に何もない」。
 これは、2020年2月に筆者がこの都市を最後に訪れた時、確かに明らかだった。当時はパンデミックが民主運動内部に慎重さを生み出している重要な要素だったとしても、またはっきりしていたことは、若者の運動が後退していたこと、そして今ではほんの少数しか招集できないその全般的な指導者不在が、警察の新たな組織解体戦術に対処不可能にしていたことだった。引き続く逮捕が示しているように、今も反対活動はある。しかしそれも個別的で早々に閉じるように見える。
 「われわれが歴史的な考え方から出発するならば、香港は数十年の間幸運だった。しかしその運の良さも終わりに達した。われわれは、過去70年における中国民主運動に見られたいくつかの波と同じ運命に今遭遇しているにすぎない。民主運動が現れるたび毎に、それは続かない。それは抑圧され、何の記憶も残さないのだ」。
 「あらゆる世代がすべてのことを最初から再び始めなければならない。連続性も、カードルの蓄積も、経験の蓄積もまったくない。それゆえ毎回、関わるのは『新手』、新世代なのだ。われわれがもし何かをしないのであれば、おそらく5年以内にすべての記憶は再び失われるだろう」。 「私はそのように悪くないことを期待している。しかし共産党の動きは非常にはっきりしている。第1に彼らは選挙制度を変えている。次いで彼らは反対派諸政党を抹殺している。次いで遅かれ早かれ、もっと小さな組織であろうが、それが似たことを続けるならば見逃されないだろう。そこにはなお、少なくともいくつかのネットワークを、いくつかの新たな組織を発展させることができる空間がある。それは依然可能だ。しかし、われわれが2、3年の内にこれができなければ、その時将来は非常に厳しいだろう」。(「レッド・フラッグ」より)(「インターナショナルビューポイント」2021年11月号)  

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