スーダン抵抗委員会、下からの革命
真の参加型民主主義へ挑戦開始
ハマド・ガマル、サラ・バチェレリー
抵抗委員会は、地域委員会としても知られ[訳注]、スーダンにおいて、クーデターに反対する現在の動員の中心的な役割を担っている。それらは、スーダン革命の主要な自己組織化構造である。それらは、この国の直接民主主義にとって、どのような展望をもたらすのだろうか?
抵抗委員会(地域委員会としても知られている)は、以前のイスラム主義政権に対するスーダン民衆の闘争における中心的当事者として登場した。それらは、オマル・アルバシル独裁政権を打倒した2018年12月の革命の成功にきわめて重要な役割を果たした。多くの政治関係者は、抵抗委員会がスーダンの直面している民主化移行プロセスで中心的な役割を果たすと予想している。抵抗委員会はまた、自主管理の経験と地域での存在感のおかげで、「草の根」直接民主主義に向けた真の可能性を提供している。
地域委員会:地域的連帯と政治的抵抗の統一
抵抗委員会はもともと、スーダンのさまざまな都市における居住地域で、電気や水道などその地域に不足していた基本サービスを自分たちで築きあげ、学校や病院の条件やサービスを(学校設備や医療機器の購入、建物の改修によって)改善するために結成された普通の市民グループである。
たとえば、2019年9月、ズハル村(ゲジラ州)では、抵抗委員会が村の井戸を再建するキャンペーンを開始した。2020年1月、ハルツームのクラクラ地区では、当局の不作為によって路上にゴミが積み上げられたときに、公共スペースの大規模な集団清掃を実施した。2021年4月、アル・オベイド市では、市の経済的財産であるアラビアゴムの生産を支援するために植樹をおこなった。こうした地域の自主管理運動には、年齢も社会階層も異なる地域住民が集まっているが、特に若い男性や女性が活躍している。
2013年9月、南スーダンが分離し、石油資源を失った北スーダンを大きな経済危機が襲い、民衆反乱を引き起こした。抵抗委員会はこの反乱の先頭に立ち、政権退陣を要求した。それ以来、「抵抗委員会」は、政治組織や労働組合と並んで、スーダンの政界で重要な政治的当事者となった。
その登場によって、オマル・アルバシル率いる前政権は、主にこの抵抗委員会に弾圧を集中させるようになった。抵抗委員会が、あるときには政治組織として、あるときには社会的・人道的奉仕団体として活動していた地域にまで影響力を拡大しないように、政権は抵抗組織を解体しようとしたのである。抵抗委員会によっておこなわれた重要な現地調査は、居住地域の住民の信頼を得た。
抵抗委員会の市民や活動家の夢は、居住地域レベルから、下から国を再建することだった。住民から受けた信頼と支援によって、彼らは次第にこの夢を国家全体に広げようという熱意を持つようになった。ハッシュタグ「Hanabniho」は、「われわれはそれを再建する」という意味で、スーダンを意味する。
2019年革命以降の絶え間なく続く政治・社会活動
2019年4月の政権崩壊後も、抵抗委員会はずっと活動を続け、革命の成果を守ろうとしてきた。同時に、彼らは前政権が破壊し、(特に映画館や文化センターを閉鎖したり、その建物の敷地を売りに出したりして)居住地域の社会構造や文化生活を崩壊させたものを再建しようとした。地域委員会はまた、各居住地域での殉教者記念式典や女性・障がい者の権利国際デーの祝賀行事など、みんなのための国を建設することを目的として、革命の利益を支援する多くの政治的イベントを各地区で開催した。
たとえば、2020年3月8日の国際女性権利デーに際しては、ハルツームのアルカウィット地区の抵抗委員会は、すべての女性が無料で診療や検査を受けられるオープンクリニックを開設したほか、生理用品の配布や乳がんに関する研修会を開催した。
抵抗委員会はまた、スーダンの民主主義の将来についての会議や政治的な自己訓練ワークショップを開催した。彼らは、革命によって与えられた自由の空間を利用して、女性組合や学生組合の設立に関与してきた。
過去2年間にわたって、過渡期にある国が破壊的なインフレに見舞われ、通貨(スーダン・ポンド)の価値の乱高下に苦しむ中、地域委員会は「市場監視」チームを結成し、商人が特定の資源の不足に乗じて価格を吊り上げ、住民の不幸から利益を得ることがないように、自分たちのレベルでささやかな汚職との闘いにとりくんできた。
たとえば、ソーシャルネットワーク上では、いくつかの都市で、若者がパン屋に陣取って、パン屋が小麦粉の在庫を買い占め、パンが不足している日にもっと高い値段で売りつけようとしないかチェックしている写真を見ることができる。アルヒラリア村(ゲジラ州)では、2019年10月、抵抗委員会が、期限切れの小麦粉を地域住民に販売していたパン屋を告発した。
オマル・アルバシル政権下では、地方当局は「人民委員会」にまとめられ、権威主義的で腐敗した政策を追求し、地域民主主義のあらゆる形態を破壊しようとした。革命後、抵抗委員会は、権力を別の機関に移すだけでこのシステムを繰り返すことを阻もうとした。この古いシステムに抗議し、新しい形態の地域民主主義を要求するために、新しい当局が就任するのに必要な行政書類を破棄しようとした者もいたほどである。
また、抵抗委員会が、前政権によって取り上げられた共有財産を取り戻すことに成功した例もある。その中には、政府に近い有力者や投資家に売却された公共広場なども含まれる。
政権が人種差別にもとづく分断政策を進める中、抵抗委員会の活動家たちは、平和な社会環境を再構築するために、居住地域の住民のつながりを作るために日々活動している。
現在の動員の先頭に立っている
ここ数週間、2021年10月25日のクーデター後に発生した大規模な動員の際、抵抗委員会は、さまざまな隊列の組織化と調整の中心的当事者として登場した。それらは、2018年の動員の際に同じ役割を担っていたスーダン専門家協会にとって代わった。革命後、市民と軍部の連合によって形成された暫定政府において、市民社会を代表する役割を担ったのは専門家協会だった。
今回のクーデターを招いた暫定政府の非常に期待はずれな経験は、スーダンの世論における専門家協会の信用失墜に大きく関係している。しかし、今日、抵抗委員会が専門家協会の代わりを務めることができたとすれば、革命家の信頼を獲得することができたからである。専門家協会や諸政党は最近数年間で革命家からの信頼を失っていたのだ。
こうして、抵抗委員会はクーデターが宣言されるとすぐに、クーデター反対のデモを呼びかけ始めた。彼らは居住地域で行動を起こし、住民にデモ参加の重要性を知らせ、ビラを居住地域で配り、壁にスローガンやデモの日程などを書き記した。また、モスクの拡声器を使って、政治演説を放送した。デモの前夜には、治安部隊の通行を妨害し、軍や民兵の攻撃から住民を守るために、夜間にレンガや廃品でバリケードを築いた。この見事な戦略は、デモ参加者を守る上でその有効性が大きく証明された。
スーダンの民主主義の未来は?
まとめると、抵抗委員会は、全員が政治の世界での経験を持っているわけではない市民で構成されているが、旺盛なプロ意識を持って自らを組織し、意思決定の方法において民主主義を実行しようとしている。抵抗委員会は、指導者に頼ることなく、代表者のみで組織し、その代表者が町村レベルで、さらにその上の都市レベルで、自己調整するのである。
この内部民主主義のおかげで、スーダンの諸政党のように分裂することなく、団結して強力なままでいられたのである。抵抗委員会が、スーダンの政治領域における伝統的な政党エリートの独占を打破する手段になることを期待する評論家がいるのは、このためでもある。
スーダンの人々はいま、抵抗委員会が、スーダンの問題の解決策を見出すための集団行動の共通の風土を作り出すことができなかった政党に対するオルタナティブになりうると考えているのだ。抵抗委員会は、その自己管理構造のおかげで、居住地域や農村の住民によって主導される地域的行動に基礎を置いている。そこでは、政治経験のレベルに関係なく誰もが参加する。したがって、抵抗委員会のやり方は、誰もが決定権を持つ、スーダンにおける真の参加型民主主義を開始するものなのである。
[訳注]日本語のニュースサイトでは、「地域抵抗委員会」と訳されている場合も多い。
(『インターナショナル・ビューポイント』2022年2月10日。この記事は、まずSUDFA[フランス在住のスーダン人活動家によるオンラインメディア]のブログに昨年11月4日に掲載された)
(ハマド・ガマルは亡命中のスーダン人活動家で、リヨン第2大学とパリ政治学院で社会学を学んでいる。SUDFAの共同設立者の一人。サラ・バシュレリは、人種差別反対、外国人の権利擁護にとりくむフランスの活動家。エジプトでアラビア語を学び、エジプトの移民政策について研究した。)
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