ウクライナ トロツキー最後の闘い

 分離・独立の権利を断固擁護

『トロツキー著作集(1939年―1940年)下巻』より 

 トロツキー最後の闘いはウクライナをめぐる諸問題においても、その自決権を明確に擁護するものであった。彼はウクライナのソ連邦からの「分離・独立」の権利を明確に承認し、「自らの自由意志に基づいてソ連邦の他の部分および隣人との相互関係を決定する」ことを主張したのである。「独立ウクライナというスローガンは永久に分離したままでいることを意味するものではない」「自らの自由意志に基づいてソ連邦の他の部分、および西側の隣人との相互関係を決定するだろうということを意味する」という自決権の主張は、「支配的民族」の専横を排し、自らの自由な意思に基づいた連合こそ諸民族のあり方を規定する原理であることを積極的に示そうとするものだった。スターリニスト支配のソ連、そしてソ連崩壊後のロシアの官僚支配のあり方は、今回の「ウクライナ」問題に関しても全く同じ犯罪行為として立ち現れている。以下に『トロツキー著作集1939―1940』(柘植書房新社)下巻に収められた論文から、いくつかの記述を紹介する。ぜひ全文の一読を。          (K)

トロツキー『ウクライナ問題』

(「ソシアリストアピール」(1939年5月9日)

 「帝国主義諸国の労働官僚および労働貴族の利益を表現した第二インターナショナルは、ウクライナ問題を完全に無視した。その左翼的部分でさえ、この問題に必要な注意を向けなかった。あのローザ・ルクセンブルクでさえ、その明敏な頭脳と真に革命的な精神にもかかわらず、ウクライナ問題などひと握りのインテリの発明に過ぎないと公言してはばからなかったことを想起すれば十分である。
 彼女のこの立場はポーランド共産党に対してさえ深い影響を残した。コミンテルン・ポーランド支部の公式指導者たちは、ウクライナ問題を革命の問題としてではなく、むしろ邪魔者と見なしたのであった。それ以来、相も変わらぬ日和見主義者たちは、この問題から顔をそむけ、隠し、黙って見過ごし、あるいは不定の未来へそれを引き延ばそうとしている」。
 「ボリシェビキ党は、多くの困難を経つつ、レーニンからの絶えざる圧力によって徐々にウクライナ問題に対する正しいアプローチをなすことができた。レーニンは、民族自決権、つまり分離の権利をポーランド人にもウクライナ人にも等しく認めた。彼は貴族的な国家を認めはしなかった。彼は、被抑圧民族の問題を回避したり先へ延ばそうとしたりするあらゆる傾向を、大ロシア排外主義の表現だと見なした」。
 「このことはウクライナ人民の諸部分がクレムリンの国際関係の計算にとって、ごく小さな役割しか果たさない変数にすぎなくなっていることを意味する。第四インターナショナルは、ウクライナ問題が、単に東南および東ヨーロッパのみならず、全ヨーロッパの運命を左右する巨大な重要性を有していることをはっきりと理解しなければならない。われわれは、これまでその生存能力をはっきりと示してきた民族、数的にはフランスと同数の人口を有し、ことのほか豊かで、しかも戦略的に最高度に重要な地域を占めている民族を取り扱っているのである。ウクライナの運命に関する問題が全面的に提起されている。新しい状況に合致した明確かつ決定的なスローガンが必要とされている。私は、そのようなスローガンは現時点では次のようなもの以外にはあり得ないと考える。自由かつ独立した労働者と農民の統一ソヴィエト・ウクライナを!」
 「しかし統一ウクライナの独立は、ソビエト・ウクライナのソ連邦からの分離を意味するとクレムリンの“友人たち” は口をそろえて主張する。『何がそんなに恐ろしいのか?』――われわれはこう答える。国境に対するそのような熱烈な崇拝はわれわれには無縁である。われわれは“結合した分割不可能な”全体というような立場をとらない。結局のところ、ソ連邦憲法も、その構成諸民族の自決権、つまり分離権を承認しているのである。したがってクレムリンの寡頭支配者といえども、あえてこの原則を否定しはしない。だが現実にはこの原則は紙の上のものでしかない。独立ウクライナの問題を公然と提起するならば、それがいかにささやかな試みであっても、ただちに反逆罪による処刑を意味するのだ。
 しかしまさにこのような卑劣なごまかしこそが、まさにこのようなすべての自由な民族という考え方に対する残忍な追及こそが、ウクライナの労働大衆に、大ロシアの大衆の場合よりももっと深刻に、クレムリンの支配をきわめて抑圧的なものと受け取らせたのである」

トロツキー「ウクライナの独立とおろかなセクト主義者」
(「ソシアリストアピール」1939年9月15日号)

「革命的スローガンとしてのウクライナ独立」

 「われわれは理想的規範からではなく、事実から出発しなければならない。ソ連邦におけるテルミドール反動、数々の革命の敗北、ファシズムの勝利、――そしてファシズムは独自のやり方でヨーロッパの地図を塗り替えている――は、ウクライナ問題を含むあらゆる領域において、正価でのその代償の支払いを要求している。もしわれわれが敗北の結果作り出された状況を無視し、なんら重要な事態は生じていないというふりをし、そして不愉快な事実をおなじみの抽象論にすりかえるのであれば、われわれは多かれ少なかれ間近に迫った将来のうちに、残された報復のチャンスさえも容易に反動の手に引き渡してしまうことになるだろう」。
 「階級闘争の最も入り組んだ複雑な形態であり、同時にその最も重要な形態である民族闘争は、単に将来の世界革命に言及することによって中断したりすることができないのだという事実を、わがセクト主義者は完全に無視しているのである。西部ウクライナのプチブルジョワおよび労働者階級の大衆さえも、ソ連邦から目をそらし、国際プロレタリアートの支持と指導を受けることができず、反動的デマゴギーの犠牲となりつつある。同じ過程がソヴィエト・ウクライナにおいても疑う余地なく進行している。ただここではその現実を明示することが困難なだけである。プロレタリア前衛が独立ウクライナというスローガンを歴史的にまにあって掲げるならば、それは、不可避的に、プチブルジョアジーの階層分化をもたらし、その下級部分からプロレタリアートと同盟することを容易にするだろう。このようにしてのみ、プロレタリア革命を準備することが可能になるのだ」。
 「ウクライナ人のプチブルジョア民族主義者は、独立ウクライナというスローガンを正しいスローガンだと認識している。しかし彼らは、このスローガンをプロレタリア革命に関連させることに反対する。彼らは、ソヴィエト・ウクライナではなく、独立した民主主義ウクライナを望んでいるのだ。ここでこの問題の詳しい分析にはいることは不要である。なぜならこの問題は、ウクライナのみに関することではなく、われわれの時代の総体的評価に関わる問題であり、すでにたびたび分析してきたことだからである」。
 「独立ウクライナというスローガンは、ウクライナが永久に分離したままでいることを意味するものではない。それはただ、ウクライナが再び、自らの自由意志に基づいて、ソ連邦の他の部分および西側の隣人との相互関係を決定するだろうということを意味する。そこで、わが批判者にとって最も好都合なケースを考えてみよう。ソ連邦のすべての部分で同時に革命が起きる。官僚体制という怪物が打倒され一掃される。ソヴィエト国民議会が日程に上る」。
 「ウクライナは新たにソ連邦との関係を決定しなおす希望を表明する。わが批判者もウクライナのこの権利は認めてやってほしい。しかしウクライナが、他の複数のソヴィエト共和国との関係を自由に決定し、イエスもしくはノーと答える権利を保持するためには、ウクライナは少なくとも国民議会の開催期間中、完全な行動の自由を取りもどさなければならない。国家の独立とはこの意味に他ならない」。(トロツキー著作集 1939~40下)

    

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