ウクライナアーカイヴ

週刊かけはしに掲載されたウクライナ関連の記事のアーカイブ。ユーロマイダンの2014年~15年。テキストのファイルも添付。

================

急進左翼のマニフェスト:問題は地政学的関係ではなく寡頭支配を終わらせることだ
左翼反政権派コレクティブ
https://jrcl.info/web/frame140210f.html
(かけはし2014年2月10日号)

マイダン2013:左翼からの観点
よりマシな悪の選択の環から出る決断を
アレクサンダー・ブズガーリン
https://jrcl.info/web/frame140217f.html
(かけはし2014年2月17日号)

声明 ウクライナとの戦争に反対する!
ロシア社会主義運動中央委員会
https://jrcl.info/web/frame140310a.html
(かけはし2014年3月10日号)

ロシア プーチンの侵略行為ノー、陰の取り引きに反対する
真の住民自決に向けエリートや民族主義者の権力横領に抵抗を
オープンレフト
https://jrcl.info/web/frame140317f.html
(かけはし2014年3月17日号)

反乱は民主主義を求めた
ウクライナ左翼反対派とのインタビュー
https://jrcl.info/web/frame140317f.html
(かけはし2014年3月17日号)

ウクライナについての声明:民主主義的変革の願い支持
第四インターナショナル国際委員会
https://jrcl.info/web/frame140317g.html
(かけはし2014年3月17日号)

ロシアの軍事侵攻を許すな:「新興財閥」と排外主義者の政府反対
連帯だけがウクライナを救出する 
ウクライナ左翼反対派
https://jrcl.info/web/frame140331g.html
(かけはし2014年3月31日号)

ウクライナへの介入反対 モスクワ反戦デモに5万人
最左翼グループも参加
イリヤ・ブルドレツキス
https://jrcl.info/web/frame140331g.html
(かけはし2014年3月31日号)

最も重大なことは「民衆の春」の欧州到達だ
EU加入含むウクライナ人の民主的自己決定権を尊重せよ
ズビグニエフ・マルチン・コヴァレフスキ
https://jrcl.info/web/frame140407f.html
(かけはし2014年4月7日号)

民衆蜂起は革命的変革と同義ではない
ヴォロディミル・イシュチェンコへのインタビュー
https://jrcl.info/web/frame140519f.html
(かけはし2014年5月19日号)

自立した労働者の登場に連帯を
オデッサ事件に対する左翼反対派の声明
https://jrcl.info/web/frame140526f.html
(かけはし2014年5月26日号)

オデッサの悲劇的できごとを経て
政治的綱領としての「人間性の保持」:わずか数日のうちに「絶対的獣」となる
イリヤ・ブルドレツキス
https://jrcl.info/web/frame140602f.html
(かけはし2014年6月2日号)

平和に向けた民衆的圧力を
クリヴィー市炭坑労働者からのアピール
https://jrcl.info/web/frame140623g.html
(かけはし2014年6月23日号)

ウクライナ・マイダンの弱点と限界:民族問題は政治活動の中心的課題
ロシアと西側の指令と対決し社会的民族的権利の防衛を
第四インターナショナル書記局決議
https://jrcl.info/web/frame140630f.html
(かけはし2014年6月30日号)

ロシア MH17便ボーイング777撃墜とロシア
プーチンは引き下がれるか:冷酷な外交ゲームと国内政治
https://jrcl.info/web/frame140811g.html
(かけはし2014年8月11日号)

ウクライナ左翼フェミニストに聞く
伝統的政治との決別と新たな左翼政党建設
ロシアの侵攻と民族主義的分裂に不平等との闘いを中軸に対抗
https://jrcl.info/web/frame141110f.html
(かけはし2014年11月10日号)

ウクライナ決議:民主的社会へ連帯と再統一を
オリガルヒによる略奪阻止と緊縮の拒否が不可欠
第四インターナショナル国際委員会声明(2015年2月)
https://jrcl.info/web/frame150309g.html
(かけはし2015年3月9日号)

ここからテキスト

かけはし2014年2月10日号

かけはし2014年2月10日号

一握りの支配層が国を窮地に追いつめた

ウクライナ 急進左翼のマニフェスト

問題は地政学的関係ではなく寡頭支配を終わらせることだ

左翼反政権派コレクティブ

https://jrcl.info/web/frame140210f.html

 ウクライナでは、昨年一一月二一日の経済連携強化をめざすEUとの経済交渉打ち切りを契機として、ヤヌコビッチ政権に対する民衆反乱が全土的に拡大し、状況全体は大混迷に陥っている。メディアでは、ロシアとEUという地政学的位置取りを巡る対立といった側面にもっぱら光が当てられている。しかしその基底には深い社会的危機が潜んでいることを以下は伝えている。当地の左派の立場を示す文書を以下に紹介する。(「かけはし」編集部)

 「ユーロマイダン(マイダンとは広場の意:訳者)」の人気は、EUとの自由貿易の問題が重要であると気づいているウクライナ人とはまったく無関係だ。とはいえその気づきは、人々を夜も寝ずに広場にとどめるほどの勇気を与えた。この国の社会経済に関わる諸問題は、その東と西の近隣が抱えるそれらよりもはるかに切実なものなのだが、それが抗議運動にその意味を与えた。ウクライナの平均的俸給はロシヤやベラルーシの二分の一ないしは二・五分の一であり、EUのそれよりもはるかに低い(注一)。

特権層の貪欲規制がまず必要

 世界的経済危機は、大西洋からウラルにいたる欧州におけるほとんどすべての他の経済よりもはるかに激しくウクライナの経済をむしばんだ。危機後の経済成長はほぼ停滞に近く、産業は二〇一三年もほぼ確実に下降となるだろう。

 その上ウクライナの経済システムは、一握りの特権的支配層の税支払いを多かれ少なかれ免除している。人は完全に合法的に、利益を一切申告することなく、何百億ドルもの価値がある鉱石類、金属類、アンモニア、小麦、ひまわりを輸出できる。所得すべては海外の管轄下で隠されている。ウクライナで活動する企業のほとんどすべては、形式的にはそうした場に登録されているのだ。国内で企業が稼いだ利益すべては、合法的にまた大した努力もなく、たとえばそれらを擬制的な借り入れ返済に形作ることにより、海外の登録地に移され得る。

 ウクライナの政府が予算補充といった問題を一貫して抱えているということはまったく驚くことだろうか? 昨年末ウクライナはデフォルト寸前だった。国家の従業員たちに払うべき賃金の不払いは、普通のやり方となった。そして国家財政は、社会的プログラムへの資金割り当てをやめた。この状況は、ロシアとの貿易戦争によって悪化させられた。その時ガスプロム(ロシアの国営石油企業:訳者)は、東欧では記録的な高さの天然ガス価格をウクライナに強要した。

 一握りの特権的支配層はこの国を窮地に追い詰めた。際限のない議論を経た後でさえ彼らは、首尾一貫性のある発展計画を定めることができず、国家への投資を避け、その一方で体系的にそこから汲み出した。

 発展戦略はどのようなものであれ、彼らの食欲の厳しい抑制を含まなければならない。すなわちそれは少なくとも部分的に、海外の仕組みを禁圧し、最低限の税支払いを強要しなければならない。しかしそれこそまさに、ゲームのルールを変えなければ彼らはこの国を社会経済的破局に追い込み、彼ら自身が腰かける枝を完全にたたき切ることになることを自身で理解しているとしても、一握りの特権的支配層が受け入れることができないものなのだ。

 右翼の反政権派は、経済の諸問題を語る際、ほとんどもっぱら腐敗と非効率的な統治といった主題に焦点を当てている。そして議論がこの国家を盗む一握りの特権的支配層に転じる時には、それを自身で地域党(ヤヌコビッチ政権与党、ロシアとの連携を志向:訳者)に近いビジネスマンに限定する。彼らはまったくと言ってよいほどに、ヤヌコビッチの息子たちが所有するビジネス以外のことを詮索しない。

 右翼の観点から見た時、他の一握りの特権的支配層は問題ではない。なぜならば彼らは、民族意識をもっているからだ。この論理によれば、ウクライナが「ウクル(「真正の」――編集者注釈)」ウクライナ人から略奪されるならば、それでもそれは民族運動のためになっている。

最低限必要な提起も出ていない

 逆説的な情勢が発展中だ。誠実なエコノミストすべては(たとえばビクトル・ピンゼニクのようなまったくの自由主義者でさえ)、この国の税制と規制システムは一握りの特権的支配層を税支払いから完全に免除するために築き上げられた、ということに同意している。このシステムがもはや長続きしないだろうということは誰もが分かる。しかし議会の政治家はこれまで誰一人として、明白で現実的な体系性をもつ代わりとなるものを提案する勇気を示すことがなかった。ウクライナが直面するもっとも急を要する課題はEUあるいは貿易連合ではなく、単に一握りの特権的支配層が義務として彼らの税を支払い始めることだということを、ほとんど一人も公然と認める勇気をもっていない。

 一握りの特権的支配層が所有する実物的機能資本はすべてウクライナに置かれている以上、国家機構は彼らがそうするよう強制する力を完全にもっている。しかしながらアンドレイ・フンコが近頃指摘したことだが、ウクライナ政治の寡頭支配化が到達した程度は、現存する議会政党のうち、たった一つもこの問題に触れることすらできない、と言うほどのものなのだ。

 まったく悲しいことだが、ただ急進的な左翼のみがこれらの最低限かつ明らかな諸要求を表明している。私は強調するが、これらの要求は、「左翼反政権派」の設定課題としてではなく、反寡頭支配勢力、つまり極右ファシスト独裁を何らかの回答の類と考えないすべての人々を結集できる政策形成に向けた最初の一歩として、理解されなければならない。前述した類の回答とは、「全ウクライナ人連合『スボボダ』」がそれほどにしつこくわれわれを押しやっている独裁形態であり、その一方で公式の反政権派指導者たちは、無関心な態度をとり、様子見をしているにすぎない。

 ウクライナをその諸危機から抜け出す助けとなる何らかの首尾一貫した行動計画の明らかに目立つ不在は、文字通りの自由主義、ほとんど右翼自由主義といってよい刊行物ですらわれわれの『一〇項目』を討論し始めるにいたるほど、切実なものとなった。

10項目社会変革計画

 われわれは、「社会変革計画」を標題とした以下の一文書を皆さんの関心に付託する。これは、市民の幸福を増大させ、社会的進歩を確かなものとする道を概括している。それは部分的に、「ユーロマイダン」の諸決起におけるほとんどの社会/経済要求が無視されてきたがゆえに生み出された。われわれが望むことは、この文書が社会のイニシアチブ、左翼や労働組合のイニシアチブの広範な部分を統一する政綱として役に立てば、ということだ。この文書は、暫定的に左翼マイダンと呼ばれている共同体に属する者たちすべてを統一することを目標としている左翼組織、「左翼反政権派」に所属する活動家たちによって書かれた。

 それは、諸政党が抗議運動を変え、選挙政治へと向けている、という点には触れていない。実際それらは、システムに意味のある変革をもたらす代わりに、新しい声を見つけようとしているにすぎないのだが。そしてわれわれは、自由市場経済を宣伝する自由主義的諸制度の理念を支持しない。あるいは、差別的諸政策を推し進める急進的な民族主義者をも支持しない。

 われわれが望むことは、社会的不公正によって行動に駆り立てられている抗議運動が最終的に、その不公正の根元にある原因を根絶やしにすることができれば、ということだ。ほとんどの社会問題の原因は、抑制のない資本主義と腐敗の結果として形成された寡頭支配制だ、とわれわれは確信している。結果として生じる民族的依存を伴った、ロシアあるいはEUの援助に頼る代わりに、われわれの一握りの特権的支配層が確保している利己的な利益を制限することが重要だ。

 ユーロへの統合という要求にわれわれの声を重ねることは有害だ。代わりにわれわれは、普通の市民、特に解雇された労働者の利益を支持する上で必要となる諸々の変革をはっきり描き出す必要がある。われわれはそう確信する。そしてわれわれはいくつかの箇所で、類似した諸方策を採用してきた二、三の欧州諸国の進歩的経験を参照例として挙げている。

 われわれが結論とした目標は相対的に穏健なものだ。それゆえそれが、可能な限り幅広い諸組織に届けば、と思っている。われわれにとってこの計画は、現代の左翼政治勢力――権力にある者たちに影響を及ぼし、現行の社会秩序に代わるものを差し出すことのできる一勢力――形成に向けた一歩というよりも現在のできごとに対する一つの対応にすぎない。その事実をわれわれは隠そうとは思わない。

 「左翼反政権派」は提案された計画を、自己統治の原理に立つ社会主義――産業の社会化、社会的必要に向けた利益の配分、政府諸機関に対する市民の指名――の建設にとっては最低限の地点にあると考える。

 皆さんの見解を表明するためにわれわれのフェイスブックに登録を申し込み、ホームページにコンタクトをとること、あるいはわれわれにイーメールすることを歓迎する。

 全体としてのシステム変革なしに、一組の政治家と一握りの特権的支配層を別のそれらと置き換えることは、われわれの生活の改善とはならないだろう。その代わりに社会活動家と労組活動家からなるわれわれのグループは、諸経済危機を克服し、ウクライナの将来の成長を確かなものとするための、一〇項目の基礎的諸条件を次のように提案している。

1一握りの特権的支配層によってではなく、人民による統治

 大統領制から議会制共和国への移行が必要だ。そこでは、大統領権力は国際的基準による代表性の諸機能によって制限される。統治権力は国家の行政管理機関から、選出された地域委員会(ソビエト)に移されなければならない。諸々の統治権力は、期待に応えることのできなかった代表たちを解任する権利をもたなければならない。すなわち、判事、警察長官は、選出されなければならず、指名されてはならない。

2基本的産業の国有化

 インフラ企業(エネルギー、運輸、通信)と共に、冶金、鉱業、化学の諸産業は社会的福祉に貢献しなければならない。

3労働者がすべての所有権形態に統制を及ぼさなければならない

 われわれは成功を見た欧州の事例にしたがって、自立した労働者の組合の広範なネットワークを築き上げなければならない。それは経営を統制し、労働者の諸権利を保証するだろう。労働者はストライキを行う(賃金支払いのない場合は労働を拒否する)権利をもたなければならない。労働者はまた、賃金の遅配があった場合は、雇用主の費用でローンを破棄する権利ももつべきだ(ポルトガルの事例にしたがって)。五〇人以上を雇用する、あるいは一〇〇万ドルを超える総資本をもつ全企業の生産データ、会計データ、経営データは、オンラインで公開されなければならない。

4贅沢税の導入

 われわれは、贅沢品――ヨット、高級車、一〇〇万フリブナ(ウクライナの通貨単位:訳者)以上の費用がかかる他の用品――に対する五〇%の課税を制度化すべきだ。個人に対する累進所得税もまた導入されるべきだ。一〇〇万フリブナ以上の年収をもつ個人は、デンマークの例に従えば、五〇%まで課税されなければならない(そのようなシステムにおいては、レナト・アメトフは一人だけで、連邦財政に対し一二億フリブナを払うことになるだろう。それと比べて二〇一三年に実際に彼が払ったのは、四億フリブナであり、税率は一七%だった)。

5海外への資本移転禁止

 一定数の海外諸国においてウクライナ企業を課税から除外している付則は取り消されるべきだ。その目的は海外への資本逃避の防止だ。ウクライナにある海外企業の資産は凍結されるべきであり、投資の合法性が証明可能となるまで、仮の経営陣が指名されなければならない。

6ビジネスと政府の分離

 一〇〇万フリブナを超える所得のある市民は政府の地位についたり、地方政府に席を占めることを禁じられるべきだ。この規則に従って、全国規模の再選挙が行われなければならない。

7官僚機構に対する支出の削減

 政府支出は統制され透明化されなければならない。経営管理要員数の削減に結果する行政改革が行われなければならない。今日では、全出先機関はコンピュータプログラムで置き換え可能になっていると思われる。しかしその代わりに過去八年、政府官僚の数はほぼ一〇%も伸び、それは三七万二〇〇〇人以上で構成されるまでになった(ウクライナには住民一〇〇〇人毎に八人の行政官僚がいるが、フランスではそれが五人に過ぎない)。

8治安特別部隊の解散

 二〇一四年初頭に国家治安機構、すなわち内務省、治安警察、総検事局、特別警察部隊に対する支出削減が置かれるべきだ。内務省に一六九〇万フリブナ以上も配分されるようなことは受け入れがたい。それに対して公共保健支出は全部で六九〇万強でしかないのだ!

9無料の教育と健康管理を受ける権利

 この挑戦に向けた資金は、産業の国有化並びに治安機関と行政管理要員に対する支出削減を原資とすべきだ。教育と医療における腐敗をなくすためにわれわれは、医師と教員の俸給を引き上げ、それらの分野の威信を回復しなければならない。

10抑圧的国際金融機関からの撤退

 われわれは、IMFと他の国際金融機関とこれ以上協力することを終わりにすることを支持する。われわれは、銀行家と官僚によって利子が膨らんだ(政府保証の下で)債務の返済を拒絶したアイスランドの事例に従うべきだ。その債務は、産業の発展に向けられたというよりも、個人的な富裕化と「社会的施し」という目的に向けられたものだった。

注一)「レフトイースト」編集部の注釈。

 このマニフェストは、「レフトイースト」編集者の観点では、ウクライナ左翼内部の一少数派の立場を表しているとしても、幅広い聴衆に知られる価値のある極めて真剣かつよく考えられた文書だ。われわれはこれを、われわれのページでさらに先まで表現されている諸々の立場に微妙な差違を付け加えるために、掲載中だ。「レフトイースト」編集者は、ブルガリア左翼とロシア左翼内部で起きている「抗議運動には何が関係しているのか」に関する論争に、その中でわれわれがさまざまな立場を占めてきたが故に、極めてよく精通している。ウクライナに関するイリア・ブドライツキスの一二月一三日付け文書はこのマニフェストに近い見解を提供しているが、われわれの認識では、ウクライナに関するわれわれの報道がマイダン運動に対して批判的に取り組んできた。その上でわれわれの目標は、建設的かつ詳しい情報に基づく論争の提供を続けることだ。(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年一月号)

かけはし2014年2月17日号

よりマシな悪の選択の環から出る決断を

ウクライナ マイダン2013:左翼からの観点

抵抗の多重・多次元的弁証法

に立つ回答見出す挑戦が必要

アレクサンダー・ブズガーリン

https://jrcl.info/web/frame140217f.html

 前号に引き続き、ウクライナの現情勢に関する論考を紹介する。前号に紹介したものは、ウクライナの抵抗運動が真に取り組むべき課題、要求に焦点を絞った現地左派の政綱的性格だった。そのためそれが想定している受け手は基本的に当地の人々であり、現在のウクライナ情勢の危機的発展を導いている複雑な背景への言及はそれほど多くはない。今回紹介するブズガーリンの論考にはその空白を埋めるさまざまな情報が盛り込まれている。(「かけはし」編集部)

 この文書が書かれている段階では、抵抗の結果は未だ確定してはいない。しかし筆者は、現在のウクライナの権力層はいずれかの形でEUへと否応なく近づいていく、と確信している。他方で、一つのことははっきりしている。すなわち、ウクライナの、またウクライナとロシアの諸関係に付随する、そうした底深い諸問題は、結果として解決を見ることはないだろう、ということだ。

衝突は前回よりはるかに複雑に

 ウクライナは諸矛盾で撃ち抜かれている。キエフはこの一〇年で二度目となるが、大衆的抗議行動の、また諸統治機構との衝突の舞台となった。しかし二〇一三年末のできごとは、二〇〇四年とは表面上で似ているにすぎない。状況はもっとはるかに複雑になっている。

 二〇〇四年、マイダン(独立広場)の主要勢力は、支配的な政治・経済エリートの勝手気ままかつ人を侮蔑した振る舞いに飽きた民衆から構成されていた。民族主義グループとそうした勢力は、二〇〇四年の場合、二〇一三年に劣らず強力だった。しかし当時主要なものごとは、住民の大量の憤激だった。その上二〇一四年に提起された選択は、地政学問題(欧州に合流すべきか、ロシアとの連携にとどまるべきか)のみならず、同じほどに社会政治問題――われわれ、市民と、彼ら、寄生層の間の――だった。

 今マイダンの状況は多くの形で異なっている。権力層の寄生に対する全般的な不満はそのままである。しかし今中央舞台を占めているものは、親欧州派の政治エリートと経済エリート部分の側に立つ用心深く考え抜かれた組織化の結果だ。二〇〇四年においては、舞台の陰にいる指揮者たちは、彼ら自身をあからさまにさらすことにまだ尻込みしていた。しかし彼らは今、恥も外聞もなく前面に出てきている。

 そしてそこにはもう一つのもの、極めて重要な様相がある。すなわち二〇一三年には、民族主義者と準ファシスト諸組織が、「抗議」の主要な、有効に組織された力をもつ組織に近づく能力を示しつつ、マイダン行動に熱を入れて取りかかることになった。

 本質において情勢は今や、多重的、多次元的となった。そしてそれを分析することは、それゆえなおのこと重要となっている。ウクライナを切り裂いている諸矛盾は、今流行の地政学的観点からだけではなく、その社会・経済的次元、政治・イデオロギー次元、さらに文化・歴史の次元の分野においてもまた理解されなければならない。

 それゆえ、この文書の主な結論的主張は、現代この時のウクライナに表現されているものは、過去におけるとまったく同じく、ウクライナそれ自身の矛盾だけではなく、底深い諸矛盾の交叉だ、ということにある。

諸々の多元的矛盾とその統一体

 ウクライナを構成しているものは、鉄鋼労働者と「事務所の浮遊物」、教員と農民、サービス事業会社経営者と一握りの特権的支配層であり、一番最後のものはさまざまな「一族」に分割されている。この国には、親欧州派と新ロシア派が、そして「独立的」諸労組と公務諸組織がある。後者はほとんどの場合、EUとの統合という問題を、何よりもまず彼らの前にある選挙戦というプリズムを通して見ている、そうした人を見くだした実利主義的議会諸政党からできている。

 ウクライナ人はまた、第一次的にウクライナ語を話す住民と、主にロシア語を話す住民だ。

 最後にウクライナには、ポーランドとリトアニアへの編入とそれとの何世紀もの戦争が表現されている。そこにはまた、四五〇年というロシアとの統一、並びにロシア帝国による何世紀にも及ぶ抑圧がある。さらに反ファシズムパルチザンのヒロイズムとファシズム支持者の数々の犯罪もある。

 こうしてウクライナ社会の底深く基礎をなす諸矛盾は、歴史的に規定され、社会的かつ階級的諸要素によって条件付けられている。諸矛盾は多重的かつ多次元的だ。すなわち、歴史的・文化的、政治的・イデオロギー的、実利主義的・経済的、地政学的、さらに社会的かつ階級的次元が、今再びマイダンで交錯している。

 忘れてはならないもう一つのことがある。つまりウクライナは、その民衆、歴史、文化の、具体的であると共に普遍性をもつ統一体でもある、ということだ。これこそが、平和に対する全般的な国民的利益と一体となった、ある種確かな高潔性、全体性である「ウクライナ」だ。

 われわれがウクライナの欧州との統合という問題を分析できるのは、また分析すべきであるのは、こうした諸問題のプリズムを通してということだ。

 しかしまず、国際的連関について、ロシアとEUに関し数語が必要だろう。

ロシアとの間に深い文化的関係

 ロシアに関しては、民衆間の友情の伝統と高まる排外主義、社会的解放の目標と特権的少数資本の貪欲……を挙げなければならない。

 しかし始めに言わせてもらいたいことがある。私にとって、ハリコフ、キエフ、リボフ、ドニエプル川、カルパチア山脈、クリミア半島は、私の故国であるソビエト連邦の切り離せない一部だ。私はこの空間の中で成長し暮らした。その中で私は、あらゆるところで友を得た。しかし私は同時に、わが故国のUSSR(ソ連邦)は、それを破壊することのできる、そして最後にはそうなった、深い諸矛盾で満たされているということの理解と共に長じた。そしてまた私は、現代のロシアについて同じことを言うことができる。これが、わが故国のもっとも重要な部分である私の国だ。私はこの国を心から愛しているがまさにそれゆえに私は、現代のロシアでは反動的政治経済諸勢力がほとんどの部分で優勢を誇っている、という事実から顔をそむけるつもりはない。

 より正確に言えば、現代のロシアは今もなお、文化、科学、教育の分野で巨大な潜在力を保っている。この国で市民の多数は、社会的公正と人民権力の価値を今なお大切と思っている。数多くの社会学調査がそれを示している。現在まで、そして底深い内部的諸対立と高まる民族主義にもかかわらず、人々は多数派という形で、他の諸国の民衆との友情と対等な関係に向けて方向を保ってきた。これは特に、ウクライナのような国の人々に当てはまる。なぜならばわれわれの親や子どもは、ファシズムに対して共に闘ったのであり、わが人民は何世紀も、一つの統一した社会・文化空間を築き上げる形で合流したのだ。その空間の中では誰一人、たとえば作家のニコライ・ゴーゴリはウクライナ人と見なされるべきかロシア人なのかと問うことなど考えなかった。

 ウクライナ民衆とロシア民衆の統合に向けた強力な流れは先のことに源をもってきた。それはウクライナ人とロシア人についてだけではないということを強調したい。つまりわれわれの国々は多民族なのだ。そしてこれを理解することには、原理的な重要性がある。

 われわれの一層深い協力、極めて密接な文化的な統合にはらまれた疑いなく進歩的で生産的な性格は、ここに源をもっている。そしてその統合は、われわれ二国がその文化をもっと深くかつ幅広く、その領域のみならず近隣の領域においても、発展させ広げることを可能としてきた。

 西部ウクライナがもつ洗練された欧州的遺産を含んで、ウクライナの文化的遺産がないとすればロシアは、困難を抱えまずい生き方をすることになるだろう。そのことを心にとどめることが重要だ。ウクライナの言語、詩、レスヤ・ウクラインカの演劇、ゴーゴリの『ディカーニカ近郷夜話』、ドニエプル川を見晴らす切り立った断崖、リボフ旧市街、ハリコフの街路、これらはすべて、われわれの文化的世界の一部なのだ。

今現在のロシアは悪い連携相手

 しかし今日現代のロシアには同時に、その国の原始的資本主義とまた依然と支配を続けるロシアのエリートが育んだ、大きな力をふるう排外主義がある。この点であらゆるものごとははるかに複雑で難しく、実際に悪い。ウクライナはロシアの寡頭支配層にとって、何よりもまず、ロシアにおけると同じく安い労働力と天然の財に寄生するという、同じ政策を彼らが実行できる新たな領域だ。ロシアの「鈍感で無慈悲な」ビジネスはウクライナの人々に対して、それがわが国に対してこれまでもたらしてきたものと同じものをもたらすだろう。それは、酷い資本主義的搾取と反封建的独裁の混合物だ。

 われわれの支配的な「政治階級」について同じことを言う必要がある。ロシアは今日、腐敗した官僚制によって統治されている。その官僚制は、天然資源と金融の特権的少数支配層、それに軍事産業複合企業体の経営者たちが加わる形で編み上げられている。ロシア人の実体ある社会的諸権利と市民的諸権利は、民主国家の基準に対応するどのようなものからも離れている。そして独立労組と社会運動の諸権利は極度に制限されている。ロシアの政治生活における重要な要素は、この国の支配的サークルの中にいるさまざまな人物がもつ大きな力のある民族主義的感情だ。

 これがロシアの支配的エリートを、控えめに言ったとして、統合に向けた極めて問題をはらんだ相手としている。このロシアとの経済的、政治的統合は、ウクライナの親ロシア寡頭支配層と親ロシア政治エリートを強化するための一基盤を提供するにすぎないだろう。

 一方でウクライナの人々は、この国の市民と生産に向けた相対的に安価な資源、加えて重工業と産業プロレタリアートという留保分(そして結果として起こる成長)、さらに関税同盟諸国の大きな市場を得ると思われる。他方で彼らは同時に、原始的な資本主義の搾取形態と労働者の反封建的な搾取といったものの保存と強化をも、国家機構における父権的官僚主義傾向やロシア官僚制による地政学的支配の危険と共に、得ることになるだろう。

 これら二つの側面のバランスシートがはっきりさせられた場合、最終結果は、大多数のウクライナ市民にとってほとんど何も変化しない、ということになると思われる。EUに関してはどうだろうか?

EUの成果は労働者市民の成果

 言われる必要のある第一点は明らかだ。すなわちEUの成果は、その中心部について語っている限り、本物であり誰にも知られている。そこでは、現在の諸困難すべてにもかかわらず、数多くの大きな建設的な面が今なお残っている。北欧を考えるならば、そこで実行されたいわゆる「スカンジナビア」モデルには、ロシアやウクライナで優勢であるシステムに比べて、真の優位さがある。そこには何よりも、高度な経済の社会化がある。これらの諸国の呼び物は、累進所得税、気前のよい社会福祉給付、教育、健康管理、文化の大部分の無料利用、さらに強力かつ活動的な労働組合だ。そこでは社会的差別の水準が低く(住民の富裕層と貧困層間の差は六~七倍、われわれの国々における数字の半分以下)、市民社会の諸構造に対しては本物の権利がある。

 しかしながらこの樽一杯の社会民主主義の蜜に混ぜ合わせる形で、スプーン一杯のタールがある。事実としては一杯以上だ。この印象に残る社会的達成物は最初何十年も前に達成された。その後前進は……停止した。ところで社会民主主義の趨勢は、自転車と同じように、じっと立っていることはできない。一つの挑戦がある特定点で止まるべく行われるならば、変革が中途で凍結されるならば、社会は停滞の条件、社会的かつ精神的惰性の条件の中で終わりを遂げるだろう。

 EUの諸成果とはそういうものだ。第二点――EUの罪悪――は、EU統合と民主主義の敵による、極度にこじつけられたイデオロギー的当てこすりであるように見えるかもしれない。

 しかしながら。

 EUについてのわれわれの分析では、ロシアの支配的エリートの場合と同じく、一方における欧州諸国市民の達成物と、他方における欧州の多国籍企業とNATOメンバー諸政府が実行した諸政策の間を区別しなければならない。われわれは市民たちの達成成果によって、何よりも労働者の、彼らの労働組合の、左翼の、さらに左翼中道諸政党の、また社会運動と非政府諸組織の達成成果を心にとどめている。社会的権利と市民権を求める一世紀以上にわたるそれらの活発な闘争は、これまでに否定できない諸結果を獲得してきた。

 問題がこのような形で提起される時、EUの「行動主体」としてのNAT諸政府が何千人という元ユーゴスラビアの平和な市民の死に責任を負っている、ということは直ちに明白となる。あるいはこれですべてではない。彼らは、二〇〇八年以来事実上世界の全民衆に打撃を与えてきた金融危機に、南欧諸国の大量失業等々に、ありすぎるほどの責任を負っている。

EUへの統合にも陰うつな未来

 もっとも重要なことは次の事実であり、それは、ウクライナのEUへの統合が、予想できる未来において、ウクライナ市民がドイツやオーストリアの市民と同じように暮らす、ということを意味しているわけではない、ということだ。

 全体としての世界と同様EUは、豊かな地域と貧しい地域に分割されている。この分割の一方には、欧州多国籍企業の「故国」、産品ブランドからあらゆる類の大衆文化とがらくたメディアに広がる極度に価値ある像と並んで、大量の資本と革新的テクノロジーのほとんどをその掌中に集中している国々がある。他方には、資源産業、汚染を引き起こす生産過程、組み立てプラント、「欧州的生活」を共にする目的で休日なしに一二時間から一四時間精一杯働く用意のある住民たちと共に安価な(欧州基準では)労働力が集中している、そうした国々がある。EU内部の社会的格差は、諸国の全共同体を横断して最富裕部分と最貧困部分を比較した場合、ロシアやウクライナ……におけると大雑把に同じであることが分かる。

 こうした関連において、ウクライナがEUへの統合という道にしたがった場合、この国は貧しい周辺という類型に落ち込むだろう、ということを認識することが重要だ。このことについては、厳密に言って誰一人論争する者はいない。単純に言って、ウクライナの親欧州派サークルはそれについて「忘れている」。あるいはもっと正確に言えば、その議論を拒否している。

 このような環境の中では、わがウクライナの姉妹兄弟を何が待ち受けているのだろうか? 彼らがロシアの方向に動いた場合とまさに同じく、極めて矛盾した結果だろう。

 彼らは、議会主義とさまざまな少数派のための権利(労働組合と左翼のための権利はほとんどないとしても)へ向かう一定の形式的移行を期待できるかもしれない。ウクライナのエリートもまた、西とのより楽な対話とEUエリートへの包含を期待できるだろう。そこには、商業や観光業などでの中小ブルジョアジーの活動を拡張する、新たな機会が伴われるかもしれない。加えて――ここには基礎的な重要性がある――国家の諸財源と市場を巡る競争に満ちた奪い合いにおける、ウクライナ親西欧少数特権支配層の勝利があるだろう。

 この統合はその間、ウクライナ人のEU諸国へのすでに小さくはなくなっている移民を、主要には低賃金労働者の「アウトソーシング」形態として、強めることもあると思われる。その光景の中ではまた、脱産業化進展の強化増大と、ロシア語を話す住民にとっての実体ある社会・文化的諸問題を伴った、ウクライナ民族主義の成長があると思われる。

ロシア:文化的対話回復も

 そこで、ウクライナ人にとっては何が最良か? EUのもう一つの周辺となるべきか、ロシアに自身を統合すべきか、あるいは第三世界の一独立国となるべきか?

 私は個人的には、三つの線に沿って私の回答を確定したいと思う。第一にこの問題は、ウクライナの市民自身によって決定されなければならない。EUや米国の密使がここで圧力を行使することは、ロシアが行う場合と同様受け入れがたい。

 第二に、ウクライナ社会のさまざまな諸層は、異なった回答に利益をもっている。私は当然ながら、何らかの最終的真理を宣言できるなどとは主張しない。しかし一人の学者として、また一市民として、中立の傍観者の立場をとることには躊躇がある。私の観点では、こうして情勢は次のように提起できる(極めて要約された形で)。

 東部ウクライナの農民と産業プロレタリアートのほとんどにとっては、ロシアとの協力(強調するが、原則の問題として、ウクライナのロシアへの編入を語っているのではない)は、より大きな安定性をもたらし、新たな文化的な、また言語上の問題をもたらすことはないと思われる。ロシアのビジネスとロシアの官僚制の悪行があるとしても、これは事実だ。同じことは、教員や保健スタッフや国家諸機関の高度な訓練を受けた他の労働者のような、大量の知的専門職メンバーにも当てはまると思われる。これらの人々すべては、ウクライナ官僚制の父権的後見並びに彼らの社会的権利と市民権に関するさらなる制限と引き換えに、相対的な安定を受け取ると思われる。またロシアとの親善回復から利益を得る者は、大事業の対応する派閥となり、そこには、それらと密接に絡み合った政治的、官僚的グループが付随するだろう。これらすべての「プラス」は極度に相反する性格をもつ。しかしそこには、互いに引きつけ合うわれわれ両国から得られる疑いないプラスが一つある。すなわち、われわれの社会的・文化的対話の回復と強め合いだ。この媒介要素は原理的な重要性をもち、等しく建設的だ。

EU:不確かな民主的権利改善

 ほとんどの「自由な専門職」メンバーにとっては、つまり、商業部門の中小ブルジョアジー、その活動が西の多国籍企業と織り合わされるようになった者たち、さらにまた親西欧の政治諸勢力などにとっては、EUへの方向が短期的には有利となると思われる。

 これらのグループはこの道に沿った先ではほとんどありそうなこととして、彼ら自身がEU「中心部」の企業に従属していることを見出すことになるだろう。それは、中、東欧諸国に起きたこととまさに同じだ。逆説的だが、欧州統合からの一時的利益は、独立的労働組合やさまざまな非政府諸組織(特に今現在の社会経済問題からは一定の距離にある組織、たとえばLGBTの権利を求める運動など)にとってもあり得るものかもしれない。これらのグループは、現在の官僚制から強いられている制限のいくつかから解放されるかもしれない。

 これらの民主的前進はしかしながら、仮にたとえすべてで起きるとしても、ほとんど重要とはならず、長続きもしないだろう。EU周辺諸国では、市民権と社会権の基準は、衝撃的なほど楽々と侵犯されているのだ。その間ブリュッセルの官僚機構は、それらのことが欧州多国籍企業とNATO本部にいるブリュッセルの隣人の利益に悪影響を及ぼさない限り、これらの不履行に「気づくことができずにいること」について、驚くほどの無知ぶりを明らかにしている。

 この点で鍵を握る要素として今、二〇〇四年のできごと(筆者はそこに自分で参加した)にあった事実とは異なり、民族主義者とファシストが実践と行動の分野で最大かつもっとも組織された勢力となる間際となって、二〇一三年のマイダン諸行動に関わった。以下のことは直裁に言われる必要がある。すなわち、ウクライナにおける右翼民族主義者と準ファシスト諸組織の強さの増大は、バルト海諸国の場合とまさに同じく、これら諸国の当局者ばかりではなく、それを私は特に強調するが、EUの支配機構の直接的失策だ。

 欧州の自由民主主義者はすでに折にふれて、そして怪物的結果を伴って、ファシストカードを切ることで彼らの目的を遂げようと試みたことがあった(文字通りの一例に言及すれば、われわれは一九三八年のミュンヘン協定を思い起こすことができる)。マイダン抗議における鍵を握る勢力の一つとしての、民族主義者とファシストの現在における利用は、本質においてまさに先のような、ウクライナ「政権反対派」並びにEUが犯した犯罪だ。

経済と社会の抜本的回復を

 第三にウクライナ情勢に関する簡略な分析であってさえ、マルクス主義の観点からもたらされる場合、以下のことを平易に告げてくれる。すなわちわれわれすべては、特にウクライナにおいては、二つの等しく空しいオルタナティブのうちの想定されるより小さな悪の選択という、閉じた円環から逃れる必要がある、ということだ。われわれはある種非常に険しい応答を見出さなければならず、またそうできる。

 それは、何よりもまず社会・経済的、政治的、さらに文化的諸問題を解決する平面の上にあり、実利的な地政学のレベル(今言われているような、「われわれ自身を誰に売り渡すのか?」というようなタイプの)にではなく、ウクライナ自身の内部での真に急進的な経済と社会の改革というレベルにある。

 ここでわれわれはまた、欧州の民主的左翼の闘争経験を、さらにソ連邦内部で起きた変容の共有された諸経験――高度に矛盾した、しかし原理的な重要性のある――を批判的に利用でき、またそうしなければならない。

 あるいはまたわれわれは、決定的な要素を忘れてはならない。すなわち、本質的に階級を基礎とする左翼の政治は、この国の民族集団、歴史、文化、そして地理の具体的・普遍的(そしてそれゆえ矛盾した)統一としての、総体的なウクライナ住民の利益の同じような存在を無視してはならず、そうはできない。この利益は数多くの次元に広く及ぶ諸矛盾によって刻み込まれている。にもかかわらずそれは存在している。ロシア人や欧州の「政治策定者」ではなく、ウクライナそれ自身の民衆のみが、この国の発展に向けて、この総体的な利益に条件付けられた一つの戦略を決定しなければならす、またそうできる。

険しいが道はすでに見えている

 したがって、ウクライナ市民のためのそのような戦略を私は提示できないし、そのつもりもない。しかし私は、一人のマルクス主義学者として、またわれわれの民衆と文化の対話の真ん中で成長した何者かとして、冷淡な観察者として場外に止まるつもりはない。こうして私は、以下のことをすべての関係者に思い起こしてほしいと思っている。すなわち、あらゆる人々にとっての進歩の最高の基準、「大きな物語の脱構築」というポスト近代主義者の目的にもかかわらず存在している基準はこれまで、個人の自由な、完全な発展であり、それは今もそのままである、ということだ。これは、経済的成長だけではなく、人間的質と諸能力の前進をも、また社会的、人道的、さらに環境の諸問題の解決をも意味している。

 過去に私が繰り返し力説してきたことだが、ロシア、ウクライナ、またすべての他の国の民衆にとってのそのようなオルタナティブは、EUであろうが北米であろうが、なんらかの「信用できる帝国」の周辺への転換という道に沿っては存在していない。あるいは、半周辺諸国の寡頭支配者と官僚の一連合の中にも見出されることはない。

 広い意味において、そのような回答を見つけ出すために必要となることは、諸々の「よりマシな悪」の間の選択を拒絶することであり、代わりにある種「険しい」応答を追求することだ。この応答は、民主主義と社会主義の道に沿って進むことからのみ構成され得る。この道のみが、世界的な協同(諸民衆と諸文化の協同)への統合とまた民族文化の進歩の双方を生み出すことができる。なぜならば、本物の文化は常に、世界的であると同時に民族的でもあるからだ。

 これは抽象的な勧告ではない。このコースに出発することは、世界の最大のあるいはもっとも発展した国の部類ではない諸国にあってさえ、すでに可能なことだ。そのような諸国の今現在の事例には、民衆が米国の後見を拒絶し、発展の民主的で社会的な志向をもつモデルを実行し始めるに至った、全一連のラテンアメリカ諸国家が含まれている。これらの諸国は、それらの第一優先を、地政学的策謀を追い求めることにではなく、資本の世界的覇権に対するオルタナティブを表現する、社会・経済的、かつ政治・思想的戦略の選択に置いてきた。

▼筆者はモスクワ国立大学の教授であり「社会運動『オルタナティブス』」の統括調整者。第二回ロシア社会フォーラム組織委員会メンバーでもあった。(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年一月号)

 

かけはし2014年3月10日号

声明 ウクライナとの戦争に反対する!

ロシア社会主義運動中央委員会

2014年3月1日

https://jrcl.info/web/frame140310a.html

 ロシア・EUとの関係をめぐるウクライナの政治危機は、親ロ派政権の打倒からロシアによるウクライナ領クリミアへの軍事介入にまでエスカレートした。ウクライナにおける攻防の政治的性格は、ウクライナのファシスト組織の行動が目立っているために、きわめて複雑な様相を呈している。しかしこの闘いの基本的内容は民主主義・自由を求め特権的・強権的支配体制の打倒をめざす民衆的運動である。ロシア・プーチン政権の大国主義的軍事介入を許してはならない。ロシアの同志たちによる緊急声明を紹介する。(「かけはし」編集部)

 戦争が始まった。ロシアとヤヌコヴィッチ一派の支配領域における寡頭特権集団の資産を守り、増やすという目的で、ロシア指導部はウクライナへの侵略に乗り出した。この攻撃は、ウクライナとロシアの民衆、とりわけクリミア自治共和国とウクライナ南東部の工業地帯の住民に破局的結末をもたらす脅威である。

 これはウクライナにとってはエスニック紛争のエスカレーションを、ロシアにとっては独裁権力の強化、弾圧、排外主義的錯乱の激化をも意味する。それによって支配的エリート集団は、深化する経済危機の情勢に対する大衆的怒りを抑えることが可能となる。われわれは、キエフの新政権の民族主義的傾向に対する、ウクライナ南東部住民の憂慮を共有する。

 しかし、自由をもたらすのはプーチンの戦車ではなく、自主的組織化と自らの市民的・政治的・社会経済的諸権利のための民衆自身の闘いである、ということがわれわれの強固な確信である。

 ウクライナ民衆が、自決権、完全な自治と独立の権利を持つことは言うまでもない。しかし現在われわれが見ているものは、大衆の民主主義的意思とは何の関係もない。それは、外国の領土を併合し、ウクライナをロシアの保護国に転換させることを狙ったロシア帝国主義の鉄面皮でシニカルな行為なのだ。

 今や、ロシアの自由のための闘いとは、自らの目的のために機先を制して衝突を求める現政権の冒険主義的外交政策に反対して闘うことである。ロシア社会主義運動は、すべての誠実な左翼、民主主義組織に対して反戦の抵抗を組織するよう呼びかける。

 われわれの要求は以下の通り、

?ロシア・ウクライナ戦争反対! ウクライナでの流血を挑発するな!

?ウクライナとロシアの民衆は相互の争いをやめよう。

?ロシアならびに他のいかなる国の軍隊も、クリミアの事態に介入するな!

?独裁的法令からの自由を、クリミア半島住民の平和的自決権を!

?寡頭支配と腐敗した当局に対するウクライナ労働者の闘い支持、エスニック紛争反対!

 ロシア社会主義運動は二〇一一年三月に二つの組織――社会主義運動フペリョード(前進)[第四インターナショナル・ロシア支部]と社会主義レジスタンス――の統一によって結成された。ロシア社会主義運動は、二〇一一年と二〇一二年の不正選挙反対の抗議運動の中で作られた連合組織・「左翼戦線」の構成組織でもある。(「インターナショナルビューポイント」編集部)(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年三月号)

かけはし2014年3月17日号

陰の取り引きに反対する

ロシア プーチンの侵略行為ノー

真の住民自決に向けエリートや

民族主義者の権力横領に抵抗を

「オープンレフト」

https://jrcl.info/web/frame140317f.html

 昨年一一月から始まったウクライナの民衆反乱は、ヤヌコヴィッチ政権を崩壊に導いた。しかしその後クリミアを突破口にするロシアの露骨な介入が始まるなど、状況はめまぐるしく動いている。無責任な特権的エリートを拒否し民主主義を求めて立ち上がった現地の民衆を脇に置いた陰の取り引きと、それによる事態「収拾」が強く危惧される。以下に、ロシア左翼の三月始めに発表された見解、ウクライナ情勢に関するFI国際委員会の声明、マイダン運動に関するウクライナ左派へのインタビューを紹介する。三面の平井論説も合わせて参照していただきたい。(「かけはし」編集部)

 ウクライナで起きていることはおそろしい速度で動いている最中だ。この声明は、「オープンレフト」編集者が三月一日朝に準備した。〔今日〕三月二日午後二時には、さまざまな都市のロシア人が、ウクライナへのあり得るロシアの干渉に反対する集会を開催するだろう。

古典的な帝国主義的干渉が進行

 ウクライナの半島は、ロシアの帝国主義的野心と「新」ウクライナの粗野な民族主義政治の交差点上に自身を見出すという、不運に見舞われることになった。「オープンレフト」は、クリミアの自決権の運動は帝国主義のゲーム並びに熱に浮かされた民族主義双方にまさるものだ、と声明する。

 どの以前よりも今日、以下のことを直言することが必要だ。すなわち、現在の日々クリミアで起きていることは、ロシア国家の側からする古典的な帝国主義的干渉行為にほかならないと。それは、愚かで卑劣、そして筋違いな干渉だ。そしてそれは、ウラジミール・プーチンの体制自身がどのように描かれ得るかをも示している。

 われわれには分かることだが、この計画は休みなしで書かれ続けている。クレムリンは二週間前、その結果をよく考えるもことなく、マイダンのもっとも残忍な無理矢理の解散に向けヤヌコビッチに圧力をかけ続けていた。さらに一週間前には、失敗に終わったハルキフにおける混乱した州当局者たちの「分離主義」会議を支援していた。そしてまさに今彼らは、過去一〇年、長く忘れられていたように見える「クリミアカード」を切りつつある。

 最初の二つの計画は破綻した。最初のものは早々ににそして流血の中で。二番目のものはほとんどすぐに、そして不面目に。クリミアの今回が破綻の運命に向かう道筋をどれだけ正確に言うかは難しいとしても、それがそうなることに疑いはない。

 ロシア国家はこれまで、その同盟者をどれだけすばやく引き渡すことができるかを、繰り返しはっきりさせてきたのだ。そしてクレムリンは、クリミア情勢の劇的な展開のまさに始まりから、事態挽回に向けた潜在的意志の特有の印をもまた残し続けてきた。ロシア軍部隊が一定数の戦略的施設を接収し、事実上半島の制空権を支配し続けているという事実にもかかわらず、ロシアの公的立場は、起きていることは単なる「内部紛争」であり、前もって計画された軍事演習、というものにとどまっている。

 ヤヌコヴィッチは、ロシアの固い支持に頼り続けることなどできない。彼は、正統な大統領であると同時に国際的な犯罪人でもあるという二重の立場の下で、明らかに何か第三者の、中途半端な記者会見をロストフで行っていた。モスクワの直接的関与の下に選出された新しいクリミアの指導部もまた、状況の人質にとどまっている。

「自治」クリミアとは何か

 三月二五日に住民投票にかけられる問題(三月八日現在、三月一六日に前倒しされている:訳者)は、今後の陰の取引――米国やEUという主要な帝国主義のプレーヤー、そしてユリア・ティモシェンコの取り巻き内の古いクレムリンの寡頭層連携相手双方との――に向けた大きな幅の可能性一覧を残している。

 その問題への「イエス」との反応(ロシア語を話すクリミア住民の圧倒的多数は明らかにそこに向け準備ができている)は、そのもっとも急進的な変種として、一九九二年に存在していたクリミアの自治という地位の再確定に導き得る。そしてそれは現在の環境の下では、この地域をウクライナにおける永続的な内部的緊張の源へと変えるだろう。さらにそれは、見通せる将来におけるウクライナのNATO加入の不可能性を保証するだろう。

 この自治のクリミアは、自身がロシアに対する変わることのない経済的、政治的依存の中にいることを見出すだろう。他方その住民は、ロシアの市民がもっている公式的諸権利すらも奪われているだろう。西の重要な連携相手に対する有効な脅迫として「クリミアカード」を使うことで、モスクワがウクライナの新しい政治秩序の枠内における全体としての権力再配分に成功する条件においては、クリミアにおいては何一つまったく変化はないだろう(おそらく、セルゲイ・アクショノフと「ロシア人の統一」出身の同僚たちを例外として。あり得ることとして彼らもまた、ロストフかバルヴィハに移らざるを得なくなるだろう)。

 いずれにしても住民投票の結果は、クリミアの民衆の運命に関しては一般論として、閉じられたドアの背後で決定されるだろう。クリミアと全体としてのウクライナが外部諸勢力(西と東双方からの)間の紛争圏としてとどまる限り、住民の自決権は踏みにじられたままとなるだろう。

緊縮の大波隠す民族主義の政策

 地域党(ヤヌコヴィッチ政権の与党だった:訳者)の政治家がそれで無責任に賭けに出ることが常である国の「連邦化」というスローガンは、正常な環境の下では、文化的に、民族的に、また言語的な側面で異質な住民をもつウクライナにとっては、もっとも公正な解決となると思われる。多民族国家における連邦の原則は、その構成体の各々が地域レベルでの諸方策を採用する同等の権利と自由を保障されている場合には、対立を緩和する民主的な手法となってきた。

 しかしながらウクライナの現代史は、弱体な国家におけるこのスローガンは、より強力な諸隣国からの影響圏を写し出す以上のものでは決してないという事実を証明している。それらの各隣国は、対立と差違化の中立化ではなく、その永続的なエスカレーションに利益をもっているのだ。生きた民主的連邦主義のためには、今進行中の何ほどか刷新されたエリートや民族主義者による権力の横領ではない、真の民衆権力に向けたウクライナ革命の発展が必要となる。

 クリミアの問題はロシア当局者によって一週間前に思いつかれたわけではなかった。セヴァストポリの街頭に進出した何万という民衆は明らかに、キエフからの敵意に満ちた信号を感じ取った。そのキエフで議会の勝利した多数派は、地域言語を変更する法律に賛成票を投じたのだ。

 その法的不完全さにかんする説得力を欠いた議論にもかかわらず、この決議にはただ一つ象徴的な意味があるだけだ。新しい権力者たちは、経済的崩壊の瀬戸際に立っている国において、民族主義的投機の全側面をもって、今後やって来る「不人気な改革」の波を覆い隠そうと決めたのだ。

 この決議を先導した自由党(スヴォボダ)のウルトラ右翼にとって言語の問題は、民族的国家に向けた大規模な反動的綱領の一部だ。しかしそのような国家は、現在の形態におけるウクライナを葬ってしまう潜在力をもっている。「右翼セクター」(その主なメディアの相手は、ロシアのテレビであり続けている)の荒っぽい突進という背景に釣り合わされたこの決議は、情勢悪化の重要な要素となってしまっている。

民衆の決定権確立が不可欠

 今回のクリミアシナリオは長続きしないだろう。クレムリンのエリートたちは、彼ら自身の利益にしたがってそれを手早く演じ切るだろう。指令に従って宣伝隊が吹き鳴らした愛国的なブブゼラは静まるだろう。彼らのメディアのページ上で何度も「われわれのクリミア」の回復を呼びかけた受動的な「事務所のタカ派」は沈黙に落ち込み、他のより新鮮でより興味を呼ぶ話題に身を転じるだろう(二〇〇八年のグルジア戦争期のように)。ただクリミアの住民たち――ロシア人、タタール人、ウクライナ人――だけが、彼らの諸問題と共に一人残されるだろう。この困窮した地域の住民たちは、旅行者の流入や軍事基地の存在を別にして、キエフの右翼政治家、当地の寡頭層によって育成されている「ロシア人の保護者」、そしてロシア国家の冷笑的な策動といったものの間で締め付けられたままだろう。ついでながらこのロシア国家は、自身の一億四三〇〇万人の市民たちの諸権利と自由につばを吐きかけている。

 キエフマイダンの実際の結末を評価し予測することは今日極めて難しい。この運動は、ヤヌコヴィッチに抑圧された寡頭層一族の再起を導いたが、同時にポストソビエトの空間では考えられないような民衆の草の根運動に対して数々の勝利をもたらした。マイダンは極右ごろつきの活動に水門を開いたが、同時に、民衆の大きな部分を政治生活へと駆り立てることになった。そしてそれらの人々はおそらくはじめて、彼ら自身が彼らの運命を決めることができる、と感じ取っている。

 この諸々の可能性の広がりは、進歩的な社会変革へ、また極度の反動へ、という双方に変ずる潜在的可能性をもっている。しかし最終的決定は疑いなく、ウクライナの民衆自身――キエフやリビウであろうが、クリミアやドネツクであろうが――に残されなければならない。

▼「オープンレフト」はロシアのウェブサイトであり、そこではロシアのFIメンバーが活動している。(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年三月号)

ウクライナ 左翼反対派とのインタビュー

反乱は民主主義を求めた

https://jrcl.info/web/frame140317f.html

(リンク同じ)

 以下に掲載するのは、ウクライナの政治グループ「左翼反対派」指導部の一員で経済学者であるザカール・ポポビッチとのインタビュー。聞き手はフランス反資本主義新党(NPA)の週刊機関紙「アンチカピタリスト」のマヌ・ビシンダリツ。(IV編集部)

ロシア語を話す青年たちも決起

――この間の動きの根本にある情勢、とりわけここで政治勢力が果たしている役割について話してくれませんか。

 特別治安警察「ベルクト」に対する最初の攻撃を組織したのは、主にネオナチ組織の「プラヴィ・セクトール」であり、彼らは極右のスヴォボダ運動よりもさらにラディカルな行動を取っていました。しかしそれから数日のうちに、多くの一般人、そして実にさまざまな人びとが闘争に入っていったことも事実です。何千人もの人びとが火を大きくするためにタイヤと石油を手にしていました。活動家の中で、その多くがロシア語を話すたくさんの人びと、キエフの郊外からやってきた多くの青年たちを見ました。それは、ほとんどがウクライナ語を話す、西ウクライナの村からやってきたマイダン広場に集まった人びととは非常に違っていました。

 緊急事態法令が施行された後、ほとんどのキエフ市民はひどく怒っていました。活動家たちが殺されてからは、さらに怒りがつのりました。「いつも」の夕方には数百人の人びとが訪れるマイダン広場には、そこで一夜をすごす数千人の人びとが侵入することになりました。この大衆的動員は、警察が明らかに準備していた「クリーン作戦」からマイダン広場をおそらく救ったのです。

 「ベルクト」が攻撃してくるだろうと誰もが確信していました。その日に採決された新法によれば、デモ参加者たちはすべてが犯罪者と見なされるのです。その中には極右集団もいましたが、一部には左翼ラディカル派グループもいたのです(おもにアナーキスト)。ほとんどのデモ参加者たちは野党や排外主義的極右に批判的でした。多くの石や火炎びんが警察に向かって投げられ、一部に負傷者が出ました。

 不幸なことに多くの青年たちは、何人かが殺された後でも、それがゲームであるかのように振る舞いました。しかしそれにもかかわらず、この行動はウクライナ人の、そしてさまざまな民族とエスニック集団たちの、ウクライナにおける民主主義を求める大衆的反乱だったのです。極右がいたのは確かですが、それはより広範な運動の中でのことでした。

与野党の無策が極右台頭に加勢

――政府の対応はどうだったのでしょう。

 政府はこうした感動的なまでの大衆動員に直面して、デモ参加者に実力行使しないことを決めました。広場から撤収させようとするあらゆる試みは、多くの負傷者、おそらくは死者さえ生みだすことになったでしょう。しかし新しい反民主主義的な緊急事態法の適用を阻止したこの大衆行動は、マイダン運動の最も反民主主義的要素に刺激を与えることにもなったのです。極右ネオナチグループは警察に対する最初の戦闘の後、自らの隊伍を強化し、自分たちが運動の指導者であると宣言するほど強いのだ、と感じるようになりました。

 野党の指導者たちが宣言した休戦と、ヤツェニュク(最大野党「祖国」の幹部)を首相にするというヤヌコヴィッチ大統領の提案にもかかわらず、暴力は止まりませんでした。議会の多数党はヤヌコヴィッチ本人とともに時間稼ぎを試みるだけで、新しい選挙を組織したり、根本的な変革を導入したりする意思はありませんでした。しかし野党指導者は、ラディカルな行動の準備はなく、かれらがこれ以上何ができるかについては、何の考えもなかったのです。

 マイダンに集まった人びとは、双方に対してますます怒りを募らせていました。不幸なことに最もありそうなシナリオは、右翼の権威主義的・民族主義的体制が打ち立てられることでした。スヴォボダ党が、最も民族主義的なグループをなだめ、あるいは粉砕することができたとしても、この党の入閣は進歩的でラディカルな左派の体系的抑圧をもたらすことになるでしょう。この間、左翼や進歩的勢力は強化されていますが、スヴォボダ党は依然としてマイダンにおいて最も組織され、強力な勢力です。

 かれらは情勢を鎮静化するために政府との交渉を追求するでしょう。二月一六日の日曜日にキエフ市役所の占拠をやめましたが、この建物は数時間後、マイダンの「自衛勢力」――その多くが「プラヴィ・セクトル」のネオナチ活動家――によって再占拠されました。こうした極右グループは、かれらの指導者から公的には非難されていますが、寛容に扱われており、ますます暴力的になり、統制困難になっています。

左翼は大衆的討論参加を継続中

――あなた方の組織である「左翼反対派」は、最近「マニフェスト(宣言)」を発表しました。この運動の中で、みなさんは自分たちの方針をどのように擁護しているのですか。

 困難な情勢にもかかわらず、左翼はマイダンで以前よりもはるかに受け入れられるようになっており、おもに左翼と進歩的活動家が組織した学生センターである「ウクライナの家」で系統的な働きかけを行っています。私たちの一〇項目の「マニフェスト」の幾千部ものコピーを含む左翼の書籍やリーフレットがここで配布され、私たちは大衆的討論に参加しています。

 労働者統制とすべてのカネ持ちの選挙権の剥奪をふくむ私たちの提案は、よい反応を得ています。不幸なことにそれは、多くの人びとが左翼組織に参加していることを意味するものではありません。左翼は、かなりの数の新メンバーを引き付けるのには依然として弱すぎるのです。

 他方、左翼とアナーキストの統一をマイダンの「自主防衛隊」の中で組織しようとする試みは、極右グループの暴力的攻撃のために成功しませんでした。現在、左翼に対する暴力が再び拡大しており、ウクライナ自由労組連合の活動家たちが受けた攻撃を思い起こさせるものになっています。この攻撃は、スヴォボダのリーダーたちが示しあわせて、あるいは個人的にしかけてきたものでした。

――「左翼反対派」はロシアとEUの競合的な国際協定の問題について、どのように主張していますか。

 ウクライナにとって二つの道は、両方ともによくないものです。主要な問題は、わが国内にあるのです。「新興財閥」による政治の掌握は、大企業への課税ゼロといった結果をもたらしました。労働者と小企業がすべての税金を支払っているのです。国内には十分な資源があるのに、このようにして国庫は空っぽになったのです。

 あれこれのブロックへの統合という選択は、こうした問題を解決しません。

――あなたがたは、ロシアや欧州の反資本主義・国際主義的左翼とどのようなつながりを持っていますか。

 欧州の左翼の報道機関は、ウクライナに資本を保有しているオフショア企業(課税逃れのため本社をタックスヘイブンに移している企業)への調査を行うことが可能だと主張して、自分たちの政府に圧力をかけることができるでしょうか。政府の代表に対してだけではなく、「新興財閥」に対しても制裁キャンペーンを行うことができるでしょうか。「新興財閥」がヨーロッパに持っている銀行口座の差し押さえを、ウクライナ人が求めていることを示すことができるのでしょうか。この税率ゼロや政治の完全な「新興財閥化」は、ヨーロッパでは受け入れられないことを示すことができるのでしょうか。

 これらすべてが実行できたのであれば、すばらしかったことでしょう。最後に、ウクライナ反対派運動の中に存在し、実際のところネオナチである極右への不寛容を示すことがもちろん重要です。欧州の活動家やさまざまな個人が、こうした問題について話し合うためにキエフに来られることも歓迎します。いまなお比較的安全な条件の中で、ここで討論することは依然として可能です。

(「インターナショナルビューポント」二〇一四年二月号)

かけはし2014年3月17日号

ウクライナについての声明

民主主義的変革の願い支持

第四インターナショナル国際委員会

https://jrcl.info/web/frame140317g.html

2月25日

(1)

 二〇一三年一一月、ロシアの強い圧力の下でヤヌコヴィッチ大統領がEUとの自由貿易協定への調印を拒否した時、ウクライナの政治危機が始まった。地域党(親ロシア派政党)は、数カ月にわたってこうした合意を支持する公的キャンペーンを行っていた。それはウクライナをIMFの圧力の下に置く深刻な社会的危機、債務危機の状況下で起こったことだった。大統領の個人的権力によってこの決定がなされたやり方は、大ロシアの地域的プロジェクトの中にウクライナが新たに統合される決定が下され、二〇一〇年以来顕著となった抑圧的寡頭政治、大統領専制的な体制の流れが強まるのではないかという、民衆の恐怖を強めることになった。

 したがってこの危機の内部では、二つの明確に異なる陣営や、相互に対立するプログラムがあったわけではなかった。むしろ寡頭政治支配層とエリートたちの内部で、さらに親ロシア派の地域党自身の内部で分裂やためらいが存在していたのである。そして、この国の歴史的な二つの部分(東ウクライナと西ウクライナ)の間の文化的・社会的・政治的相違にもかかわらず、「怒り」を表明し、諸政党を信じない、一つの独立したファクターとしての大衆が登場した。それはマイダン(広場)運動への直接的関与(西部と中部でその傾向がより強い)という表現を取るか、受動的な形で表現(それはこの国の東部のロシア語を話す地域に示される)されるかにかかわらず、である。

 流血の一週間は、抗議活動の参加者に、ヤヌコヴィッチ大統領の即時解任という見解を押し付けることになった。彼は「クーデター」によって打倒されたのではない。彼に対する不人気の増大は、約八〇人の死者を出した恐怖の事件以後、彼への絶対的拒否へと変わっていった。ヤヌコヴィッチ側のスナイパーはデモ隊に実弾を発射したのだ。大統領は数カ月にわたって弾圧と対話の間でためらいを見せていたが、この流血の事件は彼自身の陣営内で彼を深刻な孤立に追いやった。

 議会は彼の解任を決議し、警察の一部、そしておそらく軍隊は、他の地域においてと同様、キエフで「民衆の側に立つ」と宣言したのである。そして彼のロシアへの飛行は、彼の拠点の中心であるドネツクで止められることになってしまった。

(2)

 この運動は、その始まりから革命的要素(民主主義的、反エリート的、自主的組織化)と反動的要素の結合として現れていた――その全般的産物は、政治的・社会的闘争の問題であったし、今でもそうである。こうした特徴は、現在のポストソビエト期ウクライナ社会のあり方に深く根ざしている(あらゆる階級的アイデンティティーぬきの個人化、教育の質の悪化、社会における反動的ナショナリズム思想のヘゲモニー。それらは、民族独立への正当な関与、スターリニズムの印象的伝統と結びついている)。

 われわれはいわゆるユーロ・マイダン運動、そして全国で表現された民衆の不満、そして民主主義国家で自由にかつ普通に暮らし、寡頭政治的・犯罪的体制をなくしたいという願いを支持する。その一方でわれわれは、EUがこうした願いを満足させられないことを確信し、EUに対してノーと言う。

 われわれは、国際条約に対して、ロシアに対してであろうがEUに対してであろうが、その政治的、社会経済的影響についての透明性を得たうえで、ウクライナ民衆が全体として調印や破棄を決定し、統制する権利を持つことを支持する。

 われわれは、どのような看板を持ったものであれ、ある機関や国際的・一国的政治勢力が民衆による全面的で自由な選択を制限することを非難する。それが経済的・財政的指示という形を取ろうとも、厳格な法や治安部隊によるものであろうとも、選択と不同意の全面的かつ複数主義的表現を妨げる物理的攻撃という形であろうとも、である。この観点からわれわれは、極右潮流も治安部隊も同様に非難する。この二つは、同じく反動的で、反ユダヤ主義的で、暴力的・排他的民族主義イデオロギーを共有していることが多いのである。

 現在のところ主要な政治勢力は右翼と極右であるが、われわれはこの運動内部で左翼反対派を建設しようとしている社会的・政治的勢力を支持する。かれらは、そのように活動することによって、運動の外部にとどまり運動全体をそこに存在する極右勢力と同一視することを拒否してきた。こうした自立的方針は、ファシストグループとの困難な衝突、そして独立以来どの政党が政権を取っていてもなされていた二五年間におよぶ社会権の抑圧に焦点を当てることを意味していた。

(3)

 ヤヌコヴィッチ政権の終焉以来、大衆運動それ自身は民主主義的・民族的・社会的課題に関して進歩的プログラムを持たず、労働者運動(労働者に根付いた独立労組と政治勢力)が欠落している――その一方で、真の民主主義的、政治的・社会的変革への全面的希望が存在する。次の選挙結果がどうであろうと、民衆の幻滅が現れる。そしてEUとの協定がどうなろうと、新しい支配政党は社会的攻撃を継続し、その内部的衝突は国の分解を引き起こす可能性がある。オルタナティブ左翼は、さまざまな右翼政党に対決し、社会的・言語的・民主主義的課題への独自の提案を通じて、民衆の希望と幻想に対処しなければならない。

 われわれはウクライナの民衆が、この国のすべての地域で、その具体的要求と支配政党への不信に関する、自己組織化的表現の独自の様式を見つけ出すことを望んでいる。(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年三月号)

かけはし2014年3月31日号

ロシアの軍事侵攻を許すな

連帯だけがウクライナを救出する 

「新興財閥」と排外主義者の政府反対

ウクライナ左翼反対派

https://jrcl.info/web/frame140331g.html

 社会主義者の連合である「左翼反対派」は、クリミアへのロシアの侵攻、並びにウクライナ民族主義者の破壊的役割に関する評価を以下に明らかにする。ロシア軍の介入は、ウクライナ社会の分裂の結果として可能となった。その統一は、「新興財閥」と排外主義者を権力に置くことでは不可能だ。連帯だけがウクライナを救うだろう。

1)われわれは、今回の紛れもない介入を今遂行中のロシア軍が撤退した後でのみ、クリミアの自己決定に組する。われわれは、ロシアの自動小銃の銃口をもってクリミア人から自分たちを守るために「自己決定している」欲得づくのエリートの自己決定ではなく、民衆の自己決定に組する。クリミアの分離の結論は、世界戦争への脅威となるロシア帝国の再現となるだろう。

2)プーチンの侵攻を正当化しているものは、マイダンの指導者たちが黙殺してきた民族主義の病的興奮だ。攻撃的な外国人排斥は正常と扱われ、今日反戦ピケットにおいてさえ、「民族に栄光を! その敵に死を!」といった扇動的なスローガンを、われわれは今なお聞き続けている。これらのスローガンのクレムリンによる操作が、東と南の人々を怖がらせてきた。しかしながらロシア連邦が仕掛けた侵攻は明らかに帝国主義的であり、革命的な共和国に敵対することを狙いとしていた(「新興財閥」たちには不利な真実の革命は、展開し始めたばかりであり、それが社会的平等化の問題を最大関心事とすることは確かなことだった)。

解放戦争は、それがもしウクライナの「新興財閥」に率いられるのならば、社会のファシズム化に変ずると思われる。要するにわれわれは、神話的な民族利害を軸とした統一化、無制限の独裁、そしてエリートの掌中に富が集中することを狙いとした社会政策管理を予想できる。われわれの政府は、社会的平等化が完遂された後ではじめて、民衆的正統性を主張できるのだ。

しかしながらわが政府は、外国の介入という脅威によって正統性を得ている――われわれは、われわれの国ではなく、一つの政権を愛するよう強いられている――。ウクライナの政権は次第次第に、「新興財閥」の直接的掌中に移りつつある(コロモイスキイとタルタは知事となった)。「新興財閥」たちはわれわれの国を略奪した。そして今彼らは、彼らの腐敗した国家の防衛に向け飢えた民衆が立つことを求めようとしている!

3)マイダンは均一ではなかった。急進的民族主義者は外国人排斥をもってこの抗議運動を本当に台無しにしたが、しかし幸いなことに彼らは、マイダンの要求を決定したわけではなかった。ウクライナ東南部の住民は、民族的少数派に属する人々と共に、マイダンには国際主義、左翼、また民主主義の立場を維持する諸勢力の多くの代表も加わっていた、ということを知らなければならない。

「ファシストマイダン」の神話を支持することは、ここでネオナチに同意しないと目されたような市民たちに対するネオナチによる力の使用を正当化することになる。反ファシスト理念が戦争正当化に利用されようとしていることを見ることは、われわれにはひどく悲しいことだ。反ファシズムは、介入ではなく連帯なのだ!

4)ウクライナ西部と中央部の市民は、言語の差別、諸々の記念碑の破壊、あるいは不必要な敵愾心の扇動を許さないよう、政府に圧力をかけなければならない。「新興財閥」が率いるウクライナ化は、排外主義という基調音の中でのみ具体化の可能性を得る。言語政策の見直し、それが必要とされる地域における母語使用の権利の拡張が必要だ。ウクライナ人並びにわが国の他の人々による民族/文化のルネサンスを、社会的諸問題の解決から切り離さすことなど不可能だ。

5)われわれは、ある種独特な文化現象としての統一ウクライナの保持を支持する。様々な民族性の共存こそが普遍的な人間的な文化をはじめて豊かにする。国の分裂が起きたあかつきには、排外主義の支配がその両方の部分で確立されるだろう。ウクライナ内部の対立すべては、「新興財閥」の独裁の結果としてある。ウクライナは、「新興財閥」支配を敗北させるという基盤の上で打ち固められ得る。

東と南の労働者は、等しく社会的変革を望んでいるが、彼らは、対立をたきつけることは単純に改善の見通しを予想不可能な未来にまで遅らせるだけ、ということを理解しなければならない。

6)ロシア連邦政府は、資本の利益のもっとも保守的な主唱者によって支配されている。そしてそれこそが、ロシアとの「再統一」についての住民投票を支持するような市民たちが、警察国家と反社会政策支持に心の準備がよりできていた理由だ。

われわれは、ロシア帝国にとっての勝利が先例となることを許すつもりはない。ウクライナのブルジョア民族主義者の主張がどうあれ、ロシアには社会主義の痕跡などまったく一つもない。

ウクライナの住民は一層ロシア人を憎み始めるだろう。一方でロシア人大衆内部には、帝国主義的幻想がより強く成長するだろう。より良い生活に対するヒトラースタイルの約束は、侵略者民族に向かう破局の中で頂点に達するだろう。

この戦争はまた、西側資本が自身の軍隊に参加を求め、ウクライナ領の一部を押さえる好機でもあることを、忘れないようにしよう。

7)まず第一にウクライナのロシア語を話す住民に、そして戦争を支持しないロシア人に訴える必要がある。彼らは、同時にロシア政府とロシア資本に継続的な圧力をかけつつ、動員と占領軍の動きを妨害しなければならない。ロシア帝国主義は、住民投票を通じた支配を強化するために彼らを利用し続けているのだ。

法に則った秩序を維持するために、相互の排外主義に反対するために、戦略的な施設を守るために、ウクライナ軍の武装解除に反対することに加えて部隊内部での宣伝を行うために、国際的な旅団をつくり出す必要がある。外部の介入と企業の適切さを欠いた「所有者」の強欲な支配から企業を防護するために、企業における労働者の自衛部隊を形成せよ。君たちが信頼する人々、君たちが選出する心づもりができている人々と共に、部隊を組織せよ!

ウクライナ軍は市民の支配の下に行動しなければならない。パルビイやヤロシュのような民族主義者指導部の下でなぜ死ぬのか? 彼らは、ユーロマイダンでの不条理な戦術的失策を、また民族間敵愾心のあおり立てを失敗したと思っているのだ。

アクメトフ/コロモイスキイの利益にしたがってなぜ死ぬのか? すべての民族の労働者は、ウクライナ「新興財閥」から連帯を学ぶ必要がある。彼らは、彼らの共通利害を軸に彼らの違いすべてを克服し統一しているのだ。

分離主義者と成り果てた無法者役人を打ち倒せ!

ロシア帝国主義打倒!

ウクライナの排外主義者打倒!

労働者の独立ウクライナ万歳!

二〇一四年三月三日(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年三月号、ウェブサイト「レフトイースト」掲載のオリジナルからの翻訳)

モスクワ 反戦デモに5万人 

ウクライナへの介入反対 最左翼グループも参加

イリヤ・ブルドレツキス

 今日(三月一五日)、モスクワの中心部で約五万人が「平和のための行進」に参加した。しばらくなかったほどの――少なくとも昨年はなかった――最大の結集だった。デモを組織したのはアレクセイ・ナバルニの進歩党など、リベラル野党勢力だ。多くの若者や中高年の参加者がウクライナとロシアの旗や平和を訴えるポスターを掲げ、モスクワの大通りを三時間にわたって行進した。

ウクライナマイダン運動も参加

集会の最後に、特別の目的でモスクワを訪れたウクライナ・マイダン(広場)運動の話し手が登場した。「子猫の反乱」のナディヤ・トロコニコバと、幾人かの著名なミュージシャンやジャーナリストたちである。

この行動には、目につく形で最左翼も参加していた――ロシア社会主義運動、CWI(労働者インタナショナルのための委員会――イギリスに本拠を持つ左翼)グループ、アナーキスト、そしてLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)のグループなどだ。

この反戦デモと同時に、「クリミアをロシアに」と訴える二つのデモが行われた。一部の極右勢力とロシア正教会原理主義派が組織したものだ。このデモの参加者は合計で約五〇〇〇人だった。

ロシア全土で反戦行動

ペトログラード、エカテリンブルグ、ニジニ・ノブゴロドなどでも反戦行動が行われ、エカテリンブルグではデモを支持する市長が参加して、発言した。

これは、ロシア社会の政治的に活動的な層の中に、プーチンのウクライナ政策にはっきりと反対する人びとがいることを示している。

2014年3月15日

(「インターナショナル・ビューポイント」サイトより)

かけはし2014年4月7日号

最も重大なことは「民衆の春」の欧州到達だ

EU加入含むウクライナ人の民主的自己決定権を尊重せよ

ズビグニエフ・マルチン・コヴァレフスキ

https://jrcl.info/web/frame140407f.html

 

 以下は、ポーランドの元「連帯」活動家によるウクライナの民衆蜂起に対する論評。以下ではこの蜂起、そしてヤヌコビッチ政権の打倒が、アラブから欧州へと到達した民衆の春として位置づけられ、民衆にとっての画期的な突破がつくり出された、と評価されている。そしてその観点から、ロシア政権の介入正当化の口実として、また様々な形で取り上げられている、マイダン運動内の極右武装集団の問題に、ウクライナの歴史的矛盾から光を当て、それを理由としたマイダン運動に対する否定的見方に釘を刺している。ウクライナ民衆との連帯、さらに世界の矛盾蓄積とその展開を考える上で示唆に富む論評として紹介する。(「かけはし」編集部)

歴史的例外が多様な矛盾を生成

 二〇一〇年冬、アラブの春は欧州の近くにやって来た。地中海の対岸に位置する諸国にだ。われわれはそれから四年遅れて、民衆の春がアラブ単独の現象ではない、ということを見ている。さしあたってはEUの外周においてであるとはいえ、それは欧州でもまた爆発することとなった。

 おそらくわれわれは、欧州での資本主義的統合過程が、その近くで、しかしEU外周で、緊張の爆発的蓄積にどの程度まで寄与したのかを認識していなかった。この寄与は今なお、ウクライナのようなもっと近い欧州周辺でより真実だ。

 今回この結びつきは直接的であり、はっきりと見えるものだ。すなわち、始まりにおいて衝突は、EUへの接合という問題を巡ってはじけた。これこそが群衆を集め始めた最初のスローガンだった。そしてそれが大衆的社会運動を誕生させ、戦争の脅威を含んだ巨大な高潮に導いた。ただしここでふれた戦争は、リビアやシリアにおけるような内戦ではなく――とはいえそれは、ロシア並びに世界中でロシアと結びついている宣伝ネットワークすべてで期待され、かき立てられた――、国家間戦争だ。

 民衆の春は常に驚きに満ちている。時としてそれは、晴天の霹靂のように、ある国でまったく予期しないやり方で起きる。しかしながらことが起きてみれば、他ではなくそこでそれが起きることになった理由には驚くことが何もない、ということが明らかになる。今回も真実は同じだ。

 ウクライナは世界の政治地図上では、一定の非常に意味深い、少なくとも世界的レベルでの「代表的な価値」との関係で、巨人的な歴史的例外、あるいは逸脱だ。面積という点で欧州ではロシアに次ぐ最大の国、そして人口という点で最大の国の一つであるこの国は、辛うじて二三年間独立国家として存在してきた。この事実が、「代表的な価値」が長期にわたってすべての大国民にとって、あるいはウクライナ国民よりも小さな国民にとってさえ、国民国家に対応している大陸にあるのだ。この歴史的例外こそがもっとも多様な諸矛盾を生み出してきた。そしてそれは今、他のところよりもはるかに簡単に、諸々の火薬樽に姿を変えられている。

長期の抑圧が蜂起に二つの不均衡

 ウクライナは、民族抑圧という、主にはロシアとポーランドの何世紀もの非常な重荷を背負っている。ソビエト・ウクライナの中では、ウクライナ化として知られる何年かの猛烈な前向きな差別の後、その背後にロシア帝国主義が隠されていたスターリニスト体制の到来と共に、ロシア化政策への回帰が来た。インテリゲンチャーは虐殺され、数百万人の農民、すなわち民族的アイデンティティーの基礎である民衆は、飢饉によって根絶やしにされた。

第二次世界大戦後、ロシア化は今再統一されているウクライナ全土に及んだ。とはいえそれ以前はポーランドの植民地的くびきの下にあった西ウクライナでは、激しい反ソビエト抵抗活動が、一九五〇年代半ばまで維持された。ロシア化は、ペトロ・チェレスト政権の時期(一九六三~一九七二年)を除いて、事実上ソ連邦崩壊まで遂行された。

私はウクライナによる独立宣言前夜、EU議会が編纂した「新欧州」という論評に以下のように書いた。すなわち、「ウクライナの進展を脆弱にしているものは、一つの国家をもたない民族として長期の抑圧の下に置かれ、ウクライナ人がまだその民族形成を完結していないという事実である」と。そしてこのことは依然として事実なのだ。国家としての存在のわずか二〇年という期間は、この抑圧がその背後でウクライナ社会内部に残した遺産を克服するには、時間としてあまりに短すぎる。

それゆえ大衆蜂起――「オレンジ革命」に続く今第二の――の中には、国の様々な地域にしたがった大きな不釣り合いがある。蜂起は、その主な後衛が国の東部にある政権に対決する形をとって、第一次世界大戦後の親独立運動揺籃地である、西部と中央部の地域で広がった。

それゆえまた、歴史的に非常な遅れをとった、しかし一つの独立国家を打ち固めたいと熱望するこの民族運動と、EUに合流しようという切望との間にも、逆説的な矛盾がある。何しろEU――資本主義的グローバリゼーションの道具として――は、国民国家を弱体化し、その主権を制限するのだ。

この矛盾への特段の言及は、ウクライナにその外にとどまるよう助言しながら、この富裕で選ばれた者たちの要塞であるEUのメンバー国であることと結びついた特権を享受している者たちへの、同意を示すものではまったくない。それは、特権ある者たちが示す排外主義の目印なのだ。EU労働力市場への参入は、何百万人というポーランド人を貧困と飢餓から救い出してきた。そしてウクライナ人はこのことをよく知っている。

EU諸国の中で左翼には、東と南の排除された民衆との連帯という義務がある。EUの中では社会的に破局的な新自由主義改革が彼らを待ち受けている、という議論は誤っている。彼らは、外にとどまることではそれらの改革を回避することにならないだけでなく、統合された欧州に属することと結びついた便益を享受できないことによって、むしろもっと厳しい打撃を受けることにもなるだろう。

逆に彼らはEU内部では、他の民衆と共に、新自由主義的な資本主義改革に抵抗する機会を得ることになるだろう。こうした主張は、人々の懸念すべてを無視する、ということではない。ウクライナにも数多くいるその人々は正しくも、EUとの自由貿易圏メンバーとなることが彼らの職と生活基準に劇的な諸結果をもたらす、ということを恐れている。しかしながら、自己決定という民族の権利は、EU加入というウクライナ人の民主的権利をもまた守ることを意味するのだ。

際立つ自立性と衰えない闘志

ウクライナの今回の大衆蜂起には、逆説度がより小さいとはとても言えないもう一つの矛盾がある。この蜂起は、そのまさに本質において、選挙の不正で知られた、東部ウクライナの強力な新興財閥の利益を代表する一つの政権、国民的冨に対する特権と腐敗を特徴とする一つの権威主義的政権と対決した、民主的な運動だ。

この運動はその二回目の息吹を見出し、一月一六日、民主的自由に対する根底的な制限に従順な議会が賛成投票を行った際には、大きな勇気と闘争における非常な決意を示した。それは蜂起の間、運動が信用に値しないと見なした主要な野党との関係で、まったく際立った自立性を維持してきた。

キエフのマイダンに結集した大衆は、記憶に残るうぬぼれやトリオを、彼らの指導部とは決して認めなかった。自分自身を自分で指導者と押し立てた者たちはそのトリオであり、そうした能力において彼らは、EUエリートと国際メディアによって、力を込めた歓呼で迎えられた。

しかし彼らは運動をどこにも導かなかった。すなわち彼らは運動を、ただ敗北に向けてのみ導いていたと言えるだろう。彼らは、たとえば大統領権限を制限する議会投票のような、あいまいな「今回は決定的な効力をもつ諸方策」を約束した。このすべては、運動を惰性状態にとどめる、少なくともそれを沈黙させる、それでヤヌコビッチを権力にとどめるためのものだった。成功を見ることはなかったが。

マイダンの大衆は彼らに従おうとはせず、彼らは何度も笑いものにされ野次り倒された。マイダンを支配していたものは、自己組織、そして勝利と政権打倒まで闘うという衰えない意志だった。

それほど遠くない過去、欧州でのグローバルジャスティス運動と数知れない抵抗の中に含まれていた不快なものは、運動の同意もなく、いかなる民主的統制からも離れて、しかし運動のためだとして行動した戦闘グループだった。彼らの行動の旗印が何であれ、彼らは知らず知らずの内に、彼らの実践の中で暴力を力づける極右のイデオロギーを再生産した。それらの実践が、大衆運動に対する警察の弾圧に導く挑発にまったく道を開いていたことは、あるいは運動を抑圧する格好の口実を国家に提供したことは、驚くに当たらない。

極度に残酷な警察の攻撃を前にして、マイダンは自衛の力を窮余の策として必要とした。しかしながらマイダンの組織構造と結束は、あらゆる戦闘組織にその主権的な社会的権力への従属を強要し、それにより統制の効かない民兵の出現を回避するには、あまりに緩すぎた。この弱さの結果は、マイダン近くのルシェブスキイ通りにあった戦略的なバリケード周辺での、特殊訓練を受けた極右戦闘部隊の連合である「右翼セクター」が支配した武装勢力の出現だった。

浸透を許すその特質が挑発に導いたこの連合には、一定数の不可解なものごとが張り付いている。たとえば完全にびっくりするような事実がある。それはヤヌコビッチ逃亡後にジャーナリストたちが掘り起こしたものごとだが、二月二〇日、マイダンで血が流されたその時、右翼セクタートップにいる司令官のドミトロ・イアロッチがこっそりとヤヌコビッチと会っていたのだ。彼らは何を話し合ったのか?

イアロッチが語るところによれば、「それは、後で署名されたような協定に関係していた。私は署名を拒否した。私は彼に、われわれは操り人形ではない、と告げた。そして、ヴィクトル・フェドロヴィッチ、軍を下げろ、そうでなければウクライナ中でのゲリラ戦となると。その会談は、われわれは屈服しない、われわれは武器を置かない、われわれは最後までもちこたえる、と告げるものだった」というものだ。この驚くべき会談について、われわれはそれ以上何も知らない。しかしそれは爆弾――おそらくは時限爆弾――だ。

極右の存在は避けがたい危険

 警察との戦闘でこのウルトラ民族主義陣営が果たした極めて重大な役割は、マイダンに褐色の陰を投げかけた。上述した三人のうぬぼれや内部における急進的な右翼民族主義政党であるスヴォボダの指導者の存在とまさに同じく、ロシアの宣伝は、ファシストあるいはネオナチ運動としてマイダンの信用を落とすために、先の陰を利用しようと試みた。

その試みのひどさは、ウクライナ民族主義を専門とする四〇人のウクライナの、また外国の歴史家が、対応が必要だと考えるほどのものだった。マイダンは「解放運動家と過激ではない民衆の市民的不服従の行動だ」と彼らは語った。彼らは、マイダンにとって極右の参加は否応なく伴う危険だということを意識した上で、世界のメディアに、マイダンは「超過激派を含んだ急進的自民族中心主義グループの浸透を受け、そこから動かされ、さらに乗っ取られつつある」などと暗示しないよう訴えた。そして、そのような暗示はロシア帝国主義への贈り物になるという事実を、しかもロシア帝国主義は「同時に取り上げられているウクライナのあらゆる自民族中心主義よりも、社会的公正や少数派の権利や政治的平等にとってもっと深刻な脅威である」ということを、考慮に入れるよう求めた。

事実としてマイダンは、極右民兵と大衆的な民主的運動の驚くべき連携の劇場だった。それこそが二番目の大きな矛盾だ。この運動にとってそれはある種致命的な危険だ。

しかし大規模な大衆運動というものは、この種の危険に対して、歴史を反面教師として予防接種されている、などということは決してない。前もって階級的観点から形作られている運動であってさえ、ウクライナのそれのようにそんなことはこれまでなかった運動は言うまでもなく、基本的に骨身を惜しんで蓄積されたそれ自身の諸経験から学ぶのだ。

自身の民族問題をまだ解決できていない民衆、そして帝国主義的な抑圧や圧力や侵攻にさらされてきた民衆の内部で、上述した連携のような逆説的組み合わせは基本的に避けがたい。

このことに対する理由はミコラ・クヴィロヴィ――共産主義者、作家、そしてプロレタリア文学自由アカデミーの責任者――が説明した。彼は、スターリンが犯した彼の属する人々に対する虐殺に抗議して一九三三年に自殺した。同様なことはほぼ同時期、ウクライナ共産党の歴史的指導者であるミコラ・スクリプニクも行った。

クヴィロヴィはその何年か前、次のような意味深い言葉を書き残していた。すなわち、「一つの民衆が(すでに何度も書かれてきたように)一つの国家的実体としての器官を作り上げようとの意志を何世紀も示している時、この自然な歩みをいずれかの方法で止めようとする試みすべては、階級的勢力の形成を抑え込み、他方で、世界的な歴史の進行に混沌の一要素を持ち込む。不毛な偽物のマルクス主義を助けとして独立への熱望を否定することは、西欧が民族国家が形成された時代に通過したこの自然な段階をウクライナが通り抜けない限りは、ウクライナが反革命行動の戦場となる、ということへの無理解を意味する」と。

近隣の大国が戦争と併合でウクライナを脅迫しながら、その元の領地に対する掌握力を緩めたくないと思っている時、先の段階を通り抜けることは極めて困難だ。しかも、以前にあったものよりも反民衆度が少ないとはとても言えない、そうした新自由主義者と急進的右翼民族主義者の新政権が、自身の新たな新興財閥基盤を生み出しつつあり、この国を強欲な資本主義的グローバリゼーションに従属させる準備ができている時は、なおさらそうだ。

しかし確かなことは一つある。それは今あるものが、長い闘争と重い犠牲を通して、民衆がもう一つの体制を一掃し切った新たな同時代の春だ、ということだ。はじめて、欧州で民衆がそれをやり抜いた。それこそが大きなできごとなのだ。

▼筆者は一九八〇~八一年に、ウッジにおけるソリダルノスチの地方指導部一員だった。彼は、ソリダルノスチ第一回大会代議員として、採択された綱領の仕上げに参加した。一九八一年一二月に戒厳令が布告された時彼は、フランスの労働組合の招待でパリにいた。彼は、一九八一年から一九九〇年までポーランドで非公然に配布された第四インターナショナル発行の雑誌、「インプレコール」ポーランド語版編集に力を貸し、さらに「われわれの工場を返せ!」を刊行した。彼は、共著としてウクライナの民族問題に関する研究をウクライナ国家科学アカデミーから刊行している。彼は現在「ルモンド・ディプロマティク」ポーランド語版の編集者である。

(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年三月号)

かけはし2014年5月19日号

民衆蜂起は革命的変革と同義ではない

ヴォロディミル・イシュチェンコへのインタビュー

https://jrcl.info/web/frame140519f.html

資本主義が民衆への脅威であるが実体的オルタナティブが見えない

 以下は、ヴォロディミル・イシュチェンコへのインタビューを文書に起こしたもの。インタビューは、チュック・メルツによって、「これは地獄だ!」ラジオ局で四月一九日に行われ、シカゴを本拠とするラジオ局、「アンティドート・チューン・コム」、そして「レフトイースト」間の協力の下に組織された。これは、インタビューの完全再録版であり、番組後にヴォロディミルが文書で回答した最後の二つの質問を含んでいる。

二つの蜂起、今問題は東部に

――われわれと今電話がつながっている人物はヴォロディミル・イシュチェンコだ。彼はウクライナの社会的抗議運動を研究している社会学者だ。こんばんは、ヴォロディミル。

 こんばんは。

――ヴォロディミルの最新論考には、四月一五日付ガーディアン・ポストの「マイダンか、それともアンティマイダンか/ウクライナ情勢はもっと繊細な受け止めを求めている」が含まれている。

ここでは今週、BBCから届いた話がある。ロシアとウクライナが危機を終わらせる道筋について合意した、というものだ。「ロシアとウクライナは、『親ロシア派民兵』が焚きつけた東部ウクライナの不穏な情勢を終わらせるために、一つの取引を一七日取り決める」とある。この合意はウクライナの問題すべてを解決したのだろうか? これはウクライナ市民に対し安全と安全保障を提供すると考えるか?

米国メディアの中で広まってきた諸々の話の一つは、クリミアの中に、さらに東部ウクライナの中にもある考え方であり、それは、キエフは無法状態になった、そこはギャングに支配されるようになった、犯罪活動があるようになった、そこに安全はない、さらに、彼らは同じ類の混乱がクリミアあるいは東部ウクライナに達っしかけていると恐れている、というものだ。

 それはひどく誇張された絵柄だ。キエフの生活は全面的に安全だ。それはまったくのところ、東部ウクライナよりも今ははるかに安全だ。他方東部ウクライナの場合、ドンバスには、州の建物を襲撃した武装ギャングがいるのだ。それらのある者たちはその地で抗議に立ち上がっている人々のように見えるが、しかしある者たちは、まさに何ほどか民兵として、まったく十分な装備をもち、十分すぎる訓練を受けているように見える。たとえ彼らがロシア人やロシア主義者ではないとしても、彼らはまた、新政権からの処罰を逃れるためにキエフを離れた、元治安対策特別警察官でもあり得るのだ。

キエフは、中心部で本物の混乱と街頭の衝突があった二月よりも、画然とはるかに安全になっている。大きな問題は東部ウクライナの方にある。

――この抗議運動に関して二つ一組のまったく一般的な質問をさせて欲しい。メディアは、何らかの抗議を取り上げたすべての場合、エジプトであろうが、ベネズエラであろうが、どこであっても問題ではないが、しばしばそれは経済に関わっていると指摘する。そして、その地域が経済に関し後退に向かっていなかったとすれば、抗議活動は決して起こらなかったはず、と言う。それはほとんど、人々が彼らの権利や自由に気をもんでいる場合には抗議など起こるものではない、とメディアが語っているようなものだ。

そこで、ウクライナの蜂起では経済はどの程度の役割を占めたのか? これはまったく自由と権利に関わるものなのか、あるいは、まさに収支決算に、ウクライナ人の財布に関わるものなのか?

 実際には二つの蜂起があった。知っての通りマイダン蜂起――一二月に始まり、一月になってもっと暴力的になった――がある。そして今、東部ウクライナの蜂起がある。それらには似通った多くの特徴がある。しかし今の東部ウクライナでは社会・経済的要素が幾分かより深い。そこでは経済情勢が本当に悪化の途上にある。

ウクライナ通貨はここ二、三ヵ月でその価値をほぼ四〇%近く失った。諸物価は高騰を続けているが、東部ウクライナの人々は主に労働者と年金生活者なのだ。彼らは賃金について、諸物価について、産業の崩壊について今話している。彼らのある者は国有化を要求し、またある者は彼らの労働に対するまともな賃金支払いを要求している。その抗議運動はより経済に関係している。つまりそれは、彼らの帰属とはまさに関係していない。

しかし同時に彼らはもちろん、彼らの尊厳、彼らの言語、彼らの歴史、彼らのヒーローたち、そして話題の連邦化問題――そしてこれがまた、彼らの自決権に対する認知という問題、具体性をもった自由と権利の問題をも活気づけている――に関しても発言している。

マイダンの抗議はある種より思想的な抗議として始まった。それは一定程度、欧州をウクライナの多くの問題を解決すると思われる一種のユートピアと見なしながら、欧州の夢に向かって突破口を切り開く挑戦だった。そして他の人々にとってのそれは、ロシアに反対する抗議だった。ヤヌコビッチが欧州連携協定に署名しないとすれば、彼はロシア、ベラルーシ、カザフスタンとの関税同盟に加わるだろう、全体的にはこのように信じられていた。しかしこれらの諸国は、ウクライナがそこに自ら向かう必要のない貧しく権威主義的な国々として、まったく否定的な色合いの中で信用されていなかった。

しかしマイダン蜂起中の後半、警察の弾圧と暴力という問題、一月に通過させられた権威主義的な諸法令――それらが前線に引き出されてきた――という問題が出てきた。そしてこれらの問題が欧州連携協定よりも重大なものとなった。

諸要素の複雑な組合せに注視を

――あなたに聞きたいもう一つの一般的質問がある。つまり、こうした抗議はどの程度外部勢力によってつくられているのか、ということだ。先週からのウィキリークスの暴露――米国に友好的でない政権の打倒を助ける、あるいはそれを不安定化する試みとしてこれまでなされてきた仕事、並びにUSAIDに関する――以来、ここ合衆国では、USAIDとNEDが果たしている役割に関して、メディアの批判的部分の中で何ほどかの話が出てきた。

そしてその上でロシアの要素を取り上げてもらえればありがたい。米国のメディアによれば、東部ウクライナで抗議に立ち上がっている者たちはロシアに操作され続けていることになっている。

それゆえこれは、本当にウクライナ人の蜂起なのか? あるいはまさにチェスの駒を使った超大国の勝負なのか?

 まったくのところそれこそが、今議論の中にある大問題だ。東部ウクライナで起きている反マイダン蜂起を好まない人たちは、それを主にロシアの操作と見ている。つまり、もっと権威主義的な体制を欲する、ロシアの独裁を欲する、自身の真の利益を理解していないまさに合理性を欠いた、愚かしい人々(が蜂起参加者:訳者)、というわけだ。

そしてそれと対照的な絵――ロシアのメディアあるいはマイダンの抗議運動を好まなかった人々による――は、西側の諸政府あるいはウクライナの新興財閥による操作、という絵だ。主張はまたも、民衆は彼らがそのために闘っているものを理解していない、というものだ。

あなたは明らかに、米国とロシア双方とも――そしてEUも――ウクライナの政治に影響力を働かせようとしていることを否定などできない。否定したとすれば、それこそ愚かしいこととなるだろう。それらは大国であり、自身の帝国主義的利害をもち、そしてそうしたものこそ、これらの国からわれわれが予想できることなのだ。

しかしその上で、あなたはこの抗議運動の草の根的本性を否定している。民衆は真の諸問題を話し合っている。民衆は、西ウクライナではマイダンで、また東部でも双方で今、自己組織化を進めつつある。それゆえあなた方はまさにそれを、話題の大国の勝負に切り縮めてはならないのだ。

同時にそれはまた、運動が実際の結末に達する際にも問題となる。これらの抗議運動の最終結果はどのようなものになるのだろうか? マイダンの場合にわれわれは、IMF――緊縮を要求した――、諸物価の高騰、新たな新自由主義政府、そして極右の強さの高まりを見ている。そして東部ウクライナの抗議の場合には、それが止まらないとすれば、それはウクライナの政治的安定性にとっては本物の危険となるだろう……そしてそれは次にはロシアによって、彼ら自身の利益を促進するために利用されると思われる。

しかしわれわれは、様々な諸要素からなるこの複雑な組み合わせをよく見る必要がある。ウクライナの民衆は彼らの諸問題を解決したいとの希望をもっているのだ。つまり彼らは、より公正で自由な社会のために闘いたいと思っている。しかし彼らはまた、海外の主体からも影響を受けている。そして不幸なことだがウクライナは今、大国の試合場と見られている。

――米国のメディアがまさに今伝え続けている愚かしいことの一つは、クリミアにウラジミール・プーチンがロシア軍部隊を送り込んだ理由――ウクライナに関して彼が力を誇示できる理由――はすべて、彼がバラク・オバマが弱体だと確信していることにある、というものだ。あなたは、そこには本当のところ何らかの根拠がある、と考えるか?

 それはノーだ。それが大きな物語になっているとすれば、それこそ滑稽に聞こえる。私が思うに、クリミア併合の背後にある主な要素は国内政治だった。プーチンは、ロシアでウクライナのようなことを繰り返す試みはどのようなものであれ功を奏さない、ということをロシアの民衆に示す必要があった。クリミアは、ロシア住民内部で愛国主義を高めるために、ロシアの反政府勢力――マイダンからまったくたいそうな勇気を得ていた――がロシアで似た何ごとかに挑むことを可能にする機会すべてを狭めるために、必要だったのだ。

すぐ終わる、そして勝利に終わる作戦がまさに切に必要とされていた。そして今世論調査から知られていることは、ロシア人の八〇%以上がクリミア併合を支持し、八〇%以上がプーチンの政策を支持し、大統領を中心とする大きな程度の国民的団結がある、というような何ごとかだ。

ウクライナ問題に軍事は破壊的

――この問題に対しては軍事的解決というものはあるのか? われわれに聞こえてくるものは次のようなことだ。すなわち、西側はロシアを止めるために十分なことをやろうとしていない。しかし米国とロシアが何ごとかをやらないとすれば、ウクライナが内戦に陥る瀬戸際に向かう、ということは極めてあり得ることだ。この問題を解決するかもしれない軍事的解決――西側による介入、あるいは内戦、どちらでも――はあるのだろうか?

 ない。断言するが、内戦は解決ではない。それはむしろ問題であり、しかも非常に具体性のある問題だ。東部ウクライナでは、人々はすでに衝突で今死んでいる。そして最新世論調査によれば、東部ウクライナ地域人口の四〇%以上が、近い将来に内戦は極めてありそう、と信じている。それは、状況がまったく危険になりつつある、ということを示している。

そして、NATO軍が東部ウクライナでの平和回復に巻き込まれるとすれば、それは外国による占領と見られるだろう。そして軍事的解決策は、キエフ政府にとってもあり得るものではない。まさに今ウクライナには軍隊――紙の上の装備と人員というだけではなく、実際に戦闘が可能な軍――があるのかどうか、という問題があるのだ。これまでに、当地の抗議活動参加者に戦闘車両を残し戻った、東部ウクライナに派遣された兵士の事例があった。彼らは相手と戦闘する準備ができていなかったのだ。相手を撃つ準備がなかったのだ。それゆえそれは、軍事的解決が望ましいかどうかという問題だけではなく、そもそも実行可能なのか、という問題でもある。

民衆的蜂起は、革命的変革――社会と政治的諸制度内での構造的かつ原理的変革――が後に続く、ということを意味するわけではない。

――ウクライナの民衆にとっては誰が最大の脅威か? それは西側か、ロシアか、あるいはウクライナ内部の犯罪的頭目たちか? それとも右翼セクター、あなた方が懸念しているネオファシスト右翼か?

 私は言いたいのだが、ウクライナ人にとっては、世界の他の人々にとってと同じく、主要な脅威は資本主義であり、それが問題すべてと戦争に導くのだ。ウクライナにおける政治的危機は、二〇一三年よりもはるか前に始まった。ウクライナはすでに二〇〇八年の経済危機の中で非常な苦しみをこうむっていた。ウクライナ人の主要な敵は、ウクライナの新興財閥と支配階級に加えて、ロシアと西側双方の帝国主義だ。最良の解決――もっとも難しくもっともありそうにない解決とはいえ――は、西ウクライナ人と東部ウクライナ人にとって、何らかの共通の土台の上で、社会的公正を求める共有された要求からなる、支配階級に反対し、ロシアの介入に反対し、あり得る西側の介入に反対し、そして親ロシアと親ウクライナ双方の極右民族主義者に反対して闘う、何らかの共通した政綱の上で統一することだ。

最大の問題は左翼勢力の不在

――あなたは、右翼セクターやネオファシストについて多くのものを書いている。二月はじめに戻れば、ヤヌコビッチ政権が倒れる二週間前、あなたはガーディアンに一本の記事を載せた。標題が、ウクライナの抗議運動活動家は極右と断固として絶縁しなければならない、副題が、ネオファシストはユーロマイダン抗議運動に関わるようになった、および、われわれは存在している危険に見て見ぬふりをすることはできない、というものだ。

今人気を博しているものは、右翼セクターのネオファシストイデオロギーなのか? あるいは、彼らの人気はユーロマイダンで彼らが行使した暴力戦術で、警察と衝突した人々によって、さらに推力を与えられているのか?

 前者というよりも後者ががより大きい。彼らは民衆のヒーローとして、蜂起の前衛と見られた。彼らは大量の尊敬を得、そのために象徴的な中心地を得た。

しかしあなた方は、ウクライナでの政治的主流はたとえば西欧におけるよりもはるかに右に寄っている、ということを理解しなければならない。西側では非常に強い批判を受けると思われるものごとでも、ウクライナでは多少とも許される。たとえば、「欧州の白人民衆の防衛」に類するようなことについて話し合うことは多かれ少なかれオーケーだ。この種のことは、主流政治家が発言することさえ可能だ。LGBTの人々を守るどのような必要も認知せずに、同性愛たたきをすることもオーケーだ。こうした右翼優勢がより強いイデオロギー状況において、右翼セクターないしスヴォボダ党の極右は、過激な何かとは実際見られていない。

まさに今、右翼セクターおよびスヴォボダ党は、彼らの暴力と挑発行動がロシアから利用される――ロシアのメディアは、ウクライナには極めて深刻なファシストの脅威があるということを示すために、彼らを使い利用することができている――可能性のある何かだという理由で、批判を受けつつある。したがって人々は、右翼セクターを批判する場合でも、その反民主的イデオロギーを理由に批判するわけではないのだ。彼らはそれらを、過激な右翼であることを理由には批判しない。それらを彼らが批判するのは、「首尾一貫性のある民族主義者」ではない、それらはウクライナの民族的利益を常に考えているようには見えない、という理由からなのだ。

ウクライナの最大の問題はおそらく、こうした右翼的意識であり、これに対する一つの挑戦となり得る何らかの重みのある左翼勢力が不在であることだ。

次期も新自由主義政策の継続

――そのように実体的オルタナティブがまったくないということだが、それでは? あなたが言わんとしていることは、次期ウクライナ政権を支配しようとしている者が誰であれ、それは確実にもっと右に向かうことは不可避、ということだろうか?

 そうではない。あなたが政府を問題にしているのであれば、それは新自由主義の政府だ。あなたはそれを、何らかの種類のファシスト独裁、というわけにはいかないのであり、むしろそれは、ロシアのメディアが使う人気の用語なのだ。あくまでも次期政権は新自由主義政権だ。つまりそこにはスヴォボダ党からの何人かの民族主義者が含まれるとしても、しかしかれらが支配的となるわけではない。そして彼らは、東部ウクライナの情勢が安定化される以前には、どのような極右的政策も推し進めることなどできないだろう。それはまさに極度に愚かなこととなるだろう。

その上われわれは、来る選挙の勝者はおそらくペトロ・ポロシェンコだろう、ということを知っているのであり、そして彼は新興財閥だ。彼はウクライナ最富裕一〇〇人の内の一人であり、これまでと同じ新自由主義の政策を継続すると思われる。

――それでも、ウクライナ人は、あるとしてどの程度選択肢を持てそうか?

 それはもう一つの問題だ。というのも、世論調査から私が知り得る限り、東部ウクライナの多くの人々は、来る大統領選挙に実際は投票するつもりがないからだ。あるいはもし彼らが少しでも投票所に現れるとすれば、彼らは全候補者に反対投票するつもりになっている。したがって次期大統領選の勝者は誰であっても、少なくても東部ウクライナで、正統性に対する深刻な問題を抱えることになる。

――あなたも知っての通りわれわれのメディアは、どんな話の中にも一人の名士を見つけ出そうとすることが本当に好みだ。そしてここに彼らが見つけ出した名士がユリア・ティモシェンコ(二〇〇四年のオレンジ革命では立役者の一人となった元首相、前ヤヌコビッチ政権下では汚職を理由に投獄され、この政権の崩壊後に解放された:訳者)となる。ある者たちは、ユリア・ティモシェンコをウクライナのサラ・ペイリン(ブッシュ後の大統領を争った大統領選挙で副大統領候補に指名された共和党右派政治家、現在はティーパーティー運動の人気扇動家となっている:訳者)としてむしろ好んできた。ウクライナの次期指導者となるユリア・ティモシェンコの潜在的可能性をあなたはどの程度評価するだろうか? さらに、彼女が表しているものがまったくのところウクライナを支配するもう一つの新自由主義政権であるとすれば、それはむしろ問題となることだろうか?

 私ならば、サラ・ペイリンとではなく、むしろ、二〇世紀のアルゼンチンの指導者の妻であるエヴァ・ペロン(アルゼンチン民衆に慕われた:訳者)と比べるだろう。ティモシェンコは現実には危険な人物だ。私がはっきり請け合うことができることだが、彼女が彼女に反対するマイダン蜂起のような何かを前にするようなことがあれば、彼女にはそれを弾圧する用意がはるかに十分――たとえばヤヌコビッチと比べてさえ、あるいはウクライナの他の政治家すべてよりも――できているだろう。

そして現瞬間、彼女には選挙に勝利する十分なチャンスはない。彼女はペトロ・ポロシェンコからはるかに引き離されている。東部ウクライナの見てきたあらゆる抗議運動が今始まった理由、そしてそれらがそれほどに暴力的となっている理由の一つは、実際は五月の全国選挙を止めるため――それらを延期させ、ティモシェンコにウクライナ人の中でもっと多くの人気を得る時間を稼がせるため――ということだ。

社会変革ではなくエリート交代

――「二つの大衆受けするラベルが、ウクライナのできごとから引き出されようとしている。それは、民主主義革命、果ては社会革命というもの、あるいは右翼クーデター、果てはネオナチクーデターというもの、このどちらかだった。事実としてこの両方の特性付けとも間違っている」、あなたはこのように書いている。そうであれば、それが右翼クーデターでも民主主義革命でもないとすれば、それをあなたはどのように描くのか?

 私の場合それを、エリートの変更に導く民衆蜂起と考える。民衆蜂起は、革命的変革――社会と政治諸制度内での構造的で原理的な変革――がその後に続く、ということを意味するわけではない。

私は現時点で、ウクライナの新興財閥資本主義を支える諸々の基礎的要素を真に変えるような何ものかを見てはいない。新興財閥は実際に、今かつて以上の力を得ている。たとえば多くの者たちが、いくつかの地域の知事として指名された。また最有望な次期大統領ももう一人の新興財閥だ。

腐敗との闘いは、あるいはウクライナでの透明な諸制度の構築は、彼らの関心の中にはない。なぜならば、彼らの腐敗、国家との密接な彼らのつながりは、まず第一に、彼らに彼らの富を築くことを可能にした競争上の利点の一つだったからだ。

それゆえ私は今、革命的変革に向けた潜在的可能性を見てはいない。この点で、あったものは革命的変革ではなく、エリートの変更に帰着する民衆蜂起だったのだ。

〈以下の質問は、シカゴとキエフ間の電話回線が途切れた後Eメールを通してイシュチェンコに示された。それらは先の会話の仕上げとして、「これは地獄だ!」の翌週の番組で、チュック・メルツによって読み上げられた――IV編集者〉

――「クーデター」には極めて否定的な意味が言外にある。しかしながらクーデターは、「ある政権からの、急襲的かつ暴力的、そして非合法な権力の強奪」だ。ウクライナにおける権力の切り替えは、ウクライナ憲法の中にある選挙上のまた議会主義の手続きに従わず、暫定的な移行合意もヤヌコビッチがキエフを離れた時即座に放棄された。その点でキエフで起きたことは、どの程度非合法で、急襲的かつ暴力的だったのか? 私が心配していることは、「クーデター」にはらまれた政治的な言外の意味が、論争を激化しつつあるように見えるものであることだ。

 起きたことは一つの単純な理由からクーデターではなかった。つまり、権力を握った者たち、野党の諸政党は、マイダンの前衛ではなくその極めて穏健な翼だったということだ。

最初の暴力的な衝突が始まった後、前野党の指導者たちは距離をとり、政権の挑発として衝突を非難し、介入し衝突を止めようと試みた。野党指導者たちは何度も、ヤヌコビッチとの妥協を受け入れるようマイダンを説得しようと試みた。

ヤヌコビッチの邸宅にあった監視カメラの記録映像が示したように、キエフからの逃亡準備としてヤヌコビッチがすでに荷造りを始めていたその時、野党は(欧州の外務大臣たちと共に)、ヤヌコビッチが一二月まで権力に留まることを可能とする彼との最終的妥協を受け入れるよう、広場の人々に懇願していたのだ!

「クーデター」概念は、運動――できごとの(極めて十分に自律的な)駆動力だった――と政治的反対派、実際に権力を獲得した人々、この間の区別を完全にその中にとらえているわけではない。これこそが、私がマイダンを「クーデター」ではなく民衆の反乱と呼んでいる理由だ。

問題の根源はやはり資本主義

――われわれが各々のゲストに聞く最後の質問は、われわれが「地獄からの質問」と呼んでいるものだ。つまりわれわれとしては聞くのが嫌な、あなたも答えたくない、さらにこの番組の聞き手も反応するのに困ると思われる質問だ。「地獄からの質問」を発することはいつも私に身をすくませるが、あなたに対してはそれがこれ以上ないほどだ。

そこで、ウクライナ人の抗議運動参加者にこれ以上の死者が出た場合、その責任は誰が負うことになるのだろうか。それは逃亡したヤヌコビッチ政権か、それともその後の政権か? われわれは、ヤヌコビッチ政権、現在の暫定政権、そしてどのような政権であれ選出されるポスト暫定内閣、これらの間を区別する必要があるのかもしれない。

これは聞くのがおそろしい質問だが、それはさらなる暴力に向かう潜在的可能性という、もっと大きな問題を明らかにしようとするものだ。私の懸念は、このようなすべてのできごとの場合、常にもっとも弱い人々に向いている。

 まったくしばしばある事例と同じく、新政権はその死と凶行のすべて、あるいはほとんどに対し、それらが新政権の実際の支配の後に起こったとしても、その前任者をとがめることになるだろう。そしてこれもまたまったくしばしばある事例と同じく、これもある程度は正当化されるかもしれない。ヤヌコビッチがもしこの抗議運動を弾圧しようとせず、あくまで力に頼らなかったとすれば、暴力は、われわれが今見ている――そしてすぐ先の未来にもっとひどいものすら見るかもしれない――レベルまではエスカレートしなかったと思われる。またわれわれは、暴力的反乱それ自身の責任を評価する必要もあるだろう。それは、ウクライナの民衆にとっては鋭い分裂を呼ぶ諸問題に固く結び付けられている。

しかし、われわれが将来に関しあれこれ思いを巡らせ始めつつあるのだとすれば、なぜここで止まるのか? できごとがウクライナの全面的な内戦に、次いで全面的なロシアの介入に、そしてさらに第三次世界大戦にいたるのだとすれば、その人類文明の終わりに対し、その責めをわれわれは誰に負わせることになるのだろうか? 張り合う帝国主義を不可避的に生み出す常軌を逸した、合理性を欠いた資本主義システム。これこそが、問題の根源なのだ――ウクライナに対してだけではなく、全世界に対しても――。

(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年五月号)

かけはし2014年5月26日号

自立した労働者の登場に連帯を

ウクライナ 

オデッサ事件に対する左翼反対派の声明

https://jrcl.info/web/frame140526f.html

独立した社会運動のために!

自由なウクライナのために!

 

 五月二日、黒海に面するウクライナの有名な、また若き日のトロツキーが左翼活動を始めた港町のオデッサで、親マイダン派と反マイダン派が衝突し、数十人の死者を出すという悲劇が起きた。東部におけるウクライナ暫定政府による反テロ作戦開始も含め、ウクライナでの内戦という憶測は、今や可能性というレベルを超えた重大な懸念を呼ぶ地点に達しようとしている。国際的影響も非常に大きいこの事態に対し、ウクライナの左翼勢力から声明が出されている。以下に紹介する。この声明のIV掲載に際しては編集部による「左翼反対派によるこの声明は、ウクライナ語から英訳されウェブサイト『オブザーバー・ウクライナ』に五月七日掲載された」とのことわりが付記されている。(「かけはし」編集部)

民族を二分する内戦の瀬戸際に

五月二日のオデッサ民衆の大量殺害は、いかなる点でも正当化不可能だ。社会主義派連合の「左翼反対派」は、両陣営で死傷した人々が誰であれ、彼らの多数に対して使われた力は明確に、自衛のために必要とされた行使の程度すべてを超えていた、と確信している。これらのできごとに対しては、すべての関係者が参加する調査を行い、煽動者と殺害者を個人として明らかにすることが必要だ。それらの者たちは、おそらく、という程度以上に衝突の両陣営にいた。

われわれは現時点で、これらの殺人に責任のある者たち、その組織やグループの名を上げることはできない。しかしながらわれわれは、このオデッサの虐殺がはらむ政治的結末を知ることはでき、また、それに政治的責任を負う者たちの中には、左翼政治組織がいることを見ずに済ますことはできない。

一片の疑いもなくこの暴力はまず第一に、人々を完全に意識的に殺害した、そして暴力を伴う民族主義的病的興奮を社会に勢いづけるために、死傷者の血を利用しようと試みた、そのようなウルトラ民族主義者と排外主義者によって組織され方向付けられた。彼らのめざす社会は、彼らの考え方に沿って、「民族の敵」に対し「民族を動員」すべきものなのだ。それは実際、彼らが夢見るナチ独裁、つまり流血と民衆に対する脅迫を通してのみ確立され得る体制、それを達成するおそらく唯一の道だ。

これは、ウクライナにいるロシア人がすべてのウクライナ人の中にバンデラ主義者(西ウクライナのウクライナ民族主義運動指導者だったステパン・バンデラに由来する:訳者)の殺人者を見るのならば、その一方でウクライナ人がすべてのロシア人の中に潜在的な「ロシア軍諜報機関の破壊工作員」を見るならば、その時にのみあり得るものとなるだろう。不幸なことだがわれわれは、これがそれを超えれば本当に起き得る境界まで、まさにギリギリまで近づくことになってしまった。

ウクライナ国家が最優先課題か

しかしながら五月二日のオデッサでバリケードの両側に現れた人々の中には、左翼諸組織の活動家たちが含まれていた。しかし彼らはほんの一年前、平和的に集会を行う自由への諸制限に反対する、また奴隷化的労働法令の導入に反対する抗議行動では、それを共にする一部を形成していたのだ。

「ボロトバ(闘争)」連合の活動家たちは、「オデッサ・ドゥルチナ(オデッサ防衛隊)」の右翼排外主義者に率いられた側に姿を現した。別のところでは、アナーキストと反ファシストたちが、実際は彼らの敵、特に右翼のサッカー過激ファンによって指揮されていた行動に参加した。この後者の集団は、敵に対する特別な残忍さによって自身を際立たせていた。

左翼諸組織は、独立した、別個の労働者階級の綱領を押し出すことができなかった。大衆運動の指導権をとることができなかったことについては何も言わないとしても、それらは、民族主義的スローガンの下での兄弟殺し的暴力から距離をとることもなく、また多くの人々をそこから何とか後退させることすらしなかった。これらの左翼は最後には、近頃ではほとんど完全に現代の社会・経済秩序から始まりつつも、それをある種の民族主義的主題に変えてしまう、そうした総体的に大規模な運動に対する無批判的支持という落とし穴にはまった。

その時点でオデッサの抗議行動参加者にとっては、結論的正義として、ウクライナ国家が存続できる能力あるいは無能力が、不幸なことだが、あらゆる民族性をもつウクライナ労働者階級の労働者の諸権利よりも大きな重みをもっている。ウクライナとロシアで権力から資本家新興財閥を取り除く戦略に代わって、ウクライナ国家の創出は「誤解」だったのかあるいは「歴史的失策」だったのか、に関する現在進行中の論争がある。

東部の武装急進派には民衆不在

東部と中央部のウクライナにある大工場の労働者は全般的に大衆的抗議運動に参加してはいないが、それは少しも驚きではない。反マイダンと親マイダンの諸行動は概して参加者が少なく、それらは、今年一月と二月のユーロマイダン期間中の一〇万人に上る強力なキエフの決起とはまったく比べものにならない。スロビャンスク(ドネツク州)においてすら、武装急進派は、冒険主義者の小集団にとどまっている。彼らはそこでは権力を確保したが、明らかに、まったく論理的に政府の反テロ作戦の犠牲者とはなりたくないと思っている当地の住民を脅迫することによってのみ、その権力を今も保持し続けている。

スロビャンスク住民の多数が「一つの分割不可能なもの(ロシアのこと:英訳者)」を再興するという君主制論者の理念を、そしてそれはドネツク人民共和国「最高司令官」のロシア当局者であるステレルコフ・ヒルキンによって公然と宣言されたのだが、それを支持しているかどうかはまったくのところ大いに疑問だ。同時に、彼らがスロビャンスクでのステレルコフの「ちっぽけな緑服の男たち」も、どのような他の兵士たちも見たくないと思っていることもはっきりしている。結局のところ彼らは、反テロ作戦の戦闘継続が人が現に住む町の住宅地で遅かれ早かれ始まるということ、彼ら――平和な当地の住民たち――が苦しみを受ける最初の者になるということを、唯一十分すぎるほどに理解している。

スロビャンスクとクラマトルスクの労働者は全体として検問には参加していず、毎日チェックポイントを通って自動車で仕事に通い続けている。ここではゼネストの問題は提起すらされてこなかった。当地の下層の犯罪的ギャングと愚かしくも郷愁でソ連邦に思い焦がれている老人たちが、「スロビャンスク軍事独裁」の主な支持者だ。

労働者、自身のマイダン形成へ

同時に、大衆的な組織された労働者運動はウクライナに疑いもなく存在している。それは、「ティツシュキ(当局と雇用主が雇ったならず者:英訳者)」による当地のマイダンを襲撃する試みに際し、その市内での暴力のエスカレーションを鉱山労働者の自衛部隊が阻止した時に、クリビイ市で姿を現した。労働者たちは、リビウ州のチェルボノフラードでも自身を見えるものとした。そこでは彼らが政治の進行に介入し、さらに事実上、当地の発電所、つまり新興財閥のリナト・アクメトフが掌握している発電所を国有化した。

労働者運動は、ルガンスク州のクラスノドンではもっと強力に自身を明らかにした。鉱山労働者はここでのゼネストを通して市を彼らの統制下に置いた。重要なこととして彼らは、ルガンスクの分離主義「反マイダン」と連携することを望まず、キエフマイダンの新興財閥ブルジョア指導者への支持を明らかにすることもなかった。

彼らは、社会的公正を求めるスローガンとこれらのスローガンを実現する真剣な意志に基づいて武装した、キエフマイダンとは異なる、労働者の、彼ら自身のマイダンを形成した。労働者は、賃金の引き上げだけではなく、鉱山の補助的労働の外部委託を取りやめることをも要求していた。こうしてそれは、狭い経済的ストライキだったのではなく、様々な職能を持つ労働者間の連帯の必要を提起した運動、市全体をその支配下に置くだけの十分な強さをもった運動だった。

さらにその行動の中では暴力はまったくなかった。一人の死傷者も、犠牲者もいなかった! 市の掌握には、たった一発の銃撃も必要としなかっただけではなく、気乗りのしない抵抗を示す者すらもいなかった。

最後のチャンス握る労働者運動

理解できることだが、全国規模で組織された労働者運動はまだ非常に弱い。真に活動的で階級意識のある労働者の組合は、鉱業の二、三のセンターに集中している。しかしながら、排外主義の病的興奮を静め、大量の死傷者を避けることを可能としている事例が、労働者が衝突に実体的に介入しているところのみだ、というのもまた事実だ。

実際、今日のウクライナ国家の生き残り、そしてまさにわれわれの眼前で広がろうとしている内戦の阻止にとっては、独立した階級的労働者運動の政治領域への登場が、おそらく最後のチャンスとして残っている。

ウクライナ国家分割のシナリオがもし現実のものとなるならば、暴力の爆発と大量の死傷者をわれわれが避けることはできないだろう。それと共に、衝突は、階級的特性のまったくない、国家間、民族間という特性をさらにさらに帯びることとなるだろう。

ユーゴスラビアでの戦争がまだほんの始まりだったとき、極右勢力もまた極めて弱体で周辺化されていた。それらには、顕微鏡的支持率としてヤロシュ(極右の右翼セクターの指導者:訳者)やティアニュボク(スヴォボダ党の指導者:訳者)が今もつ以上の社会内部の支持は、まったくなかった。しかしながら、セルビアとクロアチアのナチは、戦争突入から一年も経たないうちに、ユーゴスラビアの政治舞台で優勢を占め始め、自身を大きな大衆組織へと変えた。

ルガンスク、ドネツク、リビウ、またドニプロペトロフスク地域の鉱山労働者が彼らの合同した努力によってこの戦争を止めることがもしできなければ、われわれすべては戦争という肉挽き機に引きずり込まれることになるだろう。そのような事態では、ウクライナの左翼運動は今後何年も本当に破壊されることになるだろう。それがロシアで生き残るかどうかも疑わしい。

クラスノドンとクリビイ市の労働者はみなさんの連帯と支持を必要としている! クラスノドンのストライキはまだ終わっていないが、交渉の中で保留されているに過ぎない。鉱山労働者はクリブジュ市で、彼らの諸要求が満たされない場合に向けストライキも準備中だ。

その下に彼らが決起している旗が何であれ、排外主義者を支持するな!

独立し統一した労働者のウクライナのために!

独立した労働者運動と社会運動のために!

(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年五月号)

かけはし2014年6月2日号

報復は新しい犠牲者を生み出す

ウクライナ

オデッサの悲劇的できごとを経て

政治的綱領としての「人間性の保持」

わずか数日のうちに「絶対的獣」となる

イリヤ・ブルドレツキス

https://jrcl.info/web/frame140602f.html

 

 五月二日、ウクライナの黒海に臨むオデッサで親マイダン派と反マイダン派が衝突し、四〇余人にも及ぶ犠牲者がでた。このオデッサの虐殺事件をどう考えるべきなのか。以下はロシアの同志からの報告。({「かけはし」編集部)

犯人捜しでは真実は見えない

 オデッサの悲劇的できごとが過ぎた二日の間に、われわれは、何が起きたかについて、数十通りにもなる説明を聞いてきた。そしてそれらの説明すべては、いずれにしろ、「隠された黒幕」探し、つまり互いの衝突をつくり出すために二つの武装デモグループを送り込み、その一つを労働組合会館の畜殺場へと押しやった者たち捜しに結びついていた。

 これらの説明のほとんど――公的なキエフ政府のそれからロシアの宣伝機関のそれまで――は、当地の警察が意識的かつ組織的なやり方で、暴力の開始を妨げるための試みを何であれ一切控えた、ということを指摘している。

 次いでこれらのできごとに関する説明は通例、説明に役立ついわば「シナリオ」を提供している。そのシナリオは、一方のあるいは他方の陣営に有利に働くものであり、それは以下のようなものだ。たとえば、ユリア・ティモシェンコ(元ウクライナ首相)は、将来の彼女自身の勝利を確実にする目的で、五月二五日の大統領選挙を妨害するだろう。あるいは、キエフの政府は「分離主義者」を脅し、その支持者に血の海の責任を帰せるだろう。またあるいは、ロシア政府は、キエフの「軍事独裁」支持者の信用を失墜させる議論にもっと説得力を持たせるようになるだろう。さらに、前ウクライナ大統領のヤヌコビッチ一派は、ロシアを公然たる軍事介入へと押しやるだろう、といった類だ。

 これらの説明の各々はある意味で、われわれ――ロシアとウクライナの民衆――になるほどと思わせるように聞こえる。なぜならばわれわれは、言及された勢力のどれもが、彼らの目的を遂げる目的であらゆる犯罪をやり抜くことをやめそうにない、ということを知っているからだ。

 彼ら自身の市民たちから犠牲者をつくり出すこの準備は、ポストソビエトエリートのメンバーを選び出すための、常に必要条件だった。そのエリートの中には、大量虐殺を道義上できないなどと言う者は誰一人、まったく誰一人いないのだ。

 しかしオデッサの悲劇を組織した者が誰であれ、そしてその当初の意図と思われるものが何であれ、そこからはもう一つの結果が出てくることになるだろう―――あるいはかなりおそらく、またすでに――。つまり、内戦の論理が枷を外されるままにされてしまい、そしてそれを止めるということは、今やほとんどありそうになくなっている。

 先月中は――軍事作戦、諸々の建物の占拠、人質の確保、ドンバスでの地方的小競り合いを伴ってだが――、多くの人々はそれでも、過程全体は何らかの方法で誰かが管理しつつあり、それは内戦の論理が止められる可能性があることを意味している、というわずかの希望を保持していた。そのような期待の基本的な基礎は、プーチン、西側大国あるいはキエフ政権の意志だけではなく、ウクライナ人の多数には互いに殺し合う準備など単純にない、という事実だった。

友人的な隣人は突然対立に発展

しかしわれわれは、一つの境目をおそろしい勢いで越え渡るという感情が巻き起こった、一九九〇年代のそう遠くない歴史を思い出す必要がある。つまり、何十年間もどのようにすれば「敵」と「友」へと互いに分かれるのかを忘れてきた友好的な隣人、「ソビエト市民」が突然、わずかの日数で、あらゆる人間的特質を失い、絶対的獣となってしまうというできごとであり、そのあり得る存在については、ファシストの侵攻に関する愛国主義的映像からのみ知られていたのだった。

それは、トランスドニエストル(モルドバ共和国とウクライナの国境に沿う回廊地帯、ロシア系住民が一方的に独立を宣言し、モルドバ政府と抗争中:訳者)での戦争が「国家言語」問題が持ち上がってからどのように始まったのか、ということだった。それはまた、クロアチアの都市であるスプリトでの悪名高いサッカー試合で、セルビアとクロアチアがどのように後戻りのできない地点に達したのか、という問題だった。

このすべてはあまりによく知られているが、これらの戦争の敗者は例外なく、そこに関与した全員である、ということへの理解はない。最初の犠牲者に対する報復はまさに新しい犠牲者を生み出す――そして新たなかつ正当な報復行為への基礎を提供する――。これがオデッサのできごとのもっともぎょっとする結果だ。彼らは双方の側に対して、もっとも残酷でさえある、正当化されて当然の、あらゆる復讐を行った。

労働組合会館で吹き出した炎の中に、ウクライナ人が容易に沈められる未開状態の深みを見ることは難しくない。その範囲、深みは、五月二日に起きた衝突の振り付けを行った非道な者たちのたった一人によってであれ、十分に理解されていない。

それほどの昔ではなくても、「人間性を保て」との要求は、完全に抽象的な願いとして響いたと思われる。今、オデッサの虐殺を経た後では、それは一つの政治的な綱領となった。

▼筆者は、第四インターナショナルロシア支部である「フペリョード(前進)」の指導者。「フペリョード」は「ロシア社会主義運動(RSD)」の創立に参加した。(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年五月号)

かけはし2014年6月23日号

平和に向けた民衆的圧力を

クリヴィー市炭坑労働者からのアピール

https://jrcl.info/web/frame140623g.html

新興財閥欧州事務所に対し

  ウクライナでは新大統領ポロシェンコの選出後も、期待された情勢の緊張緩和は不十分なまま、東部での衝突が激化している。この現状に自立的に抵抗している運動として、以下に炭坑労働者が欧州の労働者に向けて発したアピールを紹介する。(「かけはし」編集部)

人びとの生活が破壊されている

 世界の市民社会の注意は現在、ウクライナの親政権勢力と反政権勢力の衝突に集中している。この衝突は、なお一層激しさを増し血を見るようになろうとしている。さらにその上それは民族対立へと変わろうとしつつあり、その対立が、様々な民族性をもつ労働者間の病的な相互的憎悪に向けて油を注ぎつつある。

 この時に人びとの注意が及ばないまま残されているものは、鋭さを増しつつある社会的かつ経済的状況だ。それは戦闘が今起きている地域だけのことではない。フリヴニャ(ウクライナ通貨)の価値急落、基本的サービス費用や交通費や消費財価格の急騰、さらに多くの企業における生産縮小、このすべてが、労働者の実質賃金の鋭い下落に結果している。われわれの評価によれば、実質賃金には三〇~五〇%の下落が起きている。

 四月分支払いに対する二〇%増額というドニプロペトロフスク州知事の公表は現実には、労働者に対する礼を失した施しに変わった。鉱山労働者たちは実際には一五%しか受け取らず、それは多くの場合、彼らの実際の収入の半分以下にしかならない。加えて、給与は「現物助成」として支払われた。そしてそれが意味することは、この支払いが彼らの月次平均賃金計算には含まれない、したがって年次休暇計算にも含まれない、ということだ。

 結果としてわれわれには、この国での社会的平和保持のために、実質賃金の即時二倍化を要求する以外の選択肢はない。この国の不安定化した情勢に対する主な原因はウクライナとロシアの新興財閥の貪欲さだ。われわれはこう深く確信している。そして彼らは、労働者には物乞い的賃金しか払わず、彼らの利益すべてを海外に送り、ウクライナでの納税も行っていない。新興財閥は事実上、彼らの利益に対する税をほとんど完全に除外されている。

労働者の行動が暴力を抑制

われわれは、新興財閥に対するわれわれの闘争支援への訴えをもってあなた方を頼りにしたい。この新興財閥は、ウクライナを現在の危機へと引き込んだ。そして、ウクライナでの兄弟殺し的戦争を、いかなる疑いもなく全欧州に対し破局的結末となるはずのその戦争を引き起こすと脅しながら、ウクライナをさらに不安定化し続けている。ウクライナとロシアの新興財閥がもつ企業に圧力をかけることが必要だ。その多くはそれらの株式をロンドン証券取引所に上場しているのだ。

その本社がロンドンにあるEVRAZ株式会社では労働争議が激しさを増しつつある。今日(五月一一日)、鉱山労働者はクリヴィー市の街頭を行進しEVRAZスクハ・バルカ株式会社本部に向かった。そして、四月のイカサマ的賃上げに対する抗議の印として、その事務所にばら銭を雨あられと浴びせた。ウクライナ鉱山独立労組は、EVRAZ株式会社の事務所、およびロンドン並びに欧州の他の都市にあるロシアとウクライナのその他の新興財閥がもつ事務所にピケを張るよう、英国公衆に訴える。意見を変えるようわれわれが彼らに強制しないならば、ウクライナでの平和保持の機会は逃げ去るだろう。

同時にわれわれは、鉱山労働者の自衛と労働者部隊の武装を当局が正式に認めるよう要求している。組織された労働者と労働者の自衛は、ウクライナにおける暴力のエスカレーションを有効に防止できる、まさにそうした安定化要素なのだ。組織された労働者が情勢を支配しつつあるそれらの地域では、大衆行動が大量殺人に変じるようなことは決して起きていない。労働者はクリヴィー市のマイダンを防衛した。労働者は、近頃のゼネスト期間中クラスノドン市の状況を彼らの統制下に置いた際、どのような暴力も許さなかった。

われわれは英国の労働者に連帯を訴える。特にわれわれは、情報と人道的支援に関しどんなものでもありがたく思うだろう。しかしわれわれがまさに今感じている最大の必要物は、自衛部隊隊員個人向け防弾服(防弾チョッキや類似品)、および移動通信装備品だ。

万国の労働者の連帯万歳!

われわれは、ウクライナの平和保持によって欧州の平和を保持するだろう!

オレクサンドレ・ボンダル(ウクライナ鉱山独立労組EVRAZスクハ・バルバ株式会社支部代表)

ユリ・サモイロフ(クリヴィー市ウクライナ鉱山独立労組代表、クリヴィー市ウクライナ自由労組評議会共同代表)

(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年五月号)

かけはし2014年6月30日号

ロシアと西側の指令と対決し社会的民族的権利の防衛を

ウクライナ

マイダンの弱点と限界とは

民族問題は政治活動の中心的課題

第四インターナショナル書記局決議

https://jrcl.info/web/frame140630f.html

 以下の決議は、二〇一四年六月七日に開かれた第四インターナショナル書記局会議で採択された。(「インターナシヨナルビューポイント」編集部)

二〇一三年一一月以来ウクライナが経験してきた極めて深い政治的危機は、終わりにはほど遠い。この国では、極めて長期にわたる民族的抑圧(基本的にはポーランドとロシアによる)に続くものとして、国民形成過程は不完全であり、国民国家は今なお脆弱だ。このことは、この国がロシア帝国主義の圧力並びに欧州―大西洋諸大国の圧力の間で人質に取られている事情、また新自由主義の社会的断片化の影響にさらされている事情においては、なおのこと当てはまる。

1マイダンから暫定政権まで―強力な民衆的決起

 三カ月の間(二〇一三年一一月二一日から二〇一四年二月二二日まで)、キエフ中心部の独立広場(「マイダン」)には何万(そして何日かは数十万人)という民衆が集まった。二〇一三年末の時期この運動に巨大な規模を与えたものは、幸福な暮らしという希望――「欧州」との共同に理想化されて――、腐敗の拒絶、民主主義、そして民族主権と組になった、最初に決起した人びと(「親欧州」並びに民族的独立の防衛を掲げ)に対する弾圧だった。

われわれは二月(国際委員会決議)に、「革命的要素(民主的、反エリート主義的、自己組織化)と反革命的要素の組み合わせを表現してきた――その全体的結果は政治闘争と社会闘争の問題であり、それは当時だけでなく今もそうであり続けている――」として、この運動の諸特性を強調した。「これらの諸特徴はまた、現在のポストソビエトウクライナ社会がもつ今ある特徴(アトム化され、いかなる階級的独自性ももたず、教育の悪化と社会での反動的民族主義的理念の影響力が一体となった、スターリニズムの劇的な遺物と民族的独立への正統性のある献身が組になった)に深く根付いてもいる」(本紙3月17日号参照)。

われわれはマイダンの弱点と限界を以下のように示すことができる。

▼その存在の長さにもかかわらず、登場した自己組織の主な形態は、なお限界をもったままにとどまっていた。すなわちその役割は何よりも、真冬における、テントとバリケードからなるこの反乱のまちの建設、維持、防衛、補給と医療サービスの組織化であり、……諸々のチームは政府庁舎を占拠し、学生評議会は特に教育予算の透明性を強いた。自衛のための「ソトニア」(隊)が形成され、その少数部分は、マイダンに参加した政治諸組織によって統制された。

▼この運動には、どのような「代表者」もあるいは選出されたスポークスパーソンもいなかった。このことが、「親欧州派」の中に位置づけられる、極右政党のスヴォボダ党を含んだ野党諸政党による運動の利己的利用、特に海外に「ユーロマイダン」の名前で伝えることを促進した。

▼スヴォボダ党と張り合っている極右民族主義右翼の小グループ(右翼セクターその他)が、運動の自衛において一つの役割を演じた。彼らの目立つ「可視性」と左翼活動家に対する襲撃は、特にロシア政府とロシアメディアによって、あるいはその後、左翼を自認する反マイダン諸部分によって、マイダン全体の信用を落とすために利用されてきている。

▼最後に、この運動は、極めて多様で社会的諸課題に対し敏感(公共財の横領、腐敗、不平等に対する反対)だったとはいえ、社会的要求を提起することがなかった。それは、産業労働者階級を決起させるために、それゆえ東部と南東部を決起させるために、何かをやることはまったくほとんどなかった(二、三の例外以外)。ストライキの呼びかけ(独立労組連合が発した)が支持を受けることがなかったとすれば、同じことは、マイダンに反対する労働者の決起を意図した試みに関しても真実だ。

▼非常に弱体なウクライナ左翼は、右翼の有力な組織された諸勢力が掲げた当初のテーマ(「親欧州」)と右翼の襲撃を考慮しつつ、マイダンに対して、またマイダン内でまったく分裂していた。様々なアナーキストグループに加えて社会主義者の運動――「左翼反対派」――は、この運動にはらまれた社会的かつ大衆的な民主的熱望の結果として、そこに介入し、右翼と極右の観点に反対することを選択した。それとは対照的に「ボロトバ」(闘争)派は、運動の外にとどまり、この運動を反動的だとして世界的に強く非難した。

そのラベルと社会的主張から「左翼」に位置づけられているウクライナ共産党は、新興財閥の育成を進めた私有化にまったく深く関与してきたのだが、EUとの協定に関し国民投票を提起することで、地域党と自身を区別しようとしてきた。しかしこの党は、あらゆる決起参加者を犯罪者とする二月の諸立法に賛成票を投じたことにより、信用をなくした。この党はボロトバ同様、「ナチ暴動」論を宣伝してきている。

▼マイダンは全体として、二〇〇四年の「オレンジ革命」時の場合よりも諸政党からもっと距離をとりつつ、特に国の西部と中央部で決起を作り出し、EUに向きを取った。すなわちこの運動は、国全体を貫いて共有されていた社会的かつ民主的熱望を表現していたとしても、その「綱領」は、ヤヌコビッチの打倒一つだけだった。

2ヤヌコビッチの失権――差し押さえられた民衆の勝利、そして「ファシストの暴動」とは異なる右翼政権

 ヤヌコビッチの失権は地域党をバラバラにした。この党は、ヤヌコビッチの大統領期の下で、新興財閥の権力の主な道具となってきた。そしてその基盤は東部ウクライナ――ウクライナ新興財閥はそこで登場し、一九九〇年代はじめの資本主義復古の時代に、不正に私有化された大工業企業の中で発展した――に位置していた。

この党は、支配的な社会的関係を根拠として選挙に関し強力な支持を確保していた。ヤヌコビッチが大統領職に進む中で彼の政権の構造的道具となった地域党の破裂は、弾圧の特別部隊である「ベルクト」の解体と並んで、この国家から支配の諸機構の重要な一部を奪い、ウクライナ国家を弱体化した。

新政権の閣僚すべてはマイダンの群集から受け入れられた。とはいえ運動への動員は、暫定政権確立後に大幅に縮小した。

ヤヌコビッチの失権は、「西側に支援されたファシスト的反ロシア暴動」による業績などではなく、準蜂起的な運動の勝利だった。ヤヌコビッチの二〇一〇年の権力到達は正統と認められた選挙を通すものだったとしても、彼の失墜には彼自身が負うべき責任があった。

つまり彼は、この国が貧困化している中で、新興財閥的な個人と家族の富裕化という年月によって、彼の出身地域であるドンバスを含んで、深刻に信用を失っているのだ。その上、EUとの協定への署名に対する一一月に起きた予想外の彼の拒否ですら、政権が彼自身の党や議会による統制からますます離れ、大統領独断的な成り行き任せになっていることの表現となっていた。弾圧とマイダン参加者の死は、彼の失権への触媒となった。この死に対する責任を巡る対立のゆえにキエフ政権は、四月二五日、国際刑事裁判所(ICC)に訴えを起こしている。ICCは、二〇一三年一一月二一日から二〇一四年二月二二日にいたるできごとを今調査中だ。

彼の逃亡後大統領の解任に圧倒的多数をもって賛成票を投じたのは、そして暫定政権を指名したのは議会自身だった。この指名には、西側外交官によって支持を受けた妥協が大きく反映されている。そしてそれは、彼の逃亡以前にヤヌコビッチとの間で交渉されていたのだ。欧州諸政権は、スヴォボダ党を含む「親欧州」諸政党すべてをはっきりと支持した後になって、極右によって恥ずかしい思いをさせられることになった。

後者は自身をより「尊敬に値するもの」にしようとしてきた(スヴォボダ党は、その反ユダヤ主義の母体やSSガリツィア分遣隊に対する称揚の調子を引き下げてきた)。同時に内務相(彼は欧州議会から、私兵的民兵の武装解除を求められてきた)は、右翼セクターとの緊張した関係の中にいる。

この政権が「ネオナチ」というわけではないとしても、極右の「スヴォボダ」という政党が政権内で権力をもつ多数の地位を確保しているということは真実だ――そしてそれは些細なことではない――。つまり、四閣僚(三月二五日、防衛相のアドミラル・イホル・テニュクがクリミアでのできごとを前にして「無活動」だと見られ「解任」された後には三閣僚)に加えて司法長官ポストがある。

また、国家安全保障評議会および防衛担当書記のアンドリイ・パルビイもまた、時折スヴォボダ党員として分類されている。彼が一九九一年の「ウクライナ社会民族主義党」創立メンバーの一人であり、この党が二〇〇四年にスヴォボダの名称を採用した、ということは事実だ。しかし彼はこの組織を一〇年前に離れ、二〇一二年以後は、ユリア・ティモシェンコ率いる「バトキフシュチナ」(故国)のメンバーとなっている。

まさにこの勢力が、諸地方の知事ポストに新興財閥を指名し、IMFが求める諸政策を実施に移してきた今の新自由主義政権を支配している。ここでふれた諸政策には、天然ガス料金の引き上げ(五〇%)、公共部門雇用と賃金の凍結、年金切り下げ、社会的支出の削減、付加価値税の引き上げその他が含まれている。

公用語に関する二〇一二年法の廃止という、新たな議会多数派が取りかかった最初の政策は、大統領代行によって承認されなかった。しかし、モスクワによるものを含んだ、「反ロシア」との新政権に対する強い非難を背景として、この政策の影響は、ロシア語を話す地域では破壊的なものとなった。クリミアに対するロシアの侵攻は、こうした政策に対する対応として押し出されている。

五月二五日の選挙は、共和国大統領にペトロ・ポロシェンコを就けた――六〇・三%の投票率(この数字は疑いなく過大に評価されている)(注一)の中での得票率五四・七%で――。社会的諸問題をそらす諸々の緊張を背景として行われたこの選挙は、そうであっても、ウクライナにある種の主権を備えた代表性を与えたいという、民衆的な切望を表現している。

同時にそれは、マイダンに表現された原理的な政治的諸要求――警察と国家諸機構要員の抜本的な一掃、腐敗に対する闘争、直接的な政治権力からの大資本の分離――を埋葬するものにいる。ウクライナ近代史においてはこれまで、国の管理にビッグビジネスがこれほどまでに直接関与したことなど一度もなかったのだ。最富裕ウクライナ人に関する「フォーブス」誌リストに現れるほとんどすべての者たちが今日、執行部署の高位ポストにいる。

3クリミアの併合

 一九五四年、ウクライナへの贈り物としてフルシチョフが帰属を移したクリミア(その住民の一二%には、過去にスターリンによって追放され、一九九一年以後に帰還したタタール人が含まれている)は、一九九三年以後、独立したウクライナ内部で、自治共和国としての特別な地位を得てきた。その主な都市であるセヴァストポルにも、一九九七年の「平和友好」条約にしたがって、元ロシア黒海艦隊を停泊させる海軍基地として、特別な地位があった。

モスクワは、二〇一四年のエネルギー料金と債務を明示した協定の見返りに、その下でモスクワが基礎的なものをウクライナに賃貸していたリース契約の延長を、ヴィクトル・ヤヌコビッチから獲得していた。プーチンは、クリミアを併合することで、これらすべての諸協定に一方的に異義を突き付けるために、ヤヌコビッチの失権を利用した。しかし、ウクライナにおけるロシア人武装勢力の利用に力を貸す議会による投票を前に進めたものは、「ファシスト暴動」によって脅威を感じた「ロシア人少数派」の議論だった。それこそが、この論題が宣伝において本質的役割を果たしている理由だ。軍の展開下で、またウクライナメディアを利用する権利もなく行われた国民投票に向けられたポスターの中では、ウクライナ人が鍵十字で特徴づけられた。

モスクワは、八六%の投票率の下で有権者の九七%がイエスに投票した、と言明した。しかし上記の数字は、「市民社会と人権に関するロシア大統領評議会」が提供した数字からまったくかけ離れている。すなわち「様々な情報源によればクリミアにおいて、全体合わせて三〇~五〇%の投票率の下で、ロシア加入支持は五〇~六〇%」ということだ。

タタール人のクリミアからの脱出が再開している。彼らの運命はいかなる意味でも確かではない。しかし三月二〇日、クリミア共和国とセヴァストポル市をロシア共和国連邦に合体させる協定はロシア議会によって批准された。

プーチンは大国然と振る舞いつつ、「小ロシア」のすべてに向けて郷愁を誘う大ロシア排外主義を煽り立てることによって――ウクライナでの大火という危険を冒して――、国内の批判をもみ消した。ずっと昔にあったスターリン主義の宣伝行為のように、今やウクライナ人(あるいはタタール人)であることは、(親)ナチ、そして「反ロシア」であることを意味している。その対照物は、ロシア人であることが「反ウクライナ人」あるいは「ボルシェビキ」であることを意味するとの、ウルトラ民族主義宣伝の中に見出すことができる。真の政治的、社会的、また地政学的対立はこのようにして隠されている。

4不人気な政権を前にする「反マイダン」

 いずれにしてもウクライナの東部と南東部はクリミアではない。ここの人びとはクリミアとは異なり、一九九一年、ウクライナの独立に向け圧倒的に支持票を投じた。そして世論調査は、キエフに対する彼らの政治的不信にもかかわらず、彼らが独立ウクライナに圧倒的に愛着を持っていることを示した(最近まで)。

言語的な多元主義、また脱中央集権化の一形態であっても、それらを望むこと、あるいはロシアとの結びつきの保持をあらためて願うこと(特により条件のよいエネルギー価格を求めること)、あるいはソ連邦への郷愁をもつことといったこれらには、分離主義の論理が含まれているというわけではない。実際プーチンの政治体制は魅力的ではない(たとえそれが保護者として押し出されているとしても)。またドンバスに隣接するロシアに適用された諸政策は、ウクライナの工業ではまだ大量に残っている国家補助の多くを取り去っているのだ。

しかしキエフによって指揮されている諸政策は、ロシアとの結合による職への脅威がたとえEUへの結合やIMFへの従属による脅威より小さいものではないとしても、懸念を引き起こしている。それゆえ民衆の選択は確かなものではなく、諸々の懸念が手っ取り早く利用されている。

ドネツクとルガンスクの自称「人民共和国」はキエフに対する不信を利用している。しかしそれらは大幅に準軍事機構に切り縮められている。あるいは、ウクライナ国家機構の元メンバー、あらゆる種類の犯罪者、チェチェンの軍事活動隊員、ロシアの治安部隊メンバー、あるいは普通のウクライナ人を結集している。評価を行うことが難しい諸々の衝突の後で一層混乱を深めつつある情勢の中で、実体のある民衆的動員を力づけるものは何一つない。

五月二日に起きたオデッサの悲劇は「反マイダン」宣伝の急進化を示した。これは、ボロトバの活動家を含むいわゆる「親ロシア」活動家がバリケードで内部に閉じ込められた労組会館での火事であり、これらの活動家四〇人の命が犠牲になった。しかしその悲劇は、「ウクライナの統一」を支持するデモに対する、死者四人を残した武装襲撃の結果として起きたことだった。

さて先の「反マイダン」宣伝にしたがえば、マイダン支持者は、キエフの「ナチ国家」から保護を受ける「新たな扇動家」となると思われる――そしてそこには、これらの解釈に人が異議を差し挟めば、「人の感情をなくした冷淡さ」という告発が付随している――。

反マイダンは、人口が多い地域でも、二、三〇〇〇人を超えるような大衆決起をまったく見せることがなかった。五月一一日の住民投票で「人民共和国」に支持投票した何千人かの人びとをそこに含めることは難しい。そこでの票は疑いなく、ある程度反キエフの抗議表示であると共に、同時に民兵――五月二五日に大統領選挙への参加を禁止した同じ者たち――が強要した票でもあった。

大衆的ストライキがいくつか、特にクラスノドンで起きた。しかしそれらのストライキは賃金問題に関するものであり、労働者たちは、「親」あるいは「反」マイダン候補者による政治的操作を拒絶してきた。鉱山労働者内部で起きている他のより最近のストライキは、キエフが採用している「反テロリスト」行動に反対している(鉱山に対する爆撃という危険を強く非難しつつ)。

本国ではほとんど実行することのない対話の呼びかけという、あるいは外国の介入すべての否定という、プーチンの偽善をわれわれが強く非難できるとしても、外国の介入は軍事侵攻の形をとっているわけではない。あらゆる対話を妨げている武装「反キエフ」民兵の暴力は、確かに十分な対応を必要としている。しかしその対応は、民衆の民主的かつ平和的な熱望に依拠することで可能となるだろう。そして国の統一の防衛は、軍事的回答以外の回答を意味する。間違った宣伝すべてを受け入れることは難しいとしても、キエフが始めた作戦は混沌に帰着する形で有効性がなく、民衆の信頼を勝ち取ることができない、ということは確かに本当だ。そしてそれをプーチンは利用するつもりになっている。

5ロシアの帝国主義政策

 ロシアは一九八九年以後の周辺化を経て二〇〇八年以来、また帝国主義の諸矛盾に関しカードを切りながら、自身を大国としてあらためてはっきり突き出そうと力を入れてきた。

ソ連邦の解体とロシアでの資本主義復古は、国家を管理している新興財閥的半封建的領地という手段で支配された富の略奪によって、一九九〇年代のエリツィン時代に映し出された。この時代、独立国家共同体(CIS)にはほとんど実体がなかった。エリツィンのロシア国家は、チェチェンでの汚い戦争にもかかわらず、その国内的権力(税を国庫に確保する能力を含めて)と対外権力を失った。ロシアのG8への包含は、その現実の重みに関し、誰であれ欺くものではなかった。

プーチン時代は当初二〇〇〇年に、特に原油と天然ガス部門の新興財閥と輸出に対する支配を組み込みつつ――一九九八年危機への払い込みを経て――、国内的に強力な国家の回復に帰結した。ここに付随したものが、諸々の選挙と大メディアを枠にはめ、諸抗議活動を弾圧する「管理された民主主義」だった。同時に、古い社会的保護の諸方策は解体された。強力な成長の回復には、ロシア新興財閥の経済的かつ金融的存在の国際化が、さらにロシアを中心としたCISよりももっと統合された経済「空間」を作り出そうとするロシアによるいくつかの試みが伴っていた。

ロシア政権は特に二〇一一年以後、ベラルーシとカザフスタンとの間ですでに機能していた関税同盟(そこにはアルメニアも合流していた)を、二〇一五年を目標にアゼルバイジャン、ウクライナ、さらにグルジアやモルドバにも向ける形で、「ユーラシア」構想に変革しようと試みてきた。そしてそれは、特に天然ガス料金という武器を利用することで、EUとの「東方協力」に対するオルタナティブを提供することに関係している。この挑戦はロシアにとって、中国および西側資本と競争することだが、しかしまたユーロ・大西洋諸機構(EUとNATO)への「近しい隣人」の組み入れを狙ったもくろみに対抗することでもある。

ロシアはまた、「テロとの戦い」やシリア危機の管理という形を例とした、帝国主義大国がロシアとの間で作り出した依存性と「協力」を利用してもいる。ロシアはそれら大国の諸々の危機に乗じているが、ロシアもまたそれ自身の依存性を理由に苦しんでいる。そしてロシアは、その依存性を中国との諸関係の展開によってやわらげようと努力中だ。

クリミアでのクーデターは、国際交渉における新たな力関係を刻み込むために、ヤヌコビッチの機構と過激な「ユーラシア」右翼を頼りとしている。しかし、プーチンがウクライナの分離主義勢力を統制しているということは定かではなく、短期的利益の先で、弾みがもたらす諸々の危険という可能性がある。実際アゼルバイジャンは、クリミア併合に対する批判に合流している。この併合は、モスクワが協力を進めたいと思っている隣人にとっては、安心感を与えるものではないのだ。

6西側帝国主義

 ベルリンの壁倒壊は、「ソビエト解消」という文脈の中でゴルバチョフによって受け入れられた。すなわち、軍拡競争というコストの引き下げ、そして西側からの借款の獲得が彼の優先策だった。彼はドイツで行われた交渉の中で、二つの軍事ブロックの解消を主唱した。次いで彼は、東側に外国軍部隊や外国軍の兵器が置かれることはない、またNATOがその先まで拡張されることはない、との米国による約束の見返りに、再統一されたドイツのNATO編入を受け入れざるを得なかった。

しかし米帝国主義は、NATOを一九九一年にハンガリー、ポーランド、チェコ共和国まで、二〇〇四年にはブルガリア、エストニア、リトアニア、ラトビア、ルーマニア、スロベニア、スロバキアまで、加えて二〇〇九年にはアルバニア、クロアチアにまで拡張する選択を行った。

そしてグルジア(二〇〇三年)とウクライナ(二〇〇四年)の、米国から重要な支援を受けた「色で呼ばれた革命」の「親西側」諸勢力は、それら諸国のNATOとEUへの統合を求めた。しかしながらEUは、ロシアとの関係に関し分裂していた。それはまさに、原油供給を求めてドイツがモスクワとの間に築く方を好んできた直接的なつながりによって、知ることができる。

二〇〇九年、ポーランドの指導者はスウェーデンの支持の下に、EUの「東方協力」を主張した。これはEUの新たな拡大を行わない形で、EUと国境を接する元ソ連邦諸国――ウクライナを含んで――との「徹底的かつ包括的」自由貿易協定に帰着するものだった。ロシアは、大陸にまたがる諸関係の再定義という目標に基づいて同じ諸国にユーラシア構想を申し出ることで対抗した。そしてこの構想で、ロシアは有力な極であり、しかしまたEUの諸要求に対しては平衡力にもなる、とされている。

ヤヌコビッチはデフォルトの危険を前に、ロシアとIMFからの圧力の下に、二〇一三年までEUとの協定を交渉した。彼は三者会合(ウクライナ、ロシア、EU)を求め、次いでEUから拒否された。今日西側帝国主義諸国家はロシアとの合意を求めている――あらゆる大演説にもかかわらず――。彼らの誰一人、キエフの政府はなおのこと、本物の内戦へと悪化しかねない現場での諸衝突を統制はできない。

7ウクライナの主権

 ウクライナの統一は、軍事的中立性、ロシア軍部隊の撤退、また社会諸政策敵視の拒否を必要としている。民衆の中に根を張った、あらゆる種類の反動勢力に反対する反戦、反ファシストの戦線(ウクライナ人の、また国際的な)のみが、ロシアと西側の帝国主義的指令と対決して社会的かつ民族的諸権利を防衛する中で、それを強制できる。

これらが、ロシアとEUの進歩的諸勢力がIMFと「自由貿易」協定と対決して――その国際的結びつきを決定するウクライナ人の権利を認めることによって――守る目標だ。

民族問題はウクライナでの政治的活動の中心に位置している。「左翼反対派」はまさに次のように提起している。すなわち「ウクライナ民族およびわれわれの国を構成する他の諸民族の民族的かつ文化的ルネッサンスは、社会的諸問題が解決されることがなければあり得ない」と。ウクライナでは、民族の領域を民族主義者に任せる左翼は、それだけであらかじめ破綻を運命付けられるだろう。民族主義の陣営の中にはすでに、社会主義左翼の周辺化に乗じて、労働者から資本主義へのオルタナティブとして見られるものとして登場しようと願う諸潮流が現れている。

注一)タデウツ・A、オルツァンスキー、アガタ・ウィエルツボウスカ・ミアツガは以下のように言及している。すなわち、親ロシア「民兵」が投票を妨害するためにあらゆることを行ったドネツクとルガンスクの地域では、公表数値は、閉鎖されなかった投票所で登録された有権者のみを勘定に入れている。換言すれば、各々、三三〇万人の内六六万八〇〇〇人、一八〇万人の内二一万六〇〇〇人であり、登録有権者すべてが計算に入れられていれば、この東部二地域での投票率は疑いなく三%と一〇%を超えていなかったのだが、投票率はドネツク地域で一五・四%、ルガンスク地域で三八・九%となっている。

(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年六月号)

かけはし2014年8月11日号

ロシア MH17便ボーイング777撃墜とロシア

プーチンは引き下がれるか

冷酷な外交ゲームと国内政治

https://jrcl.info/web/frame140811g.html

「内戦」かそれとも軍事介入か

 確信をもって言えることだが、二九八人の人びとの命を奪ったボーイング777の悲劇は、東ウクライナにおける衝突をいわば原理の点で、新たなレベルへと引き上げることになった。主要中心大国――ロシア、米国、そしてEU――は今、停戦に向けた責任に、あるいは逆にその実際の正当化と拡大の責任に、自ら向き合い、それを引き受けなければならない。

 航空機は間違いによって撃墜されたという可能性を考えたとしても、このできごとは、歴史をその「前」と「後」に分けるほどの大きな意味をもつできごとだ。このようなできごとの「後」では、いまあるような「奇妙な」「混成的な」そして他にない「戦争ではない戦争」にはらまれた様々な可能性は、使い果たされた。

 過去何カ月も、ロシアとウクライナ国境の大口を開けた穴を通って人びとと武器の変わることのない流れが通過していた以上、ロシアと西側間の外交闘争の神経を張りつめる中心は、ロシアが反乱派に支配を及ぼしているのか、それともこれはウクライナ内部の対立なのか、という問題だった。

 問題に異なった回答を与えることによって、次いで各々のサイドは、劇的に異なる解決案を提示できた。ロシアは、ウクライナは「内戦」を経過しつつある、という観点を軸とした一致を必要としていた。この観点の場合「内戦」は、その衝突に距離をとっている諸政党の、いくつかの影響圏へのウクライナ分割に合意すると思われるそうした諸政党の対話を通してのみ解決可能とされた。

 他方米国は、この衝突はウクライナ領土へのロシアによる、公言されてはいないがまさに実体的な介入の一形態として、つまり得意の古い軍事作戦の変種としてしっかりと見られなければならないと強調した。そしてこのような作戦については米国自身、長々と続く、すでに確定済みの実績をもっている。

 このような結論の直接的結末は、ロシアの「押さえ込み」という、経済制裁の徐々に引き上げられる強制や諸活動という、成功にはそれほどつながらない戦略だった。これらは「戦争を終わらせる」ようプーチンに強いることができる、そしてプーチンはこの戦争を始めたと同じようにたやすくそれを終わらせることができる、とする考え方だ。

ロシアの対外策謀空間が消滅した

今現に起きているものは何か、これを明確にするこの闘争における妥協は、陣営の各々にとっては、敗北に直接つながる道を意味していたと思われる。

このシニカルかつ冷酷な外交ゲームの論理によって、ボーイング777の悲劇がもし起こらなかったとしても、それをこね上げることが必要とされただろう。ドネツク人民共和国(DNR)を名乗る反乱派の役割の証拠は、いわゆる「国際社会」によっておそらく極めて早期に発見されることになるだろうが、おそらくこの反乱派に対する「テロ組織」としての指名に導くだろう。

「国際テロリズム」に対するもっとも残忍で破壊的な諸方策を正当化することは、われわれが知っているように、プーチン支配の商標の一つだ。MH17の撃墜は今や、DNRへの支援という疑惑と共に彼に突き付けられるだろう。そしてそれに対し彼は、肯定的あるいは否定的という形で答えることが可能なだけだ(現実的には、「イエス」はもはやありえないはずだ)。ただ一人の人物に向けられたこのメッセージの核心は、「ウラジミール・プーチンはこの戦争を止めることができる」という、ニューヨークタイムス社説に、もっともはっきりと表現されている。

プーチンは現実にこれをできるだろうか? 彼は、反乱派指導者だけではなく反乱派の普通の末端部分にまでも、そうした直接支配を及ぼしているのだろうか。そうした疑問は今や、ことによると永遠に、かっこに入れられた。ロシアの対外政治が享受してきた策謀の空間は、ドンバス地方上空高度一万メートルのどこかで、思いがけない終わりに到達した。

プーチンの国内基盤は当面安泰

残っている疑問は以下のようなものだ。つまり、プーチンは引き下がることができるか? よく知られていることだが、ロシア並びに海外の双方で、君臨する体制の「銃後」の強さについては多くが疑問符をつけている。

リベラル派は、人びとがいったん経済制裁の直接的効果を感じるようになれば、宣伝という蜃気楼は薄れてゆくだろう、という考えで自身を慰めている。民族主義者と何人かの元左翼は、モスクワの「アンチマイダン」を、すなわち愛国的決起を予言している。そしてこの決起は、プーチンが「ドンバスを裏切」れば、急に彼に向きを変えるかもしれない。

この春以来ロシア国家がロシア社会に加えた破壊的な仕事の範囲を、両者とも見くびっているように見える。クレムリンの社会学者によって楽しげに広められた「新プーチン多数派」は、ここしばらくの間は、その支配者が提案するどのような行動も受け入れる準備ができているように見える。抽象的な攻勢と不安定という幽霊を前にする怖れ、この両者の組み合わせは、わが同国人多数を支配する行動の原因だ。そして彼らは、TVスクリーンが映し出す戦争と破壊の映像が彼ら自身のアパートへと動いてこない限り、何でも受け入れる準備ができているのだ。尊厳という感情、自立した思考に向かう能力、そしてもっとも重要なことだが、彼ら自身の諸権利のために闘う能力がロシアに戻るまでには、多くの時間と辛抱強さが必要となるだろう。

(「レフトイースト」よりロシア語から英訳)

▼筆者は、第四インターナショナルロシア支部のフペリョードの指導的活動家。フペリョードは、ロシア社会主義運動(RSD)創立に参加している。(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年七月号)

かけはし2014年11月10日号

伝統的政治との決別と新たな左翼政党建設

ウクライナ

左翼フェミニストに聞く

ロシアの侵攻と民族主義的分裂に不平等との闘いを中軸に対抗

https://jrcl.info/web/frame141110f.html

 ニーナ・ポタルスカヤは、ウクライナの指導的左翼フェミニストの一人であると共に、マイダンにおけるフェミニスト分隊の創設者、また左翼反対派メンバーだ。そしてこのグループは、二〇一三年一一月、二〇一四年三月、さらに二〇一四年九月と、キエフにおいて三回の連続した左翼諸勢力による評議会組織化に力を貸した。そのもっとも新しい会合は、新たな民主的左翼政党建設を決定した。そしてその政党は、ウクライナにおいては初めてのその種の選挙に向けた努力となる。このインタビューはスイスの反資本主義左派組織ソリダリテSのために、ジュネーブにおいて、キリル・ブケトフの助けのもとにジャン・バトウが行った。(「インターナショナルビューポイント」編集部)

 ポタルスカヤは新党のいくつかの基本的な民主的原則を概括している。つまり、大衆的党構成である必要、資金に関する透明性、さらに参加型の党内民主主義だ。そのすべては、ウクライナの伝統的政党政治との断絶という彼らの願いに関し多くを語っている。左翼の一政党であると彼らが宣言する際、この新党の創設者たちは何を意味しているのかとの私の問に対して、ポタルスカヤは、党は社会的、経済的、ジェンダー上の不平等を変える意思をもっている、党員たちは今、それらの路線に添う特定の諸要求を備えた一つの綱領を起草する過程にある、と応じた。インタビューの中で概括されたいくつかの理由のゆえに、この党は戦争と民族問題に関しまだ一つの立場を定めていない。

(ジャン・バトウ)

メディアが深刻な分裂に導いた

――二〇一四年二月にヤヌコビッチ打倒に導いた、そのマイダン運動の社会的、政治的力学を説明できますか? さらにそれを、東部ウクライナでのできごとがたどった展開と比べてみることができますか?

 まず最初に、マイダン前後のウクライナにおける社会的抗議の性格を思い起こしてみたい。世論調査は、ウクライナの西部であれ東部であれ、民衆の不平の主要な理由は過去四年を通じて経済的閉塞感と関係があった、と示している。それゆえ最後の時期に、社会的、経済的悪化が増大一方の民衆的抗議の引き金を引いた。この怒りは、ウクライナ―EU協力協定不承認後に爆発した。そしてそれが、二〇一三年一一月末に向け、最初のマイダンデモに導いた。次いでそれに続く二、三週間、数を増す一方の民衆が街頭を埋める形で、特に特別警察部隊がデモ参加者を殴打し殺害さえした後、政治情勢の展開がいわばエスカレーションを引き起こした。

東部では情勢が違っていた。なぜならばウクライナ東部には圧倒的にロシアのメディアを視聴しているロシア語使用民衆が住み、マイダンに関するそれらの情報は、そこでの抗議に関する実際の理由に関しては何も語っていなかったからだ。彼らはネオナチが率いる蜂起について聞かされた。そしてそれらはあらゆる手段で止められなければならなかった。もちろん極右はマイダンで重要な役割を演じた。しかしマイダンを右翼の運動と言うのは間違っていた。こうしてロシアメディアは東部の人びとに、彼らにとって深刻な危険があると説明した。そして彼らはファシストを止めるために行動しなければならないと考えたがゆえに、街頭に向かうよう焚きつけられた。

私はマイダンにおける女性分隊の創設者並びに組織者の一人だった。それは、デモ参加者が様々な分隊に分かれていたからだった。この集団はかなり幅広い影響力を備えた二〇人かそれ近くの極めて活動的な女性から構成されていた。この女性分隊が行った行動の一つは、反マイダンデモ参加者によって占拠されている広場で女性たちと会う目的で、カルコフに代表団を送ることだった。なぜならばそこでは、反マイダン運動が成長していたからだ。これらの女性たちが示した最初の反応は、極めて否定的なものだった。われわれは肉体的な襲撃すら受けた。しかしわれわれが何とか対話を始めることができた時、一五分か二〇分後、われわれの運動の社会的懸念が絶対的に似たものであると実感したがゆえに、われわれは共通の言葉を見出した。われわれの運動の性格を誤って解釈し、民衆を操作し、この国の東部と西部の間に深刻な分裂を作り出していたのはメディアだった。

戦争に反対の中立的立場は不在

――二〇一四年四―五月におけるドネツクとルガンスクの自称「人民共和国」形成に導いた分裂主義運動において、東部ウクライナ活動家とロシア軍部隊のそれぞれの役割を、あなたはどう評価できますか?

 ドンバスの人びとが彼らが潜在的なファシストの脅威と見たものに反対して行動を始めつつあった時、多くの東部ウクライナ人たちは、同じシナリオ――ロシア人たちが流血なしにクリミアを接収できたとまさに同様の――が東部で繰り返されるだろう、と確信するようになった。

最初の時点では、多くの東部ウクライナ人がヴィクトル・ヤヌコヴィッチも、彼のライバルであるペトロ・ポロシェンコも両方とも憎んでいたがゆえに、その程度について語ることは非常に困難だとはいえ、分裂国家という展望は一定程度人気があった。しかし情勢が急速に変化を続けている以上、世論は極めて不安定だ。ウクライナ軍が五月にドネツク北部のクラマトルスクの支配を奪い返した時、われわれはこの町の人びとと話し合う機会を得た。そして彼らはわれわれに、それが何者であろうともあらゆる軍服を憎んでいる、と告げた。

ともかくも東部ウクライナ人は、彼らの状況がクリミアのそれと同じではないと実感する中で、ロシア語の公用と教育が禁止されようとしているとの、また彼らの諸権利を守るため自分自身で行動しなければならないとの、数多くの噂を聞いていた。四月末に、ロシア軍の諸部分が市民の自衛部隊メンバーを偽装し東部ウクライナに浸透し始め、政府庁舎を接収した時、彼らは、これらの建物をすでに占拠していた当地の反マイダン活動家たちをすぐさま押しのけ、彼らにとって代わった。

ロシア人はまったく違うアクセントで話し、いくつかの別の言葉とセンテンスを使うのだから、彼らを見分けることはたやすい。彼らがスリャヴィンスクに入り人びとを街頭から追い立てた際には、道路を歩行者区域から隔てる標識を呼ぶ時、ウクライナでは決して使われない典型的なロシア用語を使った。しかし反マイダン活動家たちは、先の建物を再び占拠することを許されそうもないと実感した時、おそらくはロシア人扇動家の影響の下に、親ロシアの表現と親ロシアの旗を使用して、街頭に進出した。

そのようなデモがたとえ規模の点で限定されていたとしても、それは、住民の大きな部分から支持されていないということを意味しているわけではない。ルガンスク出身の人びとはつい最近、街頭への進出は東部ウクライナでの抗議行動では極めてまれなことだった、とわれわれに話した。それゆえあなた方はその限定された規模から、それらのデモが住民の大きな部分から支持を受けていなかったなどと推測してはならない。いずれにしろ、ドネツクとルガンスクの二つの自称「人民共和国」を支持している人びとの比率を評価する正確な方法はまったくない。市民に対する暴力に関しても、両陣営の責任を決めることは非常に難しい。各陣営が、その民族主義傾向にしたがって、他に責任を帰せているからだ。独立した情報源は一つもない。そして当地の人々によれば、両陣営の振る舞いはともにひどいものだった。

――ウクライナ人の民族感情は、民衆の社会的要求とどのように相互作用していますか? 労働者たちは、彼らの利益を守る形で自身を動員することをやめているのですか?

 問題は社会的課題を他の問題より先にどう押し出すかだ。ところがもちろん人びとは戦争という情勢の中で、社会的課題についてあまり多くを考えないようにしている。われわれは八月にあらゆるところで、増大する民族主義感情によって駆り立てられた愛国主義的決起の成長を見ていた。西部では、増大一方の反ロシア並びに反分裂主義の諸行動がある。しかし、人びとがそのために昨年街頭を埋めた社会的かつ政治的主張――たとえば、腐敗反対のために戦うという――は、前線ではますます少なくなっている。

ウクライナには二つのタイプの労働組合がある。労働組合連合は旧ソビエト文化に根を下ろし、単純に政府が言うことを支持している。それはいくら控えめに言ったとしても、この国の労働法制定で極めて限定された役割しか果たしてこなかった。しかしこの国には自立した労組もいくつかあり、それらはペレストロイカ期に形成された。そしてそれらは特に地方レベルではるかに活動的であり、そのうちのいくつかは非常に強力だ。しかしながらこれらの独立労組の指導者は、非常に力のある政治家だ。彼は、あらゆる種類の挑発的演説を回避しようと努めているとはいえ、ウクライナ政府を支持している。この連合の内部には対立をはらんだ様々な立場があるが、戦争に反対する中立的立場のようなものは一つもない。

統一した民主的な左翼政党建設

――最新のキエフ評議会の成果は何ですか? 今日のウクライナで、統一した民主的な左翼政党を建設する可能性はありますか? これに関し協力可能な勢力とはどういうものですか? そうした党の綱領とはどのようになる可能性がありますか? 民族問題はその隊列を分裂させていませんか?

 われわれは今、独立的な諸労組、NGO、また進歩的な諸政治勢力を、一つの民主的な左翼政党という傘の下に全部合わせて結集する好機を得ている。それこそがわれわれのキエフにおける最新会合の目的だった。この評議会は組織化委員会の創出を決定した。そしてこの委員会は、創立文書について活動を開始した。われわれはそれを透明で民主的なやり方でやりたいと望んでいる。しかしもちろん、民主的な運びには時間がかかる。

われわれは、いわばこれまでと違ったやり方で政治を行うことに対するわれわれの共通の関与を討論した。われわれはそれを二、三の単純な点にまとめることができる。

第一にわれわれは、われわれの党員資格から一定額以上の金銭を稼ぐ人びとを排除したいと考えている。第二に、党の財政は、そこでのあらゆる処理が開けっぴろげに報告される、ある種の「公開帳簿」でなければならない。つまりわれわれが受け取り、あるいは支出するすべてのことは、あらゆる人びとに透明でなければならない。第三に諸決定は、可能な限り多くの下部党員を含んだ公開フォーラムで行われなければならない。つまり決定権行使は党指導部に任されることではなく、われわれは、全党員の関与を可能とするインターネットプロセスを開発しなければならない。一つの道としてわれわれは、欧州の諸々の海賊党〔諸々の市民権、情報の自由、また直接的民主主義を支持〕や社会民主主義諸政党の組織原則が混合したものを選択した。

われわれは、反マイダン諸勢力と親マイダン諸勢力を分離しなかった。それに応じた極めて様々な立場があった。しかしわれわれは、社会的、経済的、そしてジェンダー上の不平等に焦点を絞ることだけを決定した。左翼というわれわれの共通の帰属関係は、社会的諸権利と経済的諸権利を前線に置く、ということを意味している。

われわれは民族問題を提起しなかった。この取り組みはわれわれにとって、近年では互いに議論を交わす初めての機会だった。それゆえ人びとはもちろん、多くの様々なものごとに対処することに関心を抱いたが、われわれは今回民族問題を扱わなかった。

われわれは主要に、それを通してある種の統一を築くことができると思われる、そうした組織の諸原則に取り組んだ。われわれが評議会の組織者として行おうと努めたことは、戦争という話題に関し共通の宣言を作成できる、ある種の雰囲気を作り出すことだった。しかしこのグループの統一を保つため、そうした宣言の言語は非常に外交的かつ緩やかなものでなければならなかった。そして結局は、宣言はどのようなものもつくられず、一つの草案だけが残った……。

困難な歩みへ左翼反対派が口火

――今日のウクライナで新たな政党を建設する上で、解決が必要な手続き上の問題とは何ですか?

 新たな政党建設は、多くの実際上の障害を伴った、非常に困難な歩みだ。つまりウクライナの現存諸政党のほとんどは、少なくとも一〇年前につくられ、その時の法律は今よりもはるかに有利なものだった。しかし今新しい政党の形成はほとんど不可能だ。

社会党の一党員であったがそこから除名された一人の著名なカルコフ出身の弁護士は、彼自身の政治組織を建設することに成功を収めた(カルコフの他の社会主義者と共に)。彼はいわば順境にある政治家だが、どのような新興財閥からも支援をまったく受けていない。彼はこの新組織の登録に、そして議会への進出に成功した。また自治体議会に議席を得た彼の党のメンバー何人かもそこにくっついた。しかし彼の組織は一歩一歩後退し、消滅し、党員のいない、登録以外は何もないものを彼に残した。そこで彼は今われわれに、党の名前を選択できる新たな左翼政党建設に向けた一つの乗り物として、登録済みの彼の組織を提供しようとしている。

――あなたは左翼反対派のメンバーです。あなたの組織に関し、また今回のキエフ会合の準備に果たした役割に関し、何かもっと話すことはできますか。

 左翼反対派はこれらの会合に口火を切った。しかしながら、われわれの党員が二、三〇人という程度であり、キエフだけではなくチェルカッシー(国の中央部)でも、活動的な人びとはさらに限定されている以上、われわれの影響力は小さい。もちろんわれわれは、われわれの諸行動とわれわれの討論に参加し、われわれの出版物を配布している幅広い同調者の一団を動員している。

左翼反対派は二組の人びとから構成されている。組織を創出した第一の者たちは、トロツキストの伝統からやって来た。他の部分は、様々なトロツキストの提携関係間の選択に関心はない。つまり彼らは自分自身を、反資本主義者、社会主義者、反スターリニスト、反権威主義者と考え、それですべてだ。私や多くの他の人々にとってはそれで十分だ。そしてわれわれに合流している多くの若い人びとや新しい活動家たちにとって、それに反対し、あるいはそれを求めてわれわれが今戦っているものが、われわれの歴史的な背景よりももっと大事なのだ。ある意味でわれわれは、ロシア社会主義運動(RSM)のよく似た兄弟だ。

――建設途上にあるこの民主的な左翼政党の選挙に関する見通しには、全員の合意があるのですか?

 それはない。われわれは今もまだこの問題を論争中だ。前途に迫る諸選挙へのわれわれのあり得る関与は、一種の自然発生的な決定だった。その決定はまさにそうする好機のゆえに行われた。しかしある人たちは、われわれが一つの議会グループの一部であるべきか否かに疑念を持っている。それゆえわれわれは、選出されることを目的とせずに選挙運動に参加する、と決定した。その代わりにわれわれは、われわれの回りに人びとを組織し動員することに向けた道具として、この運動を利用したいと思っている。もちろんいくつかの友好的な政治的ウェブサイトは、選挙運動に入り込むというわれわれの決定を批判している。

民族主義的反応に女性のみ対抗

――今日の民族主義的分裂にはどのような社会的勢力が抵抗できていますか? このインタビューのはじめで、あなたは女性にふれました。カルコフにおける反マイダンデモ参加者との間に橋をかけようとした女性マイダンの試みには、その後に続くものが可能性としてありそうですか?

 左翼が反戦のイニシアチブを築き上げることは難しい。われわれの隊列内部には非常に異なった諸見解が混在しているからだ。独立したキャンペーンの可能性についてあなたが討論する度毎に、あなたは二つの支配的な選択肢に、つまりロシアの宣伝にしたがうか、それともウクライナの宣伝にしたがうかという選択肢に反対しなければならない。

民族主義的な反応が公衆の討論を支配している。独立したフェミニストの声を築き上げることは、フェミニスト諸組織の非常に限られた財政力によって難しいものとなっている。社会的な、また政治的な諸要求は、人権に関するより全般的な立場を採用することなしには聞き届けられる可能性はない。それはすでにマイダンの諸行動の際に同じだった。その時左翼諸グループは政治討論に、そのようなものとして参加することが簡単にはできなかった。

マイダンに入り込み、民族主義や性差別主義や差別という課題を論争し始めることは、女性にとってのみあり得たことだった。極右は伝統主義者であり、女性は台所にとどまり、政治の動きには声を出すべきでないと考えているとしても、それでも彼らはわれわれを論争から締め出すことはできなかった。二週間の休戦の間、戦闘が停止したマイダン運動におけるいわゆる「沈黙の二週間」、われわれは、社会的諸課題をめぐる非常に重要な論争を動き出させ、メディアの注目を惹き付けることができた。われわれは非常に知られるようになり、われわれの会合には一〇〇人の人びとが参加し、フェイスブック上のわれわれのコメントはどこにでも広げられ、そして極右もわれわれを考慮しなければならなかった。(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年一〇月号)

かけはし2015年3月9日号

民主的社会へ連帯と再統一を

ウクライナ決議

第四インターナショナル国際委員会声明(2015年2月)

オリガルヒによる略奪阻止と緊縮の拒否が不可欠

https://jrcl.info/web/frame150309g.html

(1)

 ほぼこの一年で、少なくとも五〇〇〇人の男女(そのほとんどは市民)が殺された。この数字にはおそらく約二〇〇〇人に達する兵士の死者が付け加えられるべきだ。さらに一五〇万人以上が、自分たちの家と財産を残すことを強制されたままドンバスから追放された――かれらの半数近くがロシアで、そして残りの人びとはウクライナのさまざまな場所で難民になった。

ウクライナ東部の前線の両側で数百万人の住民が、社会的攻撃への民衆的抵抗を妨げる事実上の戦時下の権威主義体制の下で、人道的破局の状況に直面している。

(2)

 ロシア人によるマイダン(広場占拠運動)のような社会・政治運動が起こることを恐れているプーチンは、キエフ(ウクライナ中央政府)のポスト・ヤヌコビッチ体制を、反ロシアのファシストによって支配されていると、きわめて歪めた形で描き出し、クリミアの併合とロシア語を話す住民の「保護」なるものの必要を正当化している。「ウクライナ人」がしばしば「ファシスト」と同一化される中で、西側の諸制度に顔を向けたウクライナの転換を不安定化させるために、モスクワがウクライナの東部で手段とする「ハイブリッド(異種混合)戦争」は、ウクライナの政治生活を変形させてしまった。

増大する憎悪とヒステリックな復讐のレトリックは、この国全体で支配エリートが自らの反社会的政治を行うための弁明として使われてきた。ポスト・ソビエト期の「ヴァトニキ」(労働者の着衣の軽蔑的表現)として信用を失墜させられたドンバスの人びとは、キエフの破滅的な「反テロリスト作戦(ATO)」に従わされている。

(3)

 したがってわれわれは、ウクライナ、ロシア、EU、そして全世界の左翼活動家と労働組合活動家に向けて、ウクライナ全土ならびにロシアと、それ以外の欧州の労働者の連帯を損ない、右翼と保守勢力を利するだけの一方的(陣営論的)論理と訣別するよう訴える。

民主主義的・左翼的基盤の上にウクライナの左翼と労働者運動、進歩的運動を再統一することは依然として可能であるが、そうした方針の前提条件は軍事的衝突の縮小と休戦である。戦争激化のたびごとに、この紛争の双方の側で右翼と過激な民族主義者(時としては公然たるネオナチ)が強化され、ウクライナ全域での権威主義的独裁の導入の可能性がより大きくなる状況が作り出される。

連帯と再統一こそ、戦争の論理と決別し、安定的な平和、独立国家と民主的社会としてのウクライナをうち固める唯一の道である。それは、紛争のすべての犠牲者への連帯を表明し、立憲的な言語と地域の権利、ならびに住民の自主的組織化と自己表現を通じた民族的自己決定を含む、労働・社会・民主主義的諸権利を擁護することを意味する。

われわれが、国際的管理の下での休戦を支持する理由がここにある。軍事的な形での進歩的解決の可能性はないからである。現在の情勢の下では、反動的な国際的・民族的当事者によって調印がなされるだろうことをわれわれは知っている。そしてこうした反動的当事者からの完全な独立、そのような休戦への鮮明な批判的アプローチのためには、民衆の社会的・政治的諸権利と選択を擁護する住民の動員に基づいた真の――すなわち民主主義的かつ公正な――平和という、将来のための諸条件を擁護することが必要なのである。

(4)

 われわれは、ウクライナを支配したり解体したりする「歴史的」権利がロシアにあるとは、いかなる意味でも認めない。そしてわれわれはウクライナ――クリミアやドンバスを含めて――のすべての住民の全面的な自決権を支持する。その権利は、いかなる真の民主主義的手続きや政治的選択もない権威主義的・軍事的圧力の下では自由に表現することはできない。われわれがクリミアの併合を非難してきたのはそのためである。

われわれは一九九一年にワルシャワ条約が解体して以後のNATOの拡張に、いかなる正統性も認めないし、ウクライナの政治選択を支配する西側帝国主義のあらゆる企てや手段も認めない。しかしウクライナ住民のますます多くの部分の中でNATOの正当性が強まってきたのは、過去の大ロシア主義政策の経験とプーチン政権の抑圧的性格、ドンバスでの戦争、そしてロシアによるクリミアの併合のためである。

こうした具体的な攻撃が、ウクライナの東部を含めて反プーチンのウクライナ愛国主義の感情を強めてきたのである。ドンバスでさえも、親ロシア勢力は動員と全地域の支配が困難になってきた。

しかしキエフの政策と「反テロリスト作戦」は、悲劇をもたらした。それはより多くの自治という選択に民衆的支持を与えるものとなった。それにもかかわらず、二〇一四年一二月に東部地域で行われた聞き取り調査では、広範な多数の回答が全地域をウクライナにとどめることを支持するという傾向にあり、独立支持はわずか六%、ロシア連邦への編入支持は四%だった。状況は、一つ一つの町や村ごとに異なっているようにも見える。「ドンバス人民共和国(訳注:ウクライナ東部の親ロシア派支配地域)」(そしてロシア)の指導者が何らかの政治的自由を許容し、日々の生活と社会的権利を確保する点での、完全なまでの無能力についての民衆の不安と幻滅が広がっている。「地域的」に強力なアイデンティティーとキエフの政府への不信は、きわめて暴力的で非民主主義的な権力への積極的な支援を意味しなかった。

ドンバス「人民共和国」には、民主主義的機能が完全に欠けている。ウクライナ共産党でさえ、いわゆる「人民共和国」におけるよりもウクライナのそれ以外の地域で自らを表現し候補者を擁立する可能性を持っていた――それを禁止する幾つかのアピールにもかかわらずである。地方の住民は、爆撃と両サイドからの犯罪のはざまで人質に取られている。

(5)

 したがってわれわれは、即時の停戦を支持する。しかしわれわれはミンスク合意(訳注:二月一一日~一二日にベラルーシの首都ミンスクで行われたウクライナ紛争解決のための独、仏、露、ウクライナ四カ国の首脳会談での合意)の政治的内容を認めるものではない。

クリミア併合の事実上の承認に加えて、それらはより明白に、大国と諸政府に指導される形で「影響力の及ぶ地域」を分け合う秘密外交の手続きを通じる、ウクライナの新憲法への道になっている。われわれはこのロジックを非難する。

プーチンの目的は、この地域の産業がキエフから得ていた補助金のコストを負担することなく、ウクライナの選択に一定のコントロールを行うことである。したがって「ノヴァロシア」(新ロシア)という呼称は、ウクライナ国家内部の「国家」という、より限定的なプロジェクト――「レプブリカ・スルプスカ(ボスニア内部のセルビア人『区域』)」のようなもの――により多くの信頼性を与えるために放棄された。この協定は、国境のなんらかの管理、地域指導者に警察・司法の機構を与えるウクライナ憲法の改定の前提条件をふくんでいる。

ミンスクでの協定は、数千人のウクライナ兵が残るデバリツェボ鉄道駅(訳注:鉄道ターミナルである同駅の攻防は内戦の最後の焦点になっていた。最終的にウクライナ軍は同駅から撤退)の地位についての合意を認めていない。おそらく一〇〇〇人以上の兵士の生命を賭けた同駅の攻略は、ドンバスの「人民共和国」に連続性を与えることになる。したがってミンスク合意は安定的な休戦を確立するものではなかった。

(6)

 以下、実践的な課題として――

・われわれは、あらゆる軍事的攻勢に反対し、国際的管理の下での休戦を保障するすべての努力を支持する。この紛争に関与しない第三国による国連平和維持部隊の配備が求められ得る。

・われわれはウクライナの中立的地位、ロシア軍の撤退、すべての戦闘地域の非軍事化を支持する。

・われわれは戦争犯罪の調査と、両方の側からの犯罪者の告発を支持する。戦争犯罪人は現在の国際法を基礎に処罰されるべきであり、民兵部隊は武装解除し、解散するべきである。

・われわれはウクライナ憲法の改定のための民主的手続きの必要性を擁護する。

・われわれは双方の側からのゼノフォビア(外国人嫌悪の宣伝)とヘイトスピーチを非難する。われわれはEUにおいてと同様に、すべての政府から独立したウクライナとロシアでの反ファシスト・反戦運動を支援し、レイシズムと戦争プロパガンダを批判する。

・ウクライナは「歴史の誤り」ではない。ロシアもウクライナも「悪魔化」されてはならない。

・社会的諸権利に対するさらなる攻撃を押し付ける、IMFとEUからの「援助」なるものに反対し、われわれは戦争に引き裂かれた地域の再建のための共同の国際的努力、そして避難民と家を失った人びとの帰還を求める。

・ウクライナのすべての部分における左翼の政治活動家と労組活動家に対し、域外優遇税制のごまかしを通じたオリガルヒ(新興財閥)による国の略奪をやめさせ、以前の債務返済のためのIMFからの借り入れという悪循環と訣別するよう、われわれは呼びかける。生存と社会的・政治的権利を刻印するために、ウクライナの民衆には、ギリシャの民衆がそうしているように労働者階級の集団的行動を通じた、緊縮政策への非難と拒否が必要であり、真にそうした方針を支える政党の建設が求められる。

・ロシア、ウクライナ、EU内外のすべての欧州諸国において、われわれはすべての支配関係に反対する、主権を持った人びとの自由な連合に基づく、もう一つのヨーロッパのために闘う――われわれにとってそれは社会主義である。

THE YOUTH FRONT(青年戦線)

・発行編集 日本共産青年同盟「青年戦線」編集委員会
・購読料 1部400円+郵送料 
・申込先 新時代社 東京都渋谷区初台1-50-4-103 
  TEL 03-3372-9401/FAX 03-3372-9402 
 振替口座 00290─6─64430 青年戦線代と明記してください。