米国 ウクライナ民衆との連帯を!

ロシアはウクライナから出ていけ!
NATO反対、今もかつても!
2022年3月2日ソリダリティ全国委員会

 現在展開中の破局が猛烈な速度で進行している中で、ロシアの犯罪的な侵攻に対するウクライナ人の抵抗が、早くも即座の勝利というウラジーミル・プーチンの期待を打ち破った。
 ウクライナ人の抵抗力は世界を、特に米国と欧州の諸政府を驚かせた。もっとも重要なことに、それはまた、ロシア内での警察国家的抑圧を前にした法外に勇敢なデモの出現に、時間と空間を作り出す助けにもなった。
 これらの事実の重要性は、21世紀の歴史における転換点であるかもしれない現時点で誇張されてはならない。次に起こるかもしれないことが何であれ、この侵攻とウクライナを押し潰すというプーチンの意図は、もちろん社会主義的左翼の一部であると主張するあらゆる者を含む、民主的権利の支持者すべてによって絶対的に糾弾されなければならない。
 服従に対するウクライナ人の抵抗はすでに、ウクライナは「真の国ではない」、そしてその政府は「ネオナチによって支配されて」いる、とのプーチンの悪どい主張に反証を挙げるに十分だ――まるでそのような政府が、侵略者に対決して彼らの都市を守っている住民に武器を配布していると思われるかのように!――。

米国支配階級の「悲劇的な過ち」


 しかしこの危機は、ウクライナを超えるものに関わっている。それは欧州の、またおそらくはるかに多くの未来に関する闘争だ。それは、以下についての理解が特に米国の民衆に等しく重要である理由のひとつだ。つまり、惨事の諸々の根源が、1991年のソ連邦解体とワルシャワ条約機構の活動停止に続く、勝利を誇るようなまた挑発的なNATO拡大の中に据えられた、ということの理解だ。
 それはまさしく、NATOそれ自身が解体されていることも可能だった、また欧州にとっての平和に満ちた諸々の可能性が開かれていたかもしれない、そのような時期だった。その代わりにNATO――1949年のその発端から米国が組織した西側帝国主義ブロックであり、それが主張するような「防衛同盟」であったことなど一度もなかった――は、再び活力を与えられている。そしてさらにといえるほど、抵抗が必要な危険で反動的な発展を広げる用意ができているかもしれない。
 ポスト冷戦時代におけるNATOの強化は、プーチンの台頭に鮮明に示された悪意のある権威主義的な、また攻撃的な熱を帯びたロシア愛国主義の高まりを大きく助けた――両者が互いに育て合いつつ――。NATOは今、それ自身が相当な責任を負っている危機の受益者になっている。
 ロシア国境まで迫るポストソビエト東欧へのNATO拡大は、なおのこと危険だった。それが、ひとつの政権の横取りだけではなく、その支配が争いの対象ではなかったクウェートにおける1990―1991年のイラクに対する米国の圧倒的な勝利およびソ連邦の崩壊の後、米国の既成エリートたちの当然視によりイデオロギー的に駆り立てられてもいたからだ。それは、米国の最高位の外交官がソビエト指導者のゴルバチョフに行っていた保証に違背し、早くも1990年代にジョージ・ケナンによって、ロシアは最終的に決して受け入れないと思われる「悲劇的な過ち」と呼ばれた。
 特に2008年以来情勢は、その「開いた扉」はウクライナ(あるいはジョージア)加入に向け広がるだろう、とのNATO指導部からの挑発的な語調によって悪化させられた。しかし、ウクライナがNATOに加入すると思われるような実際的な可能性は全くなく、それは、プーチンに彼の侵略に対する口実を与える可能性しかないと思われるような見せかけだった。

ロシアの口実に正統性は皆無だ


 このすべてはいかなる点でも今回の併合主義的侵略を許すものではない。偽のドネツクとルガンスクの「人民共和国」に対するプーチンの認知という口実の下に始まっているそれは、独立した国としてのウクライナを服従させるか、占領するか、分割するかいずれかの意図に基づく全面的な強襲だ。ウクライナの「非ナチ化」に関するプーチンの主張は、ウクライナの住民に対する政治的暗殺や粛清を実行する計画を示している可能性もある。
 確かに、ウクライナの実行可能な民主的な将来は、大雑把に30%になるロシア語を話す人々の権利を確保しなければならない。そしてその権利には、彼らが彼らを自由に表現できるという条件で、その地域の民衆の願いに応じた平等な言語の権利、および地域自治の権利が含まれる。しかしながらこのどれもが、ロシアの戦車と爆撃下では、可能ではなく、思い描くこともできない。
 この侵略とそれに対するロシアの口実には、イラクに対する米国の侵略に似た、最悪の国際法侵犯として、また等しく長期に残る恐るべき諸結果を伴う、同じレベルの非道さがある。実際、イラク内の「大量破壊兵器」というジョージ・W・ブッシュの悪名高い主張、そしてロシア語を話すウクライナ人の「ジェノサイドを止める」というプーチンの嘘八百は、完全に同等だ。

この戦争で誰が勝者なのか?

 われわれが始めに述べたように、プーチンが早期の勝利達成をもくろんだ、ということは事実と考えてよい。それはすでに破綻している。それは、この声明作成の時点で、ロシアの侵攻戦術が都市の標的に対する大規模爆撃(それが以前チェチェンとシリアで実行されたように)に転ずる可能性があるという危険を提起する現実だ。そしてその場合、ものすごい大虐殺、さらにすでに起きているものさえも上回る恐るべき難民危機が生み出される危険があるのだ。
 この直接の惨事はもちろんウクライナとその民衆の前にある。ロシアの民衆もまた、報復的な米国とEUの制裁の作用から苦しみを受けつつある。そしてその全面的な結果は今後分かることだ。
 世界経済全体は巨大な打撃をこうむるかもしれない。そして戦争が政治を支配するに至るに応じて、気候の破局を回避するために必要とされる大規模な経済転換の機会は、次第に薄れていく。
 短期的にはこの戦争における唯一の「勝者」であるように見える者がいる。NATOだ。冷戦期の使命を失ってから長い時期を経て、それは今や目的とエネルギーを新たにした。そしてメンバー国は軍事予算を――疑いもなく――さらに高めた。いつも通りに軍産複合体は、今だけではなく今後も、大もうけを刈り取ることになる。
 プーチンがNATOに東欧から後退するよう求め続けてきたところで、NATOは今、まさにロシア国境上に、より多くの兵器、より多くの部隊、より先進的な軍事装置を配置するつもりだ。この場面でもまたプーチンは、ウクライナにこの侵略がもたらしている悲劇が何であれ、すでに敗北している。
 またロシアの終身大統領のプーチンは、米国大統領のジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマ、ドナルド・トランプが成し遂げることができなかったことを行ったようにも見える。つまり彼は、米帝国主義者の西側同盟に対する指導性を回復させたのだ。バイデンは、アフガニスタンの場合とは異なり的確であると分かった米国の情報を中心的同盟国と共有することによって、かなり統一された反ロシアブロックを確保した。
 プーチンは次のことを当然と考えたかもしれない。つまり、西側諸大国内部の分裂――ロシアとの貿易、ロシアの原油と天然ガスその他の欧州による購入といった諸課題をめぐる――が、米国の政策におけるよろめきとバイデンのアフガニスタン撤退における混沌と並んで、ウクライナに対する彼の動きに対する応答は弱々しくなることを意味するだろう、ということだ。これは、西側内部の分裂に対する大幅な過大評価であり、米国の強さに対する過小評価だった。

要はウクライナの存在権防衛

 プーチンの2月21日の演説は、数世紀のウクライナ史およびしばしば悲劇的な環境の中でのウクライナ人の民族的アイデンティティの出現に、偽造され平坦化された表現を与えた。何の不思議でもないことは、彼がウラジーミル・レーニンを、ソ連邦創立に際し、分離を含む自決権をその構成諸民族に認めたとして、苦々しく糾弾したことだ。レーニンはプーチンの中に、まさしく彼が軽蔑した大ロシア愛国主義の類を認めたと思われる。
 どのようなロシアの政府――プーチンのならず者政権だけではなく、もっとも民主的で自由なと考えられるものまで――も、NATOへのウクライナの加盟は容認できないだろう、ということは繰り返す必要がある。すべての西側政権はその現実を認めなければならないだろう。彼らは、彼らには不可能でまた維持できないと思われる約束を、決して提供してはならなかった。
 しかしプーチンの演説と以前書いたものは、独立した国としてのウクライナの存在を明白に否認した。われわれがNATOとロシアの指導部双方からここで見てきたようなイデオロギー的に駆り立てられた行動は、それらがリスクと成果の冷静な計算では拘束されないかもしれないという点で、特に危険だ。われわれには、プーチンの冒険が挫折になるとした場合、ロシア軍部とオリガルヒがどこまで彼に従うかを知る方法は全くない。
 米国はもちろん、「ルールを基礎とした国際秩序」の防衛を宣言することに飛びついた。とはいえ米国が第二次世界大戦終結以来それに込めてきた意味は、「われわれがルールを作り、われわれが秩序を与える」ということなのだ。これが、あさましい国内政治の理由からキューバにサディスティックな制裁を課し、他方でパレスチナ民衆の権利に対するイスラエルの侵害に反対する「ボイコット、投資引き上げ、制裁」(BDS)運動を犯罪にしようとしている世界の超大国だ(ベネズエラとイランに対する米国の制裁はまさに今皮肉にも、プーチンの利益になるまで、世界の原油価格をつり上げる助けになっている)。
 このふるまいは十分に、道義的公正さに対しワシントンの主張の信用を傷つけている。しかしその帝国主義の偽善とそれ以上のものを糾弾するとしても、同時に本質的なことは、原則問題としてのウクライナの存在権、さらに西側の諸大国がウクライナを従属的な配下の国家に変えるロシアの侵略を今後も認めないだろう、という確固とした実際上の現実、を理解することだ。
 このような脈絡の中で、今日の反戦運動はこの試練にどのようにして正面から立ち向かうのだろうか?

平和運動勢力の著しい弱体化


 時は、平和運動勢力が恐ろしいほどに弱体化している時に、世界的な平和運動と反戦の抵抗を大いに必要としている。ここでは、われわれ自身に冷徹に正直であることが必要だ。ここ米国ではとりわけ、左翼は明らかな影響を及ぼすような重みをもっていないのだ。
 われわれは、ロシアの住民の中に「戦争の熱気」が全くないことを、またロシア国家内に信じられないような勇気のある反戦と民主主義の活動家がいる、と知っている。何千人もが残酷に逮捕され、ロシアメディアへの意味のある接触すべてを奪われているとしても、それらは確かに、ロシア世論内部に広がる狼狽を映し出し、それは特に真実が現れ始めるにつれ深まる運命にある。
 その理由から、また米国が今なおナンバーワンの帝国主義大国である(唯一ではないとしても)からには、この両方のために、ここでの平和運動には特別に重要な責任がある。しかし残念なことにそれは、客観的な政治的諸困難といくつかの見えなくされている問題の双方によって妨げられている。
 政治的には、民主党の既成エリートとリベラル派のほとんどは、プーチンの動きに対する公然の非難――しかし、ウクライナをNATOへと連れ出すことの高度の危険をほとんど認識しないまま――で歩みが止まっている。われわれが知る限り、米国の政治家の中ではバーニー・サンダースだけが、プーチンの併合主義を糾弾しつつも、前述の危険を正しく指摘した。そしてサンダースの重要なメッセージは予想されたように、指導的なリベラルメディアの発信媒体であるCNNやMSNBC上では、ほとんど完全に無視されたまま消え去った。
 共和党は、それ自身の日和見主義とバイデンの信用を落とすことへの固執の間で幾分分裂している。それは、バイデンの政策を弱く「融和的」だと呼んでいる何人かの政治家および評論家と、他方でプーチンの強力な指導性に対し共感を表す極右の者たちによるものだ。ドナルド・トランプは彼のフロリダにあるリゾート用の隠れ家から周期的に現れて、同時にふたつのことを言い続けている。

混乱克服へ全可能性の追求を

 この困難な空気の中で、米国の平和運動の多く(正直に言って現在弱体な状態にある)は、幅広くNATOへの正しい批判を行っているが、しかしウクライナとその民衆の闘いに関しては混乱させられてきた。われわれは、19万人のロシア軍部隊がウクライナ国境に終結した時、戦争の差し迫った脅威は米国から、またウクライナ人「ファシスト」から来ている、と言明する「反戦の」諸声明を見ることになった。
 この種のがらくたは(幸いなことに)、おそらく極右の周辺的部分に対するものを除いて、米国の公衆へのアピール力をまったくもっていない。
 米国の平和運動のどれほど多くが、腐敗した親ロ政権が大衆的な運動の圧力の下に見事に退けられた2014年のウクライナでのできごと(加わるべきは欧州貿易ブロックか、ロシアが率いるユーラシアブロックか、をめぐる)は、「ファシストクーデター」およびロシア語を話す地域の「ジェノサイド」だった、との過度に単純化された筋書きを鵜呑みにしたか、を見るのはつらいことだ。
 これらの主張では、いくつかの現実の核心が、クレムリンから直接来ている可能性もある(そして来ている)歪んだ虚偽の重なり内部に包み込まれている。たとえば、ウクライナに現に存在している暴力的なウルトラ民族主義勢力が、あたかもロシア内のそれらよりももっと強力であるかのように!
 始まりの時の反戦の声はあまりに多くが、ウクライナが存在する権利および民族的独立というもっとも基本的な問題について混乱していたように見えた。他の領域ではすばらしい仕事(たとえば、イエメンにおける恐るべき戦争に向けたサウジアラビアへの武器売却反対のコードピンクによる大キャンペーン)を行っている部分のいくつかも、少なくとも混乱していた。侵攻のまったくの残忍さ、そしてウクライナ人の抵抗が見せた明白に民衆的な基礎をもつ強さが、これらの人々を情勢の現実に連れ戻すことを助けている。しかしながら今でさえ反戦運動からは、「休戦」を求める疑いなく善意の叫びがある。しかしそれは、万が一プーチンがウクライナを打ち砕くことに成功することがあれば、何の意味もないのだ。
 他方で、左翼の最悪の諸部分は、公然とあるいは暗黙にか、どちらかでロシアの侵略を承認した。ここには特に、「統一全国反戦連合」(UNAC)を軸に組織されたグループが含まれ、それらの声明は、事態をあたかもウクライナがロシアを攻撃中であるかのように見せかけている! これらの反動的で毒を含んだ政策は、意味のある反戦運動の建設に対する大きな障害になっている。
 われわれは、状況が米軍の部隊が今ウクライナでの可能性のある戦闘へと進んでいるというようなものであれば、反戦の統一戦線としてそれらの勢力すべてと合流することが必要になるだろう、と理解している。しかしそれは今起きつつあることではない。またわれわれは、まさに現実的な「核戦争の危険」が、核兵器が存在している限りいつでもあるこの危機以上に特にもっと大きい、とも考えていない。
 この危機が持続する――そしてまったくあり得ることとしてエスカレートする――中で、より健康な平和運動の建設に向け開かれるかもしれない諸々の可能性は何であれ、探求される必要がある。それは、「ウクライナでの戦争ノー」を求めて、ウクライナ人コミュニティの人々との討論にまで努力を広げることを含んでいる。彼らは、新たな意味のある反戦運動のための今日ある潜在的な可能性を代表している。
 いずれにせよわれわれは、われわれ自身の声を高め、取り組みの全般的な方向性を共有している人々と共に、ロシア、ウクライナ、あるいは他の諸国とここ米国のコミュニティから現れる進歩的な声を増幅する可能性があるどこでも、活動する必要がある。母国での軍国主義者の台頭に抵抗する中での、ウクライナおよび反戦のロシア人諸勢力との連帯が、複雑だが差し迫った任務だ。

結論的要約

◦ウクライナに関してロシアは侵略者の大国であり、ウクライナには自衛と国民的主権の権利がある。
◦より大きな対立構図に関して、NATOおよび特に米帝国主義は少なくとも、等しく侵略的であり、ロシアの併合主義と同じほど危険だ。NATOは全く存在してはならず、米国もそこにいるべきではない。この広い意味の対立の中には、「進歩」側や「反帝国主義」側は皆無だ。
◦ウクライナの正統な自己決定権と民族独立の権利は、NATO加盟(それは本当はまったく議題になっていなかった)にまで及ぶものではあり得ない。それは不可避的にウクライナを、進歩的な結果はまったく含まずに――実際はその主権を実践において無効にして――決して終わることのない、その上地域内の他の緒国を危険にさらす、そうした衝突における永遠の戦場にすると思われる。
◦NATOの継続は、その拡大は言うまでもなく、プーチンのならず者体制がそうであると同じく、世界の平和に対する永久的な脅威を提起する。実際それらは、英国の才気ある歴史家で活動家のE・P・トンプソンが1990年代の核軍縮キャンペーンの中で「絶滅主義者複合体」とレッテルを貼ったものの中で、互いを育て合っている。
◦歴史が巻き戻されることはあり得ない以上、東欧諸国がNATOに加盟したという、またロシアがクリミアを併合したという土台上にある諸事実は、今日見通す範囲ではどこにもない包括的な和平解決の不在の中では、今後逆転されることはないだろう。今日差し迫った任務は、この破局的な戦争を止めることであり、それは何よりもまず、ウクライナに対するプーチンの侵略を打ち負かすことを意味している。(「インターナショナルビューポイント」2022年3月24日)    

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