ロシア プーチンの侵略が原因で人々の達成成果すべてが崩壊中
独立労組活動家へのインタビュー
今日52歳になるキリル・ブケトフは、工場労働者だったがその後歴史教員になった。彼は今、一労組活動家としてジュネーブにいる。ソ連邦崩壊後彼はロシア内の独立労組の創出に参加した。当時刷新の空気と希望があった。しかし今日、「われわれの文明の達成物すべてが崩壊中にある」と彼は言明する。
著名人権組織
禁止後に侵攻
――あなたは精力的に戦争に反対しているロシア人のひとりだ。ウクライナの駐独大使が「全ロシア人がわれわれの敵だ」とドイツに語る時、どのように感じるか?
心が痛む。今日ロシア人すべては、われわれの文化すべて、またわれわれの文明の達成物すべてが崩壊しようとしている、と感じている。あらゆるものが崩壊中だ。プーチンの侵略のためだ! それを目撃しなければならないことが恐ろしい。しかし私は、ウクライナ人の怒りを十分に理解している。そしてそれでもわれわれは、一体となってはじめてこの戦争を止めることができる。
――あなたは元々は歴史教員だった。この戦争をどう説明するか?
これは典型的に、崩壊する植民地帝国の反応だ。あらゆる帝国は、その植民地が自らを解放しようとする時暴力で応える。フランスのアルジェリア戦争を考えてみよう。あるいは、インドの独立運動に対する英国の戦争を。これらは、自決権を求める切望に対する2つの回答だ。そして残念ながら、帝国主義者の戦争は常に、植民地帝国住民内部のかなりの支持を受けて始まってきた。
――あなたは戦争を予期していたか?
否だ。このシナリオは私にとってまさに恐ろしすぎると思えた。ほとんど誰ひとりそれが現実になるとは見なかった。しかしある者は2014年早々に戦争を予想した。2014年の平和を求める抗議を率いた反政府派指導者のボリス・ネムツォフだ。当時ロシアでは、何百万人もがクリミアの併合とドンバスでの偽装された介入に反対して抗議した。諸々の街頭はウクライナの国旗で埋まった。
その後彼らはネムツォフを街頭で殺害した。反政府派の毒殺が続き、NGO諸組織は「外国の代理人」として訴追され、独立メディアは迫害され、システムに対する批判者は亡命を迫られ、政治犯は拷問を受けた。先頃国家は、世界的に有名な人権組織であるメモリアルまでも活動禁止にした。ウクライナへの侵攻はその2週間後だ。
労組指導者内
で進んだ腐敗
――われわれには理解できないものがある。ロシアの大労組連合であるFNPR(ロシア独立労組連合)はなぜウクライナへの攻撃を支持しているのか?
この連合がプーチンの帝国的構想における統合された一部であるからだ! プーチンがプロパガンダのために必要としている大規模なデモのすべてはFNPRによって組織されている。時々は、FNPR指導者すべてが今やそのメンバーである与党の統一ロシア党が助けてやっている。プーチンは2012年、メーデーのモスクワ労組デモに登場することで、彼らの奉仕に対しこの組織への感謝を示した。
――しかし諸労組は戦争から得るものは何もない!
もちろん得るものはなく、ロシアの勤労民衆はすでに今経済的諸結果に苦しんでいる。そしてそれはもっと悪くなる運命にある。
――そうであれば、FNPRは腐敗しているのか?
そうだ。そしてそれは20008年以来そうなっている。当時、サンクトペテルブルグ近くのフォード工場の労働者がストライキを決行した。それは、1991年のソ連邦崩壊後における、賃上げを求める最初の主要ストライキだった。そしてそれは成功だった! それこそが抑圧の時期が始まった理由だ。
国家は諸労組を国家の統制下に戻したいと思った。ストライキの指導者たちに対し諸々の攻撃が行われ、治安機関は諸労組を攻撃、それだけ一層、FNPRのトップだったミカエル・シュマコフが取引を行うまでになった。つまり、諸労組の指導者は今、ストライキを妨げるために仕事をしなければならない。その見返りに彼らはおそらく、組合員加入のための職場立ち入りをもっと簡単にできた。しかし、FNPRが身売りしたという事実だけが問題なのではない。シュマコフと他の者たちは個人的に、この戦争は正しいと得心しているのだ。
――あなたはなぜそう断言できるのか?
シュマコフの諸言明はますます常軌を逸したものになっている。先頃私はDGB(ドイツ労働総同盟)の友人と話したが、彼は完全に衝撃を受けていた。彼がシュマコフに電話をしたばかりだったからだ。彼は、労働組合は戦争を支持してはならないと、そしてFNPRは最低限休戦を求める立場をとるべきと、彼を説き伏せたいと思ったのだ。しかしシュマコフはあからさまに、「話しにならない!」と受話器で叫んだ。
独立労組建設は
妨害と抑圧下に
――そしてあなたは一度は、この同じシュマコフのために働いたのではなかったか?
1990年代始め、ロシアの労組内では刷新の歩みが始まった。多くが、ソビエトの動脈硬化的官僚制を民主的な諸構造に置き換えたいと思った。この改革運動の指導者がミカエル・シュマコフだった。彼には本当に大きな説得力があり、西側でも大きな希望とみなされた。
彼は1993年にFNPRの代表になった。私は当時すでに、独立労組情報ネットワークのKAS―KORの創出に参加していた。われわれはこうして、主要な鉱山労働者ストライキを敵視する国家の偽情報に対抗することに成功した。シュマコフはこれに好意をもち、1994年、ソリダルノスト連合の新聞を私に届けた。
――今日この新聞は戦争プロパガンダを行っている……。
それは当時、まだ進歩的な新聞だった! そしてそれは、表現の自由にとって、われわれがそれまでに知った最良の時期だった。われわれの方向設定に基づいて、私はその配布を3年で1000部から3万部まで拡大した。
――それであなたは、ほとんど何もないところから始めなければならなかった?
労働組合の伝統は完全に全くなかった! スターリニズムは労働組合運動を根絶していた――肉体的に! 私が若い石工として、ペレストロイカの時期に新たな労働組合運動に参加した時、われわれは、われわれに経験を伝えることができたと思われるひとりの元労組活動家も見つけなかった。その上これは、東側陣営の他の諸国にある現実ではなかった。そこでは一定の伝統が生き残っていた。
――すでに当時、多くの被雇用者はFNPRをはっきり疑わしく見ていた。なぜか?
FNPRは、労働者を監督したソビエト諸組織の継承者だった。それらは代表制をもつ組織でも、民主的な組織でもなく、それゆえ本物の労働組合ではなかった。それらはむしろ、それらのメンバーが飢え死にするのを防ぐために、社会的サービスや資金援助の配分に焦点を絞った機構だった。
同時にこれらの組織は、イデオロギー的統制という機能ももっていた。それらは、労働者による自律的な主導性すべてを阻止することを義務としていた。FNPRはこれらの組織を改革すると請け合った。しかし多くの場で、それらから利益を受けていた特権層からの抵抗に遭遇した。一定の労働者たち、特に船員、鉱夫、また交通労働者はしたがって、この改良の請け合いを信じなかった。彼らは確かにシュマコフの成功を願ったが、しかし彼ら自身の労組確立の方を好んだ。
――あなたが言っていることは、今この戦争に勇気をふるって反対している組織、ロシア労働者連合(KTR)の諸労組のことか?
まさにそうだ。しかしこれらの諸労組は長期にわたって分断されたままだった。一方にはロシア労働者連合があり、他方には全ロシア労働者連合があった。それが非常に混乱を呼んだ。諸連合が2009年に合同したのは、高まる抑圧の作用下でのみのことだった。今日、KTRの多くのメンバーは大きな圧力の下にいる。たとえば先頃、5000人の教員が、彼らの学校で戦争のプロパガンダは行いたくない、と公然と言明した。彼らは今暴力的抑圧に直面している。
――そしてFNPRはこれを見過ごすことに甘んじているのか?
まったく逆だ。独立労組は長い間、FNPRの脇腹に刺さった棘となってきた。それこそが、世界の労組連合における指導部の地位を奪うために、シュマコフが彼の下士官を教育した理由だ。こうして彼らは、独立労組による加入申請すべてを阻止できている。本物の労組が今問題を諸々抱えているという事実は、したがって完全に彼らの利益になっている。(スイスの労組連合、UNIAのドイツ語機関紙、「ワーク」2022年4月14日号に掲載、フランスNPA機関紙「ランティカピタリスト」から訳出)
(「インターナショナルビューポイント」2022年4月26日)
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