中国 ゼロ・コロナめざすロックダウン

いま上海で「文化大革命」が復活しようとしている?

党への絶対服従こそ最大の危険

區 龍宇

ロックダウンが生み出したもの

 あるいは、正確を期せば、コロナ除去をめざすロックダウンを理由に中国の22の都市や地域で、「文化大革命」が復活しつつあるのだろうか? 上海はその大都市的地位のゆえに選り抜かれているにすぎない。上海は、中央政府のゼロ・コロナ政策を守る目的で、4月はじめロックダウンに入った。この都市の2700万人の住民はこの時以来、ウイルスの脅威だけではなく食料や日々の必要品の不足にも、しかし何よりもPCR検査を受けるよう暴力的に民衆を強要すること、また検査で陽性となった人々を、まったく無症状であっても隔離すること、あるいは自宅に単純に軟禁し続けるといった、ゼロ・コロナ政策の残酷な強制執行に直面してきた。
 政府は、命の犠牲を含むこの政策の社会的犠牲には何の注意も払ってこなかった。元々は香港のウェブメディアであり、香港国家安全維持法(国安法)が導入された現在はシンガポールに移った端傳媒(Intium.com)は、ある上海の医師にインタビューした。彼は、ゼロ・コロナの残酷な執行に起因する放置が原因の死亡は、直接にコロナが原因の死者数を超えたかもしれないと述べた。この医師によれば、ほとんどの医師や看護師が、この都市のあらゆるところでコロナ検査を行うために動員され、そのため患者たちにもはや日常的なサービスを提供できなくなっている、そしてその患者の多くはその結果として死亡した。
 その後の諸報告やオンライン情報は、このような死者の発生を確証している。たとえば、著名なエコノミストの郎咸平は、彼の微博(中国のSNS)のアカウントに、彼の母親が病院で緊急措置のため4時間待たされて腎機能不全で死亡した、と投稿した。母親はコロナ検査を済ませるまで医療措置を受けることができなかったのだ。
 飢餓関連の死(ロックダウン政策によって居住地区に十分な食糧供給を保証できなかったため)や自死(絶望や仕事のストレスから)に関する報告もあった。ロックダウン関係の死亡数について伝えるために匿名でブロックチェーンのウェブサイトを立ち上げた者もいる。そこでは今日までに170件の死が記録されている。
 3月後半のコロナ発生から4月19日現在まで、当局によると17人のコロナ関係死があった、という(公式発表を信じる人はほとんどいないが)。しかしその死は、ロックダウン関連の死者数よりもはるかに少ない。ロックダウンは命を救うためだと想定されているが、しかし結局、もっと多くの犠牲者をだしている。

またも「軍令状」による強権行使

 検査を受けることに、あるいは隔離されることに抵抗している人々は、十分な理由をもっている。当局は検査のために人々を過密な場所に集めているし、隔離場所もしばしば過密になっているからだ。そしてここで挙げられた政策は、ウイルスを拡散させる危険を自ら大きく高めるものなのだ。子どもがコロナに罹患した場合に、子どもから母親が強制的に引き離されるのだが、何人かの母親は、病気の子どもから引き離されないように進んでコロナに感染しようとした。
 絶望と怒りで夜間に叫び声を上げている人々を撮影した1本の映像が、一時的にソーシャルメディアを介して拡散された。4月16日には抗議のために数百人が街頭に繰り出すのを撮影した1本の映像が初めて公開された。
 上海当局は4月16日に、隔離地域外のコロナを一掃するための期限が設定され、したがって検査が加速されることになるだろうと告知した。上海市保山地区党書記長が行った演説は注目する価値がある。その中で彼は、目標達成は「軍令状(軍事命令)であり、条件交渉の余地はまったくない」と述べた。「軍令状」という用語は中国人にとっては目新しいものではない。「軍令状」とは、1920年代に共産党が地方に逃れ、国民党に対しゲリラ戦を始めてからずっと、その歴史を通じ共産党が使用してきたものだ。中華人民共和国の建国以後も、平時であったり民事であっても、共産党が必要とあらば「軍令状」という用語を用いて準軍事的統治に逆戻りすることができた。
 このような準軍事的統治のもと、人権や生命といった他に考慮すべき事柄でさえ、当局が設けたただひとつの目的によって二義的とされ、無視されるだろう。平時においても一切の政治的権利をはく奪されていた中国の市民に対して、共産党はこのパンデミックを理由にして容易に準軍事統治に切り替えることができる。これこそが、今日の上海で当局が火災安全法に公然と違反して住民の建物の出口に鍵をかけることができる理由であり、「ボランティア」が強制力を使って、あるいは暴力を使ってもロックダウンを執行する権力を突然与えられている理由なのである。
 犠牲を払っているのは、現場レベルの最低職階の公務員を含む民衆だ。もっと悲劇的なことは、彼らの犠牲は決して公認されることはなく、その苦情は検閲を受けるということだ。

専制支配の恐るべき結末が今


 このパンデミックの中で、特に上海で露わになった諸問題はわれわれに、専制支配の恐るべき結末をあらためて思い起こさせる。ゼロ・コロナがたとえ唯一の選択肢であるとしても、もっとはるかに人間的なやり方で政策を遂行することも可能ではないだろうか。台湾は長期にわたってゼロ・コロナ政策を実行したが、この政策を遂行する中で基本的人権を否定することはなかった。
 だが中国での問題は深い根をもつ。指導者が政治的、社会的な目標を提示する、あるいは関連する計画を実施すると、いつも事前の適切な審議会も行わずに、またしばしば専門家との適切な相談さえも省略してトップダウンで行動する。民衆に対する、また専門家の見解に対するこの軽視が意味することは、目標が最終的に達成されるとしても、それはしばしば人権の否認と他の不必要な犠牲の下でなされる、ということだ。
 外国の読者は、党官僚制の機能を理解するために学ぶべきもうひとつの中国語の用語がある。それは「一刀切」、つまり「画一的で一刀両断的な執行」であり、それは党政策の執行における厳格な一様性を意味している。つまり、新政策が決まればそれを最優先にして、他の価値観や法的要件は犠牲にしてもいいというものである。
 1958年から1981年までつづいた農業集団化(人民公社)の時期、共産党は「以粮為網」、つまり穀物生産を優先する政策を提唱した。しかし結局農民は、穀物を優先するために換金作物の一掃を運命付けられ、結果的により貧しくなってしまった。農民たちはこれに「其余掃光」の四文字を付け加えて、「穀物を最優先にして、他はすべて一掃する」と作り替えてこのスローガンを嘲笑した。

中国はもっとも危険な時期に

 1957年から1976年の悲惨な時期[反右派闘争の発動から毛沢東が死去して文革が終了した時期:訳注]が終わった後、党内でのこの種の実施スタイルについていくらかの反省があった。とはいえそれが本当に消えることはなかった。2012年に習近平が権力を掌握してから、それは「悲惨」から「最悪」に進化した。
 この事態は、一部のアナリストの主張の根拠になっている。つまり、習近平は文化大革命の再演を考えているという主張だ。しかしこのふたつのケースは完全には比較できないものだ。
 確かに、毛の文化大革命とコロナ・パンデミックに関する習の政策は、同種の非合理性、目標設定の官僚的トップダウン、また実行における準軍事的方法を示している。しかしこれらの「実施スタイル」に刻まれた悪質な形態の背後には、もっと悪質とも言える怪物、つまり党やその最高指導者の無謬性、そして専門家と民衆の両者が無条件に党に従わなければならないという考えと実践がある。われわれが、文化大革命から学ぶべきものが何かあるとすれば、それは次のことだ。すなわち、党の指導者が神のようにふるまい始める時は必ず、中国はもっとも危険な時期に入りつつある、ということだ。(2022年4月27日、「アンティキャピタリスト・レジスタンス」より)(「インターナショナルビューポイント」2022年5月5日)

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