英国 君主制廃絶のメッセージを今こそ
ジュビリーをがらくたに
挙国一致の弧の断ち切りは可能だ
君主制イデオロギーの浸透も盤石ではない
デイヴ・ケラウェイ
この週末、現女王戴冠70周年を祝う、特別な4週の週末休日――プラチナ・ジュビリー――が連合王国中である。英国アンティキャピタリスト・レジスタンスのデイヴ・ケラウェイが、ジュビリーの大騒ぎの背後にあるイデオロギーシステムを考察する。(IV編集部)
日常に浸透する君主制の仕掛け
われわれはわれわれの人生の意味を、われわれが自身に、また互いに語る諸々の物語を通して理解している。支配的なイデオロギーは、それらの物語に位置を占める、あるいは枠付けるやり方を通して機能する。階級闘争を引き起こす資本主義の搾取システムによって駆り立てられる不平等な社会にわれわれが生きている以上、この位置取りと枠付けは、100%の有効性をもつ耐水性をもつことは決してない。レナード・コーエン(カナダのシングソングライター、詩人、小説家:訳者)が言うように、そこには亀裂が、すべてのものには光が入り込む亀裂がある。われわれは、ジュビリー・イベントへの大衆的な熱中に絶望を覚えるかもしれない。しかし、拡大中の、特に若者の少数派が存在している。そして彼らは、この制度の毒を含んだ本性を理解している。ジュビリーの至るところでの間断ない売り込みとメディア報道は、君主制に反対しているかなりの少数派にはまったく声を与えていない。
英国の君主制は、現代のイデオロギーシステム内にある重要な歯車の歯である国民的な物語だ。マスメディアによりしばらくの間売り込まれてきた、そして「祝われ」ているエリザベス・ウィンザー70周年ジュビリーは、この物語における最新の1回分になっている。
本当に多くの人々が、彼らの個人的人生の物語を王室の物語りの中に置いている。まさに今日、BBCの朝のTV番組で、ペル・メル街(ロンドン中心部:訳者)の山車行列におけるボリウッド(ムンバイとハリウッドを合わせた合成語、インド映画産業を表現:訳者)の隊列を組織したインド人たちが、以前のジュビリーに際し彼らの家族が女王の間近にいたという事実に感極まっていた。そうしてわれわれは、彼らが9歳の頃、女王がバーミンガムを訪れたあるイベントで旗を振っていたと、また彼らの母親が王室の随員に紹介されたことがあると聞かされた。
人々は、結婚や死といった以前の王室イベントの時どこにいたのか、また何をしていたか、を思い起こしている。人々は、T・S・エリオット(英国の詩人・文芸評論家:訳者)なら表現したと思われるように日々の品々で自身の人生を区切るよりもむしろ、王室の記念品マグカップや彼らが買うがらくたでそうするのだ。
君主主義の過小評価は危険だ
君主主義イデオロギーは大いに有効だ。人々が感情を移入する一定数の社会的現実――コミュニティ、国民的アイデンティティ、奉仕やチャリティといったいくつかの肯定的な価値――に合わせてそれが演じることができるからだ。国家は、街頭のパーティーや組織された催しすべてを容易にするために慎み深く特別休日を与えることで、これに一定の物質的支援を与える。地方政府協会は、今週末1万6000の街頭パーティーが予定されている、と見積もった。何百万人という人々が、特別な親君主主義派ということではなくとも、愉快に過ごすためにこれらのパーティーに出かけるだろう。
際限なく埋め立てごみ処理場行きになるがらくたを生産する10億ポンドのジュビリー産業が発展してきた。そのような商業が表すものは、浪費であり、大仕掛けな消費主義の無味乾燥だ。しかしそれと時を同じくして、人々は暖をとるか食べるかのどちらかを決断するよう迫られ、フードバンクは要求で圧倒されているのだ。
王室一族は、奉仕について大量の貴族的観念を作り上げ、こうして膨大な数のチャリティを主宰する。それはまた、そのブランドの商業化という問題になると、一線を引くことにも気を配っている。それゆえ、ハリー王子とメーガンとの緊張になる。
ひとりかふたりの評論家が、ボリス・ジョンソン首相の完全な道徳観念のなさと倫理観欠如が女王の「奉仕」の70年に対する敬意を強化している、との論点を提示した。こうしたやり方で、君主主義イデオロギーシステムは、政治家たちが彼らの金銭的無節操と不正直でますますののしられる場合、われわれの支配者にとっては非常に有益な埋め合わせ的な支援になっている。人々は、ジョンソンは彼が従わないルールをつくるかもしれないが、少なくとも君主制はクリーンであり、ことによると、それがジョンソンや彼の取り巻きとは似ていないことを理由に、守られるべきものとも見られている、と信じている。
政治の汚い面からのこの分離がどれほどの意味をもつか、を社会主義者は過小評価してはならない。つまり、英国国家にとって万が一非常に深刻な危機がもし現れるならば、その時君主制は、ある形で資本主義秩序を守るために介入するよう利用される可能性もある、ということだ。
「善良な」王室が語らないもの
国民への奉仕に関する観念はもちろん全面的に誇張されている。ロス・ケンプ(長々と続いているTVメロドラマの「イーストエンダーズ」のグラント・ミッチェル役の俳優)は、女王はわれわれの最大の「ボランティア」とまで主張した。ロスは君主制が機能している方法についてそれほどはっきりしているわけではない――あなたは自ら申し出ているわけではないがそれに生まれついている。そしてその中には「神聖な」選抜という要素もある――。
しかし王位により支えられた「善良な仕事」はどれひとつとして、システムがそれが社会的に組織されるやり方を通して、人々を貧しくしたり、人々の能力をそこなったりする方法には異議を突きつけない。彼らは、不遇な人々を助けることについて敬虔な所見を述べるかもしれないが、彼らはもっとも裕福な資本家一族のひとつなのだ。
たとえば彼らは、住宅問題について雑音を立てるかもしれない。しかしプリンス・オブ・ウェールズ(王位継承者に与えられる称号、つまり現皇太子のこと:訳者)は、さまざまな土地一式の上に鎮座しているのであり、その一式は、もし共同所有に入れられるならば、勤労民衆のための手頃な住宅の巨大な拡張にとって基礎を提供することも可能になるほどのものなのだ。王室一族がそこから利益を得ている多くの税の抜け穴についてもまた、透明性の全般的な欠如がある。
王室は抜け目なく彼らのブランドを現代化してきた。そしてTVカメラに向けてもっと開放的になってきた。こうして王子のハリーとウイリアムは、彼らの個人的なトラウマについて語り、過去の王室の男とは少しばかり違う男らしさの相貌を支持している。しかしながら彼らは、その内部的なルールや秘密と一体的な君主制の神秘性もまた維持されなければならない、と分かっている。「会社」の日々の仕事をこなすこと、チャリティを行うこと、あるいは軍を代表すること、これらはある一線を越えるスキャンダラスなふるまいでけがされてはならない。それゆえ、児童買春のジェフリー・エプスタイン(米国の実業家、投資家:訳者)との結びつきを理由としたアンドリュー王子の締め出しがある。
時々の緊張はあり得るとしても、王室一族と主流マスメディアの間には今、寄生的な共生がある。メディアは可能な限り、この「会社」を現代的に見せ続けるために、またアップデイトのために利用されている。結局のところ、「クラウン」のような穏やかに批判的なTVドラマでも、彼らの利益に合わせた埋め合わせが行われる。
空虚な正当化論と支持率低下
君主制の正当化のために、ふたつの他の主張が常にくり広げられている。まず、どれほど多くの観光業所得が王冠によって生み出されているか、という計算が行われている。今週末ロンドンを訪れている数の増加が新聞紙上で予告された。この議論は、君主制に関係するあらゆる建物や文化遺物は君主制廃止があれば突然消え去るだろう、と当然視している。フランスやイタリアのような君主制を廃止した諸国はそれらの観光業で、もっとうまくとは言わないまでも十分にうまくやっている。
他の主張は、この君主制が米国、EU、あるいは他のところで得ている前向きな注目という想定だ。しかしこの注目を、映画、スポーツ、あるいは実業家といった他の地位の形での名声という組織された見せ物から区別するのはむずかしい。いずれにしろ、他の諸国における王室が憲法上でもった役割の終了は、見せ物におけるそれらの場を妨げていない。
社会主義者と共和主義者は、君主制に対する勤労民衆の継続された熱中に絶望しなければならないのだろうか? 確かに廃止支持は27%にすぎない。しかしこれは、歴史的な上昇なのだ。
反君主制グループに対し行われた先頃のユーゴブ(代表的な世論調査機関:訳者)の世論調査によれば、人口の27%が君主制廃止を支持している。そしてそこには、若者内部のさらに相当高い不満が伴われている(シンクタンクの「英国の未来」が公表したひとつの報告は、似たような結果を示している)。それは、今世紀のほとんどの間で基準となっていた15%からは、注目すべき跳ね上がりだ(注)。
読者は、女王の人気と君主制に対する敬意を区別しなければならない。皇太子のチャールズは彼女よりも3倍否定的に見られている。チャールズ王の君臨はもっと不人気になると思われ、共和制の見解が高まるかもしれない、ということははっきりした可能性だ。
ここ数十年におけるウェールズとスコットランドの独立に対する支持の高まりは確実に、王室支持の感情を腐食させる可能性があるものだ。メディアと王室会社それ自身によるもっと人気のあるウイリアム王子の熱のこもった売り込みは、おそらくポスト・エリザベス期への怖れに関係している。
社会主義者はどう立ち向かうか
短期と長期の要求や戦術また戦略の古い区別はここでも妥当だ。一連の敗北――コービン構想の停滞を含んで――がもつ長期の作用に依然苦しんでいる勤労民衆が抱える今日の困難な諸条件の中で、共和主義を大衆的キャンペーンや闘争で取り上げるべきひとつの要求にするのは、かなり愚かだと思われる。コービン主義の高揚の時でも、この課題が本当に提起されることは全くなかった。君主制と並んだ左翼改良主義政府を得るということも、完全にあり得たと思われる。
長期的には、社会主義者の戦略はまったく異なった問題になる。先に概略したように、王室のイデオロギー的役割および憲法上の責務が資本主義支配との根底的決裂に対する障害となる。社会主義的オルタナティブが真に建設される可能性があるならば、階級的搾取と諸闘争に関するあらゆる実体的観念を抹消するような、ひとつの国民という感覚を再生産する点における王室一家の役割は原理的に弱体化されなければならない。
他方、国民に関する労働党の社会自由主義的な概念は、王室と全面的に提携している。労働党党首のキア・スターマーが今週「テレグラフ」で書いたものは、「女王のプラチナ・ジュビリーを祝うのはあなたの愛国的な義務だ」と明言していた。労働党にとってはその制度と国家は基本的に同じままであり、しかし彼らの諸政策によってそれらは不思議なことに、責任、進歩、尊厳といったいくつかのもっとよい価値――あるいは指導部の顧問たちが提案するどれであれ他の陳腐なこと――で満たされるのだ。
国際主義の堅固な活動家と国家の階級的性格を理解する大衆的指導者なしには、システムとの実体的な反資本主義的決裂が達成される可能性はまったくない。何らかのもっと良好な未来に向けその中核的な要素を発展させる任務は、そのような展望に向け左翼が獲得できる民衆の数がたとえまだ少数であるとしても、先延ばししてはならないものだ。
小さな急進的左翼グループの意味は何か、ということがしばしば問われる。事実ジュビリーは、それらが実際に明確な妥当性をもっていることを示すひとつの機会だ。アンティ・キャピタリスト・レジスタンス潮流は、他のグループ同様、君主制を廃絶する必要を公然と今日話し回るだろう。そして労働者階級の意識に及ぼしているその否定的な影響を説明するだろう。
われわれは、われわれのサイトで論評を書くだけではなく、人々が身につけるバッジを作り、諸々の会話を生み出すだろう。ソーシャルメディアのミーム(模倣的に人から人へと広がっていく行動、コンセプト、など:訳者)もまたそのメッセージを広げることができる。いくつかの場では、ジュビリー反対の社会的イベントもあるかもしれない。挙国一致の弧を断ち切ることは可能だ。
このメッセージを前面に押し出す議員は、「社会主義キャンペーングループ」からでさえほんのわずかだろう。そうだからこそ、今週末「ジュビリーをがらくたに、むしろ君主制の廃絶を」バッジを身につけよう、そしてこの特別休日を楽しもう――王室一家とは異なり、あなたたちこそそれに値するのだ――。(「アンティ・キャピタリスト・レジスタンス」より)
▼筆者は、アンティ・キャピタリスト・レジスタンス内のソーシャリスト・レジスタンスおよび第4インターナショナル支持者。
(注)ガーディアン、2022年5月14日、「プラチナ・ジュビリー挙行……しかし今後数十年で英国君主制には何が起きるだろう?」。(「インターナショナルビューポイント」2022年6月2日)
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