ウクライナ人移民コミュニティの見えない労働

ウクライナ難民を支えるのは誰か
ダリア・クリヴォノス

 ロシアの侵略を逃れるウクライナ人のためにひとつの情報集約点として機能しているワルシャワの主要鉄道駅のひとつは、人々で充満していた。それは5月はじめのことだったが、ポーランド/ウクライナ国境を越える人々の数が減少するにつれ、群集も縮小した。それでも、ウクライナ語とロシア語を話し支援を提供する用意のあるボランティアに対する必要にはものすごいものがあった。ボランティアは、書類書き込み、食糧、住居、また交通の情報を提供して、昼も夜も駅に留まった。

ウクライナ人
移民への重圧

 ロシアの侵略を背景としたウクライナからの戦争難民(注)の支援についての、広く配布されている記述物で議論されないままにあることは、これらボランティアの圧倒的多数は――少なくともワルシャワの主な拠点では――ウクライナ人ということであり、その多くも自ら戦争を逃れた女性たち、ということだ。「ホスト社会」の現地コミュニティにおける早々の連帯動員に集中化されているウクライナ難民の到着に関する近頃の討論との関係で重要なことは、これら「現地コミュニティ」部分として認識されている者は誰か、と問うことだ。
 ポーランド人多数派の即時の対応と支援は確かに賞讃されなければならないが、ここで私は、「ホスト社会」が戦争に疲労するようになり、人道的感情がしぼむ時に、長期的見通しの中で、ウクライナ難民の移住における社会的再生産の費用に耐えることになるのは誰か、と問いたい。われわれはすでに、「現地コミュニティ」が追い立てられた人々を受け入れる意志がどれほど小さくなろうとしているか、国家(たとえばポーランド)が自宅に難民を受け入れている人々への援助をどれほど縮小しているか、を見ている。
 この連帯ははじめから、安定を欠いた欧州人と白人という枠組みの構築に大きく依存していた以上、人は、研究上の私のウクライナ人対話相手のひとりが適切に定式化した質問を問うかもしれない。つまり「この連帯はどれだけ続くだろうか? 彼らはいつわれわれ(ウクライナ人)をシリア難民のように扱いはじめるだろうか?」と。より拡張的な難民保護と社会福祉の権利にまったく近づくことのない一時的な保護に対し、問われるべき質問は、この戦争が早期のどこかで終わりそうにはない中で、戦争を逃れるウクライナ人の暮らしを誰が再生産するのだろうか、ということだ。
 これらの質問に答えるためには、次の認識が必要になると思われる。つまり、戦争が始まった時すでに、100万人を超えるウクライナ市民がポーランドで暮らし、彼らが今、生活費用急上昇の真ん中で、小さなアパートに彼らの家族、親類、友人たちを受け入れることにより、社会的再生産の費用に耐えるつもりになっている、ということだ。他の多くと同様、スーパーマーケットの倉庫で働いているあるポーランドの大学の新卒者であるアンドリルは私に、期限なしに小さなワンルームアパートに彼の祖母と弟を受け入れている、と語った。

不可視化された
ウクライナ人


 ウクライナ難民の欧州への受け入れに関する会話を続ける場合、基本になることは、「ウクライナと共にある」白人の欧州――実際、レイシズム的に差別された連帯のために不平等に配分された諸資源を付随して――という像を再度中心に置くことを控える、そして長い間EU経済への燃料となってきたウクライナ人移民の労働、に留意する、ということだ。表面的に白人で大きく見えなくされている身体によって行われているこの労働は、EUの中では空気のように長い間必要とされてきた。
 国際的に移民研究者によって大きく見逃されたままになっているとはいえ、ウクライナ市民は、2014年以来ポーランドがEU内で労働移民の主な受け入れ国となったと同時的に、EU経済に力を与える居住許可に関連した雇用の受取人では首位になってきた。50万件を超える1回目の居住許可が、もっぱらその隣国のポーランドによって、毎年ウクライナ市民に発行された。
 この移民労働へのEUの依存が広く見えるものになったのは、これらの労働者が彼らの職場に来られなくなるような、コヴィッド19期における「正常」の中断、によってにすぎない。しかしそれは、非常時が「終わった」時再び忘れられるようになっている。追い立てに関係する支援の重荷もまた、ウクライナ人移民コミュニティ、およびまたしばしば低賃金の不安定な経済に雇用されているアンドリルのような人びとの上に降りかかっている。
 ウクライナ人の移民労働の不可視性は、EU内における現在の受け入れ騒ぎの中で再生産され続けている。「ウクライナと共にある」ことへのEUの自讃的調子の中でしばしば消される一方、それでも多くのウクライナ人が、長期に他のウクライナ難民の生活を維持することに彼らの労働を向けながら、ワルシャワの主な駅で一日中働き、情報を提供し、荷物を運び、他の国への旅行ルートを見つけ出し、書類書き込みや列車とバスの切符の助けを行い、ビザ申請を翻訳し、それを完成させた。
 彼らの何人かはウクライナの学生労働者であり、全面的な侵略以前にすでにポーランドで暮らしていた。そして彼らの居住契約と学生ビザはまもなく満了になろうとしていた。これらの学生のひとりであるアンナは、ワルシャワでの滞在先探しと家賃がむしろもっと困難になっているために、夏の間のウクライナ帰還を考えていた。部屋探しは、そこへの対応に「ポーランド人オンリー」が加わる場合、「ウクライナのアクセント」、名前、姓をもつ者にとっては、戦争以前でも簡単ではなかったのだ。
 2月24日後にEU国境を越えた他のウクライナ市民とは異なり、アンナのような人々は、一時的保護や他の給付(つまり、無料の交通や鉄道)の資格がない。諸給付が取り除かれる以前に、戦争開始後に国境を越えたと証明しているウクライナのパスポートの押印が、無料スープキッチンの入り口や切符売り場でチェックされ、定住していると見込まれた者たちともっと多くの支援に値するウクライナ人との間に分割線を引いている。

ボランティア
労働の熟考を

 フェミニストの再生産理論は、日々の生活を維持する不可視な労働がどれほどレイシズム的に差別された労働者階級のコミュニティに外注化されてきたか、を長い間論じてきた。この理解は、賃金と雇用と同義なものとしての労働の観念を疑問に付し、焦点を労働の不払いかつ認知されない形態へと移す。他の事例と同じく、非労働として類型化されているボランティア労働との関係では、再生産労働のこれらの形態の歴史は、無視と非認知の歴史だ。ボランティア労働は、最近になって理論化され、「非労働」として、愛と奉仕の行為、訓練と経験の機会として問題化されてきた。
 私はまた、非労働のこれらの形態には認知に差があり、この「非労働」を行っている労働する身体による交換価値がある、と示したいと思う。ボランティア行為と連帯は、人種、ジェンダー、国籍、さらに市民権に関連した社会文化的な仕組みに依存する、さまざまな公的認知と価値を得ている。北米からやってきたワルシャワの駅でのボランティアのある者たちは現に、ひとつの惨事を前にしても支える能力のなさに突き動かされた「手助け」、としてのボランティア行為について話した。
 しかし多くはまた、駅で数週間を過ごすことに費やすことができる時間と経済的資本をもっていた。そして彼らは、彼らにはワルシャワで暮らす費用はまかなえるものを上回る、と見ていた。何人かは西側のNGOで働いたが、その機能はウクライナ人通訳の「手助け」のおかげがあってはじめて可能になり、彼らの仕事は主に無給だったがそれでも「当然にも」利用できるものだった。海外から来ている何人かのボランティアは、東欧研究やロシア語やウクライナ語の学生だったが、彼らは将来のための重要な経験、また言語実習を得ていた。
 一方、駅でボランティアをしていた若いウクライナ人の女性は、「ここでボランティアをしたという証明書や他の何らかの証拠も得られないことが残念なことだ」と語った。彼女は、有期の職の申込に向け履歴書を準備しながらこう語ったのだ。
 情報提供を通して日々の生活を長期に維持することは、感情労働や情報探しの技術に加えて、もっぱら言語能力にかかっているが、それはあまりにしばしば、「ウクライナから来ている」だけの人がもつ長所ということで、見逃されている。「非労働」としてのボランティア行為というウクライナの人々の経験は、ほとんど交換価値をもたず、「ウクライナ出身であること」、また当然に言語能力をもっていることの取り柄によって、むしろ単純に当然に利用できるものとして理解されている。

ウクライナ人の
労働への注目を


 この労働は、「ウクライナ難民」自身によって行われていることが理由で、見えなくされている。私は、情報窓口に立ち、住宅やビザや交通について質問する人々によってさえぎられる会話を行いながら、EU内での生活を彼女に可能にすると思われる有給の仕事を見つけ出すという、若いウクライナ人ボランティア自身の戦略を語り合って多くの時間を過ごした。
 多くは、ポーランドでの長期滞在を思い描いてはいなかった。来たばかりの人々にとっては労働力市場の機会が思わしくないからだが、他方他の国への移住は、しばしば、以前からそこで暮らす親類や友人をもつ者によってのみ、ひとつの選択肢と見られている。
 これらの人びとの多く――ほとんどが若者でほとんどが女性――は、他のボランティアとは異なり、戻る所が全くなく、彼らの労働は「現地コミュニティ」からの対応として賞讃はされず、他のウクライナ人以外のボランティアの場合のような何らかの交換価値ももっていない。ウクライナの人々の労働――有給と無給の双方――は、追い立てという他の状況の中で起きたように、援助の受け手としてウクライナ人を枠付けるだけのEUの自画自賛的物語りの中で、再び無視される危険がある。(2022年7月6日、「レフトイースト」より)

▼筆者は、社会学者でヘルシンキ大学のポスト・ドクター研究者。
(注)私はここで「難民」という語を使っているが、これらの人々には1951年のジュネーブ条約による難民の地位が与えられていない、ということを思い起こすことが重要だ。(「インターナショナルビューポイント」2022年7月11日) 

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