9・25総選挙

イタリア

反動派、レイシスト、ファシスト右翼とどう闘うか
ジッポ・ムケンディ・ンガンドゥ/フランコ・トゥリグリアット

 イタリアの政治的混迷が深まっている。9月25日総選挙という政治日程に帰着した、主要政党のドラギ政権不信任をめぐる不透明な動きが、人々の政党不信をさらに強めたのだ(本紙8月8日号国際面参照)。結果、世論調査では今、同総選挙でのファシストを首班とする政権の誕生までが予想されている。以下では同国の同志がその危険な情勢を分析し、闘いの課題を提起している。左翼の極端な後退と労組運動の受動化、という点でイタリアの情勢は日本と似ている点があり、われわれの闘いを考えるひとつの素材として紹介する。(「かけはし」編集部)
 ここイタリアで現代の政治的曲芸を演じている諸政党からは、どんな演劇が生まれるだろうか。戦術的策謀が選挙キャンペーンの始まりを特性付けている。それは、イタリア人大多数をうんざりさせると共に混乱させたお粗末な見せ物に成り果てている。それは、労働者階級がしばらくの間主役としてのいかなる役割も失った、劇的な政治・社会情勢のねじくれた反映だ。
 これは、ふたつのレベルの問題であり、ひとつは諸要求の見地で見た効力をもつ労組活動、もうひとつは政治組織の観点から、政治の領域で労働者階級の即時的、また中期的な利益を守ることのできる十分に確立された左翼勢力の存在、という問題だ。

大資本の利益隠す道化師たち


 この袋小路的情勢は、広がり続ける貧困、一層全般化した職の不安定さ、新自由主義的諸政策、耐え難い社会的不平等、という劇的な社会的背景を前に、何年も進み続けてきた。これは、勤労民衆が決起する諸条件を提供したはずと思われるが、しかしそれはブルジョア諸勢力に、政治の場およびもっととも言える形で選挙戦を、完全に支配する余地を与えた。
 諸政党の「大」メディアの衝突、策謀と対抗策謀、さまざまな経営者といわゆる中道の首謀者たちに関する高く持ち上げる紹介の動き、これらが、新聞やテレビ上での彼らの日常的存在感を確実にし、経営者の利益の従者かつもっとも役に立つ管理者として彼ら自身を「証明する」ことに奉仕している。それらが、ほとんどの場合インチキかつ誤解を招く、しかししばしばそれらが代表しようとしている利益が誰のものかを暗示している(ベルルスコーニとサルヴィニ――極右政党である「同盟」の指導者――のフラット税を見よ)、そのような綱領(あるいはもっと正確に言えば選挙スローガン)を通じて民衆の総意を作り上げている。
 その間、この大混乱すべてに責任がある社会階級、つまりブルジョアジー、資本家は絵柄の外側に留まり、まったく異議を突きつけられていない。確かに彼らの新聞は、それ自身の政党の弱さや悪行を、また首尾一貫し実行力のある政治指導部建設における諸々の難しさを糾弾する偽善的な論説を載せている。しかしその裏側に、われわれはイタリア郵便会社を含む名だたる大企業の途方もない利益を見ている。それは、ラ・レプブリカ紙が「大もうけの利益」と見出しを付けることを迫られるほどの大きさだ。

反動的右翼の危険に的外す訴え


 右翼と極右の政治的、社会的、また政府内での役割によって、労働者階級の未来が脅かされている。それには、反動派、レイシスト、ファシストの諸勢力が含まれ、それらの連合は、フラテリ・ディ・イタリア(FdI、ジョルジャ・メローニが率いる「イタリアの同胞」)の支配的影響力の下で勝利すると、あらゆる世論調査によって広く見られている。
 われわれの国が直面する危険は大きい。つまり、これらの勢力の勝利と彼らの政府が、より弱い諸層、移民労働者、貧困層、失業者、女性をはじめとして、勤労民衆にとっての恐るべき新たな諸困難をもたらすだけとなる可能性だ。
 その危険性に対する過小評価は決してあってはならない。選挙後の時期はいずれにしろ困難になり、社会的、経済的、また制度的にはさらに難しく、したがってわれわれは、新たな試練に準備しなければならない。
 ローマでの行進(ムッソリーニの権力獲得の時)から100年後、FdI政権は最悪の力学を解き放つだろう。チヴィタノーヴァ・マルケ(イタリア半島東部の港湾都市、そこでのレイシストの殺人を指す)のもののような事件が増加するだろう。そして、あらゆる種類の警察、ファシスト、レイシストの虐待が大目に見られ、正当化されるだろう。
 こうした見通しを前に、数多くの社会的なあるいは政治的な、有識者の指導者と個人が現れている。右翼のめざましい勝利を阻止しようと試みる、あるいはそれを妨げようと試みる連合に関する、アピール、論説、そしてありそうもない選挙の/テクニカルな諸提案という形でこの何週間か活動してきた人々だ。何人かは、いくつかの社会的、経済的要求が、あるいは労働者階級や低所得層の住宅街にもっと大きな注意を払うことが、総意の重心をずらすかもしれない、あるいは今日全体として受動的になっている諸層を活性化するかもしれない、とまで期待している。もちろん後者の提案は、選挙至上主義に留まらない展望に組み込まれるならば、前向きなものになる。
 しかしながら、これらの議論すべては提案の仕方がまずいか、完全に非現実的だ。何よりもそれらは不適切であり、その理由は筆者たちが、反動的なイデオロギーの支配的影響力の広がり、士気阻喪、また人々を極右へと押しやっている憤り、を社会内につくり出した理由を、見極めたり理解することを欲していないということだ。
 実際ひとは、それらの発言の多くを読んで、いぶかるだろう。この間彼らすべてはどこにいたのだろう、なぜ彼らは緊縮諸政策に反対して指1本上げなかったのだろう、あるいは、彼らが多少ともそれらを批判したのであれば、彼らはなぜそれらを管理した者たちを支え続けたのか、と。彼らはなぜドラギ(2月21日から7月22日まで首相)を信じたのか、そして今日になっても彼の中に、経営者たちの堂々とした従者、イタリアの危機に関する軌跡のような職人を見続けているのか?

問題の捉え方を最初から間違う


 いくつかの原理的な部分の中でそれをねじ曲げることにすでに成功して、20年の間さまざまなやり方で1948年憲法を打ち壊してきたそれらの同じ者たちが、憲法を守ることができる、などということがどうすれば考えられるのか? どのように彼らは、まだ部分的に保持されている民主的な権利を守ることができるのだろうか?
 これらの人々は、社会的な不平等を高めることになり、より貧しい地域での政府財源を引き下げることになる、死にいたる、また分裂を引き起こす地域の「差をつけた自治」に対し、ドラギ政権に手段を与えたいと思った。実情を言えば、憲法の民主的な側面は選挙の現行システムにおいて非常に貧弱に表現されている。これらの政治家は、この30年にわたる社会的かつ経済的な反改良によって否認されてきたその章句の中の社会的に進歩的な熱望を、本当には擁護していないのだ。
 極右に対する大衆的な支持のような巨大な社会的で政治的な問題に、選挙上の工夫で、1948年憲法を世界的な競争の必要に適していないと考えるまさに同じ人々との連携で、取り組むことができるなどと、どうすれば考えることができるのだろうか?
 偽りの政治的野党だとはいえある種の巧妙さのおかげでFdIが今23%の支持率を与えられ、その指導者のメローニがみんなに次期首相として現れているほどになっている理由を、誰かが説明しなければならないだろう。何しろこの党は、2018年総選挙では僅か4%超しか集めず、2019年のEU議会選では6・5%、そしてドラギ政府発足時でも依然10%前後を浮遊していたのだ。われわれが話しているのは、ファシストの熱情をもち、またそれらの選挙ではそのシンボルとしてムッソリーニの棺をもち出す政党のことだ。
 おそらく、偽物であるだけでなく国の未来にとって非常に危険でもあるオルタナティブを求めて新たな社会層が今極右を見守っているとすれば、FdIを除く主流政党すべてから支えられたドラギ政府の政策はそれほどに良いものでなかった。
 これらの人々の何人かは、反動派とファシストの現在の成功が、左翼の側の政治的真空によってだけではなく、大労組官僚層の資本への従属によっても説明され得る、ということを理解する努力を払わなければならないだろう。彼らはこの間の年月すべての中で、労働者階級の暮らしと労働条件をまじめに守ろうと試みることさえせず、「交渉のテーブル」で満足し、代わりとなる階級的目標に基づいて真剣にかつ体系的に争議と社会闘争を築き上げることを拒否してきた。それらの建設は、右翼とファシストのプロパガンダに対する最良の解毒剤になっていたと思われる。

闘争不在ではメローニが勝利

 階級を基礎とした闘争が不在の中では、諸大衆の意識を避けがたく条件付けるのは、イデオロギーとメディアのプロパガンダになる。参加、闘争の諸経験、代わりとなる課題設定と政綱に関する討論、これらだけが階級の意識、社会内の自身の場に対する理解、市民の民主的な共同性、そして社会主義的意識を決定する。もうひとつの社会を建設する意志と必要性が現れるのはすべてこれらのことからだ。それが、この任務を取り上げる社会組織と政治組織を前へと駆動する。この過程を通して人々は、誰が偽の友人か、またもちろん闘うべき敵か、を理解する。
 労組の指導者が以下のように行動する時、反動派とファシストに本物の通路が与えられる。
*資本の競争、すなわち労働者間の競争の論理を受け入れること。
*フォルネロ(エルザ・フォルネロ、モンティ政権で労働社会政策相)の年金改悪あるいはレンツィ(マッテオ・レンツィ、元PD書記長、2014年から同16年の首相)の労働法改悪を阻止するためにほとんど、あるいはまったく行動しないこと。
*地方における雇用主による耐え難い搾取のレベルを、しかしまた労働者の闘争を攻撃するために雇用主と国家の抑圧が合体している物流部門におけるそれらの糾弾を忘れること。
 右翼と対決する戦闘は、選挙キャンペーンに当たって最大の力を込めて闘われなければならない。しかしそれは、票の獲得に関してだけではなく、何よりも、反乱、および異なった階級的設定課題の上での搾取された者たちの合流を活性化するために奮闘することによって行われなければならない。資本家は、彼らとしては新たなドラギ政権の方を好むと思われるとしても、労働者を敵視する反動派連合の諸勢力を使うことに何の困難も感じないだろう。
 しかし同時にわれわれは、偽の友人である者たちを、多少とも左翼であると主張するがしかし、支配階級の表現のひとつである以外は何ものでもない者たちを指摘しなければならないだろう。
 われわれが政治的に運動を起こし、闘争を支援する運動を起こす、こうしたことができなければ、われわれはあらためて敗北で終わるだろう。選挙結果は特に悪くなり、極右政府の衝撃に、あるいは経営者の直接的表現である新たなテクノクラートの権威主義的政府の影響力に、抵抗することがこれまで以上に困難になるからだ。
 深く根を張った本物の反資本主義左翼勢力の建設は、諸決起の再開と労働組合政策における根底的な変化を通してはじめて実現できる。われわれは、闘争の構築、あらゆる労働者、多少とも安定した仕事をもつ者たち、安定性のない職をもつ者たち、一度も職に就いたことのない者たち、あるいは職を失った者たち、これらの統一をつくり出す、その自らの仕事を行う労組を再建する必要がある。

親資本のPDとレッタの戦略

 われわれはPDの役割についてはすでに書いてきた。それは、かつてのDC(キリスト教民主党)とPCI(イタリア共産党)からの変容を通して、何年もの間、大ブルジョアジーの政治的かつ経済的選択のもっとも真正で合理的な、またもちろん「民主的な」管理者へと、自らを推し進めてきた政党だ。そしてその大ブルジョアジーとは、イタリアのものだけではなく、EU構想に表現された全体としての欧州のものだ。
 それこそが、PDがドラギ政府とその政策のもっとも忠実な支持者であった、同時にもっとも親EUでもある理由だ。その親EUは、この大陸の勤労諸階級の利益を取り上げるという意味においてではなく、EUの資本家の(そして帝国主義的な)構想を防衛するという意味のものなのだ。それはまた今日、もっとも親米の、すなわちNATOと米国の帝国主義に合流する潮流でもある。ある者たちは、ウクライナでの戦争へのイタリアの参加に関し、また軍事支出の大増額に関し、PDがもっとも声高な支持者だったことに、今も驚いているかもしれない。しかしこれらの否定的な選択には首尾一貫性があるのだ。
 同じ道筋で、彼らが行ってきた選挙上の戦術的選択にも首尾一貫性がある。現在の制度から引き出される狭い選挙の論理は、世論調査で今も約10%の支持率を確保しているM5S(五つ星運動)との連携を追い求めるよう、レッタ(エンリコ・レッタ、PD書記長、2013年から同14年に首相)と仲間たちに圧力をかけたはずだ。それは、多くの小選挙区で極右の成功を限定しつつ、PDに競争する余地を残したと思われる。
 しかしPDの支配グループにとって、ドラギ政府から一定の距離をとり、いくつかの社会的に進歩的な要求の強調を通して票を求めるコンテ(M5S指導者)との連携は、それが階級横断的な形で表現されるとしても、危険すぎるものだった。ドラギの表現を借りれば「雲が集まる」最中にブルジョアジーがどのような種類の政策を求めることになるかを十分にわきまえれば、危険すぎ、反抗的にすぎた。
 他方で、ちらほらと現れる社会的懸念にいわゆる「幅広い連合」を差し出す上で有益な、グリーンズおよびSI(「イタリアの左翼」、小さなPDの衛星グループ)との連携には何の問題もなかった。しかしその限界とPD官僚内に未だ残っている気質は、十分に知られている。PDの考え方からは、右翼の票の回復を期待して、いわゆる中道との間にも連携を見つけることが基本だった。資本家の優先策に足並みをそろえることを正当化するために、また選挙キャンペーンの中で進められつつある穏健な社会的で市民的な要求を、たとえば広告板に今登場しているような要求を投げ捨てるためにも、どちらかとの間で非常に節度のある連携相手を確保することも特に有益なのだ。
 これらは、この間に次々と続いたもっとも神経を使った政治的移行の中で一貫して表現された、PDのブルジョア的本性に対応する選択だ。カレンダ(カルロ・カレンダ、現EU議員)の中道とのレッタの連合は文字通り笑い話だった。それは5日間しか続かなかった。いずれにしろそれは、全面的に親ビジネスの綱領を取り入れたとしても、彼に右翼とまじめに競争する余地を与えなかったと思われる。

M5Sの歴史的な曖昧さは不変

 M5Sに関し短く触れれば、これが議会全体の中で最大の与党だったということを、またそれは今日でさえドラギ政府の中にいるということを思い起こせばよい。実際その閣僚はまだ辞任していない。それが実行した部分的に前向きな方策はふたつしか数えられないが、他方否定的なもののリストは非常に長くなる。われわれが今話しているのは、われわれが沈められてている社会的危機を生み出し、それを加速してきた諸政策のことだ。ドラギに関する上院での信任投票における孤立しよく分からない「不同調」を、野党および「闘争」という新しい道の始まり、と混同することは深刻な過ちとなるだろう。実際左翼の何人かは、後者を信じたがったか、「思い違い」しようとした。

ウニオン・ポポラーレの対置


 抑圧された者の闘争を再建する切望と組になったひとつの代わりとなる社会的、民主的綱領は、ウニオーネ・ポポラーレ(「人民連合」)に結集した諸勢力がこの選挙キャンペーンで擁護し、代表することを欲しているものだ。それらは、ポテレ・アル・ポポロ(人民に権力を)、リフォンダツィオーネ(共産主義再建)、マニフェストAの議員たち(M5Sから分裂した4人の議員)、デ・マジストリス(2回選出されたナポリ市長)のDeMa運動だ。
 いくつかの限界がこのリストの陣形を特徴づけることになった。その第1は、もっと大きな数になる社会的、政治的諸勢力に扉を開くことへの能力のなさ、あるいは意志の欠如だ。いくつかの戦術的曖昧さもあった。しかしそこには、構造的に階級横断的勢力であるM5Sとの間で政治的な極を形成する探求のような、深刻な政治的結果が付随する。
 またわれわれの前には、より大きな可視性のための選挙戦術として提案された、ひとつの名称を伴うリストのシンボルの選択がある。しかしそれは、常に支配的システムが望む政治の個人化に力を貸す危険を伴う選択だ。最後に、政府勢力になろうとする熱望と将来の諸連携への準備があるが、それにはただ曖昧さと道行きの方向に関する混乱を成長させる可能性しかない。
 われわれはどうかと言えば、それを支持し、政治的オルタナティブ構築の中での共同作業に向け可能な限り多くのことを探求することが、さらにこれが常に明確な階級的路線を保持しなければならないことが必要だと考える。われわれは、この何週間かわれわれが表明してきたこの批判的な評価を思い起こさせたかった。
 しかしながら、それもこのリストへのわれわれの支持を妨げるものではない。これは事実上、現在の支配的な政治枠組みに関する代わりとなる展望を備えた唯一の名簿なのだ。それはSIとグリーンズの名簿とは対照的であり、その両者は完全にPDに従属し、それは、コッタレッリ(カルロ・コッタレッリ、元IMF財務局長、公共支出切り下げに責任がある)の課題設定をいかなる問題も感じずに呑み込むほどになっている。そしてこの課題設定は、ドラギがめざしたものの当然の継続だ。
 そして、これまでのところ人民連合名簿に関しメディアが沈黙していることも偶然ではない。つまり、その話しをしない方がよく、その提出に必要な署名が集まらない方がよいのだ。実際人民連合には、大きかろうと小さかろうと、ほとんどすべての他の政治連合とは異なり、極めて僅かの日数の内に何万人もの署名を集める必要がある。
 これは、マッタレッラ(イタリア大統領)とドラギが行った非常に政治的にいかがわしい、しかしまた憲法上でもいかがわしい作戦のせいだ。つまり彼らは、選挙のためにそれほど短い締切を設定したのだ。しかも彼らはこれを夏季休暇期間に行った。そしてその時期には、ある者は彼らが確保している自由になるメディアというツールのおかげで好きなように行動でき、他方他の者、左翼の諸勢力は、労働者の神聖な休暇のために工場や職場が閉鎖されている時に、草の根から行動しなければならないのだ。
 これは、基本的な権利の追求を極端に困難にするもくろみだ。人民連合名簿に署名するよう人々に勧めることでこれからの日々に初歩的な民主的権利を保証することは、われわれのすべてにもかかる任務だ。

▼ジッポ・ムケンディ・ンガンドゥは、シニストラ・アンティカピタリスタ(イタリアにおける第4インターナショナル2組織のひとつ)指導部の一員。(「インターナショナルビューポイント」2022年8月16日)  

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