フランス

社会保障攻撃には統一した反撃こそ必要

共産党書記長の完全雇用名目の社会的給付攻撃加担を批判する

ジャンークロード・ロモニエ

 フランス共産党(PCF)がイタリア共産党の道を辿っているのかもしれない。今年の「ユマニテ祭」(日本での「赤旗祭り」に相当)で同党書記長が、社会保障の理念そのものに疑念を突きつける仰天発言を行った。以下では、フランスの同志がこの発言を厳しく批判し、PCF活動家や支持者との真摯な討論を呼び掛けている。(「かけはし」編集部)


 “左翼は、仕事を守るべきであり、社会的給付や最低所得保証志向の左翼であってはならない”、このフランス共産党(PCF)書記長で今年この党の大統領選候補者だったファビアン・ルーセルの、PCFが後援する2022年9月始めに行われた「ユマニテ祭」の開会にあたっての言明は、ある種の思いつき的なものではなかった。
 PCF指導部は、「仕事志向の左翼」と「社会的給付志向の左翼」間の論争に政治的注意とメディアの注目を集めることによって、即効的な目標を追い求めようとしている。議会でのその存在を救うために、ジャンーリュク・メランションの不服従のフランスが支配的な左翼諸政党の連合であるNUPES(新人民連合・環境・社会)に加わることを強いられたこの指導部は、ひとつの機構としての利益に反するとそれが考える連合に分裂を押しつけることで、()付きの道を閉じたいと思っている。

労働者の明日の不案を取り除く


 この歩みは新しいものではないが、他方で選ばれたテーマは逸話とは言えない断絶を印している。ファビアン・ルーセルが攻撃したものはまさに、PCFが寝ずの番をする守護者であると主張する、社会保障の基礎そのものなのだ。
 シュルル・ド・ゴール政権のPCF労働相だったアンブロワーズ・クロワザットが創案者だった1945年法令は、その前文で次のように述べていた。
 「社会保障は、すべての者に与えられた保証であり、それは、あらゆる環境において、かれらが、かれらの生存と彼らの家族の生存をまっとうな条件で確実にする上で必要な手段を得ることになるものだ。……それは、労働者から明日の不確実さを取り除くという関心事に応える……」と。
 第二次世界大戦の余波の中で存在した特別な力関係が、直接の賃金に加えて、「社会的拠出」、いわゆる賃金の「社会化された」部分の義務的支払を、雇用主に強要することを可能にした。これらの社会的拠出が、代替所得(退職年金、日毎の病休手当)、あるいは家族手当に資金を充てることを可能にしている。当時社会保障は、ほとんど存在していなかった失業の「リスク」を考慮に入れていなかった。後になってこれは、雇用センター(雇用を担当する公的行政機関:訳者)の一部になったアセディック(商工雇用協会)の役割だった。

制度発足その時から続く戦闘

 支配階級の頭目たちと政治家は、それを受け入れざるを得なかったが、「仕事を離れた」事情に資金を出すための利益漏出と始終戦ってきた。かれらにとってそれは、「下層階級」の生まれつきの「怠惰」を励ますもの以外の何ものでもなかった。
 「社会の助力」、ヴォキエ(共和党)やルペンやゼムールに言わせれば「わが社会のガン」、マクロンにしたがえばコストになっている諸手当の「常軌を逸した現ナマの量」といった言い草は、先の戦闘の最新の化身にすぎない。その狙いは3重だ。
▼社会的保護費用を大々的に削減するため(それは利益増大を可能にする)。
▼力づくで労働者を、どんな賃金でもどんな仕事でも受け入れる以外の選択肢がないようにするため。
▼被雇用者を自身内部で分裂させるため(「懸命に働く」者たち対「援助を受ける」者たち、として)。

代用所得か完全雇用か、は
問題の立て方がそもそも誤り

 ルーセルは先例に従って、「かれらは働いていると、またかれら〔最低限の社会的給付の受給者〕は働いていないと、われわれに告げることによって社会的助けについて話す」者たちの「声を聞く」まねをしている。
 マクロンは、失業率水準に応じて給付を調整することによる、新たな失業給付改悪を始めようとしている。これが、「問題は、社会的最低保障を引き上げることではなく、社会的最低保障を止めることだ」とはっきり主張するために、ルーセルが選んだ時なのだ。これらの言葉は、失業者から、そしてかれらの権利を守っている者たちからは、まさに裏切りと、また政府からは支持と、受け取られるだろう。「ユマニテ祭」に現れた現職公金会計担当相のガブリエル・アタール(元社会党:訳者)は、まったく間違わず、ルーセルの見解に即座に賛意を示した。
 ルーセルが何を言おうと、この道にいったん関わった以上、彼が途中で止まることは難しいだろう。また、援助で暮らすと同時に「給付を請求するために子どもをもっている」隣の女性について、あるいは上の階の隣人は「仕事に行かないように始終病休を取り、日々の病休手当を受けている怠け者」と説明する、同じ者たちの「声を聞く」のを止めることもルーセルには難しいだろう。
 しかし失業給付、年金、家族手当、日毎の病休手当、これらすべては、「諸手当で暮らす者たち」に対する公然の非難によって今異議を唱えられている被雇用者によって獲得された、社会的権利にほかならないのだ。

 ルーセルは、新自由主義イデオロギーへの彼の屈服を正当化する試みとして、それを、「失業を終わらせること」を求める要求に対置している。つまり「私は、仲間の市民の各々に対し職、訓練、賃金を保証するという展望を自身に設定する社会のためにこそ、今戦っている」と。
 もしこの「展望」が実際に失業を終わらせる社会の展望であるならば、つまり換言すれば、資本主義と決裂する社会であるのであれば、問題の全体は、それを達成するためにどのような戦略とスローガンが押し出されるか、ということだ。
 印象的なこととして、この観点から見た時、ルーセルはこの方向で闘いを導くための中心的な要求について何も語っていない。つまりそれは、全員がより少なく働くこと、換言すれば全員の中での仕事の分かち合いのことだ。そしてそれこそが、すべての者に職と尊厳ある賃金の両方を与え、強制された労働時間を大々的に削減し、レジャーや社会的諸関係や個人的な自己開発や市民生活への参加に必要な時間を、すべての者に与えることを可能にするのだ。
 ルーセルはルモンドの記事の中で、まるで残念がるように次のように認めた。
 つまり、もちろん、過渡的な方策として〔われわれは強調する〕、被雇用者は保護、支援を必要としている、そして私は、失業保険の今回の改革、あるいは失業給付と引き換えの義務的労働という構想に基づく、かれらに対する政府の攻撃すべてを糾弾しているかれらの側にいるだろう、と。
 しかしまさにその方策が必要な理由こそが、今われわれがいる社会なのだ。つまり問題は、大量失業と大量の不安定職が存在する社会であり、そのためにわれわれは、完全雇用を名目に代替所得を糾弾することによってではなく、むしろそれらの拡張を要求することによって行動しなければならないのだ。ちなみにその拡張としては次のようなものがある。
▼RSA(失業給付)ではなく賃金の維持。
▼基準賃金が最良な年数の拡張を60歳から確実にできる年金。
▼第1子への家族手当。
▼全学生に対する、最低賃金相当の学習手当。
▼欠勤日の廃止と疾病に対する完全な補償。

 被雇用者内部に不信と敵意をつくり出しているのは社会的諸権利ではない。それどころかそれを作り出しているのは、これらの権利が全員のためではなく、援助は「他の者のためであり、決して私のためではない」との感情を与えながら、ますます制限されている、という事実にあるのだ。それを作り出しているのはまた、社会的保護に資金を充てるために、雇用主に代わって民衆諸階級が拠出するようますます求められている、という事実にもある。つまり、いわゆる「雇用主」拠出の廃止あるいは削減、その代わりとしての不公正な諸税(付加価値税やCSG〈一般化社会救出金、所得にかかる社会保障目的税:訳者〉など)のことだ。
 ファビアン・ルーセルが擁護した方向の悲惨な作用に関して、PCF活動家や同調者と論じ合う緊急の必要がある。問題の路線がルーセルに支持者や活動家を獲得させることはないだろう。しかしそれは、不可欠な決起への追加的な障害をつくり出しているのだ。(2022年9月29日、フランスNPA機関紙「ランティカピタリスト」よりIVが訳出)
▼筆者は退職看護士でCGT(フランス労働総同盟)組合員。フランスNPA公衆衛生・社会保障委員会メンバーであると共に第4インターナショナルメンバー。(「インターナショナルビューポイント」2022年10月2日)

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