中国共産党第20回大会
無名の人物によって混乱させられたワンマンショー
2022年10月25日 區 龍宇
この論評は、中国共産党第20回大会の直後に書かれたもので、大会での胡錦濤前国家主席の「退場」と習近平を糾弾した北京での抵抗行動をとりあげて、習近平体制の今後を分析している。
中国共産党第20回大会について
習近平が公式に三選された。そのことによって、彼の党と国家に対する絶対的権力がより一層強固なものとなった。
劇的だったのは、党大会最終日の途中で、胡錦濤前総書記が会場の出口へと退場させられた姿が目撃され、多くの謎が残されたことだった。BBCは「彼の退場については二つの理由が考えられる。つまり、過去の一時期を代表する指導者が象徴的に退場させられことで中国の権力抗争の一端が明るみに出た、あるいは胡錦濤が深刻な健康問題を抱えていたということである。……しかし、もし健康悪化のために彼が最後のところで退場したのであれば、なぜこんなことが突然起こったのだろうか? それもカメラの前で? それは緊急事態だったのか?」と報じた。
24日月曜日にニュースが更新されたが、それによれば、胡錦濤が退場させられる前に、彼の書類が栗戦書(政治局常務委員だったが、今大会で退任)によって持ち去られたとのことである。胡錦濤が書類を取り戻そうとすると、習近平は誰かを呼び寄せ、何事か話をした。すぐに胡錦濤は出口へと誘導された。このことが示すのは、健康状態が悪かったので会場から出て行くように誘導されたという公式の説明が嘘であるということだ。
上からの改革は常に神話である
自由主義的・新自由主義的な反体制派の一部が、中国の内外で論じていたのは、中国共産党内には「改革派」と「保守派」が存在するということだった。そして、そうした人々は「改革派」に変革への望みを託していた。しかし、ほとんど証拠もなしに、彼らは党内のあれやこれやの指導者(たとえば胡錦濤)に望みをかけていたのだが、結局はあとでこっぴどく失望することになるだけだった。
習近平が2012年に権力の座に就いたあと、李克強首相に救いを求め続けた者もいたが、彼は習近平に反対して闘う素振りを一切見せなかった。それにもかかわらず、台湾の『聯合報』紙は9月に「内部情報」なるものについて報じ、習近平が国家主席に三選され軍事委員会主席にも選出される代わりに、李克強が党総書記に昇格するだろうという記事を掲載した(すぐに削除されたが)。この怪しげな記事によって、多くの人々は再び希望をかきたてられたが、すぐに再度の失望を味わっただけだった。
少なくとも1989年以降、党指導部内に明確な政治的分派が形成されたという状況証拠は見いだせない。政治的分派には、基本的原則に対するより首尾一貫したイデオロギーと合意が必要である。そうではなく、指導者個人のまわりには派閥が作られた。それゆえに、手法における相違点が存在してきたのは間違いないが、それは政治的分派などではないし、少なくともこれまではそうだった。各派閥は自分たちの中で、権力を求めて争ったり、どんな決定をおこなうかをめぐって争ったりした。
1989年以降、三つの強力な派閥が存在していた。各派閥は、各時期の最高指導者、つまり江沢民、胡錦濤、習近平を中心として形成された。しかし、派閥間には一つの基本原則――中国が急速に台頭するにあたって、さまざまな時期にハト派的な傾向を示すものがいたとしても、党は国家全体に対してネジをより一層締めなければならない――をめぐって、目立った相違点はなかったように思える。
習近平の二人の前任者が、実際に、個人的な反体制派(あまり有名でない限りにおいてではあるが)を容認していた可能性がある一方で、習近平のよりタカ派的な手法ではこれすら禁止されたということなのである。ささいな違いはあったとしても、この三つの派閥はすべて、それが現実のものであれ潜在的なものであれ、組織的な反対派の存在を絶対に許容しないという点で一致していた。というのは、これが彼らによるジョージ・オーウェル型国家[注:オーウェルの小説『1984年』に描かれた専制国家]の第一の必要条件だからである。
習近平の赤い遺伝子とその青い血の取り巻きたち
しかしながら、習近平の三選は新たな展開を意味するものだ。党大会は党規約改正に関する決議を採択した。それによれば、「大会は、闘争精神を発展させ、闘争能力を強化する」ことを謳う別の修正」を規約に付け加えることを決議したとのことである。さらにその決議は改正点を次のように述べた。「この点を加えることで、全党の歴史的自信を促進し、……党の赤い遺伝子を継承する手助けになる」と。
「党の赤い遺伝子を継承する」という言い方は、すでに過去10年間にわたって、党や習近平によって何度も用いられてきた。同じ言い方を繰り返したこの党大会は、2012年以来の危険な傾向がいまや最終的に習近平の三選によって強固なものとなり、「紅二代」 [注:建国前から共産党員だった高級幹部の子ども]が習近平を中心とする権威主義体制を構築することで全権力を掌握したことを示した。
習近平は、前任者と比べると不利な状況のもとで一期目をスタートさせた。江沢民と胡錦濤は二人の非常に強力な指導者、すなわち鄧小平と陳雲によって、その順番で(陳雲が江沢民を指名し、鄧小平が胡錦濤を指名して)最高指導者に任命された。江沢民と胡錦濤に中国共産党流の「正統性」をもたらしたのは、鄧小平や陳雲による承認だったのである。
対照的に、習近平は2007年、胡錦濤の後継者として、初めて400人の党指導者による選挙で選ばれた。というのは、そのときまでに鄧小平と陳雲は二人とも死んでいたからだった。朝日新聞の記者(中国の内部情報に精通していることで有名だった)によれば、胡錦濤は、李克強を最高指導者に選ぶという彼の方針にしたがって、この中国共産党流の「選挙」 制度を創り出した。しかし、習近平に投票を集中させた江沢民によって妨害された。だが、江沢民の成功は、習近平の李克強に対する特別な優位性、つまり習近平が「紅二代」であり、それゆえ(基本的に「革命家であるという血統」 を意味する)「根正苗紅」 [注:「根っこが正しければ赤い芽が出る」という意味]であったが、李克強はそうではなかったことに基礎を置いてのことだった。
これがどれだけ本当であるかは不明だ。しかし、ベルリンの壁崩壊のあとで、もっとも反動的な古参指導幹部らは、「革命幹部の子どもだけが親を裏切らない」と述べて、ソ連圏が崩壊した時代においてこの方法だけが党の生き残りを可能とするという口実のもとで、自分の子どもたちに権力を継承させようと懸命に努めた。彼らの計画はきわめてうまくいった。
2007年、「紅二代」と彼らの取り巻き(必ずしも建国以前から共産党員だった家系とは限らない)は初めて「革命エリート」や「実力者」となることに成功した。2018年以降、彼らはさらに、国家主席は二期止まりという鄧小平が定めた規則をくつがえすことに成功した。
2022年党大会で、彼らは習近平独裁を通じて、他の支配的派閥の犠牲の上で、全国家権力を掌握することができた。この出来事を象徴する瞬間が一つあるとすれば、それは胡錦濤前国家主席が職員によって大会会場の扉のところに無造作に連れて行かれた瞬間であろう。
「支配体制内部からの段階的改革」というあらゆる幻想を捨て去ろう。習近平はオーウェル型国家をより深化させ、より洗練させていくだけだろう。彼の見地からすれば、経済が深刻な問題に直面しているからこそ、このことが以前よりもずっと必要なのである。いかなる民主的変革であっても、それは勤労苦力階級 から生まれるものでなければならない。しかし、国家統制がそのような段階にある中では、社会的抵抗が巻き起こり、持続していくことは非常に困難である。新型コロナウイルスによる深刻なロックダウンは、(人々が自宅に監禁されるといったような)基本的人権に対する広範な侵害や一般的な抑圧の恐れをもたらしたが、同時に中国社会に非常に落ち込んだ雰囲気を創り出した。
彭によるたった一人の抵抗行動
しかし、この党大会はその背景として、たった一人による抵抗によって永遠に歴史に残るものとなるだろう。それは習近平と彼の「赤い遺伝子」の取り巻き連中に対する人民の嫌悪を象徴するもう一つの、大会に先立った瞬間だった。10月13日朝、彭載舟(彭立発)が北京の四通橋において一人での抵抗行動を敢行した。報じられたところでは、彼はエンジニアだとのことである。
彼は橋から二枚の横断幕を垂らした。その一枚には「PCR検査は不要、ご飯が必要。ロックダウンは不要、自由が必要。嘘は不要、尊厳が必要。文革は不要、改革が必要、領袖は不要、選挙が必要。奴隷は不要、公民が必要」と書かれていた。もう一枚はさらに急進的で、「学生と労働者のストライキで独裁者・国賊の習近平を罷免せよ」と呼びかけるものだった。彼は10月16日を行動日とすることを呼びかけた。その日には何も起こらなかった。彼は抵抗行動をおこなった日に逮捕された。
彼は掲げられた横断幕とは別に、詳細な「行動計画」と政治行動のための「ツールキット」をウェブ上に掲載していた。彼は「非暴力で大衆的なカラー革命」を呼びかけていた。それは共産党支配を倒すためではなく、習近平を罷免するためのものだった。彼は改革された政府が次のようなことをおこなうのを熱望していた。
*党指導者を選ぶことができる党内民主主義の導入
*(全国的な)普通選挙の実施
*政府の権限の縮小
*政党結成禁止の解除
*公務員の個人資産と貯蓄の公開
*市場経済の保護
彭載舟は、劉暁波と彼の「零八憲章」を参考にして、劉暁波の自由主義的綱領の志を継いでいる。劉暁波と違っている点は、劉はストライキや広範な社会的抵抗行動を扇動することはなかったということである。一般的に言って、1989年の民主化運動に対する弾圧のあと、自由主義派と「新左派」とは互いに激しく対立しながらも、社会変革の主体としては勤労人民を拒否するという共通の基盤を共有していた。その代わりに、彼らは社会的抵抗行動を一般的に危険なものと見なし、改革は党内からのみ起きなければならないと考えていた。このことから、両者ともに自らを中国共産党への提言者だと見なしていた。
劉暁波は少し違っていた。というのは、彼は自由主義的・新自由主義的変革(しかし民主主義のための戦いよりも「市場改革」を優先していた)を公然と訴え続けていたからであり、これゆえに彼は投獄され、のちに獄死した。劉暁波は党の最高指導者を打倒するための全国ストライキを公然と訴えはしなかった。二人の間のこの違いが彭載舟を特別な存在にしている。
中国では、ストライキや党指導者への大衆的攻撃を呼びかけることは重罪である。公務員の個人資産公開もまた、習近平にとっては公然たる侮辱である。というのは、習近平は党大会まで腐敗撲滅での「圧倒的な勝利」を喧伝してきたからである。彭載舟が公務員の個人資産公開を要求したことは習近平の偽善的行為を暴露することになる。こうしたやり方は、腐敗を取り除くためには、汚職公務員を訴追するよりもずっと効果的ではないだろうか?
下からの声
彭載舟自身は、その日に彼の行動計画をスタートさせたとき、彼に降りかかってくる最悪のものに対して準備していたに違いない。しかし、注目すべきなのはこの勇敢な行動だけではない。彼の横断幕の映像がソーシャルメディア(非常に短時間しか続かないにしても、民衆が声を上げることのできる唯一の場になっている)に投稿されると、多くのネット市民(ネチズン)の反響を呼んだ。彼に対する支持はすぐに香港や世界各地に広がっていった。大学生、とりわけ中国からの留学生が彭載舟の横断幕を拡散し始めた。
彭載舟のスローガンを拡散するというこうした行動はすべて、数日間で終わった。以下に紹介するのは、中国本土の人々からオンラインに投稿されたもので、長くても引用する価値があるものである。[注:投稿者の名前はいずれもハンドルネームである]
前鋒虎貢(ハンドルネーム、以下同)
この勇敢な行動はすばらしい。しかし彼の呼びかけに応じて街頭に出る人々は少ないだろう。……私はいま大学で学んでいる。まわりの人々は何もせずに、共産主義者の盗人大学から提供される授業に集中し、暇なときはオンラインゲームで遊んでいる。例としてキャンパスでのロックダウンをとりあげてみると、彼らはロックダウンに不満を感じているが、誰も抗議しようとはしない。抗議した人々や(不満を言うために)学長のメールアドレスに手紙を送っただけの人々も処分を受けるだろう。
共産主義者の盗人たちは、大学で学生を管理するために試験を使っている。そのため、学生たちは社会の出来事に関心を寄せる自由時間をあまり持てなくなっている。人々が大学の規則を破ったり、教官に反対する行動をしたりすると、大学や教官は学生を処分する権力を持っているのだ。……私はカリキュラムには関心がないし、大学のひどく抑圧的な管理方法を嫌っている。私は毎日、中国に関係するあらゆる種類のものについて考えている。もし面と向かって当局に対して行動したり告発したりする人がいれば、私はその人たちを支持して表に出るだろう。
漂流社
彼(彭載舟)は、自由を求めた……最初の人ではない。何カ月か前、上海、浙江、義烏、武漢で当局に対する大がかりな告発があった。結局、それはすべて統制下に置かれた。しかし、それは最後ではない。急激な経済後退は明らかだ。不安定さのために、安定を維持するのに巨額な費用がかかることになる。こうした支出には常に上限がある。抵抗したい人々は、そうすべきだ。抵抗する勇気のない人々は少なくとも、この腐った社会の崩壊を加速させるために、「躺平」したり(寝そべったり)、従うのを拒否したり、消費を減らしたり、懸命に働かないようにしたり、結婚や子どもを持つのを拒否したりすることはできる。
発霉的包子
私は李克強(前首相)や汪洋(前政治局常務委員)のような人々に絶望している。われわれはまず第一に、共産党内の誰かに愚かな希望を持つべきではなかったのだ。変革を望む者は誰でも、そうするためには血を流さなければならない。……私がかつて抱いていた愚かな考えは単なるジョークなのである。
「現代化」を促進する反動的徒党
習近平は新型コロナウイルスのパンデミックを制圧したという彼の成功を持ち上げて、ゼロコロナ政策を継続することを誓っている。新型コロナウイルスが管理下にあるのは本当だ。党は成果を配分するのは得意である。成果というのが支配を押し付けるという意味ならの話だが。党は支配オタクなのだ。党は1949年以降、社会的・政治的支配の道具立てを完成させてきた。そしていまや、その道具立ては21世紀のデジタル版へとアップグレードされている。
しかしながら、党はジレンマに直面してもいる。党が工業化と現代化を推進してきたため、党は国家に対する掌握を顕著に改善して、このことで党自らを富ますことが可能となっている。しかし、もう一方では、その同じプロセスが中国の文化レベルを高め、人々は遠く離れていてもすぐに情報交換できるようになり、ますます多くの割合の人々が次第に党の犯罪について知ることができるようになっている。新型コロナウイルスによるロックダウンのあと、中産階級ですら党の正統性に疑問を感じ始めている。
党が直面するもう一つのジレンマは、党の現代化プロジェクトが前近代的な政治文化――信じられないほど傲慢な最高指導者と彼(もちろんのこと「彼女」ではない)の下にいる全員の奴隷根性的な体制順応主義――を依然として強く持っている支配的徒党によって主導されていることである。これは大きな誤りをおかすのに最善の処方箋となっている。
例としてロックダウン政策を取り上げてみよう。2021年における習近平の成功は、うまく機能しなくなっている。ロックダウンはパンデミックに対応する第一段階でしかなかった。つまり、有効なワクチンの発明と大量生産のために時間を稼いで、民衆の信頼をかちとるためのものだったのであるという意味である。この二つの試みに習近平は無残にも失敗した。不必要な苦痛を与えず社会的費用をかけずに現代社会を運営することは、支配を押し付けることよりもずっと複雑なものである。しかし習近平は前者を無視している。
いまや彼のロックダウンのやり過ぎは、バックラッシュとして広範な不満を生み出す結果となった。彭載舟の最初のスローガンである「PCR検査は不要、食料が必要」は多くの人々の心をつかみとった。
2つ目のバックラッシュは、ますます多くの国々が人口の大部分にワクチン接種をおこなうことで国を開いているのに、中国が依然として鎖国していることである。事実は、国内で生産した ワクチンがあまり効かず、人々が党を信頼していないことである。北京が将来において国を開くとしても、それは人々の健康にとって危険となる可能性がある。その一方で、ゼロコロナ政策を継続することは、経済により一層の打撃となるだろう。しかし、習近平と「紅二代」は自分たちが全知全能であると信じている。まさにこのために、中国は今、もっとも危険な時代に入りつつあるのだ。
(『アンチ・キャピタリスト・レジスタンス』10月25日)
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