ペルー民衆のクーデター拒絶は明白

民衆的反乱の全力支援が必要
ルラ政権の沈黙は許されない
イスラエル・ドゥトゥラ

 まさにこの時、ペルーで進行中の極めて厳しい闘いがある。一方には、その高潮点が1月19日のゼネストだった民衆的反乱が、他方にはますます孤立を深めているクーデター政権があり、後者は、その計画と主導権を維持するために今抑圧にしがみついている。
 われわれ、「レビスタ・モビメント(雑誌・運動)」は日報的にそれを取り上げ、運動の主唱者たちと会話を交わし、国際的な連帯を動員し、ペルー民衆のヒロイックな闘いを今「すぐ近くで」追いかけている。私は、今立ち上がっている戦士たちへMES(社会主義左翼運動)とPSOLの連帯を届けつつ、前記誌の通信員として2、3週間リマにいた。
 ここにわれわれは概括的に、ディナ・ボルアルテ政権のクーデター策謀者が幕を開けた制度的危機に関するブラジル左翼とルラ政権に必要な立場、および最新のできごとの力学を述べる。

フジモリを倒し
たデモの再現を


 周知のように昨年12月7日カスティージョ大統領は、国会内右翼多数派を追い出そうとした下手くそな試みの後、議会のクーデターに見舞われた。この宮廷事変の結果として、彼の副大統領だったディナ・ボルアルテが大統領になり、カスティージョは逮捕され投獄された。
 ボルアルテは自身の権力を固めるために省庁とその周辺に右翼の人物たち――特に、ウィリアムス(軍出身の下院議長:訳者)とオタローラ(ボルアルテ政権の閣僚評議会議長、軍との長い関係がある:訳者)――を選んだ。クーデター政権の初日以来、南部のペルー人がさまざまな抗議行動とデモを率いた。そしてそれに対しボルアルテはより多くの抑圧で応じた。こうして昨年は、政権側の状況を安定させると思われたクリスマス休暇を超えた休戦に対する期待、そして活動家たちの死を残して終わった。
 しかしながら、南部ペルーの労働者と農民(その圧倒的多数は先住民のアイマラとケチュアの出自をもつ)による介入の力は、1月の最初の日々にプーノ州における本物の民衆的反乱に至った。この流れの中で政権は、ジュリアカの虐殺(1月18日に国家警察がデモに決起した民衆を攻撃:訳者)を推し進め、死者18人を残した――ペルー史上もっとも悲劇的な章のひとつ――。
 憤激が高まり、それは南部中に定着、さらに国中に広がった。1月19日、新たな「4つのソヨの行進」が呼び掛けられた。この名称は、2000年7月に起き、アルベルト・フジモリの独裁の崩壊に引き金を引いたデモにちなむものだ。「4つのソヨ」は、インカ時代のこの国の異なる地域にあった4つの豊かな政治的地点だった。
 ペルー民衆は20年以上を経て、独裁の諸要素に基づき権利主張をしたいと思っている政府に反対し、大規模な闘争を始動させるに至った。
 ゼネストは大成功だった。「4つのソヨの行進」は、あらゆるところから到着した数百の代表団を理由に報道によって「リマ接収」と呼ばれた。ペルーの首都の街頭は、日曜日か休日であるかのように閑散としていた。田舎からのデモ参加者に加えて、山岳地からやってきた遠く離れた居住地や地区からの代表団が、政府を拒絶し、ディナの辞任、さらに議会の閉鎖、新たな選挙と制憲会議を求めるために、リマ中心部に向け行進した。
 19日のストライキはペルー民衆の反乱を全国化した。北部の諸州でも、ほぼ100件にのぼる道路封鎖、また幅広い民衆的支持という形で、急進化した抗議行動が行われた。

孤立する政府
が抑圧に固執


 19日の行進は最後に、リマの下町における大戦闘となった。そこでは、デモを四散させ犯罪とするために報道と政府が利用したひとつの歴史的建物の火災があった。
 ディナは続く日々自身を守るためにテレビ局に向かい、職にとどまり、「秩序」路線を継続するつもりだ、と断言した。1月20日には、戦車と爆弾を伴った抑圧部隊によってサン・マルコス大学が侵攻を受け、それは200人の活動家の逮捕で終わった。この運動の中でわれわれのもとには、ほぼ60人の殺害、逮捕者600人、さらに「アレキパ防衛戦線」(アレキパはインカ時代から続く古都:訳者)指導者たちのテロリズムを容疑とした逮捕という事実が残されている。
 政権は、変わることのない支持喪失の中で、いわば抑圧行為によって維持されている。それは、明瞭に示された警察の行動を別にすれば、ひとつのブランド化された物語を活動家の迫害と犯罪視に組み合わせている。
 右翼の主張にはふたつの支柱がある。つまり、80年代と90年代に活発だった諸グループの記憶を呼び覚ましつつ、政敵にテロリストグループとの関係を帰せることを意味する伝統的な「テルケーオ」、そしてエボ・モラレス(元ボリビア大統領:訳者)に対する攻撃だ。後者は、この国の分離という目的に基づいて、ボリビアのMAS(社会主義のための運動)の指導者が南部の抗議行動の背後にいるようだ、と主張するものだ。この不条理な物語の目的は、反乱の前進を妨げることにある。
 現在の情勢は、抑圧部隊と憎悪の対象になっている議会内の最も反動的な部分によって支えられ、政治的に弱まるばかりの政権、という情勢だ。世論調査は、70%が新憲法を強く求め、88%が政府を拒絶、そして75%が議会の現構成を信用しない、と示している。
 政権は、リマのような大都市で中産階級の中でも今孤立を深めている。

ペルー人民支持
こそ左翼の義務


 われわれはペルー人の反乱が刻んだ全国的な危機における決定的な画期に到達している。
 ペルーの街頭と道路では、大陸的な闘争の未来を決める闘いが最後までやり切られようとしている。今日極右は、MAS政権と対決するボリビアで、ボルソナロ派を抱えるブラジルで、フジモリ一派の権力復帰への道を開きつつディナ政権を維持するペルーで、塹壕で守りを固めようとしているのだ。
 南米の諸政権は、CELAC(ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体)会議(今年1月24日に第7回が開催された:訳者)の最中にペルー人の反乱への支持を約束するべきだった。ペトロ政権(コロンビア:訳者)は、サン・マルコス大学侵攻を非難してひとつの道を示した。左翼諸部分による怠慢は、ディナの抑圧行為の維持に役立つにすぎない。
 アルゼンチン大統領のアルベルト・フェルナンデスは、1月23日付け「フォラ・デ・サンパウロ」紙のインタビューで、当該政権の明確な責任を挙げたり指摘することがないまま、ペルーの「不安定さ」に関する彼の懸念に言及した。ルラはルラで、またブラジルの外交は、この数週間起き続けてきた虐殺と基本的な諸権利侵犯について発言していない。この方向を変え、この闘いの側に付くことが必要だ。
 全国執行委員会で12月にペルー人民への支持の通達を承認したPSOLは今、進行中の反乱を連帯で包み込むために役割を果たしている。われわれは大使館行動に参加し、下院議員のフェルナンダ・メルチオナは議員団と共に、暴力の点でペルー政権に疑問を突きつけ、ペルー政府の抑圧部隊に向けた武器の売却と取引について、ブラジルで責任を負っている諸機関を明らかにした。
ペルー人民のヒロイックな闘争はわれわれの支援に値する!(2023年1月25日、「レビスタ・モビメント」誌により提供された翻訳)

▼筆者は社会学者、PSOL全国執行部の国際関係書記、またMESの活動家。MESは、ブラジルにおける第4インターナショナルのシンパ組織。(「インターナショナルビューポイント」2023年1月27日)   

The KAKEHASHI

購読料
《開封》1部:3ヶ月5,064円、6ヶ月 10,128円 ※3部以上は送料当社負担
《密封》1部:3ヶ月6,088円
《手渡》1部:1ヶ月 1,520円、3ヶ月 4,560円
《購読料・新時代社直送》
振替口座 00860-4-156009  新時代社