地政学 ジルベール・アシュカルへのインタビュー
局面は新冷戦という世界情勢
始まったのはあくまで資本主義間の覇権抗争
ジルベール・アシュカルが、彼の新著作『新冷戦:コソボからウクライナまでの米国、ロシア、中国』の公刊に合わせて、フランス反資本主義新党(NPA)のシェリー・ラビカからインタビューを受けた。
1990年代の
米国政府の決定
――最初の質問は、国際情勢をあなたが特徴づけている方法に関係している。その情勢に対しあなたは、「冷戦」という用語に2度目のいのちを与えている。冷戦は1990年代に終わっていると思われている。それではわれわれは、この新展開をどこに位置づけ、どう特徴づけるべきなのだろうか?
1990年代に新冷戦へのいわば移行があった。古いものはソ連邦終焉をもって終わった。それは、一定のタイプの国際関係を決定してきたが、この数十年、ニクソンとキッシンジャーの下での中国に関するワシントンの方向転換以来の、対ソ連の中・米連携を見てきた。ソ連邦崩壊は、極めて弱体化したポスト・ソビエトのロシアの出現および北京・モスクワ間の新しい関係の可能性と共に、多くのものごとを変えた。
1990年代はひとつの移行期だった。あらゆる大きな歴史的分水嶺同様、それはいくつもの可能性を生み出した。しかしながらその可能性すべては、ひとつの中心的な決定に、当時の表現に従えば、「しばしの1極的時期」を通過中と認識していた国の決定に依存していた。それは実際非常にうまい表現だった。それが米国の超越性と移行的な歴史的時期(「歴史の終わり」ではなく)の双方を象徴していたからだ。
このポスト冷戦の世界に直面していたと気づいたのはクリントン政権だった。そしてそれが行わなければならなかった選択は自明ではなかった。ロシアに関して何を行うべきか、また特にNATOとの関係で何を行うべきか、この全体構図の中の困難な問題に関し、米国の支配的エリート内部には、実体のある論争と不一致があった。
この政権は、ソ連邦とワルシャワ条約機構の解体にもかかわらず、NATOを維持するだけではなく、この連合を介入組織(バルカンとアフガニスタン、その他)へと変質化させることまでの、加えて、そして何よりも、以前はソビエトの支配圏だったところを、また前ソ連邦の共和国だったところ(ウクライナとジョージアも含むとの考えを伴って最初はバルチック諸国)も編入してそれを東方に拡大することまでの決定に至った。
これらの選択は対ロシア関係を相当に悪化させた。それらが民族主義的欲求不満を確定し、1990年代にロシアが経験した第一次大戦後のドイツに似た経済情勢と組になってウラジーミル・プーチンを生み出した。プーチンは1999年にエリツィンによって選出された後、2000年に大統領になった。彼は、米国がロシアを、そして同時に中国を遠ざけたこの移行局面の頂点を代表する。と言うのも、中国との腕相撲に乗りだし、1950年代以後では北京との最も厳しい緊張に導いたのは、同じクリントン政権だったからだ。これが、ロシアと中国という2つの国がどのようにして当然のように協力へと、特に中国に対する高性能兵器を含んだロシアの大量武器売却を通して押しやったのか、ということだ。
こうして諸々の成分は、国連を迂回して、そして北京とモスクワの反対にもかかわらず着手された、NATOのコソボ戦争が世界情勢を新冷戦へと傾けた、まさにそのところへ置かれた。
米国の中国敵視
確定への諸経過
――近年、実際に新冷戦に関する多くの話が、特に米国と中国間についてより多くあった。誰でも、台湾をめぐる近頃の緊張の挿話のことを、少し前ではトランプ期の貿易戦争を、それ以前であっても、「アジアへの旋回」と南アジア地域全体やその先における新中国の野心に対する敵意の誇示に基づくオバマの政策を考える。あなたが述べた1990年代の転換点以後、米国の中国に対する姿勢では、ひとつの特定的な米中冷戦にいたるさらなる変化があったように見える。あなたの意見ではこれは事実か、またそうなら、あなたはこの特別な発展をどのように位置づけるか?
台湾問題は1990年代に再起した。ニクソンの下で米国が中華人民共和国を承認したとき、米国は「ひとつの中国政策」を守ることを保証し、それはまた台湾の国民党政府によっても支持された。こうして、ワシントンの北京承認は、米国の承認に基づく台湾の国連からの脱退を伴った。米国は、国民党がこの島を支配し続けていた限り、大きな混乱なく台湾との関係を維持した。
ものごとは台湾の独立運動の権力到達によって変化した。そしてそれは、1990年代における中国の経済的離陸と重なった。中国はもはや1970年代の弱体な中国ではなかった。あるいは1980年代のそれですらなかった。米国は中国を、ソ連消滅とロシアの疲弊後の潜在的な主要競争相手とますます見始めるようになった。
米国は、中国の経済的台頭を成長中の危険と見ている、あるいはむしろ見たがっている。なぜならばそれが、欧州と日本の連携相手および韓国を含むアジアの連携相手をその監督下に維持することを正当化する、米国にとってはひとつの方法だからだ。1990年代、ワシントンはロシアと中国を西欧に対するリスクとして提示し始め、こうしてこれら二国を協力へと押しやった。これが、新冷戦に向けた条件がどのようにつくり出されたか、の流れだ。
ここで鍵になる画期は、最初の冷戦に向かう1949年に少し似ているがコソボ戦争だ。それはある種の移行を刻み付けている。その時まで盛んだった議論は、依然父ブッシュによって約束された「新世界秩序」――国際法の支配に基礎付けられると思われる「新しい世界秩序」――という議論だった。しかしここで米国は、安全保障理事会を迂回してコソボでの戦争に乗り出していた(今回はNATOと共に、そしてそれは問題を一層悪化させた)。そして、ロシアと中国両国に相当ないらだちと懸念を引き起こした。
この転換がこうして、米国が極めてはっきりと非常に高いレベルの軍事支出(冷戦の主な特性と一致した、そしてその特性は、第二次世界大戦以前の基準であったものとは途方もなく対照的な、米軍事支出の高さだった)を維持するという意味で、冷戦状況を発足させた。
ロシアはこれを前に、ソビエトから引き継ぎまだ機能を保っていた唯一の工業部門のその軍事テクノロジーを強化すると決定した。他方で中国は、その軍事計画の拡張に徐々に乗り出した。中国は、自身をまず経済的に建設する必要がある、と分かっていた。したがって多年の間、むしろ相手をなだめるような姿勢をしっかりとしかし攻撃的でなく採用した。中国はこれを「平和的な発展」と呼んだ。中国は、その軍事力を派手さを見せずに築き上げる中で米国と西側の投資を必要とした。ロシアの場合は、原油価格上昇のおかげで、軍事部門に巨額の投資を行うことができた。そしてその部門はそれ以上に、高性能製造業製品の主な輸出産業部門になった。
2001年9月11日の攻撃の後、米国が率い、ショックを受けた世論から支持された復讐心がこもった攻撃を前に、ふたつの国――中国とロシア――はワシントンにとって二の次になった。それらは嵐を切り抜けた。しかし2003年のイラク占領――国際関係の悪化における2番目の鍵になる画期――でものごとは速やかに変化した。
これは、国際法に違反して、また、モスクワと北京からの、しかしまた今回はパリとベルリンからの反対のために安全保障理事会を迂回して、米国が実行した2度目の軍事作戦だった。
ロシアは2004年にバルチック諸国のNATO加盟という苦い薬を否も応もなく飲み込んだが、ジョージアとウクライナを超えてはならない線と称した。ものごとが収拾がつかなくなり始めたのは、ジョージ・W・ブッシュ政権がジョージアとウクライナを統合する決意を見せたときだった。2008年のジョージアへの、次いで2014年のウクライナへのロシアによる軍事的急襲は、現在の情勢に至る一直線を引き出した。
帝国主義規定は
中国には不適切
――これらの説明は、今日繰り返される質問に関しあなたの見解を聞くいい機会だ。つまり、ある者たちによれば中国は完全に成熟した帝国主義大国にもなっているように思われる、といった中国の性格に関する鋭い論争がある。これについてのあなたの考えは?
中国のシステムに関する官僚制資本主義としての特性付けが道理にかなっていることは、私にとって極めて明確なように見える。他方、「帝国主義」として中国を特性付けることに関しては私はもっと慎重だ。私が信じるところでは、それは、中国の海外投資の性格とその目的に対する丹念な分析を要するはるかにもっと複雑な問題だ。
中国がそれが海外で、特に一帯一路のイニシアチブによって取りかかっていることから大きな利益を引き出している、ということは確実とは大違いだ。この構想はこれまでのところ、稼ぐよりもはるかに中国に高くついてきた。
したがって私は、アフリカと中国の経済関係を、たとえばフランスや米国とアフリカの経済関係を扱うのと同じ方法で扱うことを意味すると思われるような、「帝国主義」としての中国の特性付けに関しより保留的だ。これが正確とは、またアフリカにもし革命政権が出現することになったとして、それがこれらの大国すべてに同じ姿勢の採用を迫られるだろうとは、私に確信はない。
それゆえ私には当面それに関し保留点がいくつかある。ひとつの国を資本主義と特性付けることとそれを帝国主義と特性付けることの間には決定的な違いがある。そして帝国主義は、古典的な定義に従えば、中国国家が大資本に支配され、世界の専有を求める世界的な戦闘に取りかかっていることを意味すると思われる。しかし私には、中国の官僚制資本主義はそのような描写に合っていないように見える。それは、元々はスターリン主義タイプの官僚制が国家と経済双方を支配している特殊な状況だ。権力の推進力はこの並外れた官僚的集合にある。その上に中国は、ひとり当たりGDPの点で、今も西側諸国からはるかに遅れているグローバルサウスから浮上中の国家だ。これらさまざまな理由から私には、中国を帝国主義諸国の範疇に入れることははるかにもっと問題含みに思われる。
他方で私には、ロシアを帝国主義と呼ぶことに何の躊躇もない。プーチン体制は、ネオファシストと呼んでもいい方向で徐々に展開してきた。それは、今日のネオファシストの特徴である、民主主義の外観と全員普通投票による周期的な承認を組み合わせた、ファシズムの思想的で政治的な特徴のいくつかを誇示しているという意味におけるものだ。ロシア国家は、ガスプロムのような大独占グループによって支配され、その中では、公私の境界は非常に浸透性が高く、世界の残りとのその関係ははっきりと帝国主義的な搾取と支配の関係だ。この公私の浸透性は、今日のロシア資本主義の特徴だ。われわれはそれを、ワグネルグループとして知られている寄生的軍との関係で、軍事のレベルでも機能していることまで見ることができる。
ウクライナへの
左翼の立場とは
――ロシアの侵攻とウクライナでの大虐殺から1年を経て、戦争の早い時期に出現した評価に関する重要な違い、および深い不一致に照らして、左翼のさまざまな部分で進展している対立についての理解をどのように見ていますか?
左翼の論争に関する限りそれは、ことが相対的に単純だったイラクへの侵攻で始まっている、世紀の変わり目以後進展した一連の論争の続きだ。次いでリビアへの介入、あるいはシリアへの介入のような戦争があった。そしてそこでは、「よいやつ」と「悪いやつ」は必ずしも前ほどはすっきりしていなかった。イラクの侵攻では、冷戦の「悪いやつ」(特に米国と英国)が依然関与していた。しかしわれわれはすでに、専制的で犯罪的な支配、サダム・フセインの支配を前にしていた。続いた事例はもっと複雑でさえあった。これは、反射的な反西欧のまた特に反米の反応に馴染んでいた者たちにとって、全く心休まらないものになった。それゆえ急進的左翼内部のはっきりした混乱がある。
しかしそれでも、ウクライナに対するロシアの侵略を擁護することは、左翼のある者には非常に困難だ。確かに、左翼と主張しつつもそうしている、あるいはプーチンを支持することまでしている人々はいる。しかしこれらは、反資本主義的専制者を擁護しているとの口実さえもはやもっていない悪意ある漫画的行為だ。プーチンのロシアは、スターリンのロシアとは異なり、資本主義のあるタイプによって支配され、それは、西側諸国の資本主義よりも野性的で退行的ですらあるからだ。
左翼の論争ほとんどの主題となってきた問題は、ウクライナの武装に反対すべきか否かだ。この問題に関しては、ウクライナ侵略は言語同断でそれを糾弾すると語り、ウクライナの武装に反対しつつロシアが部隊を撤退させるよう要求している人びとの部分には、絶対的な支離滅裂がある!
ウクライナが隣人から、その上はるかに強力な帝国主義国家である隣国から攻撃を受けたとひとが信じるならば、それが意味することは、ウクライナの条件が、自身を守る権利がある、またそれに対しわれわれは支援の義務を負っている被抑圧者の条件だ、ということだ。この被抑圧国民に自衛権があるならば、これは、それには自らを武装する権利があり、どこからであれそれが得ることのできる兵器で自らを武装する権利があることを意味している。それは、初歩的な首尾一貫性の問題だ。
偽善的二項対立
の拒絶は不可欠
そのすべてからわれわれは、「民主主義」国家と「権威主義」国家の戦争として現在の戦争を提示する議論への順応に陥ってはならない。私は確かにプーチン体制をネオファシストと特徴づけたが、これは、ロシアを敵として米国やNATOがそうであるライバルの帝国主義大国を支持する理由には全くならない。それらの国はそれら自身の利益のためにプーチンがつくり出した情勢を今利用している。そしてそれは「民主主義の防衛」とは絶対的に何の関係もない。これは大きな偽善だ。ワシントン、ロンドン、パリ、あるいはベルリンが極めて十分に仲良くやっている反民主的な政府を認識するのは容易だ。
いろいろ考慮してみると、軍事的投資と軍事戦略からなる、この表現の使用を正当化する新冷戦の全体的連なりがある。しかし、むしろ陳腐な道具化やプロパガンダ屋の感覚におけるイデオロギー的主張や正当化に関してはどうだろうか?
人はすぐさま、「テロとの戦争」(もちろん、実際に存在する可能性があるテロリズムを論じ合わないままの)、イスラム嫌悪の問題を、しかしまた近頃のまたいくら控えめに言おうと怠惰なロシア―ウクライナと本土中国―台湾間の統合を伴う「中国」に関する議論をも思い浮かべる。
そこでは、それらすべての「東洋的なもの」があたかも、歴史、情勢、また問題になっていることの違いが相当なものであるのに、同じやり方で行動するよう宿命付けられているかのようになっている。しかしたとえ中国と台湾の間に対立が持ち上がるようなことがあるとしても、それは、ロシアのウクライナ侵略のシナリオ……の単純な繰り返しにはなり得ないだろう。
これは、帝国主義としての中国の特性付けに関する保留ではもうひとつの理由だ。確かにその特性付けは、混乱を巻き起こす可能性のあるこのタイプの一連の並行的要素を誘発するのだ。中国・台湾関係の歴史的かつ法的な全体構図は、ロシア・ウクライナ関係とは完全に異なっている。これはもちろん、中国がこの島を侵攻する権利の範囲内にある、ということを意味するわけではなく、この問題はその姿勢が一層挑発的になり、消防士のようにというよりもむしろ放火犯のように行動している米国によって、はるかにより慎重かつ機転を利かして扱われなければならない、ということを意味しているのだ。
残念ながら、NATO内のワシントンのパートナーと他の軍事的連携相手は今、この衝突に引き込まれつつある。特にEUは今、ロシアのウクライナ侵略後に悪化させられた追随と米国を前に実体的主権の喪失を示しつつある。ワシントンについていろいろ考えてみれば、サダム・フセインやオサマ・ビン・ラディンについて人が語ったことがあるように、ウラジーミル・プーチンがもし存在していなかったら、かれらは彼をこしらえることを迫られていたと思われるのだ。彼はワシントンの役に立つ敵の一人であり、世界の支配というその戦略に役立つ者なのだ。
資本主義支配の
危機は思想にも
――われわれは、多くのリベラル民主主義が権威主義リベラリズムと呼ばれるものへと、あるいは極右や過激右翼へと吹き流されている最中の一時期に生きている。この進展は、「覚醒運動」やフェミニズムや反レイシズムなどを敵視するプロパガンダ屋的突出が特徴の空気の中で起きている。そしてその突出は事実として、現代の左翼の良質な部分が代表しているものに対する極度に敵意がこもった攻撃だ。あなたは、今本当に広まっている「覚醒運動」に敵対する戦いを、最初の冷戦期の共産主義や社会主義の悪魔視と同じやり方で、新冷戦の議論の枠組みに含めますか? あるいはそれはまた別のものなのか?
私はむしろ、この「覚醒運動」にまつわる問題は資本主義自身の中にある、ブルジョア支配の中にある沈滞の結果だ、と信じる。あなたは、トランスジェンダーの人びとを擁護する上では、またフェミニストやアナーキストであるためには急進左翼の者である必要はない。たとえば、ヒラリー・クリントンとトランプの間には、結局のところ依然としてイデオロギー的レベルで大きな距離がある。われわれはむしろ、世界的な極右の上げ潮の一部である、2007年から2008年の大不況以後拡大し勢いを増した上げ潮の一部である議論の発展を目撃中だ。
この源は新自由主義的転換に遡る。そしてそれは世界規模での社会関係の不安定化に導いた。そしてそれが最初に、確実にイスラムだけではないあらゆる宗教内での原理主義の台頭、アイデンティティを基礎とした閉じこもりの中でのレイシズムや外国人排撃や極右の台頭、に移し換えられた。このすべては、新自由主義的転換と歩を並べて進んだ。そしてその後2008年の危機による強力な引き金があった。そしてそれがものごとを促進し、これらの移行を世界中で右へとさらに先へ押しやった。
進歩的イデオロギーの分解を背景に、新自由主義の社会分解が引き起こしたアイデンティティを基礎とした緊張を背景に、極右勢力に台頭を許した地勢が生み出されたが、外国人排撃、レイシスト、女性蔑視、反LGBTQなどがタイプの議論を広めているのは、何よりもこれらの勢力なのだ。
いつものように、いわゆる「中道の」右翼は今、社会的急進化を前にした自身の退潮を遅らせることができると信じて、この反動的な議論の部分を取り入れている。これこそが、これは資本家支配のまさに心臓部におけるイデオロギー的危機だ、と私が信じる理由だ。
それは主として、昨日の冷戦議論に似た対左翼の武器ではない。これは主として、残念なことに資本主義の前にある主な危険となる点で左翼が世界的レベルで弱すぎるからだ。1930年代のファシズム台頭は、ソ連邦の存在を背景に、また今日の急進左翼よりもはるかに強力だった共産主義運動を背景に起きた。同様に、第二次世界大戦に続く数十年に、米国への対抗力を提供したソ連邦の存在は、強力な共産主義運動、および左翼的な反植民地運動と並んで、今日あるものとは非常に異なった情勢をつくり出した。
したがって現在の極右の上げ潮は1930年代にあったような共産主義に対する車止め(あるいはそれに似ているかもしれないような何か)ではない。そして資本は冷戦の議論を置き換えるために反左翼の議論を探していない。むしろそれは主として、危機を背景にした資本主義自身内部の口論だ。
極右勢力はわれわれにとって生死に関わる敵であるがゆえに、われわれは左翼として明白に懸念している。しかしわれわれはもうひとつの歴史的形勢の中にいる。その上でわれわれは、いわゆる中道右翼が特定の国で、たとえば今日のフランスでのように左翼がより強力であればなお一層進んで、極右の議論の全部分を引き受ける、ということを認めてよい。
THE YOUTH FRONT(青年戦線)
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