ポルトガル 今日の左翼の主要課題
ケアの権利と権利に基づくケア
ホセ・ソエイロ
ホセ・ソエイロが、不平等と闘うための政治論争の中心にケアを置くことがなぜ重要かを、またケアを普遍的な社会的権利にし、集団的責任にすることがなぜ民主主義を要求することの目的でなければならないか、を分析している。
パンデミック
とケアの危機
パンデミック危機はケアを日程に載せた。公衆衛生の非常事態とわれわれの集団的生活の維持のために社会的に不可欠な職業を確認する義務が、ケアの中心性を前面に引き出した。しかし、「不可欠な職業」と「前線の労働者」に対する確認はまた、われわれが本当に依存している基本的な活動の多くがそれと認識されることが最低であり、ほとんどが過小評価され、さらにしばしばいかなる権利もない労働者に依存している活動だ、ということも明るみに出した。
ケアに対する注目の高まりはまた、この時期に高齢者ケア施設で目撃することになった冷酷な現実からの結果でもあった。つまり、2020年の欧州地域担当責任者の声明中にあるWHO(世界保健機構)の言葉を借りれば、「想像もできない人間的悲劇」だ。新型コロナウイルス感染の第1波における死のほぼ半分は老人ホームで起きた。現在の公式ケアモデルの欠陥、格差、不安定性がかつて以上に明白になった。
パンデミックはさらに、ケア労働における不平等をもさらけ出した。いくつかの職業グループが「ヒーロー」へと押し上げられた一方で(つまり医師や看護師)、等しく不可欠である他の者たちは相対的に不可視なままにとどめられた(清掃や自治体のごみ関係労働者)。これらのグループは、かれらの不安定さの条件とウイルスへの暴露が悪化するのを経験し(家内労働者、在宅医療労働者、宅配労働者)、あるいは公的な場に「公衆衛生問題」や「感染爆発」として現れた(不安定な居住条件を抱える移民として)。
いずれにしろ新型コロナウイルス感染は、いわゆる「再生産労働」の妥当性と不可欠性に関する民衆的認識を広げることになった。国連事務総長のアントニオ・グテレスは以下の所見を繰り返した。すなわち彼は2021年3月8日の公式メッセージで「正常な経済は不払いの女性労働に補助されていることがあってはじめて機能している」と警告した。そして「不払いのケアは、隔離の諸方策や学校と保育園の閉鎖のために、劇的に増大した」と強調した。
パンデミックの始まりから2年後EU委員会は、EUと各国の政策の中で投資分野を含めケアを優先するEUケア戦略を公表した。この進展の一部としてEU議会もまた、「ケアに関する共通EUアクションに向けて」という報告を採択した。
しかしながらわれわれが直面する問題は、新型コロナウイルス感染以前に到来している。今まで何年か、ILOを含む国際組織や学問的研究が、いくつかの要因の結果である「ケアの危機」について警告し続けてきた。その要因とは、高まる寿命と助けが必要な状況にある人びとの数の増大(必要なケアの量を増やしている)の組み合わせ、そしてそのケアすべてを提供できなくする、あるいはその意志をなくさせるような、家族とコミュニティの構造における形態変化だ。 客観的な理由(労働力市場への女性の大量参入と労働時間拡張)、さらに主観的な理由(個人の解放、新しい家族様式、そして平等への要求)から、このすべてのケアを全体的な家族の関係内での不払い労働が受け持つものとすることは、もはや実行可能なものではない(また望まれるものでもないだろう)。
これは、特にEU内で630万人と見積もられている労働者を含む、EU諸国内ケア専門職の非常な拡大を説明するのを助けている。しかしながら、助けが必要な人びとへのケアの過半は今なお、主に女性による巨大な量の不払い労働によって提供されている。そしてそれは、EU委員会の2021年の研究によれば、EU中の5千万人を超える非公式ケアラーが提供する「非公式ケア」という範疇下に分類されてきた。EU内でケアの80%は不払いのケアラーによって提供され、その75%は女性だ。
ケア組織化での
不平等の再生産
助けが必要な人びと(高齢者、慢性病の人、障がい者)へのケアの社会的組織化に関する研究は、いわゆる「ケアのダイアモンド」の四つの角を深く考える必要に光を当ててきた。ちなみに先の名称はシャーラ・ラザニ(国連社会開発研究所で研究コーディネーターとして活動)が提唱したもので、Ⅰとして全国と地方レベルの国家、Ⅱとして市場、Ⅲとしてコミュニティ、Ⅳとして家族の4つの角から構成されている。そして様々な国は、さまざまな「ケアの社会的組織化の様式」(ヘレナ・ヒラタ〈ブラジルの哲学者だが日本で生まれた〉の用語を借りれば)をもっている。それが、ケアのダイアモンドを構成するこれら4つの場と行為者の各々に相対的に異なった重みを与えている。つまり、家族の責任、国家の介入、あるいは「ケア市場」に特権を与える自由主義的モデルのどちらかを好む、というような違いだ。
比較研究は、福祉の組み合わせの制度的なさまざまな形の中にある、公衆衛生や社会的支援の普及における、また家族とコミュニティの役割における違いを浮き彫りにしてきた。EUの現実は、資金制度の様式、各国民国家が払っている財政努力、規制および利用できる便益とサービスのタイプ、付託や公的ケア政策利用のための基準、さらにこれらの政策が内包する普遍的かより選抜的かという性格、といった条件で極めて多様だ。しかしながら各国の中で、「ケアのダイアモンド」の各側面の組み合わせは、ケアの価値を社会的に、経済的に、また象徴的に低めるという共通のやり方と共存しているのだ。
同時にあらゆる国には、賃金がついた公式のケアと非公式の不払いケア双方で過剰に表現される女性という形で、ケア労働のはっきりした分割がある。いくつかの経済部門と社会部門では、雇用、賃金、年金におけるジェンダー不平等が露骨に再生産されている。
また公的政策を求める要求が高まり続け、EU議会の報告中に反映されている一方、いくつかの国では、ジェンダーと階級の不平等を悪化させるケアの再家族化に向かう移行もある。事実として公的政策は、時に公的システムの資金的弱体化を伴いつつ、「非公式ケアラー」にこの「任務」を引き受けるよう訴えている。
こうして不払い労働とコミュニティ構造と家族が、首尾一貫した公的諸政策およびそれに依存した人びとのためのケア提供に向けた真剣な公的投資の不在に対する、一種の埋め合わせとして現れている。
マルクス主義
フェミニズム
ケアに関する論争――今日あらゆる側からの政治的主張に現れている話題――は、左翼には、特にフェミニストの伝統では新しいものではない。事実その系譜は、マルクス主義フェミニストがその諸々の違った形とさまざまな理論的に鋭敏な感覚をとって、「再生産労働」との主題の下で1970年代以来行ってきた論争の中にも見出すことができる。
これらの論争の目的は、社会の再生産と資本の蓄積が依存している不払い労働の諸形態を明らかにすること(シルビア・フェデリチ〈イタリア出身の唯物論フェミニスト〉の仕事が好例)、そのような不払い労働の量を測定すること(1970年代にジーン・ガーディナー〈リーズ大学の社会学者〉が行ったように)、この仕事を糾弾しその本性を変えること、そして「生産の家内様式」および搾取のその特殊な形態を識別すること(この考察の当時における先駆者のひとりだったクリスティーヌ・デルフィ〈フランスのマルクス主義フェミニスト〉の用語を借りれば)だった。
労働についての幅広い観点をもつための左翼にとっての必要もまた、さまざまなマルクス主義フェミニストの中心的な論点だった。たとえば、労働という範疇に「暮らしの生産」(ヘレナ・ヒラタとフィリップ・ザリフィアン〈フランスの社会学者〉がつくり出した用語)すべてを包含するという提案があり、世界的な連鎖を通してケアを提供する移民労働に適切な注意を払う必要の強調があった。そしてその移民労働は、豊かな国と貧しい国の間の国際分業と支配の仕組みを再生産している。
ナンシー・フレイザー(米国の哲学者)は、また特に彼女の最新著作(2022年の『人食い資本主義』)で、しばしば「経済の外部」と見られているがしかし、「社会的再生産」として、あるいは望むなら「ケアの社会関係」として知られているものを含む、資本主義経済にとって絶対的に不可欠なプロセス、活動、また諸関係すべてに適切な重みを与えるような、資本主義の拡張された概念に対する必要を力説している。
へレナ・ヒラタとナディア・ギマランイス(ブラジルの社会学者)の類型論に綿密に従えば、これらには、Ⅰとしてケアが義務として現れる不払い家内労働、Ⅱとして家内サービスやあらゆる社会ケア専門職を含む職業としてのケアの市場形態、Ⅲとしてコミュニティ生活の互恵主義を基礎にした「助け合い」として概念化されたケアが含まれている。左翼が闘争と反資本主義的変革の戦略をもつべきだとするならば、われわれの主張と実践の領域双方で、左翼はケアに中心性を与えなければならない、ということはますますはっきりしているように見える。
ケアの権利を
左翼の要求に
ケアがひと組の具体的な諸政策や経済的変革の計画、また福祉国家の拡大へと移される可能性が生まれる以前であっても、ケアの中心性は、われわれの実践、公的政策、また民主的な諸選択の中心に連帯と相互依存性を置くことによって、新たな社会的想像力を表現する能力を巻き込むはずだ。換言すれば、われわれもまた、ケアに内包された解放を求めるある種の倫理から左翼政治を思い描かなければならない。
ケアはまた、より綱領的なレベルでも、平等を求める闘争の中で、つまりケアの現在の社会的組織化を変革し、ケアの商業的植民地化を阻止し、「健康産業」を中心に置く個人的対応と闘い、そして公共財としてのケアを軸に社会的な諸権利の新たな支柱を建設する計画を通して、ひとつの重要な分野でもあるのだ。
近年、「ケアの危機」とそれへの対応方法をめぐっていくつかのイニシアチブが登場してきた。2021年6月には、さまざまな大陸の100以上になるグループが「ケアの社会的組織化を再建するための世界運動」という基本文書を提案した。
その基礎になる基本的原則は以下の5つだ。
Ⅰ.「ケア労働(賃金のある、および不払いの)に対する社会的かつ経済的価値、およびケアに対する人権の認知」。
Ⅱ.「ケア労働に対する同一価値労働同一賃金に基づいた報酬供与、きちんとした労働条件および包括的な社会的保護の保証」。
Ⅲ.「女性にかかる不払い労働の重さの軽減」。
Ⅳ.「家族と国家間における労働の性差別的分割を排し、全労働者内部と家族内でケア労働を再配分すること」。
ⅴ.「女性の暮らしとジェンダー諸関係を変革するケアシステムを発展させ、公的なケアサービスを提供する国家の一次的責任と義務」を再確認し、「ケアサービスの公的な性格を取り戻すこと」。
社会運動、労組、また諸組織の世界的連合を下支えするこれら5つの目標は、EU内のケアシステムを再考するに当たっての行動と共通の土台に向け良好な足場を提供している。
労働組合運動と左翼の諸政党は、これらケア部門(社会的支援、在宅医療、家内サービス、またそれだけではなく清掃、個人的支援、その他)の労働者すべての組織、およびかれらの闘争に適切な重要性を与えなければならない。そして後者は、より大きな社会的認知を求め、まともな賃金、安定した契約、またEU内でケアの多くを提供している移民全員の正規化を求める闘いの双方だ。
事実、職業的ケア部門は、この部門にもまた労働のウーバー化が提起する挑戦課題、およびこれらの類型のいくつかにおける労組の弱さに加え、平均より相当に低い賃金、臨時的かつパートタイムの労働、労働者の燃え尽きに導く条件の押しつけ、安全な条件の欠如、労働者の高い転職率を特質にしている。
いくつかの諸国では、左翼とフェミニストとケアラーの運動が、この論争を労働時間の削減、家族とコミュニティの関係のフェミニズム的変革、そして「国家ケアサービス」の創出と接合する必要をも力説してきた。ちなみにこの「国家ケアサービス」は、たとえば、いくつかのEU諸国で第二次世界大戦後に、またポルトガルでは1974年革命後に「国家医療サービス」として行われたものを、この分野で複製するものだ。
基本的にそれは、「ケアの権利」と「権利に基づくケア」を守る問題だ。われわれには、これは今日の左翼にとって中心的設定課題であるように思われる。
▼筆者は左翼ブロックの国会議員。(「インターナショナルビューポイント」2023年4月5日)
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