キルギスタン「民主主義の島」にしのびよる影

中立を言明した政府が強化する
ロシア人反政府派への締めつけ

カミラ・エシャリエヴァ

 中立とみなされているキルギスタンから、ロシア人反政府派活動家が追放で脅されている。
 ユリア・クレショフとイリア・クレショフは、ウクライナ侵略直後の昨春キルギスタンに居を移した最初のロシア市民の中にいた。このカップルは過去サンクト・ペテルブルグで公然と活動してきた――ユリアは性暴力の犠牲者を助ける財団を運営し、他方イリアは都市の改善運動に関わっていた――。しかしかれらはもはやロシアで暮らすことも働くことも求めていない。
 「われわれは中央アジアについて何も知らない、しかしわれわれは本当にこの地を訪れたかった。われわれは、キルギスタンは『民主主義の島』だと知らされ、それゆえそこへ行く必要ががある、と決断した」とユリアは振り返った。かれらはまた、ジョージアのような他の諸国へのロシア人流入がある種の緊張の原因になった、ということも分かっていた。

民主主義の後退が進行する中で

 キルギスタンは、ウクライナでのロシアの戦争に関し公式には中立の立場をとっている――大統領のサディル・ジャパロフが侵略の2週間後に語ったように――。部分動員というクレムリンの昨秋公表後、ジャパロフは、キルギスタン内のロシア人は本国への送還を恐れる必要はない、とも語った。彼は「われわれは〔新たに到着したロシア市民から〕何の害も見ていない。われわれが見ているのは逆に多くの利点だ」と語ったのだ。
 キルギスタンは、広くロシア語が話され、住宅は相対的に高価ではなく、外国の市民にとって登録システムは単純であるため、キルギスタンは部分的に魅力がある。この国は一定のロシア人にとって、他のところに移動する前の一時的な拠点だ。他の者にとってそれはかれらの第二の故国になっている。
 クレショフ夫妻――政治と文化のイベントのためのかれら自身の場を確保することを長い間夢見てきた――はキルギスの首都であるビシュケクに到着後、この都市の南部にある大きな三階建て住宅を借りた。かれらは1階に「赤い屋根」と名付けた(建物の赤いタイルにちなんで)集会場を、そして上階には共同の生活空間をつくり出した。
 赤い屋根はすぐさま重要な中心軸になった。ロシアからの新規到着者は、キルギスタンでの生活に溶け込む助けを見出した。他方現地の人びとはこのニューカマーたちと友達になった。人びとはキルギスの文化を学び、音楽の夕べや上級クラスを開催し、ロシアの政治犯に手紙を書き、侵略から降りかかることを討論するためにやってきた。
 ロシア人活動家向け再配置計画の助けを得てモスクワからビシュケクに移動したアントン・バクラネフは「私は、私と同じ立場にある人びとと、また接触と語り合いを熱望していた当地の人々と、相互に語り合う機会を十分に得た」と語った。彼はビシュケクでの最初の数ヵ月困難を感じていた――彼はこの街に知人をまったくもっていなかった――が、赤い屋根はまもなく「安らぎを感じられる」場となった。
 しかし赤い屋根は3月23日、法執行官からの圧力のためにここは閉鎖される、と突然通知した。クレショフ夫妻が気づいたように、キルギスタンは自身の民主主義が後退する渦中にあるのだ。

ロシア人が直面する拘留と警告

 2023年2月24日(ロシアによるウクライナ全面侵略の1周年)夜、ユリアとイリアを含むロシア人とキルギス人の住民たちは、ビシュケクのひとつの街頭に黄色と青のリボンを吊した。かれらは侵略の犠牲者を悼んで翌日の朝公園に花を置くことを計画した。
 ユリアの話しでは、かれらは到着するいなや公園職員と主張した男たちに囲まれた。しかしこの者たちはその後、国家公安キルギスタン国家委員会(GKNB)の身分証を提示した。ユリアによれば、彼らは説明なしにこの集団を拘留し、携帯電話を没収し、「民族的憎悪扇動」という刑事訴追で脅した。
 この警察の姿勢は、活動家たちの弁護士が到着してようやく変わった。この拘留者たちは、「ロシアとウクライナ間の紛争にキルギスタンを引き込むことを狙った挑発を阻止することに関する会話」とこの事件を表現する警察に基づいて、この国での「滞在条件違反」を理由とする罰金措置を受けた。
 2、3日後、警察は赤い屋根センターで暮らしている数人のロシア人を拘留した。ユリアの話しでは、かれらは「もうひとつの違反があれば全員がキルギスタンから追放されることになる」と警告を受けた。
 警官たちは、この共同体各員に関して「書類綴り」を確保していること、さらに個人データや写真を含む綴りを作成したことも認めた。
 「かれらがこれ(情報)を長い間集め続けてきたことが分かった。私と私の娘の写真がついた綴りまであった」とユリアは語った。赤い屋根は監視下に置かれていた、と彼女は信じている――彼女は、この家の外に立ち、出入りする人の写真を撮っている男たちに何度も気がついた――。
 警察はまた、政治犯、フェミニズム、LGBT問題を含んだ「ホットな話題」を扱うことも禁じた。そして、この街の国際女性デーの抗議行動に参加すればユリアはキルギスタンから追放されることになろうと警告、3月8日に開始会場に行くことだけを渋々認めた。
 ユリアは、彼女と彼女の夫は「見放された状態」にあり、次に何をすべきか分からない、と話した。イリアはいくつかの都市改善運動に関わり、他方ユリアは、ビシュケクの中央アジアアメリカ大学で修士論文を執筆中だ。彼女は「われわれが重要で関心があると考えることを行い続ければいつでも追放される可能性がある」と語った。
 クレショヴァは「あらゆることが違反とみなされ得る。私はウクライナでの戦争を理由に痛みを感じたとしても沈黙を守らなければならない。そうしなければ、私は民族的憎悪を扇動していることになる」「しかし私には、こうした条件下でここにとどまる理由はない。わたしはすでにロシア内でそのような体制下で暮らしてきた。それが何に導き得るかをわれわれは知っている」と説明した。
 「オープンデモクラシー」はキルギスタンの人権議会オンブスマンに接触したが、回答が返ってこなかった。

反戦抗議行動への弾圧の具体化
 全体的な権威主義の地域における「民主主義の島」というキルギスタンの評判は、過去20年にわたる腐敗した独裁支配に反抗した不変の大衆的抗議行動によって支えられてきた。国家の公職者に対する公然とした批判のこの強い鉱脈は、しばしば権力の蓄積に対する監視として見られてきた。確かに現大統領のジャパロフは、この国の2020年の選挙結果に関して勃発した抗議を受けて権力に到達した――野党の政治家は混乱の中で刑務所から解放された――。
 それでもこの3年について、米国の非営利シンクタンクのフリーダム・ハウスによる報告はキルギスタンを、以前の「部分的に自由な国」という類型に換えて、「自由でない」にランク付けしている。
 たとえば昨年10月2ダース以上の活動家と政治家が、多くの争いがあった貯水池を隣国のウズベキスタンに移すというキルギス政府の決定にかれらが反対した後逮捕された。多くは今も刑務所にとどめられ、「大衆的暴動の組織化を策動」という起訴に直面している。
 その後わずかして、キルギスタン文化省は、この国におけるニュースと評論からなる指導的な情報源であるラジオ・アザッティク(米国資本のラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオ・リバティのキルギス局)のウェブサイトを遮断した。その後ビシュケクの裁判所はこの決定を支持し、この遮断を違法と認めることを拒否した。
 11月には、傑出した調査ジャーナリストのボロト・テミロフが、GKNB長官のカムチベク・タシエフの親類による腐敗とされたことへの調査を発表した後この国から追放された。後者は、彼の家族に対する主張を否認した。
 ロシアの9月の動員後にビシュケクに到着したロシア人活動家のラウシャン・ヴァリウリンは、平和的な抗議行動――本国で彼が馴染んでいたもので、彼はそこでタタルスタンの歴史教員としての彼の仕事と反政府活動とを組み合わせた――に対するこの弾圧を個人的に経験した。
 彼は、2013年のモスクワ市長をめざすロシア反体制派指導者のアレクセイ・ナバルヌイのキャンペーンに自発的に参加し、2018年のひどく不人気だった年金改革に反対し、諸抗議行動への参加を理由に一度ならず拘留されたことがある。彼は、ウクライナ侵略後に最終的にロシアを離れると決めた時、反権威主義との世評を理由にキルギスタンを選んだ。
 ヴァリウリンは「われわれがひとつの国を選ぼうとしていた時、われわれはキルギスタンの前に大きなエクスクラメーションマークをつけた」「私には、この国がこの地域で最も民主的な国に見えた。民衆は横柄な支配者をそれにふさわしい場にいかに置くかを分かっている。私はそれに引きつけられた」と語る。
 今年1月21日、ナバルヌイと他のロシア政治犯を支持する集会が世界中の数十の都市で行われた。ヴァリウリンと彼の家族を含む30人以上が、ビシュケク中心部のランドマークであるキルギスタン交響楽団ビル近くに集まった。
 他の都市ではデモ参加者がプラカードや横断幕を掲げたが、キルギスタンの新たなロシア人移住者にそれは不可能だった。警察によって、キルギスの市民だけが集会参加を許可された。
 ヴァリウリンは、警官が彼のグループに近寄り、何も唱和していなかったにもかかわらず、他の場所に移動するようかれらに求めた、と語った。彼らがそうした――ビシュケクのゴーリキー広場へと――時、警察はかれらにキルギス人かどうかを尋ねた後、解散するよう告げた。ヴァリウリンは「あなたたちはロシア人である以上、ここに出てくる資格は全くない、と彼らは語った」と説明した。

ロシアの侵略反対敵視は明確
 市当局は1年以上の間、ロシア大使館近くを含め、ビシュケク中心部にある一定数の地点での集会や抗議行動を禁止――人権活動家たちによれば、キルギスタン憲法に違反する動き――してきた。
 キルギスの人権擁護活動家のディナラ・オシュラフノヴァは「オープンデモクラシー」に次のように語った。つまり「戦争開始後キルギスタンは中立の立場を宣言した。次いで当局は、ウクライナで起きつつあったことに抗議したいと思った市民――キルギスタンと他の国々の――の活動を制限し始めた。市民たちに敵対する行政的な訴訟手続きと罰金がいくつか現れた」と。
 オシュラフノヴァは、ロシアの戦争に反対して公然と発言するあらゆる活動家には――その市民権には関わらず――危険があると確信している。「ロシア支持の集会は〔当局によって〕放置されてきた。それらに参加する者たちに敵対する方策は何も取られていない」、彼女はこう付け加えた。
 事実はオシュラフノヴァの主張を支えているように見える。昨春の侵攻後まもなく、ビシュケクでロシアの侵攻に反対するいくつかの集会が行われた。すべては同じ形で――活動家の拘留で――終わった。しかしこうしたことは、公式の許可を取らずに進行したコンサートも含め、ロシアとの連帯として開催された集会では起こらなかったのだ。
 オシュラフノヴァは「以前法執行官がロシア人〔キルギスタン内の〕を調べていなかったとしても、今はそうではない」と語った。ビシュケク警察長官のアザマト・ノゴイバイエフは、ビシュケクでデモが禁止されたことはない――そして抗議行動がほんのわずかしかないという事実はこの国にいわば「安定」があることを意味している――と語ってきた。ノゴイバイエフは3月31日現地メディアに「抗議行動は止まっていない。われわれはそれを開催できる場所を制限しているだけだ。それは街の住民には不便だ。住民は、特に中心部で暮らし働いている者たちは不平を言っている」と語った。

▼筆者はキルギス人ジャーナリスト。ジェンダーを理由とした暴力やインターネット漁りからもっと幅広い論争や環境まで、さまざまな課題について報じてきた。(「インターナショナルビューポイント」2023年4月15日) 

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