米国/インド:レイシストの公式訪米
モディを国賓待遇した二重基準
よろめく民主主義を映し出す
マリク・ミオー
インド首相のナレンドラ・モディが、驚きの国家的訪問として、6月21日公式訪米と夕食会のためにワシントンDCに到着した。彼は、ジョー・バイデン大統領によって2020年の選出以後にそのような国賓待遇を受けたただひとりの第三世界の指導者だった。
公式儀礼の場
最大限に利用
台本なしの出会いを避けようと努め、彼の国では報道の自由の着実な後退を取り仕切ってきたモディは、単独の記者会見を行ったことは一度もなく、しばしば彼と共に居合わせる他の者に回答を譲ることで、質問を回避している。
バイデンとモディは同じふたつの質問に各々回答した。ひとつは、インド人ジャーナリストからのもので、気候変動についてモディが質問された。他はウォール・ストリート・ジャーナルのレポーターからのものであり、その記者は人権の懸念についてモディに迫った。それは、2014年に彼が権力の座について以後では、記者会見でひとつの質問をうまくさばいた初めてのことだった。
バイデンは、米国は下院で大きな気候変動計画を通過させたと語ったが、インドの人権状況についての質問は無視した。
この記者会見は、国家的訪問の一部として通常行われるものと比べ、規模を縮小した催しだった。そのようなものでも、モディの顧問団は、この考えに心踊るどころではなかった。政府の職員はモディのチームに、メディアから質問を受けることはホワイトハウスへの国家的訪問の場合基準的な儀礼だ、と助言した。
モディは、この盛大さと環境を、バイデンの外交政策とその目標にいかなる譲歩も与えることなしに、インドの世界的威厳を強化するために全面的に利用した。両者に対する普通ではない記者会見で、モディは、ウクライナのような課題に関する彼自身の立場(中立と交渉の支持)を再確認し、米国の「ルールに基づく民主主義」を支持しないことで、インドに対するバイデンの腰の低さを歓迎した。そして彼は、インドは民族的マイノリティあるいはカーストのマイノリティを差別しない「民主主義」だ、と不誠実な主張を行った。
モディを支える
思想的背骨とは
およそ20年前モディは、彼が首相だったグジャラート州での彼の反ムスリム大虐殺を理由に、米国に入国するビザを否認された。その入国禁止は、彼の党であるBJP(インド人民党)が議会を支配した2014年になってはじめて解かれた。
BJPの右翼諸政策は、ヒンドゥー民族主義イデオロギーであるヒンドゥートヴァにしっかり張り付いている。そこには、1925年に形成されたRSS(民族義勇軍)に対する密接なイデオロギー的、かつ組織的なむすびつきがある。
RSSは世俗主義を拒否し、それを外国の、西欧の概念だと主張している。その当初の目的は、ヒンドゥーコミュニティを統一しヒンドゥー民族を確立する目的で、徳性訓練を提供し、「ヒンドゥーの戒律」を染み込ませることだった。それは、イタリアのムッソリーニのファシスト党のような欧州のファシズム運動と自己を一体視した。
RSSは、ヒンドゥーコミュニティを「強化し」、インドの文化とその文明的価値を維持するという理想を推し進めるために、ヒンドゥートヴァのイデオロギーを広めようとした。ヒンドゥートヴァは、宗教に関わりなく全インド人に拡張される〔「拡張の意味は? 支配するということか?:マリク・ミオー」〕文化的な民族主義だ。
中国封じ込め
への誘い込み
バイデン政府はこの歴史と現在の現実を無視した。その焦点は、インドを中国を抑制する米国・インド・太平洋のテーブルに着かせることだ。
インド(現在世界で最も人口の多い国)と中国は何十年も国境紛争を抱えていて、経済的な競争相手でもある。しかし両国ともロシアとは固いつながりを保持している。またロシアは、2023年現在インドに対する最大の石油供給国であり、軍備品の主要な供給元でもある。
この両巨人はBRICs(ブラジル、インド、ロシア、中国からなる新興経済国)メンバーであり、米国と西側の帝国主義的な金融・貿易支配を迂回する道を探っているグローバルサウスの諸政策を支持している。
モディは、特にロシアと中国に向けた世界政策を変える意図は全くないことをはっきりさせた。しかしながらインドはそれ以前に、ファーウェイとティクトクを禁止していた。モディは、台湾に関する攻撃的な米国の政策を支持していない。そして事実として、台湾とは公式関係をまったくもっていない。
バイデンは、国家的訪問の中では普通の経済的な取引をいくつか公表した。GEがインド企業にそのテクノロジーを渡すことに初めて同意したからには、これはモディにとって大きな得点だった。それは、米国のテクノロジーを「盗んでいる」として米国が中国企業を標的にしている中で起きている。それでも下院はこの取引を承認するに違いない。
モディとは
何者なのか
ハーバード大学の歴史学教授でインド系米国人のマヤ・ジャサノフによる、ニューヨークタイムス6月22日付けに書かれた評論の中で、モディ政府は選挙専制と表現された。そこでは、最上位1%が保有する富が、縁故資本主義のおかげで40・5%に達している。その中で、基本的な食料価格と失業が上昇している。
モディは、インドの官僚的国家を腐食させてきた官僚的形式主義と腐敗のどちらも容赦しないビジネスに優しい「改革者」との評判をつくりあげてきた。しかし、モディの本当の顔を明らかにするのは、グジャラートにおける2002年の反ムスリム大虐殺であり、彼の党の役割だ。その時彼は党を代表する首相だったのだ。
BJP支持者とRSSの追随者によって明確に組織された暴力的な暴動は、1000人以上のムスリムの死、女性と少女の大量レイプ、さらに15万人を超える追い立て、住宅とモスクの破壊に導いた。暴動に導いたものは列車に乗っていたヒンドゥー巡礼者の死だが、それはその後事故と判定された。それでもモディは、ムスリムにテロリストの罪を着せた。
英国政府の調査は、その中で暴力が起きた「免責の空気」に対しモディに「直接の責任がある」としていた。
BJPは2004年の州選挙で権力から追い落とされたとはいえ、彼も党も説明責任を果たさなかった。
今日モディは、世界で最も人口の多い国で、二度選出された首相だ。彼は、この国の80%になるヒンドゥー住民から広大な支持を得ている。
彼の政府は、ムスリムを不利にする市民権法への変更を含んで、ムスリムを標的にする法や政策を実効化してきた。彼の政府は、インドとパキスタンが争っているムスリム多数地域のカシミールに対し特別な地位を取り消した。新しい秩序が押しつけられた2019年8月、モディはより多くのヒンドゥーがそこに移住するよう圧力をかけた。
しかし、インド内で脅威の下にあるのはムスリムだけと考えれば間違いになるだろう。モディは非ヒンドゥーの他の者の権利をも攻撃してきたのだ。彼の政府は、恥ずべき反テロ諸法の下で反体制的な人びとを抑え込むために非常時権力を利用してきた。
モディの支持者は、インドが力づくのヒンドゥー中心の支配の8年を経てその絶頂に達しようとしているのは偶然ではない、と力説する。モディはほぼ確実に、2024年に再び権力に立候補するだろう。彼が勝利し3期目に就くならば、彼は、インドの初代首相のジャワハルラル・ネルーと彼の娘のインディラ・ガンディー以来最長の首相在任になるだろう(世俗的で民主的で多民族のインドに向け青写真を整えたのはネルーだった)。
モディは外交
で勝利得たが
バイデン・モディ記者会見の間、抗議行動参加者の唱和が聞こえた可能性はあるが、両者ともそれらを無視した。モディは、インドに差別はない、民主主義はインドのDNAの中にある、と力説した。「差別に向けた空間はひとつもない」と彼は主張したが、それは、彼の中傷者にはニュースだったに違いない。
下院の最も著名なふたりのムスリム議員、パレスチナ系米国人のデトロイトのラシダ・トライブ、そしてソマリアからの難民でミネソタのイルハン・オマルは、下院でのモディの演説と国家主催夕食会への出席を拒絶した。ミズーリのコリ・ブッシュ、ニューヨークのアレクサンドラ・オカシオ・コルテスとジャマール・ボウマンも下院でのモディ演説をボイコットした。
ジャサノフはニューヨークタイムスの分析で、米国とインドが直面している問題を次のように比較した。「類似するものはたくさんある。世間とかけ離れているエリート、広がるばかりの不平等、簡単に動員される民族的不満、歪められた情報の光景、といったことだ。比べるべき特にまじめになるべきひとつの領域は、かつては独立していた司法の回復力――あるいはそれについての欠落――だ」「米国同様、インドは信じられないような才能と潜在力をもつ非常に多様な多元的な民主主義の国だ。そして、原理的には、福利に向けこれらの国民を統一するものが多くある。しかし、よろめくひとつの民主主義の大統領がよろよろ歩くもうひとつに熱を入れる首相と手を取り合う中では、世界の自由という構想は1歩崩壊に近づくように見える」と。(「アゲンスト・ザ・アレント」より)
▼筆者は退職航空整備士で労組とアンティレイシスト活動家。「アゲンスト・ザ・アレント」誌編集顧問。(「インターナショナルビューポイント」2023年6月28日)
THE YOUTH FRONT(青年戦線)
・購読料 1部400円+郵送料
・申込先 新時代社 東京都渋谷区初台1-50-4-103
TEL 03-3372-9401/FAX 03-3372-9402
振替口座 00290─6─64430 青年戦線代と明記してください。