エクアドル 資本主義の発展背負う関係を先住民はもはや受け入れない

民族の現場で先住民と共に結集する運動をめざす

レオニダス・イツァ

 ラテンアメリカでは先住民の闘いが社会運動で極めて重要な位置を占めている。おそらく今後の世界の変革を考える上でもその運動には重要な示唆があると思われる。以下では、エクアドルの政治に常に大きな影響を与えてきた先住民運動の指導的活動家が、先住民が何を求めどう闘いを進めようとしているかを語っている。少し時間が経っているが、今後のラテンアメリカの動向にも関わる内容であり紹介する。(「かけはし」編集部)

 レオニダス・イツァはCONAIE(エクアドル先住諸民族連合)の一員であり、今新たな彼の著作(『エクアドルにおける10月の反乱』―『エスタリド』)を世に問うているところだ。彼は、この著作とエクアドルの現情勢について、マウリーン・ゼラヤ・パレデスからインタビューを受けた。
 エクアドルは不安定かつ緊張した空気の中で新政権を選ぶための8月20日の選挙を前にしている(大統領選はこの日に決着せず、左右の候補者間での決選投票が10月に行われる:訳者)。同日には、最大の生物圏保護区のひとつであるヤスニの石油採掘に関する重要な国民投票も呼び掛けられた。このシナリオの真ん中で、エクアドル内社会運動の主要な運動としてCONAIEの中心性が、2019年10月の社会的爆発以来に新たにされた威信を伴って維持されてきた。
 レオニダス・イツァが率いるCONAIE代表団は7月、先住民衆の闘いについて、また先住民衆運動として一定レベルの協力を維持している他の小規模農民、環境保護活動家、さらに性的に多様な諸グループの闘い、およびヤスニのための「イエス」キャンペーン(ヤスニに埋蔵されている石油をそのまま地下にとどめることへの賛否を問う前記国民投票における「イエス」の運動、このキャンペーンは成功した:訳者)と今回のイツァが書いた著作について話すために欧州を旅した。

闘いの現場から未来に向け提起


――あなたは中でも、2019年10月……の経験を検討している著作の紹介のため旅の途上にある。この本はわれわれに何を提供しますか?

 われわれは、2019年に起きたことについて、論争に向け政治的かつイデオロギー的に理論的・学術的体系化を明確にさせてきた。社会闘争について正規なものとして語られるものは、学術的な中立性から行われている。そしてそれこそが、闘いを築き上げている主体の側からそれを語ることが重要、とわれわれが信じる理由だ。それが『エスタリド』が行っていることだ。われわれは、政治的主体から、闘う主体から、闘いを維持している主体から、「内側から書こうとしている」と語ってきた。そしてそれは、われわれが確保しているものを基礎として、情勢全体を国際レベルでのもっと幅広い論争にもってゆくことをわれわれに可能とするようにして、エクアドルの経済的、社会的、政治的情勢を問題にすることだ。
 しかしわれわれは、学術的で理論的な精神に基づいて、その現実を分析だけにとどめずに変革もしたい。われわれはそれを、大陸レベルの他の闘争への貢献とすることも熱望している。われわれは、世界レベルでの思想の生成を尊重しなければならない。しかし私は、先住民の思想は先住民のためだけにとどめられてはならず、世界レベルで団結できる諸潮流を探し、常に政治的自律性、思想の自律性、組織の自律性を維持しつつ、諸勢力の相関関係を見定め、さらに世界レベルでひとつの潮流としっかり結びつく可能性までも確保しなければならない、と主張する。
 「われわれは先住民であり右でも左でもない」と語る仲間がいる。そして政治的決定を行う時が到来する場合、かれらは誰とでも進む。しかしそれは私には正しくないと思える。
 われわれはわれわれがいる位置から見なければならず、世界的に誰としっかりつながっているかを知らなければならない。私は左翼の陣営に信をおいている。そしてもちろん左翼の陣営は多様であり、数え切れない潮流がある。しかしわれわれは、世界レベルの民衆の現場で共に結集するために、批判的な学者と、労組、労働者、環境保護活動家、エコロジスト、さらにそれ自身の思想を創造している先住民運動と共に結集するために努力しなければならない。『エスタリド』という本は、実践から闘いをじっくり見ているが、また前に向かう思考にも力を与えている。

運動の力が政治を左右している


――8月20日には、エクアドルでは選挙が予定されている。選挙を前にした政治的、社会的全体構図はどんなものですか? 街頭には、社会運動にはどんな受け取りがありますか?

 8月20日は、危機のではなく、政治の一時期の変化を印すだろう。われわれはエクアドル民衆の決定がどうなるかは分からない。しかしそれは最終的に、われわれが政治的諸条件について明確になることを可能にするだろう。
 街頭の力、諸組織の強さがこの政治的な一時期を決定した。2019年と2022年の闘争が起きていなかったとすれば、ラッソ(辞任を迫られた現大統領:訳者)による議会解散はまず起きなかったと思われる。それは、ラッソそれ自身の意志からではなく、エクアドルの民衆運動の街頭における圧力を理由にここまで到達したのだ。
 この政治的な局面で、国会は解散された。しかし共和国大統領もまた解任され、政府は今布告で統治している。当座、政府はすべてのことを定めているが、次の議会がそれの実行を迫られ、また民主主義に反するすべての決定、憲法を利用する独裁的な決定を投げ捨てなければならない。
 したがって、選挙から現れる政治的変化は、到来する政権次第となり、その正統性は、われわれの要求をそれが受け入れる程度にしたがって、あるいはそれがわれわれに対して定める位置の程度にしたがって与えられるだろう。そこで、先住民運動と全体としての民衆運動は、依然として政府の計画に関し極めて注意深くなろうとしているのだ。
 レッドラインになる問題が諸々ある。そこでわれわれに屈服の意志はない。先住民衆にとって、民衆諸層にとって、局面は全エクアドルのレベルで統一する能力によって定められるだろう。

石油依存経済と私有化はノーだ


――それらのレッドラインとは何ですか? 8月20日に現れる政府、および政治局面のその変化で予想されることは何ですか?

 選挙結果については、われわれは推定しようとは思わない。われわれは、そこで起きるシナリオを、またその結果で起きる諸条件を待つつもりだ。しかしわれわれの場合、3つのものごとははっきりしている。第1はわれわれの綱領の位置を確認することだ。先住民運動として、また民衆部分としてわれわれが保持している政治的構想は周知の事実であり、われわれはそれを支え、到来する政権に対しそれを擁護するつもりだ。
 第2に、生まれる政権が右であれ左であれ、われわれはわれわれが受け容れるつもりはないレッドラインを守るだろう。われわれはこれまで、レッドラインであるものについて、われわれの基盤から、われわれの人民からひとつの応答を得てきている。
 過去50年、経済は石油に依存してきた。そして今もくろまれていることは、その依存を大規模採掘で置き換えることだ。われわれはそれを受け容れるつもりはない。そしてわれわれは、その領域に据えられた組織的能力を保持している。つまりわれわれは大規模採掘に向かうことはできない。規制される必要があり、またもっと良好な条件が保証される必要がある手工業的採掘がある。しかし大規模採掘はノーだ。そして今後の政権はこれをわきまえなければならない。
 われわれは、金の袋に座ったまま貧しさを続けてはならないと政治家が語るのを聞いてきた。しかし問題は、われわれにとっての金の袋とは生態的諸条件の均衡、ということだ。なぜならば、採掘の場合金の袋とは何になるのだろうか? それは山なのだ! しかしその山は、われわれに飲み水、また農業システムを維持し続ける環境的諸条件を授けている。エクアドル人が消費する70%は、これらの生態的環境的諸条件に依存している。
 われわれが言ってきたもうひとつのレッドラインは、雇用の柔軟性に関係している。われわれはそこで労働者や労組と団結した。超えられてはならない3番目のレッドラインは、私有化の方向で進むことだ。むしろ行われなければならないことは、公共性のある戦略的な部門の生産能力に再度力を与え、それを強化することだ。
 14の戦略的な公的企業に対する評価が行われてきた。そして130億ドルの生産を指し示している。こうしてわれわれは、公的なものの私的利用に向け私的な権利を与えることはわれわれが譲ってはならないレッドラインだ、と決意してよい。
 そしてもうひとつのレッドラインは、進歩は、2022年の闘争で未解決にされたままの、また先住民衆の闘争に導いた10項目と関係する側面である諸項目に基づく綱領的で結果を重視する課題設定の中で、即時に行われなければならない、ということだ。
 したがって一方でわれわれは幅広い大きな政治的構想をもっている。他方でこれらの点はレッドラインであると同時に、2019年と2022年の全国ストライキで掲げられた要求の、具体的な形での実行なのだ。

2022年闘争の合意実行へ


――2022年の全国ストライキに関し、諸々の結果に関しどんな評価が行われてきましたか?

 エクアドル中でまた国際的に知られたように、いくつかの公的な項目から交渉が行われた。かれらは、われわれが欲したことのすべてはラッソの退陣であり、それが唯一の意図だ、と言うことで、われわれへの政治的圧力をつくり出そうとした。われわれは18日にわたる闘いを維持した時、「われわれはラッソを除くために来たのではない」、しかし彼が自身の重みで倒れるのならば、その理由は、われわれの要求を満たすために彼がわれわれの声を聞かず、理解せず、そしてその政治的意志をもたないからだ、ということをはっきり見せつけた。
 しかし目標は、諸々の補助金問題を解決するための10項目だった。エクアドルでは補助金類が全体的政策であり、そこでわれわれは燃料に焦点を絞らなければならない、と言っている。われわれは、エクアドルの自由化された経済部門が全般的補助金を最大に利用している、と確認した。それゆえわれわれは中央政府に、自由市場を選好する部門が最大の利益を受けることがないようにするために、8点の補足項目を提案した。それらが真に自由市場に信を置くのであれば、その時それらはそのルールに従って生産しなければならず、補助金から利益を得てはならないのだ。われわれは、中でもマグロ船、産業化された漁業、エビ部門のような補助金なしに生産すべき部門に12億ドルも向けられている、と示している。
 われわれはまた、民衆の経済的軽減を、基本的必需品価格の統制を、それらの生産に関する投機は許されないこと、そして小規模農民向けの生産性発展政策が保障されるべきことも求めた。
 われわれはさらに、主には鉱業の採掘へのノーとなる、命の防衛を交渉のテーブルに載せた。われわれは、あらゆる国家的計画の中での、また政府のさまざまな出先との協力の中での、先住民の21の集団的権利の実行を求めた。それらは、公衆衛生、教育、また安全の欠如に関係している。これらは、同じ中央政府の報告によれば、われわれが適切に218の合意に達した問題なのだ。
 それらは手続き的合意で、多民族的国家の建設の可能性に向かう進歩を可能にした全体的合意だったが、政府はそのうちの10%だけ手続きの面でしたがった。残りはそこにとどまっていた。それこそが、それらが2019年と2022年の全国ストライキの闘争後に解決されてこなかったがゆえに、今回われわれにとって、政府に関するこれらの要求の新たな絡み合いの中で確保の可能性を得ることが決定的に重要になっている理由だ。

命を守るためにヤスニを守る

――「ヤスニにイエス」キャンペーンは、その私的利用拒絶の中で何を守っているのですか? この国民投票が敗北した場合、その領域に住んでいる住民にとって何を意味することになるのだろうか?

 住民には、一般論的にわれわれがヤスニ国民投票で開発反対を維持し続けていると考える傾向がある。しかしそれはまったく違う。われわれにはヤスニを守る理由と主張があり、われわれは、ヤスニを守ることは命を守ることだ、と言っている。
 第1に、ユネスコはそれを、世界でも最も生物多様性に富んだ地域の一つと言明した。これは、地球の氷期に今アマゾン低地であるすべてが凍り付かなかった地域だったこと、それ故の国立公園の途方もない多様性、が理由だ。ちなみにこの公園は、それ以前に先住民衆の聖域だった。
 量的質的意味でこの領域が抱える世界レベルの種の抱え込み能力について一つの着想を得るためだが、ヤスニの1ヘクタールだけでも、北米の全体が抱える両生類、は虫類、脊椎動物、無脊椎動物、植物、大小の動物などからなる多様性を抱えている、と言って良い。しかし、人間が石油の圧力をつくり出せばどうなるだろうか? それは生態的不均衡を引き起こすだろう。
 それこそが、石油採掘に換えて、科学的な旅行が発展させられてよいとわれわれが提案する理由だ。その理由は、ジャングルを研究することは人間が抱える多くの疾病への回答を、アマゾン低地で発見され得る回答を与える可能性も考えられるからだ。また、マザーアースの均衡を尊重しつつ経済的回復にも余地を与える環境的観光の推進も考えられる。
 第2の強調は、ヤスニ保護区と国立公園には、自発的な孤立化の中で、タガレイとタロマナネという、ふたつの民衆が住んでいるということだ。石油企業が力を、またこの領域の中で支配権を得続けてきたことを理由に、すでに2003年、2006年、2013年に大虐殺があった。そして私的利用が生み出した圧力が人びとの領域を自発的孤立化に換えた。孤立と均衡が壊された時、すべての最後は大虐殺になった。これらの人びとにとってそれは世界と関係する強制された方法であり、圧力が生み出され続けるならば、ただもっと多くの殺害にしかならないだろう。したがって、かれらがそこにいる住民のこうしたジェノサイドを止めることが要求になる。
 そして第3の強調点は、他の地域で採掘が原因の発展があったとしても、石油企業は50年で先住民に何を残したのか、ということだ。唯一、汚染された領域、汚染された水、糖尿病やガンを抱えた仲間たち、そして汚染されたために生産が行われない土壌だけだ。われわれ先住民がエクアドルが必要とする発展を担い続けることなどあってはならないのだ。
 石油採掘の50年は、先住民衆に持続可能な経済を残してこなかった。石油が採掘されたならば、われわれは、あらゆる先住民族の新たな世代が生き続ける未来と持続可能な経済を確保する、などと言われてはならないのだ。こんなことは起きたことがない。起きてきたことは、領域が破壊された、ということだ。それゆえ上記3点の主張は、われわれにとってとてつもなく強いもので、それこそがわれわれが命にイエスを、ヤスニにイエスを言っている理由だ。

先住民はもう犠牲に甘んじない

――自然搾取主義者の破壊的資本主義は、ラテンアメリカと世界の他の部分の多くの国では共通している。そこでは、近代文明、そしていわゆる発展を持続するという重荷に耐えているのは元から住んでいる先住民だ。この闘争で、大陸レベルでの連携はありますか?

 ある。それが共有された現実だからだ。かれらは先住民衆の命である領域を今も破壊し、それがエクアドル、コロンビア、ペルー、ブラジルで、アマゾン低地や他のところ中で起きている。
 先住民の領域がなぜ発展を支えなければならないのか? 世界レベルで資本家の生産基盤を支えるために、なぜわれわれはマザーアースを搾取しなければならないのか? これが十分な論拠になってよいとはわれわれは信じない。あなたは別の経済について考えなければならない。
 われわれが分かち合っているもうひとつの関連する闘争のテーマは、レイシズムのはびこりへの、また社会の植民地主義的ビジョンへの反対だ。かれらはわれわれ先住民に、社会内にまさに固められているこのすべてを押しつけることができるだろうか? しかしわれわれはもはやそれを正常なものとして受け入れることはできない。
 第3の問題は、エネルギー基盤内での石油からクリーンエネルギーへのこの変化で進歩がつくられようとしている、ということだ。この進展では、領域的支配に加えてわれわれの川に対する支配もある。つまり、河川の主な峡谷は今、水力発電所をつくり出すために許可を与えられようとしている。そしてこのすべてには、事前の自由かつ情報が与えられた諮問への権利尊重がない。それがもうひとつの共有された闘争だ。
 われわれは、自然の均衡を規制し続けているような、河川や森林や乾燥地帯が均衡にとって中心になっているような領域がある、ということを社会と人間に理解させることが重要、と確信している。またわれわれの領域にかれらは、単一栽培、アグリビジネス、土地の集中、水の集中に基づいて侵攻中だ。またここ欧州で、フランスで、土地の集中や私有化に反対するこれらの闘いを見てきた。このすべては、まず第1にラテンアメリカのレベルで、しかしまた世界レベルでの闘争に導くことができると私が考える刺激をも伴って、大陸レベルの統一を訴えて声を上げることをわれわれに可能とする。

世界レベルで闘いの統一を


――最後に本に戻りたい。先住民衆の闘いと変革への必要についての考えにあなたが入れ込んだすべてに関し、あなたが提案しているアプローチに関し、学術世界内であなたはどのような反応を見つけましたか?

 私が気がついたのは、本当に多くのためらいだ。つまり、保守的な思想生産の支配的な形態があり、それが意味することは、質問し続け、回答を考え出さない、そうした住民部分の拒絶もあることだ。左翼の立場の多くの人々は、かれらが闘争中であるとしても、これらの場に参加することを選択してこなかった。私は、組織的な能力を壊さないが、しかし闘争のさまざまな形態を起点として結集する能力を追求する、そのような選択肢を与えなければならない、と確信している。
 われわれがもしそうしなければ、右翼と極右がすでにそれを行っていることをわれわれは見ている。ラテンアメリカの進歩的な諸政権との関係で起きたこと、あるいは欧州で今起きていることをよく見よう。かれらは市民たちが回答を尋ね続けている議論を利用しつつ、若者の疑念を今利用している。
 われわれはエクアドルで戦闘中であるとはいえ、変革の条件を確保するかもしれないとしても、世界的な資本主義経済のモデルにしっかりと固定されている一国では、勝利することは非常に難しいだろう。われわれはすでに、チリ、ペルー、キューバ、ベネズエラで起きたことに関し経験をもっているのだ。
 民衆陣営内のわれわれが回答を与えないのならば、その時最終的に民衆諸層に達することになるのは、これらの層の機嫌をとる右翼になるだろう。
 私の確信では、世界レベルの学術世界は分析するための理論と科学を公正に作り出すことができない。それは、イデオロギー的な政治的構築のあらゆる源に関して起きたことだ。むしろそれは最後には、右翼の方向とは異なった政治的方向から変革の可能性を攻撃することに、変革のまさに可能性を攻撃することに終わっている。そしてわれわれは、責任ある者として変革を擁護することで終わっている。その意味で私の確信では、人間がまさに今必要としている変革でわれわれが質的な飛躍を欲するのであれば、われわれは世界レベルで闘いを統一しなければならない。それゆえ私は、これに向け一粒の砂をまこうとしている。(2023年8月6日、「プント・デ・ビスタ・インテルナチオナル」からIVが訳出)(「インターナショナルビューポイント」2023年8月21日)

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