モロッコ IMF・世銀サミットに対抗サミット
帝国主義の諸機構に反対する民衆の政治的推力再生に貢献
新植民地主義的破壊の79年、もうたくさんだ
アントーヌ・ラッラケ
2023年9月8日、マグニチュード7の地震がマラケシュ周辺の地域と隣接する町々を襲った。それはモロッコでは1世紀以上でもっとも破壊的だった。1ヵ月後にはマラケシュで、世界銀行/IMFサミット反対の決起が計画されていた。これは、アル・モウナディル―aの同志たちと合い、先の状況にあるこの国の情勢を討論するひとつの機会だった。以下はその意見交換の一部。
国家イメージ維持へ被災過少化
――地震後のモロッコの状況、その影響、それに当局がどのように対応したか、を話せますか?
自然災害の暴力には、階級的な側面と地理的な側面の両者があり、それはモロッコで何十年にもなる新自由主義政策で悪化させられていた。地震の暴力は、村々の貧しい住民に被害を与え、かれらの家は完全に破壊された。前から脆弱だった通信は遮断された。地震に襲われたマラケシュ・サフィ地域は、公式データによれば、この国における最貧困地域のひとつだ。
この地震は、他の自然災害、たとえば南モロッコ(グエルミム)における2014年の水害や2022年の北部におけるラーラチ火災を思い起こさせた。住民は、これらの自然災害の恐怖を前に孤立したまま残されたのだ。
あらゆる件で国家は、大幅に手遅れになる形でのみ介入している。それは何よりも、その衝撃を低める目的で災害の規模を最小化する問題になっている。それは、自然災害を悪化させている国家政策の結果に対するあらゆる社会的怒りと闘いを抑圧する用意を整えつつ、国家のイメージを維持する助けになっている。ハオウズ地域における地震への対応もまた、今年10月9日から15日に開催された世界銀行とIMF年次総会準備という背景を特徴とした。
国家は、地震被災者を助けるために自然発生的に始められた連帯キャラバンを支援するために、その抑圧機構(軍、警察、憲兵隊)を動員した。社会サービス(医療スタッフ、救急隊、その他)はどうかと言えば、それらは極めて限定的で、私有部門への解放以来の公的公衆衛生部門の悪化の程度を反映し、2020年の新型コロナパンデミック時に起きたことを思い起こさせるものだった。
国外からの援助に関しては、国家は政治的計算の論理でそれを扱い、フランスとアルジェリアから来る援助の受け取りを拒否した。その理由は、両国とモロッコの政府間にある政治的違いだ。
新型コロナパンデミックの影響に対する対応と同様、募金を集中するという目的の下に国家は地震災害管理の特別基金をつくった。国家はすでに、2018年に「自然災害の影響と闘うための基金」をつくることで、自然災害と闘う分野における世界銀行の勧告を実行していた。そしてその管理は保険会社に委任された一方で、「破局事態に対する連帯基金」はもっとも貧しい層に割り当てられた。
今年9月8日の地震はあらためて、自然災害に対する効果的な介入手段、および予防インフラの大きな脆弱さを暴き出した。自由主義的諸政策の論理の中で優先性は、国内と外国の私的資本が投資している地域、特にタンジールやカサブランカやアガディルのような沿岸の諸都市の道路インフラに与えられている。
自立的行動の国家による吸収
――この状況に社会運動は今どのように介入しようとしているのですか?
わが国における実体のある社会運動について語るのは非常に難しい。環境的危機と結果としての自然災害は、モロッコ内の闘いからなる運動、特にそれらの組織された部門である諸労組の課題設定では欠けている。
新型コロナパンデミック時のように、労組運動は国民的合意のスローガンの下で、特に自然災害の作用を悪化させている国家の諸政策の批判を控えることによって、国家を支える形で動員した。主要労組センターは、連帯輸送隊への参加――民衆の輸送隊の傍らで――のために、また寄付を現物(食糧、テント、毛布、その他)で集めるのを助けるために動員した。しかしそこでは、貧しい住民を自然災害の暴力の主な犠牲者にしている自由主義的開発モデルを疑問に付すような、どんな政治的介入も欠けている。
その上に、民衆的な連帯輸送隊は、特に自らが2004年に激しい地震を経験し、国家によって犯罪的な無視で扱われたリフ地域(モロッコ北部)で自然発生的に始まった。ちなみにこのことは、怒りの波と大規模なデモの引き金を引いた。先の輸送隊は次いで国のあらゆる地域から到着しはじめ、地震の犠牲者を助ける点での国家の効果的な介入に対する信頼の欠如を見せつけた。
この民衆的連帯の波は、それを集中でき、それに単純な連帯の範囲よりももっと幅広い広がりを与えることもできると思われるような、組織的な構造を欠いていることを原因に急速に弱まった。国家はそれを、「地震影響管理基金」を通す公的な水路内部に含めることができている。
専制政治は常に、国家がそれに置き換わる可能性をもち、新自由主義的な課題設定を正当とする限り当初は容認されても、底辺から現れるあらゆる民衆的な意思表示の行為を恐れている。それは、国家の制限を超えて、疑問を提起しオルタナティブを提案するような政治的論争の場になってはならないのだ。
帝国主義への奉仕と民衆の沈滞
――体制の全体的情勢はどういうものですか? あなたはその方向と帝国主義との関係をどう分析しますか?
モロッコの体制は、新自由主義諸政策と抑圧の実行に起因してその圧力が高まり続けている社会的火山の上に根を張りそれに左右される、いわば真相が隠された独裁だ。それは、その帝国主義の盟友たち、つまりEU、米国、そして反動的な湾岸諸政府による確固とした支持から利益を得ている。それは、債務を積み増すことによって、またいわゆる自由貿易協定およびより安い労働力を搾取し略奪するためにこの国を多国籍企業に解放することによって、帝国主義の利益に奉仕している。
モロッコの体制はまた、アフリカから欧州に向かう移民の流れに対する下請的管理において、さらにいわゆる「テロとの戦い」政策で一定の役割も果たしている。それは、米国防相のモロッコ訪問の時に2020年10月に署名された2020―2030年防衛協力ロードマップに具体化された戦略的軍事パートナーシップによって、さらにAFRICOM軍(アメリカアフリカ軍、アフリカを担当する米軍の統合軍のひとつ、2008年9月30日から実働開始:訳者)の大規模な合同軍事訓練である「アフリカのライオン」演習の主催国を務めることによって、米国に結びつけられている。
体制の地域の帝国主義政策への統合は、西サハラに関するモロッコの主権に対するイスラエルの容認以来の、シオニスト国家との経済や安全保障や軍事の関係における加速化された発展によって、追加的な側面を示してきた。
この君主制は、労働者階級を過剰搾取し、極めて高いレベルの失業と不安定さを押しつけ、ささやかな公共サービスを破壊し、そして前例のないほどまで高騰した物価を利用するために資本に与えられた自由裁量の結果に起因する爆発的な社会的危機にもかかわらず、政治情勢を管理し支配している。この支配は、歴史的なブルジョア野党であろうがイスラム主義者の部分であろうが(これらの敵対部分は常に、体制が社会的高揚や政治的高揚の時期を克服するのを助けるために介入している)、その政治的な敵対者の弱体化から、また民衆的ヒラク(抗議の諸運動)を敗北させる点での成功から生まれている結果だ。
諸々のヒラクは、労働者の状況における否定的な諸側面への対抗的な圧力になっていた。その労働者の状況では、官僚制がひとつの破壊的な役割を演じ、それが労働者の闘争に内包された潜在力を掘り崩し、その民衆的な相手と統一することを妨げた。ヒラクが衰えている今、不活動状態は闘争の前衛の志気に露わになり、そこに強く映し出されている。
体制は、私有部門における労働者組織の萌芽に対する迫害を継続する一方で、批判的なジャーナリストを抑圧し、ソーシャルネットワーク上での反政府の声を巧みに組織化して大規模に自制させることによって、表現の自由に対する弾圧の度を高めてきた。ちなみにソーシャルネットワークは、政治的舞台を支配した後では、特に2018年の消費財ボイコットキャンペーンの衝撃の後では、危険の主な源とみなされた。
体制は、若者の闘いを打ち破ることでの成功から利益を得ている。いわゆる大学教育改革と内務省による支配(「分派闘争」扇動により学生の闘争を掘り崩して)が、その歴史的形態をとった学生組織を完全に破壊した。卒業生の失業に対する国家管理、および急進左翼の全般的状況に結びついた失業者運動が抱える主体の欠陥が、この運動とその全構成部分を消失させた。その戦闘的な推進力はすぐに衰える時折の覚醒に限定されている。
国家はさらに、労組官僚の深い統合からも利益を得ている。その統合は2022年の社会協定に極めてはっきりと示された。労組指導部はそれによって、事実上のストライキ禁止、年金制度に対する新たな攻撃、および労働法規見直しからなる、より大きな柔軟性を求める雇用主の要求に応じたひとつの法を受け容れた。
帝国主義奉仕加速めざした主催
――IMF・世界銀行サミットはこの分析にどうかみ合いますか? その目的は何だったのですか?
この2機関の年次総会の主催国になるというモロッコの選択は、体制を支え、その新自由主義的「開発モデル」を推し進めるという政治的決定だ。ちなみにこの総会は、その1944年の創立以来アフリカでは唯一かつて1973年ナイロビで開催された。
世界銀行は60年代のはじめ以来、植民地時代に確立された依存的資本主義を支えるために、また専制体制を強化しつつ巨額債務を通じて新植民地主義の仕組みを機能させるためにこの間介入してきた。
IMFの側は、モロッコの債務危機悪化と返済不能性を受けて1980年代初頭に介入し、構造調整計画を指令した。この自由主義的計画が、特に1990年代半ばのモロッコのWTO加入と「自由貿易」の全般化によって、債務をさらに膨らませ、国と商品を資本に解放し、利潤の本国送還を許した。
それゆえこのトリオは、外国と現地の大資本にこの国の富を専有し、政治的専制を打ち固めるより大きな機会を与えるために、支配的諸階級と協力している。シオニズムとの正常化は、アフリカ大陸への略奪的資本家の浸透を加速する帝国主義と政権の戦略の一部であり、アフリカへの門口としてモロッコの役割を強化している。
したがってモロッコ政府は、国際的金融機構の年次総会の成功がモロッコに政治的利点(信頼でき安定した盟友であるとして)と経済的利点(アフリカに対する経済的門口)を今後もたらす、と考えている。
われわれは対抗サミットを通して、この新自由主義モデルがもつ別の面を示したい。すなわち、大量失業、貧困の地域的広がり、周辺化、そして、少数が許し難いほどに豊かになる一方で多数が貧困の中で暮らすこと、だ。
より全体的には、この2機構は最富裕国の新植民地主義に加わり、南と北の周辺の人民を犠牲に気候変動を悪化させている。対抗サミットは、IMF・世銀の金融的独裁権に反対している社会運動の諸部分すべてを地球的規模で結集すること、そして民衆の観点から資本主義の危機とオルタナティブを討論することを目標にした。
民主的で集団的な対抗サミット
――対抗サミットがどのように組織されたか、それが何のために利用され、結果はどうだったか、を話せますか?
この国際対抗サミットは成功だった。それは、4つの大陸、欧州、アフリカ、アジア、アメリカから社会運動の代表300人以上を結集した。8ヵ月以上続いたその準備は、あらゆるレベル――世界、アフリカ、北アフリカ、中東/アラブ地域、そしてモロッコ――で拡張された月次会議によって、集団的で民主的なプロセスだった。
後者では、約20組織で構成された全国共闘が受け容れ団体を務め、現地で組織化の課題を点検した。それは、9月8日にマラケシュ地域を襲い、3000人近くの命を奪った恐るべき地震によっていっそう悪くなった挑戦課題を克服できた。プログラム、通信、情報、資材準備、さらに4言語(アラビア語、英語、フランス語、スペイン語)での会場設営に関する作業グループが設立された。アピール「社会運動の声を上げよう」(2023年6月27日)、そして活動プログラムが共同で磨き上げられた。
対抗サミットは500人以上の参加者による抗議行進で、10月12日午前に始まった。IMFと世銀に反対するスローガンに加えて、ガザに対するイスラエルの爆撃への糾弾、およびパレスチナ民衆との連帯がデモ隊によって力を込めて唱和された。午後には、アミナタ・ドラマネ・トラオレ(マリ人の著者かつ活動家)、フェルナンダ・メルチオナ(ブラジル下院議員、PSOL)、エリック・トゥサン(CADTMインターナショナル・スポークスパーソン)、そしてジルベール・アシュカル(ロンドンのオリエンタル・アフリカ研究学院教授)を発言者として、新植民地主義大国に結びついた不平等や社会的不公正の現象悪化における2機関の責任について、開会会合が組織された。
10月13日と同14日の午前は、ワークショップにあてられた。資本主義の多次元的で内的に絡み合った資本主義の危機(社会、食糧、経済、公衆衛生、環境、女性嫌悪、好戦性、民主主義)を理解するための分析、および可能なオルタナティブと決起に向けた展望に関して、総計で56のワークショップだ。午後の全員総会は、資本主義の危機、金融的植民地主義、環境的不公正、そして債務に関する熟考に力を貸した。
ワークショップの主な結論は、その後に最終声明が続く勧告の形態で、10月15日午前の総会日程で示された。ちなみにその宣言は、「マラケシュ宣言:世銀とIMFの搾取と新植民地主義的破壊の79年、もうたくさんだ!」(2023年10月17日)だ。対抗サミットの作業はその日の午後、トーマス・サンカラを記念した、また債務の取り消しを求め、新しい地政学的情勢を背景とした南と北の社会運動間に築かれるべき相乗作用は何かに関する全員総会で締めくくられた。
国際金融と対決する希望の再生
サミットは、闘いの経験を交流し、多国籍企業や帝国主義大国や世銀とIMFを含む国際的な金融機関の指令と対決する戦闘的な行動の合流を助けるひとつの機会だった。実際、IMFと世銀の介入は、特に2020年以後に世界に影響を及ぼしてきた多次元的な危機の悪化を追って一層暴力的になっている。南と北の住民は、新自由主義諸政策、緊縮の全般化を通してこの2機関が押しつけた債務漬け、公共サービスの私有化、所得の引き下げ、失業の引き上げ、その他の重荷に耐えている。民衆の抗議はますます抑圧を受け、民主的な自由は無視されている。
この全体構図の中で、対抗サミットは相対的に、これらの国際的な金融機関に反対する反グローバリゼーション決起という希望、5000人のデモ隊がIMF・世銀年次総会に反対して行進した2000年9月26日のプラハの決起で口火を切られた希望を再生させた。
体制との連携を特徴とし、公式プロパガンダに密着した市民社会の一部は、マラケシュIMF・世銀会合に際し平行したイニシアチブを組織し、対抗サミットに混同の種をまこうとした。モロッコ社会戦線を起点とするもうひとつのイニシアチブは見えるものになることができなかった。
対抗サミットはIMFと世銀を、しかしまた専制とそのシオニズムおよび帝国主義との提携をも直接に標的とした。これはモロッコでは、世銀の1962年の最初の介入、および1980年はじめのIMFによる介入以後では、この種の初めてのイニシアチブだ。ちなみにIMFによる先の介入は、1981年、1984年、1990年に、3つの大規模な民衆的反抗を生み出した。
それは、パレスチナとの連帯とイスラエル国家との正常化に反対する大規模なデモという連なりの中での、またその主要な主役が専制体制、帝国主義諸大国、シオニズム、および原理主義的な反動的運動である反革命を特徴とした、現在わが地域(北アフリカ、および中東/アラブ地域)を貫くより幅広い全体構図の中では、わが国における反帝国主義の展望として小さな1歩だ。
対抗サミットは、強力な抑圧で限定されているが、特にイラク、チュニジア、またエジプトでも、反IMF・世銀の社会的推力をつくり出した。これは、鍵となる政治的要素である帝国主義と直接ぶつからない社会的で政治的な要求に限定されたこの地域の民衆的蜂起から、教訓を引き出す助けになる可能性がある。
アル・モウナディル―a潮流が、IMF・世銀会合に対決する社会運動サミットを支持し、平行して帝国主義諸機構に反対する政治的推進力を求めて、「帝国主義支配の道具である国際金融機関反対、新植民地主義への依存反対、かれらの主権に対する人民の権利支持」の呼びかけを発したのは、この精神においてだ。いくつかの会合がチュニジアとイラクのいくつかの左翼組織と共に開催された。われわれは、約100人の参加の下で10月11日に資本主義の危機と環境主義的オルタナティブに関し国際会合を組織した。帝国主義と専制に反対する労働者階級と民衆のセンターを構築するために、またモロッコと地域の急進的左翼内に支配的なセクト主義を克服するためになされるべきこととして、多くの作業は依然残っている。
補足
モロッコとパレスチナ連帯
ガザ攻撃反対
数多くのデモ
10月7日のガザ回廊に対するイスラエルの攻撃開始以来、モロッコのいくつかの町や村でいくつものデモが続いてきた。スローガンは犠牲者に対する緊急援助の必要性、爆撃の停止、そしてシオニスト国家との正常化に焦点が当てられている。
10月20日、114の町と村は、「正常化反対、パレスチナ支援モロッコ戦線」(左翼政党、政治的イスラム団体、また自由主義者も含む)の呼びかけに応える行進を見た。この戦線はそれ以前に、10月15日に首都のラバトでの全国民衆行進を呼び掛けていた。そしてそこには数万人が参加した。
民主的労働者連合もまた、1時間の労働停止を呼び掛けた。いくつかの大学の学生もまたガザのためにデモを行った。
シオニスト国家
との関係正常化
モロッコの体制は歴史的に、秘密の安全保障協定、および政治的かつ経済的協力協定という形で、シオニスト国家と良好な関係を維持してきた。これらの協定は、イスラエルに移住したモロッコ生まれのユダヤ人の強力な存在(約60万人)によって、またこの地域内の帝国主義戦略におけるこの体制の役割によって維持されている。
ハッサン二世王は公式に1986年7月21日にシモン・ペレス(首相と大統領を務めたイスラエルの大物政治家:訳者)を迎え入れた。1994年にはラバトに連絡事務所が開設された。それは、2000年10月23日に、外務協力省の声明に続いて閉鎖された。その声明は、モロッコは「非武装のパレスチナ民衆に対しこの数週間にイスラエル軍が犯した非人間的な行為、および無実の市民を殺害するかれらの軍機構の利用に続く和平プロセスの破綻」を理由にこの決定を行った、と伝えていた。
2003年、イスラエル外相のシルバン・シャローム(イスラエルのリクードの政治家:訳者)がモロッコでモハメド四世と会談した。そして2020年12月10日、米国の援助の下に完全な外交関係を確立することで合意した。そして見返りに米国は、西サハラに関するモロッコの主権を認めることになる。確かにこの最新の正常化は、体制によって脅迫の切り札として全般的に使われているサハラ問題との結びつきを理由に、民衆的な怒りを僅かしかかき立てなかった。
しかしイスラエルの攻撃の継続とその暴力の強化増大は民衆的な怒りを煽っている。そしてそれは長期的に、反帝国主義の観点における民衆運動の拡大と急進化を避けるための、シオニスト国家との正常化見直しに向け、体制に対しより大きな圧力を加えるだろう。
重要な役割果す
パレスチナ問題
パレスチナの大義は、社会的諸闘争に多くの世代を結集する点でこれまで重要な役割を果たしてきた。1960年代に世界が経験した若者の急進化の波はわが地域で、アラブ諸政権の軍隊がイスラエル軍に喫した敗北のショックと同時的に起こった。新しい左翼が民族主義的かつスターリン主義の諸共産党の外部に現れた。
他方で、原理主義的な反動的諸運動の影響力が、1980年代以後高まり続けてきた。しかしながらこれは、パレスチナ問題が依然われわれの国々で闘争に燃料を注ぐひとつの要素であり続けているという事実、そしてそれが人びとを、また前線にある若者たちを、パレスチナの解放を求める闘い、また帝国主義の戦略に加わっている諸政権に反対する闘いの運動に加わるよう押しやっているという事実、これを否定するものではない。
ガザに敵対する戦争を終わらせるための地域諸政権による呼びかけはむしろ、パレスチナとの民衆的な連帯の今回の波に対するかれらの怖れから出ている。その連帯は、敵であるシオニストとのかれらの共謀に対する問題視を鼓舞する可能性もあるのだ。
わが地域の反動的な原理主義運動は、パレスチナの闘争支援の中で広範な民衆的な怒りから政治的に利益を引き出している。その理由は、それらの組織的な強さであり、またパレスチナ人の闘いを先導している最大の分派が 同じ思想的かつ政治的な流派に属しているからだ。これがそれらに、エジプトのムスリム同胞団運動、スーダンにおけるオマル・アルバシル体制の崩壊、シリア民衆に対する犯罪への宗派民兵の関与、ティシュリーン運動(2019年から2021年にかけたイラクでの抗議運動:訳者)後におけるレバノン人へのヒズボラの反対、そしてイラクのインティファーダに敵対した宗派民兵の役割といったことに代表された、それらの最大組織の敗北による2013年以後の大きな後退を経て、大挙して舞い戻ることを可能にした。
急進左翼は、民衆的連帯運動に加わらなければならない。そしてパレスチナ問題に国際主義的な展望を示し、パレスチナ問題への人道的悲劇を悪化させるにすぎない反動的オルタナティブを圧倒するために、世界的なキャンペーンとして決起しなければならない。
▼筆者はフランスNPA指導部の一員で、第4インターナショナルのメンバー。(「インターナショナルビューポイント」2023年11月7日)
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