ウクライナ人活動家へのインタビュー
パレスチナ人との連帯を宣言する
活動家たち―欧州中心主義批判も
冷戦時の単純化された政治乗り越える連帯へ
われわれの世界はふたつの恐ろしい戦争によって真っ二つに引き裂かれようとしている。イスラエルは今パレスチナ人を敵とするジェノサイド戦争を実行中であり、ガザで数万人に上る人びとを虐殺し負傷させている。まさにそれと時を同じくしてロシアは、ウクライナを併合しようとするその帝国主義戦争を継続し、その中で数え切れない数で人びとを殺害し傷つけている。
自己決定を求めるパレスチナ人とウクライナ人の間に連帯を築き上げる代わりに、さまざまな帝国主義諸大国は、また左翼のいくつかも、ひとつを支持し他は支持しないという、選択的連帯を実行してきた。ウクライナ人活動家は、「パレスチナ民衆と連帯するウクライナ人の公開状」(本紙11月13日7面)を出すことで先の方向に異議を突き付けた。「トゥルースアウト」寄稿家のアシュリー・スミスが、問題のふたつの闘争、それらの類似点と違い、そして被搾取者と被抑圧者の中で例外なく連帯を築き上げる差し迫った必要について、前記公開状組織者のひとりであるユリア・キシュチュクにインタビューする。
等号のつけ方が間違っている
――バイデン政権とウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー政府を含む他の諸政府は、ウクライナとイスラエル間に等号を引いてきた。それについての間違いは? またそれはどんな影響をもつことになったか? ウクライナとパレスチナの間にはもっとよい平行関係があるのではないのか?
ウクライナは何ほどか他の土地を確保することも、市民のインフラを爆撃することもなかった。それゆえ、ウクライナをイスラエルと比べることは分析に耐える正確さを欠いている。ウクライナとイスラエルを対比している人びとは、一般にイスラエルを入植―植民国家とは考えていない。イスラエルはかれらの概念化では、「敵に包囲され」つつも何とか生き延びることができている成功した国家なのだ。
かれらはまた、イスラエルは「中東でただひとつ民主的」とも主張する。これは、自由の価値を宣言しつつイスラエルがパレスチナ人の土地を占領し、占領地域でパレスチナ人の諸権利を迫害している、という事実を無視している。
事実上、イスラエルとロシアは多くのものを共有している。かれらは侵略するために、またかれらに属する法的正統性のない土地を占領するために、「自衛権」という同じ正当化を利用している。
それらの体制もまた似かよっている。両者は、極右で権威主義であり、その住民に、ウクライナ人とパレスチナ人に関する憎悪とジェノサイドのプロパガンダを吹き込んでいる。それらは両者共抑圧者の国家なのだ。
この情勢の中で、抑圧を受けた民族はウクライナ人とパレスチナ人だ。両者共、占領、土地、強奪、民族浄化を経験している。ウクライナ人とパレスチナ人双方が、ロシアと米国が安全保障理事会で拒否権を確保している限り、国連はこれまで効力を大きく削がれ、また今後もそうだ、と感じている。
イスラエルとロシアに圧力をかけるために、われわれ双方は、いつものように操業中のビジネスに対するボイコットと制裁を用いる。土地との強い結びつきがウクライナ人とパレスチナ人に、占領されたかれらの地域の放棄をひとつの解決案とは考えさせていない。
ナクバ、ホロドモール(1932年から同33年のスターリン体制下で起こされたウクライナなどでの大飢饉:訳者)、スターリンの強制移住のような長く続くできごとに起因して、ウクライナ人とパレスチナ人双方が、進行中の侵攻によって悪化させられた深い世代的トラウマを抱えている。われわれには、民族的抑圧の別個の経験とはいえ、ひとつの共通性がある。
進歩的な停戦と反動的な停戦
――これらのふたつの闘争の最中に、停戦の問題が注目されてきた。ガザの場合では、左翼のほとんどは停戦の呼びかけを支持し、イスラエルの包囲、その占領やそのアパルトヘイト国家の終結といった他の要求とひと組にしている。ウクライナの場合は、その闘争を支持している者たちは停戦を支持していない。この対照についてあなたはどう考えるか? 抽象的な言葉としてよりも具体的に、停戦要求についてわれわれはどう考えるべきだろうか?
ふたつの要求の間には核となる違いがある。ガザの場合、停戦の要求はパレスチナ人から来ている。他方でウクライナの場合この要求は、われわれの声を無視している西側の諸グループによってわれわれに押しつけられている。
これらふたつの場合における停戦の呼びかけには、非常に異なった目標と政治がある。「ウクライナでの戦争を終わらせる」ための西側左翼の呼びかけは、侵略勢力であるロシアにではなく、主にウクライナ人とかれらの同盟者に向けられている。こうしてそれは、抑圧を受けた人びとに対する、解放を求めるかれらの闘いを止めるようにという要求であり、したがって反動的だ。
ガザの場合は、諸々の抗議はイスラエルと西側諸政府に向けられ、パレスチナ人の民族的大量殺害を止めるために確実な踏み込みを行うようそれらを追い立てている。したがってそれは、西側帝国主義とイスラエルに対する、抑圧民族に対するひとつの異議申立であり、それゆえ進歩的だ。
パレスチナの全体関係では、即時の停戦は市民の命を救うだろう。ウクライナの場合、停戦あるいは和平の話し合いは、ウクライナの占領を認め、その占領地の市民たちを抑圧、拷問、さらに殺害という境遇に置くと思われる。
ウクライナ人とパレスチナ人双方とも、長続きする平和には公正と具体的な安全保障が必要だと認めている。それゆえ両方の場合で、停戦だけが終局的な要求を表しているわけではない。
あらゆる帝国主義への反対を
――パレスチナ・ウクライナ関係の歴史はどのようなものか? ウクライナは国連と外交でどのような公式の立場をとってきたのか?
ウクライナは二国家解決の立場を守っている。ふたつの国家間外交は公式に、2001年11月2日に確立され、それはキーウでのパレスチナ大使館開設で印された。ウクライナは、イスラエルのパレスチナ領域占領を糾弾する国連決議を一貫して支持してきた。
11月12日の国連の最新票決では、ウクライナはイスラエルのパレスチナ占領終結を支持した。この決議は、西岸のパレスチナ領域に対するイスラエルの占領への国際調査を求めた。パレスチナが2014年のクリミア併合を支持せず、ウクライナの領土的完結性を支持したことに留意することもまた重要だ。
その上われわれ民衆には具体的結びつきもある。全面侵攻の前に、4000人以上のパレスチナ人がウクライナにかれらの家を作っていた。その多くは、教育を続行するために、家族をつくるために、また事業を始めるために到着した。
逆に、主として女性と子どもの数千人のウクライナ人が、占領され包囲されたパレスチナに、ガザの830人を含んで住んでいた。ウクライナ―パレスチナ世帯に生まれた子供の正確な数は分かっていない。しかし悲劇的だが、かれらは今戦争と追い立てと占領という混じり合ったトラウマに耐えている。
――ロシア帝国主義からの解放を求めるウクライナ人とその闘いにとってのひとつの挑戦課題は、グローバルサウスからの支持獲得になっている。対照的にパレスチナ人は、グローバルサウスが解放を求めるかれらの闘争の反響をそこに見ているがゆえに、グローバルサウスから圧倒的な支持を得ている。イスラエルとウクライナに対するバイデン政権とゼレンスキーの同一視は、これらの力学にどのような影響を及ぼしたのか? それにどのように挑戦できるだろうか?
ゼレンスキーによる最新の公表は、ウクライナのグローバルサウスとの外交関係にかなりの打撃を与えた。帝国の侵略と闘っている民族であるウクライナ人と、学校や病院を爆撃する中で不法な占領に取りかかっているイスラエルの間に平行関係を描くことは、道義的な過ちであり、抑圧された者と抑圧者を混同し、被抑圧人民間の連帯を打ち壊す。
ウクライナの政治的既成エリート、西側ジャーナリストと政治家によるもっとも重要な過ちは、ロシアの帝国主義的侵攻と対決する抵抗を文明論的レトリックを使って枠にはめていること、と私は確信している。ちなみにそのレトリックは、「文明の衝突」に関するサミュエル・ハンチントンのレイシスト的主張を偲ばせるものだ。そのようなレトリックがグローバルサウスとの共鳴に失敗していることには何の驚きもない。
われわれは、闘いの中心に西欧文明の防衛を据えることによって、西側帝国主義の植民地の過去、およびそれが世界中で被抑圧民族に加え続けている悪逆を見逃し、それをわきまえることができていない。それゆえ、グローバルサウスの植民地の経験を認識し、それに対しもっと敏感であることが、連帯構築にとっては決定的だ。ヨーロッパ中心主義を響かせることなくこの考えを貫くことは、注意深い思考、対話、そして交流を必要とするひとつの挑戦を提起するのだ。
同時にロシアは、自らを西側帝国主義に反対する脱植民地を図る一勢力として提示している。それは、パレスチナを支持するウラジーミル・プーチンの最近の主張の例のように、その競合相手が犯した戦争犯罪を糾弾するひとつの機会を見逃していない。しかしもちろんこれは、彼の政権がウクライナで戦争犯罪を続けているのだから、偽善という悪臭を放っている。
われわれは、西側と非西欧の帝国主義が似たように機能しているのを理解しなければならない。そしてわれわれは、その両方に反対しなければならない。あらゆる帝国主義に対するそのような反対のみが、世界中の脱植民地闘争間の実のある連帯を育てることができる。
底辺からの連帯構築が唯一の道
――ロシアは中国の戦術的な支持に基づいてウクライナに対する帝国主義的な侵略を実行してきた。同時に中国とロシアは、イスラエルとの深い経済的かつ外交的な関係を保持しているにもかかわらず、停戦を求めると共にパレスチナの友のふりもしてきた。米国は米国で、解放を求める闘争としてウクライナを支えてきたが、しかしイスラエル、そのアパルトヘイト体制、占領、また現在のジェノサイド戦争を支えてきた。これは、ふたつの解放闘争のさまざまな帝国主義大国に対する関係にとって何を意味するのだろうか?
残念ながら私は、これに関しては当座全く悲観的だ。実利を求める連携が、ウクライナとパレスチナの長続きする連帯追求を難しくしている。
ウクライナ人の中では、パレスチナ人がしばしばハマスと同一視されているために、パレスチナ人に共感をもつことが難しい。そしてハマスはしばしばロシアやイランの代理人と見られているのだ。ウクライナと西側では、パレスチナ人はロシアを支持しているという共通の思い違いがある。しかし現実は、パレスチナ人の71%はウクライナ侵略に反対したのだ。
だからこれはひとつの挑戦であり、しかしわれわれは連帯のかけはしを築かなければならない。
さまざまな形態の左翼の多くは、選択的連帯というワナに落ち込んでいる。多くがロシアに対するその闘いに関しウクライナを支持しなかった。他は、イスラエルの占領からの解放を求める闘争でパレスチナ人を支持しなかった。このパターンについてあなたはどう考えるだろうか? そのような選択的連帯に対するオルタナティブは何だろうか?
われわれは冷戦から残された単純化された政治を乗り越える連帯を育てなければならない。これは、それらの政府の政治的立脚点に関わりなく、搾取され抑圧された者すべてを支援することを必要とする。
実利を求めるだけのアプローチはウクライナ人とパレスチナ人の間の連帯にほとんど余地はないと示すかもしれないが、私は、単なるプラグマチズムを、また「私の敵の敵は私の友」という格言を超えるものが存在している、という信念を確固として保持する。
連帯は困難な活動であり、またしばしば、現存の地政学的秩序や問題を内包した連携に関する居心地の悪い問題に取り組むことによる苦悩を感じるところから現れる。しかしながらそれはまた、相互の共感と理解で満たされた空間を生み出すことも必要とする。
昨年私はヘブロンで、その兄弟がロシア帝国主義に抵抗するハリキウ領土防衛隊にいるひとりのパレスチナ人活動家と会った。私はまた、純粋にウクライナ人に共感を示した多くの人々とも話した。
私の考えでは、選択的連帯の先へと動くことは、悪逆と占領に関する分かち合った経験の相互理解を深めることによってはじめて可能になる。ウクライナは本物の破壊と戦争を抱えた実体的場であり、パレスチナもそうだ。例外なく底辺からの連帯を築き上げることでのみ、われわれはより良い世界を求めるわれわれの共通した闘いに勝利できる。(2023年11月22日、「トゥルースアウト」より)(「インターナショナルビューポイント」2023年11月24日)
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