ロシア 嵐の真ん中で続く「静かさ」を打ち破る具体的契機の一つに

2024年3月 プーチン体制は民衆の非政治化徹底に全力

 ロシアでは今年3月に大統領選を含む諸選挙が予定されている。それが形ばかりであることを誰も疑っていないが、それでもプーチンはそこでの圧勝に向け全力をふるっているように見える。以下ではその理由が説明され、筆者はそのような選挙でも民衆的な参加が重要、と主張している。(「かけはし」編集部)
 ロシアの迫る選挙の結果には、驚きの可能性はほとんどない。しかしこれは、市民社会が何もできないということを意味するわけではない。反プーチン派の戦略とは何だろうか?

最優先は不測事態一切の除去

 ロシアはこの3月に大統領選挙(および連邦議会など他の選挙も:訳者)を予定している。自由民主主義制度の場合、おそらく、一人のはっきりした先頭ランナーが、つまりウラジーミル・プーチンがいる、と語られていると思われる。しかしながらこれらの選挙は見せかけだ。彼に勝つために競争に打って出る候補者も、現大統領をまじめに批判する政党も一切現れないだろう。それこそが、ロシアにおける国民一般の議論の中で、選挙は時として「選挙手続き」と言われる理由だ。この用語は、そこにどれほど完全に競争が欠けているか、を強調するものだ。しかしながら私はそれらを、大統領のウラジーミル・プーチンに対する信用を計る国民投票として特性付ける方がよいと思う。
 これらの選挙は、ロシアの政治の舞台における前例のない粛清の真ん中で起こることになる。実際その舞台ではすでに、ほとんどの野党政治家が移住しているか、投獄されているか、それらの活動を最低限にまで引き下げるかを強いられている。
 そうであっても、結果が偽造されることになる、ということに疑いはほとんどない。選挙が当局への異議を提起するたとえばモスクワのようないくつかの地域では、最終的な武器として、「リモート電子投票」(REV)が使われる予定だ。
 その理由は、結果に対する見え見えの偽造が、大衆的抗議に対する触媒として機能する可能性がある、ということだ。クレムリンはこのことを2011年に垣間見た。そして2020年には、ベラルーシの抗議運動によってもっと確信させられた。当局は今、そのような突発事態や抗議の高い潜在力をもつ地域における他のサプライズを避けようと、強く決意している。
 外部からみると、独裁制は、選挙が不要に見えるほど一枚岩のように思われている。大統領は、単に永続的な支配を指令し、侵略の次の局面の計画を続行する、ということができないのだろうか? われわれはこれが現実ではないと理解できる。その上、ロシア連邦の政治指導部は、情勢の刻々の管理に細心の注意を払っている。これらの選挙はロシア社会にどのように影響を及ぼすだろうか? クレムリンにとってこれらの選挙の最も大切な側面とは何だろうか? ロシアの当局にとって、これらの選挙が重要で同時に危険を内包している理由とは何だろうか?

選挙は行政的統制の一形態


 私は私の立場を言葉で隠したくはない。つまり私は、それがまやかしだとしても、3月の選挙に参加することが必要、と考えている。ここまで1ヵ月以上にわたって、ロシアの反プーチン派界隈ではこの問題に関する活発な討論が起きてきた。そのもっとも重要な部分のひとつは、3月選挙における選挙戦略に関するアレクセイ・ナワリヌイの民衆的な公然とした投票だ。
 私は、あらゆる側の主張をすべて取り上げるつもりは全くない。それはまさに数知れず、人は好みに合うものを見つけ出すことができるのだ。私は単純に、体制が切望する結果をつくり出すために設計された、選挙に関する官僚的支配の精巧なシステムをロシア政治指導部が確立し終えている、と強調した方がよいと思っている。
 本質において、このシステムにとって決定的なことは、投票箱が最大限の「支持」数を、そして最小限の「反対」数を含む、ということだ。他のすべてのこと――投票率、候補者数やかれらの人物像、投票所への要員配置や操作――は技術的なことにすぎない。3月選挙に向けたあらゆる見込みのある計画ではこれが考慮されなければならない。しかしそれは、反プーチン派は選挙に参加すべきか否か、の問題への解答を決めるものではない。
 ドミトリー・ペスコフはニューヨークタイムズの記事に対する先頃のコメントで、ロシアでの大統領選挙は民主制ではなく、むしろ「費用のかかる官僚制」だと述べた。彼の言明の背後にある理由は、本質的なものではない。プーチンの広報書記の考え方は、この重要問題に向け意味を限定させたままにしている。彼の言葉の背後にある意味、あるいは隠された意味の詮索は控え、それは「エリートへの合図」や政治技術の専門家に任せよう。
 われわれは当然のこととして、彼が言ったことはロシア連邦の政治システムに対する総体的に包括的な理解の一断片、と考えるだろう。それは、現在の再構築において、この国の中でうかつにも起きることを原因とする民主主義――民意が支配諸グループの計画を崩壊させるかもしれない政治体制――を妨げることを意図した行政的統制の一形態なのだ。

不満を政治にしてはならない⁉

 民主的なプロセスは、リベラルな制限の多い民主主義であっても、社会内部の湧き上がる躍動を仮定している。すなわち、諸々のNGOが設立され、解放され、諸政党や政治運動が競合し、急進派は反抗し、警察はそれらを統制しようとする、といったことだ。われわれが市民参加を考える場合、これが政治生活と政治化を要約する。選挙はこのプロセスの一部にすぎない。選挙は一定の特定の時期に対し力関係と財源を決めるがゆえに、それは重要なひとつだが、それが唯一のものではない。
 プーチンが大統領になって以来意図的に標的にしてきたのは、まさにロシア社会内部の社会的な推進力だ。それゆえわれわれは、非政治化がこの数十年のクレムリンの計算づくの戦略となってきた、と強調してよい。
 当局者たちがあらゆる公的なグループや地方の抗議行動参加者に告げている第1のことは、かれらの要求に対する完全な拒絶ではない。それに変えてそれは、彼の支配を通じてプーチンの呪文となってきたひとつのフレーズ、すなわち「これを政治にしないようにしよう」だ。この言葉には3つのメッセージが込められている。
 つまり、社会問題に関する討論は最小限にとどめられなければならない、さらに異論のある市民はかれらの不満の理由を突き止めようとしてはならない、そして努力は、それらの利益の擁護に対する政党や社会運動の関与を狭めるために行われなければならない、ということだ。
 あらゆるレベルの代議士は、執行部、すなわち官僚制からかれらに渡された諸法令を承認することにもっぱらかれらの時間を使っている中で、しばしばその仕事の目的をつかみ取ろうと苦闘している。ロシアの支配階級を貫いてはびこる信念は、問題としてあるのは政治の問題では全くなく、官僚的仕組み内の機能不全にすぎない、というものなのだ。

策謀の中心は言葉と行動の切断


 非政治化は、言葉と行動と結果の間の結びつきを断ちきることで達成されている。私は、言葉と行為間の結びつきの重要性に光を当てたい。それが、現代のロシアにおける統治の入り組んだ枠組みに対するもっとも意味のある挑戦を表しているからだ。同時に、言葉が行為としても役立つ可能性があることを心にとどめておくことが重要だ。
 例として選挙の投票を考えてみよう。それが選挙結果に影響を与えるとすれば、それは疑いなく言葉を通した行動の簡単な形態だ。われわれは1票を投じ、その投票行為はそれだけで、形のある意味をもち、政治の光景に影響を与える。
 ウクライナに対する全面的な侵攻開始の後、ロシアの野党政治家の過半は、ユーチューブチャンネルを開設したかれらの中でもっとも才気のある者たちと共に、海外に場所を移した。この道具立ての中でかれらは、かれらの聴衆に一方では情報を、他方では慰めを提供することを強いられている。それが、メディアがどのように機能し、言葉がどのように機能しているか、の実体だ。
 疑いなく、いくつかの行動は、プーチン体制に反対の者たちにとって価値のあること、また意味があることを実際に示している。最近になって、著名な反対派のメディアプラットホームは、「あなたはひとりではない」の標題で、政治犯支援の長期的募金調達者を組織し、それは3440万ルーブルを集めた。
 しかしながら、毎日のビデオと毎時間の放送は、視聴者を求める猛烈に競争的な環境の中で、コンテンツ生産の際限のない長距離走を意味している。言葉のこの絶え間ない創出は行動の空隙を埋めるために意図されているが、しかしそれは、ここまで成果を生む効果を達成していず、評価が不可能だ。確かに人は、これはロシア人の心と魂とムードのための闘い、と力説するかもしれない。しかし正直に言って、侵略2年目になって、問題がただ情報不足や想定上の政治的無知だけ、と信じることは難しい。
 多くの反対派メディア編集局は救い出され、拡張されてきた。新しいメディア発信も現れ、国を離れることを願う政治家の過半もそうできてきた。緊急計画は実行されたように見える。しかしながら、言葉と行動の結合は結局絶たれ、クレムリンが社会を非政治化する計画を完成させる作戦空間を生み出している。
 厳しい現実は、皆さんは話すことができるが、しかし言葉を行動に変えることはこれらの環境下で不可能、というものなのだ。あるいは、あなたは何らかの限定的行動をとることはできるが、しかしその後沈黙を守るしかない。あるいはたとえば、昔の基準では罪にならない数多くのイベント周知も、「小さな雑談室内での会話だけ」との枕詞を付けて現れている。
 2024年大統領選の中心的策謀を形作るものこそ、その言葉が行動に変わるような政治的主体になる可能性の破壊、という挑戦なのだ。こうした環境で、理論の中だけであっても、異論は可能だろうか? 

選挙への参加と政治化の可能性

 選挙への参加はともかくも、成果を生む行為だ。人は、候補者の名前を表す言葉を使って最低限の政治的行為を純粋に実行できる。この簡単な結びつきの効能が、2011年から2012年、モスクワの街頭に数万人を連れ出した。何であれ、票の集計と同じような簡明さはない。紙の1票は形があるのだ。すなわちあなたはそれを見、ふれることができる。票が投票箱の山積みの中にあれば、どの欄にチェックや印があるかを理解するのにあなたはデジタルの認証を必要としない。各票は、あなたが見知っている人物によって記録され、また選挙管理委員会メンバーによって正確さを確かめられる。投票の成果を生む影響を可能にし、選挙への参加を近づきやすい行動へと変えるのは、この直感的な分かりやすさだ。
 この筋道において、REVは完全な非政治化の仕掛けだ。ペスコフがカネのかかる官僚制にふれる時、彼は疑いなくこのREVの要素を指している。それは、これからの年月官僚の努力を最小化する可能性があると思われるのだ。
 電子投票の機能化により、面倒な地域について、監視団を作り自らを組織する民衆について、あるいは票の束をぞんざいに投票箱に押し込む選挙管理委員会の不注意な責任者について気をもむ必要は皆無になる。そのどれもがまったく起こらなくなるだろう。権力は、効率的で目立たなく、そして統制されるだろう。
 現代社会はコンテンツの生産に向け大きく適合させられている。正直に言って、人が行うことは、人が生み出すコンテンツよりもますます大事でなくなっている。プーチン主義のコンテンツは、それが恒常的に再生産する社会的感情は、世界の現実を前にした個人の完全な荒野という感覚を軸に回転している。プーチンのロシアの理想的な市民はひとりぼっちであり、REVは確実にあらゆる市民を政治的に孤立化することに力を貸す。
 一般市民がもつ挫折感といらつきの絶え間ない再生産は、ロシア当局の技術的な基礎であり、戦略的な選択だ。しかしながら、このロシアにはまた理想的ではない市民もいるのだ。かれらはコミュニティの中で共に現れ、政治への取り組みや監視や相互援助を試みる。かれらは政治化の小区画を生み出している。
 かれらの活動がプーチン主義を掘り崩す。われわれが明確でなければならないのは、集計表示板が完全に支配されている以上、プーチン主義を破壊するのは集計表示盤上の選挙結果ではない、ということだ。その破壊を可能にするのは、市民内部の協力の高まりと彼らの政治化に導く社会的過程からの帰結だ。(2023年12月13日、ポスレ・メディアより)

▼筆者はジャーナリストかつ政治活動家。(「インターナショナルビューポイント」2024年1月5日)   

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