クルディスタンCDK―F活動家に聞く

クルドやアルメニア人にとってエルドアン政権は極めて危険

我々が先導するこの革命は女性の革命だ

 クルディスタンは、どんな地図にも表示されていない国だ。しかしそれにはそうであっても、シリア、トルコ、イランの間に暮らしている数千万人が関わっている。エルドアンのトルコは、このクルドの人々を敵とする戦争に今取りかかっている。オリヴィエ・ブザンスノーが、そこここでのクルド民衆の闘争について、CDK―F(フランス内クルド民主評議会)の対外関係スポークスパーソンのベリヴァン・フィラトに話を聞いた。

抑圧にあらゆるレベルで抵抗

――CDK―F、またその影響範囲と活動を話せますか?

 CDK―Fは、フランス内で27団体を結集し、ここで、クルドコミュニティの統合を助けるために、しかしまたさらに何よりも、クルド問題を、さらにクルドの全領域での、しかしまた欧州、特にフランスでの法の侵害を広報するために、社会的、政治的なレベルで諸々の活動を実行している。日々CDK―Fの一部であることは容易なことではない。しかしわれわれは、クルド民衆のあらゆる闘争の中でと同じく、あらゆるレベルで抵抗している。

――パリは、政治的暗殺の首都となるように定められているように見える。1965年のベン・バルカ(モロッコの反政府派政治家:訳者)、1970年代のPLOやFLPのパレスチナ人活動家たち、1988年のANC(南アのアフリカ民族会議:訳者)活動家、の暗殺があり、次いで、2013年1月9日、クルドの3人の同志が頭を撃ち抜かれた。この3人の殺人に関し、裁判はどの段階にありますか?

 残念ながら、これまでほとんど進展がない。サキネ・カンシツはPKK(クルディスタン労働者党)の共同創立者、クルド運動における活動家でもっとも重要な人物のひとりだった。そして、自衛軍である女性軍計画を支持していた。彼女は、オジャラン(PKKの指導者でトルコの刑務所に収監されている:訳者)の強力な同志だった。オジャランは彼女の死に際して「サキネを殺すことは私自身を殺すこと、クルド人民を殺すことだ」と言った。
 彼女は極度に重要な象徴だった。彼女は白昼、トルコの秘密機関、MITの工作員だと判明したひとりの男によって、パリ北駅から50mのところで殺害された。その後、暗殺を指令したメモ、またユーチューブ上で拡散された音声記録が出てきた。
 その当時、エルドアンとギュレン(エルドアンは、2016年のトルコでのクーデター未遂の黒幕だと主張した:訳者)の間に対立があった。そしてそれが、これらの記録がばらまかれることを可能にした。殺人犯は判明しているとはいえ(2016年に刑務所内で死亡した)、その事案が「防衛機密」と分類される中で、裁判は捜査同様更地のままだ。
 フランスの秘密機関の手元にある記録と情報は裁判所に渡されず、裁判所はその仕事を行うことができない。フランスには一度だけ、この3人の殺人に正義をもたらす完全な機会があった。しかし国家の利害があらためて勝ちを収めた。司法は独立している。しかし司法がその職務を行うためには、政治はその制限を止めなければならないのだ。この殺人を指令した者たちに対し、新たな捜査が2019年以後進行してきた。しかしそれも、フランスがその防衛機密の解除を拒絶しているために止まっている。

女性の活動家が攻撃の標的に
――この3人の殺人は大いに政治的だ。活動家の3世代が殺害されたのだ……。

 3世代、確かだが何よりもすべてがクルドの女性だったということが核心だ。われわれが今先導している、ロジャヴァやシリアの北部と東部で世界全体が拍手を送っている――邪悪な人間のクズどもと闘ってきた女性たちとの関係で――この革命を、われわれは習わしのように、それは女性の革命だ、と言っている。
 3世代の女性たちを標的にすることによって、目標は第1に、そして何よりも女性の指導者たちになっている。標的にされ続けているのは、サキネ・カンシツのような司令官、またフィダン・ドガンという人物の中の外交手腕、さらにレイラ・シュイレメツを通じたクルドの若者とクルディスタンの未来でもあるのだ。
 この3人の殺人は完全に偶然ではなかった。彼女らは付随的な犠牲者ではない。トルコ秘密機関の男たちは、PKK指導者への標的を定めた攻撃を実行しようとして、イラクの北部に向かったが、捕らえられ、トルコが彼らを黙らせるために彼らを爆殺するまで、2年半の間拘留されたことがあった。
 そうであっても彼らは、3人の活動家暗殺の使命を指令した署名者名を明かし、これらの命令はエルドアンの同意なしには行うことができなかっただろう、と明確に語った。これは、主権があると主張している国であるフランスの中で、外国によって実行された政治的暗殺だったのだ。
――戦場はEU全体に拡大されているように見える。2017年にはベルギーで、クルディスタン民族会議に対する攻撃が阻止されうまくいかなかった。ベルギーの司法システムは、トルコ国家機関とつながる一種の死の部隊である非公然支部を発見した。2020年にはオーストリアで、国会議員が標的になった……。このすべては、計画に基づくやり方を前にするEU諸国家の欺瞞を示している

 オーストリアでは、かれらはクルドを出自とする議会の一メンバーを暗殺したかった。かれらは、彼女がトルコ国家の拡張主義政策、シリア北部の占領、クルド、他のマイノリティ、トルコ国内の社会主義者と共産主義者、その他の権利侵害、を糾弾していたために、彼女を黙らせたかった。ベルギーでは攻撃当時、警察に逮捕された個人数人のうちひとりの名前が、サキネ、フィダン、レイラの殺人に対し上げられた。これらの個人たちはフランスに対するトルコ大使とつながっていた。そしてその大使は議会メンバーから聴聞される予定だったが、彼がトルコ秘密機関司令部の2番手だったために、アンカラに呼び戻された。
 トルコは、クルドにとってだけではなく、アルメニア人にとっても極度に危険だ。エルドアンは、オスマン帝国の失われた領域を引き寄せたがっている。確かにひとつの共和国が、クルド、シリア、またアルメニアの人々を犠牲にして1923年に創建された。しかしそこには共和主義の心性は皆無なのだ。

西側諸国の一貫したご都合主義


――満たされない約束がもろもろある。たとえば、クルドにある種の自治地域を認めると想定されたものだったが、1920年のセーヴル条約(第一次世界大戦後オスマン帝国と連合国間で締結:訳者)の中で西側諸大国が交わしたものだ。さらに、クルディスタンを脱クルド化したいと思ったケマルによって1923年にローザンヌで覆された約束がある。数十年にわたる差別に直面しいくつか反乱が勃発した。1970年代末に、クルディスタン労働者党(PKK)の誕生を伴うひとつのはね返りがあった。EUによってテロ組織としてリストに挙げられたこの党は、イスラム国と交戦したコバネの闘いに戦闘員を提供し、かれらは欧州人から歓呼で迎えられた。

 PKKはコバネでの戦闘で450人の活動家を失った。それは、10年、20年、30年も訓練を受けたもっとも重要な活動家たちだった。かれらは戦闘能力をもっているだけではなく、経済やエネルギーや女性の問題を討論し、分析し、考察することもできる者たちだった。
 ダエシュとアル・ノスラは西側によってナンバーワンの敵と宣言された。クルドは彼ら自身の戸口で、しかしあらゆる人々のために世界のナンバーワンの敵と戦闘したのだ。それでも、かれらがEUに戻ったとたん、これらの戦闘員は再びテロリストになった。それは、フランスに難民資格を求めていたが、2022年12月23日に殺されたエミネ・カラも同様だった。

なぜ「女性、命、自由」なのか

――エルドアンは彼の政策を続行している。しかし、2022年のテヘランにおけるジナ・マフサ・アミニの死後に始められた女性、命、自由のスローガンは、クルドの女性の闘いが起点になっている……。

 民衆訓練アカデミーの中で、いくつかのカセットが記録された。1991年頃、オジャランがサキネ・カンシツに話しかけ、彼女に、女性が自由でなければ彼女たちは生きることができず、したがって革命を行うこともできない、と話しているのを皆さんは見ることができる。
 2003年、PKKに近い女性たちがこのスローガンを提案した。つまり、女性が自由でなければ社会も自由でない、と。女性は命、勝利、自由を意味している。2013年以来私たちは、われわれのあらゆる行動の中でそれを使い続けてきた。われわれは、男たちにそれを言わせるのが非常に困難だと分かっている。
 このスローガンは、マフサ・アミニ(あるいはジナ・エミニ)の墓石に刻まれている。それはわれわれにとってスローガン以上ものであり、哲学だ。あなたは、女性の自由なしに社会の自由について語ることはできないのだ。それはまず女性の自由であり、次に社会の自由だ。それこそが、女性が命を意味し、抵抗の意味である理由だ。女性は勝利の頂点なのだ。(2023年3月6日)(「インターナショナルビューポイント」2024年3月16日) 

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