ウクライナ タラス・ビロウスへのインタビュー(上)

自身の命がかかる問題が最重要に

―ロシアの侵略を改めて考える―

戦争は当地の左翼にとって決定的分岐点だった

 本紙で何回か論考を紹介したタラス・ビロウスが、ロシアの侵略に抗した2年を振り返って現在の思いを語っている。ウクライナの現状を伝える貴重な情報に加え、状況に応じて具体的な選択が必要になることなど、左翼全体への問題提起もある。上・下連載で紹介する。(「かけはし」編集部)

 以下は、ロシアの侵略の最初からウクライナ軍で軍務に就いてきたウクライナ人歴史家でエッセイストのタラス・ビロウスへのインタビューだ。ビロウスは、社会運動グループ(ソツイアルニイ・ルフ)の1員かつオンラインメディア媒体の「コモンズ」編集者で、ウクライナ左翼のもっとも見える代表者のひとりだ。彼は、彼のエッセイ、「包囲されたキーウからの西側左翼への手紙」および「私はウクライナ人左翼。ここに、私がロシアの侵略に抵抗を続けている理由がある」によって、海外でもっとも知られている。
 2月はじめわれわれは、ウクライナ人社会主義者で歴史家のタラス・ビロウスと合うためにウクライナ東部に旅した。彼は、ロシア軍部隊による全面侵略の開始以来ウクライナ軍で軍務に就いてきた。彼は現在、前線から20、30㎞のところにいる。このインタビューは、ウクライナの反権威主義に関する今後の発表の一部として行われた。

戦場で政治的違いは問題ではない

――われわれは軍の基地の外で会っている。兵士間での政治的討論は問題になるのか?

 指揮官は兵士の見解を検閲することはない。しかしながら、私は個人的経験から、部下がメディアに話す場合、特に政治的話題に関し、それが下級将校を神経質にする可能性がある、とわかっている。現実的にそんな怖れは全くなかったにもかかわらず、ひとりの指揮官が私のインタビューのために軽い警告を受けるだろうと心配した、ということが私に起きたことがあるのだ。
 いずれにしろ私は、不必要な討論は避けようと努めている。私は自分の強みを守るために、私の政治的観点を、あるいは私が歴史家であるという事実を声高く唱えてはいない。そうでなければすぐに誰かが、キエフ・ルーシー(あるいはキエフ大公国、9世紀末から13世紀にかけ存続といわれる:訳者)について話させたがったり、何らかの挑発的問題が話題に上る。その個人との活動における協力の可能性が将来あるかもしれない、と私が理解するならば、その時私はかれらに話しかけるだろう。

――違った観点をもつ人々との協力はどれほど挑戦的か?

 現在の脈絡では見解は私を悩ませない。人々はここで本当に違っている。事実として皆さんが全般的な政治問題を討論させることはめったにない。しかし、われわれの命や軍務に直接影響を与える問題、たとえば上級指導部に関しては、われわれは全く簡単に共通の土台を見出している。
 軍内のはるかに大きな問題は人間的な要素だ。何人かの将校は、人々を不必要に殺させる愚劣な命令を与えている。少なくとも6ヵ月軍務に就いてきたどんな兵士もあなたに、そうした話をひとつ以上告げることができる。
 下級兵士の場合、侵略の最初の2、3ヵ月、かれらは自らを一緒に奮い立たせた。しかし2年後の今、疲労が広まっている。西側では、疲労によってわれわれの戦う意志が次第にしぼむだろうと予想している。しかしながら、われわれが疲れているという理由だけでは、われわれが抵抗を続けることは重要ではない、ということを意味することにはならない。
 しかしわれわれが言ったように、人々は戦争を戦っている最中も違っている。ある者は将校の行動にもかかわらず、われわれは活動を保ち、また圧力を維持することが必要、と理解している。そして他の者は……。私は一度別の歩兵中隊の兵士と軍務に就いた。そしてわれわれは崩れかかった塹壕の中で4日間を過ごした。私はそれを修理し始めた。しかしその兵士は「くだらないことは止めろ。指揮官を来させ、彼自身に塹壕を修理させよう」と語るのだ。
 ロシアの侵略に抵抗し続けるという決意を共有しつつも、誰もが自らに問う。「なぜ私は犠牲になるひとりでなければならないのか」と。何かについて指導部が計算違いをしたとして、普通の兵士はその償いをなぜかれらの命で払わなければならないのか? そしてそこには、徴兵に応じる意志が低下する一方の市民が含まれる。2022年には徴兵に応じようとし、その時徴兵されなかった私の友人たちの何人かさえ、今は動員を逃れようと模索中だ。それは、恐怖によりも軍内で共通なある程度の無意味な習慣に関わっている。それについては誰もが知っているのだ。かれらはそれらをずっと前に変えることも可能だった。しかしほんのわずかな別々の部隊の僅かな例外を別にして、それらは変わらなかった。

2022年に戦争の質が変化


――2022年、あなたは2014年後の戦闘経験がなかったにも関わらず軍に加わることを決めた。あなたにとって、これらの戦争の段階は異なっているのか?

 2014年、それは領土のための戦争だった。ある人びとは、かれらが少数派だったとしても、本当にロシアに加わりたかった。親ロシアの考えをもつかなりの数の人々はまったくのところ、ウクライナにとどまりたかった。しかしかれらは連邦〔ドネツクとルハンスクにとってのより多くの自治〕を強く願った。もちろん、ドンバスの人々の何%がどちらの考えをもっていたかには、長々とした論争も可能だろう。またそこの人々が考えたことも時を通じて変化してきた。
 2022年のロシア軍部隊の介入前夜、ドンバスにおけるある調査は、ほとんどの人々にとって彼らが暮らす国がどちらか――ロシアかウクライナか――よりも戦争がもっと重大、と示した。前線の両側に暮らしている人々にとってこれが真実だ。
 もちろん、ドンバスのふたつの部分間の意見差は何年もの中で広がってきている。これらは、言ってみれば二重のアイデンティティに慣れるようになった人々だ。かれらがリヴィウに行けば、親モスクワと見られ、モスクワにいれば、人々はかれらを親ウクライナとして眺めるのだ。
 2014年、ロシア人のイゴール・ギルキンが戦争を始めた(ドネツク人民共和国の軍司令官として―筆者注)。そしてその年遅くロシア軍部隊が侵攻した。しかし確かに、さまざまな理由から多くの現地の人々もウクライナ軍を相手とする戦闘に加わることを決めた。
 当時戦争は、私に完全に異なった影響を与えた。それは私の中の民族主義すべてを消し去った。しかし2022年、私は、ロシア軍を誰ひとり歓迎しなかったキーウのような地域を含むあからさまな侵略を前にした。また、民衆ほとんどがウクライナに戻りたがっているヘルソンやザポロージェといった南部の侵略もあった。その光景の中で、今それは異なった種類の戦争であり、完全にはるかにより単純になっている。

兵士には反マイダンだった者も

――あなたは、あなたの仲間の戦闘員内部で、この「二重のアイデンティティ」の影響を感じているのか?

 どこでも、ここ戦闘部隊内部でも見解に違いがある。たとえば、私の現歩兵中隊指揮官は明らかに2014年春に反マイダンを支持していた。私は彼とは緊張した関係を抱え、私は、他の将校たちとの会話で彼がどのように主張しているか、からそう推測している。彼によれば、東部ウクライナの民衆はマイダンを好んでいなかった、それゆえかれらは連邦化を求めた、しかし政府は交渉に合意するのを好まなかった。
 しかしながら、2014年にギルキン一派(ロシアの兵士に支援された分離主義者たち―筆者注)がスロビャンスクの町を攻略して以来、それはロシア情報機関の作戦に成り果てた、こう彼は語るのだ。彼はまた、われわれ全員をウクライナ語に切り替えさせたがっている言語活動家も嫌っている。
 私の部隊のほとんどは東部地域出身であり、また私が聞いているところでは、民族主義者を好んでいないところの出身だ。私の知り合いの何人かも、元「ベルクツイアンス」(元機動隊メンバー)を抱える部隊で軍務に就いた。そしてこの後者の者たちは、マイダンの中ではヤヌコビッチ政権を守り、マイダンに関するかれらの観点を変えていない。同時にかれらは今、ロシアの侵略と対決してウクライナを守っているのだ。

――あなたはどんな軍の地位にいるのか?

 全面侵略の最初の2年間、私は主に通信兵の任務についた。実際にはそれは、完全に変化に富む仕事――時にコンピュータの背後で、時にラジオの設定や通信ケーブル敷設――だった。もっとも頻繁には通信員として、われわれは「ゼロ」ライン〔接触の〕から数㎞離れた塹壕にとどまっていた。われわれは、グラウンドゼロにいる男たちのために通信の支援チャンネルを提供する。たとえば、通信の一般チャンネルが途絶したり、信号が届かない場合、われわれは代役を提供するためにそこにいる。
 最近になって私の仕事は変わった。私は今偵察大隊の軍務に就いている。しかし私がやっていることを正確に公開するつもりはない。

決定的な瞬間での行動が重要


――チェコの左翼的環境の中では、市民と難民に対する連帯は強力だが、武装抵抗に対する理解は今も小さく、ウクライナ人の軍への自発的入隊に関する誤解があり、また兵器〔西側の〕供与停止の要求もある。これについてのあなたの考えは?

 あなたが侵略を直に感じれば、それはあなたを変える。われわれの編集者のひとりが語ったように、そのような決定的な瞬間に際し優先性を置くことははるかに易しい。日々の暮らしの中であなたにとって重要なことは多くある。しかしあなた自身の命がかかる時、それが主なことになり、他のすべては二義的になるのだ。それは少しばかり心をすっきりさせる。
 侵略の最初の日に私は、ウクライナの左翼運動の将来はこの戦争にわれわれが積極的に加わったかそうでないかにかかっている、と理解した。われわれはすべて大きく、そのような決定的瞬間におけるわれわれの行動によって判定される。われわれ左翼はこの国でとうに大した影響力をもっていない。そしてわれわれがその時戦闘に出向かなかったとすれば、すべては崩壊していたと思われる。左翼はウクライナでどんな実体としても存在することを止めただろう。
 いくつかの理由から、私は今武装抵抗に従事している左翼運動のもっとも見える代表のひとりだった。そして今もそうだ。そしてそのように私には、私自身のためばかりではなく他の者のためにも責任がある。それは私の場合より容易だった。私は未婚であり、子どももいないのだ。
 控え目に言って、私には良い兵士になるかどうか確信がなかった。そしてそれが、それに用意ができていなかった理由のひとつだ。私はいつも、論文を書くことのような他の方法でもっと役に立つだろうと考えた。私は今も大した兵士ではない(笑い)。しかし私も少しずつ学習中であり、次いで経験するだろう。私は私の前に最低丸々1年を残しているのだ。

今もっと批判的思考が必要


――全面的なロシアの侵略の開始以後、あなたは2本の影響力のある論考を書いた。いくつかの言語に翻訳された「包囲されたキーウからの西側左翼への手紙」および「私はウクライナ人左翼。ここに、私がロシアの侵略に抵抗を続けている理由がある」だ。戦争の条件下で書き続けることは可能か?

 侵略の開始以後、私はただ、私にそうする力があった最初の2、3ヵ月間に集中したやり方で書くことができたにすぎない。時間がもっとあった。この僅かの月の間、私のアドレナリンは完全に統制できないものだった。私は生涯で書くのがそのように易しいと気がついたことは全くなかった。普通私は、どんな章句を形にするのにも自分を痛めつけている。しかし当時私は、椅子に座り、半日で論考1本を書いた。もはやそれはない。私にはエネルギーや確信がない。私は今もっと批判的であり、頭の中でものごとを回している。

――あなたはひとつのインタビューの中で、ドネツクとルハンスクの地域やクリミアが一旦解放されたときに、そこの親ロシア住民に何が起きるか確かではない、と述べた。社会のこの部分との関係はどうなるだろうか? 何が起こるだろうか?

 われわれはすでにいくつかの地域を解放した。つまりわれわれにはわれわれが分析できる実地経験がある。たとえば、2014年にクリミアからウクライナに逃れたジャーナリストかつ元左翼活動家の私の一友人は今、リマンでの協力問題に対処中だ。そこでの人々はしばしば不当に裁判された。もちろん、抑圧に積極的に加わった者たちの事例があり、かれらは確実に有罪判決を受ける必要がある。しかしながら、ウクライナ人が明確に不当に判定している事例もある。たとえば、占領期間中に普通の人々の生活条件を維持していた技術サービスの電気技術者の例がある。それほど鮮明ではない大きなグレーゾーンがあるのだ。
 ここには司法との関係でどれほど多くの問題があるかを前提とするとき、「法の支配」の条件はウクライナに全く当てはまらない。しかしこのすべてがあろうとも、ロシア占領領域と残りのウクライナにおける抑圧と人権尊重のレベルは比較にならない。
 東部地域に関してウクライナ主流内にある物語もまた、問題が当地住民のことになると、幾分統合失調症的だ。人々は一方でかれらを「われわれの」と見、他方でかれらすべてを「分離主義者」と見ている。2014年にそこで起きたことに関し首尾一貫した物語は全くない。その上、それらのできごとを記述する際にあなたが一定の受け容れられた主張の先まで進めば、あなたは分離主義者とみなされる。それゆえその点で、私は本当のところ、これがウクライナ内で全面的に出てきているあり方を好んではいない。
(つづく)

The KAKEHASHI

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