ウクライナ タラス・ビロウスへのインタビュー(下)

侵略は知的解放の画期にも

模範の型紙から離れよう

歴史的再構築と現代の諸傾向統合に苦闘を

ゼレンスキーの現実的評価

――あなたは、戦争期にゼレンスキー政権が新自由主義政策を実行中だという事実について書いた。あなたは同時に、ゼレンスキーはもっとも中道的な候補者だった、あるいは少なくとも急進右翼からは最も遠い候補者だった、という見解の持ち主だ。われわれに関心があると思われるのは、この2年でこれがどのように変化しているかを知ることだ。有権者はこれをどう受け止めているのか? そのレベルで何らかの変化はあるのか?

 確かに変化は諸々ある。当時私が言いたかったことは、ウクライナの大統領になるチャンスをもっている政治家の性格だった。ゼレンスキーは民族主義の点でもっとも穏健だ。これまでのところこの点で変化はまったくなかった。しかしながら、全体としても総意はより強い民族主義へと動いてきた。そしてゼレンスキーも同じようにその方向で動いてきた。人はまた、ロシア語話者住民にもっと開かれた政治家を見つけることもできる。しかしかれらに、大統領選挙に勝利するチャンスは皆無だ。西側左翼の何人かは、言語問題に関する開かれた立場は全体としての進歩的な課題設定を意味するわけではない、ということを理解していないように私には見える。私の観点からは、これはしばしば、親ロシア諸政党の元支持者を獲得するための、ポピュリストの戦略にすぎない。
 ゼレンスキーは彼の大統領任期の最初の1年半を、ドンバスでの和平を達成しようと努めて費やした。そしてポロシェンコ(ゼレンスキーの前任大統領:訳者)の配下たちはそのことで今も彼を責めている。侵略が始まってからの数ヵ月、彼は再度彼の演説でロシア人の聴衆者に話しかけた。多くのウクライナ人同様、彼はロシア連邦の民衆がやがて蜂起するだろうと期待した。ある時点で彼は立場を変え、ロシア人はビザを発給されてはならず、欧州入国を禁止されなければならないとの要求を支持した。
 2022年秋、プーチンは動員を宣言し、ゼレンスキーはロシア内のロシア人に向け再び演説した。その時までにウクライナ人主流は、許容線を越えるに足るまで移行していた。そうした時期では明らかだが、ゼレンスキーの政治はウクライナの政治的主流よりもますますより包括的だ。ものごとがこうした形で結局わかっていることで、確かに私は実際幸運だ。
 しかし同時にそれも、ゼレンスキーが多くの問題で今ある種の愚か者であり続けている事実を打ち消すわけではない。たとえばもっとも近いところでは、それは彼がパレスチナ問題に向かい合った方法に見える。また、彼が批判にどう応じているか、彼が政治的ライバルとどう競い合っているか、彼がメディアの力をどう集中しているか、も問題だ。
 彼と彼のもっとも近い協力者たちは、ショービジネスの人間であり、公衆の気分をつかみ取るために、極めて職業的テクニックを駆使した取り組み方を採用している。たとえば、ロシアの侵略の最初の数日、かれらはあらゆるチャンネルのテレビニュースを組にして、ある種の共通長時間番組にした。その当時、それはその情勢にふさわしかった。現在のできごとそれだけを、誰もそのような扱いで提供はできなかっただろう。
 しかし今日われわれは、そうしたことはずっと前に捨てられていなければならなかった、と言ってよい。それは言論の自由を狭めるからだ。しかしゼレンスキーはそれを捨てていない。彼は愚か者と間抜けに囲まれている。われわれは、かれらの全面的に不十分な政治について長いリストを作ることができるだろう。

マイダンは多くのことを教えた


――マイダンへの左翼の参加に関してはどうか? 当時あなたは左翼運動の一部ではなかった。当時の全体構図を示せるだろうか?

 私は当時に関し矛盾した関係を抱えている。私はマイダンの中にいたが、それを囲んでいる情念を好んでいない。私はマイダン以前にひとりの活動家だった。2、3ヵ月前私は、教育に関する抗議行動を組織しようと挑んだ。私は大学構内でリーフレットを配ったが、人々は極めて消極的だった。しかしマイダンが始まるや否や、僅か数ヵ月前には抗議する利点は何もないと、あるいは似たような冷笑を言っていた同じ人々が、不意に大義に関し熱烈になり、私がただ見つめるしかないような革命的な発言をするようになったのだ(大笑い)。当時に戻れば、私は、大きな昂揚の場合に人々は突如として変わる、とは理解していなかった。
 マイダンは、国家への抵抗、抑圧的機構への抵抗に関する話であり、同時に連帯に関する話でもある。しかし、抗議が暴力的局面に動いたとき、暴力への参加が人々を変え、それは私に全く居心地を悪くした。私はルハンスク出身であり、それゆえそこで何が起きているかを見つめ続けていた。私がマイダンでキーウ出身の友人やクラスメートとは違った経験をした理由のひとつがそれだった。私は最初から、それがドンバスに悪いことに完全に変わるかもしれないと心配だった。残念ながらそれが本当になった。
 私は、西側左翼が最良の光で自らを示していなかったその2014年に、このすべての真ん中で左翼になった。そして事実として、ウクライナ左翼は、われわれが今西側のせいにしている諸問題を理由に衰退の中にあった。
 西側左翼の反応は、特に侵略者が誰かが今明瞭であることが理由で、全体として今は2014年の時よりも健全だ。そうであっても、侵略の始まりの日々私は、われわれが心得違いの反応にすぐさま終止符を打つことができるように、何がどのようにを説明するためにここから何らかの助けを提供する必要がある、と感じた。
 私は大げさだが、西側の人々は目を覚ますだろうと考えた。今私は、私がいかにウブだったか、問題の大きさをいかに過小評価していたか、を理解している。同時に私は、西側左翼の反応に驚かされないだけの、2014年の経験もすでにもっていた。しかしわれわれはまた、侵略前の2、3年に左翼運動に入ったもっと若いメンバーも抱えている。そして何人かのかれらの場合、その反応はショックだった。

代理戦争論の間違いはどこに


――あなたはあなたの論考のひとつで、自己決定権、およびウクライナへの侵略は単なる代理紛争にすぎないとの主張に対する批判に取り組んだ。あなたの観点では、急進左翼の一部はこの問題で、たとえば米国の公職者よりも「帝国主義」的立場をとっている。これはどのように現れているだろうか、またあなたはどこにその根があると考えるか?

 西側左翼の一部は、ウクライナに悪感情を持つ偏見、ロシアに対する無批判的認識、その他に持ち上げてしまっている。多くの反戦左翼は、兵器の船積み停止以外に実際何を強く求めているだろうか? かれらは、ここで生きている人々の考えを考慮しない取引を米国とロシアが行うことを欲しているのだ。そのような解決は左翼の価値とは何の関係もない。そのような取り組み方は国際関係におけるある種のネオ現実主義の受容を意味する。
 左翼は、そうした問題に対する何らかの総意的な共通する取り組み方を開発してこなかった。唯一の総意はおそらく民衆の自己決定権に関するものだが、しかしウクライナの事例では、これも左翼の一部によって突然忘れ去られている。問題が決定的情勢になる時、他では理性的な人々が突然完璧なたわごとを書いている。
 米国はこの特殊な事例では基本的に、ウクライナ人はいつどのような条件で抵抗を終わりにするかを決定できる、と今語っている。しかしながら米国は、世界中の多くの他の武装紛争事例では、少なくともグローバルサウスの諸国では、自己決定権に対する支持に関しまったく異なる立場をとっている。
 当座、西側左翼はパレスチナを支援し、米国はイスラエルを支援している。われわれウクライナ人もまた、パレスチナ人との連帯の公開状を公開している。しかしながら西側左翼はさまざまな形でパレスチナを支援している。この1年半にわたってウクライナの極右について大声を張り上げてきた同じ左翼がしばしば、今ハマスを無批判に支持している時、それは私にはショックだ。そうであれば私はもはや、西側政府の偽善に関するかれらの諸言明いずれもまじめに受け取ることはできない。

――その立場には一定の道義的説教があるように私には見えるが?

 そうだ。これは、感情的、また客観性欠如として女性の信用を傷つけることを正しくも糾弾するような、この何十年にわたる多くのフェミニストの批判があったという事実にもかかわらず、というものだ。戦争の例ではかれらは、この「情動性」をわれわれウクライナ人に投影している。とはいえ、それに関し間違ったことは何もない。情動性の反対は合理性ではなく無関心なのだ。そして次の問題は困難な決定になる。そして左翼は幾分このすべてを忘れている。
 主な問題は私には明白に思え、それは、反帝国主義と反米の混同だ。あらゆる対立が米国への反対という見地で見られている。
 私にとって今も驚きのもうひとつのことは、ロシア連邦とソ連邦の混同だ。ソ連邦、およびそれに対する適切な評価はどうあるべきかをわれわれは討論してよいが、それでもプーチンのロシアはどんな意味でもソ連邦ではないのだ。今それは完全に反動的な国だ。かれらが今もロシアをソ連邦と見ていることを暴き出す文書コメントや主張に、どれほど多くの左翼の書き手がするっと入り込んでいるか、人はそれをやめさせることはできないが、指摘することはできる。これは、プーチンの体制が反動的、保守的、新自由主義、等々だと、かれらが理性ではわかっているにもかかわらずのことなのだ。そして次に、にわかに、突然、米国のウクライナ支援はボルシェビキ革命を理由としたロシアに対するある種の復讐だ、との趣旨に添うことをうっかり言い出すのだ。全く何というたわごとか(笑い)。

抽象ではなく現実に即した思考を

――あなたは西側左翼にどんな助言を与えるのだろうか?

 左翼の相当な部分は絶対的に不十分な立場をとっている。ウクライナを支援する主張に時間を振り向けている人たちは、ともかくも正しいことを行っている。左翼はあらゆるところで危機にある。正確には、ここのようにあるところではそれは完全に歪められ、あるところでは西側のようにより良好だ。私が仮に何らかの全般的な助言を与えるとすれば、私は、どの抽象的な立場が正しいかにあまり注意を向けずに、われわれが今いる穴から抜け出すのを助ける実際的行動にもっと焦点を絞るよう薦めるだろう。
 われわれ自身の組織内ですら、2022年まで、ドンバスでの戦争に関し違った立場を採用していた。時にこれらの敏感な問題を調停することは難しかった。状況をエスカレートさせないことを目的に、われわれはしばしば自らを検閲した。私の主張のひとつは、われわれが影響を与えることができないものごとについては議論しないようにしよう、というものだ。
 左翼はしばしば、上から目線の恩着せがましさと感じられ、彼ら自身を唯一の合理的で批判力のある者と考えている。それでも内部から、あなたはこのどれほど多くが学び取られた焼き型かを確かめなければならないだけだ。たとえば、左翼のある者が、論争の中でどのようにかれらの立場や戦略を断言しているか、だ。特別な条件を分析する代わりに、かれらはしばしば、情勢に全く適合していない完全に異なった時期と全体関連からとられたパターンを単に繰り返すにすぎないのだ。
 われわれは、このような模範の型紙から完全に離れる必要がある。マルクス主義は教条ではない。しかしいくつかの理由から、あまりに多くのマルクス主義者が実践で、マルクス主義を確立された教条、「階級戦争以外の戦争ノー」やその他、の単なる繰り返しに切り縮めている。
 実にわかりやすい状況が、ドイツ議会の左翼党代表団がこの春到着したときに起きた。その時まで、兵器供与に関するかれらの立場は完全に否定的だった。かれらが去る際このグループの代表は、キーウでのかれらの経験を受けてかれらの立場のいくつかを再考した、と語った。たとえば、ウクライナ人は明確にミサイル防衛を必要としている、ということだ。かれらがその時まで供与を拒否してきた同じミサイル防衛が、現実にはキーウでかれらを守っていたのだ! そしてそれゆえ、かれらは侵略から1年以上経ってそれがどれほど必要かを実感した。かれらがこの理解に達するには長い時間を要した。そして今も、かれらが理解する必要があるものは多くある(笑い)。しかしこれは少なくとも最低限のことだ。

東側左翼には「脱植民地化」必要

――チェコの左翼に対しあなたが何か言いたいことはあるか? たとえばあなたがふれた極度の平和主義に関してだが。

 チェコの左翼はプラハの春という抑圧に関する歴史的な経験をもっている。それゆえ私は、われわれの反抗に対しかれらがもっと多くの理解を見出していない理由を理解できない。それはおそらく、西側の左翼理論に対する過剰依存のためだ。
 正直に言って、それはわが国においてもまさに同じだった。そしていくつかの側面では今日も依然同じだ。1989年の後、事態はウクライナの左翼にとって極めて気が滅入るものだった。そしてわれわれはなおのこと西側の著者に頼った。コモンズ誌でわれわれもまた翻訳を行っている。しかし一定のレベルで人は、われわれにはわれわれ自身のある種の脱植民地化が必要、と理解し、感じている。
 2022年2月24日、つまりロシアの侵略の日もまた、われわれにとって知的解放の画期になった。そこからわれわれが多くを学び取り、また明らかにそれを認めたような、しかしわれわれが幾分違った背景を抱えているような、西側の著者が書いているものに関しもっと批判的であることが必要だ。われわれは、それを当地の考え方からそれを考察することを恐れてはならない。そしてそれには、西側左翼の著者の諸々の理念に関する当地の分析を発展させることが含まれる。
 われわれもまた、当地の左翼的環境の中で、われわれ自身に有害になる形で、西側左翼の観点を何度も繰り返してきた。現代左翼政治のふたつの悩みの種は、歴史的な再構築と諸傾向の取り入れだ。人々は100年前の著者を読み、これらの古典的文書にしたがって自らをマルクス主義者、あるいはフェミニストと言明している。世界は多くを変えているが、人々はそれらがもはや本当のところ現在の諸条件に合っていない場合でも、人々は古典をあまりにも文字通りに読んでいるのだ。そして第2に左翼は、流行の西側文化戦争とサブカルチャーの取り入れという習慣を止めてはならない。
 2016年に、ウクライナでのイベントでふたりの左翼活動家が、「戦争にではなく教育にマネーを」のスローガンを唱和すると決めた。かれらはそれを、帝国主義的侵略に関わったことのあるイタリアから、まったく異なった背景から持ち込んだにすぎなかった。われわれの例では、ウクライナはまず何よりも、もうひとつの国家の侵略の犠牲者だ。つまり先のことはいわば惨事となった。当地の左翼にとっての結末は単純に恐ろしいものだった。われわれは2014年の後すでに異なった情勢の中にいた。そしてこのひとつの行動、ひとつのスローガンはものごとをはるかに悪化させた。
 それゆえ確かにわれわれは多くの間違いを犯した。真実として、われわれの何人かもまた間違った結論をを引き出した。われわれも学ぶべきものを多くもっている。しかし同時にわれわれは、われわれの苦いウクライナの経験から、いくつかのことを学び取っている。(了)
▼タラス・ビロウスは、ウクライナの歴史家で社会批評誌、コモンズの編集者。また「社会運動」組織の活動家。(「インターナショナルビューポイント」2024年4月17日)   

週刊かけはし

購読料
《開封》1部:3ヶ月5,064円、6ヶ月 10,128円 ※3部以上は送料当社負担
《密封》1部:3ヶ月6,088円
《手渡》1部:1ヶ月 1,520円、3ヶ月 4,560円
《購読料・新時代社直送》
振替口座 00860-4-156009  新時代社