カシミール紛争

インドとパキスタンの「核抑止 力」は不安定性を増幅させた

プラフル・ビドワル

 カシミール地方の支配をめぐるインドとパキスタンの27年に及ぶ対立は、昨年に両国が相次いで行った核実験によってより一層、不安定を増し、インド側に侵入したパキスタン軍あるいはイスラムゲリラをめぐって、インド軍による空爆という事態が引き起こされるに至っている。


再び始まった相互の砲爆撃

 「核抑止力」は、カシミールの抗争地域をめぐるインド・パキスタン紛争のエスカレーションを防ぐものではなかった。
 ラホールでの平和と和解のための「歴史的」な頂上会談の3カ月後、インドとパキスタンはカシミールの国境を越えて相互に砲爆撃と攻撃を再開した。インドはこの27年間で初めて国境の交戦地域に空軍部隊を派遣した。インド兵60人以上が地上戦で死亡した。
 インドは、紛争は自らの「実効支配線」(LoC、紛争対象になっている国境線をそう呼んでいる)の内側に限られていると述べているが、パキスタンは爆弾の一部が自国の領域に落下していると主張しており、その事実を「きわめて重大」と見なしている。
 両国はおたがいに、2月21日のラホール宣言と、1971年のバングラデシュ戦争後に調印されたシムラ協定の条文と精神の双方を破るものだとして非難しあっている。両国は、分割されたジャム・アンド・カシミール地域(州)の主権を主張している。両国は、おたがいの軍事能力、意向、外交政策の決定に不安を持っている。

パキスタン軍かゲリラ兵か

 この衝突は、インド軍がLoC(実効支配線)のインド側で、武装した「浸透者」の存在を発見したことで始まった。パキスタンはこの「浸透者」なるものが、インドでただ一つのムスリム多数派州の独立を求めて闘っているカシミール・ムジャヒディーン(ゲリラ)だと言っている。
 こうした国境を越えた侵入は、長年の間、とりわけ冬の雪が融けた後には、恒例のものとなっていた。1998年5月に両国が核爆発実験を行った前後6カ月で、350件以上の重火器の砲撃があったと報告されている。
 現在のケースで新しいことは、国境を越えたゲリラの数が比較的多数(インドでは非公式に1000人から1500人と見積もられている)だったこと、そしてインド支配下のカシミールに7キロにわたって浸透することに成功したことである。ゲリラは、15平方キロの地域で比較的装備の良いキャンプを創設したと報じられている。インド軍の恒例の作戦が、ゲリラ戦士たちを撃退できなかったのは明らかである。
 カシミールのゲリラが国境近くのインド支配地域で恒常的な支配を行ったのはこの50年間で初めてのことだ、と軍部筋は語っている。
 インド国内相のL・K・アドバニは、この浸透作戦にはパキスタンの「正規軍と傭兵」が加わっていると主張した。インドは、この侵入者を弱体化し、彼らの補給線を断ち切るためには航空勢力を使用する以外にない、と語っている。それが遅れれば、パキスタンによる作戦の拡大を促し、「浸透者」の追放がなければ設定されたLoC(実効支配線)のインドに不利な形での変更がなされ、死活的に重要なスリナガル�\レー道路の安全は脅かされ、高地占領の継続はさらなる浸透をもたらすだろう、というのだ。

インド軍による空爆の開始

 十分な、実証できる情報がないが、インドがムジャヒディーンの戦士たちの撃退に失敗し、おそらくは多くの死傷者を出した(カシミールの地方紙によれれば)後、インド政府は空爆を決定したと思われる。
 この攻撃は、地上攻撃用ヘリコプターと、ミグ29の援護を受けたミグ21、ミグ27などの戦闘機によって遂行された。こうした空爆は、軍事的衝突に迅速さという新しい要素を付け加え、迷走した飛行機が国境を越え、見失った目標に爆弾やロケットを投下して、パキスタンの軍事的に重要な施設を攻撃するという危険をふくんだものである。
 国境は地上ではっきりと確定されているわけではない。これは報復や戦略的誤認の機会を増大させる。
 戦略的誤算は、インド-パキスタン抗争の一貫した要素であった。1965年、パキスタンのアユブ・カーン将軍はカシミールに軍隊をパラシュート降下させるだけで、インドに対する民衆的反乱の引き金となるだろうと考えた。これはパキスタンが勝利しなかった激しい戦争をスタートさせた。
 1986-87年、そして1990年にも行われたインドの軍事演習は、パキスタンの将軍に攻撃が目前に迫っていることを確信させた。1990年、パキスタン政府はカフタウラン精製工場にトラックを集結させ、紛争を核レベルにエスカレートさせる意思を示した。
 現在の対立は、三つの重大な問題を提起している。パキスタン軍部ないし治安情報機関は、本当にこの「浸透」作戦に関わったのか。もしそうならば、彼らは独自にそれを行ったのか、あるいは文民政権の協力を得てそれを行ったのか。両国が同意した相互協議や信頼確立措置は、なぜ紛争を回避できなかったのか。そしてインドによる空爆のタイミングを決定したのは一体何だったのか。
 もしパキスタン軍が関わっていたのだとすれば、それはラホールで結ばれたような限定された「信頼」協定の有効性と、パキスタンにおける政治的決定の全能かつ最終的な裁断者だと見なされている軍部に対してナワズ・シャリフ政権が優越性を持つ能力に疑問を投げかけることになる。
 他方、もしインドの主張が嘘だとすれば、それは「民主的インド」が言明している透明性に疑問符を打つことになる。民衆が情報を手に入れることが制限されており公式の主張を確証できないカシミールでは、つねにこうした透明性は希薄なものだった。
 ラホール協定は、真の意味で、武器の抑制やコントロールを真剣に行おうというものではない。それは関係を改善し、限定された形での透明性を導入しようという善意の宣言である。
 インドとパキスタンは、核戦争の危険を減少させようという相互的措置に同意せず、「それぞれの管理の下で、核兵器の偶発的ないし無権限の使用」を削減するそれぞれの「国家的措置」(それは特定されていない)に合意しただけであった。彼らは「さらなる核爆発実験の挙行へのそれぞれの側の一方的なモラトリアムを遵守し続ける――異常な事態が最高利害を危険に陥れた、と一方の側が決定しない限り」。

バジパイ政権の危機の反映

 インドの航空兵力派遣決定のタイミングは、国内の政敵の裏をかくというバジパイ「選挙管理」内閣(議会での信任を失った)の誘惑を反映したものである。
 連立政権は深い混迷の中にあり、その主要な敵である国民会議派はソニア・ガンジーの党首への復帰につれて上昇機運に乗っている(党内の反対派が、彼女は「外国生まれ」なので国を指導する資格がないと述べたために、彼女は党首の職を辞任していた)。
 国民会議派や他の野党は、政府が紛争を操作することを批判し、無条件の「国民的団結」という民族主義的要求を拒否してきた。
 パキスタンでは、シャリフ政権は批判的なジャーナリストや、民衆的精神を持ったNGOや女性グループを残酷に弾圧しており、腐敗や失政を覆い隠すためにイスラムを通した正統性のいちじくの葉を絶望的に探し求めている。
 しかし何よりも現在の紛争は、核武装がインド-パキスタン関係の安定と成熟の導入を可能にし、伝統的な紛争の危険性を軽減するという主張の虚偽を明るみに出している。実際には、核武装はいっそうの不安定を作りだしたのである。(筆者は、インドの「タイムズ・オブ・インディア」紙や「フロントライン」誌で活躍する著名な左翼ジャーナリストで、アチン・バナイクと共同して、核武装に反対する一連の研究や小冊子を書いている)。
(「インターナショナルビューポイント」99年7月号)

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