新自由主義経済下のラテンアメリカ 〔1〕

ブラジル通貨危機の構造

山 本 三 郎

 昨年夏のロシア通貨・金融危機をきっかけに始まったブラジル通貨危機は、今年1月13日の通貨レアルの切り下げで新たな段階に入った。中南米最大のブラジル経済が破綻すれば、メキシコやアルゼンチンを含むラテンアメリカ経済全体が崩壊の危機に直面する。そしてそれは、ラテンアメリカ経済を支配するアメリカ経済を直撃することになる。労働者の闘いこそ情勢を左右する位置にある。


1 ブラジル通貨危機の衝撃

 1999年1月、ブラジル通貨危機の衝撃が世界市場を走った。1月13日、年頭からの外貨流出圧力によって、ブラジル政府は遂にレアルを九%切下げ、1ドル=1・20~1・32ドルにしたのだ。
 昨年夏のロシア通貨危機以来、一定予測されていたこととはいえ、世界株式市場は直ちに反応した。ニューヨーク市場はダウ平均株価が急落、対前日比で261・58ドル安の9213・10ドルに暴落した。それを受けて欧州株式市場も全面安になり、ロンドン、フランクフルト、パリ市場の株価指数は軒並み4~5%下落した。
 しかし、ブラジルからの外貨の流出は止まらず、1月15日、ブラジル政府と中央銀行はレアルの買い支えを停止、事実上レアルをドルに連動させた固定相場制を放棄、1月15日にはレアルの変動相場制への移行を正式に発表せざるを得なかった。それはこの間のブラジル経済の安定的成長と、その信用を作りだしたともてはやされてきたレアルプランの崩壊と終焉であった。
 IMFと米国はその威信をかけて介入、支援資金援助を背景に変動相場制への移行を強力に指導、あわせて高金利政策の維持、財政健全化計画に代表される財政、金融の緊縮路線の速やかな実施、州政府との債務問題の決着等をブラジル政府に約束させた。
 この間、国際金融市場はロシア危機の時に比べて、比較的冷静な動きと伝えられてきたのだが、それは「IMFと米政府が本腰を入れてブラジルを支える」という認識からだった。
 昨年7月、IMF、先進諸国は総額220億ドルにのぼる国際資金援助をロシアに投入した。しかし、その資金はルーブル買い支えで泡と消え、8月17日にはロシアはルーブルの切り下げに追い込まれ、同時に対外民間債務支払いの凍結を発表した。ロシアは実質的にIMF体制から離脱し、IMFのロシア支援体制は破綻、IMF・米国主導の国際金融支援体制への批判が高まっていた。ブラジルでの国際金融支援の失敗は、IMF・米国主導の国際金融管理体制の崩壊をも意味していた。
 また米国銀行のブラジル向け融資残高は167億ドル、中南米融資残高は641億ドル、そして、ドイツ銀行のブラジル向け融資残高は127億ドル、欧州銀行(ドイツ、フランス、イギリス、スペイン)の中南米への融資残高も1200億ドルにのぼっている(以上、国際決裁銀行調べ、1998年6月現在)。ブラジル通貨危機の中南米への波及は、IMF・米国の威信のみならず、世界経済の根幹を揺るがしかねない大問題だった。
 ブラジル危機は回避されたのか。この間のブラジルからの外貨の流出は、1月だけでも82億ドルにのぼり、1998年に1ドル=1・12~1・22レアルだった為替相場は、3月1日、変動相場制への移行以来の最安値、1ドル=2・15レアルをつけた。
 IMFのフレッシャー専務理事は3月1日、ブラジル危機の影響が、中南米や世界経済に与える影響について言及し、「コントロールできる範囲にあるようだ。波及幅は減りつつある」との楽観的見解を示している。一方、国際的投機家ジョージ・ソロスはその前日の2月28日、「危機は重症」と表現、「(アルゼンチンにも)厳しいインパクトを与えるだろう」と悲観的な見通しを述べている。

2 通貨危機の直接的要因

 今回のブラジルの通貨危機は突然起こったことではない。昨年夏のロシア危機をきっかけとして、ブラジルからの海外資金の流出は始まっていた。ブラジルの経常収支の赤字と財政赤字の拡大に危機感を抱いた市場の当然の反応だった。
 ブラジル政府は中央銀行基準金利を50%近くまで引き上げたが、資金流出は止まらず、8月から10月の3カ月間での海外資金流出は約300億ドルにのぼり、7月に702億ドルあった外貨準備は年末には362億ドルになっていた。
 そのため、IMFと米国は昨年11月、ブラジルの通貨危機を事前に回避するために、総額415億ドルにものぼるブラジル支援パッケージを決定した。その条件としてブラジル政府は、財政収支を2001年には連邦政府ベースで国内総生産(GDP)比で2・3%の黒字にするという「財政安定化計画」を策定したのである。
 財政安定化計画の内容は、まず第一に支出の削減として、年金改革、行政改革を行う。次に、地方交付金の削減期間を1999年から2006年に延長し、その削減率を20%から40%にする。そして財政責任法を法制化し、政府、各自治体の財政均衡に対する責任の徹底と違反に対する罰則を制定するとともに、人件費を歳入の60%以下と定めたカマタ法の実施を徹底させるということである。
 第二に税収の増加として、公務員、恩給受給者の社会保険費用の税率、暫定金融取引税の税率、企業に課せられてきた社会保障分担金の税率をアップするというものであった。
 この内容は公務員労働者のみならず、負担増を嫌う企業、地方自治体の猛反発を引き起こし、10月に行われた連邦議会、州知事選挙では反カルドゾ派が勢力を伸ばすことになった。そして12月3日、ブラジル下院は公務員の社会保障負担の増加法案を否決したのである。世界金融市場にブラジルの財政再建への不安感が、広まっていったことは言うまでもない。
 そして1月6日、ブラジル・ミナスジョライス州知事はブラジル連邦政府に、90日間の対連邦債務の返済停止を通告。不安に駆られていた海外投資家は直ちに反応、資金を一斉に海外に逃避させ始めた。こうしてブラジル通貨危機は開始されたのである。
 以上の経過はいくつかの重要な問題を明らかにしている。まず第一に、現在の世界金融市場が抱えている脆弱さの問題である。ミナスジョライス州は人口1600万人、地下資源に恵まれたブラジル第二位の経済力を持った州であり、対連邦債務は185億レアル(約1兆7千億円)を越えていた。確かにその経済力、債務額は中小の国家を上回ってはいるだろう。しかし、ミナスジョライス州はブラジルの一つの州にすぎない。その一つの州の債務問題が、いまや世界の金融危機を引き起こしかねないのである。新自由主義はラテンアメリカ諸国をその世界市場により深く組み込んだのだが、同時にその弱さもまた抱え込んだのである。
 次に、ラテンアメリカ諸国が累積債務危機以来抱えてきた問題が何ら解決されてはいないということである。つまり経常収支の赤字を海外資金の流入によって補うという構造と、そのために常に資本の海外への逃避の危険がつきまとっていることである。この間の海外からの流入資金は短期債務から中期の債務や直接投資にきりかわっており、1994年のメキシコ通貨危機の時のような急激な資本逃避は起きにくいとされてきた。しかし、その見通しはあまりにも楽観的すぎたことを今回の危機は証明したわけである。
 第三に新自由主義経済政策にとって危機回避のためにとりうる唯一の処方箋は、結局はブラジルにおける「財政安定化計画」にみられるように、財政合理化しかないということである。その政策は一切の矛盾を労働者、民衆に押しつけるものでしかないのだが、そのことはまた労働者のちょっとした闘いが彼らの死命を制しかねないことをも意味している。今回の通貨危機のもう一つの引き金が、ブラジル下院での公務員の社会保障負担の増加法案の否決だったことは、そのことを象徴しているだろう。

3 レアルプランの背景と仕組み

 以上のことをレアルプランを検討することで、もう少し詳しく見ていきたい。
 1990年のコロル政権以来、ブラジルは経済政策を転換、新自由主義経済路線を採用した。しかし、当時ブラジルはハイパーインフレ下にあり、経済の低迷から抜けだすことはできなかった。そのため新自由主義経済を軌道にのせ、経済成長を実現するためには、なによりもインフレを抑制し、新自由主義者のいうところの「自由で公正な市場」を実現することが急務だったのである。
 このブラジルの高インフレは、普通、インフレの要因としてあげられる財政赤字による貨幣供給の増加がその原因ではない。90年代当初のブラジルの財政収支は、赤字ではなかった。国債の利払いを含めても、おおむね94年までは均衡していたのである。
 このインフレの原因は国債等の金融資産が準通貨として流動し、なおかつその発行額が増大していたことと、イナーシャルインフレ(慣性インフレ=インフレを予測した個人、企業の経済活動が引き起こすインフレ)の存在であった。
 こうしたインフレの場合、財政安定化政策では効果はないとして採用されたのが、1ドル=1レアルに固定するレアルプランだった。つまり為替レートを物価のアンカーにすることで、その慣性を取り除こうとしたのである。
 貿易の上で対外的に開放された国の場合、為替レートを固定すれば、貿易財価格は世界価格に一致する。したがって貿易財のインフレ率は世界の平均インフレ率に一致するから当然低下する。非貿易財の場合は、非貿易財は貿易財に対して相対的に価格が上昇することによって、超過供給になる。そのため、非貿易財の価格は下落し始め、ゆくゆくは世界インフレ率と一致するというわけである。
 ただ、レアルプランの場合は、1ドル=1レアルに完全に固定したわけではなく、一定の小幅な枠での為替レートの変更を認めており、また国内における外貨の自由な交換は認めてはいなかった。
 そして、レアルプランはもう一つの側面を持っていた。高金利政策である。インフレを抑制するためには為替アンカー政策だけでは無理であり、総需要を抑制する必要があったのである。そのためにとられたのが需要を抑制するための高金利政策だった。

4 レアルプラン実施と新たな矛盾

 1994年7月、ブラジル、カルドゾ政権はレアルプランを実施に移した。そして、1993年には2489%、94年には929%に達した消費者物価上昇率を、95年には22%に押さえ込み、劇的に鎮静化させた。以来、ブラジル経済は1980年代の対外債務危機とハイパーインフレから抜け出し、安定的な経済成長軌道に乗ったとされてきたのである。
 確かにレアルプランはインフレを沈静化させた。しかし、そのことは同時に、ブラジルの経常収支の赤字と財政赤字の出発点にもなったのである。これは為替アンカー政策と高金利政策の必然的な結果であった。
 インフレ率はゼロになったわけではない。95年には22%、96年には9・1%上昇したわけである。為替レートが1ドル=1レアルに固定されている(96年末は1ドル=1・039レアルであった)ということは、レアルの過大評価をもたらすことを意味している。96年末には30%前後の過大評価になっていたのである。
 そのことは当然、貿易における国際競争力の低下を引き起こす。94年には100億ドル以上黒字があった貿易収支は、95年には33億ドルの赤字に転落、96年は55億ドルの赤字、97年には100億ドル(推定値)以上とその赤字幅を広げている。当然そのことは経常収支に反映しており、94年に17億ドル程度に過ぎなかった経常収支の赤字は、95年には180億ドル、96年には231億ドル、97年には330億ドルと急激に拡大していたのである。
 この経常収支の赤字を補っているのが、海外資金の流入であり、海外資金の流入を保障しているのが高金利政策なのである。95年の資本収支は330億5千万ドル、96年は336億4千万ドルの黒字であった。この豊富な海外資金の流入が貿易収支の赤字の継続を可能にし、そのことによってインフレの抑制を可能にしてきたのである。
 しかし、海外資金が大量に流入するということは、必然的に貨幣供給量が増大するということであり、そのことはインフレ圧力が増すことを意味する。そのことを防ぐためにブラジル政府は国債を発行して、その流動性を吸収してきたのである。この間の国債発行残高の対GNP比は、94年8・7%、95年11・9%、96年18・1%と加速度的に増えていた。
 こうして、ブラジルはもう一つの矛盾、財政赤字を抱えることになったのである。つまり、国債発行残高の増加だけではなく、高金利政策による国債の利払い増加も加わって、国債の利払いが財政を普段に圧迫していくことになり、その国債の利払いをするために、また国債を発行するという悪循環にブラジル政府は陥ったのである。ちなみにブラジルの財政収支の対GNP比は、94年にはプラス1・1%だったのが、95年にはマイナス4・9%、96年はマイナス3・9%に転落、現在ではマイナス9%にまで達している。
 このようにして、98年夏のロシア通貨危機をむかえる直前、すでにブラジル経済は出口のない隘路に入っていたのである。

5 アジア通貨危機と財政合理化案

 この状況を支えてきた高金利政策は、すでにブラジル経済に悪影響を与え始めていた。現に1995年後半以降、経済成長は下降局面に入っている。もはや金利を下げないかぎり、景気の回復は不可能なところまでブラジル経済は追い詰められていた。金利の引下げと、財政の合理化はブラジル政府にとっての焦眉の課題であった。しかし、金利を下げることは直ちに海外資金の流入を押し止めることになる。貿易赤字の拡大だけではなく、せまっている対外債務の利払い、償還の問題からもそのことは不可能なことであった。残された唯一の選択肢は財政改革という名の合理化だけであった。
 97年のアジア通貨危機は、そのブラジルに追い打ちをかけた。この通貨危機に対してブラジル政府は基準金利を20・7%から43・4%へ引き上げることで対抗、表面上はレアルの防衛に成功した。しかし、水面下で深刻な打撃をブラジル経済は受けていたのである。
 まず、金利の引き上げによって、それでなくても増大していた債務の利払いが増加し、財政赤字の幅を拡大したことである。97年に対GNP比が2・7%だった政府の利払いが、98年(1~8月)には5・17%に急増した。
 次に、金利の上昇がデフレ効果を生産側に与えることによって、九八年に入るとそれが失業率の上昇として表れてきたことである。
 そして8月にはロシア金融危機が襲ったわけである。もはやブラジル政府にとって金利の引き上げだけで、この危機を乗り切ることは不可能であった。ブラジル政府は財政合理化案としての財政健全化計画を担保に、415億ドルの金融支援をIMFから受けることで、この危機を乗り越えようとしたのである。

6 ツケを支払わさせられる労働者

 ロシア危機では欧米資本も、ヘッジファンドも大損をしたと伝えられてきた。今回のブラジル危機ではどうだったのだろうか。新聞報道によれば海外投資家も、欧米銀行もあまり損をしなかったようである。「外国投資家は一足先に逃げた」(サンパウロの銀行のエコノミストの談話)。「ロシアの失敗を繰り返すな」を合言葉に、欧米銀行はブラジルから投資や貸付けを早めに引き上げたのだそうである。もちろん儲けた人もいる。外資系企業は危機を予測して、親会社への利益送金や株配当金を前倒ししてドル送金をしていたし、輸入業者はレアルが強いうちに6ヵ月先までの代金を前払いしていた。輸出業者はドル代金をレアルに変えず、そのままドルで残していた。だから「ドルを選んだ者は切上げ率(70%以上)相当の利益を2週間であげた」ことになる。もちろん国外にドル口座を持つブラジル人も自衛できたわけである。
 しかし、国外にドル口座を持たない大半のブラジル人は、対外価値が七割も下がったレアルを持って、来るべき失業の増大と、インフレ率の上昇の中で暮らしていかなければならないのである。ウイリアムエイド・バルガス財団経営大学教授は「現在の公式統計の失業率は7月には11%に増えるだろう」と予測、またインフレ率についても「インフレは政府の対策がうまくいったとしても、3~5月には8%まで上がるだろう」と語っている。
 前述したようにレアルプランはレアルの過大評価を生み出し、輸出企業に大打撃を与えてきた。それと対抗するために輸出企業では激しい合理化が進められてきた。そしてこの合理化は輸出企業にとどまらず、国内向け企業、政府系企業、民間企業の別なくあらゆる企業で強力に進められてきていたのである。とりわけ銀行、自動車部品、繊維部門の経営環境は厳しく、企業の倒産、買収が続発していた。
 合理化、リストラとは結局は人件費の削減のことである。とりわけ金利が下がらない、下げられない状況の中では、企業にとっても政府にとっても選択しうる唯一の方針だった。さらに、資本財の輸入の増加は単純労働者の減少を生み出したのだが、しかし、景気の回復期にも就業人口は増加はしなかった。逆にレアルプラン下で失業者は増加していたのである。
 レアルプランは物価上昇率をゼロにしたわけではない。レアルプランが実施された94年7月から98年末の物価上昇率は65%に上っていた。確かにハイパーインフレ時に比べれば微々たる数字かもしれないが、ハイパーインフレ時には給与調整がなされていた。しかし、給与調整がほとんどされなくなったなかでのこの数字は決して低いものではない。こうした状況も労働者の生活を苦しめていた。
 通貨危機はこうした情勢に重くのしかかってくる。金利を引き下げられないという中で、財政再建こそが景気回復のカギという大合唱が起こっている。
 1月18日、ブラジル政府は市中銀行の貸出金利を36%から41%に上げ、IMFとの公約どおり高金利政策を維持することを明らかにした。1月20日には、ブラジル下院は昨年の12月国会で否決した財政改革法案の要である公務員の社会保障負担金増額法案を可決した。
 そして2月4日、ブラジル政府とIMFは、金利負担分を除く財政黒字のGDP比を当初予定の2・6%から3~3・5%に引き上げることで合意した。さらに、2月14日にはブラジル政府は1999年度予算で、新たに30億レアル(約15億8千万ドル)の歳出削減との報道もなされている。
 3月現在、すでに失業率は公式統計で過去最悪の10%を越えている。また物価上昇率も2月末時点で食料品では2・7%を越え、今年の中頃には10%を越すのは必至の情勢である。

7 ブラジル通貨危機のゆくえ

 2月4日、ルービン米財務長官は「今のところ、(ブラジル危機の)中南米への波及はみられない」と発言した。この発言は一人ルービン長官のものではなく、IMF、米国関係者、そして多くの国際アナリストの希望でもあった。しかし、この間の事態はその観測がいかに楽観的で、彼らの希望の表現にすぎなかったことを例証しているようである。現に、IMF、米州開発銀行も3月16日には危機の長期化を予測、域内経済成長の低迷を認めざるをえなかった。
 その影響が最も懸念されていたアルゼンチンの今年二月の工業生産高は、対前年同月比で8%の減少となった。すでに同国内のフォルクスワーゲン社は17%の人員削減を発表している。エクアドルの首都キトでは政府の預金一部凍結をうけて、銀行の前には長蛇の列ができているそうである。ガソリンの値上げは165%に達し、それに抵抗するタクシーの列が道路を遮断し、労組は3月16日無期限ゼネストを決定した。議会もまたマワ政権の緊縮財政に反対の構えをみせている。ウルグアイでも失業率が過去最高を記録、チリでも今年の経済成長率がマイナスになることは確実視されている。
 ブラジル通貨危機は米国経済に波及するのだろうか。当初、市場関係者の中では、「米国のブラジル向け輸出は全体の2%に過ぎず、米国経済への影響は少ない」、「ロシア危機を経て世界の金融市場参加者はブラジル経済危機を見込んだリスクポジションになっており、衝撃的な打撃を受けることはないだろう。また今後、米国株がブラジル経済の低迷の影響を受けて大きく下落する可能性は小さい」との見方が多く、米国のGDPへの影響も大きくても0・2%程度とされてきた。
 しかし、2ヵ月たった今、市場関係者の間には、「米国経済を巻き込んだ混乱が、今年後半から来年初めにかけてジワリジワリと浸透する」との見方が広がっているのである。
 IMFと米国はブラジル通貨危機の波及を断ち切ることができるのか。「早い段階で為替の均衡点が見つかり、インフレ率が10%前後に落ち着けば、輸出力をつけ雇用を支えるという通貨切下げのプラス面も出てくる」(堀坂浩太郎・上智大学教授)との期待もある。
 しかし、いまやインフレ率が10%を上回るだろうことはほとんど確実な情勢である。海外資金の流入を保障するためには高金利にするしかなく。そのことは景気の一層の後退を意味し、そしてインフレを抑えられないとすれば、それはスタグフレーション(不況下のインフレ)の到来を意味している。IMFの路線の先に待っているあり得るべき最悪の事態である。
 ブラジルの危機のアルゼンチンへの波及は始まっている。アルゼンチン政府は外貨準備高と同額の紙幣しか発行せず、1ペソ=1ドルの固定相場を堅持することで、その金融政策を安定させてきた。しかし、ブラジル危機の余波で、市民のドル建て預金が急増、政府はペソ防衛のためにペソ建て預金の金利の引き上げに追い込まれた。
 レアル安は必然的にアルゼンチンの輸出競争力を低下させる。その影響がすでに出ていることは前述したとおりである。これらの事実はペソ切下げの不断の圧力になる。そしてアルゼンチンのペソとドルとの連動性の放棄は、同じ連動性の香港ドルを直撃し、中国人民元の切下げに繋がりかねないのである。
 1月18日フェルナンデス・アルゼンチン経済相は「アルゼンチンはペソとドルの連動性を絶対に放棄しない」と発表した。そしてアルゼンチンの通貨を米ドルにするという構想まで語られているのである。
 しかし、この長い文章の中で見てきたように、アルゼンチンが固定相場を守り続けるという道は、今日のブラジルのたどった道に過ぎない。アルゼンチンの2月の工業製品の生産高の減少は、もはやその道にアルゼンチンが入っている可能性をも示唆している。
 そして、ブラジル危機のアルゼンチンへの連鎖はただちにチリ、ベネズエラ等の中南米諸国に波及し、メキシコをも巻き込み、アメリカ経済を直撃せずにはおかないだろう。こうして、新自由主義経済はラテンアメリカ経済をその市場により深く従属させることによって、その弱さを時限爆弾として抱えることになったのである。その新自由主義者にとって危機から脱出するための残された唯一の処方箋が、財政改革なのである。確かに一月国会での財政改革法案成立にみられるように、現在のところ通貨危機の圧力が左翼系政党をも巻き込んで、反対派を押さえ込んでいるようである。
 しかし、問題は始まったばかりである。インフレと失業、景気後退の下で、ブラジル大統領カルドゾはそのことを安定的に実行できるのか。98年大統領選挙でのカルドゾの支持率は50%ぎりぎりであり、インフレ鎮静時にみられた広範なものではもはやない。ミナスジョライス州のフランコ知事の反乱は与党連合の分裂と反乱を表現した。
 もはや、レアルプランの下で形成されたインフレ抑制の国民的合意は終焉したのである。そして次の時期、財政安定化法案の実施とその影響は、ブラジルの労働者と民衆を大きく分裂させていくだろう。
 その時、ブラジル労働者階級がどのような態度をとるのかが、この通貨危機の行く末に大きな影響を与えるだろうことは、12月国会での財政改革法案の不成立の影響を思い出すまでもないだろう。こうして今回のブラジルの通貨危機は、その権利を行使することができるかどうかはともかく、労働者階級が資本主義の生殺与奪権を握っていることをもまた明らかにしたのである。(つづく)

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