フランスNPA結成大会

フランス LCR 1969―2009
組織解散攻撃をも乗り越え常に大衆運動の先頭を担う

新しい時代に対応するために経験と潮流を収れんさせる多元主義的な党

 二月五日、LCR第十八回大会が、反資本主義新党(NPA)の結成への前段としてその発展解消を決定した。LCR│「リーグ」(同盟)は、さまざまな名称のもとに││『ルージュ』配布サークル、共産主義者同盟、革命的共産主義戦線、そして最後にLCR(革命的共産主義者同盟)││、約四十年間にわたって続いてきたひとつのアヴァンチュール(冒険)であった。

新聞「ルージュ」のもとに結集

一九六九年、四月 共産主義者同盟! 一九六八年の秋、JCR(革命的共産主義者青年同盟)と国際主義共産党││この二組織は、一九六八年六月に政府によって解散させられていた││の活動家から成る革命派潮流、さらには「五月の活動家」が加わって、新しい新聞『ルージュ』のもとに結集した。数ヶ月間の討論を経て、共産主義者同盟が創設された。この組織は自らを革命組織と定義し、自らがレーニン主義と反スターリニズムの伝統に立つものであると主張した。同盟は、レオン・トロツキーによって創設された運動である第四インターナショナルのフランス支部になった。それは、ただちに、二十七歳のアラン・クリヴィンヌを大統領選挙に立候補させることによって初陣を飾った。

一九七二年、六月「連中が閣僚になる時」
 これは、社会党と共産党と左翼急進党の間で共同政府綱領が締結されてから数日後に、同盟によって出版されたパンフレットの題名である。改良主義的解決策が作り出す袋小路を批判しながら、左翼を支持する人々の統一と変革への願望をいかに考慮に入れるべきか? セクト主義的孤立に陥ることなく、制度内化した左翼に対していかに政治的独立性を保持すべきか? 長年の間、……多くの論争が同盟全体に巻き込んで展開されることになる!

一九七三年、六月 ファシスト集会、禁止された集会
 一九七三年春、同盟はドブレ法(徴兵猶予を弾圧しようとする法)に反対する高校生と学生の大衆動員の最前線に立った。六月、同盟は、警察官に守られた、極右グループ「新しい秩序」の人種差別的集会の開催を阻止するデモのイニシアチブを取った。この衝突の後、共産主義者同盟は政府によって解散させられた。共産主義者同盟の活動家たちは、『ルージュ』紙のもとに自分たちを再組織し、リップの労働者(自主管理)の闘争を支持する大規模なデモやそれに続くピノチェト軍事政権の弾圧下にあるチリ人民と連帯する大衆動員に登場した。

一九七四年、五月 軍服を着ていても君はやはり労働者だ!
  兵役に徴兵された兵士たちの一連の社会的、民主的要求を取り上げた「百人のアピール」が兵舎内で配布され、それはたちまち数千人の兵士たちの賛同署名を集めた。それ以降数年間、同盟は、このアピールの方向に沿った要求を中心にした兵士への介入と叛軍闘争を発展させた。まもなく、何十もの兵士委員会が組織され、これらの兵士委員会は通報を発行し、労働組合の一部の支持のもとに制服兵士のデモをも組織した。

ソ連邦の崩壊と資本主義の復活

一九七六年 三月 そして『ルージュ』は日刊に
 政治・社会情勢の進展に日々のレベルで対応するために、とりわけ左翼連合の政権の成立を考慮して、同盟は『ルージュ』を日刊紙に変えた。最初の成功局面の後、この冒険が組織の財政的力量を超えたものであることが明らかとなった。一九七九年に、『ルージュ』は週刊の発行テンポに再び戻った。

一九七七年 秋 女性の解放なくして社会主義はありえない
 一九六八年以降、女性解放運動の爆発が同盟を揺るがし、固有の抑圧に反対する闘争、避妊と堕胎の権利を求める大衆的運動、賃金差別、暴力などの問題をはじめとしてフェミニズムとその自立した運動をめぐって論争が起こった。フェミニスト「階級闘争」潮流が、資本主義の搾取と女性への抑圧とを、階級闘争とフェミニストの闘争とを結びつけて考察しようと試みた。一九七七年十一月、同盟の「女性」書記局の支援のもとに、『カイエ・デュ・フェミニズム』の第一号が発行された。それ以降、同誌は一九九八年の最終号まで発行され続けた。

一九八五年、一月 カナーキーとの連帯
 左翼連合政権のもとで、ニューカレドニア(現地の人々はカナーキーと呼んでいる)においてGIGN(フランス海軍特殊部隊)によって独立運動指導者の一人、エロワ・マチョロが暗殺された。同盟は、これに抗議するデモを展開した。一九七〇年代以来一貫して、同盟は、数多くの機会を捉えて、フランスの植民地支配に反対して闘うニューカレドニアの社会主義的独立派に対して戦闘的連帯の活動を展開してきた。同様に、同盟は、ベトナム戦争、ニカラグア革命、メキシコ先住民のサパティスタの蜂起、パレスチナ人民の闘争と連帯する大衆動員に常に加わってきた。

一九八八年、五月 左派の新しい政策
 この年の大統領選挙では、LCRはフランス共産党内の反対派であるピエール・ジュカン候補を支持した。数十の委員会の出現によって、この大統領選挙キャンペーンは、最終的な選挙結果には結びつかなかったものの、戦闘的に展開されて真の成功をおさめた。だが、建設すべき党の概念とLCRの枠をいかに乗り越えるかという展望をめぐって新しい論争が起こった。

一九八九年、九月 占拠すべきバスチーユはまだ存在する
 フランソワ・ミッテラン大統領が、G7の主催国という機会を捉えて、フランス革命の二百周年を祝うことを選択した時、同盟は、さまざまな団体を結集して統一的連合の「もうたくさんだ!」のキャンペーンを推進した。この連合は、第三世界の債務帳消しを要求し、「世界の主人たち」に反対する巨大なデモを組織し、バスチーユ広場でルノーとジョニー・クレグが参加する一大コンサートを開催した。これは、グローバリゼーションに抵抗する将来の一大結集の前兆であった。

一九九二年、十一月 新しい時代、新しい綱領、新しい党
 LCR全国大会で採択されたマニフェスト「可能性をもった左翼へ」は、ベルリンの壁の崩壊とソ連邦の解体と資本主義の復活によって提起された論争をまとめたものである。スターリニスト体制の崩壊は「歴史の終り」ではない。階級闘争は続く。しかし、時代は変り、解放のための新しい綱領を練り上げ、体制に終止符を打ちたいと望む人々を、それに到達する手段についての信念がどのようなものであれ、結集していく新しいタイプの党を建設することが必要となった。

一九九五年、十一月│十二月 ジュぺ計画に反対して
 LCRは、この年の大統領選挙には出馬しなかったが、その代わり、社会保障制度の解体と鉄道員の年金制度に対する最初の攻撃を意図したジュペ計画に反対して、労働組合や社会運動団体の活動家を通じて、ストとデモの巨大な大衆動員に積極的に加わった。

欧州憲法条約
「ノン」派が勝利

一九九九年、六月 欧州議会選挙に革命派の進出
 「労働者の闘争派」とLCRの共同候補者名簿が五%の最低ラインを突破することによって、欧州議会に五人の革命派議員を送り込むことができた。LCRからはアラン・クリヴィンヌとロズリーヌ・ヴァシェッタが選ばれた。この選挙によって、政治の舞台に革命的左翼が少数派であるが重要かつ正当な勢力として長期的に定着できるようになった。

二〇〇〇年、六月 革命派再編成の局面
 同盟は、他の革命派潮流との間の再編・結集の長い伝統をもっている。一九七〇年代初めにはPSU(統一社会党)のひとつの潮流が、一九七九年には労働者共産主義組織(OCT)の少数派が、同盟に結集した。二〇〇〇年には、LCR第十四回大会は、「労働者の闘争派」から除名された革命派の活動家組織である「労働者の声」との合同を決議した。この合同によって、戦闘的活動家の歴史の中で、革命的左翼を長年支配してきた分散の論理と訣別することが可能になった。その後、「革命的左翼」や「下からの社会主義組織」の少数派が同盟に合流してきた。

二〇〇一年、六月 解雇禁止
 六月九日、何万人もの人々が、雇用抑制の計画に反対し、解雇禁止を要求してデモを行った。この大衆動員の最初のイニシアチブは、LUの労働組合によって取られたのだが、すぐさまそれに、再編整理の脅威にさらされている企業が結集した労働組合共闘会議や「連帯」労組連合(SUD系組合連合)やFSU(統一組合同盟)が合流し、CGTもそれを支持するようになった。新しい現象として、フランス共産党や「労働者の闘争派」や「アルテルナティブ・リベルテール」そして、もちろんLCRなどの左翼政党が大衆動員の中でその役割を果たすようになった。六月末、LCRの全国大会は、二十七歳の郵便労働者、オリビエ・ブザンスノーを大統領選挙の候補者として擁立することを決定した。

二〇〇二年、四月 われわれの人生の方が連中の利潤よりももっと大切だ。
 これがオリビエの大統領選挙キャンペーンを象徴するスローガンであった。少しずつ、集会に参加する聴衆が増えていった。立候補資格に必要な五百人の議員などの推薦署名が集まるや否や、メディアのアクセスが増えたためにLCRにとってはこれまでにない規模でその主張を伝えることができるようになった。大統領選挙の第一回投票で社会党候補のリオネル・ジョスパンが決選投票に残れないという震撼すべき事態のために、ブザンスノーの四・二五%という信じがたいほどの得票結果はかき消されてしまった。しかしながら、四月二十一日夜以降、フランスのあらゆる都市で、同盟は極右ル・ペンに反対するデモの第一線に立った。このデモは十五日間にわたって展開された。

二〇〇三年、春 「ゼネストを、ゼネストを」
 数カ月間にわたって、国立教育部門の職員が政府の対抗改革と対決した。圧倒的なデモが教員のストに拍車をかけさせることになった。その後、退職年金受給の勤続年数資格を四十年に変えようとする政府の意向が打ち出される中で、ストライキは全公務員部門へと拡大した。多くの労働組合グループと同様に、LCRの活動家もゼネストの展望を擁護した。

二〇〇五年、三月 ノンだ
 経済や政治やメディアのすべてのエリートたちが支持したにもかかわらず、新自由主義的な欧州憲法条約は有権者の多数派によって拒絶された。それは、数ヶ月間にわたる集中的な統一的キャンペーンの成果であった。このキャンペーンは、LCRを含む数多くの政治勢力や社会運動団体を結集させ、何万人もの人々を巻き込むものであった。十一月、警察官に追われた二人の青年の死を受けて、郊外の庶民地域が決起し、治安部隊と対決した。差別と警察官の威嚇に反対する青年の要求に対して同盟が与えた支持は、伝統的左翼の困惑、さらには、憎悪とは対照的であった。

新党結成に向けた闘い

二〇〇七年、六月 反資本主義派を結集させる
 「欧州憲法条約ノン」の連合を大統領選挙の統一候補にまで拡大発展させようとする試みは社会党に対する独立性の問題をめぐる対立のために失敗に終わった。LCRはオリビエ・ブザンスノーを立候補させることを決定した。社会党の左に位置する他の候補者の全体が並以下の得票しか得られなかったのに、LCRのこの候補者は、二〇〇二年よりもさらに多い三十万票を集めた。社会党が選挙で破綻し、とりわけその後もサルコジに対決することができなかっただけに、この選挙結果はLCRに特別な責任を付与することになり、「左翼であることを恥じない左翼」の必要性を強めることとなった。二〇〇七年六月、LCRの全国指導部は新しい党の結成の可能性を試すことを決定した。八月、夏季学校の時に、この計画が宣伝された。「LCRは自らの歴史と出会っている」と。

二〇〇八年、一月 新党、それは出発した!
 LCR第十七回大会は、「労働運動のさまざまな潮流の最良の伝統を受け継ぎつつ」、反資本主義新党に「LCRを発展解消させる」という目標を定めた。二〇〇八年三月の地方選挙後、反資本主義新党を目指す三百以上の委員会が生まれた。二〇〇九年一月、それは、九千百二十三人の活動家を結集する四百七十六の委員会になる。反資本主義新党とともに、新しい冒険が始まった。『ルージュ』
(2286号、09年2月12日)


LCR第18回大会│解散大会
社会党左派との関係をめぐり論争

フランソワ・クスタル

 LCR第十八回大会は二月五日に開催された。大会参加者は、四十年間にわたって存続してきたLCRの政治的解散を宣言し、新党建設への道を開始した。

 LCRのNPAへの発展的解消をともに支持して提出された二つの「プラットフォーム」(A、B)は、現在進行しつつある過程の評価ならびにNPAにとって望ましい政治路線、とりわけ社会党左派との統一的関係に関わる政治路線、をめぐって対立していた。
 プラットフォームAにとって、結成大会のための討論文書の性格に見られるような、コレクティフNPA建設の発展力学によって、「われわれがこの新党についてのひとつの見解を形成することが可能になっている。すなわち、社会の革命的変革のための、そして社会主義のための反資本主義的、フェミニスト的、エコロジスト的、国際主義的な党のための見解を形成することができるようになっている」のである。「青年の独立性」、「性差別主義やホモセクシュアル排斥に反対する闘い」、「労働者階級の中心的役割」、「党活動家の性格」に関して草案を補強しようとしたいくつかの修正案は却下された。大会代議員はNPAの中で進行している現在の討論を考慮すると、このような修正案の提起が無駄であると評価した。結論として、プラットフォームAにとっては、「みんながいっしょにNPAへ結集することは、現在の過程の論理的結論である。このためにはLCRを解散する必要がある。将来に向けた転換のこの熱い選択のためには、NPAにLCRのすべての活動家が結集しなければならない。同じく、結集を開始して新しい党の成功をともに保証するには、政党、社会党や共産党、エコロジストや絶対自由主義者や革命派、社会運動といった、別の感性と潮流をもった新しい活動家も必要である」。
 プラットフォームBが提案した文書は、NPAを「最初の第一歩を踏み出すことを可能にするものでなければならない」と提起している。「それは、ひとつの結集に向けたひとつのてこ、ひとつの段階でなければならない」とした上で、この文書は、「この新党の展望においては、NPAはLCRが代表する政治的潮流だけに依存したり、革命的潮流だけの結集という古い定式を継承したりすることで満足することはできない」と主張している。最後に、プラットフォームBは、「二〇〇九年の欧州議会選挙での選挙連合に社会党左派にも開かれた形で勢力を収斂(しゅうれん)させることが緊急の課題である」という点を強調した。
 LCRの支部や支部連合の中でここ数カ月来展開されてきたこの最後の論争を受けて、プラットフォームAが提案した文書「LCRをNPAに発展解消させよう」が、八七・二%の票を獲得した(反対11・5%、棄権1・3%)。プラットフォームBの文書「LCRの真の発展解消のために」は、一二・二%の票を獲得した(反対86・5%、棄権1・3%)。この採決結果を受けて、第四インターナショナルとの関係(これについて別掲F・サバドの文書を参照)をはじめとする諸問題が残された課題となった。だが、同時に、この政治的解消による組織的、財政的諸問題も残されていた。(二〇〇七年六月の国民議会選挙でLCRが獲得した選挙結果にもとづく)政党への公的助成金の継続を確保するために、大会は、満場一致で、「LCRの機関」の維持、「調査委員会」の創設、公的助成金の全額(前LCRの第四インターナショナルへの分担金を差し引いた残りの全額)のNPAへの拠出、を決定した。
 一九六九年四月の共産主義者同盟結成大会に出席した「オールドメンバー」も代議員として参加していたので、この大会は、和気あいあいとした雰囲気のもとで終わった。最後になったこの集まりには、悔恨もノスタルジーもなかった。しかし、もちろん、感慨はあった。そして、同時に、そこには、しばしば支配的になるお世辞だけの保守的な論理とは正反対の、奮闘して乗り越えることができたというある種の誇りがただよっていた。そして、最後に、始まった新しい冒険に対する多くの希望と自信もみなぎっていた。


NPAとインターナショナル
新しい時代に応える新しい手段

フランソワ・サバド

FIは歴史的に
は一潮流である

 LCRは第四インターナショナルのフランス支部であったが、NPAはそうはならないだろう。それは、われわれの思想が根本的に時代遅れになったと思うからではなくて、新しい時代が生まれており、階級闘争に介入するためにはわれわれの綱領を今日的なものにし、新しい党と新しい手段が必要だと確信するからである。NPAは、第四インターナショナルの支部とはなり得ないだろう。なぜなら、この党は、多元主義的な党、すなわち、共産党、社会党、労働組合活動家などさまざまな起源の諸経験と諸潮流を収斂(しゅうれん)させるようにする党、あらゆる革命的伝統のうちの最良のものを引き継ぐことを目指す党になるという責務を担っているからである。他方、歴史の結果が明らかにしたことは、第四インターナショナル、そしてより正確に言えば「わが第四インターナショナル」は歴史的にまったく限られた一潮流であるという点である。
 こうした諸条件のもとで、NPAも、そして第四インターナショナルも自らのやり方で、反資本主義的左翼のすべての組織を収斂させるような、新しい国際的結集に貢献していくに違いない。しかしながら、周知のように、各国の党の建設と新しいインターナショナルの建設とは同時に行われはしないだろう。だからこそ、今後、新しいインターナショナルが生まれないかぎりにおいて、われわれは今後も第四インターナショナルの建設を引き続き追求していくのである。

内部組織を形成
すべきではない

 以上の展望に立って、大会はこう提案した。すなわち、LCRがインターナショナルとの間でこれまで保持してきた関係の一部をNPAが引き受けるとともに、NPAの責任者たちが第四インターナショナルの会議や機関にオブサーバーとして招待されるようにすべきである、と。大会は同時に、フランス語版の『インプレコール』誌が、第四インターナショナルの活動家たちが手にする情報という分野で新しい役割を果たすようにしていくと決定した。
 最後に、大会は、二〇〇九年末以降に、(二〇一〇年に予定されている)第四インターナショナルの世界大会に向けた準備総会の開催を提案した。一方、NPAの結成時には、前LCRのメンバーが別個の恒常的なグループを形成すべきではない、との判断を大会は下した。そうすると、NPA内で「第四インターナショナル」のメンバーによる組織を形成することはないということになる。大会では、そうした内部組織を結成すべきだとする提案は一二%の支持を獲得したにすぎない。それとは別の全体的提案が大会代議員の八七%によって承認された。『ルージュ』(2286号、09年2月12日)


40カ国を代表する70の党や
組織の代表が大会に参加

フランソワ・サバド

 NPA創設大会は、国際主義的なイベントでもあった。約四十カ国を代表する七十の党や組織の代表が大会に参加した。

 NPA創設大会のインターナショナリズムが表明されたのは、グアドループとマルチニックでのゼネスト、ならびにイスラエル政府のガザでの犯罪的な政策に反対するパレスチナ人民の抵抗への連帯という旗印のもとにおいてであった。パレスチナ解放人民戦線(PFLP)のナセル・アル・カフラナとイスラエルの人権活動家のミシェル・ワルシャウスキの発言は、この大会の力強さを示した瞬間であった。
 しかし、大会の最大の意義は、大会期間中に、約三十の党や組織が参加して、反資本主義左翼と国際的な反帝国主義派の会議が開かれたことである。パリでの二〇〇八年六月と八月のヨーロッパ会議、Psol(ブラジルの反資本主義政党)とNPAが呼びかけたベレンでの国際集会を受けて、NPA呼びかけのもとでなされた今回の国際会議は、反資本主義左翼の組織の間の新たな関係が姿を現しつつあることを確認させるものとなっている。
 NPAの経験に対する関心が高いために、外国代表がこのように数多くNPAの大会に参加したのである。すべての大陸の重要な組織や党が出席したという事実を強調しておかなければならない。また同時に、ラテンアメリカで現在進行中の帝国主義に反対する経験を代表する人々も出席していたという点も強調しておく必要がある。その上、これは、資本主義体制が経験している全世界的な危機の結果としてもたらされている国際情勢の変化の成果でもある。危機に対する反資本主義勢力の反撃をめぐる討論の必要性、社会民主主義とポスト・スターリニズムの古い伝統的組織に取って代わる世界の労働運動と左翼の再編の必要、急進的な新しい左翼組織の出現は、新しい統一の方向を促進している。現在の危機は、社会的、政治的な風景と諸勢力間の関係と国家相互間のヒエラルキーと世界政治の重心とを定め直すものとなっている。
 世界資本主義の危機に直面して、かつてないほどよりいっそう国際主義の必要性が生まれている。確かに、それは、新しいインターナショナルを宣言することではないが、協調を強め、パレスチナのように現に闘っている闘争と連帯して危機に対してともに活動し、経験の相互交換を倍加し、そして最後に、国際的な新たな結集、新しいインターナショナルに向けて新しい綱領と計画に向けて前進するための討論の枠組みを作り出す、組織と党の国際的なネットワークの道を突き進むことである。


結成大会に出席した
フランス国内の組織

 政党
  オールターナティブ・リベルテール、統一共産主義者連合、ラ・フェデラシオン、レ・アルテルナティフ、労働者の闘争派、フランス共産党、左翼党、社会党、独立労働者党、緑、
 労働組合と社会運動団体
  AC!(反失業共同行動)、公共サービス結集連合、全国女性の権利共闘会議、コペルニクス協会、庶民地域社会フォーラム、連帯系労組連合(SUD系労組連合)

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