9・27関西共同行動ニュース100号発行記念の集い

諸事態に柔軟に対応しながら責任を果たしていきたい

 【大阪】大阪を中心とした多彩な市民運動のネットワーク、特に反戦・反改憲・闘う労働組合運動支援などで一定の役割を担ってきた関西共同行動。そのニュース100号発行を記念した集いが大阪PLP会館で開かれ、55人が参加した。過去の思い出や厳しい現在の社会状況のなかでの活動への激励が語られた。

共同行動の誕生

 集いは、根本博さんの司会で進んだ。
 初めに、関西共同行動の共同代表を長年務めてきた中北龍太郎さん・和田喜太郎さんやメンバーとして活動してきた菱木康夫さんの遺影に向かって黙祷をした。
 事務局長を担ってきた星川洋史さんに代わり新しくその役を担う山本将嗣さんが開会のあいさつ。
 ニュースは全国に600部ほど発送している、中北さんが3年前になくなり、事務局長の星川さんが体調を崩す中で、活動を維持するため、新代表は古橋雅夫さんにお願いした。
 関西共同行動は、しないさせない戦争協力関西ネットワークの活動や止めよう戦争への道・めざそうアジアの平和関西のつどいを毎年開催した。労働組合と市民運動のつながりを大切にしてきた。沖縄等の反基地運動や反原発運動とのつながりも持ってきた。生起する事態に柔軟に対応しながら関西共同行動としての責任を果たしていきたいと述べた。
 続いて新代表になった古橋さんが、関西共同行動の前身である「6月共同行動」の頃の運動の状況、関西共同行動がつくられるに至ったいきさつやその後の活動について、当時のビラや写真を使った説明をした。

ニュース50年史

 古橋さんの説明によると、1983年6・12関西草の根集会が扇町公園で開かれ、その動きに賛同した多彩な市民運動を取り囲む形で新たな結集軸を呼びかけた一人が弁護士の中北龍太郎さんだった。
 このようにして「関西共同行動」が誕生した。それから約45年間、不定期に発行してきた関西共同行動ニュースは今年8月の発行で100号目となった。
 古橋さんの手になる「ニュース50年史」、これは1977年~2026年の市民運動の取り組みが、時系列で詳しくまとめられたので、その時期ごとのトピックが関西共同行動ニュースになっていたわけである。ふり返ると、運動に自発的に参加していた当時の人々の躍動が伝わってくる。
 古橋さんの話の後、車椅子で参加した星川さんの紹介があり拍手が起こった。関西共同行動の初期のメンバー日高千賀子さんから花束贈呈があった。

安保闘争と就職

 小山帥人さんは、「1047年、戦後初のメーデー会場大阪城公園に向かうとき、大きなビルの下を通ると上階から紙吹雪が舞い、高揚した気分になった。60年安保闘争を大学生として経験し、64年にNHK大阪に就職し、各単産青年部と交流した。これからも運動を次の世代につなぐため努力をしてほしい」と述べ、自らが監督した映画「絞首台からの生還」の紹介があった。
 服部良一さんは、大学2年生で中退し、西成の金属関係の労働現場で働いた。自らの学生時代をふり返りながら、「安保粉砕と当時はよく言われていたが今は言われなくなった。これを今再び訴える必要がある。若い人にどう引き継ぐかは大切だが、われわれが言わずにいることがいっぱいある。安保条約をなくして米国にものが言える日本にすべきだ。
 もう1つは天皇制。上野千鶴子さんは(雑誌世界で)よく言ってくれた。天皇制は皇室典範の改正(養子縁組)でしか維持できない状況だ。天皇制廃止・共和制の要求では関西共同行動に期待したい」と述べた。

参加者が語る軌跡

 結成時からのメンバーである三橋秀子さんのあいさつと音頭で乾杯をし、しばらく歓談した後、何人かの参加者からの発言があった。
 新開純也さんは、10月11日京都での反戦反貧困反差別共同行動in京都集会とゲストの菱山南帆子さんを紹介し、「彼女はペンライトデモの創始者で60、70年代との共闘を訴えている。彼女の発言に期待していると述べ、世界では右翼も伸びているが左翼も伸びている。われわれも学ばなければいけない」と述べた。
 渡邉充春さん(関西三里塚闘争に連帯する会・関西三里塚相談会)は、「6月共同行動・関西共同行動は三里塚の闘いを広げていく上で大きな役割を果たした。三里塚芝山に空港建設が決まってから60年、旧労農合宿所が予定されている第3滑走路の誘導路にあたるとの理由で土地建物明け渡し請求訴訟が公団から起こされ、1審では反対派が敗訴し、現在控訴審に移っている。3500mの第3滑走路用の土地の広さは現空港より広い」と述べた。
 続いて、増田京子さん(シーネット共同代表)は、「かつて憲法キャラバンをやっているときから思っていたが、服部さんの意見に賛成。私は憲法第1章改正論者だ」と発言。
 松岡幹雄さん(止めよう改憲おおさかネットワーク)は、「当ネットワークは2006年につくられ、9条の会を支えて活動してきた。最近若い人たちがペンライトで参加してきている一方、右翼系のユーチューバーもやってくる。高市首相は、秋の臨時国会で何らかの改憲ステップを踏むのではないか。その意味で、11月3日扇町集会の意義は大きい」と発言。
 石田俊幸さん(元大阪全労協議長)は、「組織的には、中北さんとはゼネラル石油、電通合同、教育合同らの組合が抱える裁判を通しての付き合いから始まった。今現役ではないが、家にいるより外で活動する方がいいと感じ、毎火曜日、朝鮮学校支援のスタンディングに参加している」と報告。
 長崎由美子さん(社民党)は、「選挙では関西共同行動にお世話になった。裏方で運動を支える仕事も大切。それを一番やってきたのが星川。毎週火曜日、朝鮮学校補助金カットに反対するスタンディングは続けている。カットしたのは維新だ」と批判した。
 寺澤亘さん(大阪東南フォーラム)は、「大阪市教組東南支部に所属して活動しながら、初めて組合外の人とのつながりができた。毎年長居公園で反核フェスティバルを開いている」と発言。
 三野英二さん(関大校友連絡会)は、裁判を通じた中北龍太郎さんとの出会いを語った。
 山川よしやすさん(全国交歓会)は、「岐阜県の山間で育ち、家が遠いので高校は下宿。名古屋へ、その後大阪に出てきて労働組合を作って闘った結果、180人中160人の支持で従業員代表になった。大阪に出てきた頃、中北さんにいろいろお世話になった。来年大阪府議会議員に立候補するつもりだ」と発言。
 林真樹さん(ヨンデネット大阪)は、「様々な場面で新しい運動団体をつくるとき、集会を企画するときなど、関西共同行動とはよく相談できる関係だった。今年1月も、ベトナム戦争時の韓国の加害責任を問う韓国の市民団体との集会を共催した。これからも一緒にやっていきたい」と訴えた。
 寺田道男さん、「(闘病でしばらくの休みの後)なんとか元気にやっています」と報告。
 酒井一さんは、「戦争責任の問題を考えている。けりをつけずにここまで来ているが、あの戦争は何だったのか。若い人にちゃんと言うべきだ」と発言。
 日高千賀子さん(初期のニュース編集者)は、「最初の6号までを編集した。その後はソ連からロシアに変わった頃のロシアに転勤になった」と報告。

解散という言葉をかき消した雰囲気

 最後に、実行委員長の山田謙さんが閉会のあいさつで参加者にお礼を述べ、続いて関西共同行動の今後の活動について語った。
 「中北さんの偲ぶ会を催した時点では、会の解散はニュース100号を出してから決めようと考えていた。その後いつの間にか解散という言葉は頭の中から消えて、関西共同行動は、これから101号、102号と出していかなければという雰囲気になっている」と述べた。集い終了後記念写真を撮った。
      (T・T)

これからもニュースを発行し、運動を広げていこうとスクラムを固めた(9.27)

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