お抱え運転手
コラム「架橋」
私は40歳代に自動車の運転免許を取得した。仕事上どうしても必要だった。車が空いていれば協力会社に出かけ、定年前の数年間は退屈しない日々を過ごした。
転職後、新職場での公用車使用は「事前申込制」である。今年初めて異動になり「運転手登録」をしていない。車庫および車両の管理は委託で、未登録の職員は自動的に「運転手付の貸出し」となる。
新規事業の宣伝印刷物を運ぶために予約をした。一人のほうが気楽だが、せめて世間話でも、と助手席に座った。
「物価が上がり続けてますね、異常ですよね」。あいさつ代わりに切り出してみる。「外国人は生活保護がフリーパスでもらえるんでしょ。日本人はヤレ家族に知らせるとか審査が厳しいのに」。稚拙なフェイクに、この運転手も騙されていたか。嘆息しつつ、私は否定も肯定もしなかった。狭い車内の空気が冷え込むことを避けた。適当に相槌を打ちながら、聞き役に徹した。
「私は大型二種免許を持ってるんですよ」。「ほう。いま運転手不足だから引く手数多でしょう。バスとか長距離とか。私の前の職場にも何人かいました。だから『こんな会社にいないで、転職したほうがカネになるぞ』って勧めていましたよ」。
「今の仕事の前には、福島にも行きましてね。バスで労働者をF1まで運ぶんですよ」。話は意外な展開になった。「被曝が心配じゃなかったですか」。「実は中の仕事もやったことがあってね。作業時間が厳しく決められているのですが、作業員はみんな無視してましたね」。
この日は往復30分の距離。初対面で、互いの話を完全に理解しているように振舞うのにも、気を遣うものだ。彼はいわばプロドライバーだが、運転が荒くヒヤリとした。ルートも私のほうが精通しているが、あえて口をつぐんでいた。
車庫の詰所にはこうした労働者が屯し、テレビを見ながら出番を待っている。職員自身が運転するときは、出発前後のアルコール検査も義務だ。
社会的弱者を排斥するデマゴーグは、半地下の暗く埃っぽい空間にまで広がっていた。「次回は続きを聞くか」とも考えたが、相手の顔はまったく覚えていない。 (隆)

